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題名 【競作企画】一歩前へ
登場人物
投稿者 琴美
投稿日時 2006/12/17 2:12:30


 「待ってて、必ず戻るから」

 あのとき口にした言葉は、ハリエ村にたどり着く前の僕からは考えられないようなものだった。

* * * * * * * * * * * * * * * *

 エストン南嶺に、狩人が敬意をもって分け入り、精霊使いたちが濃厚なエントの気配に身を浸して修行する森がある。
 その傍らで、森を目指す人々を迎え入れる玄関口が、この小さな村……ハリエ村だった。僕はここに修行中の呪い師として訪れていた。

 気の弱い僕は、光霊や闇霊、はては戦乙女に声を届かせられるのに、その力に触れることが怖くて仕方なかった。自分の中の認めたくないものを呼び起こされるような、無理に背伸びするような不安を抱かされるからだ。
 それでも、精霊は僕の声に応えてくれる。こんなに弱い僕に。
 男の呪い師に要求される強さが僕には足りないのに、精霊との絆ばかりが先走るようで正直それが苦しかった。
 そんな様子を見かねてか、故郷の村の先輩呪い師がハリエ村に送り出してくれたのだ。
 
 「ねえコンラート、ゆっくり語り合いなさい。他の精霊使いとも、精霊達とも」

 先輩はそういって、にこにこと明るく笑いながら、村を出る僕の背を押してくれたのだった。

* * * * * * * * * * * * * * * *

 「僕は全然役に立ちませんよーっ。自慢じゃないけど森だって一人で踏み込むの怖いってくらいなんだから。ええ、絶対役に立ちません!」
 「えー、まあ、そういわず。人手が足りないんです。よろしくおねがいしますよ」

 たまたま逗留していた僕がトラ狩りに巻き込まれたのは、不幸としか言いようがない。

 ハリエ村に着いて数日後、普段はもっと高い嶺側の深い森にいるはずのトラが、森にいた狩人を襲った。幸運にも近くを通った精霊使いの助力があって、狩人は生還できたものの深手を負ってしまい、療養するはめになった。
 女性精霊使いの存在は、そういう折にはとてもありがたいもので、癒しの魔法を受けた狩人は遠からず仕事に復帰できるようだったが、その傷を見た者、特に村の女子供にトラへの恐怖を抱かせるには充分だった。

 村近くで襲撃があったとなれば、これからの食料が乏しくなる時期に村が危険に晒される状況も考えられる。
 村民は協議の結果、逗留している精霊使いや狩人たちに協力を要請し、大規模な山狩りを始めることにした。

* * * * * * * * * * * * * * * *

 「コンラートさん、何か感じられますか?」
 「熱も気配も、特に感じないけど、そっちはどう?」
 「私もですよ。足跡もありませんし、この辺りを通った痕跡はみつけられません」

 剣士で精霊使いでかつ野伏でもある女性と一緒のグループにされたのは、もしかしたら僕のへっぴり腰に、村の人々が不安を抱いたからだろうか。そんなことを考えながら山道を歩く。
 実際僕は役立たずでしかないと思うのだが、さすがに修行のために村に逗留していながら参加しないわけにも行かなかったので、足手まといであろうとも列に加わっていた。
 僕の出来ることはわずかしかない。熱を感じ取り、風の運ぶものに耳を済ませて、同行者に少しでも早く危険を知らせるのが、今の自分の役割だった。
 同行者は4人。いずれも狩人だったり、戦える技術を持っている人々で、この森に臆することなく、かつ慎重に歩を進めている。彼らの強さが正直うらやましかった。
 だって嗚呼、僕にはこんなにも森の深さが怖い。精霊達の囁きは優しいけれど、冬眠前のクマだとか、飢えた狼だとか、妖魔の類だとかがこっちを睨んでいる気がする。
 妖精族ほどじゃなくても、精霊使いはある程度闇の中で自由が利く。それでも闇の中にあえて踏み出すことはしたくない。考えたくもない。
 僕は一人だったら絶対この場から逃げ出していただろう。いや、もしかしたら足が竦んで骨になるまで動けなかったりして。


 情けなくてもいい。みんなが無事ならいいんだ。とりあえず今日は暗くなってきたし、夜目が利かない人たちもいるんだから、早く引き上げようって言おうか。
 でもって、いつまでたってもトラが見つからなくて、捜索をあきらめてくれたらもっといいかもしれない、うんそれがいい。そしたら怪我しなくて済むし。
――いや、それはお世話になった村が危険に晒されるわけで、いいはずはないか。

 ……などと馬鹿なことを考えていたとき、質量と熱を持った風が突如吹きぬけた。
 続いて、咆哮と呪文と剣の鞘走る音と鳴弦が、恐怖で目の前が暗くなった僕の耳を通り抜けていった。その後の記憶は今でもどこか曖昧なままだ。


 ひたすら闇霊をぶつけまくった僕が我に返ると、何とか僕らだけでトラを屠ることに成功していたが、皆深手を負っていた。特に前に立って戦っていた女性剣士は大量出血しているようだった。ズボンの生地が裂けて、生々しい赤に濡れている。素人目にも危険な状態だと知れた。
 足を重点的に傷つけるのは肉食の獣の本能なのだろうけれど、直視をはばかるほどのその傷を目の当たりにして、手当ての手伝いをしながら膝が笑う。同行していた野伏――彼も肩をやられていて、岩場を降りるのは難しそうだった――が必死に止血を試みたが、見守る僕達を振り返って沈んだ表情で首を振った。

 沈痛な面持ちで皆に見守られる彼女は、青ざめた顔でうわごとのように誰かを呼んで手を伸ばしている。あまりに哀れなその姿を見るにたえず、震える手をとった瞬間、僕の耳を精霊語が貫いた。

――たすけて。たすけておねがい、声を聞いて、こたえて、生命の精霊よ
――死にたくないの、まだ、あやまってないの、私、ごめんなさいって、いってないの


 言葉が一瞬途切れた。
 事切れてしまうのかと不安になった刹那、彼女は定まらなかった視線をすっと木洩れ日の作る小さな陽だまりに向け、苦笑いを浮かべた。

――そう、わたしでは、力不足なんだね。だったらせめて……

* * * * * * * * * * * * * * * *

 山道は草の根や枯れた枝で走りづらい。僕のように野伏の心得のない人間には速度が出るはずもない。一人で迷わずに村にたどり着ける保証なんてない。大体いつもだったら怖くて絶対踏み込まない場所だ。
 それでも転びながら走り続けた。

 「待ってて、必ず戻るから。助けを呼んでくるから」

 気付けば僕は彼女と皆にそう告げて走り出していた。
 恐怖で笑い続ける膝は完全に震えを止め、足は僕の心のままにたどたどしいながらも斜面を蹴り続けている。
 もっと早くそうすればよかった、手伝ってなんか居ないで、僕に出来ることをすればよかったんだ。そう、弱っちい僕にだって出来ることがあるんだから。

 あのとき彼女はこう言った。
 「だったらせめて……光よ、おいで」と。
 その言葉に従い、紅い日差しから浮き出るように光霊が姿を現し、木立の上空へと昇って行く。
 動けない代わりに、自分の意識の続く限り自分達を探すよすがとして、光霊を打ち上げたのだ。
 生きるために。

 それを理解したと同時に体の中を熱いものが駆け抜ける。
 硬直していた足が跳ね上がる。
 口が勝手に約束を叫んで、僕は走り出したのだ。


 今いる場所は嶺を西側に少し上がった岩場を越えた辺りだろうと見当をつける。彼女を背負って走れたなら、それが一番だったのかもしれないと自分の非力さを嘆いてみても始まらない。
 ただ走る。つまづいても、跳ねた枝に顔をしこたまぶつけても、止まらずに走る。

 今、戦乙女は僕の横にいる。はっきりとそれを感じる。
 どんな無茶をしても、見ていてくれる。無茶をしなければいけないとき、彼女は微笑みながら黙って背を押してくれる。そんな気がした。

 ありがとう、君がいるなら、僕は……多分怖がりはすぐには治らないだろうけれど、大事なときはきっと闇の中に一歩を踏み出せる。
 僕は熱と精霊の存在を感じとり、精霊に声を届けられる力があるんだから。
 心の中で戦乙女にそう宣言しつつ、僕はひたすら前に進んだ。 

* * * * * * * * * * * * * * * *

 命をとりとめた女性剣士が、失血のダメージから回復してハリエ村を出る日。
 僕もまた村をでることにした。

 彼女は王都へ、僕は田舎の村へ。行く先が異なる僕らは辿る道も違う。
 すっかり親しくなっていた彼女と別れるのは正直寂しかったけれど、村の出口で別れるときも、笑って握手することができた。

 「色々ありがとう。戦乙女さんと一緒にいられるあなたがちょっと羨ましいくらいだけど、人を羨むだけじゃ、だめだよね」
 「僕だって、剣を扱えるきみがうらやましいことがあるしね。お互い様だよきっと」
 こんな偉そうな台詞、きっとこの村に来る前だったら口に出来なかっただろうと、少しおかしくなる。

 恥ずかしそうな笑顔で手を振る彼女に僕も振り返して、故郷の村へと僕は歩みだした。
 今ならば一人でも、どんな遠い道のりでも、はじめの一歩を踏み出せる気がする。
 最初に背を押してくれた先輩呪い師の快活な笑顔と、女性剣士のはにかむ笑顔と、戦乙女の微笑。
 そして宵闇の支配を受ける森の木立の上で、僕らが戻るまで輝き続けた光霊のあかり。

 それらが僕に勇気をくれたから。


■ あとがき ■

エストンでこんなんやってました(笑)


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松川さんの感想 (2007/1/07 23:43:05)[2]

別キャラの視点で描いたほうが、伝えやすいというものもありますよね。そして、実はそのほうが照れずに書ける(謎)。
コンラート君がちょっとカワイイ。
素敵なEPでした。
枝鳩さんの感想 (2006/12/28 22:42:58)[1]

”女性剣士”とつかの間歩みを共にした”僕”。彼の背中を押したものは、あくまで生きようとする彼女の意志でもあるのでしょう。
いつもながら情景と心象を描き出す琴美さんの文筆がすばらしいです。
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