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No. 00032
DATE: 1998/07/07 01:28:44
NAME: アジハル
SUBJECT: 真夜中の折衝、そして・・・
深夜、雲間から月が顔をのぞかせていた。
オランの街はすでに寝静まっている。
そんな中、路面に靴音を響かせて町並みを駆け抜ける一団があった。
「本当にこっちなんだな、シェリル?」
後ろを振り向きざま、そう云ったのはハーフエルフの盗賊、ウィル。
同じく盗賊のシェリルは緊張した面もちでうなずく。
「うん。あの女が吐いた情報ではそう。…もちろん、確実には信用できやしないけど」
黒衣の騎士、ゼザはすでに先頭を切って目指す敵の住処へと疾っていた。
彼の脇では、妖精のプリムがウィスプを召喚し、一行の灯りを確保している。
そして最後尾では、黒い髪のリヴァースが思案げな顔をして後に続いていた。
悪意の砂漠から来た男、アジハルが酒場「きままに亭」で蛮行を働いたのは
二時間ほど前のことだった。彼はルシフェラースという少年と、リヴァースの
持つ刀を手に入れることを目的としていた。その完遂のために、あろうことか
酒場の看板娘、スノーを人質にとったのである。
そのまま彼は酒場から逃亡。スノーを取り返さんとする者たちによる、追走がはじまったのだ。
ウィル、ゼザ、プリム、リヴァース。
一行は、独自の逃走経路を駆使するアジハルの姿をいったん見失いはしたが、
後から合流してきたシェリルの掴んだ情報によって、砂漠の男の根城が裏町
の一角に在ることをつきとめたのであった。
「無事でいてくれ…スノー!」
絞り出すような声で、ウィルは云った。
「おそらく、奴は落ち着ける場所に着いたら、それ以上逃げはすまい。人質を
とっている以上、我々との接触を待っているはずだ。何であれ、このように
卑劣な手段を使う賊を、許すわけにはいかんが」
ゼザにいつもの穏やかさはなかった。冷たい口調で言い放ち、剣の柄を持つ手に力を入れる。
「もう、この辺りから裏町に入るわ」
シェリルの云うとおり、通りの風景は薄汚れて雑多な町並みに変わりはじめ、
月の光さえも遮られてくるようだった。
パーティーは夜の裏町の迷路めいた路地裏にあって、時間を取られてしまっ
ていた。根城であるらしき建物の番地はわかっているものの、現在の位置を
知るのにも苦労していた。
「こっちは行き止まりだ…やはりさっきの、娼館の手前の道を行くべきだな」
その時だった。盗賊二人の研ぎ澄まされた感覚は、こちらへ近づいてくる者の存在に気づいた。
「誰っ!?」
シェリルとウィル、二人が素早く振り向くと、あとの者もそれにならう。
しかし、暗がりから現れたのは、予想に反してーー少年だった。
金の髪と同じ色の、いくぶん怯えた瞳。 黒いタンクトップに身を包み、
メイジ・スタッフを手にしている。
「ル、ルシフェラース? なんでこんなところに…」
シェリルが云うと、リヴァースやプリムも驚きの視線を投げかけた。
「もしかして、おまえも加勢しようというのか? 止めておいた方がいい」
「そうです☆危ないよぉ」
全員が、口々に帰るように警告する。
だが、このソーサラーの少年は頑として聞き入れなかった。
「あの…僕が来ても、足ひっぱるだけってわかってるけど…あの人、以前から、
僕を探してたらしいんだ。なのに、僕だけ無関係のような顔してられないよ…
もう、何もわからないでいるのはいやだ。自分の眼と耳で確かめなくちゃって、そう思うんだ」
下を向いて語るルシファの肩に、リヴァースは手を置いた。
「云いたいことはわかった。好きなようにすればいい」
「いいの、リヴァース?」
他の者も、無言のうちに彼の決意を感じ取り、それ以上の反対をする者はなかった。
ゼザとウイルが早々と道を引き返しはじめ、それぞれも後を追いはじめる。
「ルシフェラース君って、なんで狙われてたんでしたっけ???」
プリムはそう呟いた。そして、ふと気づいて新たな疑問を口にする。
「そういえば☆ リヴァースさん、あの砂漠の人が出ていく間際、云ってまし
たよね?『スノーより、砂漠の血を引いている私を連れてけ』とかなんとか。
あれって、どーゆーことなんですか?」
リヴァースは一瞬動きを止めたが、そのままプリムの方は向かずに云った。
「その話は、後にしよう」
その布ばりの小屋は、通りを抜けていった先に開ける狭い更地の中に、場違いのように存在した。
そして今、その建物の前にアジハルは立っていた。
腕組みし、夜風に衣服をなびかせている。
傍らではロープで両腕と腰を縛されたスノーが、不安そうな顔をしている。
「…ふうう」
彼は深い息をついた。そして再び、先刻からしていたように中空に視線を泳がせた。
「おじさんっ☆ なんでこんなことするのぉー? こんなのやっぱりだめだよ
ぅ…今からでも謝った方がいいと思うなぁーっ。あたしからも云ってあげるから、ね☆」
スノーはぴょんぴょんと両足で跳ねながらアジハルに訴えかける。
「黙っていろ。ようやく掴んだ好機なのだ。わが執念の歯車を止めることは誰にもできん」
冷たいが、中には激情を内包している。そんな口調だった。
「え、そんなぁ…」
「私の本来の目的については、果たすめどがついている。だが、今を逃して、
わが兄の神刀を取り戻すことは叶わぬ。手段を選ばない覚悟が必要だったのだ。
…結果どうなるにせよ、答えは今夜出る。もはや、退けぬ」
スノーはうっすら涙を浮かべた。
「こんなのぉ、おかしいよ…なんとかしてぇ。ウィルお兄ちゃん…みんな…」
そして不意にアジハルは呟いた。
「…来たな」
路地の角を曲がって、追跡者の一段が姿を現した。
「スノー!! 無事かっ!!」
「ウィルお兄ちゃんっ!!」
二人が、お互いの名を呼ぶ声が、暗闇の空間に響きわたった。
ウィル達と、アジハルに捕らわれたスノーとの間には、二十歩ほどの距離があった。
アジハルは一行の姿を見るや、ぐいっとスノーを引き寄せる。
「こちらには人質がいる。全員、それ以上動くな」
そして、右手にはめられた刃「蠍の鋏」を月光に光らせてみせた。
「くっ、卑怯者め!」
いち早く抜刀していたゼザは、唇をわずかに振るわせる。
リヴァースが一歩、前に進み出て、声高に問うた。
「アジハル! 望みは何だ!」
「…ルシフェラースという男だが」
その声にルシファはびくりと身体を振るわせ、シェリルの背後に身を隠した。
「先ほど、酒場で観察してみて、奴が魔術師ということがわかった。ギルドに
当たってみれば、明日にでも奴の住処を割り出すことはできる。この件で、貴様らに期待はしていない」
しかし次の瞬間、アジハルは眼を見開いて叫んだ。
周囲の空気が振動する。
「だが、曲刀は間違いなく渡して貰う!!」
「…」
一行はしばらく緊張したままだった。誰もがリヴァースの返答を待っている。
彼は無念そうに首を振った。
「私という者にとって、この刀は愛刀以上の意味を持つ品なのだが…」
「リヴァース…」
リヴァースが腰から曲刀を外した時、ざりっという足ずりの音がした。
ゼザがアジハルに向かって一歩を踏み出したのだ。
そして二歩め。
アジハルはぴくりと眉を動かし、無言で刃を人質に近づける。
「ふぇ…☆」
(ゼザ! 奴を刺激するな、スノーの身が危なくなる!)
ウィルは、騎士の背に向かい、声をひそめて話かけた。ゼザも振り向く。
「ウィル、奴の云うことは単なる脅しだ。スノーを殺せば自分がどうなるかは、
わきまえているだろう」
ゼザは冷静な、あるいはそう聞き取れる声で云った。
(もし、奴が本気ならどうする!)
「ここから一気に走れば、奴も逡巡するはずだ。私と私の剣、グラムドはそのスキを見逃さない」
「ちょっと、危険すぎますよぉ」
と、これはプリム。
「悪漢の好きにはさせられん。それに、わかっているか。奴のような男をこのまま逃すことが、後にどれほどの禍根を残すことか。ルシフェラース少年の命も危うくなり、新たに巻き込まれる者も出るかもしれん。ここでけりをつけねば」
(それは、スノーを犠牲にしてでもと云ってるのか!?)
「そうは云っていない」
ウィルはゼザの鎧の肩に手を置いた。
「やめろ…やめてくれ。その冷徹な口調、いつものお前じゃない。俺の知ってるお前なら、そんなことはしないはずだ」
ゼザは黙ってウィルの顔をみつめた。
「早くするのだ!」
アジハルの声が飛ぶ。
ゼザは殺気の籠もった眼で賊をにらみつけた。
「お兄ちゃん…みんな…」
スノーは潤んだ眼を向けている。
リヴァースが口を開きかけた。
その時だった。
固まって動かないでいる一行の間をぬって、アジハルの方におずおずと歩み出る者がいた。
それは、ルシフェラースだった。
「だめぇっ、危ないですっっっ☆」
プリムが声をかけるが、少年は歩みを止めようとしない。
「おじさん…スノーさんを傷つけたりしたら、僕、絶対何もしゃべらないよ。
スノーさんを離して。…代わりに、僕の身柄を渡すよ」
その言葉に辺りは静まり返った。
「僕を連れて逃げればいい。みんなに好かれているスノーさんに比べれば、
人質としての価値は劣るかもしれないけど、おじさんにとっては僕の価値は
大きいでしょう? 僕、知ってるよ…おじさんが、何で僕を探していたのか。
こんなことになっちゃったの、おじさんから逃げ回っていた僕の責任でも
あるんだ。僕の臆病さが、こんな事態を招いちゃったんだ…僕をどうぞさら
って。それで、おじさんの目的は達成できるでしょう? こんな争いはもう
終わるんだ」
そして、小さな声で付け加えるように呟いた。
「それに…おじさんは僕の姉さんを知っているみたいだし…それなら僕は…」
その、長い沈黙を破ってアジハルは云った。
「よほど、この娘が大事らしいな。確かに、汝の知るものこそ私の第一の目的
だ。汝がおとなしくわが元に来るというなら、これほど都合のいい話もない。
よかろう、汝と娘を交換してやる」
しかし、アジハルは続ける。
「だが、曲刀も一緒に持ってくるのだ」
「汚ねえ、最初の条件と一緒だろうが!」
「んもぅっ☆欲張りですね〜」
アジハルの要求に、不平不満が飛び出す。
「何とでも云え。この娘を渡してしまうと、刀を手に入れることが難しくなり
りそうだからな。…小僧に刀を持ってこさせるのだ」
有無を云わさぬ口調であった。
砂漠の男の要求は通った。
ルシフェラースは、曲刀を持ち、おずおずと歩を進める。
「ああ〜。ルシフェラースさんがぁ…」
その時、背後の冒険者たちの中に行動を開始する者がいた。
「プリムよ。ヤツがスノーを離したら、灯りとなっているウィスプを突撃させるのだ」
ゼザは、中空を漂うウィスプを顎で差して、云った。
「ええ〜っ。いいんですか?」
「あたり前だ。少年が身代わりになったところで、何も解決にはならん」
「あたしも協力するわ。このまま言いなりじゃ、寝覚めが悪いもんね」
と、シェリル。彼女は切れ長の眼はすっと細まっていた。
「ゼザ…しかし…」
「ウィル。スノーを保護するのはお前の役目だ。任せる…」
「…わかった」
皆の怒りを肌で感じ取ったウィルも、覚悟を決めたという風にうなずいた。
「ついにわが元に来るか…」
アジハルはぎらついた眼でルシフェラースを凝視した。
「おじさん、スノーさんを先に解放して。僕は逃げも隠れもしないから…」
「いいだろう」
アジハルは、スノーにかかった縄を解いた。
そして、軽くその背中を押す。すでに代替えのものは間近にまで来ていた。
彼は自然と笑みがこぼれるのを感じていた。
ついに、わが崇高なる使命を果たせるのだ。自分は部族を救った英雄である。
そして、と彼はルシファの持つ曲刀に視線を注いだ。
同時にわが兄の誇りも取り戻せられるというわけだ。
その時、アジハルはハッと気づいて顔を上げた。
光り輝く球体が、目前に迫っていた。
「ぐぉう!」
フードに覆われた頭部の辺りにウィル・オー・ウィスプは命中した。
にわかに辺りは濃い暗闇に包まれる。
その機を逃さず、ゼザは駆け出した。
「唸れ!!グラムト!」
ゼザは一瞬にして間合いをつめ、砂漠の男めがけ閃光のような斬撃を放つ。
この時、アジハルの反応が遅れたなら彼は胴を真っ二つにされていた。だが、
俊敏な身体的能力のおかげで九死に一生を得ていた。
しかし宙返って後ろに飛び退いたと同時に、腹部から鮮やかな鮮血がしぶいた。
「お、おのれぇ〜!」
彼は背をまるめて傷口を押さえながら、呪詛を吐く。だがその眼は、すぐに
周囲の状況をとらえるために動きはじめた。
「お兄ちゃ〜んっ、ふええ…」
「もう大丈夫だ。泣くな」
ウィルは、すでにスノーの身体をしっかりと抱きとめていた。
「もう絶対、あんな野郎に触らせねえ」
そして、抱きしめたスノーの頭越しに、憎むべき男の顔を鋭くにらみつける。
アジハルは彼から視線をそらした。
そして低く唸るような声を出しながら、次いでルシフェラースの所在を探す。
魔法使いの少年は、突然始まった戦闘に正体を失ったかのように、呆然と立
ちつくしていた。
その様子を見るや、彼は薄笑いを浮かべていた。
ゼザは相手の様子をうかがいながら、降伏を勧告した。
「観念しろ。その傷では、次は避けられまい」
だが、そう言い終えた時、アジハルの姿は闇に溶けるようにして消えた。
突然のことに、ゼザは戸惑った。
「これは・・・確か、精霊魔法の」
「ゼザ、インビジリティーだ! おそらく、逃げる気だぞ」
リヴァースが、後ろから声をかける。
「ええい、どこに隠れた!」
彼は走っていって剣を振るったが、それは空を斬った。
その頃、シェリルはルシフェラースの元に駆け寄っていた。
「無事でよかったね。じゃ、リヴァースに曲刀を返してあげてね」
だが、そう微笑んだシェリルの顔に、またたくまに緊張が走る。
「 … 」
彼女は無言のまま、さっと身をひるがえし、闇の空間にダガーを一閃した。
「ぐあああああぁぁぁ!!!」
次の瞬間、周囲に絶叫が響き渡る。
姿を現した賊は、眉間に深い傷を負っていた。血が流れている。
「これはごめんなさい」
シェリルは冷淡な調子で云ってのける。
「うぬぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜」
その場に膝をついたアジハルは、シェリルと、その背後のルシフェラースを
恐ろしい形相でにらんだ。両目から垂れてくる血が、まるで涙のように見えた。
リヴァースが、ゆっくりと彼らに歩み寄ってくる。
「ルシファ、曲刀をこっちにくれ」
ゼザがアジハルにとどめをささんと、駆け込んできたのはその時だった。
「こちらを向くのだ! 悪党!」
アジハルは振り向く。その顔に、無念の表情が現れた。
「く…」
ゼザの魔剣が、アジハルのフードに垂直に振り下ろされる。
その時だった。
ガキィィィィン。 頭蓋が割られる鈍い音ではなく、響いたのは、剣戟の
高い金属音だった。
「…何故だ? リヴァース」
「そんな…何で…」
受け止めたのは、曲刀だった。リヴァースが割って入ったのだ。
「アジハルを殺されると、困るんだ」
彼は剣の重さに顔をしかめながら、続けた。
「私にとって、出自を知るための手かがりなのだ、この男は。死んでもらっては困る」
そんなリヴァースに、何より意外な視線を向けていたのは、他ならぬアジハルだった。
「出自だと…ふざけるな。それに、私は貴様を…」
ふざけるな。アジハルはもう一度繰り返した。
スノーを抱いたウィル、プリム。全員が集まってくる。
誰も、口をきかない。
沈黙を破ったのはルシファだった。
「あの、…僕、みんなの誤解を招くようなこと、云っちゃったかもしれない。
でも聞いて。この人、僕の姉さんのこと知ってるみたいなんだ。だから、それを教えてもらうために…僕、自分の意志でこの人に協力しようと思うんだ。つまり、この人についていこうって」
驚きの視線が彼に集中するなか、リヴァースがアジハルに云った。
「聞いてのとおりだ。おまえの望みは、かなったよ。彼を連れて、この場から去れ…そうだ」
リヴァースは、手負いの男に曲刀を投げてよこした。
「これも、くれてやる。だが、ルシフェラースは必ず、無事で返せ」
そのようにして、砂漠からの来訪者、凶事の運び手は去った。
「不可視」の魔法を使った時と同じように、闇に紛れて消えた。少年とともに。去る間際まで、彼はリヴァースから視線を離さなかった。
リヴァースは皆に、多くを語ろうとはしなかった。 が、彼自身はこの結果
を良しとしたようだった。彼が何に期待をよせているのかはわからなかったが、
シェリルたちも、無言のまま従った。
ゼザは夜空を見上げてシルビアを思い、プリムは温かな寝床を思った。
安心しきったスノーは、いつのまにかウィルの腕の中で眠りこけていた。
ウィルはその髪を優しくなでた。
朝が来れば、再びそれぞれの日常がはじまる。平穏な一日が。
今はただ、そのはじまりを待とう。そうリヴァースは思った。
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