No. 00049
DATE: 1998/07/23 20:10:08
NAME: リヴァース
SUBJECT: 深淵(やみ)に砕ける白い月
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昼ごろ、セリカの元から自分の宿に戻ってきたシェリルが見たものは、開け放たれたリヴァースの部屋のドア。
中を覗いてみると、初夏を告げる強い日差しが部屋に降い注いでいた。
そして、住人の姿はどこにもなかった。最初はいつもの、お気に入りの場所にでも出かけているのだろうと思った。
しかし。
しわ一つ無くきちんと整えられたベッド、チリすら落ちていない床に、風がふらりと迷い込んでいた。
そう、まるで最初から、そこにはだれもいなかったかの様に…。
シェリルは全てを理解した。
「なんで・・・っっ」
うめくように彼女は声を絞りだし、その場に座り込んだ。
ひとつだけ、床に何かが光っているのに気がついた。
小さな宝石の、ペンダント。
石は、魔晶石だった。古代の魔術師を内に住まわせたセリカが、ラムリアースへ去る間際に、自分の精神力を使って作り、リヴァースに渡したもの。
「バカ・・・っ」
呟きに答えるものは、沈黙のみ・・・
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いつもの西の高台のもとで、つかの間の休息をとる。
樫の大木に抱かれるように、張り出した根を枕にして、うとうととまどろむ。ここでは、風や、木々や、草花や、土や、水が、自分を護ってくれていそうな気がする。
夜な夜な襲ってくる、例の悪夢のせいで、夜はまったく眠れない。いや、強烈に眠く、意識は容易に闇に沈むのだが、夢が精神をむちゃくちゃにかき回して、まったく眠った気になってくれない。それどころか、夜眠ると、余計に消耗してしまう。
もう、何人殺しただろう。何人に殺されただろう。夢の中で。
最初は、過去の記憶。虐殺、飢えと渇き、拷問、そして、孤独・・・。
そしてだんだん、今、現在顔を合わせている人達を、破壊し、破壊されるようなものに、遷り変わっていった。
ある時は、大切になってしまった人を手にかけて、断末魔の悲鳴を耳にしながら、その人の胸をゆっくりと切り開き、鮮血の流れる心臓を取り出して、血だらけになりながら、笑ってそれを食べる自分。
またある時は、信頼した人に、その手に持つモノで切り刻まれて、めちゃくちゃに犯されて、体を侵食されて、徐々に発狂していく自分。
あまりに生々しい夢が、精神に負担になって、気持ちが悪くて、食べたものもすべて吐き戻してしまう。
睡眠不足と栄養失調で、もはや歩くのもやっとの状態だった。
そんな中、一度だけ、全てを忘れて眠ることができたときがあった。
シェリルが自分に関する周辺の厄介事をかたづけて、同じ宿に戻ってきたとき。酒場で見た、ただならぬ様子のリヴァースの身に、何が起きているのかを問いただそうと、部屋を訪れてきたのだった。
リヴァースは、なんでも無い、と追い返そうとした。しかし、振り払ったはずみにおきた貧血で、目の前が暗くなり、そのままシェリルの元に倒れ込んで、意識を失った。
心配し、狼狽するシェリルの膝枕の上で、寝息を立てるリヴァース。
シェリルはそのまま動けなくなった。
膝の上で、リヴァースはうなされてはおらず、むしろ安らかそうであった。 その顔を見て、もはやシェリルは、問いただす術を失ってしまった。
普段から、人をにらむように見る為、きつい印象を与えるリヴァースの目。しかし、眠ると目尻が下がって、子供のような印象になる。思わず、かわいいかも、と考えてしまった。身じろぎすると、碧のつやのあるさらりとした、やわらかい黒髪が流れ落ちる。
このひとっていったい、何歳なんだろう…?
ふとした疑問が、シェリルの心に湧きおこった。
考えてみれば、自分はリヴァースについて、なにもしらない。自分の過去についてはいろいろ教えてしまったのに、このひとはなにも自分について語ってくれてはいない。出身も、年齢も、本当の名前すらも。
こんなに体は近くにあるのに、この人の心はどうしてこうも遠いんだろう・・・
そう考えながら、いつしか自分も、うとうととまどろみはじめていた。
唐突に意識が戻った。
自分の頭が、人の膝の上にあることに気がついて、リヴァースは慌てて飛び起きる。
シェリルは、リヴァースがが身じろきした瞬間に目を覚ましていて、気がついた彼に、にっこりと微笑んだ。
しばらくは、あまりにばつが悪くて、リヴァースは何も言えなかった。耳だけが、赤くなっていた。
「少しはゆっくり眠れたみたいで良かった。」
「...悪かった。忘れてくれ。」
ふぃ、と目をそらした。
「リヴァースが忘れてほしいなら、そうする。」
もういちど、シェリルはやわらかく微笑んだ。
返す言葉は何も無かった。
ふと、これほど長時間他人に接触していて、何とも無かった自分に気がついた。接触恐怖症がでてこなかった。
・・・それだけ、彼女には気を許してしまっているということか。
それは、少なくとも今の状況では、リヴァースにとって、決して好ましいことではなかった。
「さっさとでていけ...」
他に言うことが見つからなくて、突き放したように言う。
「足がしびれてて、立てないんだけど?」
座り込んだ姿勢のまま、にっこりとシェリルが笑う。
1時間あまりも、膝に重りを乗せて正座していたのだ。血管に血がたまって動けなくなって当たり前である。
リヴァースは、ただ、気まずい表情を浮かべるしかなかった。
それから毎夜のように、シェリルは部屋に訪れてきた。
するのは差し障りの無い世間話ばかり。しゃべるのはもっぱらシェリルのほうである。リヴァースは、ベッドの上で膝を抱えたまま放心したように、話を素通しに聞いてるだけだった。しかし、眠るわけにはいかない今、彼は、シェリルの来訪を、心のどこかでありがたいと感じていた。
しかし、シェリルのほうでは違っていた。
まったく改善しそうに無い彼の状況に、彼女の心配は募っていく一方だった。あたりさわりの無い話をしながら、内心、自分に何も話してくれようとはしないリヴァースが、そして力になれない自分が、もどかしくて、しょうがなかった。
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夏の光を受ける、濃い緑の葉の下。
ふいに木陰を遮る影が現れた。
男は、無防備にまどろむリヴァースを蹴り起こす。
貴重な眠りを邪魔されて、意識の戻ったリヴァースは不機嫌そうに自分を起こした男を見上げた。
セリカだった。
10年程前に仲間だったことのある、尋常ではない身のこなしを誇る凄腕の戦士。
自分よりもさらに機嫌が悪そうに、こちらを見ている。
「何の用だ...?」
見下ろされつづけるのは気分が良くないので、体を起こしてふらつきながら立ち上がり、じろりと睨む。
「何の用か、だと!?・・・てめぇ、おれになんか言うことあるんじゃねぇのか!」
しばらく、睨み合いが続いた。
「...おまえに言うことなんか何も無い。」
不意に目をそらした。
「てめぇっ!・・・」
「ああ、一つだけあった。」
挑戦的に、セリカの目をもう一度睨む。
「・・・?」
セリカが促す。
リヴァースは口に笑いを張り付かせていった。
「お幸せに。」
「なんだとっ!!」
かっとなったセリカが、ガッ、と胸座をつかんでくる。自分とは違う、固い、戦士の腕。
瞬間、寒気が背筋を走る。ぞっとする。いつもの、接触恐怖症。
「放せ!!」
激しくもがく。
「・・・おれが何も知らないとでも思ってるのか! あのくそヤローがきてんだろーがっ! なんで何も言わないんだ!」
振りほどいてから、はっ、と気がつく。
「あの...やろう...?」
...まさか...まさか...
もそり。
恐怖が首をもたげる。
そしてそれが、心のあちこちから、無秩序に沸き上がってくる。
「お前! あいつのせいで、おれは、マジにお前に殺される夢を、何回も見てんだ!!」
...歯の根が、かみ合わなくなる。背筋から血が引く。顔が蒼白になる。息が、断続的に荒くなる。足が痙攣し、立っていられなくなって、とさり、と木にもたれかかる。
「なにが、お幸せに、だっ! 俺が、どんな精神状態でシェリルを護っていたかが分かるか? ズタボロだったんだぞっ!!」
心の中で、何かががらがらと、砕けた。
崩れた心の内側から、声が這い上がってくる。すべての元凶となった男の・・・
【オマエノ感情ノ精霊ハ、自分ガ傷ツクヨリ、自分ノ大切ナ者ガ壊サレタトキ、ズットイイ色合イニ染マル】
【ダカラ、オレハ、オマエガ人ヲ愛スルタビ、ソノ者ヲ一人一人、壊シテイッテヤロウ】
絶対的な恐怖が沸き起こる。
自分が深淵に堕とされていくのが、感じられた。
「...ぁ...ぁぁ...」
声にならないうめき。涙のでなくなった目に浮かぶのは、絶望の色。
悪夢の原因。やっぱり、単なる偶然なんかじゃなかった。
昔から夢に苛まれる性癖があったのは確か。おかげで、よほどのことが無い限り、夜は短時間の熟睡のみをする眠り方が身についていた。
そう、夢を見ないよう様に。
...ナイトメア。悪夢の呪い。
悪しき夢の精霊を操ることができるようになるのは、通常の者にはまず不可能である。炎や風の上位精霊以上に、気紛れでプライドが高く、把握されがたい精霊。この大陸の精霊使い全てを集めても、サキュバスたちを扱えるのは片手の指ほどもいないはずだ。
しかし、自分達とは比べ物にならない、悪魔的なまでの力を持つあの男。彼にならできる。
もう、自分に言い逃れはできない。
まちがいなく、彼だ。
・・・ラーフェスタス。
自分の兄弟子。一個軍隊に匹敵するまでの力を持つ。圧倒的な精霊への支配力を持ち,天才の名をほしいままにしていた。破壊と妄執に心を魅せられたエルフ。
わたしの精神を、感情の精霊に喰わせて、実験体とした彼。
異常なまでに自分に執着し、妄執をたたきつけてきた彼。
故郷も好きな人も、自分から全てを奪い破壊した彼。
人と接触することへの恐怖感を刷り込んだ彼。
わたしを、泣くことすら、できなくした彼。
そして…わたしが全ての人を愛せなくした彼。
その男が来ていることに、心の底ではとっくの昔に気がついていたのかもしれない。しかし、それを認めたくなかった。
認識してしまえば、もうオランにはいられなくなるから。
一時でも長く、彼を忘れて、居心地のいいこの地に居たかった。だから、彼が来たという可能性を封じ込めて、単に昔の悪夢を見ているだけ、と信じ込んで逃げていた。
おそらく、彼は、集中を途中で解くなりして、術を不完全なものにしていたのだろう。悪夢の精霊そのものの力は、認識できるほど大きくはなかった。だから、夢は自然に襲ってきたものなのか、サキュバス達のものなのか、判別つかなかったのだ。
呪いの達成は,どうでも良かったのだろう。ただ,夢により、自分が苦しむ。それが,その男の望んだこと。
最近の、不可解なまでに、人を拒絶するリヴァースの態度。それは、夢に苛まれていることからの、精神の不安定による八つ当たりだけでは決してなかった。
彼が来ているという潜在的な恐怖による不安。そして、無意識に、これ以上、他人を自分に関わらせまいとする防御作用。
そのラーフェスタスが、自分に宣言したことを実行するかのように、リヴァース自身のみならず、まわりの人間に矛先を向け始めた。
セリカが、ナイトメアに苛まれていた。それが、何よりの証拠。
セリカは、昔仲間だったとき、一度ラーフェスタスに襲撃されたときに、彼を目にしていた。
(コワイ、イヤダ...)
心の奥底のもっとも深い所に、固い殻の中に封じ込めた自分。外からは決して覗き見られることのないその中身。傷つくたび、喪うたびに、その殻は、分厚く硬く、そして脆くなっていく。
その中身は、ちくり、ちくり、と蠢き、誰にも分からない所で、もがきながら主張する。
(イヤダ、イヤダイヤダイヤダイヤダヤダヤダ...)
もう、これ以上、セリカ達を自分と関わらせるわけにはいかなくなった。彼はこの地で、過去を清算し、新しい幸せを見つけ始めている。
それを、まったく関係の無い自分の過去の亡霊に、ぶち壊しにさせるわけにはいかない。
『人にお節介を焼いている暇があったら、さっさと自分の厄介ごとを片づけろ。...回りを巻き込んで、後から後悔するような羽目になってからだと遅いんだ。』
いつぞや、セシーリカに言ったこと。それは紛れも無く、彼女を通して、自分自身に向けた言葉だった。
「お前がどうなろうと知ったことじゃない...」
冷たく言い放つ。
何とか、セリカ達を突き放さなければならない。
嫌われなければならない。
自分との関わりを断たせなけれならない。
もうこれ以上、近づかれるわけにはいかない・・・。
「お前が襲われたのは、お前自身が油断してたからだ。自分の力が足りないからだろ? 手前の不甲斐なさを、こっちに八つ当たりしてくんな。」
不敵な面で、セリカにいった。
さぞ、腹立たしい言い様に聞こえたことだろう。相手のせいでこんな目にあってるのに、自分の落ち度のような言い方をされて。
一旦腹を括ると、こういうことにばかり、口は動く。
「無責任な奴め・・・・。いつまでも逃げ回っていたら、ケリなんぞつかんぞ!」
セリカはそう続けてきた。
「よけいなお世話だっ!...もう、ほっといてくれっ!!」
顔を振って、声を荒げた。
「・・・・・。
アホか。意地っ張りなくせして、人一倍、寂しがりやの癖に・・・。」
なんとか突っぱねようとする言葉に、更に踏み込んでくる。こいつのそんなところが嫌いだった。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさーーーーいっっっ!!」
頭を抱え込んで叫ぶ。
しかし、すぐに気を取り直して、顔を上げ、一見吹っ切れた顔を返した。
「...ま、どうとでも言うがいいさ。おまえがどうなろうと、わたしには関係ない。」
「まて・・・おれとおまえの信頼関係ってそんなもんだったのか・・・?」
とうとう、セリカの目が怒りに揺らいだ。
「はなっから、そんなものはない。」
「・・・・・!」
バシッ・・・と、高い音が空気を割いた。セリカが、リヴァースの頬を平手で打った音だった。
「いいかげんにしろっ!!」
息を荒くして怒鳴るセリカに、リヴァースは、顔を上げた。普段からきつくみせている黒曜の瞳に、更に光を湛えて、キッと相手を睨み付ける。
「...殴れば黙るとでも思ってんのか! 大体おまえみたいないいかげんな奴、信用なんかされてるわけがないだろ。...思い上がるのもいいかげんにしろ!!」
本当に言いたい言葉はどこへいってしまったんだろう。
どうしていつも、心にも無い言葉ばかりがこう、すらすらと出てくるんだろう。
「しっかりしろよ・・・」
リヴァースの逆走を見すかしたように、セリカの口調が戻る。しかし。
「おまえなんかが、これ以上、わたしに、踏み込んでくるなーーっっ!!」
でてくるのは、全てに対する拒絶の言葉。
これで終わりにしてくれ!!
そう思って、血を吐く思いで叫んだ。
「.....っ!?」
反応は、逆だった。
そのままセリカはリヴァースの腕をつかみ上げ、顎を固定して顔を寄せる。
意に添わない言葉ばかりが出てくるリヴァースの唇を、自分の口で塞ぐかのように。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。次いで沸き上がる、寒気と嫌悪と不快感。あの男が自分の体に刻みこんだ、人と触れ合うことへの恐怖が、こんなときにも現れる。
「!!・・・ぐっ・・・は・・・」
セリカのうめき。
気づいたときには、相手のみぞおちを力一杯蹴り上げていた。
「・・・ナニ考えてるのかは・・・分からんけどさ・・・しっかりして・・・くれよ・・・頼むから・・・」
上腹部の衝撃をこらえてなお、リヴァースの動きを捉え、耳元でセリカが言う。
セリカは更に腕に力を込めてくる。
鳥肌が全身に現れ、吐き気が込み上げてくる。腕を振り解こうと、もがく。
暴れた際に、足元の根に躓いた。ふたりで地面に倒れ込む。
どのくらいの時間が立ったのか、それともほんの一瞬だったのか・・・
すべての時が緩やかに流れているように思えた。
初夏の青緑の草がシルフに吹かれて、揺れた。
強い意識がその秒針を戻した。
セリカが上に覆い被さる格好になって、リヴァースは押え込まれていた。
「放せ...っ!!」
「放さん!!」
またあの嫌悪感が全身をまとわりつく。
跳ね除けようとして、渾身の力を込めて、振りほどこうともがく。
「・・・力でおれにかなおうってのか!」
体制の不利もあり、びくともしない。
髪が乱れて頬にかかる。
カタカタと、歯の根が震える。
ふいに、新たな恐怖が湧き起こった。
「おまえも...あいつと...あの男と同じなのか...?」
不快感の中、荒い息のあいだから、やっとの思いでそういった。
「!・・・何が!」
自分に妄執を叩き付け、打ちのめしつづけるあの男の微笑が浮かぶ。
「もう、わたしに...執着しないでくれ...っ
...こんなの、あいつと、一緒じゃないか...っっ!!」
その言葉が、重い槍となって、セリカの心をえぐり貫いた。
セリカの顔が悲しみに歪んだ。そして・・・目から零れ落ちる滴。
それをみて,心臓を握りつぶされたような気がした。
「違う・・・。」
セリカの呟き。
決して言ってはならないことを口にしてしまったのを感じた。
過ぎし日に仲間だったあの2年間でも、オランで再会してからの間でも、ついぞ見ることはできなかったセリカの涙。たとえ心の中に秘められていても、精霊の動きとして悲しみを感じることはあっても、決して表に出されることのなかったその表情。
いつも飄々として、弱さを見せなかった彼がすきだった。・・・あこがれていた。
なのに、今、その彼に、涙を流させたのは自分。
勝手に刻んでいた偶像を、今、自分の手で、絆と共に、粉々にたたき壊した。
「だったら,さっさと放せ...」
それでも,このごに及んで,出てくるのはこんな言葉だけ。
「少しは信頼しやがれ・・・」
そうつぶやいて、セリカは起き上がってリヴァースを解放した。
そのまま、顔をそむけ、背を向けて去っていった。
「...シェリルを頼む。彼女に居場所を作ってやってくれ。」
小さくなっていく背中に目をむけずに、リヴァースは最後にそう呼びかけた。
返事はなかった。
草木がただ、シルフの吐息に揺れ、サラサラと音を立てていた。
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過去の亡霊は、恐怖は、立ち向かわなければいつまでたっても追いかけてくる。
いつかセリカが言った言葉。しかし、自分にはそれに相対する力も勇気も無い。できるのはただ逃げるだけ。そして今も、また、大切になってしまったものを喪って、逃亡するしかない自分。
行く先に何が待ち受けているのかなんて知ったことじゃない。ただ、今、ここから、逃げ出せられさえすれば・・・もうなんでもいい。
本当に強く、うらやましいのは・・・
アーディの、恐いもの知らずな好奇心と未来への可能性。
ゼザの、一つのものにかける信念。
カールの,常に人を思いやれるこまやかさ。
ルビナの、他人を幸せするために浮かべられる笑顔。
ハースニールの、現状を打開する時に見せる論理的な思考。
スノーの、自分を幸せだと思うことのできる素直さ。
ウィルの、大切なものを見定め、それだけを護ろうとする姿勢。
ルフィスの、変わっていく心。
プリムの、他人を分かろうとするための、おせっかいなまでの気遣い。
シルビアの、一途な思い。
オーライル神父の、全てを受け入れ、包み込んでくれる微笑。
ヤンの、自分の内側全部を隠さずに広げ、人を安心させてくれる明るさ。
「熟練の冒険者」
「優秀な精霊の使い手」
「高慢で、人と馴れ合わない奴」
「口の回る、抜け目の無い奴」
人はなんて、表面的なことしか見てくれないんだろう。
そう、自分はただの・・・
オクビョウモノ。
樫の大木の下に、糸の切れた操り人形のように座り込んだ。膝を抱え込んで、顔を伏せる。髪を揺らすシルフの囁きも、もう聞こえない。
「...ぅ..ぅぅ.....ン...っ」
抑えられない鳴咽がこみあがってきた。
胸の中が痙攣している。
しかし、涙は出てこない。あの男の幻影は、こんな時にも、泣く事を許してはくれない。
一時でも、たとえほんの少しでも、内に渦巻く感情の奔流を、涙と一緒に外に流してしまえるなら、どれほど楽だろう。
しかし、沸き上がってくる打ちひしがれた思いは、噛み殺して、心の奥に飲み込むしかない。
あまりにもそれが大きくて、ため込んだ心の内が、張り裂けてしまいそうだった。
【今ノオマエハ、イイ色合イニ染ッテイル】
心の底にある恐怖の声が、きこえてきた気がした。
『なぜオレがあんたやカールに頼らなかったかも考えろ!
その心が解らない者がガキというなら、あんたは誰よりも「ガキ」だ!!』 一人で自分の問題を片づけに行き、傷ついて戻ってきた彼に与えた言葉に対する、激しいルフィスの反応。
リヴァースは彼がもっとも怒るであろう言葉を知っていた。あえてそれを彼に言い続けたのは...ルフィスが自分と似ていたから。彼の為したことと同じことを自分はするだろうという予感があったから。彼への悪態は、同時に自分に向けたもの。
リヴァースが彼に伝えたほんの小さな事実とその意味。それだけのことで、彼は信頼を自分に寄せてくれた。そんな純粋な彼が、自分と同じ深みに陥るのを、見たくなかった。自分と似ていただけに、それだけいっそう、彼が傷つくのを見たくなかった。
だから、言うことには容赦を加えなかった。
誰よりも、餓鬼なのは、自分。
彼は、恐怖に立ち向かった。
それに引き換え、自分は逃げまどうことしかできない、ただの子供・・・いや、それ以下の存在。
『オレに生き続ける道を歩ませるなら、お前にも生きていてもらわなければ困る。』
自分の生き死にすら関係ない。ことある毎に、そう口にする彼に、生きる理由を与えてしまったのは、こんなにも卑小な自分。
『オレのために生きろ!』
もはや、わたしはだれの為にも、何をすることもできない。ただ、自分を傷つける存在から、逃げるだけ。
『お前に何かあったら、オレはまた、生きる理由がなくなるのだからな。』
ああ、ごめんな、ルフィス。もう、どう答えて良いのか・・・お前にどういう言葉をかけていいのか、言葉の海が真っ暗で、わからないんだ。
そう、別れの言葉すら、闇が深くて見つからない。
ただ、おまえには生きていてほしい・・・。
『リヴァースの、ばーかーやろーーっっ!!』
心配の言葉を跳ね除けたときの、セシーリカの罵倒。
もう、なにが、愚かで、何が賢いのかも、分からない。
自分は、馬鹿にすら、なれない。ただの、臆病者。
「なんで、いま、居てくれないんだ...」
呟き。向けたのは、大気のような存在だった者。
感情や好意、仲間や恋人。そういった概念とは別の次元で、自分の存在そのものを支えてくれていた、いうなれば、手や足と同じ、自分の一部。
もはや、望んでもどうしようもない。それをもぎ取ったのも、同じ自分。居るときは、何とも思っていなかったのに、本当に必要なときには…いない。
あまりに息が苦しくて、窒息しそうだ。心臓が、失った空気を求めて、悲鳴を上げる。
体を両手で抱え込んで目をつむる。肩が震える。
あの男が姿を現した今、もう・・・一刻も早くオランを発たなければならない。
「いつまで...みている?」
不意に立ち上がって、誰ともなしに声をかけた。しかしそれを呼びかけるべき相手が、さきほどから確かに、その場に存在してたことに、ずっと前から気がついていた。
大木の陰から、いつから待っていたのか、一人の男が姿を現した。砂漠の凶影。野望の為に少年を連れさり,今、部族の命により自分を求めにきた男。
アジハル。
夜明け間際,酒場でひとり,悪夢のもたらす吐き気をこらえ,もがいていた自分の前に,曙光を背にその男は現われた。
アジハルは,自分を,同朋,眷属と呼び,同行を求めてきた。
「...この汚らしいハーフエルフが、栄光なる砂漠の眷族だと?
...求めること全て失敗でもして,頭がどうかしたのか? ...あるいは,あのときのでまかせを,信じでもしていたのか?」
リヴァースは弱々しいながらそういった。
スノーがこの男の凶手にさらわれようとした時,はったりで,自分が砂漠縁の者だと言った。自分の持つ,アジハルの狙う剣が,砂漠のものであったので,それには説得力があると考えたのであった。
残念ながら,どこへも行く気はない。貴様らに従う気はない。そう言うリヴァース。
「反論は無意味,腕ずくでもつれて行く」
と,アジハルは強気であった。
今のリヴァースが,1対1で争い,勝てる体力や気力はどこにもないのは,一目瞭然だった。
「だったら殺して,屍にでもして持っていくがいいさ。...食糧にすら,ならんだろうがな。」
すべてが,なげやりであった。意識が途切れ途切れであり,もはや,会話することすらつらかった。
アジハルは,失望を感じていた。何がこの男をここまで変えたのか。
減らず口を叩くリヴァースの顔を恐怖にゆがませて,刃を埋め込むのを,かつては夢想していた。それほど,彼への憎しみは大きかった。しかし目の前の存在の頼りなさは,まるで嬰児のようだった。
その男の前で,リヴァースの意識が闇に沈んだ。アジハルの相貌が,冷たく光った。
リヴァースは,曲刀の刃が,自分の首筋に当てられるのを,最後に感じた。
次に気がついたとき,まだ,首はつながっていた。目の前の机の上に,アジハルにくれてやったはずの,己の曲刀が置かれていた。
そして、今。大木の下でアジハルは,服の間から手を抜き,手のひらをあげてこちらに伸ばして,ただ,言った。
「来い…。」
その手を,取った。
自分を今の状況から連れ出してくれるものなら、何でも良かった。いくべきあてがあるのなら、どこでも良かった。
もう、オランの大切な友人達を、傷つけたくはない・・・傷つくのを見たくない。そして何よりそれを見て・・・傷つきたくない。
【オマエガ世界ヲ愛スルトイウナラ、オレハ世界ノ全テヲ破壊シテヤロウ】
心の深淵で蠢きながら、自分を羽交い締めにする、あの男の、声・・・。
【ソシテ、ソノ屍ノ上デ、オマエヲ抱イテヤロウ。・・・オマエノ気ガ狂ウマデ…】
宿の荷物を整理し、最小限必要なもののみを持つ。
日の昇る前の一番静かな時間に、砂漠の影と共に、オランの門を後にした。
行き先は不毛の地。衰えた水と大地の力。昼の灼熱と夜の極寒。わずかに残った生命力に、すがり付く生き物。何をもなさず、産まれてもすぐに他のものに食われて、荒れた砂以外に何も残らない過酷な地。
妄執に打ちのめされた自分が、全てを捨てて行くのに、これ以上ふさわしいと思われる場所はなかった。
すべての絆を引き千切ったのは、他ならない、自分。
何も残さずに。だれにも、何も言うことなしに。
あとは、去るだけ。
自分はあたかも、最初からそこには存在しなかったかのように・・・。
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(...タスケテ)
みえない殻の中身が,最後にそうしゃくりあげて、泣いた。
End So Far・・・
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