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題名
雨の森 1
登場人物
ソレイユ、リヴァース
投稿者
いりしお丸
投稿日時
2008/11/07 3:06:30
■■■ ベノールにて
ギィィ…。
軋み音を上げて、小屋の屋根に取り付けられた風車が回り始める。
それにつれて、ごぅん、と、小屋の中の軸が回転する。回転軸から歯車を通して、石造りの円形の挽き臼に力が伝達される。臼にはさまれた穀物が、ごりごりと、磨り潰される。
歓声があがる。
ここは海辺の村。一年中、風の強い地域である。アザーンと呼ばれる群島の国のひとつ、ベノール国の南に突き出た小半島。風妖精の岬と呼ばれる地にあった。
この岬に、屋根に大きな羽根をつけた風車小屋が建てられた。風の力を利用して風車を回し、その動力で穀物の粉引きを行うのだ。そうすれば、麺や小麦粉が、容易に、早く、大量に、作ることができる。また、この動力を使うことで、菜の花や大豆や紅花など油を含む作物から油を搾ることもできる。
村人が拍手し歓声を上げる中で、安堵の息をついた。
ほっとした。それが本音だ。
「やったな、リヴァース」
背中をバシンと叩かれる。村長だった。
「とりあえず動き出したけれども、機構の様子は担当者が毎日見てくれ。歯車の油は必ず定期的に刺すこと。それから風量の記録も続けて、最も良い風の時間のパターンを掴んでくれ」
とりあえず動いてくれても、これから先も順調であり続けるかどうかは誰にも分からない。なので、そう念を押すように言った。後で故障の文句が来るのが何より怖い。
臆病な様を村長は上機嫌に笑い飛ばした。
その夜は宴である。村人が風車小屋に集まって、飲めや歌えやの騒ぎとなった。
海風は景気良く吹き、風車を回している。風を切る羽音が立つ。
今後、この音が村の風物詩となるだろう。
「これで村は安泰だな。風が吹くほど産物ができる。村には海の風の精霊の祝福がある。そしてオレは風の精霊を呼ぶ男だ!」
そう、風車小屋を立てた大工が酔っ払って高笑いした。
「ならわたしは、あらゆる精霊を呼べる。水霊王も、地霊王も。そうだな、伝説の火の精霊王、エフリートやフェニックスすらも。 …哀しいのは、いくら一生懸命呼びかけても、精霊界にあぐらを掻いたままの連中は、こちらには全く耳を傾けてくれやしないことなのだが」
せっかくだから冗談に紛らわせてやった。
「なんでぇ、呼ぶだけかよ!」
場が笑いに包まれた。
呼びかけるだけなら誰にでもできる。それを力にして望ましい形に導くことが難しい。
当たり前のことだ。
そうして馬鹿騒ぎの中で時を過ごした。
気が付いたら、一月の間に三件、立て続けに関わっていた。
本業の冒険者でも、このペースで仕事を行っている者は、珍しいのではないかと思う。
一つは道路の補修。地崩れのしやすい箇所の対策方法を提案するというものだった。
もう一つは、漁港を浚渫し、中型船が入れるようにするための計画づくり。
いずれも、現在の自然の形状を読み解き、人間が安全に使いやすくするためにはどのようにすれば良いのか、精霊力を読み解きながら工夫の知恵を絞るものだ。
先月、砂漠に覆われたサバス島で、水の出ない井戸に水を導いたことがあった。乾いたサバスの水条件の厳しさは有名だった。そのサバスの井戸に、地下の水と地の力を読み解いて水を招いた「川」。その成功はベノールの国内に知る人ぞ知るという形で伝えられた。
それは、ストーリーを仕立て上げて次の仕事を作り仲介料を取ろうとする、バラミ婆さんの陰謀だった。
バラミは、そのサバスで、水を導くために一緒に頭を悩ませた、四大魔術師の老婆である。彼女の炎の魔術があってはじめて、サバスの井戸に水を導くことに成功した。
バラミは鉱山の器具や産出した鉱石を取り扱っている商会の代表でもある。また、砂や岩石、材木など建設資材の調達なども行っている。公共物の整備が必要になれば、それだけ彼女のところに仕事が舞い込む。彼女の本来の商業にとって、それは大きな利益になる。
国の大きな事業は、国が計画し役所が実施する。一方、国の目が行き届かない村落でも、道や漁港、灌漑や動力など、自らの生活を改善する事業の需要は大きい。それがあれば産物を加工でき、価格を上げて消費地で、早く、安全に、売ることができる。そうした必要を見つけて農村が豊かになるよう計画し、提案し、実施できるよう知恵を絞る。その過程で必要となる資材で商売をする。金を払うのは利益を受ける住民である。サバス島で行ったことと同様だった。
そういう商売の方法があるのかと最初は関心した。
バラミは、試行錯誤で行いながら、後にそうした提案を大きな規模で行い、国の事業として働きかけることまで考えている。
その、最初の需要を掘り起こすために、バラミに都合よく扱き使われているのである。
元々冒険者の仕事はそうあるわけではない。通常、冒険者は仕事の種を探すのに日々の大半を費やす。仕事を探すのが一番骨の折れる仕事であるのだ。それを考えると、間断なく仕事が入るというのは有難い限りであると思わねばならなかった。
加えて、サバス島から報酬としてもらったメクターナという香木を、まとまった額で買い上げてくれたので文句も言えない。ただ、せっかくの報酬も使われぬ間に、次の仕事の経費に消えてしまったりしている。
いざ仕事に取り組んだとしても、自分の力だけで可能なことなど限られている。自然に働く精霊力の状態を読み解いたところで、その問題を解決したり人間の生活の便利と安全に繋げたりするためには、知恵と工夫と技術と労力が必要である。先人の経験を辿るために、役所に頭を下げて相談したり、図書館で慣れない記録や図面と睨み合いをすることになる。そうした中で手探りしながら、なんとか一つ一つ片付けているのが実際だ。
風の岬の村からベノールに戻り、報告にバラミを訪れた。
来客中だった。
「ああ、ちょうど良い。入んな」
バラミの執務室に入ると、机の対面にきちんとした身なりの男が座っていた。
一礼する。男は商務省の文官だと言った。
バラミは、話の内容を説明する。
チュバという島がある。「雨の島」という意味である。大陸の地図にはまず載っていないような小さな島で、人口は少ない。100年ほど前に発見されたばかりという。ベノールから船で東へ1週間かかる、絶海の孤島である。しかし、島付近で美味な魚が取れその漁獲量が多いこと、木材の宝庫であること、そして小さいながら銀鉱山があり良質の銀が取れることなど、原料の供給元である。鉱山の島ダーゴンには及ばないながら、商業国ベノールにとってはそれなりに重要な島であった。
その島に問題が起こっている。漁獲量が年々減少しているという。特にここ2‚3年の減少ぶりは激しいとのことである。地元の漁民は生活ができなくなり、舟を手放す者まで現れはじめたそうだ。そして漁民から、銀鉱山から汚水が流れ、それが海を汚しているのが原因ではないかという苦情が、国にもたらされた。
バラミの商会は、この銀鉱石の運営と搬送を行っていた。
鉱山からの鉱毒が漁業を脅かしているのであれば、それは商会の信用に関わりかねない問題となる。
そこで、本当に鉱山が原因なのか調べてもらえないか、ということだった。
国からの正式な依頼ではなく、バラミの商会独自での調査とするということだった。問題がはっきりするまでは、国庫を使うわけにはいかない。問題が明らかになり必要であれば、後に改めて予算を組んで国として動くとのことだった。海産物と銀の生産の減少は、ベノールとしても問題となる。
なお、その役人は、国の事業について調達先の決定権を持っている下級貴族だった。役人と良い付き合いを維持しておくことは、商会にとっては非常に重要なことであった。
「どーせ仕事の区切りで暇だろうから、ちょいと行って見てきてくれないかい」
ちょっと行って見てくる、というような距離ではないが、彼女の依頼を断れる身分でもなかった。
「婆さんはこないのか?」
そう聞くと、バラミは、積みあがっている帳簿をバシンと叩いた。
「あたしゃ忙しいんだよ。決算さ。税吏にケチ付けさせないためとはいえ、明朗会計はとかく手間がかってしょーがない」
と、ブツブツと機嫌悪そうに返してくる。
ちょうど会計時期らしい。バラミの商会は官からの仕事も多く請け負っている。すると報告作業ばかりが多くなる。特に税吏は、重箱の隅をつつくようにして会計の欠陥を見つけようとする。普段は商会の会計担当に任せるが、最後はバラミが見ないというわけにもいかない。
これを茶化すと手伝わされかねない。ご愁傷様、とだけ残して発つことにした。
■■■ チュバ島 1日目
ベノールは、アザーン本島の南端にある都市国家である。猫の島カイオス、香高き島サバス島や緑の島マフォロ島をはじめ、付近の群島をその管轄領においている。乾いた島、緑にあふれた島、氷の世界のような島、鉱山島、様々である。
目的のチュバ島は、ベノールのはるか東に位置する。猫の島カイオスとヤポス島の中間に位置し、海流からはやや外れる。足の速い小型船でも一週間ほどかかる、アザーンの群島の中でもとりわけ僻地の離島といえた。
定期便はない。バラミの商会が必要に応じて船を派遣する。そのほか、木材の運搬船も非定期的に入る。
チュバ島の南部には、急峻な山が聳えている。アザーン本島にあるよりも高い山が、巨大な臼のようにそそり立っていた。切り立った岸壁が船から見える。山の中腹から霧が立ち上り、その上は厚い雲に覆われていた。
この地形のため、チュバ島は「雨の島」と呼ばれる。海から立ち上った蒸気が、この切り立った山々にぶつかり、雲となって雨を降らせるのである。気候は熱帯であり、一年中が雨季だ。この島では、一年に400日雨が降るといわれている。無論、一年は360日であるが、それだけ、雨の回数が多いのだった。
バラミの商会所属の船で、海流に乗り島に着いた。船は漁港に横付けされた。小型の漁船を十数艘ほど収容できるだけの波止場のある港だ。島に二つある港の内の一つである。もう一つは、北側にあり、材木運搬船が入ってくる。本島から来る船はそちらのほうが多く利用されるが、人が多く棲んでいるのは漁港のほうだというので、こちらに船を回してもらった。
商会の船は、魚や銀鉱石を積んで、ひとまずベノールへ戻る。2週間後にまた迎えに来るとのことだった。それまでに原因を調べて、ある程度の答えを出し対策を考えておかねばならない。
漁港は、秋魚の旬の季節であるというのに、閑散としていた。ときおり漁師の姿が見られた。漁民が、見慣れぬ人間が来たと見て好奇の視線を投げかけていた。ずいぶんと辺境まで来てしまったという感がある。
島で唯一といっていい食堂兼宿に向かい、荷物を下ろした。
テーブルには、一人で茶を啜る先客がいた。
「おや、リヴァースではありませんか」
茶を置いて客は顔を上げた。
銀髪に赤茶色の瞳。とがった耳。細い身体。エルフである。
「ソレイユ! こんなところで会うなんて」
知った顔に、思わず目を見開いた。
エルフの肩のオウムが「クェッ」と返事をした。
大陸の西への旅中、中原の大国ロマールにて多少の袖を摺り合わせた縁のあるエルフである。パロという使い魔を連れている。茶と薬草を愛し、エルフとしての太い根を持ちながら、各種族間の調和を実現しようと立ち振舞う。人の世に出て長く、それだけ軋轢の中で苦労と変化を余儀なくされてきた。敬意の念を抱くのに十分な見識を有しているエルフだった。
「まさか人探しにここまで?」
ソレイユは、失われた恋人の生まれ変わりを探して旅している。恋人と思わしい人物の情報を掴んだならば、大陸を越えることも厭わない。エルフらしからぬ行動力を発揮する。
「ええ。噂を聞いてザラスタまで来ました。その後で友人に会ったりして、色々探しているうちにこんな所まできてしまいました」
とソレイユはあっさりと答えた。
ザラスタはアザーンの玄関口となる、本島北部の国際港の町である。大陸と往来する大型のガレー船が停泊できるのは、アザーンでは唯一ザラスタのみである。
「アザーンは島によって色々と特色があるから、面白いですね。ここの島は驚異的に雨が多い。ここでしか育たない茶もあります」
と、最初の目的はどこへやらという風情である。
ソレイユは「お茶飲みエルフ」として、茶に対する深い見識を有し、その道の道楽者達には有名である。
「お元気そうですね。『川』の話は聞きました。あまりにそのままだったので、まさかと思ったのですが」
と、にこやかに言ってくれた。
この島で漁獲量が減った原因を調べにきたという自分の目的を告げると、付き合ってくれるという。あまり忙しくは無いらしい。漁師か樵か鉱夫でない限り、この島ではすることがないだろう。
まずは漁港に向かった。
ちょうど、漁にでた漁民の男が戻ってきたところだった。よく陽に焼けた、しなやかな肉付きの壮年の男だった。櫂を置いたところを話しかけてみる。魚駕籠から、勢いよく秋魚が飛び上がった。駕籠には三分の一ほど魚が入っていた。
「いや、収穫は芳しくはねえ。数年前ならこの季節なら2時間もすると駕籠は一杯になってたさ。今日は早朝から詰めていてもこれだ。ここ数年、明らかに魚の数は減ってきているよ。皆おかしいって言っている」
と、漁師はため息交じりに言った。この漁師に頼んで漁場に出てもらったが、水の精霊力に特に妙なところは見当たらなかった。
漁獲高の減少は、島の住民には深刻な問題だった。このような辺境の島にも貨幣経済は深く入り込んでいる。この島では穀物はほとんど取れない。塩漬けの魚を他島へ売った金で、他の島から穀物を買い入れている。収入が少なくなれば、食料や衣服、雑貨なども手に入らない。魚が減ったというのは生活に直結する問題である。
「いよいよ食い詰まったら、爺さんの代から漕いできた舟を売っぱらって、アウンティさんに雇ってもらうしかないな」
と漁師は言った。アウンティというのはこの島で植林を行っている学者だという。10数年ほど前に本島からやってきて、材木としての植樹を始め、成功しているという。年々植林の面積を拡大させ、今では島の四分の一を覆うほどの大きな規模になっている。木材の運び出しには大きな労働力が必要なので、人材を増強しているところであるという。
植林地は北側の港のほうから広がっており、漁港からは数時間、森を歩かねばならないとのことだった。
それから、一番の原因と思われる銀鉱山に赴いた。
鉱山は漁港から遠くはない。徒歩で2時間ほどの場所にあった。漁港まで運び出しのためのトロッコが敷かれている。
鉱山の島ダーゴンから、ドワーフが掘削の技術指導に来ていた。十数人の人間の鉱夫が働いている。ドワーフに挨拶をし、手土産としてニズルの蒸留酒を渡してから、中を見せてもらう。
規模は大きくない。鉱山から染み出てくる鉱山排水は、掘られた池にしばらく寝かせられていた。そこで沈殿物が取り除かれてから、排水路を通って海に流される。
見たところ、量は大したことはないし、流れ出る排水に濁りはなく成分も問題はなさそうだった。鉱山研究を専門にしていたバラミが管轄しているだけあり、管理に杜撰さは感じさせない。
そして、銅と異なり、そもそも銀は生き物が取り込んでも問題になることはまず無い。銀は無害な物質なのだ。ドワーフの意見を聞いても、この銀山が海を汚したりしていることは考えられないとのことだった。
結論を出すのは早いが、一見して、鉱山が直接、漁獲量の減少の原因になっているわけではなさそうであった。
なお、この島は、新王国時代も最近になって新しく人が移住してきた島であり、古代王国の遺産である遺跡などは存在しないと聞いている。冒険者話によくある、古代王国時代の魔法装置が悪さをしているなど、そういったこともありえない。
「うーん。簡単には分からなさそうだな」
と港に戻り、頭を捻る。雨がやってきた。細かい雨粒が顔を濡らす。
この島で雨を避けていると何も行動はできない。
海に流れこむ水。川のほうに問題があるのかと、ひとまずは近くの川を遡ってみることにした。
すぐに森に入る。島のほとんどの部分は、森に覆われている。照葉樹林という、暖かな地方の常緑の広葉樹林である。葉の照りが強い。雨の多い地方に独特な森林だ。葉が水滴と一緒に、つやつやと光っている。
そして、樹肌や倒れた樹木に苔がみっしりと張り付いている。このため、視界が黄緑、うす緑、深緑、青緑と、様々な緑に包まれている。足元は苔のおかげでふかふかとしていて歩きやすい。その苔が水滴を含んで、光をきらきらと反射している。苔が妖精となってそのあたりを転げまわっていそうな印象だった。
「きれいだな」
思わずため息と共に言葉がついて出てくる。
「ここの森ほど美しい森は、アレクラストにもそうないでしょうね」
ソレイユも同意する。森のエルフがそういうのだから、相当なものだろう。
肌がしっとりとしている。薄い水の膜に包まれているようだ。
大気も濡れている。息を吸い込むと、みずみずしい空気が肺一杯に充たされる。血管の汚れがこの空気によって浄化されていく気がする。大気や大地に働く水の精霊力が、他の森に比べて格段に強い。
しかしながら、一方で大地の養分は乏しかった。表土ができても急峻な斜面を伝う水にすぐに流されてしまうので、土が育たないのだ。岩盤が露出している。大地と水の精霊力が純粋で強すぎて、植物や小動物にとっては生きにくい。もともと物質界の生物は、炎や暴風や岩の中といった精霊力の純粋な場所で生きるのは難しいのだ。
蛇や蛙など、水を好む生き物がちらちらと視界を横切る。
一見緑あふれた豊かな森に見えるが、その実、非常に乏しい滋養を分け合いながらなんとか森としての体裁を保っているように見えた。
この島で農業は不可能であると見て取れた。農業は多くの地味を必要とする。
「この島で雨が多いのは昔からだろうし、これは海の魚の減少とはあまり関係がないのだろうな」
そう呟く。
「海は海のみにて在らず」
頭の上から声がした。脳天に響く低いトーンだった。
見上げると、黒猫がいた。猫の琥珀に瞳がきらりと光った。一見して普通の猫だが、尾が二つに分かれている。驚いて唾を飲む。
「あれは、双尾猫、ですね。カイオス島に生息している謎めいた猫なのですが。船に紛れ込んでこちらに渡ってきたのでしょうか」
ソレイユはそう説明する。
対して猫は、にやっ、と笑った。気がした。
「海と陸は一体なり。森と海はコインの表と裏。天と地と海は環の一部。雨は森の涙なり」
そう、猫は謎かけに似た言葉を投げかけてきた。そして双尾猫は、樹の枝を伝って、森の中に溶け込むように消えてしまった。
「変なのがいるな。危害が無いなら良いのだが」
「だいたい、物語ではああした言葉がキーワードになるものですけれど」
そうソレイユは、なにやら楽しげに言った。
「黒猫というとあまり縁起が良くはないというのが相場だが。森と海、か…」
なんだか冒険者じみてきたなと思った。
■■■ チュバ島 2日目
翌日。
植林地へ行ってみることにした。漁業との関わりがあるようにはあまり思えなかったが、ひとまずこの島にあるものは一通り見て回っておかねばならない。
植林地は島の北側にある。漁村の村人が道案内をしてくれた。島の植林事務所の近辺に港があり、植林の従事者が住んでいる。近年、材木切り出しの労働者が増えたとのことで、規模は漁村よりも大きいほどであった。
植林を行っているのは、アウンティという、アザーン本島からきた学者である。
「アウンティ先生。ベノールから視察の方がいらっしゃいました」
村人が林の入り口の植林管理の小屋に声をかける。
中から、姿勢のよい、壮年の男が出迎えた。植林の主導者であるアウンティだ。若いころはさぞ娘たちにもてはやされたと思われる整った容姿だったが、そうした放埓さとは無縁な真面目そうな印象だった。衣服は上質で、教養の深そうな人物だ。
アウンティは、こちらがエルフと半妖精だったことに驚きの目を向ける。
「精霊の力を読み自然への叡智のある方に来ていただけるのは、誠に光栄です。我々の事業はちょうど軌道に乗ったところです。植林の素晴らしさを、ベノールに是非報告してください。よろしくお願いします」
アウンティは朗らかに言う。事務所には事業をわかりやすく説明するポスターが、何枚も張られていた。
そして、植林地の案内をしてくれる。
「この植林は、慈善事業です。国から補助を受けて始まりました」
そう彼は説明を始めた。植林された木々の葉は薄緑色で小さく、樹皮は白っぽい灰色で、すべすべとなめらかである。ユーカリだった。
既に事業は拡大を繰り返して、島の北側は一面のユーカリ林となっていた。ユーカリは材木としてアザーンの本島に運ばれている。
ソレイユが、木々を見あげる。
「ユーカリは、正式な名前をユーカリプタスといいます。緑がすぐに広がるので『地の良き蓋』を意味しますね。"ユーク"は上位古代語で『良き強き』という意味です。植えると時間を経ずスクスクと何十センチも伸び、大きく育つ植物です。2‚3年で大人3人分ぐらいになります。しかも、他の樹木の成長を抑える成分力を持っていてとても強い樹です。土壌の火の力を強くするのですが、元々火の力が強い土の場合は強くなりすぎてしまうこともありますね」
ソレイユは古代後魔法を操るだけあり、その知識量は、並みの賢者や魔術師を遥かに凌駕している。
「さすが、国から派遣されただけあり良くご存知です。ここのユーカリは、これまですでに、ベノールのミラーノ子爵邸、貿易省の建物、それからファリス神殿の宿舎などにも使われました。今も自分の家に使いたいという申込みが後を断ちません。アザーンの銘木の産地として、近いうちに大陸においても有名になるでしょう」
そう、アウンティは誇らしげに言った。
アウンティの案内で、植林地帯を見て回る。整然とユーカリの木が並び、きれいに間伐されていた。雑草はほとんど見当たらない。無論、他の種類の雑木もない。
「どうですか。これだけ管理され整えられた林はアザーンには他にないと、以前にも視察にこられたベノールの森林局よりお褒めをいただいたのですよ」
ユーカリ材の収益は島に還元されている。また、ユーカリ植林と材木の運び出しには多くの労働力を必要とする。植林は漁業とわずかな鉱業の島に、新たな雇用を生み、すでにこの小さな島の経済の中心となっていた。
「ユーカリは素晴らしい樹です。葉から油分が出てくるのですが、この油には薬効がある。防虫の成分として、蚊や家虫などの虫除けになります。葉を揉み香気を吸うと病気の予防になる。さらに精油は貴重な香料になります。大変有用な木なのですよ」
アウンティの口上は止まらず、恰も我が子を自慢するような口調であった。
自らの行っていることが、善き正しきものであると確信している自信だった。天職にある人間独特の、誇りに満ちている。
ユーカリから目を外して、土を手に取った。指で磨り潰し頬に擦りつけ、粒の感触を確かめる。土を舐めて、そこに含まれる滋養の力を確認する。
「…なんでこんな土を使っているんだ?選んで入れたのか」
「土? これは、この島独自のものですよ。自然のものです。苗木から移植した際に肥料は入れますが、そのほかに手を加えることはしておりません」
「そうか。肥料は、貝殻や養殖の粕など?」
「いえ、本島から購入しています。漁師たちとこちらは、あまり関係を持っていません。漁師たちはここの成功を羨んでいるようで、残念ながら彼らからの風当たりはあまり良くないのです。山のものと海のもので、仲たがいしているのは昔から良くあることですが。…あの、何か?」
アウンティが訝しげな表情をした。
「……いや、わかった。ありがとう」
雨は止み、枝葉から陽光が零れていた。ここでは一日に何度でも雨が降り、止み、また降ることを繰り返す。
「静かな森だ」
思ったことをそのまま口にした。
アウンティはそれを肯定的に捉えたようだった。
樵たちが成木を切り倒し、港へ運び出している。植林園で働いているのは島の人間ではなく、アウンティがつれてきた本島の労働者たちのようであった。
エルフのソレイユはあまりいい顔をしていなかったが、材木が人間たちの生きる糧として必要であること、切り倒されてもユーカリはすぐに育つことを理解しており、黙っているようだった。
植林の規模を見ても、事業は成功しているように思われた。材木を販売した収益は島に還元され、再植林の元手となっているとのことだった。
「私は、樹を使って商売をしているわけではありません。『緑の会』の一員として、私の知識を、森と島の発展に役立てているのです。他の島では違法な伐採が進み、森林が減少し、民は燃料が手に入らず、苦しんでいます。一方で植林は、緑を作り、民を豊かにする、大変有益な事業なのです」
そうアウンティは述べた。緑の会とは、アウンティが所属している、アザーンの自然を保護するための慈善団体であるとのことである。
アウンティはまた、植林の経費は国からまかなわれているということを説明した。国に提案し、補助金を得て計画された事業であるとのことだった。10年以上をかけた息の長い事業である。国が認めた事業であるということを、アウンティは強調していた。
アウンティの生業はどうしているのか、家族もいるだろうに、と問うた。基本は本を記したり文献を写本したりして、生計を立てているとのことだった。
アザーンではろくな需要もないだろうに、と思う。道楽貴族のように、祖先から受け継いだ財産を消費しながら、慈善事業を行っているのかもしれない。結構な身分だなと思った。
「ここの土地の方々は、排他的といってはなんですが…あまり外からきた人と接触することを好みません。なにかありましたら、なんなりと私におっしゃってください。私が中継ぎいたしますから」
アウンティはこちらに協力的な姿勢だった。
感謝の言葉を述べて、ひとまず、植林地を後にした。
村に戻りながら、ソレイユは思う所があるのか、無口だった。
人が、自分たちの都合で森を育て、木を切り、売り、また育てる。そのあり方について考え込んでいるのかもしれなかった。
■■■ チュバ島 3日目
次の日。島に来て3日目である。この日は、徹底的にこの島を歩いてみることにした。
まずは、山の頂上まで登って、島全体を俯瞰してみる。
朝から雨だった。外套はすぐに濡れそぼる。靴も水が染み込み水の中を歩いているのと変わらなくなった。思い切って裸足になった。靴を履かないほうがいくらも快適だった。やわらかい苔は足の裏を守ってくれる。
雨は、嫌なものだと思っていた。旅中、雨には出会わないことに越したことはない。濡れると体は冷え体力は激減する。荷物が濡れると異臭がつく。食料はすぐに腐る。水を吸った装備はずっしりと重くなり、疲れた肩にのしかかる。視界はなくなり、暗くて気分が滅入る。次の足を踏む意欲も減退する。野営をするにしても燃料が濡れて火がつかない。火が使えないとろくな食事にありつけない。服を乾かすにも一苦労である。身体を温めることができない夜は、冷えに苦しめられる。体力が回復せず、疲労が蓄積する。何もかも投げ出したくなる。行程は半分以下に落ちる。それが、雨だ。
しかし、ここの雨は違った。
雨が美しいのだ。雨が降るほどに、緑が濡れ、照葉樹は輝き、息づく。
そして、溢れんばかりの豊かな緑に反して、相変わらず土は乏しい。雨が降り注ぎ地表を流れる。落ち葉や枯れ木から供給される地の養分が水に溶けて、川から海に流し去ってしまう。水の精霊力が純粋で、あたかも、この島自体がひとつの水の聖域であるようだった。
雨の多いこの島では、特に流れが沢に集中する。谷筋は、鉄砲水や土砂崩れの危険が大きい。道行く中に、山崩れの跡がそこかしこに見られた。この島では、山道は全て、尾根伝いに作られている。迷ったら、谷ではなく尾根を目指せば道に出られるということを、宿の主人に聞いていた。
「ここは三年以上前に崩れたものだな…。あちらはここ一年の内に崩壊しそうだ」
山肌を見上げながら地の状態を読む。ここの所の仕事で、井戸掘りや道路の安全のために、斜面や地層を見て周り地の精霊力に触れてばかりいた。斜面がどのような状態であるのかは、一目見てなんとなく理解できるようになっていた。
「よく分かりますね。時間まで」
ソレイユが応える。一度崩れた地面は空気を巻き込んで、格段に地の精霊力は弱まっている。時間は、崩れたところに生えた植物からわかる。これから崩れるかどうかは、力の伝わり方や水の染み方と斜面の状態を見れば良かった。
思ったより、この島全体の地盤は弱かった。地の精霊力は強いが、一度水の精霊力が勝ち水が浸食すると、山肌を支えるほどに十分ではなくなるのだ。昔強かったものが、雨に晒されて時と共に衰えてきたのだろう。そしてこの雨の量だ。いつどこが崩れるかわからない状態だった。
その上で、特に危険と思われる沢を、地図に落としていった。後から役に立つだろう。
そして、島一面を見渡せるという、南西部の山の頂点付近まで急斜面を上ってきた。
森と違って、付近は局所的に大地の精霊力が強まっている。雲の上に出たために、ここには水はこない。そのために純粋な大地の精霊の力が残されていた。
眼前に、青黒い岩が天空まで劈くようにそそり立っている。視界一面岩である。岩の世界に閉じ込められたようだった。
「凄い岩盤だ」
見上げながら、ため息交じりで言った。
急勾配を延々と上がってきたために、息が切れている。汗をぬぐった。
岩壁に阻まれ、これ以上は、特殊な登攀訓練を受けた者が専用の器具を使いでもしないと、登る事はできなさそうだった。
岩肌は、光沢すら帯びていて、鋼のようだった。
その雄雄しい姿は、原始の巨人の、地肌のようにも見えた。
「これはとてつもない大地の精霊力ですね。風も、森林の力もまったく及ばない」
ソレイユもまた感嘆して言った。
地の精霊力が、弱いと思えば、こうして強くなっているところがある。この島は極端なのだ。
岩盤が垂直に聳え、風化しないので土もできない。もちろん、樹木も生えていない。樹木は、あまたの精霊力が混じって植物の精霊力と共に及ぼされる森の精霊力の象徴だ。
純粋な精霊力が現れた場ほど、人を、生き物を拒む。
「大地の精霊界は、あの中のような感じなんだろうな」
一面、凝結した岩。押しつぶされそうな圧迫感。一条の光も届かない闇の中。あまり住みたくはなかった。
「大地の妖精のドワーフがあんなにずんぐりとしているのも分かりますね。重くて暗いものに耐えなければならなかったからでしょう」
そのドワーフも、大地の精霊力を物質界に導く力を失って、すでに久しい。
この島は、特に精霊力の純粋なところを保持しているように思われた。
下のほうには、この岩盤を穿つように、とうとうと白い滝が流れていた。白い煙を立ち上らせ、雲に続いている。それもまた、優美で美しい。
巨壁から南には、さらに濃厚な森林が広がっていた。遠目に見るからに、大きな森の精霊の力を感じる。
その谷間にひときわ緑の濃く深い、霧の漂う一角があった。
「あの深部は、聖古老の森といいます。そこを守る小さなエルフの集落もありますよ。人をまったく寄せ付けないようにしているので知られてはいませんが」
ソレイユが説明する。
「ターシャスの森のように、侵入者は殺してその血肉を森の養分にする、などという物騒な連中ではないだろうな」
「さぁ、保証はできません。かなり排他的な部族のようですし、進入の痕跡すら残さないようにはしてくれるでしょう。近寄らないのが懸命でしょうね。怖い怖い」
と、平気な顔でソレイユは返してきた。
そうした秘境の地に比べると、北面のアウンティのユーカリ林は、特徴的だった。思ったよりずっと広大なユーカリ林が、島の北に広がっていた。
原生林は濃淡があり変化に富んでいるが、ユーカリ林はのっぺりとしていた。単一の植生が広がると、当たり前だが、自然の表情は非常に単調になる。
「正直、あれをどう思う、ソレイユ?」
聞いてみた所、ソレイユは、無表情に思いに沈んだ。考えていることは同じであるようだった。ただ、口に出すことを迷っているようであった。
「あれは?」
植林地の奥、北側の海岸から西に山麓を伝った辺りに、白っぽくなっている場所があった。緑に覆われた島であるのに、その地だけが異様に白く、空虚な印象であった。
「よく分かりませんね。近くまで行ってみましょうか」
それに同意して、山を降りた。
そこは、植林地の奥にあり、道は柵で閉ざされて辿り着けないようになっていた。裏側の山に回りこみ、斜面を伝って降りねば到達できなかった。山中をソレイユは迷い無く、西に向かってするする進んでいく。森の中で絶対的な方向感覚を持っているエルフの為せる業である。
辿り着いて、ソレイユは息を飲んだ。
うす寒い白い森。墓標のほうに、枯れた木々が無残な様を曝していた。下生えすらほとんどない。土は地力を完全に失い、荒地か砂漠のようにさらさらしていた。恰も、木の墓場だった。
そこは、ユーカリの立ち枯れの森だった。森に穿たれた傷跡のように、惨い様をさらしている。
「やはりこうなりますか」
うなだれてソレイユは言った。
「こうなることが分かっていたんだな」
「ユーカリは、とても強い樹です。葉から分泌される油は土壌の小さな生き物を殺します。ミミズも死にます。ミミズは葉や樹皮を噛み砕き土と混ぜて土を腐らせ、植物の養分とする大切な働きを担っています。土は痩せ、下草も生えなくなります。数年もたつと、下草がいっさい生えなくなり、やがてユーカリだけが残る森になります。純粋な、ユーカリだけの棲む地、ユーカリにしか棲めない地になる。下草が生えないと、根によって土が維持されない。雨によって土が流れ出していく。それでもユーカリは強いので、枝を切ったり幹を切り倒したりしても、また生えてくる。地は荒れる。そして、それを繰り返すうちに、地は消耗しきって、ユーカリすら育たない地になる…」
その成れの果てが、この白い森であるというのだ。
アウンティのユーカリ植林の、おそらくは最も初期の林なのだろう。地味の消耗が激しく、ユーカリも自分の体を維持できなくなったのだ。
およそ10数年後には、島に広がるユーカリの森も、ここと同様になるのではないかということが予想された。
「土に、命の力がない。ユーカリが地の養分を奪うから、森から海に流れ出す水には養分がほとんど含まれなくなる。普通、陸から供給される養分を元にして、海の小さな生き物は育つ。しかし養分がないから小魚も海藻も小さな生き物が育たない。そしてそれを食べる大きな生き物、魚も貝も育たない。漁獲量は下がるはずだ」
土の生命力は、妖精界の妖精たちが、大地に火や水、風、そして植物の精霊力を物質界にちょうどいい具合に調整して紡いでくることで成り立つ。そして無限ではない。生き物は限られた力を分け合っている。有限なのである。
海の生命が衰退し、魚が取れなくなっている直接の原因は、海ではない。
海と森は繋がっている。海の源泉は森であるのだ。その森の力が衰えたために、付近の海の命が弱まった。それが原因だったのだ。
「ソレイユ、これは」
枯れたユーカリのたもとに、黒い塊が大量に転がっていた。
「木炭、ですね。地力を回復させる試みでしょうか。炭は土壌に火と風の精霊力を供給して改良するといいますが」
ばら撒かれた木炭は、かなりの量だった。そうした試みにも拘らず、枯れはじめたユーカリを回復させることはできなかったのだろう。
「やはり、アウンティに植林を止めさせねばなりません」
ソレイユが決意するように言った。
(続く)
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