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No. 00076
DATE: 1998/10/03 01:10:59
NAME: エーリッヒ
SUBJECT: 吊るされた男
(エーリッヒ卿・・・)
自分を呼ぶ声に、アノスの騎士エーリッヒは歩みを止めた。
日中のオラン。市場へと通じる表通りはにぎやかだった。雑踏をよぎり、エーリッヒは付近の建物の壁によりかかった。
(おひさぶりです。エーリッヒ・フォン・アイゼンバッハ卿。)
近くに人の気配はない。が、すぐ耳元で声がする。おそらく声の主は、風の精霊の力を借りているのだろう。
「・・・『法王の耳』だな・・・」
唇を動かさず、ささやくように話しかける。道行く人々には聞こえるはずもないが、相手には充分通じるはずだ。
(はい。)
「とうとう法王陛下のお心が決まったか・・・?」
(いいえ。『院』がルレタビュ・レーンの件に関し、三つの派閥に分かれて紛糾しております。)
エーリッヒはわずかに顔をしかめた。
(ひとつは、今と同じように彼を監視、そして警護し、闇司祭の手から護る・・・)
遠くで、正午を告げる鐘の音が聞こえた。
(もうひとつは、今すぐ彼をファーズに護送し、神殿内で完全警護の生活をさせる・・・)
「素直に監禁すると言ってはどうかね?」
エーリッヒの皮肉に答えず、声は続けた。
(最後は。)
声は低く宣言した。
(過ちが起こる前に、ファラリスに選ばれし者ルレタビュを、速やかにファリスの御許へと送る。)
エーリッヒは腕を組み、目を閉じた。意識せず、うめきが薄く開いた唇からもれる。
「『院』は数週間で、ずいぶんと過激になったものだな・・・!」
(数日で、ですよエーリッヒ卿。)
「何が、あった・・・?」
しばし、答えは返ってこなかった。
いぶかしんだエーリッヒがあたりをうかがい始めたころ、(実は・・・)と、とまどう声が耳に届いた。
(彼にその・・・忠誠を誓う騎士が現れました・・・)
言っている意味が、エーリッヒには一瞬理解できなかった。
「な、に?」
思わずはっきりと口にしてしまった。目の前を通った老女が、気味悪げにエーリッヒを見て、足早に過ぎ去った。
(詳しい事情はわかりません。その男の身元も不明です、ただ・・・)
ここからが本題だという風に、声は間を置いた。
(密偵の一人がその者の姿を、ファンドリアに潜入していた頃見かけたそうです・・・)
「・・・ファラリスの手の者か・・・!?」
(不明です。ですが、そう考えればつじつまはあいますね。)
エーリッヒは沈黙した。
ルレタビュことルルゥの立場は、最悪のものになったようだ・・・
(もしも、彼を始末することに決定したら、どうなさいますか・・・?)
「どうとは?」
(彼を救えとファリスの啓示を受けたあなたが・・・)
言うな。
エーリッヒは唇だけでつぶやいた。
言うな、その先を・・・
(殺せますか、彼を・・・?)
沈黙が下りた。
雑踏のざわめきの中、この場だけが切り取られたように静かだった。
「本国の命令とあらば・・・」
エーリッヒはゆっくりと言い放った。
「殺す」
それからまた、双方は沈黙した。
長い長いだんまりの後、再び声がエーリッヒの耳に届いた。
(お気をつけてエーリッヒ卿・・・あなたにファリスの加護を・・・)
そんなものはいらない。
エーリッヒはうつむいたまま歩き始めた。
「時間がない・・・」
そのつぶやきは、彼の物とは思えないほど弱々しい。
「誰かいないか・・・」
しかし、口調とはうらはらに彼の目は燃えていた。
「私の代わりに、ファリスの啓示をまっとうするもの・・・『光の赤子』の護り手たる者は・・・」
当然、応える者はない。
「私は法王の命に従う・・・だから、私にはできぬのだよ・・・ファリスめ・・・意地の悪い神よ!」
名高きアノスの騎士団の一員にあるまじき、呪いの言葉を吐きながら、エーリッヒは人込みの中に消えていった。
<吊るされた男>
そのカードの意味
身動きできない状態。信念や理想のためにすすんで犠牲になる。
あるいは。
強いられた犠牲。
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