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題名
デイバットの憂鬱<前編>
登場人物
アル、ワーレン
投稿者
U-1
投稿日時
2005/1/30 3:48:12
「良いんですか、本当に?」
衛視専用の外套に身を包んだ青年が不安そうに尋ねた。
「大丈夫だろうよ、多分な」
衛視専用の外套に身を包んだ男が無責任にそう答えた。
酷く懐かしいシチュエーションである。
かつてのように、変わらぬ場所で同じコンビが話しているのだ。
つまり、とある衛視のサボり場所である橋の下でアルとワーレンが、である。
二人揃って衛視専用の外套を着ている点と時間帯が真夜中な点だけがあの頃と違っていた。
「知りませんからね、どうなっても」
とアルが言えば、
「仕方ねぇだろ、人手が足りねぇんだから」
とワーレンが答える。
“過ぎ越しの祭り”に賑わうオランでは、衛視の数が圧倒的に足りないのだ。
酔っ払い同士の諍いを仲裁するのも衛視なら、ひったくり・置き引きなどに警戒するために町中を巡回するのも衛視である。時には迷子の保護もしなければならないし、祭りに参加しようと他の街や国から来た者に道案内を頼まれる事もあった。それだけに“祭り警戒班”として余裕のある所や重要度の低い所から人員が割かれるのである。ワーレンが担当している“川辺の夜番”もそうした被害を被った所の一つだった。
「なんも起きねぇさ」
「だと良いんですけどねぇ……」
「まぁ、起きたら起きた時のこった。そん時考えるさ」
それでは遅いだろうにとアルは思った。
だが、この状況になってしまっている時点で何を言っても後の祭りである。
(どうか何も起こりませんように)
アルは、幸運を司ると言われるチャ・ザにそう願った。
普段、人々の交流を奨励する神としての側面ばかりを信仰しているにも関わらずである。
※ ※ ※ ※
祈りを捧げるように天を仰ぎ上流へと登って行くアル。
俺は、そんな様子を視界の端に捉えながら下流へと歩き出した。
見回りとはいっても、別段、変わった事は何もない。
遠く聞こえる祭りの喧騒とは裏腹にハザード川はただ静かに流れている。
『冬でも此方に居らっしゃるんですね』
懐かしい声がそう俺に語りかけて来たのは、三日ほど前の事だったか……。
『いや、今日は特別って奴だな』
俺はアルにそう答えながら
(ファリスは俺を見捨てていなかった!)
と心の中で快哉を叫んだもんだ。
実際、その日はリリエが俺の担当地域付近へ出張るってんで、仕方なしにこの場所へ来てたんだと思う。
でなきゃ、誰が好き好んでこの寒空の下……。
『お久しぶりですね、ワーレンさん』
微笑みながら言ってくるアルに俺は“にんまり”と応えた。
『ホントだよな。どっかの誰かさんは、長旅から帰って来たってのに挨拶一つ寄越さねぇしな』
『あ、いや、それは……』
『おまけに、そのまま、またフラッと出掛けたり、仕事したりと忙しかったみたいだしな』
『!? なんで知ってるんですか!? あ、いえ、ですから……』
慌てて取り繕うように釈明を始めるアル。
怪我を拵えてた。
そう知り合いから聞いた時は
(何を一人で先走りやがったんだ!?)
と憤慨気味に思いもしたが、そんな反応を見ると
(結局、大して変わってねぇなぁ)
とそう思う気持ちの方が大きかった。
安心なのか落胆なのかは自分でも判別しかねるところだが。
『水臭ぇよなぁ。最初に仕事を振ってやった俺に挨拶もねぇしなぁ』
からかい半分に拗ねた口調で言ってやる。
『お前は、あれか? もう俺なんかと連む気がねぇのか? 兼業冒険者なんかにゃ用がねぇってか?』
『と、とんでもない! そんな事あるわけないじゃないですか!』
素直っつうか、馬鹿正直っつうか。あんまりにも思う壺過ぎて、ちょっと可哀想に思えたもんだ。
『なら、俺の仕事手伝うよな』
『はい!……って、仕事って一体……今、冒険者としての仕事はちょっと……』
聞くと定宿の店主夫婦や賢者の師匠夫妻に年内は冒険者として仕事をしないよう約束させられてるらしい。怪我が治るまではって事らしいが、どうやら両方の旦那が「家内に心配をかけた罰だ」と言いだし、アルとしても断り切れなかったってのが真相だとか。たく。恵まれた環境に居やがんなぁ。まぁ、アルの人柄なのかもしんねぇけど。
『人徳って奴ですかね』
『言い過ぎだな、そりゃ』
笑い声混じりにそんなやり取りをして、結局、今日の夜番を手伝わせる事になった。
実を言うと最初アルには俺の身代わりを勤めて貰うつもりだった。
アルは単なる増員のつもりで居たようだが、俺は一言もそんな事は言ってない。
まぁ、俺の身代わりでとも言わなかったが……。
ここのところ詰まらん雑事に忙殺され続けてて、リテの機嫌をとる暇がねぇ。
だから、今夜、俺はアルに身代わりを勤めて貰い、家なり出店なりで穏便に過ごすつもりだった。
そのつもりだったんだが……。
『リリエ衛視第三隊長殿!』
『駄目です』
『……まだ、何も言ってねぇだろう』
『でも多分駄目よ』
『いや、だから……』
『駄目だけど、言うだけ言ってみる?』
『…………。“過ぎ越しの祭り”当日は非番にしてくれ』
『駄目ね、やっぱり』
『代わりになる奴も見つけた! だから休みをくれ!』
『あら、補充人員の手配までしてくれたの……』
『おう! だから休んでも良いだろ?』
『なら、夜番から警戒班にもう一人回せるわね』
『いや、だから、そういう事じゃなくてだな』
『ワーレン、貴方とその人とで夜番をするように』
『おい、待てって』
『命令です。以上』
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
リリエとの交渉にしろ、ここに来る前のリテの視線にしろ、帰った時にリテがとるであろう態度にしろ、なんだってこう立場が弱いんだ、俺は?
「はぁ……なんも悪いことはしてねぇんだがなぁ……」
人を呪わば穴二つ。
上流を振り返り、小さくなっていくアルの姿を見ながら、そんな言葉を思い出した。
※ ※ ※ ※
神殿の鐘楼から年明けの鐘が聞こえ、さらに数刻。
いい加減、賑わいも遠のいた時間だが、俺たちの仕事は、まだ終わらない。夜明けまでの仕事だ。当然と言えば当然だな。俺たちは、受け持ち区画を見回りを二・三度終え、暖をとるために元居た場所で火を起こした。そして、衛視隊の備品である薬缶を火にかける。中身は単なる水だが、寒空では、ただの湯でもあるだけマシだ。
火の向こうでアルは、無言だった。
無言で、手近な小枝を地面に突き刺し、そこに手袋をはめている。火に翳し、温めるように置いたそれらとは別に、アル自身も火に近い場所に座り込む。そして、火が燃え移りそうなほどの位置にあるつま先を熱心に揉みほぐしていた。
「そんな普通の靴なんかで来るからだぞ」
「そうは仰いますけど……」
俺の助言に不服そうな反駁を返すアル。まぁ、無理もねぇが……。
底冷えって奴は、手足の末端から来る。寒いというより、痛いと言った方が正しいような感覚で俺たちを嘖む。防寒に優れた衛視隊の外套と手袋に守られている場所はまだしも、アル自身の私物である足下は、予想以上に冷気を奴にくれてるらしい。
「一つ勉強になったじゃねぇか。防寒は足下からってな」
「そうですね」
投げやり気味の相づちに苦笑しながら付け加えてやる。
「急所も厚手の布で守った方が良いぞ。首筋とかな」
「え、それも寒さ対策で、ですか? 戦闘時の事じゃなくて?」
「ああ。急所ってのは、“生命の精霊”とやらの力が強い場所なんだと」
だから、そこを斬られりゃ血が大量に噴き出すし、死に易い。そんな場所にフラウの接吻を浴び続けてたら、“生命の精霊”が嫉妬して体から離れちまう。
「なるほど。そういうものだったんですねぇ」
「さぁな。本当の所は知らねぇけどな。俺は、そう聞いたし、そう信じてるって話だよ」
「へぇ〜。どなたに伺ったんですか? やっぱり精霊使いの方とか?」
「いや……まぁ、なんだ。酔っ払った傭兵連中の戯言って奴さ」
言ってから、しまったと思った。
はぐらかすような口調だった事が逆に気持ちを如実に語っていたからだ。
余計な詮索はすんな……と。
しばらくして……。
「……ワーレンさん」
「ん?」
「ワーレンさんの新米時代ってどんなだったんですか?」
「なんだよ、藪から棒に?」
そう聞き返しながらも俺には、なんとなく分かっていた。
直面した事態は違うかも知れないが、真剣な眼差しで問いかけてくるこいつが、あの頃の俺と同じように立ちはだかった壁を乗り越えようとその頂に手をかけた状態でいることに。
片手をかけた状態で、もう一方の手をかけるのが良いか、足を使って体を持ち上げるのが正しいか。その判断に迷って周囲を見回しているんだろう。
(落っこちてみるのも良い経験だ。自分で考えな)
一瞬、そんな言葉が頭をかすめる。だが、傷ついての帰還だった事を思うとアルの“落ちる”は“墜ちる”と同義かも知れない。
「……流石に寝覚めが悪りぃな……」
「え?」
「いや。特別に話してやるから感謝しろって言ったんだよ」
俺は、そう誤魔化してから話し始めた。
気まずい沈黙に臆することなく踏み込んできた、ひよっこの相棒の為に。
※ ※ ※ ※
俺は、孤児だった。
貧乏な夫婦が金に困って捨てたのか、娼婦が身籠もっちまって単純にガキが邪魔だったのか……。
まぁ、どっちにしたって同じだがな。
俺は、物心がつかない内から親兄弟ってものと縁がなかった……それだけの事さ。
遠ざかる誰かをじっと見送っていた……そんな朧気な記憶はあるが、それだけじゃあな……。
神殿の孤児院なり慈善家の家なりで育つなら別だが、普通、孤児の生活ってのは大抵悲惨なものさ。
薄汚れた路地に蹲って、飢えと寒さと危険に脅えながら過ごすんだ。
いつも腹を空かせて、温かいベッドで安らかに眠れる夜を夢見る。
そういう生活だ。お前さんには想像できねぇだろうがな。
勿論、素性も定かじゃない小汚いガキには働き口も無ければ、住処だって探せない。
結果として、俺は生き抜くために自分に出来うる限りの事をし続けた。
強請。
たかり。
掻払い。
年下とか立場の弱い同類を恐喝するなんてのは日常茶飯事と言っても良いくらいだ。
そうでもしなきゃ、俺は俺で居られなかったかもしれないのさ。
誰にも頼らず、自分だけの力で生き抜けなけりゃ残された道は二つだ。
ガキ相手に性欲をもよおす連中相手の“たちんぼ”になるか。
痩せこけた野良犬に旨味のねぇこの身をくれてやるか。
俺は、どっちも御免だった。
だから、俺は毎日毎日やり続けた。
物心をつく前から、それこそ本能のように……。
巣穴の統率する仕事だとも知らずにな。
弱肉強食……それだけが俺の知るすべてだったのさ。
「おい、若いの。随分と威勢が良いのぉ」
「なんだクソ爺。見せ物じゃねぇぞ!」
それが、俺とホウバールとの出会いだった。うっかりと裏町に迷い込んだどっかの馬鹿息子を路地に引っ張り込み、しこたま殴りつけたところで、そう声をかけられたのさ。通行税をせびり盗ろうとしてたところだ。俺は最初、邪魔者としてしか奴を見ていなかった。身なりは乞食然としていたし、足腰だって弱り切った年寄り以外の何者でもないように見えたからな。まったく、大した演技力だったぜ。奴のナイフが喉元に迫るまで、俺はまるで警戒してなかったんだからな。
「粋がるのも良いが、世間知らずの悪ガキは長生きできないらしいぞ」
微笑みながらだった。一瞬だ。俺が吐き捨てるようにホウバールに言って、蹲るカモに視線を戻した……たった、それだけの間に奴は路地の入口から音もなく俺の背後に迫り、首筋にナイフを宛って、そう言ったのさ。俺は、びびった。心底びびったね。何が起こったのかすら理解出来てなかった。そりゃ、そうだろう。物心つくかつかないかのガキ相手に老人が刃物を突きつけてるんだからな。しかも、なんの躊躇いもなく、笑顔で、だ。
「な、なんなんだよ」
そう言うのがやっとだった。なんせ、膝はガクガクと震えてやがる。奴の口調が穏やかだったから正気を保っていられたが、脅しつけるように言われていたら、小便をちびりながら泣きじゃくっていたかもしれねぇんだ。体のあちこちから嫌な汗が滲み出していたしな。そう、宛われたナイフ以上に冷たい……気力もなにもかもを奪っていくような……そんな汗だ。多分な、頭では判ってなくても体が反応してたんだろうと思う。直面した死の恐怖って奴にな。
「この界隈にも流儀や仁義ってもんはあるんだぞ」
「ど、どういう事だよ?」
「知ってりゃ、こんな事態にはならなかっただろうにな」
「ど、どういう事だって聞いてんだろー!?」
「クックックック。声が震えてちゃ、怒鳴る意味はねぇな。そいつは三下の遣りようだ」
「うっ……」
「良いか坊主。悪党には悪党なりの決まりってもんがあるんだ」
そいつを知らずに好き勝手な事をし続けると、このままハザードの藻屑となっても文句は言えない。奴はそう続けた。俺が死に直面してるんだって事を理解したのは、その瞬間だったのかも知れねぇな。巣穴という存在を当時の俺は知らなかったのさ。無理もねぇがな。だが、なんかの組織らしい連中に目を付けられたって事は判った。強面の集団。ならず者たちの屯する酒場。紫煙と薬と暴力が支配する闇の会合。そんな陳腐なイメージが頭の中を駆け巡った。邪魔者は、薄汚いこの乞食爺じゃなく、俺だったんだ。少なくともその組織にとっては。そう思ったのさ。
「か、勘弁して…下さい。し、知らなかったんです」
もう遅い。そう言われて切り刻まれる。そんな想像をしながら俺は這い蹲っていた。カモが俺に向かってやっていたのと同じように土下座して泣きながら許しを乞うていたのさ。すぐ後ろで、あっけにとられている奴の事なんか、すっかり忘れてな。後から思えば、ホウバールは俺を殺す気なんか最初から無かったんだろうがな。考えても見ろ。もし本当に奴が組織の粛正者だったなら、首筋にナイフを突きつけた獲物が土下座する猶予なんか与えるか? “蛇”と呼ばれる奴らは、巣穴でも取り分け戦闘能力に秀でた連中だ。一度優位を確保したら、絶対にそれを覆させないだろうよ。相手に行動の自由を許すなんて、以ての外さ。自分の罪状を獲物に理解させる為に時間を割いたとしてもな。幸いな事に俺は“蛇”とかち合った例しが無いがね。
「坊主。お前さん死にたくないか?」
「…………」
「どうなんだ、えっ? 殺されるのは、嫌か?」
「……は、はい」
「なら、今後はワシの言う通りにしろ。ワシの下について“巣穴”の事を学ぶんだな」
「……す、“巣穴”……?」
「ああ、そうだ。ほれ、さっさとその場違いなカモから金目の物を巻き上げるんだな」
「えっ?」
「そのガキから巻き上げた物をワシに支払うのがお前さんの最初の仕事ということだ」
授業料としてな。そういう事になると想像してなかったのは、俺もカモも一緒だった。だって、そうだろ? カモにしてみたら、最前まで自分を痛めつけてた奴が、別の奴に脅されてるんだ。もしかしたら、自分を助けてくれるのかも知れない。そう思ったとしても無理は無いってもんだ。奴さんは『冥界にファリス』を期待してたのかも知れないがね、結局、渡る世間は何とやらだったのさ。
俺は、その日からホウバールの塒に厄介になった。巣穴の正式な構成員になったわけじゃなかったが、ホウバールの手下として関係者と引き合わせられることもあった。俺より先にホウバールが育てた兄貴たちとやらにも会った。言うなれば、奴は“鵙”でもあったのさ。巣穴の管理下にない活きの良い悪ガキを捕まえては、その養育をし、構成員になるよう教育する連中だ。ああ、郭公の雛を育てさせられたりするからな。そういう習性から付いた隠語だろうよ。
ホウバールの他にもそういう連中は区画毎に居たらしい。大抵は乞食として街に目を光らせているのさ。普段は、何事にも我関せずといった風を装いつつ、徒党を組む奴らや俺のように一人ででも頭角を現す奴に目を付けては巣穴の予備構成員に仕立て上げる。ルールを教え込み、隠語や通しを覚え込ませ、簡単な動作……受け身や忍び足なんかを仕込むんだ。俺が戦い方を初めて習ったのも奴の元でだった。
それまでの力任せの喧嘩とは何もかもが違った。
奴から教わる戦い方は、相手の虚を突く。それを前提としていたのさ。
「考えてもみろ。ワシらが戦士や騎士とまともにやりあって勝てると思うのか?」
「そんなの、やってみなきゃ判らねぇだろう」
「いいや、判るな。奴らは金にあかせて堅く頑丈な鎧を着込んでいる」
「そう決めつける事もないだろ。奴らだって寝台に入る時は脱ぐだろうし、風呂では丸腰のはずだ」
「それが虚だ。そういうタイミングで仕掛ける時点でまともにやりあってるとは言わんのさ」
だから、虚を探せ。ホウバールは繰り返しそう教え込んだ。剣をナイフで受けようなんて考えるだけ無駄だと。堅い鎧にナイフを投げ付けるだけ損だと。貧乏人には貧乏人の戦い方があるんだと口を酸っぱくして教えてくれたもんだ。頑丈な鎧は、その重さの分、動きを鈍くする。奴らのように斬撃を鎧で逸らす事はできなくても身軽な貧乏人には生まれ持った足がある。それを活かせるよう避けろとな。避けて、避けて、相手が疲れ始めるまで避けまくって、そこから反撃に転じれば良い。疲れて顎を出し始めた相手の喉を狙う。或いは大振りしか出来なくなった相手の脇の下からなら急所はすぐそこだ。そういう隙を突く。
「それが、ワシらに出来る戦い方というもんさ」
「卑怯じゃねぇか」
「卑怯? 卑怯ってのは、装備で圧倒的な優位を保ちながら負けかけてる能無しの言う台詞だな」
「…………」
「良いか? ワシらには名誉なんぞ要らんのさ」
死んだ後の事を気にかけて生きられるほど余裕が無いんだからな。
だから、いつでも醒めていろ。
どんな事態に遭遇しても冷静に客観的に物事を見るんだ。
それでなくては、隙を見極める事は出来ないからな。
そう嘯いていたホウバールが死んだのは、俺が奴の所で世話になるようになって、三年目の春だった。
まったく、お笑いだったさ。つまらん諍いから酒場中が喧嘩になり、殴り飛ばされ運悪く柱で頭をかち割ったって言うんだからな。ああ、その当時の俺は悲しむとか痛むって感情をほとんど無くしかけていた。それもこれもホウバールの教育の賜だったってんだから、皮肉な結果だよな。俺は、奴の死を聞かされても『老い先短いボケがヘマをしでかした』くらいにしか感じなかったのさ。
「……すまない」
喧嘩の仲裁に入ろうとして果たせなかった傭兵が遺体を届けがてら、そう言った。
何故、謝られてるのか。それすら俺には判らなかったがな。
「何故、あんたが謝る? 老いぼれが一人、馬鹿な死に方をした。それだけの事だろう?」
「なっ……。き、君は、この老人の家族じゃないのか?」
「家族? そんなもんを持ったつもりはねぇよ。俺は俺。ホウバールはホウバールさ」
「だ、だが……」
「どうでも良いが、そんな物を持ち込まれちゃ迷惑なんだよ。臭くて寝られないだろ」
「そんな物……。いくら家族では無いと言ってもご遺体に対して何て言いぐさだ」
「そう思うんなら、あんたが供養でも何でもしてやってくれ。俺には邪魔な物だからな」
それだけの会話で、ベネフィというその傭兵は、俺の心が荒みきっていると決めつけた。
今の俺と大差ないくらいの年齢だったが、こんなに荒んだ子供は見たことが無いと、そう言っていたな。
とんだ甘チャンだ、とそう思った。
ベネフィ・セーンスィア。それが奴の名前だ。傭兵という人殺しをやりながら、ファリスを信奉していると言って回る胡散臭い親父だったのさ。無論、当時の俺から見たら、だがな。
ベネフィは言った。このままじゃ駄目だとね。俺をこのままスラムで生活させるのは、自分の信仰が許さないんだと。まるで大地母神の信徒だな。俺は、そう茶化した。見返りを求めない慈愛なんて物が、この世に存在するわけが無いと思っていたしな。もし、それが一部の馬鹿が抱く幻想では無いのだとしても、自分とは一生縁の無い物……それが俺の認識だったのさ。だから『君を正しい道に導く。それも至高神の信徒として責務だ』と教え諭すように語りかけてくるベネフィを珍獣でも見るように眺めていた。
正直、俺はベネフィの誘いを突っぱねるつもりだった。何故って、ホウバールがくたばったとなれば、この区画の“鵙”が居なくなるって事だ。後任が派遣されてくるとしても現状を誰よりも把握してる俺を粗略に扱うはずがない。もしかしたら、巣穴の正式な構成員に認められて、俺自身がこの界隈のガキを仕切る後継者になれるかもしれない。そんな打算が働いていたからだ。スラムで子供時代を過ごした俺にしてみりゃ、巣穴で出世するというのが、人生で勝ち組に入る唯一の道と思えてならなかった。巣穴の実際の規模も知らずにな。当時、住み暮らしていた界隈……その狭い世界が俺のすべてで、そこを裏面から支配する。そんなちっぽけな事が、生きる目標だったのさ。
「グダグダ言ってねぇで、とっとと帰んな。俺にその気はねぇよ」
「駄目だ。私は君を連れて行くぞ」
「御免だって言ってるだろ。それともあれかい?」
至高神の信徒様が丸腰のガキ相手に力尽くでってのかい?
そう続けた俺にも多少の油断と傲りがあったんだろうよ。そんな筈はねぇし、もしそうなったとしても“むざむざとやられはしない”というな。なんせ、ホウバールの元で三年。盗賊の見習いとして、その道の戦い方を学んでいたんだからな。その界隈で俺に勝てるガキは居なくなっていたし、頭の足らないチンピラ風情にならそうそう遅れをとることも無くなっていた。だからな。いくら傭兵といっても俺の実力を知らずに来るんだから、多少は手加減もするだろうし、その程度の攻撃なら避けてやり返す事だって出来る。とそう考えていたんだ。
「……どうしても聞かぬとあれば、そうするしか無いが?」
「……おもしれぇ。一発で俺を伸したら、あんたの言うことを聞いてやるよ」
「本当だな?」
「ああ。その代わり、俺に反撃の機会を与えたら、潔く引き下がれよな」
「……判った」
俺は、勝ったと思ったね。一撃で相手を倒そうとすれば、その動きはどうしたって大きくなる。変に力んで、本来のスピードも出せないはずだ。そうなれば、俺にとっては絶好の標的だった。安っぽい挑発だったが、それに乗った時点で、勝負は付いたも同然。そう確信してたのさ。
※ ※ ※ ※
「ワーレンさんでも自分の力を過信する事があるんですかぁ……」
「妙な感想を抱く奴だな」
俺は、そう苦笑しながら焚き火に向けていた視線を上げる。
相変わらず、アルは火の向こうだ。温かい湯を流し込んだ体内から、はっきりと判る白い息を指先に吹き付けながら、此方を伺うように尋ねた。
「気分を悪くされましたか?」
「いや。ガキの頃の話だしな。そんな時期もあったさ」
その言葉で安堵しつつも、続きを促すようなアルの目が俺にさらなる苦笑を呼んだ。
「なんで、笑うんですか?」
「いや、なに。お前さんの顔がな。吟遊詩人の前で英雄譚を楽しみにしてる近所のガキに見えてな」
「あー、随分な言い方ですね。いくらなんでもそこまで無責任に聞いてはいないですよー」
「悪りぃ悪りぃ。まぁ、そうむくれんなって」
「別にむくれてはいませんけど……」
「じゃぁ、そういう事にしとこうか」
ますます、ふくれっ面になるアルを無視して、俺は続きを話しだした。
※ ※ ※ ※
気が付いた俺は、見知らぬ部屋の寝台にいた。
ああ、あの続きだ。
見事に伸されてな。完全に気を失ったのさ。
寝台に寄せた椅子にはベネフィが座っていた。
「気が付いたか?」
「……ここは?」
「安心しろ。ここはファリス神殿と縁の深い安全な宿さ」
地方からの巡礼者なんかが宿泊に利用する場所だと奴は言った。俺が気を失っている間にホウバールの遺体を共同墓地に埋葬する許可を取り付け、そして俺をここに運んだらしい。
「……マジかよ。一体どれくらい伸びてたんだ、俺?」
「まぁ、半日という所だな。……見ろ」
そう言いながら部屋の鎧戸を開けるベネフィの向こうでは、朝日が街を照らし出していた。
ベネフィがホウバールの遺体を抱いて塒に来たのが、夜半過ぎ。
その後、ずっと気を失っていたのかと思うと、我ながら無謀な勝負を挑んだもんだと馬鹿馬鹿しくなってきた。完全に奴の方が上手だったってことだ。どんな風に伸されたのかを思い出そうとしても、一直線に突っ込んでくる奴の姿を辛うじて視認していただけだと思い知る。それぐらい実力差があった。
「それで? 約束は守ってもらえるのかな?」
「…………」
「君は私に負ければ言うことを聞くと言ったな。その約束をどうするんだ?」
「…………」
「どうなんだ?」
「……判った」
俺は呟くようにそう答えた。
憮然としてでないこと。或いは約束を反故にしようとしないことにベネフィは意外そうな顔をした。真意を探るように俺を睨め付け、終いには諦めたように肩を竦めた。
あの時、何故ベネフィの誘いを受諾する気になったのか……。
実を言うと、その本当の気持ちは未だに自分自身でも良く判らない。自分の未熟を自覚したってのも勿論ある。こいつに付いていけば、もっと強くなれる。誰にも負けない一人前の男にしてくれるかもしれない。そういう憧れを抱いたのも確かだ。
だが、一方で傭兵の戦い方を身近に感じ、盗賊としての仕事に役立てようという邪な気持ちが無かったと言えば嘘になる。“狐”として変装する時。“蛇”として仕事をする時。将来、来るであろうそういう時に、役に立つ何かを吸収できれば……。そうも思っていたのさ。
そうだなぁ……言ってみれば、ファリスとファラリスが俺の両肩に乗って、互いの道を歩ませようと争っている……そんな状況だ。多分、目と言わず、口と言わず、複雑な心境を雄弁に語っていたんだろうと思うぜ、俺の顔がさ。だから、ベネフィも諦めたんだろう。或いは俺の葛藤のファリスの面を信じようとしたのか……。
ともかく、俺はベネフィに連れられて、初めてオランの街を出た。
奴の弟分として傭兵ギルドにも入らされたしな。槍の扱いを教え込まれたのも、この頃さ。それまでの盗賊流の戦い方を捨てるには、別の武器を手にした方が早いだろうとな。ナイフを剣に持ち替えた所で、きっちりと戦士らしい振るい方が即座にできるわけじゃなし、それならって事で槍を憶えたのさ。
最初の一年は苦痛の連続だった。
槍が思うように操れなかったてのもそうだが、何より考え方の違いに苦しんだのさ。
ベネフィは良い奴だった。それは、今の俺だから言える事でな。
ホウバールの元で盗賊としての考え方を教え込まれてた俺には、甘チャンの堅物にしか見えなかったのさ。
まず、仲間を信じろと言われたのが驚きだった。
ホウバールは決して他人を信用するなと言っていた。
それはカモの生き方だ。カモられて泣きを見たくなきゃ、他人を信じたりするな。
そう言っていた。
裏切られないようにするためには、どうすれば良いか。他人がヘマして、そのツケが自分に回って来そうな状況を作らないためには、どうするか。騙されないためには。カモられないためには。
そんな事ばかりを教え込まれていたのさ。
そう。確かにホウバールは盗賊としても猜疑心の強い方だった。
人の本質は金と力への飽くなき欲求だと奴は思い込んでいたのさ。人を服従させるのは金と力のみ。裏切りが発生するのは、金か力が足りないから。その時その時、相手の望む額の金をくれてやってれば、裏切る奴はいない。絶大な力で縛り上げられた状態で報復を怖れずに裏切る奴はいない。裏切った先に今より大きな金か力があるから、人は人を裏切る。それが奴の持論だった。そして、俺もそう信じていた。
世の中には二種類の人間しかいないとも思っていた。
勝者と負け犬。支配者と服従者。使う人間と使われる人間。使える人間と使えない人間。どう分けたって二種類だった。そして、どの分け方でも二つの間には、想像もつかないくらい大きく深い溝がある。後者は常に屑呼ばわりされ、前者に搾取され続けるんだ。俺の親に金があれば俺は捨てられなかったかもしれない。俺に力があれば、スラムで燻ってる事もなかったし、こんな不快な奴と共に傭兵をやるハメにもならなかった。そう思っていたのさ。
知ってるだろ、アル? ファリスの教義をさ。
「人は光の下では、皆、平等なのだ」
ベネフィは真面目臭い顔でそう言った。
「なら、なんで貴族様や騎士様ってのが居るんだい?」
俺はそう問いかけた。平等なら、奴らが威張りくさる理由も俺らが遜る意味も無いじゃないかとな。
「ファリスは“順序を蔑ろにすべからず”とも仰られている」
「矛盾してるじゃねぇか。平等なら一緒だろ? 順番も序列もなく同じな筈じゃねぇかよ」
「判らんか? 前や後ろ、お前の左隣や右隣に彼らは居るのだ。決して上に居るわけではない」
前から国王、貴族、農民が並んでいたとしよう。
国政に関する限り国王の意思を無視して農民や貴族が動く事は出来ない。
だから国王が一番偉いように錯覚してしまうのだ。
しかし、国王とて人間だ。食事を取らなければ飢えて死んでしまう。
国王が取る食事の元となる農作物を作っているのは誰だか考えてみろ。
国王は、農民が作物を作り、貴族が税として集めるから初めてパンを買う金を手にするのだ。
「上の奴らが農民の上前を撥ねてるだけの事じゃねぇか」
「そうではない。“彼が働くなら我も働け”そうファリスはお教えになっておられる」
農民が安心して作物を作れるよう貴族たちは自らの私財を擲って騎士を養い平和を守るのだ。
国王は民衆が豊かに暮らせるように、人々が安定した生活を送れるように国政を取り仕切るのだ。
一方的な搾取でも略奪でもない。農民が倒れれば貴族も国王も倒れる。国王が倒れれば貴族は路頭に迷い、農民は世情の荒廃を嘆く。相身互いなのだ。
「あんたの言ってる事は、そう解釈したら……だろ? 上下関係だったとしても矛盾しねぇじゃねぇか」
「お前は、あくまで農民の上に貴族が居て、その上に国王が居るというのだな?」
「ああ。そう思うね」
「そして、その上下関係は決して覆らないと?」
「ああ」
「ならば聞くが、なぜ奴隷だった我らの祖先はカストゥール王国を滅ぼせたんだろうな?」
「……それは……」
つまりは、そういう事なのだ。世界というのは“決して覆らない上下関係”なんかで出来てはいない。
人は産まれた以上、年老いていくし、いずれは必ず死ぬ。
農民だろうと貴族だろうと国王だろうと変わりはないのだ。
食べねば生きていけないし、眠らずに暮らすことも出来ない。
何処に違いがあると言うのだ?
たまたま国王として、貴族として、農民として産まれ出たに過ぎぬ。
それが“光の下の平等”という事だ。
「どうだ? 少しは光を見る気になってきたか?」
ベネフィの説法は、いつもその言葉で締めくくられた。
俺が光から目を逸らす生き方をしてるってな。光に背を向け、闇ばかりを見ている。だから人を信じられないんだと……。俺が知った気になっている光は、俺の背中を照らし出しているただの残照だ。それが奴の言いぐさだった。闇も知らない甘チャンが何を偉そうに……。最初はそう思っていたさ。
ベネフィは焦らなかった。
折に触れ、繰り返すファリスの教義……。
光の温もりと優しさ。
そんな筈は無い。俺は光も闇も知っている。
こんな神官かぶれとは比べものにならないくらい世間を知っている筈だ。
頑なな心は光を拒絶し続けた。
だが、日々は変化し続けていく。
スラムで過ごした惨めで安っぽい日常。反吐が出そうなあの日々に比べ、傭兵として過ごす毎日がどんなに豊かで充実しているか。弱者をいたぶるためだけに振るわれていた暴力が、誰かを守る盾となり正道を貫く槍となる。実力に劣るから。年若く未熟だから。そんな理由で俺を蔑みカモろうとする奴は、ベネフィの隊に一人もいなかった。守るべき仲間として、支えるべき友として俺に接してくれたんだ。それこそ家族のようにな。
徐々に“俺”が揺らいでいく。
戦闘を重ねるごとに背後に対する不安が減っていった。
野営の度に眠りが深くなり、食事の度にホウバールの声が遠ざかっていくんだ。
自分の背中を誰かに守らせようなんて思うな。そいつが裏切らない保証が何処にある?
人前で熟睡するなんてカモのやることだ。寝首をかかれたくなけりゃ、気を緩めるんじゃない。
出された料理を口にするのは出した奴の後にしろ。毒で死にたくないなら絶対に忘れるな。
思い出して自分の迂闊さを悔いていた声。
このまま警戒心を無くし、ぬるま湯の中でふやけてしまえば、カモられる側に回ってしまう。
そう俺に焦りを呼び起こした奴の声。
その声が煩わしくなるのに一年。気にならなくなるのに二年。
傭兵になって五年も経つ頃には、声はまったく聞こえなくなっていた。
※ ※ ※ ※
「……仲間の大切さ、ありがたさを学んだ……と?」
「……まぁ、そういう事だな」
俺は小さくなりかけている焚き火に新しい小枝をくべながら答えた。
「…………」
「……? どうした?」
「あ、いえ。随分と色んな経験をされているんだなぁ……と」
明らかに取り繕ったような感想。アルが沈思黙考していた理由は、台詞と別物に違いない。
だが、それも良いだろう。
他人の昔語りを単純に聞きたいだけなら、別口を当たってくれと言ってるところだ。
俺は、俺の新米時代が、奴にとって何らかの指針になるならと、巧くもない話を続けてる。
何を思うか。それはアルの自由だ。俺が口を出すことじゃない。
「それで……そのまま傭兵として平穏……というのもおかしな話ですけど、一応充実した日々を過ごしたんですか?」
「そう思うか?」
「違うんですか?」
「だったら、ガキの頃の話なんざ、持ち出さないさ」
俺も普通の傭兵として過ごせたらとどんなに思った事か。
過去を忘れ、ベネフィたちと共にただの傭兵として自分に出来る範囲の事を精一杯やって、それだけで生きて来られたら、どんなに幸せだっただろうか。だが、過去は俺を忘れちゃくれなかった。踏みだそうとした未来への道を遮るような壁として俺は自分の過去と向き合うハメになった。それをこいつに聞かせてやるために俺は続けた。
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