|
続きを投稿する
|
MENU
|
HOME
|
題名
【競作企画】東方の光射す街
登場人物
ラテル、クレフェ
投稿者
琴美
投稿日時
2006/6/09 1:07:05
私の人生の本当の始まりは、オーファンの街だった。
ならば人生の終わりは、一体どこで迎えるのだろうか。
久方ぶりにラテルと待ち合わせて出かけた。今でこそ別々に仕事をしているものの、この街に来て初めて組んだ相手であり、下位古代語と東方語の筆記の師でもあった彼は、時を経てもやはり大切な仲間であり、年下であるが故に私にとっては子供や弟のような存在でもあった。
連れ立って歩く街並は、綺麗に洗われた緑と石の匂い立つような彩りと輝かしさで私たちを迎えてくれた。さながら雨期の晴れ間に雨露を受けて咲き誇る花のように。もしかしたら浮き立った心地がそう見せた、というべきかも知れない。
人はやはり光に焦がれる生き物なのだ。
軽い足取りで、思い浮かぶままに通りを歩む。
古物商を冷やかし、手持ちの幾つかの品を売り。
薬種商を訪ねては、小分けした薬草を買い求め。
彼の新しい靴を靴屋に受け取りに行くついでに自分の靴も修繕してもらう。
そんな細々とした用事――買い物や修繕を終えるたびに、自分の姿が、多くの人の手を経て成り立っているのだと改めて認識させられた。
街は、人でできている。
人は、交流でできている。
交流は、街に溢れている。
そんな風に思える雨露に洗われた清々しい昼下がりの街を、私と彼は歩き続けた。
「お疲れ様、一休みしましょう。ここの紅茶はお値段の割にはいい葉を使っているのよ」
数刻後、やや傾いた日差しのもと、喉の渇きを覚え、手ごろな屋台で茶を買い求めた私たちは、そのままそこ――若鷹の広場で楽師の演奏を聞きつつ休憩していた。
私たちが座るベンチの周囲には、適当な間隔を置いて恋人たちや、親子連れなどが午後のひとときを思い思いに過ごしている。湿気を嫌う弦を労わるように、楽師たちの奏でる音色にはことさらに気を遣って調弦した苦労がしのばれた。
そうまでして街頭で演奏するほど、雨期の晴れ間は貴重な稼ぎ時なのだろう。
私たちも二人、静かに流れる音色にしばし身を委ねる。
「急に呼び出されたから驚いたけれども、クレフェが元気な様子で安心した」
古い西方の歌に拍手を送った後、ごくさりげなく温かな口調でラテルが水を向けてきた。
「ごめんなさいね、あなたが学院がらみの書写作業で忙しいと知っていたのだけれど、なるべくきちんと話しておきたくて、無理を言ってしまったの」
それは手にしていた茶器の中身が半分ほどになった頃。恐らく口火を切る頃合を見計らっていたのをラテルに読まれたのだろう。
覚悟を決めて、私はよどみなく答えた。
口調からはあえて重さを排除したはずなのに、彼は僅かに居ずまいを正す。
「改まって話すようなことに皆目見当がつかないのだけれど、僕に出来る限りのことはする。どうか直截に話して欲しい」
向けられた眼差しに頷いて、私も姿勢を正し、彼に向き直る。
この街で数年を過ごした後も、やはり、彼は変わっていない。
その誠実で真摯な眼差しは、大都会の雑多な交流の只中にあって少しも翳ることはなかったのだと安堵しつつ、その言葉を告げる。
「近々、オランを発ってミラルゴまで行くわ。夫の遺言で、彼の形見を故郷のご家族に届ける約束になっていたのだけれど、やっと形見を手放す決心がついたの。
ここしばらく東方語や古代語を教わる機会もなくなっていたけれど、いずれにせよそういう訳で一旦終わり。
一緒に組むのも随分前にやめていたから、今の仕事方面で支障はないだろうけれど、元相棒としてはそちらの方でも一応挨拶しておこうと思って。
今まで本当にありがとう。楽しかったわ」
一礼して顔を上げると、ラテルは驚きもあらわに私を見ていた。
「そうか、行ってしまうのか……。それにしても結婚のことは初耳だった。あ、いや失敬」
「いいのよ、喧伝することでもなかったし、私の行状を見ていれば信じられないかも知れないしね。実際クレアと、数人の友人にしか話していないわ。あとは酒場での独り言に付き合ってくれた人くらいかしら。
あら、そういうと何だか結構な数に思えるわね」
自分の言葉の僅かな矛盾に笑いながら、ラテルを見つめ返す。
これが孤独なまま、ただひたすらに口を閉ざし旅路を歩んでいたならば、私の心は今だ終わりのない闇の中でのた打ち回りながら呻吟していたことだろう。一生抱えていく想いであろうとも、時に吐露する相手がいたことは、思えば有難いことだった。
そしてその相手に出会ったのはすべて、この街だった。
私にとってラテルの存在は、それらの相手とは少しだけ異なる。いや、根本的に異なるのかもしれない。
「北方が不穏な今、旅立つのは危険に思えるけれど、大丈夫なのだろうか」
気遣わしげな視線に頷いて、何度か繰り返した言葉で彼にも説明する。
「不穏だからこそよ。遺言を首尾よく果たすためには少しでも早く出立しようと思った訳。これ以上前線が南下もしくは東進した場合はどうにもならなくなるから。でも、可能な限り安全策をとるつもりでいるわ。
ただし、戦火の影響は免れえないだろうし、現地での経緯いかんによってはオランに戻らないかもしれない。
だからきちんと、お別れをしておこうと思って」
傾いた日が、朱の色を石畳に投げかけている。
買い物帰りの親子連れが家路を急ぐ頃合だ。
詩人は明るかった曲調をいささか感傷的なものに変え、来るべき夏の日差しと恋の甘さを謳い、恋人たちは肩を寄せ合う。
別にその雰囲気と音色に誘われたわけではないが、私もラテルの髪にそっと指を伸ばす。滑らかな絹を思わせるその手触りは、彼が質素に暮らしながらも身だしなみを怠らなかったことを示しているようだ。
健やかで高貴な眼差しとその基たる心根、そしてまことその心に相応しい姿を、数年来変わることなく、重ねた齢の分だけ深みを増して、彼は保ち続けていると感ぜられる。それがとても嬉しかった。
「クレフェ?」
訝しげに尋ねる彼が次の言葉を発する前に、私の唇が彼の頬を掠める。
目を見開いて僅かに狼狽の色を頬に乗せた彼に、私はあえて明るい笑みを向けた。
「これで、ひとまずはお別れだから。
戻るとしたら恐らくこの街だろうけれど、流れ者に次など期待できないでしょう?
だから、これまでありがとう。愛しい子。貴方が与えてくれた光に感謝しているわ」
「……言われるほどのことを僕は何もしていない。語学も手助けした程度なのだし、クレフェの光だなどと、大それたことは何も」
「したの、間違いなくね。貴方の存在がなければ、きっともっと長い間、私は闇の中に居た。
貴方を腹を痛めた子供のように守りたいと願う気持ちが、胸の奥底から湧き出してから、私はとても自由になった。貴方のおかげなのよ。
愛に伴う悲しみよりも、その幸せをこそ思い出させてくれたから、歩き出す覚悟がやっと固まったのだし。
ありがとう、貴方に庇護なんて不要だったし、失礼で迷惑な態度だったかもしれないけれど、私は傍にいられて本当に幸せだったわ」
「何と返すべきか言葉に詰まるのだが……いささか気恥ずかしくはあったけれど、迷惑とまでは思わなかった」
「それを聞いて安心したわ。ふふ、気にはしていたのよ、これでも」
本来は母性愛よりも、愛執と呼ぶべきなのかもしれない。かたちにとらわれた虚ろな想いと笑うものもいるかもしれない。
それでも私はラテルを「母」として、「姉」として愛していた。女としてではなく。たとえ独りよがりの想いだとしても、ラテルがそれを嫌悪しない限り、悔やむ理由などない。
凍てついた心を静かに溶かし、融解したあとに心に残るものに気付かせてくれたのは紛れもなくこの青年なのだ。
誰かに温かな想いを向けること、向けたいと願うこと。その感情を戸惑わずに受け入れること。
何年もの空白を経て、本心からてらいもなくそれが出来るようになったのは、彼のおかげなのだ。
闇に憩えばこそ、目覚めて歩き出すための光を乞う。
残酷なまでに暴く光を知ればこそ、包み込み溶かす闇を求める。
両者はどちらも欠けてはならない。全き闇も光も、おそらく人の手と心の器には負えないものなのだから。
だから、遠ざかっていた陽光の温もりに再度馴染ませてくれた彼は、特別な存在。
「ありがとう、心から感謝しているわ。それと、今は……さようなら」
再度一礼して、立ち上がる。ラテルも頷いて、続く。
周囲の目には、ありふれた恋人同士のささやかな触れ合いと映ったかもしれない。
けれど私と彼の間にあったのは、恋とは異なる温度だ。
「道中の無事を。またの邂逅があれば、東方の話を聞かせて欲しい」
「もちろん。貴方の研究に役立つ話題を提供できるといいと思うわ」
楽師の音色と声が一層憂愁を帯びてきたころ、私たちは広場を後にした。
宿まで送るという申し出を有難く受けて、石畳を軽やかに踏みながら、家路を辿る友人同士のように。
暮れ行く日を背に。
清らかな光を心の灯火に。
街の奏でる音色を耳に。
人と人との交流をその身にまとい。
ぬくもりを心に収め。
この輝かしく華やかな王都で出会い、別れゆく。
人生の終わりが、願いのままにならないことを、私は良く知っている。
帰りたい場所は、最愛の人の隣。
けれど今、私がどこよりも戻りたい場所は、大切な人々を抱いて眠る、この綺羅星の街。新たな光を私にくれた、大切な場所。
人生の終焉の地がこの街になるか否かはともかくとして。
この、光に出会った街を心に抱いて、私はもう一度旅立とう。
■ あとがき ■
クレフェを出したごく初期、ラテルと組んだ時には、既にこの骨子は出来上がっていたような気がします。つまり現在のクレフェはまさしく出会いが生んだ存在なのですね。
そういうわけで、ラテルPLに心よりの感謝を。
この作品の感想をお寄せください
うゆま
さんの感想
(2006/7/05 4:20:20)[3]
旅立ち、街、それが一つの情景に溶け込んだエピソード。
なんとまぁ、羨ましい関係といいますか少し変わった関係といいますか・・・
旅が無事であるよう願うばかりです。
松川
さんの感想
(2006/6/16 22:32:45)[2]
クレフェにはイイお友達とイケナイお友達が複数いるようですが、それとは違った、でもこれも男女の交わりのひとつですね。恋愛絡みとは少し違うのに、ラテルというキャラクターが女性だったらこうはならなかっただろうなと思わせるし。
何はともあれ、いってらっしゃいませ。そして東方ネタを1つ2つぶら下げて帰ってきてください(笑)。
Ken-K
さんの感想
(2006/6/15 0:02:41)[1]
人物の心理と町並みとの描写がかみ合って一つの模様を生み出しているような、綺麗なお話。クレフェの人生の、節目に居合わせる縁を得たキャラクターの一人がラテルでありまして、男女間にありがちな関係からちょっと離れた独特のコンビネーションを体験できたのは、とても貴重な体験でした。次のステージへ向かうクレフェを心より応援しています。
名前
感想
パスワード(英数6桁以内)
記事番号:
パスワード:
パスワード: