No. 00080
DATE: 1998/10/11 15:41:22
NAME: リヴァース
SUBJECT: 砂楼に沈む、紅い月
__________ 砂楼に沈む紅い月__________
*登場人物一覧*
リヴァース:漆黒の髪と瞳のハーフエルフ。精霊使い。
アジハル:『黒く灼ける陽』部族の占い師。聖杯の探索に出ていた次期族長候補。
サラディアーシャ:アジハルの妹
ジャハム:失踪したアジハルの兄。リヴァースの持つ曲刀を鍛えた。
ファーティハ:ジャハムの親友。曲刀の元の持ち主。本名、「リヴァース」
ラーフェスタス:妄執と独占心に心を支配されたエルフ
ラーファ(ラーファニース):アジハルたちのの敵の部族『揺らめく炎』の族長の娘。
セシーリカ:ラーファの親友。マーファの神官、魔道師。
セリカ:リヴァースを追ってきた戦士
シェリル:リヴァースの友人、セリカの恋人。シーフ。
注:この話は、三部作完結編です。「深淵(やみ)に砕ける白い月」(49)、「砂塵にけぶる青い月」(65)を先にお読みください。
また、この話は過去のさまざまな出来事を元に成り立っています。「壊れた玩具」(13)、「はじめの一手 」(アジハル・18)、「かくも平凡なりし日」(41)、「不安の精霊」(プリム・47)、「明けない夜の蒼色」(ルフィス・66)「とりあえずの始まり」(ラーファ・67)などをお読みいただけますと、より理解しやすいかと思われます。
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【 Chapter‐1 】
風が強い。
熱風に巻き上げられた砂塵が、視界を霞ませる。
「こ…ここはどこだよ・・・!」
奇妙な形のサボテンの群れを睨みながら、からからの喉の奥からセシーリカはつぶやいた。
無数の刺に覆われたサボテンが、自分を馬鹿にして笑いながら踊っているかのように見える。
「また…おなじところ!」
先ほど、目印の布を巻きつけておいたサボテンが、また目の前にある。背を向けて歩いていたはずなのに。迷ったにしては、あまりに奇怪であった。
呪詛の言葉をつぶやきながら、反面泣きたい気分で、セシーリカは脚を引きずるように歩いていた。
彼女は砂漠へとひとり姿をくらませたリヴァースを追って、この地に来たのだった。あまりに苛烈な砂漠の気候にやられて、知己であるラーファの元に身を寄せていたが、体力が回復し次第飛び出してきたのだった。
ふと、人影を見た。最初は痩せたサボテンかと思った。
「これは奇遇ですね。ごきげんはいかがですか?」
それはあまりに、この場にそぐわない穏やかな物言いだった。
「おまえは!!」
エルフが、優雅に一礼をした。
途端、背筋がびりびりするほどに、セシーリカの第六感が警告の音を発する。
ラーフェスタス。オランにてリヴァースに悪夢の呪いをかけ、彼が姿を消すまでに追い込んだ、狂気のエルフ。
「このような所で再会できるとは、悦ばしいことですね。」
「この、くそエルフ・・・!」
セシーリカの表情が消えた。。普段は表情ゆたかな彼女だが、本気で怒りを湛えると、こういう顔つきになる。元から、彼女はエルフに不信感を持っていた。その中でもこの男は別格だった。いつでも動けるように、体中の力を抜いて身構える。
それを見て、ラーフェスタスは、おかしそうに笑みをもらした。
「どうぞ、お気を楽に。別段、あなたをどうこうしようかという気はありませんよ。ただ、すこし、席を外していただきたいとおもいましてね・・・。」
「どういうことだ!」
セシーリカがいきり立つ。
「砂漠の植物も、じっくり見ると、とても興味深いものですよ。」
それだけいうと、彼の姿はぼう、っと薄れて消えていった。
「待てーっ!!」
つまりは、このサボテンの群れは、奴の仕業か。そういえば、精霊使いの魔法に、植物の力を借りて、人を迷いの森におとしめるものがあるという・・・。
「ちくしょーっ!!だせーーっ!!」
セシーリカは虚空に向かって叫んだ。脳裏に、神経に障る、エルフの笑い声が聞こえたような気がした。
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「まったくあの子は!」
天幕の中でラーファは書き置きを握り閉めた。
書き置きには、体力が回復したので、さっそくリヴァースに会いに行く、とだけしたためられていた。言えばとめられるだろう、黙っていくことを許してほしい、と。
止めるにきまっているだろう!長年反目していた、敵の部族。幾度となく自分達に暗殺者を差しむけた、狂信者の集団。
セシーリカが、おとなしく人質となるような玉ではないことはわかっているが、どんなたくらみに巻き込まれるかわかったものではない。そんな所にむざむざ行かせるはずがない。
急いで影の者に、セシーリカを追わせたが、見つかったとの報告はいくら待っても入ってこなかった。
ただでさえ、敵の部族が、余所者を受け入れ、よからぬことを企んでいるという報告が入っている。部族の中の戦を望む声は、日々高まる一方だった。
ただいらいらと、ラーファは心配を募らせた。
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【 Chapter-2 】
夕餉の煙が、高く立ち昇っていた。
アジハルら、『黒く灼ける陽』の集落。
リヴァースはまだ、儀式を受けることを拒んでいた。
リヴァースは、部落の中央に佇む巨大な神像を見上げた。
爬虫類か動物かのすらわからない、異形の動物神、『マルドゥク』。蜥蜴のような顔、雄牛の胴体、そして、ヘビのような尾を、体に巻きつけている。これを絵画や彫刻としても、およそ布教には向かないであろうなと、くだらないことを考えていた。
祈りの声が聞こえてきた。彼らの独自の言語であるため、未だ完全には理解できない。言葉も、内容も。
ふと、視線を感じた。
天幕の影から、何者かがじっとこちらを見ている。
「何の用だ。」
面倒だと思いながら、リヴァースは振り向いた。
「わあ!しゃべった!」
とたん、蜘蛛の子を散らすように、数人の子供が陰から飛び出して、天幕の奥に逃げていった。
その中の一人が、べしっ、と砂に足を取られて転げた。
「おい...」
思わず、助け起こす。
子供は置きあがると、こちらをじっとみた。
「おまえが、外から、きたって奴か?」
「...そうだが?」
「すっげー!! なぁ、話聞かせてくれよ!砂漠の外って、地面にいっぱいいろんな木が生えてて、水が使いほーだいだって、ほんと?」
子供は、目を輝かせて詰め寄ってきた。
「おれ、エヤンってんだ!あんたは? なあ、どこからきたんだ?」
弾丸のように、息もつかずに質問を浴びせてくる。
そういうわけで、その子供にえんえん常識的な話をすることになった。子供にとっては、自分達の慣習のほうが理解できない異端まものに感じるのだろう。ただ、好奇心のある目や、豊かな感情は、どこの子供も同じなんだなと思った。
しばらくして、その子供の親らしい、顔と髪をベールで覆った女が急いで駆けつけてきた。彼女は、汚らわしい者でも見るようにリヴァース一瞥し、彼を尻目にそそくさと子供を連れて去っていってしまった。
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集落から離れた所にある水場までやってきた。水を汲むのは、女達の仕事だった。通常、人々はオアシスや湧き水のあるところのすぐ側に住む。しかし、この部族は、不便な土地のそこに神像が存在しているという、その理由だけで、水場から離れた不便な所に部落を形成していた。
水場の裏側で、一人の女が、衣服を脱いで身を清めていた。思わず、ふと目が合った。
「キャアアァァァ!!」 と、女はけたたましい悲鳴を上げた。「それ以上近づかないで!死にます!」
女は、衣服をかき集め、中の懐剣を手に取った。
「...別に何もせん。」
呆れた面持ちで、リヴァースは言った。
「そんな下らんことで、死ぬなどというな。こちらを向いているから、さっさと服を着ろ。」
いまいましそうに、リヴァースは言い捨てた。
「・・・?あなたは?別の部族の方ですか?」
衣服を着け、あたまからベールをかぶった女は、逆にこちらに興味を示してきた。
「いや…砂漠の外の者だ。」
「!・・・それでは、あなたが、兄のいっていた・・・」
女は、驚きを示した。女は、アジハルの妹だった。名を、サラディアーシャといった。
サラディアーシャは、大きな水瓶に水を汲みいれ、それを抱えて歩き出した。「ずいぶんと離れたところに、水を汲みに来るのだな。毎日のこととなると、大変な作業だろうに。」
それを手伝いながら、リヴァースが言う。この熱気、水の重さ、そして、距離。それだけで、女達にとっては重労働だろう。
「これも、我らが神、マルドゥクの与えられた、試練です。」
サラディアーシャは、きっぱりとそういった。
彼にとって、閉口する他はなかった。
リヴァースは、枯れた潅木の太い部分集めはじめた。これをパイプ状にしてつなぎ、ポンプを作って取り付け、水場から部落まで、直接水を引けるようにするつもりだった。更にその合間に、炊事場などを整理して、水まわりの環境を整える。専門家ほどの知識はないが、一時凌ぎの簡単なものなら、概念さえ理解していれば作ることに不可能はないはずだった。
その彼の行動は、男女の行動が徹底的に分離されている一族の中で、奇異に映った。しかし、咎めるものはいなかった。すでに部族の一部となっていたら、婚前の女は男と交渉をもってはならぬという極端に前時代的な風習もあり、問題になっていたであろう。微妙な立場であるからこそ、容認されたことだった。
どうせこの地に、異邦人として浮いた存在のままでいるのであれば、やりたいことをやってやろうと思った。しかし皮肉にも、その態度が周囲に認知され、次第に居場所のようなものができていった。そのことにリヴァースは気がついていなかった。
リヴァースと、彼の話を楽しそうに聞いているサラディアーシャの姿を目にし、アジハルは非常に複雑な心境になった。
彼は、年の離れた妹であるサラディアーシャを彼なりに愛していた。婚儀を控えた彼女に、だれよりも幸せになってもらいたいと考えていた。
アジハルの、リヴァースに対する殺意は、もはや消えているといってよかった。むしろ、己の兄の神刀が、リヴァースの手に渡ったことに対して、彼は何かしら運命的なものを感じていた。彼が、みずからの部族に、なにか重要な役割を果たすかもしれない、と漠然と考えていた。
リヴァースは、スノーを誘拐したアジハルを皆が倒そうとする中で、一人ゼザの剣から彼を守った。リヴァースは、彼に死なれては困る、とただ言っただけだった。それは、その頃敵対し、リヴァースの命を付け狙っていたアジハルにとって、とうてい理解しがたいことだった。
その一件に対する恩義の心か、実力の認知か、はたまたは単なる好意かは、わからない。ただ、リヴァースが、今の彼の部族に対して何をなすのか。
殺すのは、それを見定めてからでも遅くはない、と考えていた。
アジハルは、弱体化した部族の未来を憂えていた。
出産率の低下、定期的に襲い来る疫病、敵部族との飽くなき抗争。
敵部族とこのまま直接衝突した場合、とうてい勝ち目が無いということはわかっていた。
神は未だに、救いの手を差し伸べようとはしない。あるのは、試練のみ。どこまで耐えれば良いのか・・・。
習慣のひとつである午後の祈りをささげる為、アジハルはその場を後にした。
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【 Chapter-3 】
夜のふけた時間。
昼の熱気を砂の中で堪え忍んでいた砂蜥蜴たちが、穴から顔を覗かせては、姿を消す。
かがり火のもと、『揺らめく炎』の一員であるセベクは、水場で人影を見た。彼女はラーファに付き従う者の一人であり、誠実さで彼女の信頼を得ていた。
「何者・・・妖魔!?」
セベクは身構えた。尖った耳と、細い目。彼女はエルフを見たことはなかった。
「おや、あなたの大切な友人の顔を忘れられましたか?」
ラーフェスタスは、にこやかに女に微笑みかけた。とたん、セベクは、目の前のエルフが、古くから気を許している恋人のように思えた。
それは、周囲の潅木に住むドライアードの魅了の力だった。
「・・・ああ、あなたは・・・。どうしてこんなところに?」
セベクはぼんやりとした表情になって、エルフに呼びかけた。
「あなたに会いに来たのですよ。お伝えすることがありましてね。」
「わたしに?わたしも、会いたかった・・・」
「ええ、ここで、珍しい方を見ましたよ。そう、例の黒い髪のハーフエルフ...」
彼女はセシーリカの介護に当たっていたので、その話は知っていた。
「ああ、そうだ。ラーファ様がおっしゃってた、あの・・・。」
「その者が、あなたがたの大切な水場に、なにか細工をしたのではないかとは、考えられませんか・・・?」
「え・・・?」
清浄な水の湧き出るその水場は、ここを拠点とする部族の唯一の水場であり、いわば命の源であった。見ると、泉はすでに枯れていて、ただ、流れの痕が、砂に醜く穿たれているだけだった。精霊使いでもある彼女の目には、かき消されたウンディーネの最期の嘆きが聞こえてきた。
「なんてこと・・・」
セベクはうめくようにいった。
「そう・・・大変なことですね。あなたの大切な主に、お伝えしなくては。」
「ええ。急いで報告しないと・・・ありがとう。」
彼はきびすを返そうとした。
「そうそう。わたしがここに来たことは、忘れてくださいね。」
ラーフェスタスは、セベクの顎に手をかけ、その耳元で2,3の精霊語をつぶやいた。
「ええ、忘れるわ・・・。」
再び、とろんとした目で、セベクはつぶやいた。
「だから、もう少しこのまま…」
セベクはラーフェスタスの頬に手をかけた。
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その後、ラーファは、例のハーフエルフが、水場を破壊したとの報告を受けた。部下を伴って確かめにいく。もはやそこは、一滴の水も生み出さぬ、枯れた死の泉だった。精霊を操る能力のあるものには、ウンディーネの姿が消失していることが分かった。
「おのれ…!」
ラーファは、部族の中では穏健派であり、戦いを主張する父達を牽制するのに細心していた。なんとか、戦いを避ける手だてを求めていた。しかし、その態度をとることももはや終わりだった。
砂漠で水場を失うということはどういうことか。それはすなわち、部族の死である。すみやかに、次の移動場所を探さねばならない。しかし、この季節、水のある場所は限られている。つぎの放牧地にも、水がなければ到達することはできない。
じきに、部族の間に、不安が伝播していった。
セシーリカが追ってきたという者は、このように卑怯な手段を用いる男だったのか。だとすれば、その者の所にいったセシーリカの命も危ない。もはや逡巡している時ではなかった。
考えうる手立ては一つ。敵部族の地を占領し、セシーリカを奪還し、水葉を奪う。
ラーファは立ち上がり、父の天幕へ急いだ。
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曲刀と同じ形の細い月が、あたりを照らしていた。
冷たい風が、ひゅるり、と髪をなびかせて通り過ぎていった。
夜になると、集落を抜け出して砂の中で一人になる癖がついていた。体が冷えるのもかまわず、ただ星々の中に身を委ねるかのように、リヴァースは空を見上げていた。
言いようのない孤独を感じていた。未だに納得のいかない生活習慣。存在など感じたことの無い神。ここにいるすべての者はそれを妄信している。自分の居場所をそこに定めるからには、それを受け入れなければならない。それは、頭では理解してる。しかし、みるたびに感じられる違和感。
部族の者は、自分の存在を認めつつあることは感じられた。排他的なのは、部族の者たちなのか、それとも自分なのか。
そして、慣習のみではなかった。一面薄い色の砂の光景。これまで旅した所は、いくら乾燥していても何かしらの緑があった。しかしこの場に生えているのは、あったとしても、刺だらけの茶色い潅木のみ。森や山のゆたかな植物は、目に優しく心に安らぎを与えてくれる。しかしこの不毛の地には、それも望むべくない。感じることができるのは、弱々しい大地の精霊と、寂しげなシルフの囁きのみ。
精神的にも、リヴァースは、孤立していた。
瞬間、背後に強烈な気配を感じた。
「......っ!!!」
振り返るまもなく、背から回された白い手に抱きすくめられていた。心臓が、血管を引き千切って飛び出すかと思った。瞬時に湧き起こる、底知れぬ恐怖。
「ラー...フェ...ス...」
顔を見ずともわかる。この、感触。じわじわ広がる激しい不快感。
「久しいな。...少し痩せたな。ちゃんと食べているのか?」
耳元で囁かれる声が、嫌悪感をあおった。
「な...んで、ここに...」
足が痙攣して、立っていられなくなる。呼吸が浅く、激しくなる。胃が締め付けられ、吐き気が込み上げてくる。到底受け入れることの出来ない嫌悪。
自分に絶対的な恐怖を植え付けたその男。すべての元凶。
この男が自分に抱く、異常なまでの妄執と独占心。そのせいで、すべてのものを失った。悪魔的なまでの力、絶大な精霊への支配力。それがすべて、自分を対象として振る舞われた。行動理念が、常人とは著しくかけ離れていた。理解できないが故に、それだけいっそう恐ろしかった。
「オレはいつでも、おまえを見守っていてやるよ...」
にたり、とその男は笑った。それは、逃げ場はもはやどこにも無いのだ、という宣言であった。
それだけ告げると、ラーフェスタスは不意にリヴァースを解放し、砂塵と共に、かき消すようにいなくなった。
リヴァースは唇を固く噛み締めて、震える体を自分の腕で抱きしめた。大気は、吐く息が白くなるほど凍えているのに、体中を冷たい汗が伝い落ちていた。
とてもなじむことができるとは思えないこの地に、腰を据えることは、むしろ自分にとっては好都合かもしれない。だれも好きにはならない。この場所を大切に思うようになることも無い。そうであればあの男は、この場を破壊しにはこない。だれも、傷つかない・・・
そう決意した時だった。集落のほうに、炎が揺らめき煙が上がるのを見た。 リヴァースは、気を取り直し、振り返って駆け出した。
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【 Chapter-4 】
怒りに燃えた『揺らめく炎』の攻勢は、容赦というものがなかった。
部族の戦える者たち、ほとんどの手による総攻撃だった。自らを生かすための水はもはや無い。敵のものを奪わぬ限り。
特に、部隊の司令たちの目は、異常なまでに興奮していた。
弱体化していた『黒く灼ける陽』の戦士達は、『揺らめく炎』の数の力の前に、なす術もなく蹂躪されていった。
夜襲は、火と共に行われていた。火矢が襲い、乾燥した天幕に炎が燈る。焼け出された中の住人が、待ち受けていた戦士達に切り刻まれ、ゴミかなにかのようにうち捨てられる。
場は、狂乱に支配していた。もはや、まともな目の光を浮かべている者はいなかった。すべての倫理観、道徳、良識は失われていた。人権など存在しえようはずがなかった。あるのは、奪う者か、奪われる者か、その立場の違いのみだった。
男は殺され、女は犯される。少ない家財は乱雑に奪われ、火を放たれた。老人の金の指輪は、その手ごと、切り取られて持ち去られた。妊娠していた女は、もてあそばれ、切り裂かれ、胎児を引きずり出されてうち捨てられた。
子供の泣き声。兵士の怒号。
砂に足を取られながら、リヴァースは息せき切って駆けつけた。視界が、血と炎で真っ赤に染まっていた。砂煙と炎の煙幕に、むせた。
足下に、首が転がってきた。昼間、自分に砂漠の外の話をせがんだ子供、エヤンのものだった。
「うあああぁああああーーー!!」
リヴァースは、首を抱いて、叫んだ。
「おい、まだいるぜ!」
その声を聞きつけて、兵士達が駆けつけてきた。
リヴァースは、曲刀を抜き、怒りに任せて襲ってきた一人の兵士を切り捨てた。
しかし、次から次へと、新たな獲物を見つけた、とばかりに、別の者たちが、押し寄せてくる。
おそらく自分に・・・以前にこの地獄と同じ経験が無かったら・・・そのまま感情を爆発させて、無謀に狂戦士のように突撃していき、多勢に無勢をさらして同じく屍となっていたであろう。
しかし、最後に残っていた冷静さが、彼を止めた。今の自分は、あの時の無力な子供ではない。いわれのない力にさらされ、食い物にされるのは、もうごめんだった。
リヴァースは、小さき精霊を呼び寄せ、姿を消した。
目標を見失った兵士たちは戸惑ったが、すぐに気を取り直し、新たな犠牲の獲物を求めるべく、散会していった。
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アジハルは、この後に及んで、なお祈っていた。
この時こそ、神像に象られた神が降臨し、救いの手を我らに下すその瞬間だと思っていた。
我らにあだなす、不届き者共に、怒りの鉄槌を!
怒号と狂乱をよそに、ただひたすら、アジハルは神像の前で、祈りの言葉を呟いていた。
「『黒く灼ける陽』族長の首、奪ったり!!」
何者かが、さけんだ。見ると、初めて案内された時に会った老人が、兵士の剣に突き立てられた無残な首をさらしていた。、
リヴァースはその者の背後に姿を現し、その首に手を回して曲刀をつきつけた。
「おまえらの、首領はどこだ。」
低い声で、脅す。
「ここにいる。」
大柄な赤毛の女が、真っ直ぐに自分を目指して歩いきた。
一目で、敵部族の、首領格とわかった。
「おまえらは、手を出すな。」
女は、いきり立つまわりの兵士達を止めた。
「おまえが…リヴァースか。セシーリカはどこだ!!」
「何のことだ?」
意外なその名を聞いて、リヴァースはいぶかしむ。
「とぼけるな!あの子はおまえに会いに、ここまでやってきたのだ。」
セシーリカが、砂漠に来た? それは、寝耳に水だった。
「余所者が、卑怯な手をつかいおって! おまえだけは、許さぬ!剣をぬけ!!『死の踊り手』ラーファニース。我の技、見せてくれようぞ!」
怒りに燃えたラーファが、巨大なフレイルを振りかぶった。
「卑怯だと! 夜に隠れて急襲してきたのはそっちだろうか!」
そんなものに当てられては、ひとたまりもない。複雑な軌道をおしはかって、最小の動きでかわす。脚が砂に取られて、動きづらい。
「おのれ!!まだ、とぼけるか! 我らの命の源たる水源を汚し、我らが部族の確執に介入したこと、知らぬとは言わさぬ!」
「知らんといったら、しらん!!踊り手の二つ名・・・おまえ自身が、何者かに躍らされているのではないのか!」
「小賢しい口を!」
さらに、ラーファは、鉄の固まりを振りはらった。回避に全神経を集中させないと、とても躱せるものではなかった。
首領格を攻略し、あわよくば人質として、兵士を引き上げるように命令させる。
圧倒的な数の暴力を前にしては、「逃げる」という選択を別にして、それしか考えが浮かばなかった。が、この女が相手では、それも容易ならざることであった。選択を誤ったかとも後悔した。リヴァースの頬を、汗が伝った。
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マルドゥクの神像のたもとで一心不乱に祈りを捧げているアジハルの元にも、破壊の手はやってきた。神像に手をかける兵士達を、アジハルは狂ったように、自らの体術と精霊を操る力で叩きのめしていった。しかし、圧倒的な数の差に、駆けつけた者たちの手によって、最終的には取り押さえられた。敵の族長に準ずるもの、ということで、自分達の族長に引きずりあわせる為、命だけはまぬがえられた。
そして、そのアジハルの目の前で、神像は引きずり倒された。
太い縄をかけられ、数十人で、引かれ、神像は轟音を立てて、地面に倒れ伏した。
それは、彼らの価値観、アイデンテティの崩壊も同然だった。
アジハルの心の中の、何かが崩れ落ちた。
縄をかけられて連れられる際、アジハルは、神像の影に横たわる、女の姿を発見した。彼の妹の、サラディアーシャだった。口から僅かに血を流していた。ほのかに、甘い匂いがした。ハッジの毒の匂いだった。傍らに、蓋の開いた毒を入れた瓶が転がっていた。
ベールは拭われ、衣服は引き裂かれていた。・・・なにが起きたのかは、一目瞭然だった。
「うごおおおおおああおぉぉぉ〜〜〜!!!」
アジハルの慟哭が轟いた。
彼は哭いた。祈りは届かなかった。神はこの後に及んで、我らに力を貸さぬのか!! 絶望が、彼の心を闇で満たした。
アジハルは、みずからを束縛する縄を引き切った。制止を振り切り、神像の足に安置していた聖杯を手にした。そして、自分の腕を切り裂き。流れる血を聖杯に滴り入れ、一気にあおった。それは最期の手だてだった。
聖杯の伝説。この聖杯に。部族の者の血を入れて飲んだものは、己の命と引き換えに、魔物の力を得る。禁忌の破壊の力を。
聖杯に封じられた「力」が、血を媒体にアジハルに流れ込んだ。
砂漠に、雷鳴が轟いた。
闇の色の天を、なおも濃い暗雲が神像から生じ、空を覆って行った。
周囲の兵士達が、突然の天変地異に驚き、ひれ伏した。
アジハルの肉体が、振動した。血が、血管を、肉を、皮膚を破り、体中から吹き出た。
「ぐぁ・・・がああぁああっはぁぁぁああーーー!!」
体中から肉が盛り上がっては萎み、次第に彼の体は変形して行った。人ではなきモノに。
血と汗だった液体が、どろりとした粘性のある物質に変わり、彼の体を覆っていった。内側からぼこぼこと、ピンクの肉が蠢動し、次第に一定の形を形成していった。砂煙が巻き起こった。
鱗のある長い尾、爬虫類を思わせる顔、硬い毛の生えた雄牛のような胴体、巨大な姿。それは、アジハル達が崇めていた神像そのものの姿であった。
彼らの神マルドゥクは・・・たしかに存在していた。
それは、魔物だった。
彼らは、古代の魔獣を、みずからとその生活を形作る者として、崇めていたのであった。
皮肉にも、禁忌としていた魔物の力、それ自体が、彼らの崇めていた神のものであったのだ。
マルドゥクは、真っ赤な釣り上がった目で、周囲をぎろりと見回した。そして、動きのあるもの全てに、緩慢な動作で襲い掛かって行った。生けとしものをすべて憎んでいるような形相であった。
硬く長い、鱗の浮いた手で、魔物は周囲を薙ぎ払った。裂けきれなかった者が、飛ばされて互いに打ち付けられた。さらに、目に付く者片っ端から引っつかんでいき、神を破るがごとく容易に引き千切っていった。血と内臓が飛び散った。
マルドゥクは、咆哮を上げてその場を席捲した。
砂蜥蜴に似たその口から、巨大な炎が巻き起こった。オレンジの炎が、その場にいる者を襲った。炎に包まれ、地面に転げてのた打ち回る。熱風にさらされて、肉の焼けるいやな匂いが充満した。炎は更に、周囲の天幕を焼いていった。あたりは血と炎の赤に染まった。
それは、すさまじい力の具現であった。
マルドゥクは、その場に、もはや得物がいないと悟ると、次の犠牲を求めて巨大な図体をひきずって、歩みを進めた。
______________
兵士達に囲まれ、対峙するラーファとリヴァースの元に、マルドゥクは炎と共に来襲した。
「なんだと!?」
その場にいる兵士たちが、マルドゥクの炎に焼かれ、なぎ倒される。
周囲にいる者はみな、逃げ惑って散開した。
ラーファの体に、ヘビの尾が巻きついた。そのまま、魔物はラーファの体を締め上げ、持ち上げては地面に打ち付けた。
「くああっ!!」
その尾に跳躍し、リヴァースはしがみついて、曲刀を突き立てた。尾は解け、ラーファの体が柔らかい砂地に放たれた。
「だいじょうぶか!?」
ラーファは起き上がった。頭からは血が流れ、脚が奇妙な方向に折れ曲がっていた。
「なぜ、助けた!」
「そんな事を言っている場合ではなかろう...くるぞ!!」
マルドゥクは咆哮を上げ、二人に炎を吐いた。リヴァースはラーファを抱えこみ、転がりながらそれを裂けた。
しかし、体勢を崩した二人を、長い爪のある手が、薙ぎ払った。さらにその、鱗のある手がリヴァースの胴体をつかみ上げ、両手で引き千切ろうとした。
「ああああっっ!!」
耐え切れず叫び声があがる。
絶体絶命かと思われたその時、一陣の影がマルドゥクに飛び込んだ。その者の幅広の剣が、マルドゥクの背深くに突き立った。更に、放たれた矢が、マルドゥクの脳天に突き刺さった。
魔獣は咆声を放ち、暴れまわった。
リヴァースはそのまま空中高くに放り出された。地に叩き付けられるかと思った瞬間、彼の体がふわりと宙に浮いた。
落下制御の魔法。
背後を見ると、魔法をかけたセシーリカ、そして、短弓を構えたシェリルがこちらに駆けつけてきていた。
「またおめえ、えらい騒ぎに巻き込まれてんな!」
マルドゥクに襲い掛かった影が、突きさした剣を抜いてこちらに移動してきた。セリカだった。
「おまえら...なんでこんなところに...」
唖然としてリヴァースは呟いた。
「セシーリカ・・・」
セシーリカは傷ついたラーファに駆け寄って、急いで癒しの祈りをささげた。
「元々厄介ごとの多いやつとは思ってたが…今回は格別だな」
セリカは剣を構え直しながら、にやりとリヴァースに笑った。
「なんなんだよ、こいつ!サボテンから解放されて、なんか煙が上がってると思って来てみたら・・・」
セシーリカがラーファに問う。
「話は後よ!まずはこいつを何とかしないとね・・・」
シェリルは、マルドゥクを見上げた。
「あれ…!傷が引いて行く!」
ラーファが叫ぶ。みると、彼らがつけた傷が、見る見るうちにふさがっていく。
「・・・再生能力まであるのか!」
「くそ、どうすりゃいいんだ?」
セリカの問いに、リヴァースは首を振った。
その時、不意に、リヴァースの元に、風の精霊が運ぶ声が届いた。
神像の元に。声はそう告げていた。
「撤退する!いくぞ!」
「なにか策でもあるの?」
シェリルが問う。
「知らん。とにかく、いく。」
リヴァースはきびすを返した。傷ついたラーファをかかえながら、一行はリヴァースの後を追った。
______________
打ち倒された神像の元。
その神像の、脚があった地面が、いきなり開いた。中から、何者かが、手招きしていた。
追ってくるマルドゥクを尻目に、5人は内部に飛びこんだ。と同時に、地面が閉じた。
内部は、からからに乾燥した外とは違って湿気があり、真っ暗であった。
不意に、明かり燈った。
「ここは・・・?」
「ずいぶんと古い遺跡の様ね。」
シェリルが、中の構造を見ていった。
「古代王国時代のものだよ、多分。」
魔術の心得のあるセシーリカがそういった。
少し奥にいくと、扉があった。そこを開けると、開けた部屋があった。部屋の中には、ひとつの石造りの祭壇があった。
玄室に、クーフィーヤをかぶった老人が待っていた。老人は、リヴァースが初めてこの部族に来た日に、族長の元に案内してくれた者だった。
「ファーティハの血を引き、神刀を手にする者よ・・・」
リヴァースを見て、老人は呟いた。
「おまえは・・・。あの怪物はなんだ。上が、どういうことになっているのか知ってるのか?」
リヴァースは老人に尋ねた。
「あの魔物は、マルドゥク。我らが神の、もう一つの姿・・・」
老人は答えた。
「どういうこと?」
シェリルが尋ねる。
「アジハル様が、聖杯の力をお使いになった…」
老人は、語りはじめた。みな、それに聞き入った。
アジハルが探索に出ていた聖杯、それは、破壊の力の象徴、禁忌とされていたものだった。聖杯は、古代に生み出し、この地に破壊と混乱をもたらした魔物を封じたものであった。
魔物の姿は、部族の記憶の中で神とすりかえられ、信仰の対象となった。マルドゥクの神像は、魔物の姿そのものだった。
リヴァースのもつ曲刀は、アジハルの兄、次期族長とされていたジャハムが鍛えたものであった。
数十年前、砂漠にある人間の男がやってきた。名を「リヴァース」といった。砂漠にある遺跡の探査が目的であった。余所者である彼に、砂漠の部族は幾度となく暗殺者を差し向けた。しかし、戦いの後、最後の暗殺者である、『黒く灼ける陽』の次期族長、ジャハムと力を認め合い、友となった。その後、彼は部族に迎え入れられた。
その際、ジャハムは彼に、「ファーティハ」という名を授けた。それは、彼らの部族の言葉で、「開端の者」という意味であった。砂漠にやってきた男は、は、何者にも捕われず、古い戒律に埋もれた砂漠に、新しい風を吹き込む可能性を感じさせるような人間だった。
ファーティハが見つけた遺跡、すなわち一同が現在いるところで、ジャハムは、聖杯と神の正体を知った。
聖杯で血を飲むと、それに封じられた魔物が飲んだ主の体に入り込み、主は魔物にのっとられるという。聖杯は、元はその遺跡に封じられていたものであった。ジャハムはその力を恐れた。えんえんと続く周辺の部族との抗争のなかで、だれかがその禁忌の力を使わないとも限らなかった。二人の手で、遺跡は再び封印された。
ジャハムは聖杯の魔力を分ける為、宝石をはずして、己が鍛えた曲刀にはめ込み、ファーティハに託した。その剣には、鍛えし者であるジャハムの名と、ファーティハ、そしてその真の名前、「リヴァース」が刻まれた。
分け放たれた力を再び結合させてはならない。ファーティハは曲刀を手に砂漠を去り、ジャハムも聖杯をもっていづこかへと姿を消した・・・。
しかし、宝石の力は、封印の解放には関りはなかった。宝石がつかさどるのは、封印そのものの力。ジャハムはそれに気がついていなかった。故に、聖杯は、そのものだけの力で、稼動しえた。
リヴァースは、後にその話から、次のことを推測した。
曲刀は後に、エルフの娘に託された。ファーティハの子を身ごもったエルフの娘は、杜に帰り、社の奥に剣を封印した。ファーティハがその後いづこへ消えたかは、だれの知る所ともならなかった。
やがて、ラーフェスタスの手により、杜は破壊され、社は瓦礫に埋まった・・・。その瓦礫の中から、子は剣を見つけ、刻まれた父の名を知り、その名を名乗った・・・。
「それで、あのバケモンを何とかする手だてはあるのかい?」
セリカが聞いた。神として信仰を呼び起こすまでになったその魔物に、対抗しうる手段はあるのか。それが今、皆にとって最も必要な情報だった。
老人は、黙ってリヴァースのもつ曲刀を指で示した。
「そのファーティハの剣。その剣にはめられた宝石を、聖杯のあるべき位置に戻す。さすれば、封印の力が戻り、マルドゥクは聖杯の中に再び封ぜられるであろう」
老人は言った。
「その聖杯は、今はどこに?」
リヴァースが、曲刀にある紅い宝石を見つめながら老人に尋ねる。
「おそらくは、マルドゥクの体内。心臓部・・・」
「結局は、やっこさんと、やりあわにゃならんワケだな」
セリカは、不敵に笑った。
「わかった。では行ってくる。あなたはここで、まっていてください。」
老人は頷いた。しかし、見ると、彼のフェラジェの下の腹から、血が滴り落ちていた。ここに来る前に、敵部族にやられたものであろう。話をすんで使命を果たしたと思ったのか。彼は満足そうに目を閉じた。
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マルドゥクは、荒れ狂っていた。周囲を焼き尽くし、もはや動く者は誰一人としていなかった。部族の生き残り、『揺らめく炎』の逃げ遅れた者どもも、みな怪物の手にかかって、炭化した骸をさらしていた。
炎がくすぶり、肉の焼けるいやな匂いが立ち込めていた。
魔物は、一行の姿を認めると、新たな犠牲を求めるべく、牙をむいた。
セシーリカとリヴァースが、考えうる限りの防護魔法を皆に施す。
いつものように、セリカが常人場慣れしたスピードで飛び込んでいく。斬馬刀の刃が、マルドゥクの胴体をえぐった。
セシーリカの魔法により怪我から回復したラーファがそれに続き、飛び上がって脚の付け根を薙ぎ払った。
「やるねぇ」
ラーファにセリカが口笛を吹いた
もう一度、魔物は咆哮した。周囲の空気が、びりびりと震えた。
「あれ!」
魔物の牽制に当たっていたシェリルが、光の柱が天空にそそり立つのを見た。と思った瞬間、電光がその場を襲った。
雷撃は、一向には直接当たらず、倒れていた神像を、直撃した。
「あっぶね〜。あんなのもあるのかよ!」
グズグズしてはいられなかった。
リヴァースはセリカに耳打ちした。
「大丈夫なんかよ、それで。おれがやったほうがよくねぇか?」
リヴァースは首を振った。
「わたしがやるべきだ、と思う。」
本来彼は、肉弾戦は好まないはずだった。しかし、この場合は違った。リヴァースは、曲刀を自分の右手に、布で結び付けた。
「よっしゃ、シェリル、ラーファ、牽制頼む。」
セリカに言われて、二人は散開して、マルドゥクの背後に回った。そのまま、攻撃を仕掛ける。ラーファのフレイルが、マルドゥクの鱗をはがして肉をえぐる。シェリルの弓が、確実に魔物の急所を得た。魔物は二人に振り向き、もう一度炎を椴切れた操り人形のように、リヴァースはセリカの腕に、おちていった。
「なんでだ・・・なんで・・・そこまでして自分をおとしめるんだよ…!」
「これ...で..もう...」
血が気管に入り、言葉が途切れた。
「なんでそこまでおれを拒絶するんだ・・・おまえはっ!!!」
力の無くなったリヴァースのからだを、抱きしめた。
「(...ごめんな...)」
ひゅう、ひゅう、と息がかすれて途切れる。唇は、もはや言葉を紡ぐ形に動くだけだった。
大切な人達の顔が、脳裏に浮かびあがっては消えていった。
手を差し伸べてくれたプリム。その手を握り返すことはできなかった。
共に生きよと言ったシルビア。その彼に何も答え返すことができなかった。
自分を生きる理由にしてくれたルフィス。その彼を自分は、この上なく残虐なかたちで裏切った。
セリカは自分とは違う所に幸せを見つけた。シェリルもそれを欲していた。ふたりとも、・・・そう、大好きだった。だから、ふたりには、自分とは離れた所で、その幸せを大切にしてほしかった。自分が関わると、破滅しかもたらさなくなるから。己が望むと望まざるとにかかわらず。
『オマエノ愛スルモノハ、全テ破壊シテヤロウ』
その恐怖の声にずっと囚われていた。その声は、いつもいづれは現実となっていた。
その男は、自分の苦しみを、みずからの心の糧とした。自分が打ちひしがれる毎に、その男は満足した。自分の絶望は、その男にとって限りなく甘い蜜だった。自分が苦しむ毎にその男は喜悦し、更なる責苦を与える為に、自分の大切な物を一つづつ壊していく。
だから、大切なものは作りたくなかった。人を愛することはできなかった。愛するものがあるということを、自分で認めるわけにはいかなかった。
しかしその態度も何の解決にはならない。どこかでその、悪循環の鎖を断たなくてはならなかった。
だけど・・・。
「(...キース...アルヴァ...ヤン...
ごめ...んね...やくそく、まもれなかった...。)」
己をかばい、業火に焼かれ炭化したキースの唇が、最後に紡いだ言葉こそが、《生きろ》だったのに。
自分の身体がなくなっても、わたしが忘れない限りその心の中で生き続けるから、とアルヴァは言ったのに。
「おれのいない所でぜったいに死ぬんじゃねーぞ」
最後にそう微笑んで旅立ったヤンと、再会を誓い合ったのに。
決して死ぬわけにはいかないはずだった。だれよりも命を大切にしていたかった。
死という安易な逃げ道を取る者はもっとも卑小だと思っていた。自殺は、生けとしものにとっての最大の罪悪だと思っていた。だから命を粗末にする者たちを嫌悪していた。自分の命を取り引きの道具とするようなセリカの言動。そのたびに彼には腹を立てていた。生き死になど関係ない、なにかある毎にそういっていたルフィスに、容赦の無い言葉を浴びせた。
でもその一番忌むべき行動を、結局は自分でしてしまった・・・
命への尊厳。それは、罪に穢れた自分の、最後の拠り所としていたかったもの。それだけは譲れない、清き信条だった。
それすらも、今、・・・自らの手で、血で汚した。
最低だな。
最低の・・・愚か者。
だれもにとって最善と考えられる行動をしたのに。その結末が・・・これ。
涙が、最期に、黒曜の瞳から零れ落ちた。すべて奪われて枯れてしまったものと思っていたに。
ああ、まだ、流れてくれるだけ、残っていたのだな・・・。
「くそったれぇーー・・・〜っっ!!!」
セリカの慟哭が響き渡った。
「・・・なんでっ・・・だ・・・ 困っている奴を助けようとすることの、どこがそんなにいけなかったんだ・・・」
もはや動かなくなった腕の中のリヴァースの身体に、ぱらぱらとセリカの涙がおちていった。大量の血液を失ったその身体は、急速に体温を失って、冷たくなっていった。
ゆらり、と空気がゆれた。
「困るな…こういう事をされては・・・」
不意に、周囲のすべての精霊が動いた。空間そのものを圧倒させるかのような威圧感。沈黙を保っていたラーフェスタスの形相がかわっていた。紫の瞳には、地獄の業火を思わせる、深く暗い炎が揺らめいていた 轟音が轟き、世界が、振動した。大地が悲鳴を上げ、砂の嵐が巻き起こった。セリカの体が、激しく地面に打ち付けられた。
大地が、風が、空が、怒り狂っていた。空間の猛りが、表情に現れることのないラーフェスタスの激情を反映していた。渦巻きにさらわれた砂塵が、天空まで駆け上がっていった。地は悲鳴を上げ、無数の亀裂が地を割いて走り、底の知れない深淵を覗かせながら、砂を飲み込んでいった。地面が盛り上がり、数億年もさらされることのなかった、赤茶けた地層が姿を露にしていった。
精霊王の雄叫びの中で、ラーフェスタスは、自らの血に濡れたリヴァースの体を抱きかかえた。風塵が渦を巻いて、二人を包んだ。
巻き起こった砂塵にかき消されるように、二人の姿が見えなくなっていった。
不意に、激動がやんだ。
彼らの姿が消えたのと同時に、空気も大地も、それまでの静寂を取り戻した。何事もなかったかのように、露出した古代の岩肌を、風がなでるのみだった。
後に残されたのは、セリカの身体、血に濡れた曲刀、精霊たちの慟哭・・・。
砂丘の果てに沈みゆく月は、流れた血に汚されたことを嘆くかのように、ただ紅い光を放っていた。
_________________ END...
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