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題名 雨の森 2
登場人物 ソレイユ、リヴァース
投稿者 いりしお丸
投稿日時 2008/11/07 4:09:24


■■■ チュバ島 4日目

その日は、朝から豪雨だった。
前が見えないほどの雨の中、宿から再びアウンティの植林事務所へ赴いた。
彼が半生を注ぎ込み、国を動かしてまで開始して、ようやく軌道に乗せた事業について、それを止めろといわねばならないのである。気の重い話だった。
着いた頃には、全身から水を流し出しているように、びしょ濡れになった。

「この雨の中ご苦労様です」

と慇懃にアウンティが迎えてくる。

ユーカリの植林を止めてもらいたい、との提言に、アウンティは最初、何を言っているのか理解できない様子だった。

「そんな、どうしたらそのような見方になるのです。それが城の結論なのですか」

「いや、城は関係ない。漁獲量が減った原因調査の結論だ。調査の依頼元は民間の商会だ」

「貴方方は、宮廷から依頼されてこの島を監査しにきたのではなかったのか」

と、アウンティは拍子抜けたように言った。
聞かれなかったから答えていなかったが、アウンティはこちらが国の公的なミッションだと思っていたようだ。商会からの相談で派遣された民間人であるという立場は明確にしておかねばならなかった。そうでなければ後からバラミに迷惑がかかる。

「そうだったのですか…」

得心したように、アウンティは言い、書類が送られてないからおかしいと思った、などとぶつぶつと言っていた。

「魚が減った原因は、確実に、ユーカリの植林だ。ただでさえ単一の植生は自然ではない。同じ養分と精霊力を消費して、地に負担をかけ続ける」

そう低い声で告げる。

「多種類の木があると、各々が必要とする精霊力が微妙に異なり、地に与える落ち葉の養分も違うので、地味は豊かになります。自然には、多様であることが必要なのです。つまり、商品作物として画一的に植林されたユーカリは、いっそう、地に負担を与えるのです。ユーカリが地の養分を収奪し続けているために、土が回復不可能なほどに弱っています」

人間にわかりやすい言葉で、ソレイユが説明を加えた。

「だからといって、ユーカリを切るわけにもいくまい。ユーカリ材はもはやこの島の重要な産物だ。ユーカリがあってこそ、村の生活がある。おまえたちの言うことは、よそ者の頭でっかちな形式論だ。島の現実を見ていない」

そうアウンティは反論してくる。それから、島にとってユーカリがいかに重要なものか、アウンティーはとうとうと語る。ユーカリが木材として人間の生活にどれほど役にたっているのか、年間の生産量がいくらで、その出荷額がいくらで、それが島の一世帯あたりの収入のいくらに相当し、島の発展にユーカリがどれほど寄与しているのか。島の雇用がどれだけ進み、島の生活がどれほど豊かになったか。時折叫ぶように彼は述べた。

それはまた、植林事業によって築いた彼の彼の輝かしい経歴でもあったのだ。彼の言葉の泉は、尽きることを知らなかった。そして自分の言によってアウンティは激昂していく。

「…外からきた人間が単純に理解できることではない!」

取り付くしまもない様相だった。昨日の落ち着いた学者然とした様子はどこにもなかった。

出直しましょうと、ソレイユが提案した。


雨の勢いは止まる気配を見せず、天から大量の水を地に打ち続けている。
アウンティの事務所から出て、植林小屋の一つで雨宿りをしていた。

「なんであそこまで、感情的になるのやら」

ため息がでてきた。あのような激しい怒りに遭遇したのは、タラントの上流でエルフの集落を貯水池の底に沈めようという計画に関わって以来だった。自分たちの森を潰し、父とも兄弟とも親しんでいる森の木々を切り払うという計画に、エルフたちの怒りの感情は爆発した。その時のように住処を奪おうとか、死ねとか言っているわけではない。事業を考え直せという、道理のある話のはずだった。

「ユーカリの植林を、国や島を説得してずっと推し進めてきたのは彼でしょう。植林が否定されることで、彼自身の経験や才能や誇りの全てが否定されたように感じているんですよ」

ソレイユの言葉に、なるほど、と思った。いくら人の世が長いと言え、ソレイユは本当に人の心理を読むのに長けている。

アウンティにしても、国の補助が入ったとはいえ、事業を大きくしていくためには資本家たちに宣伝して回り、相当な金を集めたのだろう。宣伝文句の口上の巧みさは、その成果だと思える。借金もかさんでおり、これから大きく収益を上げようという、まさにその時期だったのだろう。それを無にするというのは到底受け入れられることではない。ここで事業をやめると、名誉的にも、経済的にも、アウンティは相当なダメージを負う事になる。

それに、アウンティの指摘にはもっともな点もあった。
すでにこの島で植林で生計を立てている者は多い。植林を止めるなら、その者たちは皆職にあぶれることになる。島の者の生活を支えずして、改善はありえない。

おそらく、アウンティ自身、この植林が長続きしないことはうすうすと感じていたのではないか。立ち枯れの白い森を封鎖していたのがその証だ。おそらく10年ほどで得られるだけの材を得たら、そこで事業を廃止する段取りでいるのではないか。
外からぽっとやってきた自分にわかるような改善方法があるなら、とっくに事業者の彼か土地の者が試しているはずだ。

どんな肥料をもちいても、ユーカリ林の地力を回復するのは不可能である気がする。肥料は、大地の力にあくまで付属的な他の精霊力を添加するだけである。地力そのものを強めることはできない。今、彼らが抱えている問題は、もっと根本的なものなのだ。

解決法は、一つあった。
確実に有効であるもの。そして、土地の者が到底、思いつき得ない方法である。

もう一度話をしてみたいと、アウンティの事務所に戻ってきた。

「また来たのか。何を言われても、植林を止める気はない。去れ」

アウンティは、背を向けた。此方が国から派遣された立場ではないと知った瞬間に、手の平をかえしたようである。

「地力を回復する方法はある。決して、激昂しないで聞いてくれ。気が狂ったのでも、ふざけているのでもない。真剣にこれが、唯一の方法なんだ」

そう前置きする。

「植林を止めさせるだけでは、十分ではないだろう。すでに今の状態で、海の生態にまで影響が出ているのだから」

「やはり、貴方はその考えに辿り着くのですか」

隣で、ソレイユの赤っぽい瞳が、強い光を帯びた。

「ユーカリが奪った土壌の養分は、全て土に戻さねばならない。その養分を元の森林に戻す滋養とせねばならない。そのためには、ユーカリの森を」

そこで言葉を切った。この先を、アウンティのみならず、エルフの前で言うには、相当な覚悟が必要だ。唇をかみ締める。

「森を…植林地を焼かねばならない」

どのような木であれ、エルフにとって樹木は親兄弟のようなものだ。家族を自分の手で炎に包む。そのようなことがみすみす許せるはずがない。
ソレイユは怒らなかった。ソレイユから感じたのは、怒りではなく、哀しみの波動だった。

一方、傍目に見てわかるほど、アウンティの顔が歪んだ。

森を焼くことにより、ユーカリが奪い続けていた地の力を、大地に還元する。そして、地力が回復した上で、再度、植林を行う。その植林は、単一の種であってはならない。広葉樹、照葉樹、針葉樹を入り混じらせる。雑草も茂らせる。それから、大樹の間に果物などの商品作物を植え、同時に、畑を配列させる。つまり、畑と果樹園と森を同じ土地に混在させることになる。木々は、畑や果物のために、陽をなだらかにし、水を蓄える。作物は地味を供給する。マメは植物の精霊力を地に蓄える。そのようにして森の果樹園と畑から得た作物が、人々の収入の糧となる。それを、説明した。

「いい加減にしろ!おまえは何を考えている。知ってのとおり、ユーカリは島の人々の唯一の収入源だ。このユーカリはベノールの森林局の援助を受けているのだ。それを焼けば、その間の島民の生活はどうなるのだ」

アウンティはわめきたてた。

「肝心なのは、最初の1年だ。森を焼いたあとの最初の1年は特に土地が肥えている。その年に一年草の収穫物を植えれば、食いつなぐことができる。それと同時に、この島の固有の、自然の林から様々な種の樹木を植林するんだ。
当座の対応策として、ベノールに支援を申し込む。供与ではなく、借金とすればいい。猶予をもうけて、あとから数年越しで、収穫の中から返済していくとよい」

そう諭しても、アウンティは聞く耳を持たず、強情だった。

「ユーカリは生活に深く入り込んでいる。ユーカリに支えられた生活は、すでにこの島の文化だ。それは、壊してはならない尊いものだ。一度失われたら二度と復活させることはできない。お前は一つの文化を死滅させようとしているのだ。知恵ある人間にとってそれは許しがたい犯罪だ!」

アウンティの誹謗を聞いていると、こちらが愚か者の極悪人であるように思えてくる。

「だからその、ユーカリに支えられる、という最初の前提が間違っていたんだ。十年はもつかもしれないが、とても、数百年の期間で、続き得る持続可能なものではないと言っている。このままユーカリの伐採を続けていると、お前は文化だけではなく島そのものを滅ぼすことになるぞ」

そう脅すように言うが、逆効果である。

「お、お前たちは一体、何の恨みがあって人を破滅させるようなことを言うのか。だいたい、証明できるのか。ユーカリが地力を奪い魚を減じている原因になっているという。もしそうなら証拠を見せてもらおう!」

そこで、ソレイユが口を開いた。

「…立ち枯れの森です。貴方はもちろんご存知でしょう。ユーカリが、自らの地の養分を吸い尽くし、自らを滅ぼす様を、私たちは見ました」

そう、沈鬱な面持ちで、ソレイユが言った。
アウンティの顔面が引きつった。

「おまえたちの言うことは、乱暴過ぎる! もういい。おまえたちの話など聞きたくない。島を知らぬ余所者に、我々のやり方に口出しされたくはない。絶対に反対だ。どうしてもユーカリを焼くというのなら、焼いたことにより土壌が良くなり漁獲が回復するという証拠を持ってくることだ。証拠なしには絶対に認めない。仮にお前達が1本でもユーカリを損ねたら、お前達は私と村の財産を損ねる犯罪人だ。ベノールの法廷に訴える。私が文書でユーカリの破棄に同意することでもない限り、ユーカリには指一本触れさせん! 出て行け! 二度と顔を見せるな!!」

そう叩きつけるようにして、アウンティは我々を扉から追い出し、鍵をかけた。

雨の中二人して放り出された格好になった。ソレイユと顔を見合わせると、ソレイユは、おかしげに、くっくっと笑った。

「いやすごい。彼の頑迷固陋さは、あたかも、エルフのようですね。人間の彼が我々より森妖精に近い…というのもおかしなことではありますが」

クェッ、とパロも可笑しげに声を上げた。
ひとしきり笑ってから、息を吐く。

「ソレイユ。わたしの言うことはやはり、気違いじみた暴言だったのだろうか」

「最初は驚きました。森を焼くなど、エルフにはとても口にできることではありませんから。…ただ、フェニックスの伝説を思い出しました」

「破壊と再生、か。灰の中から生まれる、炎の精霊王」

「誤った在り方を灰とし、それを糧として、新しい在り方を目指す。森と人との共生。森を護りながら人の生活を守る。森農、とでもいうべきでしょうか。一つの画期的な方法だと思います。私は、賛成しますよ、リヴァース」

そうソレイユは微笑んだ。
エルフがそれを言うのは、相当な痛みを伴うことだろう。ソレイユは、世の悲哀を全て受け止めて昇華させるかのような穏やかな表情だった。
ソレイユが賛同の言を発した想いを思うと、言葉が詰まった。

「特に新しい考えではない。マーファの伝統的農法として人間たちには伝わっている。焼畑という」

慰めにもならない言葉だった。いずれにせよ、ずっと植林事業を進めてきたアウンティの賛同なしに、強引にユーカリ林を焼いて再生計画を推し進めていくことは考えられなかった。彼の理解が得られるよう、気長に議論していくしかないように思われた。

頭の痛いところだった。



■■■ チュバ島 5日目

雨は、相変わらず激しく降り続いていた。もはや体を乾かす暇もなく、日中、皮膚はふやけっぱなしである。洗濯物も乾かない。下着が常にじっとりと湿っているのは、不快だった。

宿の主人から、今日は出歩かないほうが良いと言われた。折からの雨で地盤が緩んでいる。既に何箇所も崩れ、封鎖された道もあるとのことだった。

宿の中で、今後の方策についてソレイユと話しあった。


「いっそ、彼に『魅了』の魔法でも使いますか?」

「それは魅力的かつ痛快な方法だが、魔法が解けてバレた時がひときわ厄介そうだ」

そう軽口を交し合ってから、本題に映る。

「村長に事情をよく説明し、島民たちの判断により、処方を決めてもらうのはどうでしょうか。島民が説得すれば、アウンティ先生も、住民の意思ということで、態度が軟化するかもしれません」

ソレイユは茶化すように彼を「先生」と呼ぶ。
半妖精の自分がエルフと人間の掛け橋になるのではなく、自分が先に人間と対立して、エルフに仲立ちをしようとしてもらっている。その構図の皮肉さに、苦い想いが走った。

村長に会いに行くことにする。漁村のなかに村長の家はあった。村長は島に最初に移り住んできた漁師の家の出身で、物分りの良い初老の人物だった。漁獲量の減収とユーカリ植林の関係を筋道だてて説明すると、すぐに理解してくれた。

「あなたがたに、どうするかを決めてもらいたいんだ。もしこのまま魚が減ることを是としないなら、アウンティと掛け合い説得して欲しい」

「あんたらは、アウンティ先生を補佐しにきたのではなかったのか」

と、村長は以外なことを口にした。彼の植林事業とは全く別口で、もともとは、漁業問題を解決しに来た、という立場を明確にした。

「それじゃあ、あんたらにも別途顧問料を払わんとならんのか…?」

「顧問料? …アウンティには支払っているのか」

村長の意外な言に、話がそれてきた。村長の説明したその内容は、思わず、口が塞がらなかった。
ユーカリの伐採で得た収入の五分の一が、顧問料として、アウンティの懐に入ることになっているという。

また、必要な苗や肥料などは、全てアウンティの手を通して売買されているということだった。島民が自分たちで仕入れてくることはできない。それも契約で決められている。肥料は漁業の廃棄物を使えば良いものを、アウンティがどこからか仕入れてくるものを使わねばならないとのことだった。つまりこの過程で、上乗せ分を彼は利益として得ているのである。

「そういうのは、学者と言わず、ブローカーというのでは…?」

呆れたようにソレイユが言った。

「よくその言葉を知っていたな。並の人間より、お前はずっと人間社会を知り抜いている」

「いやぁ、覚えてしまう環境にばかりいてしまったというのも、困りものなんですが」

賞賛の言は、ソレイユの苦い笑いを招いた。

これで、彼が何を行っているのかがはっきりした。
だいたい、金の出所がはっきりしないものには、裏があるものである。現実離れた清さは、かえって胡散臭い。アウンティは、村人はよそ者を嫌う排他的な者達であると言った。なんのことはない。よそ者に村人と接触してほしくなかったのは、アウンティ自身だった、ということだ。

「島民の生活のことは考えていましたが、アウンティ先生の生活のことは考えていませんでしたね」

そうソレイユは揶揄した。ユーカリを焼いて損ねるのは、アウンティの名誉だけではなく、アウンティの生活でもあるのだ。

ただ、ブローカーで中間搾取して儲けるということ自体は、別に極悪なことでもなんでもない。商人は普通に行っている。また、顧問料も村人が納得しているのならはそれで良い。彼の知識や経験に対して支払われることが契約で同意されたのなら、それはそれでまっとうな報酬だ。

しかし、アウンティ自身は慈善事業家でありたいのだ。植林という自然に良い「いいこと」をする人でありたい。そして、善意を傷つけられると人は非常に怒る。多くの場合「いいことをする私」というのは、その人のアイデンティティである。彼の「いいこと」を否定するというのは、彼の人格を否定することと同義である。

要は、話の持って行き方だった。彼の仕入れの伝や植林の知識は役に立つ。地元の情報もよく知っている。ユーカリ林を焼いた後の再植林を彼が監督指導してくれるのなら、効率は良いだろう。何より、国に事業を提案し、国の補助を引き出し、金を集めて多くの人間を動かし事業を進めたその手腕は、評価されるところである。物事をうまく進めるためには、彼のような人間にうまく動いてもらわねばならない。

最初の方向性は間違っていたとはいえ、アウンティのような人間がいるから世の中は進んできた。それは事実だ。なので、何とかアウンティには理解して欲しいと思った。アウンティ自身が自分の事業の過失を補うために、彼に新しい生産に着手する気になってもらいたかった。アウンティの知識と教養と指導力があれば可能ではないかと思われた。

「とすると、村側から植林の停止を要求すると、よけいに頑なになる可能性があるな」

「植林は、国から補助を受けているとも彼は言っていましたね。ならば、国が植林の廃棄を命令すれば、彼もしぶしぶ引かざるを得ないのではないでしょうか」

そう、ソレイユが提案した。確かにそうだ。権威を重んじるアウンティであるから、その権威から命令されると彼も意思を変じる可能性は高い。だとすると、説得するべきは国だ。ただ、彼の事業を支援している国の役人もいるわけなので、そこからの反対は当然予想された。ことによってはアウンティ個人を説得するよりも難しいかもしれない。

一度ベノールに帰るべきかと思った。
バラミにも、漁獲量の減少は鉱山のせいではないと伝えねばならない。また、バラミならアウンティを説得する良い知恵を出してくれるかもしれない。

国に植林を廃止させる命令を出させるためには、植林が有害であることを客観的に示す資料が必要である。事業はいつ開始され、何年にどれほどの規模で進められ、伐採され販売されたユーカリ材の量はどうであったのか。いくらの経費が注ぎ込まれ、いくらの収益があったのか。植林による影響がどのように出て、島の漁民にどれほどの不利益となっているのか。国が事業停止の判断を下すためにはそのぐらいの資料は必要であろう。そしてその材料は、アウンティが持っている。

二人で悩んでいたら、村長は、貴重なデータを示してくれた。この島の毎年の漁獲量と販売金額だ。最初に人間がこの島に移住してきた100年ほど前から、村長の家では記録を毎年集計してまとめていた。村長の曽祖父は初代の移住者であったのだ。

一方、彼は年々拡大するユーカリ植林の本数と販売量も記録していた。漁獲量とユーカリ植林の関係が明らかになった。数字を見ると、6年前にユーカリ植林が一挙に拡大し、その2年後、4年前あたりから漁獲量は激減している。定量的にはっきりと示すことができるのは、強力な説得力になる。

「これは証拠になるな」

その数字を写し取った。
グラフにして描いてみると、相関は一目瞭然だった。
ただ、50年ほど前から、上下にぶれはあるものの、すでに漁獲量の減少は始まっていたようだったのは気になった。

「村長、これは」

その疑問を問おうとしたとき、村の若者が、文書を届けにきた。

アウンティの所属する「緑の会」から発行された書状。告発状だった。

曰く。『ベノールの商会より派遣されたソレイユとリヴァースの両名は、長年の実績と経験に裏づけされた「緑の会」の植林事業に対し、不当な誹謗を行っている。チュバ島で唯一の産業である林業を破滅させ、島の財産を奪い、ベノールの国土の島を荒廃させようとしている。また、「緑の会」と村人の関係に亀裂を生じさせ、島に騒乱を招こうとしている。故に、「緑の会」は、ここに両名の所業を明らかにし、今後両名との関わりを一切断つ』

そう宣言している。

「やるなぁ、先生」

面白すぎる。もはや笑うしかないという感じである。

植林が島の唯一の産業か。漁師や鉱夫が見たら怒りそうだ、とか。長年の経験で選んだのが森の収奪者たるユーカリなのか、とか。村人と接触しないように図ったのはどっちだ、だとか。産業を破滅させようとしているのはどちらなのだろうかとか。
突っ込みどころが多すぎて、何から指摘したものか、思わず悩んでしまった。

「すごいですね。これによると、我々は、あたかも国土騒乱罪の犯罪人ではないですか。いやー、私も偉くなったものです」

ソレイユが、感心しながら言った。「クェッ」とパロが同調して鳴く。

少し見識のある者が見れば、根拠のはっきりしていない感情的な文書であることは分かる。ただ、言葉の苛烈さに扇動される者はいるだろう。何より長年この島で事業を行ってきた彼の信用は、島に着たばかりの我々よりずっと大きい。この文書が信じられてしまえば、厄介なことになる。放っておくわけにはいかなかった。

こうした攻撃にでてくるとは思わなかった。いっそ、ならず者でも雇って寝込みを襲わせるなどしてくれたら、こちらも単純に相手を悪人と見なせて片付けやすいのに。
ロマールのネルガル卿やリゾ、ヴェッチらその一味もそうだったが、世の中、善悪の白黒を付けがたい複雑な連中が多すぎる。

アウンティは、これをベノールの宮廷に届けるために船を用意しているという。商会を糾弾しているので、バラミに迷惑がかかるかもしれない。差し止めなければならなかった。

既に夜に差し掛かっていた。この島で雨の暗闇の中移動するのは、自殺行為である。
朝になったらすぐにアウンティの事務所へ行くことにした。



■■■ チュバ島 6日目

雨は降り止まず、勢いも衰えない。

村長が、宿に朝早くやってきた。
アウンティの使いが早朝やってきて、村長が保管していた漁獲量やユーカリ栽培本数などの資料を持って行ってしまったという。
ソレイユと顔を見合わせる。
頬を叩く雨の中、アウンティの事務所に向かった。

村長は、数日続く豪雨で土砂崩れの兆候が出ているから、谷間を越える際は十分気をつけるようにと警告しながらついて来てくれた。

はたして、事務所は鍵が掛けられ、もぬけの空だった。ソレイユが魔法で事務所の鍵を開いたところ、栽培地を記した図面や帳簿、日誌などが、すでに運び出されていた。
先手を打たれた。

北面の港のアウンティがいつも使っている船は、幸いまだ停泊していた。
船に赴いたところ、船は彼を待っているとのことだった。
アウンティは、人足に油の樽を担がせて、雨の中、西側の山麓に向かったという。

「油?何のためにでしょう」

ソレイユが首をかしげた。

「あそこだ。立ち枯れの森だ! 木炭に油をかければ、雨の中でも火を燃やすことができる。アウンティは、立ち枯れの森を焼いて、ユーカリの地力収奪の証拠を消そうとしている」

まさか、といいながら、ソレイユの顔が蒼白になった。

北西の山麓にはユーカリの立ち枯れの森があった。ユーカリが地力を奪う最も強力な証拠となる。それをまず焼いて土に返そうというのだ。立ち枯れの森に撒かれていた大量の木炭は、枯れたユーカリを回復させようとしたのではない。いずれ枯れた木々を消そうとしてすでに運び込まれていたものだったのだろう。誰かに見つかってユーカリの地力収奪を責められる前に。いわば、死体を焼いて消して証拠隠滅を図ろうとしているのも同然である。

豪雨の中、尾根沿いの道を伝って、立ち枯れの森を目指して駆けていった。心配した村長も共にやってきた。

果たして、立ち枯れの森は、雨にぬれたまま、依然としてとしてそこにあった。アウンティの姿も見当たらなかった。見当はずれだったのかと訝しんだ。

雨は一向に止む気配を見せなかった。
ず…ず…、という地の唸りが響いてきた。ユーカリの大規模栽培で地力が失われ、根による地の保持力がなくなったたために、植林地周辺の地盤は特に不安定になっていた。

「この辺りは危険です。早く港まで戻ったほうがいい」

と村長が急かす。アウンティの姿はいっこうに見つからない。村長の言うとおり、帰路をたどる。

「島では道は尾根沿いにしかないのだったよな。アウンティが居るとすればこの尾根の道だけなんだな」

念のために、村長に確認する。この島は、谷筋は鉄砲水や土砂崩れが多発するので、道が作られないのだ。村長は首を捻った。

「うーん、アウンティ先生は、ほとんど山には入ったことはないはずです。島に居るのは年に二月ほどで、いてもずっとふもとで植林の指導をしていましたから。迷ったら尾根を目指せというこの島の常識も、もしかしたら知らないかもしれません」

彼は実際は年のほとんどを本島で過ごしていたという。山中の植林は彼の指導を受けた村人が行っていた。
つまりは、山に慣れた者の思考を辿っていても、彼は見つからない。

自分が山の素人だった場合、道に迷った時はどうするか。普通、川、すなわち谷筋を目指す。下りのほうが楽であるし、川を伝っていけばいずれ町に出るからだ。

「尾根じゃない。…谷だ!」

急いで、立ち枯れの森方面に至る谷へ、斜面を下る。
わずかに、木々が震えていた。地面に耳をつける。確かに振動が伝わってくる。どこかで山肌が崩壊したのだ。

「駄目です。上へ上がりましょう。山崩れが起きています。このあたりはひときわ地の支えが弱い。斜面と谷は危険です」

ソレイユが諭す。
そのとき、谷底のほうに、動く影が視界に入った。いた。谷川の水から逃れるように、谷底に惑っている影。アウンティだった。対面の斜面にしがみついて谷間に下りたがらない人足を叱り飛ばしている。

「アウンティ!上がってこい!そこは危ない…!!」

声の限りに叫ぶ。こちらを見て驚いたようだ。彼は首を振った。立ちあがっては、がくりと膝を突く。足を痛めているのだ。
山が崩れると、水と砂礫と土砂が谷に向かう。谷底は最も、危険な場所である。
大地が震えた。細かな地震が、続いている。

「おい地霊王ベヒモス、あんな生贄など食っても不味いだけだぞ…」

顔を流れ伝う水を、飲み込んだ。
ズズズ…と。鈍い音。細かな振動が、足元から響いて、大きくなってくる。もはや、地に耳をつけなくても、誰もの眼に明らかだった。すぐ上流で、山が崩壊し、流れてきているのだ。

「ソレイユ、動くな、そこにいてくれ!」

「リヴァース!?」

ズゥン、とひときわ大きく地響きがした。来る!
谷底近くのアウンティに向かって、泥の流れる斜面を滑るように、走り降りた。

「早く!アウンティ!」

彼の元まで半ば転がりながら達する。アウンティの手を掴み、斜面へ引き上げようとする。

ドゥン、と地が跳ねた。谷の上流から、黒い影が現れ、押し寄せる。
来た!

それは、土砂崩れではなかった。豪雨により生じた流れに、土砂、岩、流木が押し流されている。泥水と石、礫が渾然となって、一挙に谷を流下してくる。

―― 土石流だ!

鼓膜が破れ心臓が跳ねあがりそうなほどの、低い地響き。立ちはだかることができるものはない。木であれ岩であれ、めきめきと、形あるものを全てなぎ倒し押し流していく。そこにあるのは、破壊神の化身とでも言うべき、恐ろしい奔流。目の前が、見る間に暗くなる。魔神の手のような巨大な影が、視界を覆う。瓦礫と土砂と泥水の濁流。土砂流が、唸りを上げて襲いかかってくる。
アウンティは悲鳴を上げてその場にうずくまる。

「リヴァース!!」
ソレイユの悲痛な叫び声が、地響きにかき消される。

飲みこまれる…!
どうすればよい。迫る土砂と水の暴力のなか。搾り出せ。捻り出せ。生きる術を。
閃く。
巨大な岩塊。巨人の地肌。島の山頂で出会った巨壁。
ままよ!

くらり、と目の前が揺れる。
自分のマナと世界が融合する。時間の流れが止まる。世界の全てがまばゆい光のように感じられる瞬間。地より導く一つの力。

「地霊ノームよ…」

土石流は、太古の竜の炎のように地を震撼させながら、木々を押し流し斜面を破壊して、襲い掛かってくる。それを、射抜かんと見据える。

「地の精霊、巨人の肉体より力を紡ぐ者たちよ! 硬き岩盤はおまえたちの宿る扉。流すことあたわぬ、破ること叶わぬ、全てを退ける岩壁となれ。地と石と水の衝撃を受け流す!」

精霊語。土石流に負けじと響かせる。自然への抗いを宣言する雄叫びのように。

石壁が、地面と泥を突き破って生える。それは、濁流の側を頂点として角度を持った壁となる。三角の形。その底辺に、アウンティを庇いながら隠れる。

ゴウン!地響き。
壁が立ちあがったと同時に、すさまじい質量と衝撃が襲いかかる。大量の土砂と水、砕かれた岩と流木が、三角の壁に隔てられて飛び散り、脇をのたうっていく。
壁が、土石流に立ちはだかる障壁となり聳え立っている。岩壁をよけて、土砂と瓦礫が流れていく。泥水が刃物のように鋭く飛び跳ねる。

びりびりと、地霊の壁が震える。根こそぎ流されそうになる。
ひときわ大きく、壁が振動する。流木がぶち当たっては、跳ねかえり、壁の後ろを転がり落ちていく。壁の高さが十分ではなく、時折、壁に跳ねた砂礫と泥水が、びたびたと上から降り注ぐ。頭をかばう。泥まみれになる。
地面が揺れる。巨大な地震の最中にあるように、立っていられない。

地響きの中。壁が振動するたび。上から土砂と水が降り注ぐたび。生きた心地がしない。
ドゥン、とすさまじい衝撃と音が壁に打ちつけられる。鼓膜が破れそうだ。今度こそ終わりだと、恐怖する。大きな質量を持ったものが激突し壁が悲鳴を上げる度に、もうだめだ、という絶望感に襲われる。空を飛ぶ事ができる鳥であらざる限り、脱出の方法もない。

すさまじい自然の力。一度暴れると何者も手だしができない。ただこうやって、亀のように手足を竦めて、怯え、その怒りが去ることを願っているしかない。
頼む、持ちこたえてくれ…
壁にそう祈るより他はなかった。

轟音が不意に、止んだ。変わって訪れた、静寂。
無限とも思われた時間がとうとう過ぎ去った。
恐る恐る、壁から顔を出す。
土砂の流れは、止まっていた。大岩にも流木にも、壁は耐えきった。

「生きてる…」

自分自身を確認するために呼びかける。自分の身に降りかかったことが未だ信じられない。
肺が空になるまで、息を吐く。壁に背をつけ、ずりずりと、へたり込んだ。

「クェッ、クェッ!」

ぱたぱたと、パロが飛んできて肩に止まる。その頭をなでた。

「リヴァース! アウンティ!大丈夫ですか!?」

ソレイユが滑り降りてきた。

「は……ははは……」

泥まみれの姿で、力のない笑いを返すしかない。かろうじて、まだ気は触れていないよというように、合図をして返した。

「ちゃんと算段があったんですね。驚きました、こんな形に壁を立てて衝撃を受け流すとは。土砂崩れに飲みこまれた時は、胸が潰れるかと思いましたよ…」

誇らしげに立っている岩壁を見て、ソレイユが嘆息した。

「いや……。久しぶりに死んだと思った。精霊がこういうことをしてくれることを、今、初めて知った…。もう一度やれといわれても嫌だ。御免だ。こんなこと、二度とあってたまるか……」

未だ震えの収まらない唇で、応えた。

「あなたという人は…」

アウンティを助け出しながら、ソレイユは呆れて苦笑した。

地表が抉り取られ、そこにあった岩や根を張っていた樹が押し流され、砕かれている。すさまじい崩壊の後を見て、つくづく、土石流の恐ろしさを知った。あのまま、大量に岩塊と土砂を含んだ破壊力のある山津波に流されていたら、転げて瓦礫に打ちつけられながら流され、衝撃の連続で、骨も肉も、ぐちゃぐちゃにされながら、埋まり死んでいただろう。想像するだに、ぞっとする。
未だ誇らしげに立っている壁に、自分たちを守ってくれた地霊たちに感謝した。

一枚の壁を、土石流の流れの方向に直角に立てたのだったら、土砂の力をまともに受けて、岩壁は破壊されていたかもしれない。しかし、流れの方向に対して急な角度をつけ土砂に対して流線型を作り抵抗を減らすことで、壁にかかる衝撃を減じることができたのだ。破壊の力が、一方向を向いていたから、有効だった手だ。
よく、とっさに思いついたものだと思う。危機のある時の人の判断力というのは、普段では考えられないものがある。

アウンティは、村長と人足の手を借りて引きずられていった。
一方、動かない自分に、ソレイユが振りかえった。

「リヴァース。どうしたのですか?」

「腰が抜けた。立てない」

「あなたって人は…」

同じことをもう一度繰り返して、ソレイユは手を差し伸べてくれた。


アウンティは、腑抜けのように呆然としていた。
無理もない。幾度も死ぬ目には遭っている自分も、今度こそはおしまいだ、という恐怖を、ひたすら土石流の中で味わい続けたのだ。並の神経の持ち主が耐えられるわけもない。
特に混乱の精霊が居座っている異常事態なようでもないので、そのうち回復するだろうと放置しておこうとした。

そこに、ソレイユが羊皮紙を取り出し、さらさらと文章を書き付けた。

曰く、『「緑の会」アウンティは、チュバ島におけるユーカリ植林事業が地力を減じ漁業の妨げとなり、島の生態を脅かしていることを認めます。つきましては、事業の放棄と、焼き出しによる再生・再植林に同意します。』

そして、ソレイユはアウンティに低い声でささやいた。

「ユーカリ植林で地が弱った為に土石流が発生し、あなたもリヴァースも死に掛けたのですよ。分かっていますね。分かったらこの書面にサインしますね?」

ソレイユが有無を言わせぬ迫力で圧力をかける。アウンティは是非もなく、震える手で同意書にサインした。

一丁上がりと、同意書を見せながらソレイユはにっこり笑った。
やはりこのエルフは只者ではないと、改めて感じ入った

「お前、古代王国時代から生きている魔術師が、実は身体変化の魔法でエルフに化けていました、という落ちではないだろうな」

そう勘ぐってみた。

「クェッ!クェッ!」

代わりにパロが返事をした。



■■■ ベノール〜チュバ島 7日目

バラミの商会には、老婆のうなり声が響いていた。決算はまだ終わっていないようだった。

アウンティの同意書を携えて、ひとまずベノールに戻った。国の森林局から、植林の廃棄と火入れ、および再生の計画について許可を貰うためだ。事業に国が補助を出しているので、なんらかの変更が事業に加えられる場合は、国に申請を行っておく必要がある。これを疎かにすると、後で何かと問題が出かねない。逆に一度国から許可を得られれば、後にアウンティから詐欺だとか何だとか異議が唱えられた所でこちらの身を守ることができる。いちいちベノールに戻るのは手間はかかるし時間も食ったが、それが確実だった。

バラミに事のあらましを告げ、銀鉱山と漁獲量は関係ないことを説明した。

「アンタも色々厄介を掘り起こしてくるねぇ…」

と、バラミは呆れた。

役人への説明には、やや日数を要した。数種類の書類を作り提出して、森林局の許可は得られた。その際、火入れの後の再生の計画も作っておいた。さまざまな地元の木を植え、その下生えとして果樹や野菜など有価の植物を植える。木は野菜から、野菜は木から、双方利するよう、森と農業を両立させて産業とする案だ。

役所からは、せいぜい火災には十分気をつけるようにとのコメントがついたぐらいだった。国としては、新産業としてユーカリの生産に歯止めがかかるのは残念なことである。しかし、古くからの漁民の生活のほうをまず守るべし。そういう判断だった。アウンティからの植林廃棄の同意書があるので、ことはスムーズだった。

役所というと時間ばかり掛かり効率が悪いものと相場が決まっている。ただ、役人達も上司に説明する資料が必要なのである。役人は文官に、文官は大臣に、大臣は議会や王に、議会や王は税を払う国民に、それぞれ説明せねばならない。その拠り所となるのが書類である。書類が揃えば、役所仕事は案外スムーズに進む。要は、彼等の仕事の流れを理解して彼等が遣りやすいようにこちらがアレンジすれば良いのだ。役所に不満が出るうちはまだ、自分が至らないわけなのである。

「あんまり自分に責任が大きく掛かってくるような振る舞いはするんじゃないよ。事を大きくするのは簡単だ。事を収束させるのが何より難しいんだからね!」

そうバラミは忠告してくれた。

そして、森林局のユーカリ林火入れの許可書を持って、チュバ島に取って返した。
ソレイユにはベノールに残ったほうが良いのではないかと伺った。これから森を焼くのだ。エルフには痛みが大きすぎる所業である。しかし乗りかかった船なのか、毒食らわば皿までという意識なのか。彼もまたチュバ島に戻るといった。

「あちらに植えてきたお茶がどんな風に育っているのか、気になっていますしね」

とソレイユは理由をつけた。


チュバ島に戻り、植林の火入れの準備に取り掛かった。アウンティはもはや観念したらしく、姿を消してしまい、何か言ってくる様子はなかった。

村人と公聴会を開き、ユーカリ植林地への火入れが必要な理由を十分にに説明した。そして、火入れの後の再生の計画こそが重要であると説明した。村の理解と賛同は得られた。地に還元された養分から収穫を得るために皆で知恵を絞りあった。

雨に包まれたこの島で、いかに樹を燃やすか。最初はそれが問題であると思われた。

しかし、意外に簡単だった。元々ユーカリは、炎の精霊力が強い樹木だ。葉が油を分泌するので燃えやすい。乾いた場所では、梢が擦れることにより摩擦で自然発火すらする。そして森林火災となり、他の樹木を焼く。その後、最初にその地に生え繁殖するのは、強靭な生命力を持つ自分達である。自らの生息地を確保するためなら仲間の樹木を焼くことすら辞さない。ユーカリは、他の樹木から見れば、悪魔のような樹だった。

雨の多いこの島でも、2,3日雨が止み多少乾けば、火入れは可能だった。
植林と原生林の境界線は、植林を切り倒して、何もない空間にすることにより類焼を防ぐ。この作業だけで半月はかかった。
そして、雨の止む時期を見計らって、火入れを実施する。

後のことを考え、森の下の畑と果樹園にする区画を区切り、計画的に焼いていった。決して火が広がらないように、水槽を設けて水を貯め、消火部隊を各所に設置した。

天に白い煙をあげながら燃え上がる森を、山の中腹より眺めた。類焼が起きた際には駆けつけ、水の壁を立てる予定だ。

例え後の生産に結びつくとはいえ、森に火を入れるのは、やはり胸の締め付けられる想いを伴った。
ユーカリは、今まで奪ってきた精霊力を開放しながら死んでゆく
ソレイユは、哀しさを湛えた顔で、その様を見つめていた。

炎により、上昇気流が起こる。風が吹き、煙を天に運び、髪を舞い上げた。

ユーカリに罪はない。ただ人間の利便と利益のために、植えられ、育てられ、切られてきた。そして、今、自然を生き抜くために要求され身に着けた生命力の強さゆえに、焼かれている。

ユーカリは何も言わない。泣きも、恨みも、許しも、しない。

島の生命を調整するために、火を入れ、強すぎる生命を焼く。
あたかも、生命の超越者の為すようなおこがましい所業だ。いっそ、破壊者として呪詛を浴びたほうが楽かもしれなかった。

「その身を散らす風でも、花は吹け、と望むのだろうか」

やりきれない思いに、そう、言葉が口を衝いて出てきた。

「望むのです。それが次代を育む実のためであるのならば。そして世の循環のためならば。…それが私がこの世界で見て、魅せられたものです」

独り言のようなつぶやきに、ソレイユが答えた。

「エルフがそれを言うのか」

「我々もまた永遠の生を手放し、その摂理を選んだ種ですから」

と、ソレイユはゆるやかに微笑した。
ソレイユの表情を見て、泣きたいような、やりきれない思いに包まれた。

「望まねばならない。散らねば実らない。実らねば次代が育たない。人も、獣も、草も、木も。みな、寿命ある者は、刹那を生き、自らを次代に託していく。だから命は、それだけで、本質的に哀しい」

「哀しくて、だからこそ美しいのです、命の変遷は。本来、エルフには、乏しかった感覚です。けれど、知っておかねばならない。それが、この世界の真理である気がします」

そう言いながら、炎がユーカリの森を焼き尽くして下火になり消えるまで、二人でじっと見守った。その炎を見ながら、問いかけた。

「ソレイユ。この島には、何か根本的な問題があるのではないかと思う。この島は、ユーカリごときにたかが数年で地力を吸い尽くされてしまうような島では、もともとない気がするんだ。村長の資料にあったように、漁獲量の減少は、50年ほど前からすでに徐々に始まっていた。この島は大きな病をもともと抱えている。ユーカリ植林は、弱っているところにさらに別の病気が持ち込まれて、元の病を進行させたにすぎないように思える」

この島には、もともと広大で濃厚な森林を支えられるほどの地力が、かつてあった。現在、それが雨に流されながら少しずつ、回復不能としてそれが衰えているのだ、と考えたほうが、しっくりとうなずけた。
ソレイユはじっとこちらの言を聞いている。

「『森と海は繋がっている』…あの双尾猫の言葉が耳に響いてしょうがない。ユーカリ植林の一角だけが、海の状態に大きく影響していたとは考えにくい。もっと根本的な原因があるように思える。それを解決しないことには、いくら森の再生を行ってもいずれ破綻してしまうかもしれない。そして、そもそも解決できるものなのか、というのが疑問だ。地が痩せ滅びるのは、この島の宿命ではないのか」

それに対してソレイユは、痛みを堪えるような表情を浮かべて、答えた。

「その考えにたどり着きましたか…。元々私がこの島に来たのは、その、島の病のためです。この島のエルフが、私に助けを求めてきました」

そのソレイユの答えは意外だった。

「おまえはそれを知っていた。…そして、知っていながら、今まで口にはしなかったのか」

「否定はしません。この島が退廃する原因は、あります。けれど、それを立ち切ることは、エルフにはできない。島のエルフはその原因に立ち向かうために、私をこの島に呼びまた。そして、私は、あなたに出会いました。あなたが、彼らの問題を解決できるのではないかと、試させてもらいました」

「で、合格なのか。そいつは光栄だ。 アウンティのユーカリは"第一の試練"だったというわけだ」

ソレイユは一人で謎を抱えていたのだ。
それが気に入らず吐き捨てるように云った言に、お許しをと、ソレイユは、苦笑した。

「来ていただけますか。聖古老の森に。そこに原因があります」

聖古老の森。頂上から島を眺めた際に見た、森のもっとも奥深くにある閉ざされた領域だった。

「報酬は?」

「貴方の心の中に得られます」

「そいつは素敵だ」

短い冗談で、互いにくすりと笑った。
そして、ソレイユは向きなおり、目に強い光を宿らせ、有無を言わさない口調で、言った。

「…聖古老に、会っていただきます」

ますます冒険者じみてきた、と思った。


焼かれたユーカリは、ただ、白い煙を天に上げ続けている。
天に召されてくれと願う心を、哂うように。

雨が、降り始めた。

焼き尽くされたユーカリの屍を、労わるように。
限りない人の愚かさを、嘆くように。
涙流せぬ木々に変わって、泣くように。

雨は、降る。

(続く)




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