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題名 【競作企画】時を刻む音
登場人物
投稿者 宇都宮振一朗
投稿日時 2006/6/16 23:15:35


「おはよう。今日はいい天気になりそうだよ」
「そう。アニタさんが言ってたのかい?」
「ああ。彼女の予測は当たるからな。当番の前にはいつも聞いておくんだ」
「耳を澄まさなくても済むね。よかった」

 まだ朝日が昇らない早朝の暗い廊下を、声を潜めて喋りながら、僕等は塔に向かう。
 神殿の朝は早いけれど、こんなに早起きをするのは僕達くらいだ。
 僕は、神官見習い。
 見習いの仕事は、雑務が多い。
 掃除とか、洗濯とか、買出しに食事の用意。
 もちろん、勉強もするし、神殿付きの戦士を目指すなら剣の稽古も欠かせない。けれど、それ以外は、神殿で生活する人達のお手伝いばかり。
 見習いは大抵、与えられた仕事を嫌う。
 不満が滲み出た僕達の顔を見て、教育係になった先輩の神官はため息を付いた。
 思えば、指導期間は先輩も一緒に同じ仕事をしたというのに…。

「でもさ、なんでこれは見習いの仕事なんだろうな」
「知らないよ」
「誰でもいいじゃないか」
「誰でもいいから僕等なんじゃないの?」

 螺旋の階段を登りながら、同僚のぼやきを聞く。
 所々に規則正しく開けられた細い窓は、段々と明るくなってくる街の様子を切り取って見せている。
 神殿の正面を向いた窓からは、もう広場で屋台の準備をする人が見えた。でも、商売はもっと後から。あの広場は、神殿の真ん前という場所柄もあってか人がよく集まるので、手軽に食べられるものや珍しいお茶なんかを売る人が、好みの場所を取りに来ているのだ。
 今日のお昼は、神殿の外に出て屋台で何か買おうか。
 そんなことを考えながら、同僚の肩を叩いて急かし、足を速める。

「遅れたら怒られちゃうよ」
「あの教育係の神官は怒らないだろう?」
「そうかな。ちょっと怖いところあるって噂だよ」
「表情読めないからだろ?」

 螺旋の階段を登りきったら、そこは塔の中ほど。本殿の屋根よりやや高い位置の、周囲をバルコニーに囲まれた場所に出る。
 塔の真ん中には、塔より一回り小さい、柱のみで支えられた鐘楼がある。鐘は当然鐘楼の天辺にあって、目の前には、鐘を鳴らすためのロープが下がっているだけだ。その少し南寄りに日時計が据えられていて、天気のいい日にはこれを目安に鳴らす。天気の悪い日には使えない。そんな日は、他の鐘が鳴るのを耳を済ませて聞き取らなくてはならない。雨の日は、少し大変…。
 三角塔やラーダの神殿には魔法の品や大掛かりな装置があって、正確に時を告げることができるという話だけど、そんなものがあるなら、この神殿にも欲しい。
 もっとも、自動で鐘を鳴らす装置を据える為には、塔そのものを作り直さなければならないというから無理だろうけど。
 僕達の今日の仕事は、街の人達に時を伝えるこの鐘を鳴らすこと。
 夜明けから日没まで、何度もこの塔を登ることになる。
 夕方には、足ががくがくを震える。もう何度も経験した。
 でも、これから段々と暑くなるこの季節、この塔の上は気持ちがいい。
 ちょっと風が強い。
 髪の毛が吹きさらわれるようだ。

「少し早かったんじゃないか?」
「そうかもね」
「君が急かすから…」
「…そっか。高いところ、苦手だったね」

 僕はこの場所が好きだ。
 初めてこの塔に登って、眼下に広がる街とその向こうに広がる大地を眺めた時、なんとなく心躍る気持ちになった。
 街の奥では、煙突から数本、煙が立ち昇っている。
 この時間に、竈に火が入るのは宿屋だ。早朝に出立する旅人や隊商相手では、のんびりしていられない。特にこのオランは大都市で、東西と北へ伸びる街道の交わる要の場所。宿の数は、近隣の街を圧倒するだろう。
 西にはハザード河。
 船が動いている。漁船だ。遠洋から戻ってきたのか、夜中から近海に出ていたのものか。どちらにしても、これから水揚げするのだろう。市場の関係者が、今頃は港に集まっているのだろう。喧騒が渦巻いて、早朝最も賑やかな場所。鐘の音を合図に港は動き出すと聞いた。
 広場の屋台が商売物を店頭に並べる頃になると、人々が神殿に集まってくる。礼拝の鐘と同時に、神殿の門と礼拝堂の扉が開かれる。でも、彼等は先を争うことはない。弱い人を支え、先に通そうとする。
 それらは、ここから何度も見た光景だ。

「平時の鐘は日常に溶け込んでいて、あまり意識しないだろうな。だからこそ、大事な役目だと思っていてくれよ」

 教育係の先輩がそう言った。
 平時の鐘。
 そうじゃない時の鐘って…?

「ここは見張り塔でもあるんだ。非常事態のときは、キミ達がそれを伝えなければならない。この鐘で」

 非常時の鐘の鳴らし方は教わった。
 でも、鳴らしたことはない。
 遠い国での戦や内乱の話は聞くけれど、ここオランでは、戦争の兆候はない。
 港が内陸にあるため、海賊船が入り込むことも滅多にないらしい。
 なにより、現国王は武よりも文を好む方で、戦など仕掛けるようなことはないと思う。…多分。
 もし、万が一起これば、真っ先に有事を告げるのは、王城とそれに近いマイリーかファリスの鐘。それを受けるように、僕達も…。
 神殿前のこの広場も、混乱するんだろうな。人を突き飛ばしたり、踏みつけたり……物を奪ったり…。
 そのきっかけを、僕が知らせるかもしれないんだ。
 いやなことを教わっちゃったな…。

「そろそろだ。来いよ」
「うん…」
「何、呆けてるんだよ」
「ううん。なんでもないよ」

 同僚はいつもと変わりない。変わらずに、東の空と鐘つき堂の中心にある日時計を見比べている。
 先のことはわからないというのに、鐘の音ひとつに想像をめぐらせて動揺したり消沈したりする僕は、すごく臆病なのかもしれない。

「時間だ」

 ロープに手をかける。

「せーのっ」

 掛け声とともに、ロープを引く。
 力強く澄んだ音が響き渡る。ここだけでなく、街のあちこちで。
 人々が動き出す合図だ。
 夜の静寂から真昼のざわめきへ、街の色が変わる瞬間。初夏の陽の光が、街全体を覆った。
 手すりに寄り、僕はこの時を目に焼き付ける。心に刻む。
 いつの日も変わらずにこのままで、と祈る。
 振り返ると、同僚が真ん中辺りに突っ立ったまま、空とも街ともとれるような場所を眺めていた。

 一日のうつり変わりを、今日は堪能しよう。
 平和な鐘の音と一緒に。


■ あとがき ■

チャットやEPなんかで時折出てくる鐘の音。これは、どうやって鳴らしているのだろうと考えるときがあります。機械仕掛けの時計塔は、かなり昔からあるらしいですが、装置自体は本当に巨大で、塔そのものが時計の一部になっているそうです。
こんな大掛かりな時計、王城やラーダ神殿にはありそうだけれど、チャザ神殿にはないだろうと、手動で鐘を鳴らしてますが……。
みなさんは、街の鐘は誰が鳴らしていると思いますか?


この作品の感想をお寄せください
うゆまさんの感想 (2006/7/05 4:07:58)[3]

時を告げる鐘の音。それをどんな人が何を思い祈り鳴らすのか。

鐘の音は、当たり前の日常の中に溶け込んでいる存在ではあるが、その存在が如何に大事なことか。普通の日々に時を告げることが平和であることか。

それと「あぁ、時間だな」とキャラクター達がそれぞれの仕事や予定に赴く姿が目に浮かぶようです。
琴美さんの感想 (2006/7/02 23:52:47)[2]

誰かのたゆまぬ努力が街の生活を支えている。
時間を告げ、街を彩るその音色が、穏やかに響き続けて欲しいと願うばかりです。
「教育係の先輩」が怒ったら、やっぱり後輩達は(怯えて)真面目になっちゃったりするんでしょうか(笑)それが少し気になります。
松川さんの感想 (2006/6/17 0:30:58)[1]

この「教育係の先輩」は……。
チャットでたまたま口から出任せ……じゃなくて、アドリブで出した新人教育の仕事をPLが受け容れてくれたのも嬉しい限り。
そして、きままに亭にいてもよく聞こえるはずの鐘の音にしばし心を巡らせることが出来ました。
こういうのを読むと、あーやっぱり漏刻祭ネタ使えば良かった、と悔しくもなったり(笑)。
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