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題名 安息の日々
登場人物 アル
投稿者 U-1
投稿日時 2005/7/14 0:46:29


「一年…か……」
 潮風に吹かれながら呟いてみた。
「長かったような、短かったような……だな」
 初夏の日差しに煌めく波間を見下ろしながらアルはそう続ける。

 六の月の終わり頃。
 冒険者として歩き出してから、ちょうど一年が過ぎようとしている。

 去年は霧雨が降り続く船旅だった。
 肌寒さを感じ、遠ざかる町並みを省みるのもそこそこに船室に入った覚えがある。
 少なくとも今のように船員達が忙しげに動き回る甲板で感慨に浸たりはしなかった。
 乗組員たちのざわめきと海鳥たちの鳴き声。
 風を孕む帆の音と絶えることの無い波の音。
 耳に飛び込んでくる音は少なくない。けれどもアルの心は驚くほど静かだった。
 さながら神託を待つ敬虔な信徒のように穏やかな表情で佇んでいる。

「もうすぐ入港だからな」
 舳先に立つアルに乗組員の一人が言った。
 言われるまでもなく前方には町が近づいている。
 カゾフ。オラン国内第二の都市という異名をブラードに奪われた不遇の町だ。
 単純に人口だけを比較するのならば、ブラードの二万五千に対し、カゾフは三万。
 間違いなくカゾフに軍配が上がる。
 にも拘らず、カゾフが第二都市と呼ばれることはない。
 子供時代、アルはそれが不満だった。

 漁業や商船の交易。そして、その二つを支える造船業。それがカゾフの主産業である。そこに従事するのは、口が悪く、喧嘩っ早いが、どこか憎めないところのある男たちだった。彼らは、皆、日に焼け、精悍な顔つきと強靭な肉体を誇示しているかのように振舞う。豪快に酒を飲み、大声で笑い、法螺としか聞こえないような武勇伝を語りたがるのだ。そして、そんな男たちを愛し、支える女性達。彼女たちは、夏の日差しを思わせる笑顔と嵐の荒波にも負けない心根で男たちの舵を取る。時には優しく教え諭すように。時には厳しく叱咤するように。

 気風が良く、人情に厚く、それでいて涙もろい。そんな良い意味で田舎っぽい人々。
 カゾフは、そんな人たちが集う町だった。
 彼らの織り成す日常は、海へと向かって広がる眺望のように開けっ広げで陽気で。
 そして、吹き抜ける風のように爽やかで、いつも活気に満ち溢れている。

(こんなに住みやすい町は無いよな)
 幼心にアルはそう思っていた。
(世間知らずだったよな)
 と今のアルはそう思う。
 明るい町の裏側には、間違いなく闇があったことを知ったのは幾つの時だったか。

 頻繁に往来する船。
 それはカゾフの繁栄を象徴するものには違いない。
 しかし、同時に脅威を呼び寄せる撒き餌にもなっていた。
 沖合いで横行する海賊行為。
 その被害を軽減しようと雇われる護衛の冒険者たちに混じったならず者。
 彼らを従えるために一般人の知りえぬ所で肥大化していくシーフギルド。
 その威を背景に密貿易で私腹を肥やす悪徳商人たち。
 三万の人々が暮らす町には同じ数だけ表と裏の顔があるのだ。

 だが、だとしてもカゾフがアルの故郷であること。
 そして、その故郷をアルが愛していること。
 その二つに変わりはない。
 オランからの船内でアルは、そう再認識してきた。
 愛しているが故に錦を飾れるようになるまでは戻るまい。
 とそう『意地を張っていた』。
 そのことも併せて。

 船旅の間、水平線を見る度に思った。
 世界は驚くほど広い……と。
 それこそ一生を費やしても知りきれないほどだ。
 アレクラストの東部に限っても、行ってみたい場所は山ほどある。
 【いにしえの滅びの街】や【マーラ・アジャニスの都】、【極東の巨人像】……。
 そして言うまでもなく【堕ちた都市レックス】。
 一般人でも知っている。けれども知り尽くしてはいない。そういう場所。
 西部諸国、とりわけ芸術の都と言われるベルダインにも行ってみたい。
 そこまで足を伸ばさなくても竜殺しという生きる伝説が治める国も見てみたい。
 或いは、大陸で最も歴史のあると言われる国で、その知識の一端に触れてみたい。
 むしろ、もっと近くでも構わない。
 ファーズの大聖堂、ザラスタの独立記念碑、ナーマ島のマーマンたち……。
 子供の頃、船乗りたちが話していた様々な場所を思い出した。

 けれど、実際はオランの街から出ることすら稀になっている。
 人に師事し、己の知識を深めようとしているのだ。
 ふらふらと旅をしている暇などない。
 なにより日々を生活していく糧を得るので精一杯というのが実情なのだ。
(ちっぽけだよな……)
 オランを発ったばかりの頃、何度となくそう思った。
 悲観していたわけではない。
 日々を全力で生きているという自信が今の彼にはある。
 だから、『自分の』というよりは『人の』小ささ、世界の大きさ。
 それを全身で満喫した……その感慨だった。

 不思議なもので、一度そう達観すると、それまでの自分が返ってよく分かる。
 考え方が開けたことで、別の角度から自分を省みる視点を手に入れたのだろう。
 自尊心だと思っていたものが意地でしかないと気がつけたのもそのおかげだ。
 かつての視点から『自分』だと見えていたものが、虚構だと気付いたのである。
 薄っぺらな虚構……鍍金でしかなかったのだ。
 だから、少し削られれば地金が露出し、整合性が取れなくなる。

 素直にそれを認められたのは場所が海だったからだ。
 なにもかもを受け止めてくれる海。深く、広く、果てしない存在。
 マーファ神殿でなら、それは大地にあると言われるだろう。
 大地母神。母なるマーファ。すべてを許し、包み、愛し、育んでくれる存在。
 けれど、カゾフで育ったアルには海こそが母なる存在だと思える。
 幸いなことに船上の人であった数日間は、天候にも恵まれていた。
 爽やかな風と心地よい揺れに包まれ穏やかに思索を続けられたのである。
 沿岸沿いを南下しているとは言え、広大な大海原に抱かれているのだ。
 その雄大さと無限の広がりが、アルの思考を狭い檻から解き放ってくれたのである。

 古代王国が栄えた頃から変わらずに在り続ける海。
 しかし、その姿は絶えず変化し、一刹那たりとも同じではあり得ない海。
 時に嵐のように荒々しく、逃げ出したくなる思考に苛まれる。
 時に凪のような空虚な想いに囚われる。
 風乙女たちや水霊たちの舞に揺らめく波……。
 それが『自分』だと錯覚していた虚構だ。
 けれども表層の変化に移ろうことのない深海のように常に本当の『自分』は在る。

「帰って来たんだな……」
 故郷になのか、自分自身の本来の在りようになのか。
 アルは万感の想いを噛みしめるように呟いて船を降りた。

◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇

 カゾフの町並みはアルの記憶とほとんど変わっていない。
 たまに露店の位置が変わっていたりはするが、それ以外はこれといった変化もない。
 だが、ほとんど変化がないだけにアルは奇妙な感覚に囚われた。
 違和感と言ってもいい。
 町並みは変わっていないのに、街から受ける印象だけは、まるで違うのだ。

(こんな印象の通りだったっけ?)
 とある通りでそう思う。生まれ育った町。通い慣れた道。
 けれど、どこか他人行儀な印象。
 まるで、初めて訪れた町のように落ち着かない。
 知っているはずの街角が“既視感のある場所”程度にしか見えないのだ。

(なんだ……この感じ……?)
 心の中で疑問を浮かべながらアルは立ち止まった。
 後ろを歩いていた通行人が、急に立ち止まったアルに舌打ちをしながら通り過ぎる。
 そこは、港から町の中心部へと向かう大通りの中ほどだった。
 アルと同じように船から降り立った旅装の人々が足早に追い越していく。
 或いは航海を終え、家族の元へ帰るのであろう船乗りたち。
 逆に港へと向かう荷馬車や商人の姿。
 アル一人が立ち止まったところで、人の流れはなんら停滞することがない。

(変な気分だ)
 そう思いながら360度見渡してみる。
 進行方向だった北東から東へ、東から南へ。
 港のある南西を過ぎ西から北を経て、元の向きへと戻る。
 知っている町だ。変わらぬ喧騒の中にいるはずである。
 けれども、やはり違和感は拭えない。
 まるで自分がこの場に居るのが不自然極まりないことのように感じられる。

 勘当だと母に言われた。
 戻らないと弟に告げて町を出た。
 冒険者として自分の意思で生きていくと妹に誓った。
 そうしてアルはオランへ向かった。それが一年前のことである。
 にも拘らず、彼らから手紙が届いた。
 妹の嫁ぎ先が決まったと。
 婚約の儀を済ませた後は、先方の家に赴き、花嫁修業を続けることになると。
 おそらく、成人し正式に結婚するまで帰ってくることはないだろうと。
 だから、それまでに一度帰って来いと。そう手紙は告げていた。

 アルの実家は燻製品の小売問屋を営んでいる。
 カゾフの特産品である海産物を仕入れ、加工させ、行商人たちに売っているのだ。
 抱える職人・使用人の数からすれば、同業者の中では中の下という程度である。
 それでもお得意さんと呼べる行商人の数は少なくない。
 主にホープを始めとするグロザムル山脈近郊の村を回る商人が店を利用するのだ。
 亡き父が一代で築いた店である。
 父は面倒見の良さで職人からも行商人からも慕われていた。
 今は、弟がその人当たりの良さで支え続けているはずである。

 迎えてくれるんだ……と、そう思うと嬉しかった。
 誰よりも幸せを願った妹……彼女を祝福してあげたい……そう思った。
 彼女の幸せの為に奔走したであろう弟を労ってやりたかった。
 寂しくなるね。
 でも、いずれ孫ができるだろうから……と年老いた母を励ましたかった。
 けれど、それは自分勝手に家を捨てた者に許されることなんだろうか……。
 長男という立場にありながら家業も継がず、自分本位に生きている人間。
 そう思われても仕方のない道を選んでしまったが故にアルは思い悩んでいた。
 帰らないと決めていたんだから……と。

 そんなアルの意地と迷いを師であるレーラァは、的確に見抜いた。
 そして自分と同じ轍を踏ませまいと、いさかか強引にアルに帰省を勧めたのである。
 戻らなければ破門だ……と。
 若い頃にアル同様、故郷のエレミアを倦厭していたレーラァである。
 何度も帰省を促す手紙を受け取りながら、帰らなかった。
 恩人でもある兄が死ぬまで終に一度も。
 その時の後悔があればこそ、アルを帰らせたのである。

 そんな事情で帰って来てはみたものの、実際はどうだろう。
 変わらぬ町並み、慣れ親しんだ潮の香り、子守唄にも等しかった町の喧騒。
 そのどれもがアルを拒絶しているかのように余所余所しく感じる。
「……一年……か」
 船上での呟きを改めて口にする。
 一年前は、この町並みが日常の風景だった。
 絶えず、この町の中を行き来し、見るともなしに目に馴染んでいた光景である。
 だが、今の彼の日常はここには無い。

 郷愁を覚えはする。だが同時に疎外感にも包まれる。
 さながら異邦人だとでも言われているような……。
 アルにとっての『かつての日常』……その舞台であったカゾフ。
 そのカゾフで、今まさに日常を生きる人々。
 その輪の中にアルが入れることはないのだ。
 なぜなら、アルの日常は、オランに移ってしまったのだから。
 それが疎外感であり、違和感だった。

(なるほど……)
 妙に納得がいった。
 変わったのは町ではなく、アル自身なのだ。
 普段は意識できない程度の変化でしかないかもしれない。
 その変化が成長と呼べるのか、それともその逆か、それすらも定かではない。
 けれども、変化は確かに訪れていた。
 送った日々の分だけ彼は変わっているのだ。

「一年……」
 三度呟く。船上では本当の自分を見つけた。
 視野が広がったことで改めて見えてきた変わらず在り続ける存在。
 だが、同時に原点に帰ったからこそ見えてくる変化もあったのだ。
 先の喩えで言うのならば、それは『潮流』である。
 表層とは関係なく存在するのだ。自分という名の海の中に。

 『波』ほど移ろい易く儚い変化ではない。
 むしろ本質を歪めてしまう類の変化ではない。
 見ることすら出来ない、そういう流れである。
 人からは不変と思われがちな海の底で静かに静かに動いているのだ。
 その流れに身を委ねるまでは、その存在に気がつくこともないだろう。
 しかし、一度その流れを自覚するや、潮流は凄まじい速度でその身を押し流す。
 それこそ波など比較にならないほどの勢いで。

 ちょうど、今のアルがそんな感じだった。
 数日、船上で考え続けた末に得たのと同程度の思惟を一瞬の内に得たのである。
(ボクは変わったんだ。でもボクはボクなんだ)
 端的に言うならばアルの得たのは、その程度のことに過ぎない。
 けれど、それを心の底から理解し納得するというのは悟入と言っても過言ではない。
 少なくとも今のアルには、そう思えた。
 それを肯定するかのように潮風が優しく髪を撫でていく。

 冒険者になってから伸ばし続けていた髪……。
 肩をこえたその髪は風乙女に誘われるままに家路へとたなびいた。

◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇

 婚約の儀は滞りなく終わった。
 妹……リルは他家に嫁いだのである。

 本当に慌しい数日だった。
 弟と使用人たちは、日々の商売がある。
 妹と母は最後の名残を惜しむかのようにともに針仕事や家事に勤しんでいた。
 必然的に手の空いているアルに様々な雑事が回ってくる。
 神殿に赴く日もあった。先方との打ち合わせが夜までかかることもある。
 恩師への挨拶にも行かなければならないし、父の墓にも参らなければならない。
 そんな中で時間は瞬く間に過ぎていったのだ。

 正直、最初に実家の敷居を跨ぐ時は、なんとも言えないきまりの悪さを感じた。
「ただいま」
 そう普通に帰れば良いはずなのに、なんとなく躊躇いを感じる。
 気恥ずかしくもあり、場都が悪くもあった。
 だから家ではなく、店の入り口から帰った。
 客に紛れるように店に入り、中を見渡しながら奥へと進んだのである。

 陳列されてる商品たちの燻されたばかりの香りが懐かしかった。
 そこかしこで会話を交わす客と使用人の声。
 値段交渉であったり世間話であったり……。

「お帰りなさいませ」
 最初にそう声をかけてくれたのは、爺やだった。
 店では商品の整理や掃除を主にしている。
 読み書きや算術が苦手で、客の相手が出来るわけではないからだ。
 その分、アルたちが小さい頃は、そのお守りを請け負っていた気のいい老人である。
 その爺やが抱きついてきそうな勢いでアルの前にやってきた。
 満面に笑顔をたたえながら、懐かしむように、慈しむように声をかけてくれる。

(帰ってきたんだなぁ)
 そう感慨を抱くに十分な出迎えだった。
「ただいま」
 照れ臭そうに短く言った言葉に他の使用人たちも振り返る。
 誰も草臥れた旅装に身を包んだ長髪の青年をアルだと認識していなかった。
 青白い気弱なおぼっちゃま。
 それが、かつてのアルに対する皆の認識だったのである。
「ずいぶんと逞しくおなりですねぇ」
 爺やは目じりに涙を浮かべながら嬉しそうにアルを見た。
「いや。まだまだだよ」
 ゆっくりと首を振りながら穏やかに告げる。
 その言葉に無言ながら「うん、うん」と頷く爺や。
 ずいぶんと小さくなったように見える。
 笑顔に刻まれた皺の数も一年前より多くなっているようだ。

「お帰り、兄さん」
 店の奥から弟が慌てて出てくる。どうやら使用人の一人が伝えに行ったらしい。
「ただいま、ナル」
 そう言って弟を見る。一年ですっかり店主が板についていた。
(父さんに似てきたな)
 そう思う。かつては正対することに苦手意識を持っていた弟である。
 自分より商才に長け、父の評価も高かった弟だ。
 彼を前にすると自分の至らなさが身に沁み、情けなく思うことが多かった。
 勝手に自分と弟とを比較し、劣等感に苛まれる。
 彼が弟ではなく、兄だったなら、どんなに気が楽になるかと何度思っただろうか。
 だが、今は素直に彼と対面できる。

「元気そうだね」
「兄さんもね」
 素直に言葉が出てくる。内面を押し隠す為の丁寧な言い回しは必要なかった。
 父親が死んだ時もアルは丁寧な話し方を自らに強いていた。特に弟と話す時は。
 彼に敗北感を抱いた頃からその話し方で体裁を取り繕っていたように思う。
 ナルが自分の弟だと、その弟に自分が負けているのだと。
 それを認めるのが嫌だった。
 だから、アルは客や取引相手と話すように会話するようになっていた。
 それは次第に母にも、使用人にも、そして妹と爺やを除いた周囲すべてに広がる。
 劣等感を自認しないよう。
 屈辱に身を焦がさないよう。
 最初から一段引いているのだ。
 同じ目線に立たず、初めから負けていれば、悔しく思うことも無い。
 丁寧な話し方をすることで心を閉ざし、逃げているのだ。
 それがアルの話し方だった。

 無意識に出てくる虚勢。
 長いこと身にまとっていた為に脱ぎ方を忘れてしまったと思っていた口調。
 意識しなくてもその口調になるのが普通になりかけていた。
 だが、一年ぶりに戻ってみて、それはやはり作り物だったと気がつく。
 子供時代に交わしていた、なんの拘りも無い無邪気な会話、その口調。
 素直に出てくるその言葉こそが、アル本来の話し方なのだ。

 言葉というのは不思議なものである。
 もちろん、それは意思を疎通する為の道具だ。
 そこに情報を載せ伝達することを第一義とする。
 けれど、言葉とはそれだけにとどまる存在ではないのだ。
 もし、言葉がただそれだけの存在だったなら、世界はなんと無機質であることか。
 言葉は情感を伴う。言い表されてはいなくても言外に想いが付随しているのだ。
 アルが日々の糧を得ている詩、それこそが最たる例だ。

 同じ詩歌を吟じていても、その詩人の技量一つで聴衆に与える感銘は変わる。
 平坦に語られる言葉は平易であり、感動とは無縁だ。
 作り物の言葉で交わす会話は、どこか嘘っぽく空虚に響く。
 本当に素直に出てくる言葉こそ自分を正しく表現してくれる。それに気がついた。

「後世に引き継ぐべき何かを残さず、なにが賢者?」
 クレアに言われたことを思い出す。
 ずっと心に引っかかっていたことだ。知識を深めるだけでは不足だと。
 【円盾】で自分は自分、彼女は彼女。そう学んだ。
 自分に出来ることを出来る範囲で出来るように精一杯やろう。そうして来た。
 けれど、どこかで割り切れずにいた。求める知識のその先が見えない自分……。

 その答えがようやく分かった。
 アルは賢者を志す詩人である。
 考えるまでもなく伝えるべきは言葉なのだ。
 自らの手で初めて作った詩を思い出す。
 【雛鳥たちの帰還】……それは自分が冒険者になって初めての事件だった。
『所詮は詩人 奏で語ることしかできはしません』
 その一節がすでに答えだったのである。

 研究すれば良いのだ。
 語り継がれてきた詩とそれが創られた時の世情や作者の情感を。
 残していけば良いのだ。
 自分の見たもの、聞いたこと、感じたすべてを。
 文学とでも言うのだろうか。それを綴れば良い。
 詩歌の側面から過去と現在を未来へと残せば良いのだ。
 言葉を……。
 想いを……。

「お帰りなさい、アル兄さん」
 そう迎えてくれた妹を語ろう。
 その懐かしい笑顔を。
 幼さがわずかに残る彼女の声。
「アル兄様のお嫁さんになるの」
 そう言っていた愛らしい少女の面影を思い出す。
「絶対に嫁には出さん」
 そう宣言していた亡き父の顔が浮かんでくる。
「婿だってとるかどうか……」
 そう呆れていた母と、ともに笑いあった幼き日の弟。
 愛すべき家族の心休まる情景を詩にしよう。

 婚約の儀に臨んだ妹の美しさ……それを讃えよう。
 純白のドレスに身を包んだ妹はあどけない妖精のようだった。
 これが自分の妹だと誇りたいような寂しいようなそんな想いに包まれる。
 しかめっ面の弟と顔を見合わせては苦笑した。
 笑顔のまま涙する母を見ては胸が熱くなった。
 その一瞬一瞬を忘れずにいよう。

 それは冒険者として過ごす日々と同じくらいかけがいの無いものなのだから。

◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇

 アルは再び船でオランへと帰ってきた。
 冒険者としてではなく、一人の人として過ごした半月あまりを省みながら。
(帰って良かった)
 と心の底から、そう思う。
 冒険者という立場を離れて、それで初めて気がついた事も少なくなかった。
 だから、やはり良かったのだと思う。
 特にこれといった事件にもあわず、ただ黙々と日々を送っていただけではあった。
 冒険者になって、ちょうど一年という節目をそうやって越えたのである。
 それでも心はなにかを得た。それは間違いない。
「また、明日から頑張らないとな」
 そう呟いて覚書を綴じた羊皮紙を仕舞い込む。休暇は終わったのである。




この作品の感想をお寄せください
うゆまさんの感想 (2005/7/22 20:24:46)[3]

仕事が早いんだから、もう・・・つか、すげーよ!

冒険とか依頼とかの話じゃないけれど、かえってそれが、アルが成長した証を見せつけられたです。
EPが増えるたびに一歩一歩確実に成長していくアル氏。また、いかなる道を歩いていくのか、楽しみにさせて頂きます。

で、最後に・・・アル氏の視点から語られる様子からカゾフの情景が浮かぶ様です。
枝鳩さんの感想 (2005/7/20 18:14:02)[2]

随分と遅くなってしまいましたが・・・感想を。
今を見て自分を確認するアルの思考が、生き生きとした周りの風景と共に伝わってきます。
自分を見つめなおして休暇を終えた彼がどんな道を歩むのか、これからが楽しみです。
琴美さんの感想 (2005/7/14 19:41:33)[1]

くぅ、膝蹴りとデンプシーロールをもろに食らった気分です(謎)。
出発点に回帰し再確認し、再び新たな一歩を踏み出す。その節目に静かに立ち会えた事を読者として喜びとします。
これから彼がどんな歌を紡ぐのか、一層興味がわいてきました。様々な形で彼の言葉に触れられることを楽しみにしています。
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