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題名 【競作企画】弦のそら音
登場人物 カレン、スカイアー
投稿者 琴美
投稿日時 2006/10/21 18:17:03


 「おとうさまだ!」「お父様お帰りなさい」
 玄関の扉を開けると、娘達が子犬のように駆け寄ってきた。
 彼女らに砂を払ったばかりの外套や帽子を剥ぎ取られながら、数ヶ月ぶりの我が家に足を踏み入れると、その変わらない佇まいにおのずと笑みがこぼれた。

 エレミアの商家の中でもそこそこ豊かな我が家は、代々珍しい文物を扱うことで知られているとはいえ、自宅の設えは比較的質実なそれであったから、とりわけ豪奢と言うわけではない。
 それでも長旅から帰ったときにこれほど輝かしく見えるのは、帰宅を待つ者と待たせる者が思いあって繋がっているからだろうか。待つものは家を磨き寝具を整え、待たせるものは家を目指し道を急ぐ。そんな柔らかな絆の在り処に私は帰ってきたのだ。

 家もひとも、焚かれた香の薄甘さも、春にこの家を出たときと何ら変わらない。強いて言えば、娘達が一回り大きくなったように見えて、彼女らの日々の成長を目にとめることが適わなかったのが、いささか口惜しい程度のことだ。
 仕入れのためとはいえ長旅から無事に帰れた。そのことが今はひたすらに嬉しい。

 「どうかなさったの? ことのほか嬉しそうになさってますけれど」
 夕食を終えて、香草茶をすすりながらも、娘達は久々に帰った私からなかなか離れようとしない。それがいとおしくて彼女らの積もり積もった話に耳を傾けていた私に、妻が不思議そうに尋ねた。
 どうやら私は常ならず喜色を露わにしていたようで、彼女としては嬉しいながらも不審に思ったようだ。

 「そうね、おとうさまったらにこにこわらってばかり」
 「良い物が手に入ったのですか? お父様」

 「そう、そうだね。良い物……というよりは佳いご縁を頂いたのかもしれない。
さあ、お前たちは寝る支度を先にしておいで。床に就きながら話すとしようか。少し不思議で怖くて、
それでいて素敵なお話なんだよ」

 妻の労わるような眼差しと娘達の好奇の視線に負けて、私は隣国での不思議な話を語って聞かせることにした。

     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 それは、オランを訪ねた際の定宿、珍しい木造の酒場兼冒険者の宿でのことだ。
 私は別に冒険者でもなんでもないが、ここの料理が気に入っており、ついには定宿にしてしまったのだった。

 その日は、日中一杯を港や市での品定めに費やし、その甲斐あって幾つかの掘り出し物を得た私が部屋に戻ったときには、既に長い影が石畳の上に幾つもの伸びる時刻であった。
 夕食をとるにはいささか早く、また小孔雀街の屋台で摘んだ食事の腹持ちが思いのほか良かったので、チーズとワインのみを頼んで部屋に届けさせ、ひとり杯を傾けていた。

 今日見つけた掘り出し物の一つは、小さな宝石をあしらった短剣だ。幾分古びており、絢爛豪華とはいえないものの、丁寧に細やかな線を掘り込み、上品で凝った意匠を施してある。私の手には小さめだが、女性の手にしっくりと馴染み、重さも丁度良い品のようだった。
 今、故国では、即位が近いと噂される皇太子の傍に女性が集め始められている。見目麗しい女物の品は今こそ売り時なのだ。

 窓を開け放ち、暮れ方の空をも肴にして楽しむ。この街の風は柔らかく優しい。故国のような砂嵐ではなく、潮の香りや咲き乱れる花の香りばかりが感じられる。
 ふと思い立ち、買ったばかりの短剣を卓上に置く。ランタンの揺れる灯をうけて、鞘が涼しげな光を返し、宝石が炎を映してきらめく。
 自分の見立てに満足して、旅情を十二分に堪能しながら、私はいつの間にか眠りにおちていたようだ。



 ――かえ……い。わ……あのひと……とに、かえして……い。

 囁かれた声に、意識が浮上する。
 響いたのは女性の声だ。店のものが部屋に勝手に入ったのだろうか? いや、この店は料理も上手ければ店員の応対も優れている非常に良質の店であって、だからこそ毎回泊まっているのだし、恐らくは近く聞こえるだけで、場所は別なのだろう。窓を開けているから黒目通りの人々の声か、下の酒場の声かもしれない。
差し障りがないなら、このまま眠ってしまおう。今はとても眠い、眠いのだ。
 瞼が鎧戸にでもなったかのように、酷く重い。体もだるい。知らぬ間に私はこんなに疲れていたのだろうか。

 ――かえして、ください。わたしを……かえして。

 声はまた近くで囁かれた。今度こそ、意識が睡魔の手を振りほどく。
 音のしそうなほど重い瞼を強引に持ち上げて、視界の霞むまま、目に映るものを確かめていく。
 窓からは既に落日の光が失せ、街の灯りに取って代わられている。
 部屋はなぜか暗い。ランタンはいつの間にか消えてしまったようだ。油が足りなかったのだろうか。この店にもそんな失敗があるのだなと思い返してふと我に返る。
 確か油を差しに来たのは夕方。チーズとワインを届けに来た店員が、気を利かせて新しいものを継ぎ足してくれたのだ。そんなに早く減るはずがない。それに、何故街がこんなに明るい時間なのに、歌舞音曲や人々の声一つ聞こえてこないのだろう。

 ――かえして、ください。わたしを、あのひとのもとに、かえして。

 先ほどから耳元で囁く、その声以外に何一つ。

 視界がはっきりするにつれて見えてきたものは髪の長い女が一人。テーブルの横に立って、私に囁いていた。その体は、驚くことにうっすらと透けていた。


 私の体は石のように硬く、指一本たりとも動かせない。声も出せないまま、脂汗が背を伝う。女は悲しげに、ひたすら「かえして」と囁く。
 恨みつらみよりも、悲しみの闇にとらわれたような相貌は生前の美しさを伺わせるものの、虚ろなその視線がえもいわれぬ恐怖と悪寒を誘った。

 (何が望みだ、どうすればいいんだ、私はお前などしらない。帰りたいならさっさと帰ってくれ、頼む)

 口が動かない。喉が渇いて声が出ない。それでも必死に唸りながら、心の中でそう念じる。だが彼女には伝わらなかったようだ。同じ言葉をただただ繰り返して、私を悲しげに見つめるばかり。

 (私が何をしたというのだ、心当たりも何もない。返せと言われてもあてもないのだ、頼む、他所をあたってくれ)

 心の中で必死に叫んでいると、反応がないことに焦れたのか、狂おしい表情でこちらに緩やかににじり寄ってきた。もともと目の前のテーブル脇に居た女だ、その距離など大したものではなかったのだが、緩慢な動作のためかその時間は恐ろしく長いものに感ぜられた。

 (やめてくれ、私には何もできない、助けてくれ、何も知らないんだ! 誰か、誰か!!)

 取り殺されると思った。だから女が私に向かって指を伸ばしたとき、外の喧騒も聞こえないたった一人の部屋の中で、それでも誰かの助けを求めた。


    導かれよ 楽園へ
    風に乗り 水の流れのまにまに


 突如、女の動きが止まった。つい、と顔を上げて、私に伸ばしていた指を離す。
 
    くさぐさの宝にみちし とこしえの都に

 女の声しか聞こえなかった私の耳に、抑制した弦の響きに乗せて、低い声がかすかに届いていた。
 どうやら女にもその音色は聞こえるらしく、音の源を探しているのか首をめぐらせ、あわれなほどに動揺している。

    汝の業を清めぬぐいて
    清きしとねの飽かぬ眠りに


 体を縛る鎖が解けたような気がした。ゆっくりと、女の目に留まらぬように指を動かしてみる。動く。
 女の様子を伺うと、動揺は治まり、じっと音色に耳を傾けているようだった。先ほどまでの狂おしさはなく、どことなく清らかにすら思えた。
 その印象と、清かな調べに打たれたのか、後で考えれば意外な程に、私も落ち着きを取り戻していた。

    導く風はいざなわん
    今ぞ迎えは来たりける 
    今ぞ迎えは来たりける


 一曲終わっても弦の響きは未だ続いている。歌声と音色から察するに、別の詞を選んで歌い始めたようだ。
 歌声の主を探していた女が、こちらを振り向いた。笑みが浮かべた彼女は、可憐ですらあった。

 ――すみませんでした。わたしがこの剣に思いを遺したばかりに、恐ろしい目にあわせてしまって。

 一礼した彼女は、最後にそういい残して空気に溶けるように消えた。
 彼女が消えると同時に、狭い部屋に外界の音がなだれ込み、弦と歌声は街の喧騒にかき消されて遠くなった。
 張り詰めた空気は和らぎ、花の香りが再び鼻腔をくすぐる。それらを感じ取った瞬間、私は力が抜けてしまい、押し寄せる疲れに飲まれるように再び眠りに落ちたのだった。


     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 「お父様、何が佳いご縁なものですか! 怖くて眠れなくなりますっ」
 「ご無事で何よりでしたけれど、気が気ではありませんでしたわ」
 口々に言い募る娘と妻の恨みがましい声をなだめつつ、私は慌てて言を継いだ。

 「その翌朝、市まで出かけたのだよ。売主を探して剣を突き返すつもりでね。そうしたら案の定というか、売主はどこにもいなかった。途方にくれていたら、やはり同じ人を探している男に出会ったのだよ」

 オズワルトと名乗るその男は、盗まれた妻の遺品を探していた。例の短剣だった。
 あの店主はどうやら盗品の故売を手がけていたらしく、時折そういった品を扱うと言う噂を頼りに、オズワルトはその店を探していたのだった。
 短剣を示して事の次第を話すと、彼は涙を流して妻に手を合わせた。彼女が嫁ぐときに持ってきた由緒ある品で、それはそれは大切に扱っていた思い出の品なのだ、とオズワルトは涙ながらに語った。
 是非買い取るという彼の言葉に、盗品、しかも遺品をそのような形で売るのは気が進まないからと辞退するも彼は引き下がらず、私がエレミアの商人で後は帰国するばかりであると知ると、自分の知り合いの船が近々西に向けて出航するので、船代は自分が持つからそれを使って欲しいと言い出したのだ。
 こちらが恐縮するほどの厚遇を受け、また今後の取引を約束して、私はオランを後にした。

 「彼の店にも案内されたが、勢いのある店だった。思いがけず良い取引が出来そうだ。急成長したにもかかわらず、ギルドの保護下にない店だったのが災いしたのだと、彼は苦笑いしていたよ。今回のことで彼は保護を受ける決意をしたそうだ」

 「まあ……それはチャ・ザ様のお導きかもしれませんね」
 「私もそう思ってね、出航までにと神殿に参拝したのだ」
 
 神殿で寄進を受け付けた神官に顛末を話すと、東方には珍しい黒髪に浅黒い肌の神官は少し考えた後、笑顔で頷いた。
 「まさしく御神慮によるものでしょう。巡り会わせがどなたにとっても良い結果がもたらしたのですから」
 神官の言葉が、あれほどに実感をもって沁み入ったのは初めてだった。


 「それにしても……あなたと女性を救ったその歌い手は、さぞや名のあるお方なのでしょうね」
 二人の娘はいつの間にか寝入ってしまった。お手洗いに行くのが怖いだのと口にしていたから、今夜は横で寝てやることにして髪を撫でていると、私も聞いてみたかった、と妻が溜息をついた。

 「ところが、その夜は楽師は一人として泊まっていなかったと言うのだ。もちろん下の酒場でも、誰も演奏していなかったと。ただ、宵の口に一瞬水を打ったように酒場の喧騒が止んだことがあったそうだ。
 時折あることだから、大して気に留めていなかったというのだが、もしかしたらその時に私の耳に届いた歌が奏でられていたのかもしれないと、そんな風に思っているよ。
 流しの歌うたいだったのだろうか。それほどの力量がありながら、惜しいことだ」

 不可思議なことはあるものだ。
 そう繰り返しつつ、妻や子と再び穏やかに憩うことが出来た己の幸運を、チャ・ザに感謝して、私は眠りについた。


     * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 月の明るい夜。オランの木造の酒場にて。

 「なあ、確か以前ラスや皆と飲んでたときに、そこらに転がってた楽器を奏でて歌ったことがあったよな」
 「普段は人前で歌うことはないが……興が乗ればそういうこともある。それが如何したのか?」
 「いや、神殿に寄進にきた商人の話を聞いててね。なんとなくそれを思い出したんだよ。最近宿で歌ったりしなかったか?」
 「月のない夜に、ふと戦地で斃れた友の声が聞こえた気がした。その折にはいささか歌を捧げもしたが」
 
 黒髪に浅黒い肌の神官と、剣の道で名を馳せる男が、くだんの酒場で杯を交わしながらそんなことを語っていたと知るものは、彼らのほかには街を吹きぬける風ばかりである。


■ あとがき ■

漱石っぽいタイトルだよなぁと思いつつ書き進めていたら、さきにあいんさんが漱石ネタを投稿なさったのにちょっと驚きました。
登場キャラのPLのお二方、事後承諾ですみません。


この作品の感想をお寄せください
いりしお丸さんの感想 (2008/11/02 20:37:26)[4]

前半の家族、娘にしんみりしました。ちょっと涙出ました。何気ないことに涙腺緩まされました。
こんな家族には幸せになってもらいたいです。
琴美様の世界のパズルを一つ一つ丁寧にはめ込むような描写が素敵だと思いました。
歌が七・五調なのも何気にスカイアーっぽくてよかったです。
松川さんの感想 (2006/10/29 15:50:52)[3]

SWでは扱いにくい怪談ですが、なるほど、一般人を対象に持ってくれば怖がらせ放題ですね!
面白かったです。

ところで振一朗サン、リアルな感想入れるなよ! 怖いじゃないか!
Ken-Kさんの感想 (2006/10/23 11:58:04)[2]

ふつうの人にとって幽霊はおそろしいものです(冒険者でも怖がる者はあるでしょうけど)
異国情緒と怪談の雰囲気がよく溶け合っていて読み応えがありました。

それにしても、歌を唄うときに自動的失敗しなくてよかった。ホントよかった。
振一朗さんの感想 (2006/10/22 22:15:14)[1]

好みです。
すげー好きです、こういうの。
こんな体験で怖がるのは、ソードワールドでは珍しいので、こういう作品は嬉しいです。
そう、、、。耳元に得体の知れない声が聞こえるときって、他の音は聞こえないんですよ〜。妙にリアルでよかったです!
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