No. 00067
DATE: 1998/08/29 09:33:13
NAME: リヴァース
SUBJECT: 砂塵にけぶる青い月
&&&&&&&&&&&&& 砂塵にけぶる青い月 &&&&&&&&&&&&&
額から瞼、頬を伝いおちる汗。
目深にかぶった、クーフィーヤという白い布の奥から、リヴァースは深く息を付いた。
灼熱。空気が歪んで見えるのは、熱のせいか、それとも熱に浮かされた自分の方向感覚の狂いのせいか。
高く昇ってきた太陽を、うらめしげに、仰ぐ。
「休むぞ。」
先を行く男が声をかけた。
男は白いフードをかぶり覆面をつけ、肩からすっぽりと、白くゆったりとしたフェラジェを身に付けている。
布で体を覆うのは、その強烈な陽射しから自分の身を護る為。暑いからといって、むやみに肌を露出すると、たちまちのうちに皮膚が苛烈な陽光に刺され、やけどしたように真っ赤になってしまう。白い布の色は太陽の光をはねかえし、体内の熱をため込まない。砂漠の者が一様に皆、薄い色の布に覆われた格好をしているのも、むべなるかな、と感じる。
砂丘の影、容赦無い太陽の光から逃れられるそこに移動し、座り込む。日陰とはいえ、こもる熱からは逃れられない。砂が、熱い。
ナコッタに渡した魔法の道具が惜しく思われた。大気中の水分を自分の体に取り込み、乾燥から皮膚を守る事ができる、ウンディーネの力を封じたティアラ。自分より先に、砂漠へとむかったルシフェラースを追っていったナコッタに、貸したものだった。ちゃんと返せよ、とはいったが、結局、彼らがその後どうなったかは知らない。
地面に腰を付いたと同時に、疲労が体を襲い、意識が沈みそうになる。皮の匂いの染み付いた水を、飲み過ぎない様に、砂埃にざらついている口を湿す程度にふくんだ。
干したパンを口にする。最初は渇きの為に唾液が出てこないので、むせそうになっていが、少ない水分摂取に体が慣れたのか、さほど苦にはならないようになっていた。
少し離れた脇に座るその男は、汗をかいている様子すらない。この砂漠を生まれ故郷とする者。・・・アジハル。
自分達が目指している所すらリヴァースはしらない。砂漠の民は遊牧民であり、水場と僅かな緑を求めて常に移動している。アジハルがほんとうに自分の部族の居場所をつかんでいるのかどうかすら、定かではなかった。
アジハルが、聖杯の探索のためにオランに来たとき、リヴァースは彼の欲していた情報を与えた。それが彼らの出会いだった。そのとき、アジハルは、リヴァースに、運命を左右するような縁に出会った、と予言した。
当初リヴァースは、そのことについてはまったく気に留めていなかった。
後に、彼の持つ曲刀が、アジハルの一族の物であったということがわかった。アジハルはリヴァースを、彼の兄のものである神刀を奪った盗賊だと認識した。そこに二人の確執が生まれた。
一族の誇りを取り戻す為、彼はリヴァースを執拗に付け狙った。
『・・・共に来るのだ、わが同胞、砂漠の眷属よ。族長がお前を呼んでいる。おまえの力を、部族は欲している。』
聖杯の探索を終え、オランに戻ってきたアジハルは、リヴァースにそういった。このハーフエルフが本当に砂漠の一族の血を引いているのかどうか。真実はアジハルにすら分からなかった。ただ、リヴァースの持っていた砂漠の曲刀をみた部族の族長が、血相を変えて、持ち主を連れてこいと彼に命令した。彼はそれに従っただけだった。
アジハルの予言は、当たったかのように思われた。
「人をこんなところに連れてこようというのだ。自分の行き先ぐらい、ちゃんと把握してろ。」
果てがないかと思われる砂紋の間で、リヴァースはアジハルにそう毒づいた。口を開けば、人を苛付かせる憎まれ口しか利かないリヴァースを、本気で切り裂いてやりたくなる事もあった。実際、族長の命がなければ、とっくの昔に命を奪っていたかもしれない。
「眠れ。」
リヴァースを見ずに、アジハルは短く声をかける。
昼の日が高くなると、あまりに熱気が苛烈になる為、行動できるものではなくなる。夜のうちに移動をし、昼は眠るのが、砂漠の旅の仕方である。
アジハルに言われるまでも無く、目を閉じる。
憔悴した体が、睡魔を受け入れた。
オランを離れて以来、悪夢の訪れはまったくといっていいほど無かった。 夢のもたらすあまりにも過酷な嫌悪と不快感の為に、1週間ほどは、なにを食べても吐き戻してしまっていた。オランを発つ直前は、睡眠不足と栄養失調と貧血で、歩く事すらままならない状態だった。しかし、かの地の門を出て以来、自分を食い物にして狂喜していた夢魔は、嘘のように姿を見せなくなった。
あいかわらず、短時間の熟睡のみをする睡眠の取り方ではあったが、旅中、食べ物も口にできるようになり、確実に体力は回復していった。投げやりな口調は消えていき、普段の毒舌も復活していた。
砂漠に行くと、直接伝えた者はいなかった。
アジハルとの確執を目にしていた者は、行き先には薄々と感づいているかもしれない。
すべてのつながりは、捨てたと思っていた。
しかし、今、自分をいざなっているのはこの男。腰には、失ったと思った曲刀。捨てるものあれば、拾うものありというところか。世の中、どちらか一方のみという事でもないものらしい。
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水も食料も心もとなくなりはじめたころ、アジハルの部族の集落を、見つける事ができた。
砂漠といっても、全てが不毛の地というわけではない。地下水の湧くオアシスが点在し、その周辺にはまばらながら、乾燥に強い植物が茂る。それを食んで育つ家畜と共に、僅かな水を求めて、移動を繰り返すのが、砂漠の民の生活であった。
武器を携えた見張りが立ち、唯の遊牧民にしては物々しい気配であった。近づこうとすると、誰何の声があがる。しかし、見張りは、アジハルの顔を認めると、改まった言葉づかいになって案内のものを呼びにいった。アジハルは、この部族の中でも、かなり高い地位にあるらしかった。彼は族長の息子だとかいっていたことを思い出した。
この部族は、隣接する別の部族と交戦中にあるということであった。彼が求めていた聖杯は、それに関連することであるという事は容易に推察できた。しかし、それと、自分の剣、あるいは自分自身とどう関わりがあるのか。詳しい事は何一つとして、聞いてはいなかった。それを問いただそうとしたが、すべての答えは、砂漠の民の秘密に触れる故、一族に加わる儀式を経てから、伝えるとの事だった。
すぐに、出迎えのものがやってきた。老人であるらしかったが、顔は白い布に覆われていて、良くは見えない。ただ、布の奥で、熱っぽい目が輝いていた。
いくつも立てられた、家畜の皮で作った細長い円錐形のテントの間を抜ける。その奥に巨大な像が立っていた。見た事のない奇妙な動物をあしらった、壮大な彫刻。材質すら、一見した所、明らかではなかった。
部族の信仰を一身に集めている神を象った神像であった。
大陸で信仰されているどの神のものとも思えない。彼らの独特な宗教の偶像であった。
遊牧に運んでいくのかどうか聞く。実際にはこの神像は、いつから立っていつものなのかもわからず、この地を拠点に遊牧し、年に一度ここに戻ってくるとの事であった。
その神像のたもとに立つ天幕に入る。装飾品をつけた老人を中心として、砂漠の男達が数人、自分達を囲む様にして、座り込んで待ち構えていた。
自分と曲刀が、彼らにどう関わっているのか。詳しい話を聞こうとするリヴァースに、まずは一族に迎え入れる為の儀式を受けてから、と老人は制した。エルフの血の混じった彼に、みな奇異な目を注いでいた。
一族に加わるための儀式は、翌日から数日にかけて行うとの事であった。さまざまな手順を申し付けられた。砂漠の民の成人男子の受ける通過儀礼を経ねば、一族とはみなされないとの事であった。外部の者を受け入れるのは極めてまれな事らしく、長老や族長たちの間で討議が続いていたようだった。
呪いを施した水を用いて髪を濯ぐこと、服に特別な刺繍を施す事、暗号を含んだ秘密文字を覚える事・・・とくに何でもない事も多かったが、案の定、目をむくような事もあった。
「割礼だと!?」
最後に言い渡された事項に、リヴァースは激しく反発した。
オランであたっていた文献に記されていたのを目にしてはいたので、前もって知識としてはあった。しかし、いくら得体の知れない宗教がはびこっているとはいえ、そんな野蛮な事を、未だに続けている部族が本当にあるとは、ましてやそれが自分に降りかかってくるとは思ってもみなかった。
確かに、この灼熱の中で生活する上、体の洗う機会の少ないこの地では、かえって清潔で合理的かもしれない。しかし、できないものはできないのだ。 「絶対に、嫌だ。」
頑として、リヴァースは首を縦に振らなかった。アジハルは、さほど困った様子も見せずに、代替案を持ちかけてきた。割礼よりはましであろう、とリヴァースは耳を傾けた。
それは、部族の中で、呪い師としての地位を得る者の為の儀式だということだった。呪い師は通常、男子、女子、いずれの賦役も課せられない。砂漠の厳しい自然の中で生きる術として、精霊使いの力は不可欠であり、また、過酷な環境の中でこそ、その力が育てられてきたものであった。故に、この地では精霊使いは、呪い師として、日常においても戦においても尊重されるのである。
そして、この部族では、男子は、その魔力を高める為に、呪い師としての資格を得る際に、血の近い同族の男と結合しなければならないということであった。
そして自分がそれを受ける場合、その相手はアジハルが適任だということらしい・・・。
リヴァースは、無言でその場を離れ、荷物をまとめようとした。
どこへゆく、と引き止めるアジハル。
「それも、死んでも嫌だ。帰る。」
「わがままな奴だ。」
「あたりまえだ。人間の、尊厳の問題だ。」
「・・・そこまでいうか?」
さらに、事が成されたかどうかを確かめる方法として、初夜の夫婦と同じく、出血の痕のついた敷物をテントの前に掲げて、翌日の朝に公開する、ということであった。ばかげている事はなはだしかった。
だいたい、出血しないこともあるだろう、その場合はどうなる、と尋ねる。すると、その場合は、砂蜥蜴の血を代用する、ということであった。
なお、現在では、実際にことに及ぶ事は少なく、ほとんどの場合は儀式として敷物の掲示を行っている、ということらしい。それを聞いて、
「そういうことは、早く言え!」
憮然としてそういった。
なお、女の呪い師はどうなるのだ、と聞くと、その場合は、純潔を守る事によって、その能力を維持するのだそうだ。結婚する相手ができると、その女は呪い師としての任を解かれ、一般の女となるという。
通常の結婚前の女は、隔離されたように別の場所で育てられ、保存食や織物の制作に終始する。砂漠独特の、幾何学的な文様の刺繍は、彼女らの手によって施されるものだった。
ほとんどの女は、婚前に他の男との交渉を持つ事はない。もし、婚前の女が他の男と接触を持てば、その父親は、たいてい娘と相手の男を斬り捨てる。気を付けろ、という事だった。
草原の生き生きとした女達に比べ、砂漠の女の地位の低さとその扱いは驚きであった。
一通りの話が済んだ頃、先ほどの見張りがやってきて、族長になにか耳打ちをした。
エレミアにて、この部族の事をかぎまわっているものがいるとの事だった。
砂漠の民は、全て故郷の砂漠で生活しているものではない。ある者は商人として、ある者は占い師として、都市に出ていく者もいる。しかし、彼らは決して故郷の部族を忘れない。常に部族と連絡を取り合い、その独特な信仰を持ち続ける。アジハルは、特殊な任務を持っていた、そのうちの一人だったのだろう。
そのエレミアの2人連れは、一人はまだ年端のいかぬ少年、もう一人は幸運の神の神官であり、砂漠のこの地に向かっているとの事だった。
砂漠の民の秘密主義は音に聞こえている。案の定、彼らがこれ以上、この地に踏み込んでくるのであれば、暗殺者を差し向けるということになった。
砂漠の夕暮れは、慌ただしいものであった。
少ない燃料を効果的に用いるため、肉の薫製や、熱した石で焼いた固いパンが、彼らの主食であった。
族長の息子であるアジハルが戻ってきた歓迎の意もあるのだろう、家畜が屠られ、食された。特別な行事でもない限り彼らの財産である家畜を手にかける事はない。いったん屠られると、皮は衣服に、内臓は水袋に、骨は武器や装飾品に、とすべてあます事なく、利用される。
彼らは、日が天にあるうちは水を口にしない。この時とばかりに、飢えと渇きを癒すかのように食べる。
渇きも、彼らの神の与えた試練と考えるのである。
「神...ね。」
背後に立てられた、巨大な神像を振り返って見上げてみる。しかし、異形の面が、自分に何かを語り掛けてくるようになるは、とても感じられなかった。
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昼の熱気とはうってかわって、砂漠の夜は冷え込む。
交互に襲う灼熱と極寒は、そこに生けとしものを拒んでいるとしか思えない。
集落から離れて、リヴァースはひとり、砂の上を歩いていた。
凍てついた空に、無数の星々が煌いていた。遮るもののない、空間。どちらが上でどちらが下か、分からなくなる。まるで宇宙に浮いているような錯覚すら覚える。
正直、迷っていた。
このまま彼らの儀式を受け入れて良いものかどうか。
腰にある、自分の父のものらしき曲刀。彼らは、それを、一族の誇りであるといった。自分の父が、この砂漠の者である可能性は高いと思われた。自分の出自を知りたかった。しかし、それを受け入れるかどうかは、また別の問題だと思った。
ふと、何かの音階が聞こえてきた。最初は幻聴かとも思った。
笛の音。
それは、心の中に直接響いてきていた。
決して技巧にとんだ音色ではない。しかしその音律は、心を締め付けるような思いを伴っていた。
・・・ルフィス。
草原で手に入れた横笛を、魔法の薬と引き換えに少年に手渡したことがあった。笛はシルフの魔力を持っていた。どんなに離れていようと、風の精霊はその笛で吹いた音色を、思いを込めた者の所に届ける。
ルフィスが今、どこかで自分を思いながら旋律を紡いでいる。
リヴァースは、首を振って耳を抑えた。
それは、断ち損ねた絆だった。
ふと、昼間の、エレミアからの侵入者の話が頭の中によみがえった。
二人のうち一人は少年、一人はチャ・ザの神官・・・ルフィスとカールか。
まさか、自分を追ってきたのか・・・。
リヴァースは、懐から小さな縦笛を取り出した。ルフィスにあげた横笛と対になっている物で、横笛と同じ効果を持つ。
笛を口に当て、冷たくなった手で、吹き始めた。拒絶の意を届ける為に。
来るな。そう伝えようとした。しかし、その思いをそのまま笛の音に乗せる事はできなかった。かえって、曲を紡ぐにつれて、別の思いが湧きあがってきた。
寂しさ、切なさ、後悔、そしてそれらの後ろに隠れるほんのひとかけらの…嬉しさ。自分を追ってきてくれた事に対しての。
それに気がつき、リヴァースは笛を口から放した。それは決して認めてはならない感情だった。
頭の中に響くルフィスの思いはだんだん大きくなっていった。
それを受け入れる事ができるならば、どんなに楽だろう。
しかし、リヴァースはただ、耳を抑えて拒絶する事しかできなかった。
翌日、リヴァースは砂漠への侵入者は、自分の知る者たちであると言い、儀礼を受ける前に、彼らを自分の手で始末する、と皆の前で宣言した。外界との接触を断ちきる儀式だといわんばかりであった。
信用されてはいないのか、アジハルが、目付け役として、同行する事になった。勝手にしろ、とだけ、リヴァースは応じた。
砂漠の民の暗殺の手段に習い、リヴァースは長老に、武器となるであろうとあるものを譲り受けた。
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砂漠の太陽は、熱を伝えながら二つの影を容赦なく照らしつけていた。 一人は、腰に剣を帯び、チャ・ザの聖印を胸に付けている青年。そして、もう一人、同じく剣を携える、まだ顔に幼さの残る少年。
「たまらないな、この暑さは・・・」
何度同じ事を言っただろう。果て無く続く砂の文様を睨みながら、カールは汗をぬぐった。
それでいて、夜は、凍えるほどに冷え込むのだ。
ほんとうに、こんなところに人が住んでいるのだろうか。
乾燥の為に唇はひび割れ、砂にさらされた肌はかさついていた。
「ああ・・・」
頷くのものもおっくうそうに、ルフィスは答えた。
砂漠の過酷さは、伝え聞いていたものであるし、エレミアにてそれなりの装備は整えてきたつもりだった。しかし、実際はさらに厳しいものであった。 頭は常に熱に浮かされた様に、ぼぅっとしている。流れ落ちる汗は、体温を下げる事なく、ただ体力を消耗させる。
リヴァースが突然姿を消したことをルフィスが知ったとき、彼は放って置こうと考えた。自分や他のみんなに会いたくないのだろう、と思ったからだ。しかし、狂気の光を目に湛えた例のエルフが彼らの前に姿をあらわし、リヴァースが苛まれていた悪夢の原因が彼だと知ったとき、ルフィスはリヴァースを守ろうと決意した。
少ない情報から、リヴァースの行き先は砂漠であると判断し、ここまでやってきたのだった。
そんなルフィスをカールは追った。同じパーティだから、というだけではない。ことある毎に自分を粗末にするルフィスをカールはどうしても放っておけなかった。
本当にこんなところに、彼らの求めるものは来ているのだろうか。
果てしない、砂の大地。彼らがいる所は、まだ入り口に過ぎないはずだ。オアシスが点在するとはいえ、広大なこの地で、たった一人の人間を捜し求める事なんて、はたして可能なのであろうか。
ただ、砂漠というキーワードを元に、それ以上の当てもなくここまで来てしまった。その浅はかさに、溜息が出る。
容赦のない太陽を仰いだとき、ふと、眼前に闇の球体が現れた。
「!?なんだ?」
瞬間、闇はカールを包み込む。内から沸き上がる恐怖が、カールの精神を切り裂いていった。
「うわぁぁ!!」
カールは闇を振り払う。球体は、すぐに消えた。
「シェードか!・・・あっちだ、カール!」
ルフィスが闇の精霊を放った者を背後に見つけ、向き直る。
白い装束に身を包んだ者が、抜刀してこちらにゆっくりと歩いてきていた。クーフィーヤに隠され、顔は見えない。
「なんてことをするんだ!」
ルフィスがいきりたつ。
「まて、ルフィス・・・」
シェードの余韻にふらつきながら、カールがとどめた。
「この砂漠に住んでいる方ですか?・・・私たちは怪しいものではありません。人を探しているのです。」
カールはこちらに敵意はないと、両の手のひらを上に向ける。
しかし、影は、そのまま曲刀を振りかぶり、問答無用とばかりにカールに襲い掛かってきた。間一髪でカールは腰の剣を抜き、曲刀を受け止める。
「去れ・・・さもなくば、殺す。」
低く抑えた声で、影はそういった。
「きさまっ!」
ルフィスが影を後ろから斬りつける。
影は、紙一重でそれをかわす。しかしその剣が、影の頭を覆う布をかすめた。クーフィーヤが取り払われ、黒く長い髪が流れた。
「・・・!!リヴァース!!!」
それは、彼らが追い求めていたまさにその姿だった。
「リヴァースさん!どうして!?」
カールも驚きの声を上げる。
しかし、それに答えたのは、一見氷のような冷たい目だった。
「どうもこうもない。砂漠に踏み込みこもうとする、愚かな余所者を殺しに来た。それだけだ。」
カールの問いに、抑揚なく応える。
「・・・洗脳されたのか?」
一つの可能性をルフィスが口にした。
「違う。わたしは正気だ。すぐに『黒く灼ける陽』の部族の一員となる。」
そういって、リヴァースは、懐から小さな壷を取り出した。蓋を取り、手にした曲刀に、そのなかの紫の液体をたらす。
「ハッジの毒だ。微量でも、体の中に入ると、体内の炎の精霊を狂わせ、死に至らしめる。」
リヴァースは冷淡にそういって、曲刀を二人に突きつけた。
毒を使うという事はどういうことか・・・。それは、冒険者の間で、もっとも卑怯とされている手段である。
リヴァースがそれを知らぬはずはなかった。
もはや彼は、砂漠の暗殺者と成り果ててしまったのか。
カールは顔を顰めた。
リヴァースは、毒を塗った曲刀で、曲線的な動きでカールに斬りかかった。すばやいリヴァースの動きに、魔剣でもってあたる。記憶にある、普段の彼のおっくうそうな動きからは考えられないほどの身の軽さだった。
カールは、訓練で培った勘と魔剣の力で、どうにか剣を合わせるが、曲刀に塗られたものを意識し、防御に徹さざるを得なかった。リヴァースの剣を叩き落とそうと試みるが、すばやい動作に翻弄され、不可能であった。ためらい、攻撃の出来ないカールに対し、圧倒的にリヴァースは有利だった。
「やめろ、リヴァース!!」
ルフィスが叫ぶ。
リヴァースは、ルフィスは自分を傷つけないであろうという事を知っていた。
不意にリヴァースは、剣を引いた。
そして、もう一度、闇の精霊を召喚し、カールに叩き付けた。
「ぐあぁぁぁ!!」
「カール!!」
ルフィスの叫び。
カールがひるんだ隙に、リヴァースはさらに間合いを詰め、腕を切り裂いた。
致命傷を与える必要はない。ハッジの毒の効力をおよぼすには、それで、十分だった。
そしてリヴァースはもう一度、カールに闇の精霊をぶつけた。たまらず、カールは意識を失った。
「これでも、まだ、やらぬか?」
リヴァースは気絶したカールに目をくれず、今度はルフィスに向かいなおった。
「わたしを殺さねば、おまえはわたしに、殺される。」
「それでもオレはおまえを傷つける事はできない・・・。」
ルフィスは剣をおろした。そして、無防備に、両手を広げ、リヴァースに向き直った。
「おまえがほんとうにおれを殺せるというのなら、そうしてみろ!!」
リヴァースを見つめながら、そう叫んだ。
「...うぬぼれるな。」
しかし、表情を消したまま、リヴァースはそういった。
「おまえがわたしにとって、いかほどのものだというのだ? おまえの勝手な思い込みを、こちらに押し付けてくるな。」
こういえば、目の前の少年は傷つくだろう。普通の者ならば、その傷の痛みに耐え兼ねて、自分を憎むようになるだろう。
「おまえがわたしをどう思っていようが、関係ない。もう一度、言う。カールをつれて、去れ。さもなくば、殺す。」
そういって毒を塗った曲刀を、水平にルフィスに向けた。
しかし、ルフィスは、態度を変えなかった。それどころか、両手を広げたまま、一歩一歩、リヴァースに近づいていった。
来るな! リヴァースはそう叫びそうになった。そのまま、動きを失った。
「...!!」
ルフィスに剣を向けたまま硬直して動かないリヴァースを、彼は抱きしめた。
リヴァースの体が震えた。しかし、彼はすぐに、首を振ってから空いた片方の手でルフィスの腕をつかみ、そのまま引き剥がした。
そして、曲刀を脇から振り上げた。鋭利な刃は、ルフィスの胸部から肩にかけて切り裂いた。
「・・・・っ!!」
赤い血が、飛び散った。
「そんな・・・リヴァース・・・」
切られてなお、ルフィスは信じられない、という表情をみせた。
「剣に塗ったハッジの毒は、おまえ達を虫食み、7日のうちに死に至らしめるだろう。」
予言するように、リヴァースは言った。
血の流れる肩を抑えながら、ルフィスは、その場に蹲った
「オレはおまえを追ってここまで来たのに!
・・・・おまえもオレをうらぎるのか!!」
ルフィスはリヴァースを睨みあげ、悲痛な声で叫んだ。
無表情なまま凍り付いていたリヴァースの面に、ひびが入った。
ほんの一瞬だけ、泣きそうな子供のような表情になった。
それをルフィスは見逃さなかった。
しかし、すぐにリヴァースは無表情に戻り、こぶしを握り、わずかに首を振って、言い放った。
「砂漠の砂となり、だれにも見取られることなく死にたくなければ、さっさと南東のシャハーダの集落になり、エレミアになりと行くがいい。それまでは生きてはいられるだろう。せめて、墓ぐらいは、作ってもらうことだ。」
内にある全てを抑えきった、抑揚のない声であった。
リヴァースは、ルフィスに背を向けた。そして、小さき精霊を呼び寄せ、彼の前から自分の姿を消した。
残されたルフィスは気絶したカールを背負い、半ば引きずりながら歩き出した。
炎天下の中、太陽は容赦なく、傷ついたルフィスの体力を奪っていった。 貫かれた肩より、毒への恐怖より、のしかかるカールの体重より、照り付ける太陽より。
・・・リヴァースが自分を傷つけた。
その事実が、ルフィスをいっそう、憔悴させていた。
ルフィスが去ってからも、リヴァースは姿消しの魔法を解かないまま、膝を抱えて座り込んでいた。
ルフィス達の運を持ってすれば、彼らは生残ることはできるだろう。2人の傷自体はたいしたことはないであろうし、カールも半日ほどで、目覚めるはずだ。
砂漠の暗殺者たちの秘伝であるハッジの毒は、強力である。並みの神官に癒せるものではない。カールの信仰心が、毒を消せるほどに篤いかどうかは分からないが、いずれにせよシャハーダまでいけば何とかなるはずだと考えていた。
シャハーダの周辺のオアシスには、ハッジの花が咲く。ハッジの茎や根自体は、砂蜥蜴などの、砂漠の飢えた生物に捕食されるのを防ぐ為に、強力な毒を持つ。砂漠の者は、これを用いて暗殺用の毒とする。
しかし、ハッジの花は、受粉の際には昆虫の助けが必要である為、その黄色い花弁に毒を中和する色素を含んでいる。これが、ハッジの毒の解毒剤として働くのである。
シャハーダの商人なら、解毒剤を精製して持っている者がいてもおかしくはない。オランで得た文献でリヴァースはそのことを知っていて、わざわざルフィスに、その地の名を出したのだった。彼らがそこにたどり着くことを願って。
しかし、無論彼らは、その心の内を知りうるはずもない。
自分は、冒険者にとってもっとも卑劣とされる手段を用いて、彼らを殺そうとした。それが事実の全てだった。
彼らは自分を怨むだろう。自分を追って・・・自分の為に、自分を守ろうとして、この過酷な地に赴いてきた結果が、これだ。
自分は、彼らを裏切った。この上なく凄絶な仕打ちで。彼らは、一生、自分を許しはしないだろう。
いっそのこと、彼らの命を奪ってしまったほうが楽だったかもしれない。殺してしまえば、それで終わりだから。あとは何の憂いもなく[黒く灼ける陽]に加わり、砂漠を隠れ蓑として、生きれば良い。
それでも、彼らには生きていてほしかった。生きて、彼らを迎える者たちがいるところに帰ってほしかった。これ以上自分に、関わらせるわけにはいかなかった。自分のせいで、彼らの道の標を、狂わせたくなかった。
【オマエモオレヲウラギルノカ】
ラーフェスタスのもたらす悪夢の中で、ルフィスが言った台詞。夢の中で、リヴァースは、ルフィスを自分の手で切り裂き、彼の目をえぐり、内臓をすすっていた。残った片方の目でリヴァースを睨み付けながら、ルフィスはそう、震えながら言っていた。
・・・一句違わず、同じことを、現実のルフィスにいわれた。
予想していた事とはいえ、これほどまでにこたえるとは思わなかった。
反芻された言葉が、胸のうちで暴れまわる。
どうして、ひとつのものを失うだけで、こんなに心が痛むのだろう。いつのまに、あの少年の存在が、自分の中でこんなに大きくなっていたのだろう。
それが大きければ大きいほど、えぐり取ったときの痛みは、激しい。
生き死にすら関係ない。こととある毎にそう口にしていたルフィス。その彼に、自分の秘密を伝えたのは、彼に己の価値を分かってほしかったから。ルフィス自身が、他者に影響を与えながら生きているという事を知ってほしかったから。
それがいつしか彼の生きる理由となっていたのか。ならば、自分のした事は・・・自分で与えたものを奪った。そういうことだ。
それで彼が壊れてしまうか。それほど彼が弱いとは考えたくなかった。もはや彼は一人ではない。カールも、オランのみなも、きっと彼を気遣い支えるだろう。
しかし自分は、人を傷つける事でしか、人を守れない。
彼らが自分の為に近づこうとする、より大きな破滅。それから遠ざける前に、傷つけて痛みを与え、近寄らせまいとする。そんな方法しか、自分は知らない。
おかげで、心にもない事を言う事、心に反した行動ばかりが、うまくなっていく。
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「・・・これでよかったのか?」
見張り役として、気配を殺しながら一部始終を見守っていたアジハルが、姿を消したままのリヴァースに向かって呼びかけた。
その存在に気がついて、リヴァースは小さき精霊の守りをとく。
「これが望みどおりの結果だ。何が悪い?」
砂を払って立ち上がりながら、そういった。
「おまえの精神の精霊はそうはいっておらぬと、見受けられる。」
アジハルは、平然を装うリヴァースをじっと見ながら言う。
リヴァースはぎゅ、と唇を噛んだ。
「・・・気のせいだ。」
しかしアジハルは続けようとする。
「おまえの心の深淵に潜む精霊は・・・」
「いうなっっ!!!」
アジハルの言葉を遮って叫ぶ。
そして間を置いて、リヴァースは絞り出すように応えた。
「・・・そんなものはない。」
アジハルはゆっくりと頷き、目付けの役目は終わったとばかりに、リヴァースを一人残してその場を去っていった。
...全てを置いてきたと思っていたのに。
さまよえる孤独感を、精神の精霊界のなかで拾い上げてくれようとしたプリム。
散々浴びせた罵声にもかかわらず、逃げるという選択しかできない自分に対して、ただ「待つ」といってくれたセリカ。
そのいずれも、自分は拒絶した。
しかし、未だに、断ち切ったはずの絆の切れ端が、心の中に響くルフィスの声と共に沸き上がって、絡み付いてくる。
もう、全てを忘れよう。これらの思いを抱えて生きるにはあまりに...切なすぎる。もう思い起こす事は決してしまい。
ただ、今はこの、不毛の大地に身を委ねるのみ...。
砂丘の影が全てを覆う夕闇の中で、独り、リヴァースは空を仰いだ。
昼の熱を失った冷たい風が、砂と共に黒い髪を舞い上げた。
青白く細長い上弦の月だけが、砂塵にかすみながら、かそけき光を放っていた。
___ TO BE CONTINUED ____
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注:
「蒼き風」と同じく、この話に出てくる砂漠の風俗・習慣・信仰などは、「ワールドガイド」を参照に作ったオリジナルの設定です。
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