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No. 00094
DATE: 1998/11/07 11:02:33
NAME: ワヤン
SUBJECT: 白い花
草原にしか咲かない花がある。
どこにでもあるような白い野の花で、中心がほんのりと赤い、可憐で弱々しそうな花。
だが、その花は生命力にあふれ、春になれば草原中に咲き、冬の終わりを告げた。
「ツェツェク」というのが、その花の名前だった。
初夏の草原に、心地よい風が吹いていた。その中を、二頭の騎馬が駆けてくる。前を走る馬には、背の高い若者が乗っている。体格は立派な男のそれだが、顔にはまだ幼さが残っている。後を追うのは、若者よりふたまわりも小柄な少女だった。風になびく金の髪の中から、わずかに尖った耳が覗いている。
「ワヤン、まて、こらあ!!」
少女が声を張り上げた。若者は苦笑して、わざと馬の速度を少しだけ落とした。みるみるうちに、少女の馬は若者に並んだ。
「どうしてあたしを置いて行くんだ!?」
「だってよツェツェク、お前の所の馬、お産に今朝までかかったんだろ? 疲れてるかと思ったんだよ!」
「つべこべ言うな、このぉ!!」
花と同じ名を持つ少女は、ひらりとワヤンに飛びかかった。
「うわ、よせ馬鹿あぶねぇっ!!」
二人は互いをかばい合いながら、地面をごろごろと転がった。転がりながらツェツェクはワヤンに平手打ちをし、彼がひるんだところで、さっと仰向けになったワヤンの胸の上に馬乗りになった。
「あたしの勝ちだワヤン! さっさと謝れ!」
草原と同じ、鮮やかな緑の瞳を勝ち気にきらめかせ、ツェツェクは腕組みをしてワヤンを見下ろした。
ワヤンはじっとツェツェクを見たまま、黙り込んだ。真剣な、何か思いつめているような表情に、ツェツェクは怪訝な顔で腕をといた。
ひゅう、と風がそよいだ。
「ツェツェク、俺の妻になれ」
ワヤンは静かに言った。
「夏が過ぎたら、俺と結婚してくれ・・・」
しばし、沈黙が下りた。
ツェツェクは唇をかみ、再び腕を組んで何か考えていたが、ややあって口を開いた。
「条件がひとつある」
「・・・何だ?」
「二度とあたしを遠乗りに置いて行かないと誓え!」
ワヤンは溜め息をついた。
「・・・わかった、誓う」
「よし」
ツェツェクはワヤンの首に抱き着いた。
「ワヤン、あたしたちは今から永遠に一つだ」
ツェツェクは「蒼き雷」部族の、族長の娘だった。彼女の両親は人間だったため、ハーフエルフのツェツェクが生まれた時には大騒ぎとなった。
真っ先に、母親の不義が疑われた。母親はおそらく、身の潔白を証明しようとしたのだろう。短剣で胸をついて自害した。
最愛の妻を失った族長は、娘に対してどう接したらいいのか判らなかった。そのため彼は、ツェツェクを部族の呪い師であるワヤンの両親に託した。一歳ちがいのワヤンとツェツェクは、兄妹のように育てられた。
幸いなことに呪い師夫婦は、優しくも厳しい、立派な人間だった。子供がワヤン一人ということもあり、ツェツェクは本当の娘のように愛情を注がれた。
それがなければ、ツェツェクは周囲の嫌悪と迫害を含んだ視線に、耐えられなかっただろう。
ワヤンとツェツェクはいつも一緒にいた。そのためツェツェクは同い年の娘達と花を摘んだり、恋の話をする事はなく、男の子にまじって狩りをしたり、ケンカをしたりした。つまらないイタズラをするのも、遠乗りをして真夜中に帰ってくるのも一緒だった。二人とも、はっきり言って部族の問題児だった。
兄妹の情が、対等な友情に変わり、愛情になるまでに、そう時間はかからなかった。
風が湿った夏のものになった。
ツェツェクはお転婆をひかえ、花嫁衣裳を縫い始めた。慣れない針仕事に四苦八苦するのを横でからかって、ワヤンはよく刺されかけた。
そのワヤンはワヤンで、冷やかしとやっかみ、さらに「族長の娘とはいえ、よく『取り替え子』なんかと結婚する気になったもんだ」という中傷を追い払うのに忙しかった。
すぐに秋が来た。風が冷たく吹いて、草原の緑を金色に変えていった。
秋も終わりに近付いた頃、真っ白な花嫁衣裳が縫い上がった。
結婚式には、多くの部族から客が祝いに訪れた。いつの間にか一人前の男の顔になったワヤンと、花のように美しく、凛としたツェツェクの花嫁姿に、誰もが息をのんだ。
宴は何日も続いた。
「・・・・・・」
ワヤンはこっそり席を抜け出して、ゲル(テント)の外にいた。
厳しい目で夜空を見上げる。シルフの歌声が、何かを警告しているように彼には聞こえた。首筋がチリチリと総毛立つ。戦いの前触れのような、キナ臭い気配がする・・・・・・。
「ワヤン」
同じように抜け出してきたツェツェクが、夫に声をかけた。彼女は馬をひいている。
「ちょっと出よう」
「花嫁花婿がいなくなっていいのかよ」
「かまわないさ。どうせもう、あたし達は騒ぐためのダシなんだ」
ツェツェクは花嫁衣装のままで、身軽に馬にまたがった。ワヤンも続いて、その後ろに乗り、手綱を握った。
「チョッ」
軽く息を吐き出して合図すると、よく慣れた草原の馬は、それだけで走り出した。
乾いた風が吹く。
二人は、押し黙ったまま馬に揺られていた。
「・・・あたしは自分が嫌いだ」
ふとツェツェクが話し出した。
「この金の髪も、緑の目も、白い肌も、尖った耳も、何もかも嫌いだ」
ワヤンは黙って聞いていた。
「でもワヤン、お前はあたしが好きだと言う」
冬が近い事を告げる、冷たい風がツェツェクの髪を舞い上がらせた。
「だから、あたしは自分が好きになった」
ワヤンは黙ったまま手綱を放し、ツェツェクの細い体を抱きしめた。代わってツェツェクが、そっと手綱をとった。
ツェツェクの体の温かみを感じながら、ワヤンの背筋にはあの不安感がつきまとっていた。
その予感は、当たった。
冬が来る前に、雪が降った。白く美しい雪は、黒い死の病を含んでいた。
家畜が死に、汚れた水を飲んだ子供や老人が次々に病み、倒れていった。草も枯れた。二度とこの大地に命は芽吹かないと、誰もがそう思った・・・。
急ぎクリルタイ(族長会議)が開かれたが、何の解決法も見つからなかった。飢えと乾きに心まで病んだ部族が、あちらこちらで争い始めた。
草原を出るか、戦うか・・・「蒼き雷」は、戦う事を選んだ。
草原に根づいた彼らは、死んでも草原を捨てられなかった・・・・・・。
「北西の陣が破られたな」
遠くの騒乱の声を聞きながら、冷静にワヤンは言った。
「もうじきここに来る・・・」
「あたし達は逃げない。もう覚悟はできている」
「ツェツェク・・・」
「最後まで戦う。あたし達は誇り高き『蒼き雷』なんだ」
槍を手に革鎧を着こみ、髪を結い上げたツェツェクは、まるで戦乙女に見えた。
「あたしにかまうな」
ツェツェクはきっ、とワヤンの目を見つめた。
「行け、ワヤン。行って敵を打ち倒せ。お前は雷」
神託を下す巫女のように、彼女はすっと戦場を指差した。
「行け!」
ワヤンはほんの数秒だけツェツェクをきつく抱きしめ、想いを振り払うように馬に乗り、走らせた。
後ろから、ツェツェクの声が追いかけてきた。
「忘れるな、あたし達は永遠にひとつだ!」
雨の匂いがした。
死体の群れの中で、ワヤンは目を覚ました。
肩から袈裟懸けに切られた傷が、血で固まっている。空はどんよりと曇っていた。雨の気配。
頭の中が真っ白だった。ワヤンはゆっくりと起き上がり、ふらふらと歩き出した。
あれから何日たっているのか・・・誰かが火を放ったのだろう、焦げ臭い空気がまだただよっている。
草原をさ迷ううちに、ワヤンにふつふつと感情が戻ってきた。
何故だ。
何故俺は生き残った。
何故俺だけが生き残った・・・・・・。
憎かった。
草原が、病が、敵となった部族達が、生き残った自分が。何もかもが憎く、恨めしかった。
幽鬼のようにワヤンは草原を歩き続けた。数日後、彼は力尽きて倒れた。
(俺は死ぬのか・・・)
目を閉じたまま、ワヤンは微笑んだ。
(そうか・・・死ぬんだな・・・)
さわ・・・と柔らかい風が吹いた。
名前を呼ばれたような気がして、ワヤンは目を開けた。そして、彼は驚きの声を上げた。
花が咲いている。
白い小さな、中心がほんのわずかに赤い、可憐な花・・・・・・。
「・・・ツェツェク・・・」
声を出したとたん、様々な事が思い出された。
子供の頃の思い出、いつも聞かされた草原の教え、馬頭琴の音色、歌声、笑い声、自分が生きていたいくつもの証し・・・・・・。
草原はよみがえっていた。再び春の訪れとともに、草が、花が咲いていた。恨みと憎しみに凝り固まっていたワヤンは、ずっとその事に気付かなかっただけだった。
ワヤンの目から、はじめて涙が流れた。
彼はそのまま、泣き続けた。
風が暖かく、花をゆらして、地平線の彼方に去っていった。
ワヤンが旅を続けた末オランに現われるのは、この4年後の事である。
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