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No. 00009
DATE: 1998/06/08 23:09:55
NAME: ゼザ
SUBJECT: 剣の心、師の心
私は木が鬱蒼と生い茂る森の中を進んでいた。
道は見える。獣道と呼んでも差し支えはないだろうが。
細い道を見失わないよう注意しながら、私はある疑問を抱いていた。
――本当にこんな所に師匠はいるのだろうか――
4日間歩き続けている者としては至極真っ当な疑問であると私は思った。
建物が見える気配は全くなかった。
ことの起こりは5日前になる。
ある酒場で狼藉を働いていた者を懲らしめ、酒場を出ようとしたときだった。
「よう、兄ちゃん、いい腕してるねぇ」
いきなり後ろから呼び止められ後ろを振り返ると、冒険者らしき男がいた。
男の年齢は二十歳ぐらいだろうか、金髪碧眼、板金鎧を身につけ、グレートソードを背負っている。ぼさぼさの髪と髭が私にむさくるしい印象を与える。
「何か私に用でもあるのでしょうか」
私の声に彼は答えた。
「いや、別にどうってこた無えんだが、ただ見たことのある剣技だったもんでな。
お前さん、アイントホーフェンの爺さんの孫かなんかか?」
その言葉に私は驚愕した。
「し、師匠を知っているのですか?」
「ん?ああ、まあな。あの爺さんには森の中で倒れてるところを助けてもらったことがあってな。
あの爺さんが人に剣技を教えることがあるとはなぁ」
「あの、師匠はこのオランに住んでいるのでしょうか?」
興奮を抑えながら私は訊いた。
「ん?まあオランに住んでるっていやあ、住んでるな。エストン山脈の山中に小屋建ててるぜ。近くの村まで行ったら場所は聞けるだろうな」
そこまで聞けば十分だった。
私はすぐに身支度をするため、宿へと歩き始めた。
「お、おい!ここまで聞いといて何の礼もねえのかよ!」
男に慌てたような、怒った声に振り向かずに私は答えた。
「ありがとうございました。帰ってきたらお酒でも奢ります」
そして私は返事も聞かずに走り出した。
師匠と会うのは5年ぶりになる。
もともと、兄の剣の師として父が招聘したのだった。
だが師匠は兄ではなく、私に対して剣の才能を見いだし、兄を放って私だけに剣の稽古をし始めたのだった。
兄に対してはその方が良かっただろうが、私にとっては迷惑以外の何者でもなかった。
私は魔術師となるべく、勉強している身であった。それを師匠は、私になんの説明もなしに、ただ自分の後継者として相応しいという理由で魔術師ギルドからの脱会を強要し、私を連れて山中へと連れ去った。
そのあとの修行については、恐ろしくて何も言えない。
ただ、今では師匠に剣を教えてもらったことを感謝している。師匠の剣技が私に自信をくれ、そして、弟を斬ることが出来る冷静さをくれたのだから。
師匠には弟を殺したことを言っておかなければならない。
弟を止めるための旅に出るときに、このグラムドを餞別としてくれた師匠には報告する義務がある。
そしてこのグラムドも返さなければ……
今、グラムドは私の精神を蝕んでいる……
急に開けた視界に、小さな小屋が飛び込んできた。
その小屋は、師匠と山籠もりしたときのものと、奇妙に酷似していた。
妙に懐かしい思いを抱いて感傷に浸っていた、そのときである。
殺気を感じ、咄嗟に横に跳んだ私の足下にダガーが刺さった。
剣に手を掛け、振り向いた私が見たのは厳しい表情の老人、アイントホーフェン師匠、その人だった。
「し、師匠……」
5年前から全く変わっていないように見えた。
普段着だろう、簡素な服を着ている。その髪は見事な白髪。黒い目の鋭さは獲物を狙う獣のよう、そして氷の冷たさを持っている。
ただ私はその目を見て、以前ほど恐怖を抱かないことにショックを覚えていた。
「何をしに来た。お前に教えることなどもうないぞ。死にたくなければ早く帰れ」
低い、唸るような声も前のままであった。
私は一呼吸おいた後で、答えた。
「全てが終わったことを話すために……」
私はこの5年間のことを包み隠さず話した。ラムリアースからどんな道を通り、このオランに辿り着いたか、そして如何にして弟を自らの手に掛けたのか……
師匠は私の話を黙って聞いていたが、グラムドについて、私が乗っ取られかけていることを告げると、途端に声を張り上げた。
「お前は本当にその剣が魂を乗っ取るとでも思っておるのか!そんなことあるはずがなかろう。儂が使っておった剣だぞ!儂が40年間ともに暮らしてきて何の異常もないというのに、お前に異常があるというのはおかしいと何故気づかぬのだ!
己の心の弱さに気づかぬようでは戦士として闘う資格はない!
否、今のお前では生きている資格すらないな。
グラムドを渡せ。お前が嫌悪するその剣で引導を渡してやろう」
私はその言葉が信じられなかった。
師匠は私に向かって剣を外すように促した。
そして一度下を向いたあと、自分の剣を外し、こう言った。
「この剣で闘ってみよ。もし自我を取り戻すことが出来たのならば、斬ることまではしない。儂も力を貸そう。だが、お前が心を見ようとしないのなら、お前の師として、お前を創り上げた者として、儂がその魂をあの世へと送ってやる」
言葉は信じられなかったが、私はその言葉に従い、グラムドを外した。
私が正しいことを示すためにはこうするしかないのだ。
私たちは自らの剣を相手に向かって放り投げると、前方に跳躍した。
私は新しく得た剣を空中で受け取ると、その剣を抜いた。
森の開けた場所に、2人の男が対峙していた。
1人は老人。意匠を凝らした剣を持ち、鋭い眼光で相手を睨んでいる。
もう1人は黒いマントをつけた20代後半と思われる男。マントの下には皮鎧をつけている。老人と同じく鋭い眼――氷の冷たさを持つ――で相手を睨んでいる。
「老人、お前は私の敵として認識された。死ね」
先に口を開いたのは20代後半の男。
「なるほど、完全な別人格になりかけとるということか……
それほど弟を斬ったことを後悔しているというのか、ゼザよ」
剣を地面にたてて、老人が言った。
そして老人は複雑な動作と難解な呪文を唱えだした。
ゼザと呼ばれた男は、老人の動作を気にした様子もなく、剣を青眼に構えた。
複雑な動作を終えた老人の剣に光がともる。
「闘いの中にのみ活きる人格か、罪を背負いながらもその罪を償うことで生きていく人格か、どちらがお前が生きる道なのかは判っているのだろう?」
対峙した2人が、互いにじりじりとその間合いを詰めていく。
「今を生きることを考えろ!闘いのみで生きてきた時は終わったのだ。お前がしなければならないこと、それを見つめよ!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ゼザが鋭い動きで、剣を真上から振り下ろした。
老人はその剣を避けずに、自らの剣で受け止めようとする。それはあまりに無謀に見えた。老人がその力強い剣を受け止めることなど到底不可能だと思われた。
その時、老人がカッと目を見開き、叫んだ。
「閃光よ!」
一瞬、あたりを閃光が包む。
だが、その一瞬で勝負は決まっていた。
閃光が消えたときには既に、老人の剣はゼザの首筋に向かって振り下ろされていた。
「自分が死ねない理由を持たぬ者の弱さか…」
そのとき私は剣を捨てた。
私が目を覚ましたとき、師匠はそばにいなかった。
近くにあったのは長年ともに旅をしていた剣――グラムド――だけがあった。
その剣にたいする恐怖を、私はもう抱かなかった。
私はベッドから起きあがると、その剣に手を伸ばして、その刃を見つめた。
あのとき、私は閃光の中でこの剣の言葉を聞いた。
――守らねばならぬ者がおるだろう――
その言葉を聞いたとき、私は自我を取り戻した。
私がそのことをしっかりと思い出そうとしているところに、師匠は戻ってきた。
「やっと目が覚めたようだな」
師匠がかけてきた言葉はそれだけだった。
「ありがとう……ございました」
やっと絞り出した私の言葉に答えることなく、師匠は懐からある文書を取り出した。
「これを見よ」
師匠の言葉に従い、文書を手にとって見た私は、その内容に驚きに色を隠せなかった。そこには賢者の学院への招待状が書かれてあったのだ。
「お前には私の名を継いでほしい。この閃光の名を」
師の真意を知ることは出来なかったが、ただ、私は嬉しかった。
私はその文書を受け取ると、すぐに身支度を始めた。とは言ってもそれほど持ってきていた物があったわけではないが。
そして新しく師匠にもらった剣を手に、小屋を出ようとしたとき、師匠は言った。
「グラムドはお前の剣だ。私にはもう使いこなすことが出来ぬ」
それが師の意志なのか、剣の意志なのかは分からない。だが、両方の意志を尊重したものであることは確かだろう。
私はグラムドを受け取り腰につけると、もう一度師匠の方を向き、頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
師匠からの返事はなかったが、この心だけで十分であった。
――『閃光のアイントホーフェン』も甘くなったものだな――
山道を行く私の耳に、妙に懐かしい声が聞こえた。
「そうですね」
私はこの剣に対する認識を改めながら、その声を聞いていた。
弟のことを忘れることなど出来ないが、私にはすることがある。
今の私には、このことがただただ励みになった。
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