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No. 00012
DATE: 1998/06/10 05:09:41
NAME: リヴァース
SUBJECT: 蒼き風のなかに
頬をつらぬく風は、湿気を含んでいて重い。この季節らしく、天気は移ろいやすい。大気にウンディーネの気配が濃厚で、じき、天から水滴が落ちてくるであろう。
街道をはずれても相変わらず4頭の馬は疾駆をつづける。
先頭を行くのはイリュ=サリュン。ミラルゴの草原の部族「鷹の羽」の娘だ。燃えるような紅い髪を持ち、女性にしては驚くほどしっかりした体躯で、ひきしまっている。背には、乳飲み子を抱えている。赤子は、部族の族長である彼女の兄の子で、ジュロクという名が与えられている。
すぐ後に続くのは、ヤン。顔の中央を真一文字に走る大きな傷痕のある、東方の剣を持った戦士。陽気で人懐っこそうなヘイゼルの目。特に背が高いわけではないが、ひきしまっていて全身バネのような筋肉をしている。
その横に、セリカがならぶ。抜け目のなさそうな顔をした、信じられないほど身のこなしのすばやい男で、こちらも戦士。幅広の斬馬刀を手にしている。
そしてわたしこと、リヴァース。エルフの血の混じる証である尖った耳と、黒い髪・黒い目をもつ精霊使い。
オランを出てからずっとこのペースで走りつづけている。草原の馬は、疲れ知らずで、休憩を入れずとも400里を走破するといわれている。が、乗っているほうはそうもいかない。馬というのは歩きに比べるとずっと楽そうに見えるが、これがまた、かなり疲れる。揺れは激しいし、中腰になって重心を下に置く姿勢を続けるので、すぐに背や腰が痛くなる。慣れていない上に早足の分、馬の制御のほうにも気を使わなくてはならない。
尻が痛いのなんのというセリカのぼやきが聞こえる。
しかし、歩くより先に乗馬を覚えるという草原の民にとっては、この速度でもだく足程度にしか感じないのかもしれない。先頭を行くサリュンの顔は悠々としている。
オランに流れてきた子連れの彼女に再会したのは、ほんの数日前。
草原の彼女がなぜここまできたのか、事情は以下の通りである。
彼女の兄で、「鷹の羽」族長のユパクシマが、敵対する部族「熊の手」に和睦を申し入れようと一人で赴き、捕らえられた。そのまま彼女たち「鷹の羽」は族長を人質に取られたまま攻撃を受けた。多数の者が殺され、残されたものはちりぢりになった。サリュンは跡取りのジュロクを守るため、ここまで落ち延びてきたという。
彼女の部族の生き残りは思いのほか多かった。先日、ジュロクを育てながらひっそりと暮らすサリュンの元へ、「鷹の羽」の若者が訪ねてきた。彼から、族長は生きていて、彼を救出して部族を再興する計画が進んでいるという話を聞き、その計画の中核となる為、準備を進める彼女に、出会ったのだった。
彼女たちには恩があった。ロードリルの奴隷だったヤンを解放し、追手から逃げ延びる所をかくまってもらったことがあったのだ。草原の部族の者は、見ず知らずの我々の為に戦ってくれた。彼女たちの助力がなければ、自分もヤンも、今頃、ここでこうしてはいられなかっただろう。
借りを返す為、助力を申し出た。
東方の魔剣を手にし、弓に長けるヤンと、精霊を操る術を知るわたしの申し出を、彼女はこの上なく喜んでくれた。
そして、戦いの心構えをするわたしたちに、昔、ヤンに出会う以前に仲間だったことのあるセリカが、物好きにも協力を申し出てくれた。性格に問題はあるが、人間離れした身のこなしと的確な技を持つ彼の腕は、大きな力となるだろう。
早朝、霧の立ち込める中、部族の馬をつれてきたサリュンと落ち合い、はるかな草原の国へと出発した。
○○○○○○○○○○○○○○○○
「鷹の羽」のテリトリーだった所は、遊牧地を荒らされ、もはや草原の無法地帯と化していた。家畜であるムゥの骨が、所々に散らばっている。
夜を徹して元の仲間との合流地へと向かう我々に、誰何の声が上がった。4人のこちらに対し相手は多人数。たちまち取り囲まれ捕らえられた。
相手は、「大地の詩」の部族の者たちだった。草原では随一の勢力を誇り、部族間の争いの調停を勤めることもしばしばで、はるかな昔にミラルゴの王を輩出したこともあるという由緒ある部族だ。彼らは「鷹の羽」族の領土であった土地の処遇を決める為に出向いてきていたらしかった。
ここで、オランでの行き付けの酒場である「気ままに亭」のマスターの書いてくれた紹介状が役に立った。出立の前にマスターがしたためてくれたものだ。
部族の隊長がマスターと面識があった。彼の顔の広さには今更ながら敬服させられる。
友人の友人は、また友人だ、ということで、一転して歓待を受けた。家畜が屠られて焼かれ、豪快なごちそうとなり、ヨーグルトのような癖のある匂いの馬乳酒が出された。(この馬乳酒には、後々苦しめられることになる。)
さらに、わけを話すと、「鷹の羽」部族に直接力は貸せないが、こちらの部族の戦士が、敵の裏をつく為に彼らの領土を通過することを黙認しようという取り決めまでしてくれた。
戦略の幅が広がったと、サリュンは喜んだ。
おち逢いの場所には、すでに数十人の草原の戦士達が集っていた。まだこれでも一部で、すぐにこれから各地に離散した部族のものが次々に集まり、最終的に百人を超えるという。
「鷹の羽」族長ユパクシマの妻、すなわちジュロクの母・イヲマンテは、小柄で貞淑な女性だった。草原の女が皆サリュンのような豪快な者というわけではない。むしろイヲマンテのように、西方と比べると小柄なものが多い。しかし、男と同様、穀物の採取だけでなく狩もするし、武芸をたしなみ、戦ともなれば戦士として働く。イヲマンテも、そこそこの弓の使い手だそうだ。
彼女は、記憶喪失で倒れていた所をユパクシマに助けられ、恋に落ちたという。部族の間では有名な話で、すでに恋歌になっているらしい。
イヲマンテは、涙を流して子・ジュロクとの再会を喜び、2回りも大きいサリュンを抱擁して礼を述べていた。
部族の若い戦士達を交えた戦の討議は、夜を徹して行われた。
作戦は、以下の通り。
基本は夜襲である。有利な点は、まだこちらの存在を知られてないということ。少ない人数でもある程度は正攻法が通用するのだ。こちらに人数を割き、火矢と馬で撹乱する。
それとは別に、「大地の詩」部族のテリトリーである西側の丘陵地帯から回り込んだ別働隊が、「熊の手」族の集落の奥深くに入り込み、族長の家からサリュンの兄・ユパクシマを救出する。こちらはわれわれとサリュン、そして部族でも屈指の戦士数人で構成される、少数精鋭部隊となる。果たす責任も危険も大きい。
サリュンは、我々に大きな役目をまかせる一方、部族の者でない私たちは役割よりも命を重視しろといった。
行軍中、サリュンは兄、ユパクシマの思い出を語った。右に出るもののない戦士で、聡明で、美しい族長。逃亡中に会ったことがあったが、カリスマがあり、ああいう人物こそが王にふさわしいと感じさせる威厳のある者だった。サリュンは、部族会議でも一目をおかれる兄の、右腕となってずっと一緒にいられるよう、必死に腕を磨いたという。兄こそが理想であり、兄以上の者でないと嫁に行かぬと公言していた。その主張を曲げぬ限り、彼女は永遠に結婚できないだろう。彼女が未婚でありながら、喜んでジュロクを引き受け、世話をしていたのはそういった背景があったのだ。
「大地の詩」部族の領土を抜け、「熊の手」族のなわばりの裏手に差し掛かったいっそう急峻な地帯で、奇襲を受けた。左手は切り立った崖で、落ちるとひとたまりもないだろう。右手の頭上は傾斜をもって上向きで、死角になっていた。
夜間の移動中、頭上から油が撒かれ、火矢が降ってきた。一瞬にして炎に包まれる。戦士達は馬から転げ落ちて火を消そうとする。
水筒から水の精霊を解放し、消火させた。ウンディーネの悲鳴。
安堵の息もつかの間。ついで、雨あられと矢が降り注ぐ。上方から飛んでくる為に、こちらからの矢の応酬は非力だった。皆を一所に集めて、シルフの守りを掛けて矢をはじく。しかし、時間稼ぎに過ぎず、守りがとどく範囲内に固まっていてはいずれ精神力が尽きて格好の的となってしまう。
不意に、ヤンが剣を抜いて飛び出した。馬上で両手持ちの大剣を頭上に構え、矢をはじきながら崖をかけあがっていく。
「よせ!無謀だ!」
叫ぶが、セリカまで後に続いて飛び出していってしまった。
やむを得ず、下から光の精霊を召喚して目くらましをしたり、逆に闇で覆ったりと援護する。部族の中で精霊魔法の心得のある者が助力したの。
駆け上がるまでは苦労していたが、いったん崖の上に出るとヤン達はその場を席捲した。たかを括っていたのか馬を下り、弓のみを構えていた敵側の戦士達は、ヤンとセリカの繰り出す剣技の前にひとたまりもなく、続々と倒されていった。頭上で悲鳴が次々と上がり、斬られて血を吹く戦士が崖から滑り落ちてきた。
血路を開いた彼らに負けていられん、と、「鷹の羽」の戦士達も馬をかって崖を登る。すぐに、頭上からの攻撃は止んだ。
攻勢は決したかに見えた。しかし、罠はさらに周到だった。左側の切り立った崖の窪みに、潜んでいた男が飛び出してきた。それに気づいて振り返ったのと、男が吹き矢のねらいをサリュンに定めたのは同時だった。
そのとき、頭上からセリカが馬ごと降ってきた。馬はセリカを乗せたまま吹き矢の男を踏み潰し、そのまま左方の崖へ転落していった。
「セリカっ!!」 叫んで、崖から身を乗り出す。谷風が吹き付ける。冷たい汗が背を伝う。驚愕が心臓をわしづかみにした。
○○○○○○○○○○○○○○○○
しばらく後。
「・・・で?」 思わず呆れて尋ねた。
目の前には、奈落へ転落した筈のセリカが飄々として立っている。
「なんで、あそこに落ちて、擦り傷ですんでるんだ、おまえは!!」
「日ごろの行いが良いからだろう?・・・いや〜、草原の馬って早いなあ。思わず、行き過ぎちまった!」
・・・それ以上何も言う気がなくなった。心配したほうが、馬鹿だった。
馬は崖の底へ転落していったが、セリカ自身は崖に張り付いていた樹木にしがみついて無事だったのだ。
草原の男達は、馬に黙とうをささげた。
「おまえ達がいて助かった。我々だけだと、全員がここで死んでいただろう。」
サリュンが礼を述べる。戦士達も、口々にヤンとセリカの勇気と、わたしの魔法を称えた。
「おまえ達には恩ができた。部族の民はこの恩を忘れないだろう。」
「いや、もとはわたしたちが最初に、おまえ達に助けてもらった。それに、正念場はこれからだ。 礼は、ことが全てすんでから、受け取ろう。」
わたしがそういうと、サリュンはだまって頷いた。
「何であいつら、おれたちがここを通るとわかったんだろーな。」
皆が考えている疑問をヤンが投げかける。
そう、なぜか? 答えは一つ・・・裏切り者の存在。だれもが思い当たっていただろう。しかし、あえてそれを口にする者はいなかった。
次の日の夜、襲撃は行われた。
通常、ミラルゴの民の戦は、草原で騎馬戦をし、時には代表同士が決闘することで決着をつける。他国の戦と比べると、むしろのどかさすら感じられるのだ。
しかし、この場合は復讐戦であり、先に到着していた「鷹の羽」の撹乱組の攻撃は容赦がなかった。
「熊の手」の男達の抵抗も激しかったが、憎悪に燃える「鷹の羽」の戦士達の敵ではなかった。集落にかたまっているパオ(テント)に火を放ち、見つけた者は女子供でも容赦無く手に掛けていく。
それを見たセリカが、非道すぎる、と憤慨した。しかしサリュンが、それが草原の掟だと説明した。攻撃を受けた部族が復讐を行う場合、どちらかの部族が皆殺しになるまで戦いは続く。一人でも生き残りがいると、後に禍根を残すこととなり、新たな復讐を生む。故に、女も子供も全て滅ぼす。
皆殺しとは一見残虐だが、長い目で見れば結果的に悲劇は減り、死者も少なくなるというのだ。
「草原には草原の掟がある。よそ者の我々が口を挟まないほうがいいだろう。残酷なことだが、それが彼らのやり方なんだ。」
わたしがそういうと、釈然としないながらもセリカは頷いた。
混乱の中、我々とサリュンは、守りの薄い裏側から、一直線に「熊の手」の族長のパオを目指した。
パオはひときわ大きくて目立ち、屈強な戦士達が護っていたのですぐにわかった。
先ほどは暴れ足りなかった、とばかりにサリュンの戦斧が炸裂し、一瞬で片がついた。大の男3人が、瞬く間に肉塊と化した。兄の所在を前にして、気が急いているのがありありと分かる。二人の戦士の出る幕はなかった。
そのままパオのすそを捲り上げ、中に躍り込んだ。
豪奢な銀や漆塗りの調度品の並ぶ中に、「熊の手」族長は数人に護られて立っていた。
「あに様は・・・ユパクシマはどこだ!!」
サリュンがいきり立つ。
「会いたいか?ならば、あわせてやろう。」
敵の族長は動揺もせず、黒く濃い髭の中から、卑下た笑いを見せた。
族長がぱちんと指を鳴らす。奥の天幕から、一人の女が出てきた。
「おまえは・・・!」
…イヲマンテ。残してきたはずの、サリュンの兄ユパクシマの妻だった。
手には、ジュロクと、干からびた人間の首を抱えている。
「!・・・そ・・・それは・・・」
サリュンの声が震える。
首はだいぶ時間が経っているらしく、ミイラ化して面影は残っていない。しかし、その特徴のある、サリュンと同じ紅い髪はまぎれもなく・・・ユパクシマのものだった。
「 イヲマンテ、さすがはわしの妻。草原の女傑、わが部族の誇りよの。」
イヲマンテは、赤ん坊と首を抱いたまま、敵の族長にすりより、こちらを見て艶然と微笑んだ。
説明されるまでもなく全てを理解した。
イヲマンテは、もともとこの「熊の手」部族の女であったこと。記憶喪失を装い、部族会議で力のある宿敵の「鷹の羽」の族長に取り入った。そして和平を口実におびき出して殺した。さらに、「鷹の羽」を壊滅させる為、ウパクシマが生きているとの噂を流し、残党を終結させた。別働隊の動きを通知したのも彼女だろう。
「熊の手」の族長は、ユパクシマの首をこちらに投げると、ジュロクを手に取り、刃を突きつけた。
「動くなよ。獲物を捨てろ。こいつが大事ならな。それとも、「熊の手」の女が産んだ子の命は、惜しくはないか?」
「きさまら・・・!!」血がにじむほどに唇をかむ。
逡巡した後、無念の形相で、サリュンは血に濡れた戦斧を捨てる。我々もそれにならった。
「聞き分けの良い奴等だ。」敵の族長がほくそえむ。イヲマンテの表情が複雑になった。
「よし、こいつらを縛り上げて殺し、外の連中の見せしめにしろ!」族長は侍らせていた戦士達に命令する。
憤怒の形相で、サリュンはイヲマンテを睨み付ける。ただ、なすがままに縛られる他はなかった。縛られるときに腕を曲げて力を込め、少しでも抜けやすくするよう諮る。
「・・・こいつも、もう用なしだな。敵部族の男との子など、いても邪魔なだけだろう?」
そういって、族長はイヲマンテに笑い、小刀を赤子の喉笛にあて、かっさばこうとする。
しかし、イヲマンテは族長の手をつかみあげ、小刀をもぎ取ってジュロクを奪い返した。
「なにをする!よこさんか!」
族長がすごむ。
「赤ん坊に情が移ったか。所詮はおなごよ!」
族長は、イヲマンテに飛び掛かった。
皆の注意がそちらに逸れた。 片手の縛りが甘かったのを幸い、腕を縄から抜いて精神集中する。
天幕から覗く橡の大木に棲むエントに呼びかけた。
新緑をつけた枝と節だった根がが無数にうねってパオの中にのびる。
「くそ、なんだ!?」
そのまま枝は、天幕の中を荒らしていった。
混乱。そのすきに、ヤンとセリカは飛び出して剣を拾い上げ、縄を切る。武器を手にして自由になった彼らは、目に付くものに襲い掛かった。わたしは魔法の集中を続けて、大木の老人に呼びかけ、枝と根で内部の調度品をひっくりかえしたり、枝を戦士達にからませて動きを制限させたりし、ヤン達の援護をする。
憤怒に身を任せたサリュンは、跳ね上がって戦斧を握り締めて突進する。 「邪魔をするな!!」
と周囲の戦士を薙ぎ払って、族長に突撃していった。
勝敗は一瞬で決した。力任せに振り払ったサリュンの斧の刃は、「熊の手」の族長の頭骨を叩き割った。
数の劣勢をものともせず、ヤンとセリカは背中合わせになって、襲い来る枝と根に惑う戦士達を、確実に屠っていった。
族長の首を手にしたサリュンが加わり、戦士たちがすべて、血に濡れた骸と化すまで、長くはかからなかった。
混乱と怒号の中で、イヲマンテはジュロクに口付けた。そして、うばった小刀の尖端を、自分の喉笛にあて、突き刺した。
気がつくと、母の血をかぶったまま、ジュロクは泣き声一つあげず、母の死に様を見詰めていた。
自分の部族の使命を受けて、敵部族に単身のりこみ、子をなした彼女。
彼女の思いはいかほどのものであったか。彼女がユパクシマを愛していたのは疑いの余地が無い。おそらく部族の命令を忘れて安住に甘んじていれば、彼女は何も考えずに幸せな生を送れたであろう。しかし、彼女はそうしなかった。あくまで、「熊の手」の戦士として行動した。そして彼女は、母と戦士、どちらにもなりきれなかった。それが、この悲劇を招いた。
草原の女の悲しみ。理解はできても、胸のうちに残る後味の悪さは当分消えそうになかった。
サリュンは、無表情でジュロクをかかえあげ、血をぬぐって背中に背負い、再び戦斧を手にパオを飛び出していった。
パオから出たそこには、地獄絵図が繰り広げられていた。そこは、戦場ではなく、一方的な虐殺の現場だった。「鷹の羽」の者たちは、全身を紅く染めながら、炎の中で獲物を手に立ち尽くしていた。すでに、敵部族の民に動くものはなかった。われわれの成すことはもはやなかった。
ふと、背後の天幕の陰に、子供の泣き声がした。
サリュンは戦斧を握り直し、全滅の掟を達成すべく、そちらに向かった。
放心した表情で、ただ涙を流している少女。それを見て、ふいにリヴィアの顔が浮かんだ。偽りの生を与えられた、数日だけ自分の娘だった少女。 そして、次に脳裏に飛来したものはさらに厄介なモノ・・・頭の隅から葬り去ったはずの・・・過去の自分。
周囲の炎が錯乱に拍車を掛けた。
サリュンの戦斧が振り下ろされるその瞬間。
体のほうが先に動いていた。
曲刀を抜き、弧を描く戦斧と、うずくまる少女との間に割り込む。
キィン、という高い音がして、シミターが跳ね飛ぶ。軌跡は変わったが、戦斧の勢いはとまらず、柄を腕で受ける格好になった。グシュ、という鈍い音が耳にくる。腕が、あらぬ方向に曲がった。激痛に顔を顰める。
「リヴァースっっ!!」 ヤンの叫び。
驚愕に動きを止めるサリュン。しかし、すぐにこちらをにらみ、「どけ!」と叫んで戦斧を構え直した。
「どかぬ!」少女を背にかばったまま、腕を抑えて面を上げ、うめくように言う。
「やはり、見過ごすことはできん。どうしても殺すというなら、まずわたしをやれ。」
張りきった糸のような緊張が二人を支配する。脂汗がにじむ。数瞬間の睨み合い。
・・・ふいにサリュンが斧をおろした。
「おまえは、友であり、恩人だ。草原の民は、恩人に刃を向けることはしない。」
サリュンはそのまま、ふてくされたようにどっかりとその場に座り込んだ。 ヤンとセリカが背後で息をつき、剣の柄から手を放す。サリュンが仕掛けてきたとき、いつでも攻勢に出られるように構えてくれていたらしい。
そのままその場にへたりこんだ。
「いつもおれにゆってるくせに。どっちが無謀だよ! あほ。」
ヤンが駆け寄って、折れた腕の応急処置を施してくれる。
子供は、呆然としてこちらを見ていた。
「おい、どーすんだ、こいつ。このままにしとくと、他の奴に殺されちまいかねないぜ。」
セリカが子供を引き寄せて言う。
「サリュン・・・この子を、おまえ達の部族で育ててみる気はないか?」
わたしがいうと、サリュンはびっくりしたようにこちらを見た。
「殲滅ではなく、同化。そういう道もあるのではないか。 この子をおまえの部族の者として育てる。服従させたものを、己の一員として受け入れる。それが、よけいな血を流さず、部族の繁栄につながるの道なのではないか・・・?」
数瞬の間、彼女は逡巡していた。しかし、首を振ると、立ち上がって放心している子供に手を差し伸べ、抱き上げた。
「難しいことを言ってくれる。部族の者の説得に、力を貸せよ。」
と、笑った。
そう言ってはみたものの、ほんとうにこれで良かったのか、正直な所自信が無かった。生残りの子がこれから先、復讐心を抱いて災いをなすかもしれない。 敵部族の子、ということで、いじめにあう可能性もある。そして、幼い頃のトラウマは、成長してからも、心身を苛める
が、信じるしかない。人々の暖かみが、過去を清算し幸せを育てるであろうということを。
そしていまは、たった一つの命でも、救えたことに感謝したかった。
彼ら草原の民は、皆殺し劇のような蛮行がその風習とすらなっているにもかかわらず、命を粗末にしているわけではない。むしろその逆である。
たとえば、彼らは華刀、華矢と呼ばれる、細かい彫刻を施して意匠を凝らしたものを持ち歩く。戦や狩において、獲物の命を奪うとき、かならずこれらの武具を用いる。彼らは断末魔の叫びを、神の国に召される喜びの声だとみなす。逝く者達への敬意と祝福をこめて、刀の柄や矢尻に彫刻を刻み、いつでも用いられるように常に携帯しているのである。
無意味な殺戮は決してしない。悲劇としか取れない殲滅戦にも、かならず祈りの言葉と共に行われる。その態度には命に対する尊厳が感じられた。
○○○○○○○○○○○○○○○○
合流地に戻ると、すでに宴の準備が進められていた。
離散していたとはいえ、もともと定住の住処をもたぬ草原の民である。集結し元の生活を復活させるのは、都市などとは比べ物にならないほど早く容易である。瞬く間にパオがたてられ、家畜が連れ込まれた。
酒や料理が運び込まれる。「大地の詩」部族からの、復讐の完了と復興を祝う品々も含まれているらしい。
雄大な夕日に包まれた草原は、活気につつまれていた。
宴は、夜が明けるまで続けられた。
部族に代々伝わる貴重な酒である、秘蔵の「ラク」も振るまわれた。穀物から作った不思議な酒で、冷たい水で薄めると白く濁る。
わたしがライアーと唄を披露すると、我先にと相伴の声が上がった。草原に伝わる詩をいくつか仕入れることができ、収穫は上々であった。
セリカやヤンも、剣舞を舞ったり、草原の踊りに加わったりして、陽気に騒いでいた。弓の得意なヤンは、遠弓の腕を見せて、部族の者たちを驚かせ、人気者になっていた。
更にヤンは、余興でやった力比べで、サリュンを負かしてしまったから大変だった。サリュンの怪力は他の部族でも有名で、これまで自分より力のある男はいなかったらしい。ウパクシマにかなわないまでも、せめて自分より力のある男でないと嫁にはいかん、といった彼女にとって、その敗北は衝撃的だったらしい。いつのまにか、結婚式の日取りまで決められてしまいそうな勢いであった。
そして、閉口したのは彼らの酒量である。底抜けかとおもうほどに、例の癖の強い馬乳酒をたらふく飲む。以前、樽でエールを飲むと豪語した、バジェッドという男がいたが、彼なみの者がごろごろいた。杯を空けると次々に注がれ、空けないでいると、ムゥの胃袋で作った酒袋ごと飲まされる羽目になる。
あまり酒に強くない上にお調子者のヤンは早々につぶされ、せっかく築き上げた株を下げていた。セリカもいつのまにか大の字になって寝こけていた。 笑いと喧騒が夜を支配し、宴の松明は、いつまでも煌煌と周囲を照らしつづけていた。
サリュンは、落ちついたらまた旅に出るといっていた。驚いたことに、ジュロクも一緒だとのことだ。現在の族長を、古老に任せ、ジュロクが成長したら次の族長とすることになったらしい。
草原は解放されているようで、その実、はるかな昔より受け継いできた伝統と風習に強くとらわれすぎているけらいがある。
我々と知り合い、語り合ったことや、逃亡生活での経験で得た、これまで感じたことのなかった考え方や文化、土地柄の多様性を、ジュロクに学ばせたい。そして、既成の概念にとらわずに部族を率いることのできる族長になってもらいたいと考えるようになったという。
そのうち、ヤンを婿として迎えに行くから、覚悟しておけ、とも言った。
帰路の空は、澄みあがっていた。
部族の者総出で送り出してくれ、これも、あれも、と積み込まれる土産を遮り、再会を約束して出発した。
「おまえ、言うこととやってることが全然違ってたじゃねえか。」
しばらくして、馬を寄せながら、セリカが茶化したように言った。こどもをかばった件だ。
「どうとでも言え。今回ばかりは、何を言われても反論はせん。」
我ながら感情に任せた行動は、自嘲すべき類のものだった
「・・・ま、おまえがやってなきゃ、おれがやってたまでのことさ。おれも、みてられんかったしな。」
「今回のことについては・・・感謝している。」
目をそらしながら、言う。耳が赤くなってたかもしれない。
「おやまぁ、いつになく、殊勝だな。なんか、悪いもんでも食ったか?」
「おまえと一緒にするな。」
「失礼だな。繊細な俺に向かって。」
いつものように、セリカがおどける。
「繊細、という単語の意味を吐き違えてないか? 言葉は正しく使え。」
「てめぇ・・・。」
数瞬の沈黙を置いて、笑い声が上がった。
「な〜に、二人でほくそえんでんだ!おれもまぜろ〜!」
ヤンが強引に間に入ってくる。
「わ、ばかっ!」
バランスを崩して、馬から落ちそうになった。
薄い水色の空は、蒼い風に白い雲をたなびかせながら、どこまでも続いていた。
〜ENDE〜
*追記*
この話に出てきた草原の風習・団体・動物・飲食物などは、その間の雰囲気をあらわすために記した、現実の世界に即したオリジナルの設定です。SWの国・ミラルゴの正式設定ではないということを明記しておきます。
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