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No. 00018
DATE: 1998/06/25 04:45:24
NAME: アジハル
SUBJECT: はじめの一手
その晩は蒸し暑く、夜半を過ぎて小雨が静かに降り始めていた。
治安のゆきとどいた街とはいえ、このオランにも法の光の及ばない、陰とよべる部分がある。ここ「妖魔通り」を含む裏町の一帯がそれだ。
建物は古く、掘っ立て小屋も多い。無数にある路地裏では、路面は常に濡れており、周囲の壁には所狭しと張り紙が貼られている。
ある賞金首の盗賊についての張り紙の下、こんな陋巷にあって店を広げる
者がいた。とはいっても、布をかけたテーブルを置いてあるだけの粗末さであったが。
立て看板には、「星詠みの館」とある。
テーブルには占い師が、ターバンと頭巾で顔を隠し、うつむき加減に座っていた。それは静かなたたずまいだった。
そこを通りかかった猫はしかし、唸り声をあげた。強烈な殺気を感じて。
男はゆっくりと顔を上げる。双眸が、そらおそろしい光を放っていた。
「・・・おのれ!」
アジハルは自分の内に御しきれぬ怒りを覚えていた。
「なんと口惜しいことか・・・冒険者風情に、わが兄の神刀をいいようにされているとは」
だが、限られた時間の中、自分が何を優先すべきなのかはわかっていた。
一刻も早くルシフェラースという男と接触し、聖杯の在処を聞き出さねばならない。長老からいいつかった、自分の使命であるがゆえに。
部族の命運がかかっているのだ。
だがわかってはいても、わき起こる感情を抑えられなかった。
「このままでは部族の、否、一族の『誇り』は傷ついたままだ。やはり、刀
は取り戻さねばならぬ。・・・リヴァース!」
だが、故郷から誰か暗殺者をよこさせるのは、今の部族の状態からすれば無理だった。まして、私怨ともいえる事情に人員を割くわけにもいかない。
やはり、私自身の手で・・・
しかし奴には大勢の仲間がいる。
アジハルはしばし、思案をめぐらせはじめた。
「おじさん、怖い眼して何考えてんの?」
「・・・ぬ?・・・・・」
アジハルは思考を中断した。
目の前に、金髪の少女が立っているのに気づいた。
機能性の高そうな身体にぴったりのレザーを着込んでいる。まだ十代のようで、若く愛想のいい笑顔をアジハルの方に向けていた。
「・・どういうことだ? 女子が真夜中に、かようなうらぶれた場所を歩いているとは」
アジハルは油断のない目つきを少女に向ける。
「そんなにおかしいかな? あたし、たまにこの辺に来るのよ♪ だめって云われるから、来てみたくなるのよぅ」
砂漠の男はしばらく彼女を凝視していたが、やがて口を開いた。
「・・・ふん・・・愚か者の単なる好奇心か。だが、そういうマネは以後
自粛した方がいい。関わらなくていいものに首を突っ込んだおかげで、命すら失うことになった奴を多く知っている。
・・・近く、そんな人間がまた増えるだろう」
「えへ? そう? 」
アジハルは、すでに興味をなくしたという風に横を向く。
「で、あたしはキューヴってゆんだけど・・・おじさん、占い師なんでょ?
ひとつ、何か、占ってくれない?」
「・・・帰れといっている」
「なんで?」
「さっさと消えろ。じき、雨が強くなってきそうだ」
「客に帰れ、ってのはないんじゃないかなぁ?」
「・・・・そうだったな」
気分のせいで、つい手荒に扱いたくなったが、平常砂漠の民はできるだけ
穏便に街の風景に溶け込むことを望む。アジハルもそれにならった。
雨は少しだけ勢いを増した。路地裏の頭上にある、隣の建物のひさしは、パタパタと音をたてはじめた。
「カードか、水晶か。それとも壺かな?」
「カードかなあ」
占い師は懐から札の束を取り出した。
「して、何を占う?」
「もちろん金運♪」
(俗な・・・)アジハルはため息をかくして札をテーブルを伏せていった。
「『金貨を噛む商人』だ。汝には今日明日のうち、よい金儲けのチャンスがおとずれるであろう」
云って、自分の顔の前のカードをくるっと裏返し、札の絵柄をキューヴに見せた。
キューヴの方は、眼を盛んにぱちぱちしていたが、唐突にけたたましく笑い出した。
「あぁーはははははは!! やっぱり、占いって信用できないよぉ。ウソ八百並べたてちゃってぇ」
「運命は存在する。私があやまっているというのなら、それはその読み方を間違えただけだ。根拠なくやっていることではない」
彼女はアジハルに不満そうな視線を向けた。
「だって、全然全く大ハズレだもの。あたし、ちょくちょくお金もうけのネタを探してるのに、見つからないんだよ」
「・・・・・」
いやまて。
この場面で、砂漠の男の頭にひらめくものがあった。彼の信条にはいささか外れたものであったが・・・
「なんかすけべーそうな奴からの誘いはいっぱいあったけど・・・いつもダッシュで逃げてた。まさか、それがいい儲け話ってことはないでしょ?」
「そうか。金のために何でもする、というわけでもないのだな」
その声は、落胆と安堵の混じった調子になっていた。
「いや、大概のことはしちゃうよ。あたしって悪い女だからぁ、お金の魔力には勝てないの」
テーブルの上を片づける手がつと止まった。
「・・・法に触れるようなことでもか?」
「気にしないよ(笑)人の迷惑顧みず、ってやつ、得意」
そして二人の間に、しばらく沈黙が下りた。
(・・・この娘、どこまで本気なのかはわからぬが、この様子が奴を油断させることになるやも。いささか稚拙で、後味の悪いやり方だが、効果はありそうだ。・・・)
彼は口を開いた。
「娘、私の方で頼みたいことがある。報酬は高い」
「そんな気がしたんだぁ、へへっ」
キューヴは愉しそうな笑みを浮かべた。それは何とはなしに妖しかった。 アジハルはちらと、頭上のひさしを見る。
「・・・雨が強くならないうちに、帰れといったのに」
そう云って、不気味に笑った。
特別調合したゾンビ・メーカーを持たせ、仕事の内容を伝えると、キューヴは不満の色もなく闇の中に消えていった。
雨の中を走り去る彼女の後ろ姿をながめつつ、アジハルは考える。
上手くいくであろうか・・・いや、いかずともよい。そうなればこの手で
報復が行えるということもある。
これははじめの一手だ。奴に恐怖を抱かせられればそれでいい。・・・常に自分を狙う影がいることを認識し、さぞおびえるだろう。
そしていつか、その恐怖づらに刃を埋め込ませられれば・・・最高だ。
クックック・・・
雨は激しさを増し、いつしか雷鳴が轟き出した。
(了)
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