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題名
【競作企画】甦生
登場人物
クレフェ
投稿者
琴美
投稿日時
2007/1/20 23:53:14
遊牧民の冬営地では、家畜を護り、静かに寒さを耐え忍ぶ。
その生活は決して裕福とはいえないが、たいそう豊かなものを心得たありようだと思う。
私は夫の故郷である、ミラルゴの一氏族の冬営地で518年の冬を迎えていた。
518年の夏のある日、小さな荷物と夫の形見だけを背負って訪ねた私を、夫の家族は快く受け入れてくれた。大切な息子の死を告げるために現れた、息子の嫁を名乗る女など、疑念と憎悪を抱かれ、疎まれても仕方ない存在だろうに、彼らは驚くほどに温かだった。
形見を手渡してすぐ立ち去ろうとする私に、これからの行方を尋ねられ「夫の遺志に従ってしばらくは街にでも留まり、四季を見つめる心積もりだ」と言うと、夫の母は彼の形見の馬頭琴を片腕に抱いたまま、静かにもう片方の腕で私を抱きしめてくれた。
「良かったら気の済むまで、私達と一緒に草原を見つめてゆきなさい」
まるで息子と嫁をともに抱きしめるかのように暖かく受け止めてくれたその腕の中で、私は久々に視界がぼやけるのを覚えた。
そんな温もりにすがるように、私は素直にこの一族の冬営地で春を待つことになったのだ。
「ねぇ、ぼうけんしゃってなにするのー?」
一族の子等をあやしたり、怪我人を手当てしたり、客分ではなく一員として迎えられた私の日常は結構多忙だったが、何故か心の休まる日々でもあった。以前は考えもしなかったことだ。
「そうね……他の人が苦手なことや、ひとりでは出来ないことをしたりするのよ」
「えー、おたからを掘るんじゃないの? あたし知ってるよー」
困ったようにこちらを伺う子等の親に笑み返し、私は優しく幼子の頭を撫でてやる。
「それはね、そういう人もいるわ。けれどそれがすべてではないの。あこがれるほどステキなものとは限らないわ」
不満そうに口を尖らせる子にオランの下水道の説明をして、掃除で全身臭くなった話や、ペットの犬探しを命ぜられた話をしてやると、子等は目を丸くして驚き、ついで笑い出していた。
「それならここで馬や羊といっしょのほうがいいやー」
一礼して子と去る母親の背は、あからさまに安堵していた。
心配しなくても、と少しだけ可笑しくなる。
私がまとう異質さではなく、彼らとの共通性を引き出して、知らぬが故に焦がれないよう教えるのが肝要だと心得るからこそ、決して私は冒険譚を面白おかしく語らない。この一族から冒険者として旅立ったまま帰れなかった夫のように、帰れない子等を作りたくないという勝手な願いも手伝って、そのスタンスは当初から変わらずにいる。
だから私と話すからといって、己の子の身を案じずともよいのに。こればかりは親心ゆえだ、仕方ない。
危険要因である私を排除せず、氏族の一員として仕事を公平に割り振り、迎え入れる彼らのなんと豪胆なことか。
もしこの開かれた場所が自分の村だったならと、意味のない想像をしてまた笑う。
昔の私が最も厭わしく思っていたことは、”村の呪い師”として共同体に縛り付けられ、精霊との絆をひたすら村に還元することだった。私自身の意思とは関係なく特別待遇を受け、呪い師として癒し手としてあがめられ、その代価は生涯を村に捧げることであると決め付ける、大人たちの視線が耐えられないほど嫌だった。
どこかにあるはずの居場所を求めて村を飛び出した私は、冒険者にこそなったものの、お定まりのように身を持ち崩した。彷徨っても手を伸ばしても得られないものに、探すのを諦めたとき、夫に出会った。正確には再会したのだけれど。
自分の居場所を定めるのは自分。足元にしか自分の立つ場所はない。空の向こうにひと飛びに行けたとしても、足を下ろす場所は今の自分と不連続な地点にはない。
そんな単純なことを夫は私に教えてくれて、そして居場所となってくれた。
その彼が私に願ったことは何をおいても叶えたい。
夫が見せたいといったこの国の四季を、私はまなこと心に刻みたい。だから旅立った。
希望は長い旅路の果てに叶えられ、この広い広い空と大地に私はたどり着いた。
隣に夫がいたならば、もっと幸せだっただろうけれど。
「お前さんは、旅人なんだね」
私達のゲルを訪ねてきた母と子を見送り、雪原に沈む夕陽を眺めていた私の隣に歩み寄って、夫の父がにこやかに言う。
意味が判らなくて首を傾げると、彼は私の隣に立って同じ夕陽を眺めながら呟いた。夫が生きて年老いていったらきっとこんな風に好々爺になっていただろうと思わせる、大らかで頼りがいのある姿に、少し胸が痛む。
「小さな荷物で訪ねてきたお前さんは、どこかに他の荷物を預けているのだと思っていた。だが聞けばあれがほとんど全てというじゃないか。正直驚いたよ。移動を前提とした身軽さを、わしら以上に体現しているのだと」
クレアに預けた書籍や衣類以外は処分した。あれらの品は、彼女が有効活用してくれるならと譲渡したものだったが、彼女は「預かる」と言ってくれた。私もその好意をありがたく受け止めた。
どこの町を発つときも、全て売れるものは売り払って痕跡を残しはしなかった。オランが初めてなのだ。あんな風に誰かに預ける形で何かを残すのは。
「所詮は流れ者です。人生のほとんど、生きて歩む道そのものが冒険みたいだし、手に持てて背に負えるもの以上を持たないほうが賢いのだと、そう思い知りましたわ」
「だが、お前さんとて己の足場を固めるものを欲しておる。わしらでいうところの羊を追う生活そのものや、塩を切り出す手間、牧草を蓄え毛をつむぎ、乳を加工する生業を。それは精霊を司るだけでは手に入らないものじゃあるまいか?」
意外な言葉に、押し黙るしかない私の肩を、義父は軽く叩く。
「ナツァクが、あの子が生きておったなら、此処はお前さんの家になったかもしれんが、今のお前さんが求めるものと、此処は恐らくかけ離れてしまっているのだろうな」
「良くして頂いて感謝してます。雪が解けたらなるべく早く此処を立ちますから……」
出て行って欲しいと婉曲に言われたのだと解釈し、心を残す様を見せないように答えた私に、義父は首を振る。
「そういうことではないよ。多分、お前さんはここではまだ満たされないだろうと思うのだ。
けれどもし、それらが片付いて心が静かになったなら」
義父はしっかりと私に向き合って、私の目を覗き込んだ。
「そのときは、帰っておいで」
私のかすかな返答は、義父には聞きとれたようだった。小さく頷いて、彼はゲルの中へと戻っていった。
冒険は日常の先に転がっている。
意識するとせざるとに関わらず、全く別の世界にあるわけではないのだ。
たとえ化生と戦おうとも、遺跡の謎に挑もうとも、それもまた日常と同じ大地の上のできごと。
動乱の只中に居場所を定めたはずの人間が、これほどまでに穏やかに日々を過ごせるのが証。
旅立てる場所があるから、冒険もあるのだと思えることは、何と幸せなことなんだろう。
一度は捨てた定住生活や家族、人との確かな絆を求める気持ちが、今は少し芽生えている。
拗ねたり腹を立てたり、意識すらしない遠くに追いやっていたものに手を伸ばすのは、私にとって何よりの冒険だ。
体が冷えてきた。雪野原を渡る風は身を切るように冷たい。
それでもこの大地は何とあたたかく、ひろく、そのかいなを広げているのだろう。
水脈は静かに地に沿ってうねり、火はあかあかと人と獣を照らし。緑はいのちを育んで。
肩の力を抜いて、静かに己をもって向き合えたなら、世界はこんなにも、美しい。
その美に気付かされたとき、私をとりまき束縛する世界に向けて、命令ではない言葉を発してもいいと、初めてそんな風に思えたのだった。
それもまた、私にとってはひとつの冒険の始まりだろう。
518年が暮れていく。
来年は私にとって、深い意味のある時間がまた、ゆっくりと新しい輝きを帯びて生まれてくるのだろうか。
そんなことを考えながら、温かな光の漏れるゲルの扉をあけた。
■ あとがき ■
「冒険」というより「挑戦」のほうが相応しいかもしれませんが、彼女なりの新たなる出発を描くということで。
ちなみに「更生」ではありません(ほほほ)。
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松川
さんの感想
(2007/2/04 21:19:49)[2]
一般世間から隔絶された場所で、来し方行く末のことを考えて、「がんばろう」と思う。これこそコウセイですね(あえてカタカナ)。
クレフェのこれからの変化が楽しみな一編でした。
振一朗
さんの感想
(2007/1/21 2:26:10)[1]
そうか。クレフェは許されると泣いちゃうんだ。
というのはさておき、クレフェさん、ちょっと心境の変化があったようで、今までよりずっと柔らかい印象を受けます。
今まではとげとげしかったのかって? 違いますよ。ちょっと近寄りがたかっただけです。
にしても、ナツァクって人はすごい男ですね。ミラルゴの大地そのもの?
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