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題名
呼ぶ声
登場人物
セシーリカ
投稿者
小町小町
投稿日時
2005/5/16 2:56:03
その「声」は、その時から常にわたしを呼んでいた。
時には強く、時にかすかに。「声」はさざ波のようにわたしに触れ、そしてそのたびに、わたしはいつも空を仰ぐ。
それはとても優しくて、あたたかかった。
それでも、わたしはなかなかその「声」に応えられなかった。
──恐ろしかったから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
わたしには、親がいない。
生まれてそれほど間をおかずに、森の中に捨てられて寝ていたところを、たまたま通りかかった老魔術師フォール・ライフィムドルに拾われた。……なんで捨てられていたか、とか、そういうことは一切知らない。そういうことを知っているかもしれない人物は養父だけだと思うけれど、彼はそういう詳しい事情については一切話さずに、大事に墓の中に持っていってしまった。
ともあれ、わたしは彼の養女になり、セシーリカという名前をもらった。まだ乳飲み子だったので、家の女中さんから貰い乳をして育った。
わたし達の家はラムリアースの外れ、ヤスガルン山脈にほど近い牧畜の村にあった。養父はそこで魔術の研究に没頭する傍ら、村の子供達に読み書きと簡単な学問を教えていた。当然、家にはたくさんの子供達が集まっていたけれど、わたしには友達はいなかった。
わたしの体を流れる妖精の血が、彼らを遠ざけていたのだ、と思う。でも寂しがる暇はわたしには与えられていなかった。養父はわたしを自身の後継者とするべく、厳しい修行の数々をわたしに課していたからだ。わたしは子守歌の代わりに下位古代語の叙事詩を、お人形の代わりに下位古代語の本を与えられていた。
養父はあたたかく、優しく、古代語の勉強の時間以外はいつもいろいろな話をしてくれた。遙か昔、空に島を浮かべた魔法王国の話。外つ国のお転婆姫の冒険物語、そして、養父自身の、ささやかで密やかな冒険譚。小さなわたしにとって、養父はかの“知らぬ事無き”クロードロットよりも偉大なる知者であり、わたしだけの大賢者だった。わたしの目の前には、そんな偉大な養父が敷いた魔術師への道がただ広がり、そしてわたしもなんの迷いも戸惑いもなく、ただその道をまっすぐ歩いていくのだ、養父のような魔術師になるのだ、と信じて疑わなかった。そうして何より、そのような道を敷いてくれた養父が大好きで、幸せだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
でも、ある日、その生活は一変した。
突然やってきた、金の髪の少年。親に遺棄され、心に深い悲しみを持った彼は、わたしより年上なのに、いつも泣きそうな、儚い表情を変えることがなかった。養父は彼の心を癒すことに専心し、わたしは必然、ひとりになることが多くなった。
最初のうちは、それでもわたしは必死に養父の要求に応えていた。
──いつかきっと、昔と同じように膝の上でお話を聞かせてくれるようになる。
──いつかきっと、大きな手でまた頭を撫でてくれる。
──いつか、きっと……。
でも、三年たっても、「いつか」は訪れなかった。それどころか、養父はますます彼のそばで過ごすことが多くなった。……彼が、古代語魔法の道を選んだから。
そのころにはもう、彼の表情から、いつも泣きそうな儚さは消えていた。笑顔でわたしや養父に接し、わたし達は本当の兄妹と同じくらい仲が良かった。ふたりでこっそりいたずらをして、怒られることも多くなっていた。
それでも、ふたり同じように過ごしていても、いつも養父の目は彼に向いていた。……あるいは、そのころのわたしがそう思っていただけなのかもしれないけれど、少なくとも養父は、いつも元気でいたずらばかりしているわたしよりも、おとなしく病弱で聞き分けのいい彼のことを、いつも案じていた。
そのことに気がついた時、わたしは悲しくなった。もう、養父は二度とわたしの所に戻っては来ないのだ、と。わたしだけを見てくれるおじいちゃんではなくなってしまったのだ、と。……そのころのわたしに人間の友達がいたのならば、それは弟妹が出来て、今までひとりじめをしていた親をその子に取られてしまった時の、何とも言えない寂しさと喪失感であることを教えてもらうことが出来たかもしれない。でも、わたしには友達がいなかったし、何より母親もいなかった。
飢餓感にも似た何か。嫉妬や憎悪や羨望や、そんな言葉では表せないほどに猛った感情がわたしの内で蠢き、それを養父にひたすら反発することで誤魔化しはじめた。養父は明らかに困惑していたが、それ以上にわたしも、そういう態度を取るしかなくなっている自分にひどく苛立ち、そして情けなさを感じていた。同時に自分の進んでいた道に疑念がわき起こった。なぜ魔術師なのか。養父の後継は新しく現れた彼に取って代わったのに、どうしてわたしが魔術を修める道以外を選ぶことは出来ないのか。わたしには、他にも選べるわたしの道があるのではないのか、と。
そんなときだった。「声」がわたしの中に芽生え始めたのは。
はじめはかすかな音だった。不思議に思っているうちに、それはゆっくりと、でも確実にわたしの中で大きくなっていった。わたしの意志とは明らかに異なる何かの存在。「声」は幾度もわたしを呼び、そのたびにわたしは空を仰いでため息をついた。反発していた手前、養父にも相談することが出来ず、わたしはひとりで「声」に悩み、眠れない日々を過ごしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その「声」は常にわたしと共にあった。さざ波のように強弱のある声は、わたしをどこかに引き寄せるようだった。声に応えることがはたして正しいことなのかどうか、わたしはずっと悩んでいた。
「声」は、わたしに何かを伝えようとしていた。それはとてもあたたかくて、大きくて、優しそうで、触れてみたいといつも思ったが、そのたびに少し恐ろしくなって、結局応えずじまいで終わっていた。
育ててくれた恩義のある大事な養父に反発する自分を戒める天の声なのか。
わたしを悪しき道に引きずろうとする邪神の囁きか。
……応えても良いものかどうか。養父はいつかわたしに言った。時として悪しき心は善良なふりをして誘いに来る、と。
それでも、「声」は、わたしを呼んだ。
村には、小なりとはいえ大地母神の礼拝堂があった。教導の神官が詰めているわけでもなく、神殿と呼べるほど大した作りではなかったけれど。農作業に忙しい村人たちが、作業の合間にのんびり茶飲み話をする寄り合い所のようなものだったけれど。
とある日の夜。その日は特に「声」がわたしを強く呼んでいるような気がした。満月の綺麗な夜だった。みんなが寝静まった夜半過ぎに、わたしは行った。引き寄せられるように。
母神の像の前に跪いて、手を組んで見上げる。月の光が天窓から差し込んで、おぼろげにきらめく母神像が、とてもとても綺麗に思った。
別に、母神像の前で告白したのは意図があったわけではない。村の中で神様と言えば大地母神だったし、もしもの時に幾ばくかの守りがあるかもしれないと期待したからだった。今思えば随分と身勝手だけれど、その時のわたしはそれでも真剣だった。
「大地母神マーファ。今日もあたしを呼ぶ声が聞こえたんです。前から聞こえてたけれど、今日は特に強く聞こえました。誰が呼んでいるんだろうってずっと考えてたんだけど、分からないんです。……縁もゆかりもないわたしを育ててくれているおじいちゃんに、辛く当たっているから、おじいちゃんが敷いてくれた道を疑っているから、神様方が怒っているんでしょうか。それとも、そんなわたしをそそのかす悪い神様の声なんでしょうか」
――そして、「それ」は唐突に訪れた。
(進みなさい)
その時の衝撃を、どう表現したらいいのか。わたしには分からない。ただ、轟音とも囁きとも取れるその大いなる声に、体が雷に打たれたように硬直してしまったことは覚えている。
(子は親から巣立つもの。痛みをこらえて羽ばたきなさい。そして答えを見つけなさい)
その“声”は、稲妻よりも強く激しくわたしを打ちすえた。驚きと畏怖で、返す言葉すら見つからなかった。……いや、言葉を返す必要などなかった。混乱する頭の中で、それがなんなのかを本能に近い部分で悟っていたから。それに、その「声」は、強く激しかったけれど、とても暖かくて優しかったから。
涙が溢れて止まらなかった。見開いた目が瞬きも忘れて呆然と涙を流し続けていたのだ、と、後に養父は語ってくれた。……夜中にいなくなったわたしを心配して、探しに来てくれたのだった。
……それから数日の後、わたしは家を出ようと決めた。魔術師以外に生きていく方法が分からなかった。村に留まるならば農婦となるしかなかったけれど、村の誰にもわたしは歓迎されていなかった。村に留まる限り、わたしには他の道が見いだせなかった。
養父には相談しなかった。割れた花瓶の底にこっそり貯めていた金貨や、次の冬のために蓄えてあった保存食や、壁にかけられていた古びた地図なんかをかすめて、ほとんど何も考えずに家を飛び出した。言えば止められるだろうと思っていた。成人するかしないかの小娘が、たったひとりで宛てもなく………なのだから。
だけど、家を飛び出して二日目の夜、荷物袋にこっそりと紛れ込んでいた棒杖と魔道書を見つけて……その杖が養父が愛用していたものだと気がついて、仰天した。他の荷物も調べてみると、路銀も持ち出した金の二倍以上入っていたし、よくよく見れば護身用の短剣まで入っていた。……気がついたら、荷物を抱きかかえて思いっきり泣きじゃくっていた。何もかも気がついていたのに、止めないでいてくれたのだから。旅に出てたった二日だけれど、“声”の言わんとしたことが何となく分かってきたような気がして、反発していた自分がどうしようもなく惨めで恥ずかしくて、涙が止まらなかった。こんな情けない娘でも見捨てずにいてくれる養父の、これがわたしに対する愛なのだろうか。
泣きながら、胸に手を当ててそっと問うてみた。大きくて暖かで、柔らかい意志が、感じ取れたような気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その「声」は、それからいつもわたしと共にある。
それはとても暖かくて、優しくて、それでもほんの少し切なくなる。
その「声」に応えることが出来ているかどうか、まだまだ自信はない。
だけど。
大地母神よ、慈愛を司る偉大なる母よ。
今はまだ自分しか見えていないおろかなわたしですけど、懺悔もいっぱいしなきゃいけない生活してますけど、御身のおっしゃることが、ほんの少し分かりかけてきたような気がします。
これからもうんと精進します。だから、どうかわたしたちのがんばりを、見守っていてくださいね。
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まつかわ
さんの感想
(2005/6/05 19:33:08)[2]
誰しもネガティブな感情からは逃れられないもので。
自分の中にそれがあることを認めてこそ、次に繋がると。
進むべき「次」を指し示してくれたのが、マーファの声だったのですね。
なんかしみじみとしました。
一番最初に(上がってすぐ)読んだくせに、感想書くのが遅れてゴメンナサイ。
うゆま
さんの感想
(2005/5/18 12:40:18)[1]
なんだか、せつなくて、こころあたたまるEPですね。
読んでいると、ちょっと泣けた。
愛情、優しさ、不安、嫉み、嫌悪、感謝。
なんとも素直過ぎる感情。
それゆえ、こころ突き動かすものがあります。
大地母神マーファに導かれ、そして自分で道を歩み始め、そして背中を優しく押した養父の存在。
自分を突き動かすのは自分だけの意思じゃないけれど、だからこそ、一人でも強くなろうと決意できる。
其の先にあるセシーリカの未来に光が溢れん事を、大地母神の見守りと優しさが包みます様。
最後に。
夜勤明けの私にはとても心洗われるEPでした(笑)
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