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題名 覚悟の行方
登場人物 ラス ユーニス
投稿者 松川彰
投稿日時 2005/2/01 3:31:53



「どう思う?」
 彼は彼女に聞いた。
「わかりません」
 彼女は彼に答えた。


 ウェルシアという男が商う店が商売不振に陥り、借金を重ねたあげくに店を畳む羽目になった。だが、その決心はやや遅く、店の全てを処分して、借金が返せるかどうかわからないという額にまで膨らんでいた。羽振りの良くない店主に金を貸そうという金貸しは少なく、結局、高利貸しに頼るしかなかったからだ。
 その店に金を貸していた高利貸しは2人いる。1人は、金貸し専門のイェルシュ老。もう1人は、金貸しのかたわら、幾つかの故買屋や雑貨屋、小間物屋などを商うマクレガー商会。どちらももちろん、盗賊ギルドの保護を受けている店のため、互いが争う時には盗賊ギルドは不可侵の立場をとっている。
 店の処分をするにあたり、店内の残存商品と店の建物をマクレガー商会が引き取ることになった。そこから支払われる現金でウェルシアはイェルシュ老に借金を返す手はずになっている。

「……まぁ、それであまり安く買いたたかれねぇように、相手さんからも見張りがくるわけだ」
 金髪の半妖精が、そう言って笑った。
 焦げ茶色の髪をした若い女が、困ったように曖昧に笑って頷いた。
 マクレガー商会の仕事を受けるにあたり、背景を知りたいというユーニスに、その仕事を紹介したラスが説明していたのである。
「相手さん、というのが、イェルシュさん側ですよね。それでは、わたしたちが受ける仕事というのは……」
「ああ、マクレガー商会のやつらが、ウェルシアの店の商品を買いたたきに行く。まぁ、店の建物自体の査定はもう済んでるらしいがな。それの護衛だ」
 説明を続けたラスに頷いて、ふとユーニスが小さく声を上げた。
「あの……ひょっとして……」
「……そう。双方とも、かなり荒っぽい連中だな。まぁ俺たちが受けるのはあくまで、マクレガー商会の人間の護衛。こちらから仕掛けることはない」
 そう言って、ラスは冷めた茶に手を伸ばした。自宅の居間である。自分には飲み頃の茶だと、そう思いかけて気が付いた。自分に飲み頃ということは……。
「ユーニス、茶ぁ淹れなおそうか。冷めただろ」
「…………」
「……ユーニス?」
「え。……あ。ああ、ごめんなさい。クロシェちゃんの子猫はうちじゃ引き取れません。師匠が猫を嫌いで……」
「…………」
「……あ。えと……あれ?」
「いや、いいけど。……何考えてた。今回の仕事のことか。──おまえは酒場で、清濁併せ呑む強さを手に入れたいって言ってたよな。今回の仕事は、多分ボーダーラインだと思う。マクレガー商会は、確かに評判のいい店じゃない。けど、犯罪をやっているわけでもないし、犯罪の片棒担げと言われているわけでもない。ただまぁ……心情的には、ちょっと微妙かもしんねぇけどな。……どう思う?」
 笑ったラスにユーニスが頷いた。
「ええ……そうですね。正直、実際に仕事をしたらどう思うのかはわかりません。でも、大丈夫です。受けると決めたお仕事ですし、それに……多分わたしは、こうやっていろいろなことを知らなくちゃいけないんです。深く……なりたいと思うんです。ですから、よろしくお願いします」
 ぺこり、と頭を下げたユーニスに、ラスが笑う。
「こちらこそ」
「……ところで、ラスさん」
「ん?」
「お茶、ぬるくなっちゃったんですけど、淹れなおしてもいいですか?」


 懸念されていた衝突は、さほどのものではなかった。イェルシュ老側で、もっと大口の貸し付けをしていた店が倒産しそうだという情報が入ったこともある。人員をそちらにとられて、今回、イェルシュ老側の代理人についていた『護衛』はチンピラと駆け出しの冒険者という組み合わせだったのだ。
 マクレガー商会の人間が、ウェルシアの店の隅々を値踏みしてまわる。1人が片端から値段を言い、それをもう1人が書き留めていく。
「はぁ……鮮やかですねぇ……」
 店の中で、フレイルを抱えたまま、ユーニスが呟いた。
「あいつらは慣れてるからな」
 そう言いながら、ラスは店の中を見回す。
 店、とは言え、そうと知らなければ倉庫か何かと思ったかもしれない。狭い間口に貧相な店構え、そして商品には埃がかぶり、空いた棚も多い。その店が日用雑貨を扱う店だとすぐに気付く人間はどれくらいいるだろう。
「ラスさん? 何か探してらっしゃるんですか? でも今、お買い物するのはちょっと難しいと思うんですけれど」
「買い物なんかするかよ、馬鹿。別に探してるってほどでもないが、確かこの家には女の子が……」
 店の奥へと、ラスが視線を向けようとした時、ちょうどその方向から小さな悲鳴があがった。

「きゃ……!」
「おい、マクレガーんとこの……ああ、あんただよ、あんた。この娘にも値段つけちゃどうだい。そもそもこんな、エレミアの砂漠より干涸らびた店、いくら値段つけたって借金の焦げ付きはどうにもならねえだろうがよぉ!?」
 イェルシュ老の代理人についてきたチンピラが、まだ未成年とおぼしき少女の手首をとらえて、そう怒鳴った。マクレガー商会の査定人は、ちらりと見たきり、また仕事に戻る。その背中に向けて、チンピラが舌打ちをした。
「だいたいよぉ。こっちが黙ってるからって、随分と勝手な値段付けてんじゃねえのかい? 安く買いたたけば買いたたくほど、あんたんとこは利ざやを稼げるってぇ仕組みだもんなぁ? あんたが買わねぇってぇんなら、この娘はオレたちが貰ってくぜぇ?」
「マリル!?」
 少女の母親らしき女が、駆け寄る。
 ありきたりな光景だ……と、ラスは思う。マクレガー商会の仕事を受けたことは何度かある。似たような光景も見たことはある。結果、本当に売られた娘はいた。だがマクレガー商会は女は買わない。それは偶々、別の金貸しが連れていた護衛が盗賊ギルドに所属している女衒(ぜげん)だったからだ。
 少女──マリルの手首を掴んでいる男を観察して、それはないと思った。女衒には独特の匂いというものがある。“鼠”には“鼠”の、“狐”には“狐”の匂いがあるように。
「その手を離してください。今回は、店の商品と建物だけという約束とうかがってます」
 ユーニスが先に動いていた。重量感のあるフレイルを構えて、男を睨め付ける。
 不承不承、マリルから手を離した男が、ユーニスから逃げるように視線を逸らし、そしてラスを見つけた。
「……なんだよ、あんた、霞通りの女衒じゃねえか。なら、あんたがこの場で買い取ってくれりゃぁいいんだ。マクレガーさんとこじゃ女ぁ扱わねぇらしいからよぉ」
「ふざけんなよ。誰が女衒だ。寝言も大概にしろ。……生きて帰りたけりゃな」
 ラスからも睨み付けられ、男が唇を尖らせる。
「ち。ンだよ、てめぇらみんな格好つけやがって。ここの店主はよぉ、こんだけの借金焦げつかせてんだ。残りカスみてぇな商品を、いくら売ったって追っつかねぇだろうがよぉ。建物処分したって、借金払えば文無しだ。明日っからのパンはどうする。ここの家族にゃ、もう売るモンは娘くれぇしか残ってねぇじゃねえか!」
 悔し紛れのその言葉を聞いて、少女の母親も父親も泣き崩れた。だが、少女だけは泣かなかった。
 そう、それは事実なのだ。マクレガー商会で値段を付けて計算して……数刻後に出る計算結果は、それをそっくりそのままイェルシュ側に渡してようやく借金が消えるかどうかというものでしかない。つまり、どう頑張ってもウェルシアの一家には、1ガメルたりとも残らないのだ。


 数刻後、ラスとユーニスは酒場にいた。チャ・ザ神殿の近くにある木造の酒場である。
「ラスさん、今日のあの方たちは……」
 遅めの昼食を前に、ユーニスが口を開く。
「彼らには、頼る親戚はない。だからまぁ……自分たちでどうにかするしかないな」
「え。……そうなんですか。じゃあ、神殿で配給を受けたり、とか……?」
「そうすることもあるかもしれない。けど……」
 わずかに眉を寄せて、ラスは手元の茶を口に運んだ。
「けど? なんですか?」
「……あそこの店主、常習犯なんだよ。これで3度目だ。店ぇ潰したのはな。前回も俺は立ち会ってる。まだ俺がオランに来たばかりの頃に、この街で手っ取り早く伝手作ろうと思って、あそこの仕事を受けたんだ。そん時の仕事があの店だった。5年前か。まぁ、その時の店は雑貨屋じゃなくて布の問屋だったけどな。最初は染め物屋をやってたらしい。職人を何人か抱えて。それが潰れて、そん時の伝手を元に布の卸問屋を始めた。それが潰れたのが、5年前。さすがに伝手も無くなって、小さく始めたのが今回の雑貨屋だな。……潰れても潰れても、どっかから金を工面して商売をはじめる」
 呆れたように口に出すラスに、ユーニスが息をついた。
「ああ……そうなんですか。じゃあ、また始める可能性もあるんですね。強いなぁ。たくましいご主人なんですね。あ、それにわたし、ちょっとびっくりしました。借金返したら本当の文無しになるかと思ってたんですけれど……」
 少しばかり安心したように、ユーニスがパンに手を伸ばす。
「ああ、一応は盗賊ギルド側の決まりがあるんだ。最低50ガメルは残せ、ってな。ギルド直営の金貸しに対する決まりだが、慣例として、ギルドの保護下に入ってる連中もそれを守る。だから今回は、向こうとこっちとで30ガメルずつ、60ガメルがウェルシアの手元に残ってる。まぁ、日雇いの仕事を見つけるまでの数日は、食いつなげるかもしれない金額だな」
 ポトフをつつき、パンを食べる。ユーニスが、そんな食事の手を止めて、まじまじとメニューの値段を眺め始めた。
「……なんだ? 報酬は入ったけどお祝いする気分じゃないって言ったのはおまえだろう。やっぱり別の店が良かったなんて今更言うなよ?」
「違いますよ。そうじゃなくて……普段のこのお食事でも、5ガメルはするんだなぁと思って。水とパンだけで過ごせば……えぇと、60ガメルだと何日……」
 計算し始めるユーニスに、ラスが言い添える。
「この季節じゃそろそろ野宿も厳しいからな。裏通りで、一番安い木賃宿が1泊3ガメルだ。ただ、な……」
「はい?」
 応じながらも、ユーニスは指折り数えて何日暮らせるのかを計算している。途中で神殿の配給を貰えば、2週間くらいはぎりぎりながらも生活出来るだろうかと、計算を終える。
「──繰り返してる、と言ったろ? 確かにたくましいし、根気もあるだろう。文無しから始めて、小さいながらも自分の店を持つまで短期間で頑張るなんてぇのはなかなか出来ることじゃねえ。けど、何度も立て直してるってことは、何度も潰してるってことでもある。……あそこの主人は、調子に乗りやすいんだよ。うまくいきかけると、すぐにギャンブルに手を出す。もちろん勝つこともある。だからこそ店が持てたってこともあるんだからな。でも……負けたら? そして負債を埋めるために店の金に手を付け始めたら?」
「あ……」
「そういうことなんだよ。……どう思う?」
 あっさりと尋ねたラスに、ユーニスは首をわずかにかしげた。
「わかりません……それは、なんというか……困ったご主人ですよね」


「ラスさん……」
 食事を終え、茶の入ったマグを両手で包みこみ、ユーニスが思い出したように口を開いた。
「ん?」
「さっきの女の子……マリルちゃん、でしたっけ。えぇと……おつき合いがあるんですか?」
 チンピラに腕を掴まれていた少女のことだ。彼女の悲鳴が聞こえる直前に、ラスも彼女の姿を探していたらしいことをユーニスは覚えている。
「はぁ?」
「ラスさん、彼女のこと探してましたよね。それに、彼女、ラスさんのことじっと見てましたよ?」
「つきあいなんかあるか。まだガキじゃねえか。……まぁ、最初に見た時は8つかそこらだったから、その頃よりはでかくなったけどな」
 守備範囲外だ、とそう言ってラスが笑う。
 5年前、同じような仕事をした時に初めてマリルを見た。泣き崩れる母親のスカートを掴み、背後に隠れていた。そうして、怯えたような視線で作業する男たちを見つめていた。くすんだ砂色の髪は、手入れをすればもっと艶やかな髪になるだろうに、と思いかけて気が付いた。髪の手入れに金をかけるような生活は無理だったのだろうと。
 そういえば、と思い出す。
 5年前のあの時にも、今日と似たようなことを言い出す下卑た男がいた。『ガキ専門の店だってあるぜ』と、そう言った男に、おまえが常連か?と返し、その場にいた全員で笑った。
「あの時も……泣いてなかったな」
「え? 誰が…………あ」
 かららん、と酒場の扉に仕掛けられたベルが鳴る。その音に振り返ったユーニスが、声をあげた。
「……マリルちゃん?」
 くすんだ砂色の髪は無造作に1つに束ねられ、着ている服もどことなく薄汚れている。そもそも、サイズが合っていないらしく、スカートの丈も袖の長さも中途半端だった。
 おそらく外套は持っていないのだろう。古いマフラーだけを襟元に巻いて、マリルは戸口に立っていた。


「お聞きしたいことがあって……それでマクレガーさんのところへ行って、聞いてきたんです」
 痩せた体を、椅子の上で更に小さくしながら、マリルがそう言った。
「わたしたちを探しに来たの? ああ……ラスさんを探していたのね?」
 寒かったでしょう、とユーニスがお茶を差し出す。お金は払えないからと固辞するマリルに、そんな心配は要らないと半ば強引に勧めた。
「ラスさん、とおっしゃるんですか。あの……顔は知ってたけど……名前を知らなくて……」
「ああ、話すのはこれが初めてだな。……どうした。何か聞きたいことでも?」
 店員を呼び、ラスがサンドイッチを注文する。
「……ラスさん、また食べ……あ、いえ、なんでもないです」
 ユーニスの呟きを半ば無視して、ラスはマリルの顔を覗き込んだ。
「聞きたいこと、というよりも頼みたいことがあるっていう感じだな」
「はい……あの……」
 か細い声を震わせて、マリルは気を落ち着けるように茶のマグに手を伸ばした。いただきます、とユーニスに小さく会釈することも忘れない。
 こくり、とマリルの喉が鳴る。
「あの……あたしを、買ってください!」
 思い詰めた表情で、マリルがそう言った。半ば叫ぶような声が酒場の中に響く。
 軽く店内を見渡して、外れた時間帯で良かったとラスは思った。あつらえたように、他に客はいない。
「えと……マリルちゃん? あのね、ラスさんは確かにお金持ちだと思うけれど、それはちょっと……」
「だって、さっきの男の人が言ってました。ラスさんは女の人を買うお仕事をしているんだって。それなら、あたしは幾らで買ってもらえますか?」
 なだめようとしたユーニスに、マリルが言いつのる。
「……マリル。おまえ、歳は幾つだ? 意味がわかって言ってるのか?」
「先月、13才になりました。大丈夫です、意味は……わかってます。どんなお仕事なのかということも。ラスさんにお願いすれば、お店に紹介してもらえるって聞いたから……」
「……あ、お店のことですか。わたし、てっきり……」
 ユーニスが小さく呟く。その頭を軽く小突きながら、ラスが溜息をついた。
「いや……まぁ、それは誤解なんだけどな……」
 店員がサンドイッチを運んできた。礼を言ってそれを受け取り、ラスはその皿をマリルの目の前に置いた。
「俺が食おうと思って注文したんだが、あまり腹が減ってなくてね。残すのはもったいない。悪いが食ってくれないか」
 目の前の、ハムや卵、季節の野菜などが挟まっただけのシンプルなサンドイッチを見つめ、マリルは唇を噛んだ。


「……だって……他にもう……」
 唇をきつく噛みしめるマリルの肩を、ユーニスが優しく抱いた。
「お腹が空いてたら、やけになっちゃうものですよ。温かいお茶を飲んで、出来たてのサンドイッチを食べて。ゆっくり話しましょう? 大丈夫、わたしもラスさんも今日はこのあと何もないんです」
「おとうさんが……おとうさんが、泣いてるんです。もう駄目だ、って。そして、あたしたちに済まないって……」
「さすがに4度目の気力はないってか」
 ぼそりと呟いたラスに、ユーニスが眉を上げる。
「ラスさん、そんな言い方……!」
「……いいんです。その通りなんです。最初のお店の時は、あたしが生まれたばかりだったから良くわからないけど、でもいつも原因は同じなんです。おとうさん……商売に向いてないんです。でも、誰かに使われるのはいやだって……だからいつも無理矢理お店を作って……」
 諦めたように笑うマリルの頬には、年に似合わない大人びた憂いが刻まれている。この年で、諦めるということを知っているマリルを見て、ユーニスは心を痛めた。
「でも、他に何か……」
 言いかけて、気が付いた。他にもう、とマリルは唇を噛んだのだ。
「いいんです。あたしに出来ることって他にないし……おねえさんたちは冒険者でしょう? あたしも、そんなふうに出来たら良かったんだけど……」
「冒険者の他に、出来ることがなかったからな」
 小さく肩をすくめたラスに、マリルが微笑んだ。
「あたしは、冒険者も出来ません。頭だって悪いし、力があるわけでもないし。もちろん、剣も魔法も使えません。でも、あたしにはこの体があります。痩せっぽちで、何の魅力もないけれど……それでも、今のあたしに出来ることはこれだけだから。……おとうさんが、もう駄目だって……もう死ぬしかないって言うんです。おかあさんも、ただ泣くだけなんです。おとうさんの名前を呼んですがりつくだけなんです。あたし……今日、ラスさんを見て、5年前を思い出しました。あの時、助けてくれたと思ったんです。ラスさんはそんなつもり無かったのかもしれないけど……本当は5年前だってあたしは売られていておかしくなかったんです。だから」
 もう決めたのだ、という口ぶりだった。
 冷めた茶を一口飲み下し、ラスが息をついた。
「……覚悟があるならいい。俺は、直接女を買い付ける仕事をしているわけじゃない。でも、店に紹介することは出来る。なるべく安全な店を選んでやることも出来る。おまえは、そこまでしてでも、両親を死なせたくないんだろ?」
「はい。……食べ物が無くても、着るものが無くても、あたしは我慢出来ます。そりゃぁちょっとは辛いけど……でも……」
 言葉に迷うように、マリルが俯く。
 でも、と続けた。
「あたしは……生きていたいんです」


「強いですね、あの子」
 マリルを思い浮かべて、ユーニスが呟いた。
「それに……優しいです。あの子だってお腹空いてたはずなのに、サンドイッチを全部食べないで包んで持っていったでしょう? あれ、お父さんとお母さんに持っていくつもりなんですよね。13才って、本当ならまだ親に守られていていい年齢なのに……」
 ユーニスの下宿へと帰る道を、ラスとユーニスは2人で並んで歩いていた。秋の日暮れは早く、既に西の空は藍色に染まりかけている。
「あの年で、親を養おうと思えば中途半端なことじゃ無理だってことだな」
「ラスさんは、娼館まわりのお仕事をなさっているから、そのことにはお詳しいでしょう?」
「おまえだって、そのあたりの事情には詳しいだろ。母親がそっち絡みじゃなかったか?」
 ラスもユーニスの事情を全て聞いているわけではない。ただ、娼館の空気には馴染みがあるとだけ聞いていた。
「ええ……いろんな境遇の方がいました。だから、今回のマリルちゃんのことが珍しいことじゃないっていうのもわかるんです。私が知っている娼館にいたお姉さんたちも……いえ、推測で言うのは失礼なことだとは思うんですが、いろんな気持ちがあったと思うんですね」
 西の空に光り始めた星の1つを見つめ、ユーニスが囁くように言った。その隣でラスが頷く。
「そうだな。後悔だったり、満足だったり……いろんな種類の気持ちで、いろんな形をとって表に現れる。一括りになんか出来るものじゃない。不幸だと嘆く女もいるし、不幸なんかじゃないと強がる女もいるし」
「ラスさん。明日、マリルちゃんに会いに行くんでしょう?」
「ああ。約束したからな。今夜一晩考えて、それでも気持ちが変わらないなら、まずは住み込みの雑用係として雇ってくれそうな店を探す。彼女はまだ若すぎるし」
 ラスがそう答えたところで、ユーニスの下宿の前に帰り着いた。ユーニスの師匠である老精霊使いとその妻が住む家だ。
「住み込みだったら、宿と食事の心配をしなくていいし、それに……いろいろと学べますよね」
「ああ。実際に目の当たりにして、それでもその仕事を選ぶかどうかは彼女の自由だ」
「選んで欲しくない、とそれは言っちゃいけないことですよね。それに、選んだとしても決して不幸なだけではないとわたしは知っているから、尚更です」
 困ったように微笑むユーニスに、ふとラスが尋ねた。
「同じ女として……おまえはどう思う?」
 聞かれて、ユーニスは更に困った顔になった。
「わたしは……いえ、わかりません。ただ……死ぬよりはいいですよね」
 おやすみなさい、と言ってユーニスは明るい光の漏れる玄関の扉を開けた。


 翌日、昼を少しばかり過ぎた頃、ラスはマリルの家に向かっていた。彼らは、身の回りのささやかなものを片付けるためということで、今日までは元の家に住むことを許されている。今日の夜には家を出なければならないが。
「ラスさぁん」
 道の途中で、ユーニスが手を振っていた。
「なんだ、どうした?」
 ふふ、と笑ってユーニスが手に持っていた包みを指し示す。
「もしもマリルちゃんがお仕事を始めるのなら、それは新しい出発だと思うんです。それに、この季節にあんな薄着をしていては風邪をひいてしまいますから。これ、わたしの古着なんですけれど、昨夜、寸法直ししたんですよ。古着じゃ失礼かなと思ったんですけど、まだ生地も傷んでないし、マリルちゃんに似合いそうな色だと思って」
「へぇ、何色だ?」
「白なんです。柔らかくて温かい光のような。マリルちゃんは前を向いて進むから……だから、導く標のような、ウィスプの色が似合うかな、って。……ラスさん、どうして笑ってるんですか?」
 くすくすと笑うラスに、ユーニスが訝しげに問い返す。
「いや、わりぃ。おまえが可笑しかったわけじゃねぇよ。ただ、俺と同じこと考えてたなと思って。仕事の件を承諾したら、店に連れてく前に服でも見繕おうかと考えてたんだ。そして、白い服があればいいなと思ってた」
 ユーニスも、ラスの言葉に微笑み、そして小さく息を吐き出した。
「……多分、これは自己満足と言われる種類のものだと思うんですね。だからマリルちゃんには負担なのかもしれないけれど」
「まぁ……やりきれない部分ではあるよな。これは、やりきれなさを妥協するための、俺たちの自己満足なのかもしれない。でもまぁ……おまえなら、彼女の相談相手になってやれるだろう。俺は仕事の紹介は出来るが、それ以上のことは出来ない」
 肩をすくめたラスに、ユーニスが頷いた。
「ええ。そうですね。ああいう女の人たちの全てを理解しようとは思わないし、もちろん出来ないことですけれど、せめて、こういう形ではありますが知り合った1人だけでも、お互いに理解出来たらいいなぁなんて思うんです。……わたしより、マリルちゃんのほうが大人なのかもしれない、なんて思いますけれど」
 くす、とユーニスが笑った。


 ウェルシアの店があった場所には、店を営業していた頃には絶対になかっただろうと思われる人だかりが出来ていた。近所の人間が集まっているらしい。
「……何か、あったんでしょうか」
 ユーニスが顔をこわばらせる。
 手近な野次馬の1人をつかまえて、ラスが尋ねた。
「おい、何かあったのか? 衛視は出張ってないようだが」
「ああ、衛視は今呼んだところさ。とりあえず、マーファの神官が通りかかったんで、少し見てもらったんだがね。いやぁ、ウェルシアの旦那、今回の一件では随分と沈んでいたようだからねぇ。にしても、何もかも無くしてもあんなものを手に入れる金はあったんだねぇ」
 近くで商売をしているらしい中年の男はそう言って、やれやれ、と首を振った。
「……なに? どういうことだ?」
「だからさ。一家心中だよ。よく効く毒薬をどっかから手に入れたらしくってさ。まぁ、あのままじゃ物乞いになるか娘さんでも売るしかないんじゃないかって噂されてたからね。それよりはいっそ……ってなことだろうさ」
 その中年の男に同調するように、初老の女が頬に手を当ててみせる。
「まったくだよ。マリルちゃんも可哀想にねぇ。いい娘だったのに。無念だったろうけど……1人生き残るよりは良いさね。3人仲良く旅立ったんだからさぁ……」
 ユーニスは、手に持っていた包みをきつく握りしめた。
 ラスは表情を変えないまま、いきなり近くの野次馬たちを押しのけ、店の中へと入っていく。それに気付いたユーニスが慌てて後を追った。

 ──おい、あんた。衛視が来るんだからあまり散らかしちゃいけないよ。
 ──娘さん、13才だって? 可哀想にねぇ。
 ──家族そろって、か。覚悟の上だったんだろうな。

 安いワインの瓶が転がっていた。それに毒を入れて飲んだらしいが、注ぎ分けるようなゴブレットはこの家にはない。縁の欠けたマグカップが2つと、古びた陶器のコップが1つ、ワインの瓶の隣に転がっていた。そして、それらに不似合いな、真新しい小さなクロスが1枚。
 そのクロスが、昨日サンドイッチを包んでいったものだと知っているのは、この場ではラスとユーニスだけだ。
 最後にするには、あまりにも慎ましやかな晩餐の痕跡。その周りに、3人の人間が倒れている。
「……覚悟の上、だと?」
 追いついたユーニスを振り返りもせず、ラスが低い声で呟いた。
「ラスさん……」
 ラスの背中に手を伸ばそうとして、ユーニスは、ラスが見ているものを見た。そして、その場に立ちつくす。
「ふざけるな。立派な殺人じゃねえか。この親どもがマリルを殺したんだろうが! てめぇらが生きていたくねぇからって、娘まで巻き込みやがって! そうだろう!? マリルは……!」
 想像する。仕事の件を言いだしたマリルに、両親は絶望を深めたのかもしれない。娘に体を売らせてまで生きるなんて、と思ったのかもしれない。
 けれど、何故。
 それなら何故、生きることを選ばなかったのかと。
「それでもマリルは……!」
 ──前しか向いていなかったのに。
 野次馬がざわめく。ラスの怒鳴り声に眉を顰める者も多い。
 衛視が到着したようだ。一家心中か、と声が聞こえた。
「……心中なんかじゃありません」
 ユーニスの声は、衛視には届かない。
 それを承知で、ユーニスは言いつのった。言いつのらずにはいられなかった。
「だって、マリルちゃんは泣いてなかったんですよ? あんな絶望の中で、涙を呑み込むことが……どんなに……それが出来るマリルちゃんが、何を覚悟してたって言うんですか……彼女の覚悟はそんなものじゃありません!」
 昨日の笑顔が脳裏をよぎる。彼女は何も捨てていないとユーニスは思っていた。
 だからこそ、彼女ならどんな世界でだって輝きを失わずに生きていけるかもしれないと、可能性を信じた。
 床に横たわるマリルの髪は、相変わらずくすんだ砂色のままで、痩せた体には古くてサイズの合わない服を纏ったままだ。
 ユーニスは、手に持っていた包みをほどいて、白い服を取り出した。毛織物で作られた、暖かそうなワンピースだ。染み1つ無い白さは、薄汚れたこの家にはひどく不似合いだった。
 それを、そっとマリルの体にかける。
「……行くぞ、ユーニス」
「はい……」
 ラスに促され、ユーニスは立ち上がった。


 野次馬たちの喧噪から逃れるように、2人は無言で路地を進む。
 ハザードの流れが見えるあたりで、ラスが不意に立ち止まった。2、3歩行き過ぎてから、ユーニスが振り返る。
「……どう思う?」
 ラスが聞いた。
「……わかりません」
 ユーニスが答えた。 





この作品の感想をお寄せください
新川さんの感想 (2004/12/03 1:48:04)[6]

清濁併せ呑むことを決めたユーニスは、この事件を経て、どのように変わるのだろうか。
今はわからない答えもいつか出さねばならないときがあるかもしれない。
そのとき、彼女の覚悟の行方はどうなるのだろうか。

この話ばかりでなく、この先のユーニスの思いも大いに期待させられる作品、キャラを育てていくことを前提としたこのサイトにまさに相応しいものだと思いました。
両PL氏の今後ますますのご活躍に期待です。
琴美さんの感想 (2004/12/03 1:47:40)[5]

苦難をあえて選び取る覚悟。そして結末。
ユーニスにとって、このやるせない経験は胸の奥深くに残ることでしょう。
PLとして、このような物語を経験させてくださったことに心から感謝します。

読者の心を捉えて放さないすばらしい作品をありがとうございました。
深海魚さんの感想 (2004/12/03 1:45:42)[4]

なんと言うか、上手く言葉に出来ないのですが。
切なくなりました。そして覚悟と言う言葉と言うか覚悟の方向について考えさせられました。

生きる覚悟死ぬ覚悟。自分のキャラには生きる覚悟を持たせたいです。
Ken-Kさんの感想 (2004/12/03 1:45:20)[3]

作品の主題については、とかく書きません。
松川さんの意図されるところを汲み取ることはできたと思います。

自身のキャラクターではないユーニスの性格を見事に捉えた描写、客体に徹した情景描写が読後の哀感を一層高めていること、この二点が特に素晴らしいと思いました。
うゆまさんの感想 (2004/12/03 1:44:46)[2]

人の強さと弱さ。
二度三度、読み返し浮かんだのが其の言葉です。

題名の意味。
途中まで読んでいた時と、最後に読み終えたときに、別々の意味を感じる事になろうとは・・・胸が締め付けられるEPです。

そして、途中と最後の台詞、「わかりません」
二つの意味合いは違いますが、何よりも、このエピソードの持つ重み示すものと思います。
U-1さんの感想 (2004/12/03 1:44:22)[1]

わかりません。
いや、本当に。どう言えば良いんでしょうね。新らしいエピ板の最初にこんな作品を掲載されたら、次とかに投稿するのは嫌だなぁってのだけは確かですけど。やっぱり、松川さんは凄いです。
アイデアもさることながら、見せ方がやっぱり良いですよね。しっかりとなにかを読者に伝えてます。「なにか」と書いたのは、伝えようとしている事があやふやだからではなく、言い表し難い想いだからです。言い表しにくいんですけど、なにかを想わずにはいられないんです。流石です。
だから、やっぱり、わかりません。
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