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題名 誰がための呪歌
登場人物 アル
投稿者 U-1
投稿日時 2005/4/02 5:29:04


 誰にも抗いきれないものがある。
 もしかしたら古代語魔法を極めた者になら、抗う事も不可能では無いのかもしれない。
 或いは、神の意志に反する場合なら、多大な寄進と引き替えに覆す事も出来るだろう。
 だが、それらは数少ない例外であり、多くの場合は受け入れるしかない事なのだ。
 『死』という奴は。

※ ※ ※ ※

 その日、アルはオランから北に四半日歩いた所に広がる林の中に居た。
 三の月も半ばを過ぎ、学院は期が変わる前の少し長い休みに入っている。そのためアルの師事するレーラァにもある程度の時間的余裕ができ、アルに代行させていた文献整理を自らの手でやれるようになったのだ。
「しばらくは自由にしていて構わんぞ」
 短く告げられた言葉だったが、アルはその中に確かな労いがあるのを知っていた。受験騒動の後、ほとんど休みもなくレーラァの家へ通いつめ、食事の時間も忘れるほど真摯に文献と格闘してきたのである。さらに宿に戻ってからも騒がしい大部屋の片隅で一心不乱に西方語の詩を憶えようと努め、時にはそのまま夜を明かしてしまう事もあった。そんなアルの頑張りを知っているからこそ、レーラァは「休め」と言ってくれたのだろう。アルには、その気遣いが嬉しかった。
 だが、それでも休んでばかりいられないのが駆け出し冒険者の辛いところである。
 年が改まってからこっち、ほとんど仕事らしい仕事をしていなかったのだ。去年の年末に稼いだ分を切り崩しながら日々を過ごしてはいたが、その貯えも底を尽きかけている。≪きままに亭≫に赴く余裕も無ければ、来月からの宿代にも事欠く。そういう状況になりつつあった。仕方なく、アルは詩人仲間の伝手を頼りに手軽で、しかも早急に報酬の見込める「おつかい」程度の仕事を請け負う事になったのだ。
「毎月中頃には行商に来る薬草売りの親子がいるんだが、どうしたことか今月はまだ姿を見せんのだ。急ぎで薬草が必要な事態があるわけじゃないんだが、なんとなく気になってな。すまんが彼らの様子を見てきてくれんかね」
 それが依頼だった。売れ出す前の詩人を後援し、育てるのが楽しみだという商家の隠居からの依頼である。どんなにアルがお人好しだとは言え、それが無理矢理作り出された依頼だという事くらいは理解出来ていた。おそらく友人が、アルの事を盛大に売り込んでくれた結果なのだろう。アルは、そのような依頼を貰う事を心苦しく思いながらも「背に腹は代えられない」と言い募る懐具合に負けてこの場にいるのだった。

 多少、肌寒さが残るものの、日中の日差しは春めいた温かさをもたらし、道の周囲に育った木々は芽吹く頃を今か今かと待っている。穏やかな風に気の早い蝶が楽しげに飛び回り、鳥たちの囀りが平和で長閑な気持ちにさせる……そんな道中だった。アルは念のためにと鎧も剣も身につけていたし、竪琴を含めて旅装は全部持ってきていた。だが、一般人のように足下だけ整え非武装で歩いていても、さしたる危険とは出会わなかっただろう。それほど平和な道行きだったのだ。
 街道から少し外れた林の入口近くに目指す家は在った。代々、そこに暮らし、林で取れる野草を煎じてオランで売っている。そう依頼人から聞いていた。一軒家ではあるが、オランから近いだけに治安的心配も少なく、父一人娘一人で暮らすには、薬草での収益と自前の農作物で十分事足りる。そう語っていたそうだ。その言葉通り、木造の小さな小屋の前には家庭菜園があり、戸口の左右には様々な野草が板に並べられ家に立てかけるように干されている。
「意外に早く着いたな」
 そんな暢気な独り言を呟きながらアルはノックをしようと扉に近づいた。
 もし、アルにもう少し警戒心を抱く冒険者としての経験があったなら、或いは、農業や薬草に対する知識がもう少しだけでも深かったなら、アルは、扉までの数歩で違和感を感じていただろう。だが、生憎とアルは「駆け出し」で、しかも海辺の街カゾフの出身である。この時季に耕し返されてない菜園を見て不審を抱くこともなければ、並べられた薬草が干され過ぎている事にも気が付かなかったのだ。
「ごめんくださ〜い」
 緊迫感のない声でそう言った。
 返事が返って来ない事にも
(薬草を採取しに行ってる最中かな)
 とそれくらいの考えしか浮かばなかった。
 扉を引いてみて鍵がかかってない事に少し驚きはしたが
(街中でもないし、日中だしな)
 そう勝手な理由をつけて無警戒で中に足を踏み入れた。
「お邪魔しますよ〜」
 言いながら進んだ室内にはうっすらと埃が積もっている。
 アルは気にもしなかったが、盗賊としての目を持った人間が見たなら、人が暮らしているとは到底思えない状況だったのだ。少なくともここ数日は間違いなく。
「どうしようかなぁ。外で待ってるのもアレだけど、でも勝手に中で待ってるってのも失礼な話だし……」
 そう呟きながら扉の方を振り返った時だった。不意にアルの背後、つまり部屋の奥からアルを目指して突き進んでくる物体があった。気配でそれと気づいたアルは、再度振り返り、そして驚愕からパニックへと陥る。
「うわぁ!? な、なんだ」
 狼狽の極みといった声を上げながら、その物体が人影であると理解する前に小剣を抜き、振るってしまっていた。

※ ※ ※ ※

『……とまぁ、そういう訳でして……』
 アルは弁解するようにここへ来た経緯を語った。
『本当に申し訳ありませんでした。とっさの事で……つい』
 そう語りかけるが、相手は耳を貸そうともせず歩き続けていた。
『あの……レイチェさん……ですよね、薬草売りの……』
 その問いかけも彼女の足を止めるには至らない。
『えっと……どこへ向かっているんですか?』
 彼女はアルの存在など意に介することもなく、林の中を進んでいく。
(参ったな……)
 アルはそう思いつつも彼女を止める術を知らず、かといって放っておくことも出来ず、途方に暮れ始めていた。小屋を出てから随分時間が経っている。アルが事情を説明する間も、何度も謝罪を重ね許しを請う間も、彼女はまったく口を開かず、ただただ前へ前へと歩き続けてきた。しかし、まったく疲労の色は見せない。それどころか、アルには到底真似できないような確かな足取りで林の中を進んでいく。出っ張った木の根に足を取られることもなければ、張り出した枝に頭をぶつける事も無いのだ。
(まるで野伏のようだな……)
 アルには感嘆する以外に出来ることがない。
『えっと……あの、そういえば、お父さんは……?』
 その問いかけで初めてレイチェの様子に変化が訪れた。といっても立ち止まるわけでも、答えてくれるわけでもない。だが、確かに彼女の内心でわき起こる不安、困惑、焦燥……そういった感情がアルには手に取るように判った。
『……そう。探しているんですね、お父さんを……』
 相変わらず答えは無かった。でも、間違いない。アルにはそう確信できていた。
 それが判った事で、不思議とアルの腹が決まった。
(とことんまでつき合おう。そして、それから考えれば良いや)
 そういう気持ちになったのだ。それまでは、出来ることなら日のある内にオランに戻りたいと思っていたのである。だが、彼女一人を残して帰るという事が出来なかった。そして、今は、その気すら無くしている。
 レイチェは、ちょうどアルの妹と同じく、女性というより少女という形容が正しいくらいの年齢だった。その事もアルの心変わりに多分に影響しているのだろう。なんとなく、保護者のような心境で彼女のやろうとしていることを、お父さんを探すというその目的を叶えてあげたい。そう思い始めていた。
『心当たりはあるの?』
 自然と口調が妹に話しかけるようなものに変化した。
『お父さんの行ってそうな場所、そこが判るの?』
 アルの心と口調の変化。心底、彼女の事を心配し、彼女のために尋ねたということ。それが伝わったのだろう。レイチェは歩きながら言葉少なにではあるが、アルに対して初めて答えた。
「山……多分、アルニカを採りに……」
 アルニカ。高山に見られる多年草で、解熱効果があるものの保存が2?3日しかきかない薬草。アルの頭の中にそんな知識が浮かんで来た。
『……そう』
 この付近でアルニカが採れる山は一カ所しかない。少なくともレイチェたち親子が採取しているのは、いま向かっている山だけだと彼女は言う。とにかく、なんとか今日中に麓までたどり着ければ、明日は朝から山の中を捜索できるだろう。
『じゃあ、急がないとね』
 アルは努めて明るい調子でそう語りかけた。

※ ※ ※ ※

 翌朝、登山道へ足を踏み入れようとしたところで下山してくる人影を発見した。
「お父さん!」
 レイチェが喜びの声を上げながら走り出す。
 しかし、声をかけられた方はフラフラとした足取りで、レイチェの声にすら反応しなかった。
(無理もないけど……)
 アルは悲しげにそう思う。
 そして、顔が視認出来るほど二人が近づいた時、その悲しみはさらに倍加した。
(これは……)
 土気色の肌、白濁した瞳、固まった血がこびり付いた頭部。どう見ても死人だった。
 ゴースト。死後、強い怨念なり執着なりが魂を肉体に止め、動き出してしまう死体。
 それが、今の彼だった。アルがゴーストと出会うのは、これで二度目である。
「お、お父さん……?」
「何処の何方かは存じませんが、これを……これを私の娘に届けては下さいませんか?」
 そう言いながらレイチェの父親だった存在は傷だらけの右手に握りしめた花を差し出した。血に濡れ、すでにしおれきっているが間違いなくアルニカである。
 アルは初めて見たにも関わらず、そう理解できた。
「娘は病にかかり、高熱で苦しんでおるのです。野鼠の巣の近くに野草を採りに行ったばっかりに……」
 ラット・ディジーズ。鼠に噛まれる事で感染する高熱と関節の腫れを伴う病だ。
 おそらく、レイチェがかかっていたのもそれなのだろう。
 高熱に喘ぎ、徐々に衰弱し、そして腫れ上がった関節が娘を見るも無惨な姿に変えていく。
 そのままにしておくことは親として我慢できなかったに違いない。
 危険を承知で夜の山に登り、そして、転落死……。
 それが、この親子に起こった事だろうとアルは思っていた。
「お願いします。私の足では、アルニカが効く内に娘に届けてやれないのです。どうか、どうか」
 生者であれば涙を流しながらの訴えだろう。
 そうでなくても、娘のために薬草を届けたい一心で現世に縛られて動き出したとなれば、断る理由もない。
 アルは押し頂くように受け取りたい……その衝動にかられた。
「お父さん……判らないの? 私よ、レイチェよ」
 レイチェが言う。
「そうです。私の娘に……レイチェにこのアルニカを!」
 掴みかからんばかりに言い募るゴースト。
 残念ながら、彼にはレイチェの言葉が届かないらしい。レイチェという名前に反応しはするが、彼女を救わなければという強い想いに支配され、他の事などお構いなしなのだ。
「お父さん! 聞いてよ。私なの。私がレイチェなの!」
 懸命に言いながらアルは自分を指し示した。
 いや、アルに取り憑いているレイチェが……。

※ ※ ※ ※

 親子が暮らしていた小屋でアルに迫ってきた存在。
 それが、全身の関節を腫れ上がらせた土気色のレイチェだった。
 父親の帰りを待たず、彼女もまたその短い一生を終えていたのである。
 不意に迫り来る動く死体。
 アルはそれだけでパニックに陥ったのだ。
「どこ? お父さん、お父さんはどこにいるの?」
 近寄るレイチェがそう呟き続けていることになど気が付かず、小剣を振るい続けた。
 そして、その肉体を滅ぼし、憑依されて初めて事態を悟ったのである。
「……動ける……動けるわ。もう痛くない」
 アルの声でそう言いながらレイチェはアルの体で歩き出した。
『待って下さい。それはボクの体です。お願いしますから、ボクの話を聞いて下さい』
 入り込んで来た精神が幼い少女だった事で、アルは何とか狂気に支配されずに済んでいた。
 必死に経緯を説明し、謝罪を繰り返し、自分の体の自由を返してくれと懇願したのである。

「レイチェ……?」
「そう、そうよ、お父さん。私よ、レイチェよ」
「おお、レイチェ。動けるようになったんだね。直ったんだね」
 そう言いながら父親はアルの体を抱きしめた。アルの体も同じように父親を抱きしめる。
 勿論、レイチェに支配されているからだが、自分の意志通りに体が動いていたとしても拒絶する事は無かっただろう。アルはそう思っていた。
「お前が無事だと判って、私はもう思い残す事もないな」
 その言葉を聞いた瞬間にアルは言い表しがたい感情に包まれた。
「ごめんよ、レイチェ。お前の花嫁姿を見るまでは一緒にいるつもりだったが、父さんは、ここでお別れだ」
「良いのよ、お父さん。私は一人でも大丈夫。だから心配しないで、お母さんと向こうで仲良くね」
 そう言えるレイチェの強さがアルには信じられなかった。
 父親を探して不安がっていた彼女の内心を誰よりも知っているのは、意識を共有していたアルだ。
 それだけにレイチェが一緒に逝くと言わず、見送る道を選んだその事が理解できずにいる。
「……元気でな……」
「お父さんもね……」
 その会話を最後にアルの腕の中で父親が崩れるように体を抜けていった。
 涙ぐみながら、もう一度強く遺体を抱きしめ、そして天を仰ぎ見るレイチェ……。
『……良かったの? お父さんと一緒じゃなくて』
 アルが遠慮がちに語りかける。
「……良いの。だって、お父さんに間に合わなかったなんて知らせたくないし」
『それは判るけど……』
「それにね。見送るって良いものよ。誰かに見送られるから魂も安らげるんだと思う。安らかに眠ってねっていう願いを込めて見送るの。そうすると絶対、伝わるはず。そして、見送る事で残された人たちの心も落ち着くの。あの人は向こうでも元気でいるに違いないって。私がこんなに一生懸命見送ったんだからって」
『………………』
「アルさんのお父さんもきっとそうだったと思うよ」
『強いね、君は……』
 アルはそう語りかけながらも自分の父親を見送った時の事を思い出していた。
 自分は、そこまで気持ちを込めて父を見送っただろうか。
 今の自分の生き様は父の魂を安らげるだけのものだろうか。
 それを考えずにはいられなかった。

※ ※ ※ ※

 二人の遺体を小屋の隣りに埋葬したところでレイチェが言う。
「さて……と。私もそろそろ逝かないとね」
『……まだ、もう少しだけなら……』
「無理しないで良いよ。ずっと悪寒とか気持ちの悪さとか我慢してるんでしょ」
『いや、最初の頃は酷かったけど、今はそんなに感じないかな。完全に支配されてるからかもね』
「あらあら大変。だったら、なおさら早く解放してあげないと完全に私の体になっちゃうかもね」
 なんとなく泣き顔で別れる気にならず、二人してそんな冗談を言い合う。
「……ねぇ、アルさん」
『なんだい? やっぱり……もう少し残るかい?』
「違うの。そうじゃなくて……ちゃんと、ちゃんと私を見送ってね」
『……ああ。勿論だよ』
「約束だからね。良し、じゃあ、返してあげる。しっかりやれよ、アル」
 その言葉と一つの動作を最後にレイチェはアルの体の支配を解いた。
「え……これって……?」
 久しぶりに自分の意志で声を出しながらアルはレイチェが最後にやった動作の結果を見る。
 竪琴。使い慣れたその楽器を構えてから彼女はアルに体を返したのだ。
『送ってくれるんでしょ、私を?』
 意識の奥からレイチェの語りかけが聞こえる。
 鎮魂歌。
 死者を弔い、彷徨い歩く魂を鎮める呪歌である。
「む、無理だよ。弾けるかどうかもだし、効くかどうかだって判らないのに……」
『良いから。別に呪歌じゃなくったって良いの。アルさんが気持ちを込めて私を送ってくれれば、それで良いの。約束したでしょ。だから……ね』
「……判った」
 しばらく逡巡したもののアルはそう答えると竪琴を爪弾き始めた。
 この先、冒険者としてこの呪歌を奏でる事がある時は、いつでも今、この瞬間を思い出すだろうと思いながら。
 昇り始めた太陽が、アルの頬を伝う光を優しく照らし出していた。

(さよなら、レイチェ。安らかに安らかに眠ってね)




この作品の感想をお寄せください
松川さんの感想 (2005/4/25 6:11:49)[4]

はい、読むのが遅れました、ごめんなさい。

いいですね。こういうお話、好きです。
哀しい出来事なのに、だからこそ用意されている救いの手段が柔らかくて暖かくて。

そろそろ成長するのかにゃー?(笑)
枝鳩さんの感想 (2005/4/03 22:39:07)[3]

ゴースト、薬草、病気、それに吟遊詩人・・・。
なかなかに扱いの難しいものを、暖かく悲しい話に表現したEPに脱帽です。
アルの成長と、これからの物語を楽しみにしています。
うゆまさんの感想 (2005/4/03 1:19:59)[2]

ぬう。アルの賢者でありつつも吟遊詩人としての側面を、こうも見せつけてくれるU-1さん。EPが書かれるたびに、アルが確実に一歩一歩成長していく姿が見て取れます。
悲しくも優しさが感じ取れる話であり、これからの新たな物語をまたまた期待してしまいます。

・・・こっちもそろそろ完成させなきゃ(苦)
琴美さんの感想 (2005/4/02 11:43:13)[1]

人に囲まれ、情にふれてこそ加わる歌の深み。
少しずつ冒険者としての経験が年齢に追いついて行く姿を丁寧に描いておられるので、拝見していて、こちらも『見守る』心地になります。
アルならではの物語を、これからも読ませてください。
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