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題名 【競作企画】時つ風
登場人物 キア、セシーリカ、その他
投稿者 琴美
投稿日時 2007/7/22 0:41:53


 7の月、半ば。
 祖父の墓参りと遺された叔父を慰めるため、故国エレミアに帰郷していた私は、3ヶ月ぶりにオランに帰り着いた。
 雇われていた隊商から離れたその足で定宿の”銀嶺の雫”亭に向かい、預けていた荷物を受け取り、再度部屋を確保する。もう少し遅かったらチャ・ザ大祭の影響で宿を取り損ねるところだったそうだ。
 また、この街での私の日常が始まるのだと思うと、一抹の寂しさと穏やかな安堵が胸に広がった。ここが、私の帰る街に、なったのだから。


 安心したところで市場に日用品を買い求めに出かけた。出立前に雑貨は殆ど処分したので、手元に無いものを買おうとすると、注意しないと長期間の護衛で稼いだ金子があっという間に消えていく。
 雨期の晴れ間の貴重な時間に買えるものを、それでも最低限のものだけに留めねばとあちこちの店を物色していたときだった。

 「あれ、ユーニス、帰ってたん!?」
 よく知った声が耳に届いた。声の主は蜂蜜菓子の店の前の行列から勢いよく手を振っている。出来立ての甘い香りが道行く女性の心を捉えて離さないらしく、行列は活気溢れる市場の中でも目立って長く伸びていた。そして。

 「キアさん、私の分も一緒に買ってもらっていい? 杏のガレット一つね」
 私の後方から、これまた聞きなれた声が響いた。
 列に並ぶ快活を絵に描いたような姿――キアちゃんに満面の笑みで銀貨を素早く手渡し、こちらに振り返ったのはセシーリカだった。

 帰着早々、お土産を渡しに訪ねる予定の人たちに向こうから声をかけられてしまったのだ。出会いとはまことに面白い。
 キアちゃんは食料の買出しで、セシーリカは神殿からの帰り道に何となく市場に寄ったのだと聞いて、本当に偶然のなせるわざに驚くばかりだった。


 話の流れから、取ったばかりの部屋に二人を招いて、即席のお茶会が始まった。私もあの場でキアちゃんにお菓子を頼んだのは言うまでもない。
 荷解きもそこそこの部屋は、大して散らかってはいなかったけれど、武器がやたらと多い無骨な印象の部屋に、女性のお客様をお迎えするのは何やら似つかわしくない気がして、恥ずかしかった。
 男性が女性を部屋に招待するときの気持ちはこんなだろうか。 

 
 「うわあ、この帽子ぴったりなんよー。ありがとねぃ」
 ごそごそと取り出した二人へのお土産のうち、四角く編み上げた麻の帽子は、ふっくらしたキアちゃんの輪郭を可愛らしく際立たせていた。どうやら私の見立ては寸法・好みともに間違ってはいなかったようだ。
 「エレミアの人って日除けに布を被ってる位であんまり特別な印象が無かったけど、こういうお洒落なのも被ってるんだね」
 セシーリカがお茶を入れてくれながら笑む。蜂蜜菓子との相性が抜群に良かったそのお茶は彼女への土産物だったのだが、折角だからと早速開封してくれたのが少し申し訳なかった。
 
 帽子をもの珍しげに眺める二人に、本来は男性用なのだけれど刺繍が綺麗だし、生地の白がキアちゃんの髪色に映えると思って買ったと説明すると、被った本人は「おいら気にせんよー?」と帽子を撫でながら頷いてくれた。
 
 「んでも、ちぃと気になっとることはあるんよ」
 「そうだね、私も聞きたいと思ってた。旅の理由が理由だから聞きづらかったけど」

 充分すぎるほど私を気遣ってくれた二人に遠慮させてしまったことに申し訳なく思いながら、二人の声に応え、私はもう一つのお土産を取り出して、丁寧に広げて見せる。

 しなやかに蔓を伸ばす蔦の縫い取りが施された手巾に、顔料をつけて捺された、小さな紅葉のかたちが二つ。それを示しただけで、二人は記憶の中の小さな姿を思い浮かべたようだ。

 「こんなに、おーきゅーなったんかぁ」
 手巾を受け取って膝の上に広げ、人から見れば小さな草妖精の掌と紅葉のかたちを重ねて比べながら、キアちゃんが感慨深げに呟いた。
 「大きくなったよ、というかもう立って走り回ってた。この小さな手で器用に悪戯するんだよ」 
 「じゃあ目が離せないね。行かないで欲しいところばっかり潜り込んだり、びっくりするほど物覚えが良かったりで見てる方ははらはらし通しなんだよなー。お母さん疲れてなかった?」
 母神の神殿で子供らに触れる機会の多いセシーリカらしい問いだ。実際に彼女が言ったとおりのことを一通り目の前でやってのけた幼子の様子を思い出して頬が緩む。
 「大丈夫。最後にあったときより一回り痩せてたけど、すっかり街に溶け込んで、お友達も出来て、しっかりしたお母さんになってた」
 独身の私が言うのも変だけどね、というと笑い声が部屋に満ちた。

 母親の名はシエラ。紅葉の手の持ち主の名はリンド=フラム。
 とある事件で二人に関わった私たちにとって、ふとしたときに脳裏をよぎる名前だった。事件の解決後、彼らはエレミアに移り住んだ。
 今回の帰郷の目的の一つは、彼らに会って来ることだったのだ。

 私が訪ねた質素なその部屋で、シエラさんははにかみながら様々な経緯を語ってくれた。
 自力で働いて賃金を得た喜び。幼い子を持つ母親たちと知り合い、心強く思ったこと。一心に自分を見つめて笑う子の愛しさ。
 それらは私にはまだ実体験を伴わないことばかりで、彼女の不安や喜びを理解したとは到底いえなかったけれど、母と子の姿を目の当たりにして、ただ、安堵した。
 もう、とりあえずこの二人は大丈夫だ。そう思えたのだ。

 「日を追って大きくなって。意思表示もはっきりしてきて、立ったと喜んでいたらあっという間に走り出して。毎日が戦のようです。
 怒ったり泣いたり、色々ありますけれど、あの頃のように苛立って疲れてばかりではなく、沢山笑っています」
 ひとりではまたきっと同じようになっていたでしょうけれどね、と笑うシエラさん達の部屋には、友人達が届け物をしてきたり、刺繍の仕事がそれなりに忙しいのだと示す糸と布の山が積み上がっていたりと、耐えざる交流の輪があるのが感じ取れた。
 彼女の力で築きあげた大切な絆。時の流れの中で流されるだけではない強さを得たシエラさんを、心強く思った。

 エレミアから持ち帰った手巾も、彼女自身が刺繍を施した大切な作品だった。リンド=フラムの一歳の誕生日に、健やかな成長を願って完成させたものに、その成長の証を写し取って、名付け親とお世話になった人々に届けて欲しいと手渡されたのだ。
 物質的に豊かでなくとも、愛のかたちをひとに分け与える豊かさが彼女にゆるやかに満ちていると知って、私まで満たされた。

 
 遠い異国に送り出すことに幾ばくかの不安を覚えていた仲間達に、早く彼らのこのささやかな幸せを伝えてあげたい。手紙越しでは拭いきれなかった懸念を、幼子と母の笑顔が祓い清めていく喜びを。
 隊商に加わって辿るオランまでの道程が、もどかしいほど遠かったのは、そんな思いからだった。
 
 「会いたいね。いつか、ファントーさんに会いに来るかな」
 私の語る母子の様子に耳を傾けながら、遠い面影に思いを馳せるセシーリカの表情は、少しだけ”母親”のそれに似通っていた。 
  
 「ところでさー、これってラスのにーちゃんやカレンのにーちゃんには見せたん? ファントー、きっとすんごく喜ぶやろね」
 
 実はまだ見せていない。本当なら名付け親に一番に見せるつもりだったのだけれど、先に二人に出会ってしまったのだ。
 心の隅でファントーに謝りつつも、この二人に街で偶然会えたのは、あの親子に縁ある交流神の導きなのかもしれないと思うと、それはそれで温かなものを覚えていた。

 ひとしきりエレミアの母子の話をして、道中の四方山話を語って。
 太陽が傾いたところで、急ごしらえのお茶会はお開きとなった。
 雨期の晴れ間にわざわざ遊びに来てくれた二人を送り出して、再び手巾を広げて眺める。

 白い手巾の上で舞う紅葉は、これからもまだまだ大きくなる。もしかしたら今はもうこの手形よりもひとまわり大きくなっているかもしれない。そのさまを想像するだけで愛しさが胸を温める。

 時の流れを遮ることは出来ないけれど、だからこそ、こうして時の欠片をかたちに留めたものは、人の心に響くのだろう。


 ――エレミアにて。
 真新しい小さな墓石の前に跪いて、石に刻まれた名を指でなぞる。
 祖父の名が刻まれたそれは、祖母や両親、兄の墓の傍らにある。
 風雨に晒された時間の長さだけ丸みを帯びた石の群れの中で、鑿の跡も新たなその文字は、存在にまつわる記憶の鮮明さを物語るようだった。
 この名前もいずれ他の名と同じように、風の向こうに遠ざかるけれど、私や義叔父がある限り消えないものも確かにある。

 私が名乗っている”クインシー”は本来は姓ではなく、祖父の祖父が生まれ育った西国の村名で、災害で失われた土地名だ。
 災害に遭いつつも生き伸びた人々は、壊滅した村を離れる折、故郷を偲ぶよすがとし、また、離散した先での再会を期して村の名を己の名に付したのだという。
 
 「思い出を背負ってる名前だ。元の村を知らない俺もお前も、本当は名乗らなくてもいいんだぞ」
 そう語った祖父は、それでも私が成人してをクインシーを名乗ったとき、とても嬉しそうにしてくれた。
 祖父と父の名前。母が加わり、私が受け継いだ血の流れそのもの。
 そんな大切な宝物を捨てるはずがないのに。

 「ね、爺ちゃん。相変わらず、わたしはクインシーだよ」
 跪いたまま呟く私に、墓石の間を吹き抜ける風が小さく笑いかけてきたように聞こえた。

 
 ――時を経て、命は巡る。
 光輝を増すもの、消えゆくもの。
 命の若葉を茂らせるもの、枯れ果てて風に削られていくもの。
 それでも、たやすくは消えないもの。

 名前は時の奔流に紛れるほどに小さなひとの一生を、そっと汲み上げて意味とかたちを与えるしなやかな皮袋のようなものだ。
 体は塵になっても、名前は記憶にある限り消えない。

 そう考えると、ファントーが少し羨ましかった。彼はとても大切な贈り物を幼い子に授けたのだから。
 けれどそれ以上に、時を経てなお残る「ひとそのもの」の一端に、彼が関与したことが、友人として誇らしかった。

 どうか。
 どうか、わたしの愛しい人たちに優しい時が流れますように。
 この愛しさを忘れずにいられますように。


 時のかけらを写し取った布を折りたたんで、小さな籠に他の土産物と一緒に収めた。
 明日も晴れたら、籠を手に十六夜小路のラスさん宅を訪ねよう。そして、もしあの家の人たちに会えたなら、感謝をこめてお土産を手渡そう。

 彼らが喜んでくれることを願いながら、暮れ行くオランの空を眺めた。
 流れる雲と風の香りに、どうやら明日の天気は太陽が味方してくれそうな様子を読み取って満足し、私はそっとカップに残った紅茶を飲み干した。


■ あとがき ■

去年の競作企画(7月度)お題「時間」にそって書いてみました。
ユーニスの祖父をとうとう見送ってしまったので、そのあたりの
フォローもかねつつ。


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まつかわさんの感想 (2007/8/23 23:54:07)[1]

良いお土産ですね。もうあれから1年以上経つのかー。
こういう形の後日談もよいものですね。
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