| 続きを投稿する | MENU | HOME |

題名 【競作企画】猫子奮迅(ねこふんじん)
登場人物 アイリーン
投稿者 あいん
投稿日時 2006/10/12 18:26:57


 我輩は猫である。名前はマナ・ダイ──らしい。
 どこで生まれたか見当はついているが教えるとネタバレになるので秘密にするが、理由あって人間たちの街で拾われた猫をやっていることならば教えてやってもよい。

 何でも薄暗いじめじめした塔に住む大魔術師とやらの名をもじったそうで、ニャーニャーと泣いて命名者に抗議したが徒労に終わったと記憶している。
 我輩はここで初めて人間の魔法使い(ルーンマスター)というものを見た。しかもあとで聞くと、それは魔術師(ソーサラー)で、しかもその中で一番獰悪な種族の冒険者でもあったそうだ。

 この魔術師というのは時々、我々を捕まえて使い魔としてコキ使うという話である。
 しかし、その当時は何という考もなかったから別段恐ろしいとも思わなかった。ただ、彼女に頚筋(くびすじ)を抓まれて塔の二階から「“万有引力 対 猫。それでも猫は受け身をとっている”実験」と称して窓外に放り投げられた後、不様に背中から落ちていく我輩を魔力が包んでスーと落下速度が緩やかになった時、何だかフワフワした感じがあったばかりである。

 ぺにゃんと不時着した石畳の上で少し落ち着いついて、塔の二階からこちらを見下ろす魔術師の顔を見たのが彼女との、いわゆる今生の別れであった。この時、「おまえとはやっていけん!」と思った感じが今でも残っている。

 上のような経緯により、我輩は人間たちがオランと呼ぶこの街で再び彷徨い猫となったのである。


◇◆◇◆


 ふと気が付いてみると街に人間がいない。たくさんおった通行人が一人も見えぬ。我輩の姿を見ると撫でるような声で関心を引こうとしてきた愛猫家なる種族さえ姿を隠してしまった。
 その上、先程までとは違って無闇に寒い。体の震えが止まらぬくらいだ。

 はて、何でも様子がおかしいと、のそのそと這い出してみると非常に冷たい。我輩が歩き疲れて眠っている間に急に雨が降り出したようである。

 ようやくの思いで雨宿りの場所──人家の軒先を確保すると少し離れた場所に同じように雨宿りする者が立っている。我輩はその者に悟られぬ位置に坐(すわ)って、さてどうしたものかと考えてみた。別にこれといった分別も出ない。
 しばらくして腹の虫が泣きだしたので、その声を側の者に聞かれては一生の恥と考えた。ニャー、ニャーと自らの声で泣いて誤魔化そうとしたが側の者には全く反応がない。どうやら雨音でどちらも聞こえ届いておらぬようだ。

 そのうち、雨足が強くなって石畳の上に何筋もの小川が出来上がる。
 気がつけば同じ軒下で雨宿りしてる者の方から良い匂いが漂ってくる。何やら立ち食しているようで、それを嗅いだ腹の虫が再び泣き出した。何の匂いか嗅ぎ当てようと鼻をひくつかせてみたが雨のせいでよく解らぬ。あるいは我輩のまったく知らぬ食物だったのかもしれない。

 仕方ないので鼻の利く距離まで近づこうと決心をして、そろりそろりと左手前で忍び足を始めた。
 どうも石畳というものは雨に塗れると氷のようになって非常に冷たい。一完歩ごとに肉球を通じて体温が奪われていくようである。そこを我慢して無理やりに這っていくと、あと一歩というところで雨が小降りになりはじめ、彼の者はここぞとばかりに「チャンス、大チャンスなんよぅ」と、はゃしぎながら薄暗い街の通りに踊り出して家路へと駆けて行った。

 何とも馬鹿臭い話である。

 そのうちに雲に隠れた陽も沈み始めて更に暗くなる。腹も相変わらず減り、寒さは寒し、人家に灯が点きはじめるという始末でもう一刻の猶予が出来なくなった。
 仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へと歩いていこうと思ったが、やはり雨に濡れるのが嫌でどうしたものかと一頻り逡巡したが、今から考えるとその時はすでに再び眠りに落ちかけておったのだ。

 やがて、その眠りから目覚めたときに我輩は前の魔術師以外の冒険者を再び見る機会に遭遇したのである。


◇◆◇◆


 第一に逢ったのがおっさんである。
 これは前の魔術師より一層乱暴な輩で我輩が寝起きたのを見るや否やいきなり頚筋をつかんで、「なんでこんなところに猫がいるんだ? 性別は、っと……雄か──ん?」と、股座の辺りを凝視しおった。

 いや、これは屈辱だと思ったからその手を爪で引っかき、逃げ出そうとした。しかし、ひもじいのと寒いのにはどうしても我慢ができず、屋外ではなく屋内を逃げ廻った。そのとき初めて、いつの間にか我輩が屋内に連れこまれていることを知った。何とも人間臭い、何よりも酒臭い場所であった。

 おっさんは再び我輩の隙をついて頚筋をつかむと顔の高さまで持ち上げた。すると間もなく顔を近づけてきて、「てめぇ、いい度胸じゃねぇか。煮て食っちまうぞ!」と、威しをかけてきたので、またバリッと引っかいて逃げ出した。

 我輩は捕まっては引っかき、引っかいては捕まり、何でも同じことを四、五遍繰り返したのを記憶している。
 その時に、このおっさんと云う者はつくづく嫌になった。第一、燭台の灯が無毛頭で反射して眩しいのが迷惑甚だしい。

 我輩が最後に捕まったときに、おっさんの知り合いらしい人間の女が、「ちょ、ちょっと。猫さんをいじめちゃ駄目ですよ〜」と、慌てふためきながら仲裁に入ってきた。

 おっさんは我輩の頚筋を抓んだ手を左右に軽く揺さぶり、「こんな猫を店に連れ込んだのはお前か」と言ってから、その者の方に突き出した。確認ではなく確信した口調だったのが二人の関係をある程度窺わせたが、当時の我輩にはそこに思惟を巡らせる余裕はなかったばかりである。

 女は腰まである長い黒髪を雨粒で湿らせたまま我輩とおっさんの顔をしばらく眺めておったが、やがて、「だ、だって、この雨の中をひとりで震えてたんですよ。可哀相じゃないですか」と抗弁すると、我輩の体を白い布で覆い包み、おっさんの手から自分の手へと譲り受けた。

 おっさんは何か反論したそうな気配であったが、なにせ我輩はその白い布に視界やら全身やらを覆われておったので表情を確認することができず、不満げな呟きのようなものを聞くに留まった。
 その後、おっさんは「勝手にしろ」と言い残して、放り投げた銀貨の残響が消えぬ間に屋外へ出ていってしまった。どうやらこの女にあまり強く反抗できぬ人に見えた。

 女は困惑と喜色半々の体(てい)でおっさんを見送った後、我輩を何度もゴシゴシと布で拭いて水気を取ってくれた。
 かくして我輩はこの女に拾われた事になったのである。


◇◆◇◆


 新しく我輩の主人となった女は滅多に我輩をひとりにはさせてくれない。
 職業は冒険者だそうだが他にも色々と忙しそうにしてる割には何かと理由をつけて我輩に構ってくる。彼女の知り合いたちも構い過ぎだと思っている。当人だけがそんなことはないと言う。しかし、実際は周囲の者が言うように構い過ぎである。

 我輩は時々、忍び足で彼女の目を盗み、ひとりで街に繰り出してみるがだいたいは鐘がひとつかふたつ鳴る間に我輩を探す声が聞こえてくる。時々は半べそ状態で探し回っているようである。

 彼女は華奢ながら健康的な体の持ち主で、可憐な外見の割に活発な面を見せることもある。その癖に甘えたがりで、夜などは我輩が寂しそうにしてるからと言い訳しながら自分の寝床に連れ込む。連れ込んで二、三分経つと更に構いたくなるのか眠りに落ちかけている我輩の髭に触ったり、頭を撫でたりする。それを嫌った我輩が寝床を抜け出そうとすると陳謝に深謝を重ねて寝床に引き戻す。そして互いに眠りに落ちたしばらくの後、彼女の盛大な寝返りに潰されて声にならぬ悲鳴をあげる。これが我輩と彼女が毎夜繰り返す日課であった。

 我輩は猫ながら時々考える事がある。
 彼女のような性格で本当に冒険者が勤まっているのだろうかと。冒険者といえばキツイ、汚い、金にならないの、いわゆる3K稼業である。もし我輩が人間と生まれても冒険者になるのだけは御免被る。なんといっても冒険者は金になると知れば平気で赤子攫いもできる傍若無人な種族である。とても我輩に勤まるとは思えない。

 それでも彼女に云わせると、冒険者ほど遣り甲斐のある仕事はないそうで、夜、我輩が退屈そうにしていると何とかの遺跡ではどうだったとか、何とかの街ではこうだったとか自他の冒険譚を色々と語って聞かせてくれるが内容はあまり理解できない。なんといっても彼女の話は要点を欠く。おまけに脱線しがちである。ある時などは財宝を求めて穴蔵に潜った話であったのに、後半は精霊との交感の話に終始したりもした。
 時折、耐え切れなくなった我輩が居眠りしてしまうこともあるが、一頻り冒険譚を語り終えた後の彼女の充足感に満ちた表情を見ると冒険者も然程に悪い稼業ではない気がしてくるのが不思議である。

 しかしながら、我輩は猫である。
 冒険者になる日が来るとは思えぬが、眠りに落ちるまでの間なら彼女の慎ましい冒険譚とやらを眠り歌がわりに聞いてやるのも悪くなかろうと思う。
 とはいえ、毎日では持て余すので少しは自重して欲しいものである。


◇◆◇◆


 ある日、我輩は例のごとく彼女の語りを聞きながら眠りに落ちたが、ふと眼が覚めると彼女の気配が感じられぬので一分(いちぶ)ばかり細目に眼をあけて見ると、彼女は思いもかけず我輩のすぐ近くにいた。
 我輩を膝上に乗せたまま両腕で抱きかかえるような体勢で、自らも揺り椅子の上で居眠りをしている。

 我輩はこの状況に困惑を覚えた。彼女に抱きかかえられているからではない。このような事は前にも何度かあって我輩も十分に承知している。
 困惑の原因は我輩が居眠りから急に眼を覚ました理由に関係している。

 我輩は小便をもよおしていた。

 我輩と彼女の体が密着しているのでするりするりと簡単には抜け出せそうにもなく、どうしたものかと思案を巡らせている間にも便意は間断なく湧き上がっては消え、消えては湧き上がってくるために状況はあまり余裕もない。

 しかし、せっかく彼女が安眠しているのを邪魔しては気の毒だろうと思って、じっと辛抱しておった。
 彼女はすぅすぅと穏やかな寝息をたてているが、時折、意味不明な寝言をこぼしてはその趣を台無しにする。おまけに口元を濡らす涎がどんな夢を見ているのかを容易に想像させた。
 ところで、我輩は自白する。

 実は小便だけでなく大便ももよおしているのだ。

 我輩は猫として品行が良い方とは決して思っておらん。しかし、いくら我輩でも、今、飼い主に抱かれたままで糞尿を垂らすことは、どうしても憚られる。第一、この状態で用を足せば我輩の体毛も汚れかねない。自慢の黒毛が糞尿まみれになることにはどうしても耐えられなかった。

 しかし、我輩は心中ひそかに、いくらなんでももう限界だと思っていた。
 眼を覚ました後に襲ってきた便意の波は十回を軽く越えているはずだ。数が曖昧なのは我輩が十以上を数えるのが苦手なのもあるが、身内の筋肉がむずむずしてそれどころではなかったからだ。

 最早、一分(いちぶ)も猶予が出来ぬ仕儀となったから、やむをえず失敬して彼女の腕の隙間を強引に縫い、細い膝を蹴って跳躍すると、我輩専用の厠である砂入りの箱の上に身を躍らせた。そのときの反動でキィキィと揺り椅子が動き、我輩が用を足し終えるのとほぼ同時に彼女が眼を覚ます。

 こうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がない。どうせ彼女を起こしてしまったのだから、ついでに腹が減ったことを主張しようと思ってニャーニャーと鳴いてみた。
 すると彼女は寝ぼけ眼(まなこ)のまま揺り椅子から立ち上がり、称賛と眠気を掻き混ぜたような表情と声で、「えらい、えらい。御褒美をあげなきゃですね〜」と言ってから、我輩の頭を熱心に撫で回す。どうやら、決められた場所で用を足したことを我輩が誉めてもらいたがっていると思ったらしい。

 彼女が我輩を誉めるときは頭を撫でるのが常である。他の誉めかたも知っているのだろうが、誉めるついでに我輩の頭を撫でたくて仕方がないようで、しかも時折、それに夢中になりすぎて約束した御褒美とやらをくれるのを忘れてしまうのだからたまったものではない。

 元来、彼女はどこか抜けているところがあってそれが個性として働いているようである。それでも、いま少しばかりはしっかりしてくれなければ、この先、我輩と彼女の関係──被保護者と保護者の立場が逆転しかねないのではないかと些か不安になるのも仕方のない事であろう。


◇◆◇◆


 我輩は人間の街で生まれたのではなく、ここから遠く離れた島で生まれた。島は人間たちの世界に比べれば広くはないが、自然が豊かでさっぱりとした心持ち好く日の当たる南国だ。
 我輩の父猫などは島の人間が森と街の境界線を踏み越えてきた時や、あまりに退屈を持て余した折などは、我輩を連れだって人間たちの観察に出かけるのが例である。異なる種族と共生するには相手をよく識るのが大切であると言い、さりとて、近づき過ぎぬのも肝要なのだと口を酸っぱくして言っておった。

 秋刀魚が美味い季節の頃であったが、我輩は昼飯後、快く一睡した後、運動かたがた森を出て海岸付近まで足を運んだ。松の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の砂浜にまでくると、人間の子らが輪を作って何やら騒いでおる。
 彼らは我輩が近づくのも一向に心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな哄笑をあげて長々とした棒を振り下ろしている。見れば、輪の中心には父猫が教えてくれた海亀なる生物がいた。

 他の生物をかくまで平気に甚振(いたぶ)れるものかと、我輩は窃(ひそ)かにその残忍さに驚かざるを得なかった。
 彼らは平凡な島民の子である。わずかに幼齢を過ぎたる肉体に宿る精神は、無邪気な残酷さを発揮して、けらけらと笑う顔貌から眼に見えぬ炎を燃え出ずらせているように思われた。彼らは人間中で最も我輩に近い年頃である。だが、体は我輩の倍はたしかにある。単身挑みかかったところで逆撃を被るばかりであろうからどうすることもできぬように思えた。

 我輩が人間への嫌悪の念と、海亀への憐憫の心に前後を忘れて密かに迫ってくる者の気配に気づくのが遅れると、涼しげな風が潮の匂いと共にザッザッと砂を踏む二、三人分の音を運んできた。
 我輩はハッとして気配のする方に瞥をくれた。今でも記憶している。その視界に映った人間は長身を屈めた姿勢で気迫の声を発し、鷲よりも遥かに速く襲いかかってきた。我輩は身動きもできなかった。双眸の奥から射るごとき光が我輩の矮小なる心を縛り、ギニャー!と叫び声をあげさせるのが精一杯だった。

 人間にしては動きが俊敏すぎると思ったが何しろ我輩の後肢を掴んだ手には犬をも挫(ひ)しぐべき力が籠っているので我輩は恐慌に陥った。しかし、このまま為されるが儘では剣呑だと思ったから、ミャーミャーとなるべく普通の仔猫らしくを装って泣くように鳴いてみた。しかし、この時、我輩の尻尾は確かに他の猫と違って二又に分かれていた。

 それを確認した人間は大いに満足気な調子で「やっぱりツインテールキャットのガキだ。こいつは高く売れるぞ」と、随分傍若無人に言った。我輩は逆さに吊るされたまま空しく抗議の鳴き声をあげるばかりであった。
 彼らが密輸を生業とする冒険者という種族であることを知ったのは木箱の檻ごと船に積み込まれて島を発った後のことである。

 かくして我輩は人間たちが多く住むと聞き及ぶ大陸へと移送されたのだった。


◇◆◇◆


 その後、寄港先での積み荷降ろしの隙をついて我輩は密輸者たちの手から何とか逃げ延びることに成功した。密輸船の性格上、入港時が人間の視覚の利きにくい夜だったのも幸いした。しかし、逃げ出したはよいものの人間の街は壁が高いので見晴らしが悪い。お陰で随分と迷い歩いてしまったものだ。父猫のいっていた迷路とはかくのごとしであろうかと思ったものである。

 さりとて、いつまでも街をうろうろしていればいつまた密輸者どもに見つかって捕まるやもしれない。早急に身を隠す必要を感じ、父猫の教えに従って木を隠すなら森、仔猫が隠れるなら猫の群れと思いたって街猫たちに接触を図ったが、元来猫族は独立独歩の精神を強くして余所者を嫌う性質がある。果然、あっさりと追い払われてしまい途方に暮れたが、ならば無害そうな人間の保護を受けようと考えて先ず魔術師に拾われ、半日の後に今の主人に救われたわけである。

 両人とも仔猫な我輩の尾が短めなためにその正体には気がつかなかったようだが、いずれは露顕するであろう。それまでに何とか島に戻る術を探さねばならないと思いつつも、今の主人の居心地の良さに浸ってついつい安穏と無為な日々を過ごしていたものだが、在る日、気になる話を耳にする機会を得た。

 我輩は彼女に連れられて酒臭い場所──酒場に赴くことがある。
 識者でなくば一目で見抜けないとはいえ我輩は人間たちの云うところの魔獣幻獣である。また、お尋ね者でもあるから最初は人間たちが集まる場所に出入りするのを憚ったが、酒場とは多くの情報が集まる場所なのだという事を知ると主人だけを情報源に帰島の策を練るのは心許ないと考えていた我輩はむしろ積極的に同行するようになっていた。

 店内では丸まって尾を隠した姿勢で寝たふりをし、しながら人間たちの話し声に聞き耳をたてるのが常であった。そのまま本当に眠ってしまい帰宅する彼女の手を煩わせることもあったが、これは愛敬というものだろう。

 その日、彼女の隣席に座を下ろす者があった。
 「よう」と、言葉少なに挨拶してきた男は終始不機嫌そうな表情をしていた。それが癖なのか地顔なのかはとんと見当もつかぬ。

 彼女は男と知己のようで軽く挨拶を返した後、劈頭第一に「あの件、進展ありましたか〜?」と口を切った。あのけんとは猫族である我輩も知るところの猫の爪(キャットクロー)と呼ばれる魔剣のことであろうか?と寝たふりのまま考えておると、男は「ああ、昨晩摘発された」と、短く答えた。

 彼女はいつになく驚きの声をあげた後、周囲を憚って「じゃあ、密輸団は捕まったんですか?」と声量を潜めたが、他の者はともかく我輩の耳は記憶に忌々しく刻まれた密輸団の単語を聞き逃しはしなかった。
 「まぁな。ほぼ壊滅といっていい」と答えた男は薄く笑いながらもどこか釈然としない風である。実際、「ただ─」と語を継ぎながらも続きを口にするのを躊躇していたが彼女に促されてからようやく、「─内偵組があれだけ苦戦してたのに昨晩突然に、だ。変だと思わないか?」と、同意を求めるように訊ねてきた。

 「裏があるんですか?」と、彼女は問い掛けながら自らも思案を巡らせている風だったがどうにも思い当たる節がないようで、直ぐに男の意見を求めた。男は確度の低い話だがと前置きしてから、「密告があったらしい」と不満そうな体(てい)で言った。我輩は寝たふりのまま聞き耳だけたててこの対話を聞いているうちに最近の彼女が密輸団のことについて色々と調べていたことを知った。

 男の話によれば密告があったのは密輸船入港直前の深夜のことで、確認のために巣穴──ギルドと呼ばれる彼女らが属する組織から数名が斥候として派遣されたところ俄かに船内で騒動が発生し、それを取っ掛かりに一気に摘発の運びになったのだと云う。
 騒動の原因は獰猛な獅子が船内に突然現われて船員に襲いかかってきたので恐慌状態になったのだ、と、捕縛された者達の複数の証言が一致しているが、巣穴組でその獅子を目にした者は皆無なのだそうだ。また、後の調査で、混乱の最中に遁げ出した動物が数匹いるものの積み荷としての獅子は最初から存在せず、摘発と時を同じくして霧散したかのごとく行方不明になったらしい等の事も判明している。

 加えて、密告者とされる者の正体も不明であり、捕縛された者たちは悉く関与を否定し、敵対するような別組織の動向も確認されておらず、密告を受けた者の言も「声だけ聴いた」等と要領を得ないので一向に埒があかないらしい。姿なき密告者に使嗾され、消えた獅子の助けを借りての摘発。「笛を吹いた奴が何者かは知らねぇがギルドは踊らされたようなもんさ」と、男は唾棄するように言ってから去って行った。

 彼女は不機嫌そうに現れて不機嫌なまま去っていった男を見送った後、しばらく一人で色々と思案していたようだが、やがて、狸寝入りする我輩を抱きかかえると酒場を後にした。
 帰路、白い息を吐きながら、「まるで幻みたいな話。もしかしたら、幻使いの仕業なのかもね」と、ぼそり呟いた時、我輩は彼女の腕に抱かれながら確信めいた予感ともいうべき直感を抱いていた。

 それは彼女との別離を意味するものでもあった。


◇◆◇◆


 数日の後、直感は形になって表れ、いや、現れた。
 或る日、例のごとく我輩と彼女が連れ立って家路に着いていると、鮮やかな琥珀色の眼をした鴉がこちらを観察するかの風に眺めていたかと思えば小さく一声鳴いて去っていった。翌日は同じ琥珀色の眼をした栗鼠であったがこれもまた直ぐに去った。明くる日は狐、その次は鼠で、いずれも双眸の色は琥珀である。

 彼女などは呑気に「明日は犬さんに会えるかもしれませんね〜」と笑っていたが、我輩はそれだけは絶対にないだろうと確信しておったがその理由を説明するわけにもいかず、ひたすら相手の出方を待つ他になかった。

 やがて現れたのは琥珀色の眼をした黒猫であった。しかも見れば見るほどに顔かたちが我輩によく似ていたのは偶然の産物では当然ない。唯一、我輩と違うのは尾が一本だけな事であるがあれは魔法の力で見る者の眼を欺いているに過ぎない。我輩ら種族の成猫は優れた精霊使いであり幻術師でもあるのだ。

 密輸団壊滅の報を聴いた時からこの日が来ることを予感してはいたが、さすがに極(きま)りが善くはなかった。けれども、いずれは避けられぬ事であるから、我輩は決心をして彼女の腕から抜け出し、その黒猫と対峙することにした。
 大通りを避けて人気のない路地に誘導されるがままに着いていく。少し離れた後ろから彼女も着いてくる。無言のままに我輩たちの動向を見守っているようだが何事かの存念がある気配でもあった。

 やがて、周囲に他の気配がない所まで来ると先行する黒猫が振り返った。
 彼は鼻の先からぴんと突っ張っている長い髭をびりびりと震わせて表情を変えずに薄く笑った。元来、同族の中でも愛想が足りない上に直截的な表現を避ける傾向があり、婉曲で深長な発言も多いために彼との会話は常に頭の中で語をころころさせられるようで悪戦苦闘する。何とも厄介な輩である。
 我輩は幼い頃から彼のそういった気性に接しておったものだから、この場合はこちらが先手を取った方が形勢を構築しやすかろうと思案を定めた。

 「密輸団に仕掛けたのは君だね?」と、我輩は声に出して聞いた。
 声といっても猫族特有のニャーニャーといった鳴き声ではなく精霊と交感する時に用いる歴とした言葉の──精霊語である。我輩が精霊語で話し掛けたのには確固たる理由があったが彼はそれを正確に洞察した上で、果然、抑揚のない声質の精霊語で「身に覚えがない」と、短く答えてきた。

 彼はなお語を続けて、「目的はひとつだけだ」と言って、「それもまもなく果たす」と、拒絶や否定を許さない強い調子で断じた。
 我輩は彼と同じ色の眼を一度伏せてから、「来てくれたのには心から感謝しているけれど性急すぎて面食らってしまっている。しばらくの日を貰えないだろうか」と言った後に、「父猫殿」と、彼我の関係を表す語で彼を呼んだ。

 「ふん」と鼻を鳴らしたのは彼が何事かを察したときに見せる癖で、肯定も否定も口にしない代わりに明日の昼に島に向かう船が港を出る旨を告げてくると前肢を揚げて顔を洗うように目元を二、三辺撫で廻した。やがて、彼女に向かって一声鳴くとそのまま路地裏の影に溶けていった。

 その姿を見送った後、我輩は彼女の方に向き直って上目にその顔貌を見やる。平素は感情表現の豊かな人だったが、この時ばかりは努めて冷静を装っている風であった。
 そう、彼女は全てを聞いていた。我輩は彼女が精霊語に通じていることを知っていた上で、彼女に真相を知らせるためにその語を用いたのだ。

 戸惑う彼女の足元に擦り寄ると、精霊語でも小妖精の語でも人間の語でもなく、猫族特有の声で鳴いて甘えてみせた。我輩が記憶する限り、この様にして彼女に甘えてみせたのはこの時が初めてのことである。


◇◆◇◆


 その後、彼女の部屋に戻った我輩たちはいつもの関係に戻った。いや、今までの関係を維持しようと互いに努めた。
 最後の夜だからといって貴ばれるべきが真実だとは限らない。我輩と彼女の関係は人間に拾われた普通の猫と、普通の猫を拾った人間であるべきだと考えたのは我輩だけではなかったようだ。

 「そうそう、この前みたいなことがないようにしてあげなきゃね」と言って、彼女は机の上に裁縫道具を広げた。
 先日一人で街歩きに出かけた我輩を探しに行った折に微妙に似ておらぬ別の黒猫を連れ帰ってきたところ、先に帰宅していた我輩の姿を見つけ、「ね、猫さんがふたり?」と混乱したときのことを言っているのであろう。もちろん、間違って連れてこられた仔猫の尾は一本だけであった。

 我輩はそれに欠伸で応えた。これもまた今までに何遍となく繰り返されてきた光景である。
 針が布を通る音が間断なく聞こえ、時折、「痛っ」という声も聞こえてくるのでやれやれと細目を開けると彼女はばつが悪そうな、それでいてどこか嬉しそうな表情で笑いかけてきながら指を口に咥えていたが、我輩は関心なさ気にそっぽを向いてそれを受け流す。

 しばらくの後、彼女は不意に裁縫の手を止めて、「続きは明日にして、もう寝ましょうか」と我輩に聞いてきたが、その時、我輩は彼女の寝台の隅で既に半分眠りに落ちかけていた。
 彼女に拾われて以来、やけに眠りが早く、そして深くなっている。それが彼女に対する信頼感からくる安心に依るものであると気がついたのは別離を果たした後のことであった。

 燭台の灯を消して寝台に潜り込んできた彼女はいつものごとく半ば独り言のように色々な事を語り、それが一段落すると、今晩に限って人間たちの詩を歌い始めた。鼻歌や、彼女が奏でると怪鳥(けちょう)の鳴き声のような音を発する楽器の声を耳にする機会は時折あったが、歌声らしい歌声を聴いたのはこの時が初めてであったろう。

 平素は甘い声の彼女だが歌っているときは実に清冽な声音を発する。ただ、時折、誰の耳にも確かなぐらい音域を外す。本人はそれに気がついて照れくさそうに歌い直してはまた音を外したり、全く気がつかずにそのままだったりもした。
 それでも、その声には夏の川面を滑る風妖精の足音のような透明感がある。どうせなら、もっと早くにこの歌声が聞きたかったものだと思いながら我輩の意識は急速に眠りに落ちていった。

 翌、明けてみると彼女の姿は寝台になく、窓際の椅子に坐ったままくぅくぅと眠っていた。その膝の上には完成した裁縫物がある。おそらく月光の明かりだけを頼りに作業を続けて徹夜で完成させたのであろう。見てみれば彼女の指の傷は我輩が眠る前の三倍に増えている。無理からぬ話であると思った。

 彼女の膝にそっと上ってその寝顔を眺める。
 彼女は何も言わぬが最初から我輩の正体を知っていたのではなかろうかと思う。正直なところ、そうと断じるには根拠が足りない気もしたが指の傷を見ているとそういう為人なのだと素直に納得できたから野暮な思索は避けた。

 その傷だらけの手に頬を摺り寄せたのはせめてもの恩返しのつもりだった。我ながら情けない話であるが他にしてやれる事が何もなかったのである。
 不意に、我輩がいなくなった後も彼女は僅かな時間を共有した者の事を覚えていてくれるだろうかと不安に陥ったが、彼女の意識が蠢く気配がしたので慌ててその側を離れてトンッと床に降りたった。

 やがて、彼女は窓越しの陽光を浴びながら眼を覚ますと、いつもと変わらぬ穏やかな調子で挨拶をくれ、我輩もいつも通りの愛想に乏しい声で鳴いて返した。


◇◆◇◆


 我輩はその後、ひとり歩きに出かけるようにして彼女の部屋を去ろうとしてた。
 彼女の側に居れば居るほどにその決心が褪めていくのが解かった。彼女もそれを察してくれたのか、夜なべして完成させたばかりの白いスカーフを我輩の首に巻いてくれてからは自らの事に没頭していた。ことに著しく我輩の注意を惹いたのは何やら旅支度をしていることであったが、それが新たな冒険に出る準備なのだということを後から知った。

 彼女が部屋を一時離れたのを機として我輩は窓から外に出た。屋根を伝って降り立った路地の街路樹の紅葉が夢のごとく散っては離別を彩るかのようであった。一度だけ振り返ったが、半開きの窓越しには彼女の影は見えない。花も葉も一度散れば戻ることはなく、秋が過ぎれば冬が来るように我輩と彼女の時も過ぎ去ってしまったのだと実感させられた気がする。

 父猫は港で待っていた。出港の刻限にはまだ大分ある。船員らしき姿が見えると普通の猫のふりをして、船に忍び込むタイミングを見計らっている。昨日まではなかった我輩の首元を彩るスカーフには一切関心を抱かない。ふりをしているのかも知れない。
 船内に潜り込むのに成功し、しばらくすると人間の声があがって船が動き始め、スカーフが風に揺れて我輩の顔を嬲った。

 我輩は島に帰ってからは、時折、森の外で姿を見かける冒険者たちを前ほどには警戒しなくなったが、まずまずの距離を保ってその挙措、その為人を観察している。
 だが、決して信頼はしない。特に無毛頭のおっさんは未だに嫌いである。最初に拾われた魔術師につけられた名前はもう忘れてしまったが、彼女がくれた白いスカーフは生涯肌身を離さぬつもりだ。

 そして陽が沈んで暗くなると思い出すのは決まって彼女があの夜に聞かせてくれた歌声である。
 今晩も風の音を彼女の声のかわりにみたてて眠りに落ちていく。南国の夜風の声は我輩の体と心を撫でて、やがて何処かへと過ぎ去っていった。



(了)


■ あとがき ■

 当作品は「我輩は猫である」のオマージュではなくてパクリです。夏目漱石先生ごめんなさい。

 作中に登場するキャラの大半は無断で借用しましたが各PLに謝る気はブーレイ。


この作品の感想をお寄せください
いりしお丸さんの感想 (2008/11/01 15:22:55)[6]

2年ほど感想が遅くなりました…。
あいんさんの突き詰めた姿勢には、なにやら道を感じます。
元々地上に道は無い。我が歩いた後に道ができるのだ、という。
よっ、道士。
明治後期日本テイストとアレクラスト世界の融合が、素晴らしいです。
ツインテールキャットの知性をこう持ってくるか、と。
猫から見たキャラたちの描き方も素敵です。
アイリーンとブーレイ、猫フィルターを通って臭い立つ個性が素敵です。
マナ・ダイの名がなぜか頭を離れません。
猫殿に惚れたので、父猫殿をお借りしたいです
かけいさんの感想 (2006/10/31 23:05:47)[5]

きゃー!!お礼も感想も遅くてすみません・・・!ありがとうございます・・・!音痴なPCのPLです(何)
お間抜けPCなのに、すごいほんわかした優しいかんじのEPをありがとうございます〜。恐れ多い・・・!
猫さんとの保護者と被保護の立場が逆転するのでは?というツッコミが妙にツボでした(笑)

パロと情感あるストーリーが見事にマッチしていて、笑いありじーんとくる所ありと・・・一粒で二度も三度も美味しい話でした〜
面白かったです!
琴美さんの感想 (2006/10/21 19:00:03)[4]

素晴らしい! 何だか脳内で原典を上書きしてしまいそうです(笑) アイリーンの魅力はもちろんのこと、ブーレイの醸し出す雰囲気もしみじみと味わいのあるものでした。何より猫! あの猫の語り口と猫視点の描写が効いてました。ああ、こういうのを書いてみたいものです。
小町小町さんの感想 (2006/10/13 2:51:10)[3]

いやっ、ネコ可愛い……。ネコ……!(ばんばん)
いや、本当に面白かったです。原作を知っていると更に面白い。そしてアイリーンさんの可愛らしいこと。ネコ視点なのにそれぞれキャラクターがピンと生きていて、とても面白かったです。
まつかわさんの感想 (2006/10/13 0:56:10)[2]

ナイスパクリです。
読み応えあった! 面白かった!
猫の視点に徹するということは、描写出来る範囲が限られてることにもなるのに、こんなに読ませてくれるとは。
アイリーンいいね! 猫もいいね! ブーレイもいいね!
Ken-Kさんの感想 (2006/10/12 7:03:43)[1]

原典を読んだことのある人ならそれだけで笑えますね。十数年ぶりに読み返したくなりました。原典の文体を損なわずにSWの世界を織り込み、情感のあるストーリィに仕立て上げた手腕に僕はシャッポを脱ぎます。パスティーシュは斯くあれかし。
猫の目から見た人間たちの描写がこれまたいいんですが、とにかくアイリーンが魅力的です。この形式で彼女のやわらかい個性をちゃんと表していることに、もう一度シャッポを脱がせていただぎます。
あーいいもの読めた!
名前
感想
パスワード(英数6桁以内)
記事番号: パスワード:
パスワード: