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題名
デイバットの憂鬱<後編>
登場人物
アル、ワーレン
投稿者
U-1
投稿日時
2005/1/30 3:49:13
五年目の冬。
ちょうど今日だ。
“過ぎ越し”は、色んな事を思い出させる。その一年だけじゃない。これまで歩んできた歳月を思い、明くる年への思いを抱かせる。そういう日だろ? 久しぶりにオランの街に戻ってきていた俺もそんな気になっていたのさ。ベネフィたちが酒場で盛り上がっている間、街をぶらつき、ファリス神殿に行った後で、不意にスラムへ行ってみようと思った。なぜ急にそう思ったかは判らない。この五年、オランに戻って来ることは何回もあったが、昔の住処に近づこうなんて気には一度だってならなかったのにな。だから、やっぱり“過ぎ越し”の魔力だったんだろうよ。或いは運命とやらの悪意に引き寄せられたとでも言うのか……。
俺はスラムでホウバールの幻影と出くわした。
奴の跡を継いだヴィジアールという男だ。俺の前の前くらいにホウバールに育てられ、今は幹部の一人にまで出世した切れ者さ。まぁ、当時はいっかいの“鵙”に過ぎなかったがな。だが、ヴィジアールが当時から非凡な才能の片鱗を見せていたのも事実だ。奴は先代のように乞食でなんかいなかった。ダーツ、ビリヤード、カード、ダイス。ガキどもが喜びそうな遊びを集め、手駒になりそうなガキが自然と寄ってくる店を作っていたのさ。酒も煙草もあった。裏では薬や女を売っていたのかも知れない。溜まり場を提供することで、ガキ連中の動向を監視し、手軽に取捨選択が出来るシステムを作り上げていたんだ。後から知った話だがな。
俺がその酒場に足を踏み入れたのは、酒や飯がべらぼうに安いと聞いたからだ。
ガキを選別するための酒場だからな。採算なんか度外視だったんだろうよ。自分の本業の為にかかる必要経費。それか先行投資くらいにしか見ていなかったんだと思うね。実際、飯は値段以上の量だったし、味もまずまずだったからな。そう、とりあえず飯を食ったんだ。流石に初めて入るスラムの酒場で最初から酒を飲むほど不用心にはなってなかったからな。
飯を食いながら周囲をザッと検分してな。
特に問題が無さそうだと判断がついて、少し飲もうかと思ったあたりで声をかけられたのさ。
ヴィジアールにな。
「ずいぶん懐かしい顔が居るじゃねぇか。えっ?」
「こりゃ、どうも……。すっかりご無沙汰しちまってまして……」
「おーおー、一端の口が利けるようになったなぁ」
「まぁ、俺もいつまでもガキじゃ居られませんから……」
「何を堅苦しい。一緒に暮らした事は無くてもオレ俺達は兄弟みたいなもんだ。そうだろ?」
「……ええ、まぁ……」
「こんな所に居ないで奥に来いよ。良い酒を奢るからよ」
おかしいと俺も思ったさ。
さっきも言ったとおりホウバールは、かなり猜疑心の強い男だった。そいつに育てられた俺が、家族なんてもんにちっとも思い入れがなかったんだ。同じように育てられたはずのヴィジアールが“兄弟”なんて間柄に特別の思いを持ってるとは到底思えなかった。だが、奴は殊更に“兄弟”と言い、“同士”だとか“仲間”だとかって言葉を好んで使った。何かある。俺はそう思った。だからって、奴の誘いを無下に断るわけにはいかないってのが困ったところさ。
考えてもみろ。俺は巣穴の予備構成員だったんだ。それが上の“鵙”が死んだからとは言え、何のけじめもなしに五年も巣穴と接触を持たずに来たんだぜ? 中央はともかく、その界隈を取り仕切っている奴にしてみれば脱走者も同然だったかもしれねぇのさ。その時まで、そんな事に気づいてもいなかったがな。
だから、ヴィジアールの誘いを断るわけにはいかなかった。そんな事をすれば、自分で自分が脱走者だと宣言したも同然になっちまう。それは、イコール巣穴を完全に敵に回すって事だ。流石にゾッとしねぇよな。
俺は仕方なくヴィジアールに連れられて店の奥……オーナールームに足を踏み入れた。
待ち伏せでもされてるんじゃねぇかと気を張りながらな。
「そんなに警戒しなさんな。刺客も用意してなきゃ、毒を盛るつもりもねぇよ」
年季の違いとでも言うのか……俺の内心はすっかり奴に見透かされてたのさ。
「だがな。それもお前さんの心がけ次第だぜ?」
杯に二人分の酒をつぎながら言った奴の眼光は、それまでの穏やかな物ではなく、出会った当時のホウバールを彷彿させる物だった。俺は、あの日と同じように一瞬で冷や汗にまみれ、哀れな生贄山羊のように視線を彷徨わせる事になったのさ。
手渡される杯を受け取る。
たった、それだけの事に全精力を必要とする俺。
その様子を満足げな笑みを浮かべながら見守るヴィジアール。
隙間の開いた廊下の床板とは裏腹に毛の長い柔らかな絨毯が敷き詰められた豪勢な作りの部屋。
使い易そうな品の良い調度品の数々と眩いばかりに煌めく大きなシャンデリア。
とてもスラムの一角にある酒場の一室とは思えない光景。
俺は現実感を喪失しながら杯に満たされた深紅の液体を見る。
そして、その葡萄酒の濃厚な色に自分の血の色を想像して、ますます自分を見失っていった。
世界の西の果てにある水の門。
あれが閉じられなかったから、世界は流れる時間を手に入れたと言われているよな。
あの日、あの時、俺の経験した時間ってのは、もしかしたら水の門が閉じていた世界に近かったのかも知れねぇな。少なくとも今ほど盛大に水が流出していない世界……今以上に緩やかに流れる時間の世界……そんな中に居た気がするのさ。何もかもが酷くゆっくりで……。ゆっくりな分だけ一つ一つが鮮明で……。だが、何もかもが、ゆっくりな分だけ全体を見ようとすると酷く間延びしている……そんな感じだった。
「……さて。オレは巣穴の一員として“兄弟”の意思を確認しておきたいんだがな?」
「…………」
「お前さんは、筋を通す気はあるんだろうな?」
「…………」
足抜けをするなら、それ相応の筋を通さなけりゃ“蛇”の餌食だ。
その気が無いなら、メンバーとして、それ相応の義務を求められる。それが筋だ。
俺は「負債を返すべき時が来た」とそう自覚せざるを得なかった。
「……筋は…通す……」
「ほぉ」
ヴィジアールの視線に耐えかねた俺が呻くようにそう伝えた。無論、どっちの筋を選ぶかが腹の中で決まったわけじゃない。だが、どっちにしろ筋は通すしかないんだ。通さずに辞める。通さずに居座る。どっちも蛇の道だ。だから、筋は通そう。問答無用で“蛇”の標的にされるのだけは、御免だった。
「抜けるのか?」
剣呑な響きってのは、正にあの時の奴の声を指すんだろうよ。
「……もし、そう言ったら?」
「……五年分の利息付きだ。両手両足切り落としても一年分不足だな」
奴は、そう言って自分の頭を指さした。首から上も切り落とす。つまり死刑。
「まぁ、仮の話だよな」
そう言って笑った奴を見た頃には、俺の根性はすっかり折れ挫けていた。
※ ※ ※ ※
「ワーレンさんが、屈服したんですか!?」
「うるせぇな。そんな、でけー声で言うんじゃねぇよ」
心底信じられないという風のアル。一体、俺をなんだと思ってやがるんだ。
「俺だって屈服した事もありゃあ、挫折だって味わってきてんだよ」
投げやり気味に吐き捨てた言葉に意外の色を隠しきれない反応が続く。
たく。俺は不屈の精神を持った超人でも無けりゃ、不敗の英雄でもねぇってんだ。
「あ〜あ。止めっか、この話」
「何を言ってるんですか、突然? ここまで来てそれは無いですよ」
「でもな〜。せっかく英雄視してくれてる奴が居るんだ。実像を教えちまうのも勿体ねぇしな」
「そんな事を仰らずに最後まで聞かせて下さいよぉ」
もう少しで壁の向こうが見えそうだから。
アルの表情はそう言っているかのようだった。
「だったら、ぐだぐだ言わずに黙って聞いてろよ」
※ ※ ※ ※
五年分の利息を返す為にひとまず大きな仕事をしてもらう。
だが、それほど気に病む事は無い。
酷く簡単な仕事だし、それが済めば、当分は巣穴から指示が下る事もない。
好き勝手に傭兵でもなんでもやって、気が向いたら顔を出せば良いのだから。
男はそう言った。
大きくはあるが、酷く簡単な仕事だ。
そう繰り返しワーレンに言い含めた。
本当に簡単だ。
今までやっていた事と大差ない仕事だ。
ただ、人を一人、殺せば良いだけのことさ。
そう言った。
戦場で何人も殺しただろ。
ちゃんと調べは付いてるんだ。
それと同じ事をやれば良いだけの事さ。
ヴィジアールはそう言った。
「……そいつは……」
「出来ねぇってのは無しだぞ」
ワーレンの意思は男の威圧的な言葉に再び挫ける。
拒絶が許される状況ではない。誤魔化しが通じる相手でもない。逃避が役に立つ場面ですらないのだ。
「……どいつを……」
殺るんだ? ワーレンは質問の最後をあえて口にしなかった。いや、出来なかったと言うべきか……。
自らの口で発してしまえば、それは決定事項になってしまう。無論、口にしなくとも決定事項ではあるのだろうが、自分が容認してしまうのを厭うたのだ。
暗殺。
それは巣穴の仕事だ。多くの場合、金に纏わる単なる“仕事”であり、ファリスの容認する正道を貫く為の力とは対極を成す闇の力である。暴力なのだ。この五年の間にワーレンが身につけた価値観では、到底許されざる行為である。それを自らが成さねばならないとは……。
ようやく光が見えて来た所だった。
闇を忘れ光の中で翼を広げよう……そう思った矢先の出来事である。
ワーレンは運命の残酷さを呪い、スラムに近寄るという失態をしでかした己の迂闊さを悔やんだ。
『他人を信じるな』
『それはカモの生き方だ』
『カモられ泣きを見たくなきゃ、他人を信じたりするな』
ホウバールの言葉が今さらのようにワーレンの中で響きわたる。
傭兵になどならず、ファリスの教義になど触れず、光の温かさを知らないままに生きてきていれば、こんなハメに陥る事も無かったんだろうかとそれまでの人生を振り返る。優しい色彩に包まれたベネフィたちとの日常。血と汗にまみれながらも正道を貫く自分に確かな充実を感じていた戦場。奴の言うカモの生き方に甘んじていた日々。
そして闇色に塗り潰された薄汚れたスラムでの毎日。カモる側に居たはずの過去。
結局、その闇がヴィジアールの姿を借り裏切った俺をカモりに来た。そういう事か。
ワーレンは、空虚に自分の置かれた状況をそう分析した。
「“的”は、こいつだ」
ヴィジアールは、そう言いながら羊皮紙を二枚、ワーレンに見せるように出した。
片方には似顔絵が。もう一方には、素性が書かれている。
「……アーウヴォ」
ワーレンは羊皮紙の一番上に書かれた名前を口に出してみた。
アーウヴォ。歳は40を二つ三つ過ぎた頃。ヤサは巣穴とガネード神殿の中間あたりにあり、一日一回神殿と巣穴に顔を出すのが習慣になっている。そんな事が書かれていた。
「! こ、こいつは……!?」
軽い驚きとともにワーレンは羊皮紙から顔を上げ、不敵に笑うヴィジアールへと視線を転じた。
「ああ。ご同業だ」
なんでも無いさとでも言うようにヴィジアールはワーレンの予想を肯定してのけた。
「……だが……そいつは……」
「なぁに。邪魔者だって事に代わりはねぇさ」
空になった杯に新しい葡萄酒を注ぎながらそう言うヴィジアール。
同業者を殺せと奴は言ってる。
その事実にワーレンの思考は光を見出した。
あの温かさの中に戻れる微かな可能性。
細く頼りない光明とは言え、闇から抜け出せるかもしれない唯一の道標。
それを見出したように思った。
考えろ。
冷静に客観的に。
醒めた目で見るんだ。
ホウバールの言葉がワーレンを奮い立たせる。
ワーレンは、その言葉に従った。
構成員同士の争いは巣穴においても禁忌とされている。
だが、邪魔者だと奴は言う。誰にとってだ?
巣穴にとっての邪魔者なら“蛇”が動く。それが筋だ。
巣穴に関わりの薄い俺に殺せようとしている……。
つまり、巣穴が“的”を邪魔者と考えているわけじゃない。
あくまで、ヴィジアールにとっての邪魔者……。
出世の邪魔なのか、なんらかの諍いがあったのか……。
ともかく、これは巣穴に秘密の“仕事”って事か……。
表面上は……。
「理由を聞きたいねぇ。こいつを狙うさ」
「おいおい。そんな事は知らなくても良いことだろうよ」
ここで退いたら闇に呑まれる。ワーレンはそう決意を固めながら、なおも聞いた。
「いいや。教えてもらうぞ。じゃなきゃ、この話は無しだ」
「……そんな事が言える立場だとでも思ってるのか?」
「俺も命は惜しいからな」
ヴィジアールに言われるままにアーウヴォを殺す。
当然、巣穴は構成員を殺した犯人をやっきになって探すだろう。
ヴィジアールはワーレンを殺す。
アーウヴォを殺した犯人として遺体を巣穴に届ける。
邪魔者を排除し、口封じを完了し、手柄を持って巣穴に凱旋。
そんな筋書きにむざむざと乗れはしない。
ワーレンはそう言った。
「やれやれ。流石はオレの弟だな。それともホウバールの遺産と言うべきか……」
「図星……って事なんだな?」
「ああ。お前が気付かなきゃ、そうしてたかもな」
「少し見くびり過ぎなんじゃねぇか?」
「まったくだな。傭兵なんぞをやってるから、すっかり錆びついたかと思ってたが、なかなかどうして」
ヴィジアールは目論みが空振りに終わって残念がっているというよりは、ワーレンの洞察力を喜んでいるかのように笑った。
「奴は二年前にオレの上前を撥ねやがったのさ」
ヴィジアールは言う。
二年前。“鵙”として巣穴で頭角を現しだしたヴィジアールを一部の連中が疎ましく思っていた。
五年前に若くして“鵙”という役職に就いた時もそういう連中が居なかったわけではない。狭い範囲とは言え、その界隈の悪ガキを手下として養育できるポストだ。同期の連中はヴィジアールの一足早い出世に嫉妬の念を抱いていたことだろう。だが、その時はそれだけの事だった。当時のヴィジアールと同期だった奴らには大した力もなければ彼に対して何かを画策するだけの才覚もなかったからだ。
しかし、二年前は違った。
ヴィジアールを疎ましがった連中。それは同じ“鵙”やそのポストを足がかりに少し出世をした奴らだったのだ。自分たちが思いつきもしなかった方法で成功を収める若い同業者の台頭は、すなわち自分たちの無能の証明でもある。そう考えた連中の悪意ある策略。それがアーウヴォにヴィジアールの上前を撥ねさせる事だった。
同業者の仕掛けだとは知らなかった。
アーウヴォは、上前を撥ねた後でそう釈明した。
アーウヴォの不注意ではあるが、お前も警戒が足りなかったなヴィジアール。
裁定を委ねられた上役は、二人の前でそう言った。
巣穴にきっちりと報告しておかないからこういう事態になるんだ。
少しばかり頭が切れるからって調子に乗りすぎなのさ。
ヴィジアールの敵は彼の失態をそう皮肉った。
何のことは無い。全員がグルになってヴィジアールを嵌めただけの事である。
「だから、オレは二年、我慢したのさ」
二年待って、その当時の上役よりさらに上の人間とパイプを作った。屈辱に耐えながら自分の傘下に治まる他の人脈を広げた。あの企みに荷担しなかった“鵙”は勿論、花街の顔役たちとも関係を築いた。なにしろヴィジアールの店には“子兎”が毎晩のように集まる。それを斡旋する事で彼らとの間に橋を架けたのである。自分の店に集まる悪ガキたちを従え、その連中が稼ぎ出す金も周囲に惜しげもなくばらまいた。無論、“猫”方面にも人脈を作った。ガキ達の仕事が容認されるように稼ぎの数パーセントを納める事で話をつけて。そうやって、この二年でヴィジアールは巣穴の中にしっかりとした糸を紡いできたのだ。
言ってみればヴィジアールは巣穴の中に自分だけの巣穴を作り出したも同じである。
出世する連中の誰もがやっている事だ。自分だけの人脈を作り、勢力を拡大していく。その為の金を生み出すストリートキッズたちの組織。ヴィジアールは、その頂点に居る。
スラムのカリスマとしてガキ達から絶大な崇拝を集め、水面下で牙を研ぎ続けた二年間。今なら見せしめとしてアーウヴォを殺したとしても連中につけ込まれないだけの力がある。彼はそう確信していた。
同業者だとは知らなかった。
ワーレンは、アーウヴォを殺した後でそう釈明すればいい。
ワーレンの不注意ではあるが、アーウヴォも警戒が足りなかったって事さ。
裁定を委ねられるだろう懇意の上役は、間違いなくそう言う。
同業者の上前を撥ねたような奴の末路は、こんなもんさ。
せいぜい気をつけねぇとな。
ヴィジアールの敵に彼はそう皮肉を言ってやれば良い。
それで、全てが治まる。奴らに十分な恐怖と後悔をくれてやる。それだけの事だ。
「どうだ。悪くねぇだろ?」
ヴィジアールは全ての絡繰りを話し終え、葡萄酒を口に運びながらワーレンに問いかける。
「……一カ所だけ、問題がある……」
「……ほう。聞かせてもらおうか?」
「……俺の動機だ」
俺とあんたの関係……それとなくヴィジアールの敵にその事実を悟らせるのだとしても表面上、二人は関係していてはいけないのだ。ヴィジアールの指図だと敵に悟らせなければ意味はないが、逆にあからさま過ぎれば、巣穴の戒律自体に対する反逆と言われても仕方のない部分だ。だから、ワーレンが個人的にアーウヴォを殺す動機が無ければならない。それがあって初めて『同業者だとは知らなかった』という釈明が出来る。
ワーレンはそう言った。
「もっともだな」
そう言って、ヴィジアールは笑った。
「何が可笑しい?」
「オレの人選は間違っちゃいないと思ってさ」
そう言いつつワーレンの杯に葡萄酒を注ぐヴィジアール。彼は続けた。
「お前は頭が切れる。傭兵なんぞにしとくのは勿体ないほどにな」
今すぐにでもオレの片腕になって貰いたいくらいさ。
ヴィジアールは、そう言って再び笑った。
五年前。ファリスの教義に触れる前にそう言われていたら、どんなに喜んだだろうか。
ワーレンは、そんな埒もないことを考えながらヴィジアールの言葉を待った。
「その辺も抜かりはねぇさ」
ヴィジアールは、そう言うと部屋の隅に置かれた棚の上から銀で出来た小さなベルを取り上げた。
『チリーン』
『ガチャ』
ベルの音が完全に消え去る前に扉が開く。
扉を開けたのは、ワーレンより少し年上のバーテン風の男だった。
「お呼びですか?」
男はワーレンに一瞥もくれずヴィジアールに問いかけた。
「こいつの名はハット。お前に動機を与えてくれる“目撃者”さ」
「どういう事だ?」
ワーレンは二人の顔を交互に見ながらヴィジアールの言葉に困惑したような表情を浮かべる。
「ハット、話してやれ」
ヴィジアールに言われ、ハットは初めてワーレンを見た。
部屋の中に進んで扉を閉め、ヴィジアールに目礼してからワーレンの前に立つ。
「あれは五年前の事だ。ある酒場で喧嘩が起こった。店中を巻き込んでな」
「……待て。何を言ってるんだ?」
「良いから黙って聞いてやれよ」
「そこには、ホウバールとアーウヴォも居た。別々の客だったが」
そこまで聞いてワーレンは愕然とした。
「仇討ち……という事か……?」
問いかけながらも半ば確信を得ているワーレンをヴィジアールは満足そうに眺めた。
※ ※ ※ ※
「……つまり……?」
「鈍い奴だなぁ。奴らは“的”を“親”の仇にしたてあげたんだよ」
俺は理解の及ばなくなったアルの為に当時の筋書きを話して聞かせる。
つまり、ホウバールが死んだ時、アーウヴォも同じ酒場で喧嘩に巻き込まれていたのさ。そして、偶発的にとは言えホウバールを死に追いやったのが他ならぬアーウヴォだった。そういう事だ。どこまで本当なのかは知らねぇがな。だが、そんな事は関係ねぇんだ。死人に口なしって言うだろ? 巣穴だってそんな下っ端を生き返らせてまで真相を究明しようとはしねぇさ。証人も居る事だしな。ハットが本当に現場に居たかどうかだって怪しいもんだが、そうだったって言い張れば、それで済むんだ。そういう絡繰りだったんだよ。
「なるほど。……そ、それで……その……」
「暗殺か? どうしたと思う?」
「判るわけないじゃないですか。だから聞いてるんでしょう」
「違えねぇ」
笑いを堪えながら俺は小さくなった焚き火を眺め、話を続けた。
もうすぐ夜も明けるだろう。
※ ※ ※ ※
ワーレンは路地に蹲り、その時を待っていた。
新しい年が最初に迎える夕暮れ。
氷雨に濡れる街の影が黒い外套姿のワーレンを隠す。
もうすぐアーウヴォが、ガネード神殿から出て、この道を通る。
その瞬間をワーレンは醒めた思いで待ち続けていた。
決意は出来ていた。
後戻りするつもりも無い。
茨に囲まれた道と知りつつも、この道を歩く。
それだけが自分にできる全て。
ワーレンは、そう考えていた。
無論、そこに辿り着くまでには、かなり悩んだ。
“闇”からの誘い。巣穴での出世。
“光”からの呼びかけ。真っ当な人生。
そのどちらも一度はワーレンが望んだものである。
ヴィジアールの元を辞して、宿で一晩、寝ずに考えた。
だが、巣穴での出世は過去の希望だ。
今現在のワーレンとしては、光の下で生きる事こそ望む道である。
その心に従えば、暗殺など以ての外。
ヴィジアールの依頼など受けるべきではないのだ。
それでもワーレンは依頼を受けた。
受けざるを得なかった。
“闇”を拒絶するということは、巣穴を敵に回す事だ。
どうしたって、その壁を乗り越える事はできない。
だから、ワーレンは決心した。
右手には愛用の片手槍と同じ質量を持った剣。
外套の下には傭兵として慣れ親しんだ鎧。
考え得る最良の装備だ。
準備は整っている。後は“的”を待つだけ。
不意に野犬の遠吠えが聞こえて来る。
恐らくは合図なのだろう。
ヴィジアールは用心深い男だ。
ワーレンの首尾を確認する為にも周囲に手勢を潜ませている可能性は高い。
少なくともワーレンなら、そうする。
その連中がアーウヴォの接近を確認する合図。
まず間違いないだろうとワーレンは確信していた。
その証拠に足音が近づいてくる。
もう幾分も時間がない。
見張られている以上、暗殺はやらなければならないのだ。
そして……、その時は来た。
「アーウヴォだな?」
「……誰だ、てめぇ」
鞘払った剣を晴眼に構えながら近づくワーレンにアーウヴォも殺気混じりに身構える。
「ホウバールの遺児、ワーレン! 義により貴様を討つ!」
大音声で叫ぶ。
叫びながら斬りかかった。
※ ※ ※ ※
「やっちゃったんですかー!?」
「阿呆。だったら衛視なんかやってられるか」
手近な小石をアルに投げながら言ってやる。
俺は負けた。
剣をナイフのように振るおうとして敵に避けられ、鎧を着込んだ体で敵の攻撃を避けようとして斬られた。
幾らかは手傷も負わせただろうが、先に気を失ったのは俺の方だった。
目論み通りに俺は負けたのさ。
「目論み通りって?」
「本当に鈍い奴だなぁ。それで良く賢者を志すなんて言うもんだ」
半ば呆れ気味に呟いて教える。
俺は暗殺を請け負った。ヴィジアールの要請通りにな。
そして監視者たちの見張っているだろう前で、それを実行した。
したが、果たせず負けた。そういう事さ。
ヴィジアールへの義理を守りつつ暗殺を回避する唯一の方法だったのさ。
アーウヴォを討とうとした理由は見物人が出てくる程の大声で叫んだ。
だからヴィジアールに迷惑がかかる事もない。
奴がその気なら、奴の敵だけじゃなくアーウヴォ自身にすら脅しをかけられる状況は残したのさ。
ワーレンを動かしたのはヴィジアールの情報だ。そう敵に知らせてやればいい。
成就していたら……そう考えた敵はヴィジアールの恐ろしさを思い知るだろう。
そして、『結局、失敗に終わった』とヴィジアールを軽んじる一部の楽観主義者以外は、警告は成されたと理解するに違いないのさ。次は無い。そう思う事だろう。それで十分だろ?
奴は新たな手駒を相当数、手に入れたはずだ。
そして、俺は正道も守った。少なくとも俺の中では、そのつもりでいるのさ。
ヴィジアールの事だ。俺がしくじった時には監視者に止めを指させるぐらいの腹づもりだったに違いねぇ。
だが、俺が大音声で叫んだばっかりに見物人まで集まっちまったからな。
恐らく、アーウヴォも無事だったろうよ。
「でも、そうすると失敗のツケを払わされる事になったんじゃ……」
「脅しをかけて回るのに忙しい……そういう状況を残したんだ。俺に構ってるどころじゃねぇだろ」
それに俺は気を失ったまま衛視に連行されていた。牢屋の中にまでは、手が出せなかっただろうよ。今の奴ならともかく、当時はな。俺はアルにそう付け加える。
「え? じゃあ、ワーレンさん、逮捕されちゃったんですか?」
「どっちかってぇと、保護だな」
怪我だらけで路上に伸びてたんだ。
周囲の目撃者に話を聞けば、親の敵討ちをしようと敵わない仇に向かって返り討ち。そういう状況さ。
俺の証言だって「喧嘩中の不慮の事故で死んだ親。その一因がある人間ってのを人伝に聞いて、持って行き場のない怒りを逆恨みと知りつつぶつけようとした」その程度のもんだからな。「過去は過去。事故死した親父さんだって、お前が手を汚すのを喜びはしないさ。悔しいだろうが過去に捕らわれず強く生きろよ」そんな説教を喰らって釈放だよ。身元保証人として出頭したベネフィが俺の更正状況を語ったってのも効いてるんだろうがな。
「ワーレンさん……ファリスって“嘘をつくな”って教えてませんでしたっけ?」
「馬鹿野郎。どこに嘘があるんだよ。ちょっと言ってない部分があるだけじゃねぇか」
じと目で俺を見るアル。
「あのなぁ。“嘘も方便”そういう言葉があるだろうが。……世間には」
俺はそう言いながら立ち上がり、残り火を燻らせる焚き火を踏み消した。
「見ろ。すっかり夜が明けちまったじゃねぇか。どうすんだよ、見回りはよ?」
「そういえば、後半は、ずっとしてませんでしたね」
「まったくだ。サボってると言われたらお前のせいだからな」
「なんで、ボクのせいなんですか!? ワーレンさんが……」
「なんだと? じゃあ、話さない方が良かったってのか?」
「あ、いえ。そういうわけじゃ……」
「ほれ見ろ。やっぱりお前のせいじゃねぇか」
そう言いながら俺達は詰め所に戻るために歩き出した。
乗り越えるべき壁。
乗り越えるしか術のない壁。
だが、傷つく事を怖れず体当たりをすれば、壁自体を壊せる事もある。
そういう教訓をアルが感じ取ってくれれば、話したかいもあるんだが……。
とそう思いながら。
※ ※ ※ ※
同時刻。
巣穴の一室。
ワーレンは知る由も無かったが、同じ様にあの頃の話をしている三人が居た。
「だけど、それで死んでたら、どうするつもりだったんでしょうか?」
年若い女が話を聞かせてくれた二人に問うた。
「さてな。どう思います?」
年老いた男が上座に座る最後の一人に問いかける。
「お前が正当防衛を主張できるのは、奴が伸びるまでさ」
だから、殺されない自信もあったんだろうよ。残った男は二人にそう言った。
「だとすると随分と頭が切れるように思いますが……」
老人の主張に女が同調する。
「それを確かめるための絡繰りだったんだが……」
「……だが?」
苦笑気味の幹部に女が問う。
「不器用過ぎるのさ。今も昔もな」
自分が傷つく事でしか事態を打開できないようでは、意味がない。
ヴィジアールは、そう言った。
「こっちは本気で待ち構えていた分、拍子抜けでしたがね」
同じように苦笑をもらすアーウヴォ。
彼はあの当時からヴィジアールの部下だった。
ワーレンを試すために“的”役になりはしたが、ヴィジアールの上前を撥ねた前科など実は無い。
「そこまで見透かしていたら、危険分子だと?」
問いかける女にヴィジアールは曖昧に頷いた。
「奴は頭も度胸も“御し易い程度には”持っている。それだけは証明して見せたって事だ」
技量が当時のアーウヴォ並で、暗殺をも厭わない忠誠心さえあれば……とヴィジアールが言う。
実際、ヴィジアールは監視者とワーレンが睨んでいた者の中に居た。
二人の戦いを直に監視し、ワーレンが片腕に値すると見極めがついたら出て行って全ての絡繰りを教える。
そういう心づもりだった。
「それほどの男でしょうか?」
自分の前でのワーレンを思い出しながら、リテは腑に落ちないといった風に呟く。
「適当を絵に描いたような男で、中庸が服を着て歩いているとしか思えないんですが……」
「それが、奴の選んだ道なんだろうさ」
リテにそう言うアーウヴォ。それを肯定するようにヴィジアールは続けた。
彼奴が“闇”に生きる事を良しとしていたなら、それなりの脅威になっていたはずさ。
ブランク無く、闇を歩き続けて来ていたら、あの絡繰りも全て看破していたかもしれんしな。
だが、彼奴は“光”を望んだ。決して、その光の下では生きられないと悟りながらもな。
良いか、リテ。彼奴は夜目が効くんじゃない。
オレ達と同じように“闇”を見通す目を持ってるわけじゃないんだ。“光”を見て、それを鈍らせたのさ。
だがな……。
彼奴は“光”と“闇”の両方……言うなれば“影”に居る。その道を歩くと、奴自身が決めたのさ。
だから中庸なんだ。“影”から見てるから、昼も夜も飛べる……そういう事さ。
だからこそ、“蝙蝠”なんだがな。
「……不器用な蝙蝠」
リテの呟いたその言葉が、何よりもワーレンを正確に評している。
■ あとがき ■
格好良いワーレン。
それが書きたくて、このEPを書いたと言っても過言ではありません。
あくまでボクの思う「格好良い」ですけれど。
読んで頂いた方にも「格好良い」と思って頂ければ幸いです。
人様のキャラを主役に据えて。しかもその人物の視点を中心に。
そんなボクにとって初の試みだらけのEPに「ワーレンの過去」という魅力ある題材を快く委ねて頂いたうゆまサン。貴方に最大級の感謝と共にこの作品を捧げます。本当にありがとう御座いました。
……格好つけすぎでしょうか?(笑)
この作品の感想をお寄せください
琴美
さんの感想
(2005/2/07 22:24:07)[4]
ワーレンの在りように一層の深みを増したすばらしい作品でした。アルもこれを期に一歩前進できるのではと期待させてくれました。
他PLさんのキャラクターを扱いながら何と自然なことか。羨ましいほどです。
またチャットなどで彼らと触れ合う機会が得られることを楽しみにしております。
良い作品をありがとうございました。
松川
さんの感想
(2005/2/06 22:21:30)[3]
ワーレン、かっこいい!
他人のキャラのEPを書くときの難しさをある程度知っている身としては、U-1の筆力とバランス感覚の良さに脱帽。
そして、「書きたい」と思わせたワーレンPLにも心からの賛辞を。
ま、ひとことで言うと。
「面白かった!」
枝鳩
さんの感想
(2005/2/01 22:15:11)[2]
表現のあちこちに生きた世界を感じさせる文章。
困難の解決法と事件の真相、その語り方。
話の進行を促すアルの存在。
何より格好いいワーレン。
素晴らしいエピソードだと思います。
色々と考えさせられました。
ワーレンそしてアルの今後の活躍も楽しみにしています。
うゆま
さんの感想
(2005/1/30 21:06:20)[1]
まず、お礼の言葉より。私の方こそ、ここまで書いて頂いた事に真に感謝申し上げます。そして、ありがとうございます。
適当、お気楽、いい加減がモットーなワーレンなのに、ここまで書いて頂けるとは思いも寄りませんでした。特に過去については簡単な粗筋程度しか考えていなかったのに、ここまで中身の濃い生い立ちを書いて頂けるとは・・・嬉しい事この上無しです。特に盗賊見習時代については私じゃとても考えられんです(笑)
今後は過去について考える際はこれらを参考にしなきゃいけないなぁ・・・と、贅沢な事をぬかしつつ、最後にもう一度、本当にありがとうございました。
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