 |
No. 00074
DATE: 1998/09/16 18:51:09
NAME: ルルゥ
SUBJECT: 光の御手(後編)
****
リデルはぼんやりと、お茶が冷めるのを眺めていた。
いなくなった猫が気掛かりで、あまり眠っていない。
と、戸口で何か物音がした。
扉を開けると、横に白い封筒に入った一通の手紙が置いてあった。几帳面な字で、「リデルさんへ」と書いてある。差出人には「ルルゥより」とあった。
手紙を読むうちに、リデルの顔が固くなる。そこにはカップのお礼と、いままでのいきさつ。そして少しの間旅に出るむねが書いてあった。
急いで通りに出てみたが、そこにはもう誰もいなかった。リデルは黙ってもう一度手紙に目を落とした。
<・・・・・・帰ってきたら、また一緒にお茶を飲みましょう。
追伸・・・猫が無事に戻ってくる事を、祈っています。
ルルゥより>
****
聖騎士エーリッヒは馬上で密かにため息をついた。
昨日の風雨がうそのように、空は晴れ陽射しが強く風景を照らす。
彼のマントにしがみついて、慣れない馬の旅に身体をこわばらせたルルゥのため、馬を走らせる事ができない。そんなことをしたら、この少年はたぶん、いやきっと落馬する。
エーリッヒは他人の世話というやつが大の苦手だった。
ましてや、世間知らずのお坊ちゃまの面倒など、ファリスの神託がなければ国王命令でもごめんこうむった。
だから、ルルゥが身辺的には非常に危険でも、精神的にはなかなか根性があり、己の過酷な宿命にもめげる様子はないと知り、かつ心のフォローをしてくれる冒険者の知り合いがいる事に、心の中で万歳三唱したのだ。
(ああ・・・それなのに)
ファリス神殿で徹夜して、過去の記録をあさるルルゥに、つい手助けをしてしまった。
あまけに、彼が十年前の記録を見つけ、「そこに行く」と言った時・・・はたと目が合ってしまった。
ルルゥは何も言わなかった。が、そのあまりにも無防備で邪気の無い瞳を見て、エーリッヒはつい同行を申し出てしまったのだ。
(ああ・・・)
エーリッヒは再び心の中でため息をついた。
もちろん、彼を救うのがエーリッヒの使命なのだから、この状態はきわめて自然なのだが、エーリッヒ本人は「つかずはなれず」ルルゥを「見守る」までにしておきたかったのだ。
主人の心模様も知らず、馬はのんびり街道を歩いた。
***
オランから二日。その廃虚は突然姿をあらわした。
焼けただれた壁面、崩れた壁、残ったカーテンの切れ端がおりからの強い風にはためく・・・・・・。
僕はじっとその前に立ちつくした。
ここが、全ての因縁の場所。かつて滅ぼされた、ファラリス教団の本部。
馬をつないだエーリッヒさんが、黙って中へと入っていく。
僕はあわててその後を追った。
中は暗く、よどんだ空気がかび臭く匂った。
いやな気配がする。
「・・・・・・うっ?」
僕は思わずその場にしゃがみ込んだ。
背中に刺すような痛みが走ったためだ。
(いらっしゃい・・・)
また、あの耳鳴りがする。
僕はふらふらと、奥の部屋へ進んだ。エーリッヒさんが何か言ったが、僕にはよく聞こえなかった。
重い扉を開け、中に入る。そこにあるものを見て、僕は驚き、悲鳴をあげてしまった。
それは一枚の絵だった。
何もかもが古いこの屋敷の中、それだけが新しく、壁の肖像画が浮かび上がった。
少年と少女。黒衣の神官服を着て、胸にはまがまがしいファラリスのシンボルが光っている。よりそう二人の周りには、嘲笑うような表情の妖魔達。そして、足元には蛇の巻き付いた無数の白骨!!
僕は呆然と動けなかった。
表情の無い二人の人物。彼らは同じ顔をしていた。明るい金の髪と白い肌、大きな深い藍色の瞳。
これは・・・・・・僕だ。
僕とルチアだ!!
(ようこそ)
ふいに絵の一角から、ゆらりと黒い影がたちのぼり、人の形を造った。
(ようこそ、わたしのルレタビュ坊や・・・ふふふ、気に入ったかい?この絵は・・・?)
エーリッヒさんがずい、と僕と影のあいだに割り込んだ。背のグレートソードを抜き、威嚇するようにかまえる。
(もうじきよ・・・もうじきこの絵のとうりになるのよ・・・ふふふ)
背中からざわざわと痛みが全身にはいのぼる。
(さあ、おいでぇぇぇ!!!)
突如、周囲のガレキからがらがらと生ける屍達が起き上がった。虚ろな目の彼らは、じりじりと僕らの周りに集まってくる。
「ふん・・・まいったな」
エーリッヒさんの台詞はあまりまいったようには聞こえない。
ぶんと大剣をふるい、近付いた一体のゾンビを一刀で叩き切る。そのグレートソードにはファリスの印と聖句が刻まれ、ぼんやりと白い輝きを帯びていた。
(こっちへいらっしゃい・・・こわがることはないのよ)
優しい声が頭に響く。
(その聖印を捨てなさい・・・さあ・・・)
めまいがした。
(あなたは自由よ)
・・・・・・!
(わたしはあなたに自由をあげるのよ!)
僕の脳裏を、いくつもの映像が浮かんで消えた。四角い空。両親の顔。酒場の喧燥。知り合った数々の人の姿。襲いかかるインプ。襲いかかるアンデッドの、その虚無的な顔。
「ちがう」
僕はうめいた。
ちがう、ぼくが欲しかったのはそうじゃない、そんなものじゃない!
「ファリスよ」
僕はしっかりと胸の聖印をにぎりしめた。と、影はゆらいで高らかに笑い声をあげだした。
(どこまでも小賢しい小僧よ!・・・ならばいいさ、おまえを死の暗闇にひきずりこんでやるぅ!!)
「下がれ」
冷静な声でエーリッヒさんが僕に命じ、一歩踏み出して影に向かい剣をふるう。切っ先が影を・・・悪霊をかすり、ぎゃっという悲鳴をあげてその姿がゆらいだ。
(おのれええええ!!!)
悪霊が呪文を唱える。エーリッヒさんは低くうめいて腹部を押さえた。ぽたぽたと赤い血が地面に落ちる。
「ファリスよ」
僕は目を閉じて、再び祈りを捧げた。
僕は彼のようには戦えない。僕にあるのは神の力だけ・・・・・・。
これが、僕の戦いかた。
癒しの魔法がエーリッヒさんの傷を治した。彼は一瞬だけこちらを向いて、少しだけ笑った。
「だ、そうだ。残念だったな悪霊よ」
エーリッヒさんの大剣は、今度こそ悪霊を切り裂いた。
(うううぅぅぅああぁぁああ!!)
苦悶の悲鳴が響き渡る。
(せめて、せめておまえを、道連れにぃ!)
悪霊が僕に向かって飛び上がった。
「ファリスよ、たすけたまえ!!」
僕は十年前のように願った。どこか遠くから、僕の中に熱いものが流れ込んでくる。
(我が子よ、その願い聞き入れたり・・・)
おごそかな声が、僕には聞こえた。
僕らをとりかこむ死霊達・・・悲しげな、虚ろな瞳・・・。
ファリスよ、皆を救いたまえ・・。
「我が手に、邪悪をはらう破邪の光を!!」
かざした手に、力のすべてを集めた。それは聖なる光となって悪霊を焼いた。
形容しがたい悲鳴をあげ、悪霊が光の中に消えていく。同時に、アンデッド達も呪縛から解き放たれ、ちりとなって崩れていった。
(我が子よ)
また、声が聞こえた。
(ゆくがいい、おまえの定めのもとへ・・・)
****
「本当にここでいいのかね?」
エーリッヒは馬から下りたルルゥに尋ねた。
「はい、ありがとうございました」
少年は深々と頭を下げた。エーリッヒはその姿に思わず微笑する。
「それで、これからどうする?」
「当初どうり、妹を探します」
「そうか・・・」
結局、元凶を倒したはずにもかかわらず、ルルゥの背のファラリスの刻印は消えなかった。それはつまり、彼と暗黒神とのつながりが断たれていないということだ。
理由はひとつ・・・・・・。
「彼女がファラリス信者の手に落ちて十年・・・おそらく君の妹君は・・・」
「ええ、わかっています」
ルルゥは毅然とした表情で言った。
「でも、それならなおの事、僕はルチアに会わなくてはいけない・・・」
エーリッヒは何も答えなかった。
この少年は、覚悟を決めたのだ。妹と敵対することになっても、宿命にしたがい、先へ進むという・・・・・・。
「それに、もしかしたらまた、昔のように暮らせるかもしれない・・・家族みんなで。僕、あきらめませんから」
無邪気な顔で笑いかけられ、エーリッヒは苦笑するしかなかった。
「君はファリスの御手に救いあげられ、今も支えられているのだな」
「いいえ」
ルルゥは晴れやかに答えた。
「今の僕を支えてくれているのは、生きている人たちです」
***
エーリッヒさんが去った後、僕はしばらく「きままに亭」の前に立っていた。
そっと耳をすますと、中から賑やかな話し声がする。
僕は深呼吸して、扉を開けた。
「こんばんわ!」
ただいま!!
****
エーリッヒはアノスへの報告書を書き終え、ランプを消した。暗闇の中、じっとしているうちに目が慣れ、部屋のようすがおぼろげながらも見えてくる。
(ずっと闇の中で暮らしたものは、光が無くとも道を見失う事はない)
椅子の上で、エーリッヒは思いをはせた。
(光の中で育ったものもまた、どんなにまばゆい光の中でも、目が眩む事無く歩み続けるだろう・・・決して迷う事はないだろう・・・)
「光の赤子、か・・・」
エーリッヒは小さくつぶやき、そのまま浅い眠りに落ちた。
(彼なら大丈夫。決して、心の光を見失いはしない)
聖騎士の顔には、ほんの少しだけ笑みがうかんでいた。
 |