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No. 00088
DATE: 1998/10/31 11:07:46
NAME: エーリッヒ、ルチア他
SUBJECT: 謀略
オラン、ファリス神殿内。
人気の無い廊下を、エーリッヒは静かに歩いていた。
向こうから、母子連れがやってくる。楽しげに談笑しながら、二人はゆっくりとエーリッヒとすれ違った。
その瞬間、「何か」を感じてエーリッヒはすばやく横に飛んだ。
しかし一瞬遅かった。子供の手からダガーが飛び、エーリッヒの心臓の真横に突き立つ。さらに間髪いれず、母親が大きく一歩踏み出して、短剣で彼の腹を切り裂いた。エーリッヒは声も出せずに、その場に倒れた。
「なぁんだ、もうオシマイ?」
子供が帽子を取って、ニヤリと笑った。いや、子供ではなかった。それは変装したグラスランナーだった。
「ずいぶんあっけなかったわね、エーリッヒ? あんたオランに来て腕が鈍ったんじゃない?」
血に濡れた刃をこっそり服の袖でぬぐい、母親を演じていた女がつまらなそうに言う。グラスランナーはとどめをさそうと、もう一本のダガーを抜いて、エーリッヒに近付いた。
シャラン。
金属のこすれる軽い音が、静かな廊下に小さく響いた。
二人の暗殺者は、ぎょっとして振り向いた。そこには、銀の髪と灰色の瞳を持つ、美しいが無表情なハーフエルフが立っていた。彼は、細長い筒の先に鎖をつけた、妙な得物を手に下げている。
シャラン。
軽やかな金属音は、その筒がゆれる度に聞こえた。
「よけいな真似をしましたね、二人とも」
ハーフエルフの唇が動き、平坦で感情の無い声が流れた。
「ご、ごめんよクラウディオ・・・だってさぁ・・・」
シャラン。
ひゅん、と筒が振られた。その先からヒュッと細い輝きが発射され、グラスランナーが「うっ!」とうめいて肩を押さえた。
そこには、太く長い針が一本生えていた。
筒の正体は、<ニードルダンサー>と呼ばれる特殊な暗殺武器だった。筒の中の針を、鎖を振り回した時の遠心力で打ち出すという物で、扱いが難しいためあまり出回っていない。しかし習熟すれば、自在に放たれる針の雨が確実に標的をしとめる、恐ろしい武器だ。
「その針に毒は塗ってありません。いいからもう行きなさい。人が来ます」
クラウディオの言葉を聞いて、暗殺者達は音も無く走り去った。
二人が消えたのを見届けてから、クラウディオはエーリッヒのかたわらに膝をついた。
「貴方が私たち『法王の耳』をうらぎったと、皆はそう思っています」
エーリッヒが倒れ伏したまま、ぎろりとクラウディオをにらみつけた。
「理解しかねますエーリッヒ卿・・・あなたはルレタビュ・レーンに何を見たというのです?」
「・・・お前には・・・理解・・・できまいよ・・・決して・・・」
エーリッヒは苦しい息の下から言うと、そのまま意識を失った。
ほんの少しだけクラウディオはエーリッヒを見つめていたが、やがてフイッとかき消すように姿を消した。ほどなくして、数名の神官が瀕死の聖騎士を見つけ、あたりは騒然とし始めた。
******
某所。
薄暗く、今が何時なのかも分からない空間に、少女の声が響いていた。
「・・・優しいルルゥ、可愛いルルゥ、奇麗な青いおめめのルルゥ・・・」
天蓋つきの大きなベッドの上に布地をひろげ、美しい少女が鼻歌まじりに、小さな服を縫っていた。膝の上には、彼女によく似た金の髪と青い瞳の人形が乗っている。
そして、黒いドレスの大胆に開いた背中に、まがまがしいファラリスの刻印が浮かび上がっている。
彼女の名は、ルチアンナ・レーン。通称ルチア。
ルレタビュ・レーンことルルゥの、死んだはずの双子の妹だった。
「あおいおめめのおにんぎょさん、おべべをぬってあげましょう、わたしのかわいいおにんぎょさん・・・」
歌いながら、ルチアは人形を抱き上げ、じいっとその顔をのぞきこんだ。
「ンーン、ちがうわ」
ルチアは刺繍針を手に取ると、思い切り人形の左目に突き立てた。
「ルルゥの目はもっと青いの。青くてキラキラしているの」
無造作に針を抜き、さらに右目にも突き刺す。
「不思議ね。私と彼はとっても似ているのに、瞳だけは似てないの。どうしてかしら?」
ルチアはぎゅっと人形を抱きしめ、話し掛ける。
チリーン、チリーン、チリーン・・・
鈴の音にルチアは顔を上げた。優しく人形を抱え直し、ベッドを下りると部屋を出た。
重い扉がきしんで開く。
その向こうには、寒々しい空気が満ちた部屋があった。
ランプの淡い光の中に、ファラリスの像と祭壇が浮かび上がっている。
部屋の中央には、安楽椅子があった。そこには、黒衣の老人が身を沈め、ぜえぜえという耳障りな息を吐いていた。
「どうしたの、エバラード?」
ルチアは老人に語りかけた。
「ルチアンナ・・・闇の娘よ・・・」
骸骨のような老人の顔の中で、ぎょろりと濁った瞳が輝いた。
「闇の御子は、お前の兄は、まだ光を捨てぬのか・・・」
「まだよ、エバラード」
先程傷めつけた人形を、いとおしそうに撫でながら、ルチアは続けた。
「言ったじゃないの、ルルゥが自らファリスを、人を、光を捨てなければならないと。だからこうして待っているのじゃなくって?」
「そうだ・・・」
老人はうめいた。
「あれはわしの理想・・・二度とは現れん・・・大事に大事に、その闇を汚さぬように、目覚めさせねばならん・・・・・・」
老人の話に、ルチアは興味がないようだった。
「わしは探していた・・・闇の御子たる素質を秘めた者を・・・何人もの失敗作を見続け、諦めかけていた時に、あの夫婦を見つけたのだ・・・
敬謙なファリス信者。そして子供たちを溺愛している両親・・・教団を一つつぶしてまで、わしはその子供たちにファラリスの刻印を焼き付けた。
何もかも、わしの思惑通りに、あの夫婦は動いてくれた・・・子供を外界から隔離され、光のみを見せて育ててくれた。純粋な光を浴び続け、その子の足元には純粋な闇が生まれた・・・誰よりも深い闇が生まれた・・・・・・!」
熱っぽく語る老人を見ようともせず、ルチアは人形を弄んでいる。
「あとは、その「光」を打ち砕き、「闇」を目覚めさせるだけ・・・・・・長かった。わしの半生をかけた研究が、今実るのだ!」
「でもエバラード、このままルルゥが闇に目覚めなかったらどうするの?」
「必ず目覚める・・・必ず・・・目覚めさせる・・・・・・」
わなわなと、老人の枯れ木のような手が震えた。
「絶望させるのだ、光の神々に、おのれ自身に! そう、周りの人間が傷つく中で、何の力も持たない事を悔やみ、いつか絶望し、力を求めるようしむけるのだ・・・・・・!!」
興奮する老人とは対照的に、ルチアは静かだった。
彼女は人形の髪を一房、紅い唇にくわえてつぶやいた。
「どうでもいいわ、ルルゥが闇でも光でも」
そのつぶやきはとても小さく、老人の耳には届いていないようだった。
ルチアはぐい、と髪を引いた。ずるりと抜けた金色の輝きが、だらりと胸元まで下がった。
ぷっと髪を吐き出し、ルチアは今度は人形の腕をつかみ、へし折った。
ぽきり。
「でも、そうね・・・ルルゥの周りの人間を殺すのは、いいわね」
ぽきり。
「ルルゥを愛する人間が誰もいなくなったら、彼はわたしを見てくれるかしら・・・?」
ぽきり。
「ルルゥが愛する人間が誰もいなくなったら、彼はわたしを愛するようになるかしら・・・?」
ぽきり。
手足の無くなった人形を見て、ルチアはにいっと笑った。
その瞳はいつのまにか、深い青から邪悪な赤い輝きに変わっていた。
部屋の隅にいたネズミが一匹、何を感じたのかキィッと一声残して逃げていった。
******
アノスの首都、ファーズ。
豪奢なテーブルの前、一人の男がじっと何かを考えている。
ていねいになでつけられた髪には白いものが混じっているが、仕立ての良い服の下の体つきはまだ若々しい。
ふわりとカーテンが揺れた。
男が顔をあげると、何時の間にかクラウディオが横に立っている。
「オイゲン公爵殿・・・ただいま戻りました」
「ご苦労だった。エーリッヒを攻撃したそうだな」
「私の監督不行き届きでした。申し訳ございません・・・」
男はあごの下で手を組んだ。
「法王院は、わしが睨んだ通り、内部で足の引っ張り合いを始めたぞ」
オイゲン公・・・法王院の一員であり、『法王の耳』を結成した貴族である。
「馬鹿どもが法王<陛下>に取り入ろうと政治的戦力を消耗している間に、わしはじっくり力をつけさせてもらう」
オイゲン公の目は、暗く鋭い輝きを放っていた。
「そしてオランで『何か』が起こった時、いち早く事態を収拾する・・・法王め、いずれはわしに助けを乞わねばならぬ様にしてやろう」
「オランには他議員の密偵達も入り込んでいるようです」
「邪魔ならば消せ」
「はい」
クラウディオの表情は、毛ほども動かない。
「子飼いの密偵どもに『法王の〜』などとつけて、名前をタテに好き勝手やるつもりかなどと言いおった連中も、お前達を認めざるをえんようにしろ。実力の差を見せつけてやれ」
「御意に・・・」
クラウディオは一礼すると、踵をかえして立ち去った。
再び一人になったオイゲン公は、正面に飾られた絵に目をやった。
彼の視線は、悪魔を倒す英雄達の絵に注がれている。
「神がどうした」
そのつぶやきには、いくつもの激しい感情がこめられていた。
「所詮、ものを言うのは人の力だ・・・」
間もなくオランに、嵐が訪れようとしていた。
それはとても小さな嵐ではあったが、多くの人間の運命を乱す、激しい嵐だった。
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