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No. 00005
DATE: 1998/11/19 23:58:18
NAME: ファークス
SUBJECT: ファークスの冒険(外伝1)
外伝1 「ファークスの冒険」
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「…オレが出歩くと、必ず雨が振りやがるな…。」
きままに亭から出たとたんに、空から冷たい雨が降ってきた。 店に引き返そうかとも思ったが、
まだ小雨の状態だったので、ファークスは走って邸に帰ることにした。 ちょうど邸と店の半分
くらいまで来たとき、雨は激しく降り落ち、地面に跳ね返った水が煙となって視界を閉ざし始める。
周囲には出歩いている者は誰もいない。 こんな土砂降りの中出歩く者は、そうそういないだろう。
「…仕方ない。 あそこを通ると泥で汚れるが…近道を使おう。」
言うなりファークスは、商店の脇を抜け、大通りから裏路地に入った。 この狭い路地も石畳が
敷かれてあるのだが、吹き込んだ風が長い間に渡って砂をため込み、石畳を覆っているのだ。
雨の日にここを通ればよく滑るし、そして跳ねた泥で確実に汚れる。 自分の足下が泥だらけになって
いくのを見て、ファークスはどうしたものかと考え込む。 この足で邸に上がれば…あいつが文句を
言うのはどうでも良いが…邸を掃除する子が可哀想だからな…。 なるべく、汚さないように
しないと…。 ひた走るファークスの目が、水煙の向こうにある人影を捕らえた。
「おうおう。 こんな雨の中…何してるんだ…? …というより邪魔なんだけどな…。」
道の真ん中で、三人ほどの人影が動いている。 細い道を塞いでいるので、どいて貰わないと
いけないのだが…。 ふと考えた思いは、その人影の中の一人が発した悲鳴によってうち切られた。
「は…なして! いやっ やめてってば…っ!! っ……だれか…っ!」
「オイっ! はやくそっちを持てよっ さっさと運ぼうぜっ!」
「わかってるよ! …大人しく来いってんだよっ! テメェ…っ! コラッ!」
「ファークスいっきま〜す!」
ファークスの跳び蹴りが、男の一人の腹に炸裂した。 男はもんどり打って泥だらけの地面に
倒れ込んだ。 着地すると同時に、ファークスは裏拳をもう一人の顔にたたき込む。
こちらも、鼻から血を流し地面に倒れ込んだ。 男達には目もくれず、ファークスは悲鳴の主を見た。
まだどこかあどけなさを秘めた、16、7歳ほどの女の子だった。 どことなく、街の娘の服装では
無いように見えた。 …村人なのか? それがファークスが最初に感じたことだった。
「…どうした? この“いかにも私は悪人です”って顔したおじさん達に、なにかされたか?」
しかし…。 その少女からは、なにも返事が返ってこなかった。 ただ悲しそうに、うつむいている。
「……テメェっ!」
地面に倒れ込んでいた男の一人が、ファークスの背中に飛びかかった。 少女に気を取られ反応の
遅れたファークスは、そのまま地面に倒れてしまう。 その拍子に泥水が目に入り、強烈な痛みが
目に走る。 ファークスはもう片方の目で男を確かめると、渾身の蹴りを急所にたたき込んだ。
ハグゥッ! という声を上げて、男がもう一度倒れる。 さらに鼻血を出していた男が起きあがり、
少女に掴みかかろうとした。 ファークスはその鼻血男の足を払い、こちらも地面に倒す。
その様子を逃さず、少女はくるりと向きを変え、その場から脱兎のごとく駆け出した。
泥の中でもつれながら、ファークスは少女を目で追った。 少女はそのまま表通りに抜け、曲がり、
見えなくなった。
「…っち! おいっ! 仕方ねえっ! 引くぞ!」
少女に気を取られているうちに、男達もその場から走り去った。 ファークスの待てという声に
振り向かずに…。 後に残されたのは、全身泥だらけになったファークスだけだった。
これ、洗濯してもらうのか…。 泥水を吸って重くなった服を見て、ファークスは力無く笑った。
「ハハ…ハハハハハハ……あぅ…またミントに怒られる…」
雨はまだ、降り止まない。
*************************
「魔獣の苗(なえ)…ですか。 また、およそ理解できない代物ですね…。」
ファリス神殿の応接室で、リードは一人の騎士と向かい合っていた。 先日、暗黒神ファラリスを
あがめる集団を、この騎士は討伐しに行った。 激しい戦いが行われたが、討伐は成され、暗黒神を
あがめる邪教の徒は光の法の下に処刑された。 …もっとも、数名の信者を取り逃したらしいが…。
ファリスの名を掲げる騎士は、彼らが隠れ家として使っていた廃屋を調べた。 そして見つかったのが、
人間を苗床にして、魔獣を育てる一種の研究だった。 調査に寄れば、人間の身体に苗を埋め込み、
1ヶ月後にはその母体となった人間を食い破りながら、魔獣が生まれるという。
「彼らの考えは、理解できないのは当然です。 …人間を使って、魔獣を育てるとは…。」
「…で、その廃屋には、研究実験とされていた人間の姿が、どこにもなかった、と…。」
「そうです。 我々が乗り込んだとき、魔獣を植え付けられていた者の姿はありませんでした。
…おそらく、我々が討伐に現れる少し前に脱走をしたらしく…。」
「…ならば、時がたてばその脱走した者から魔獣が生まれる…、ということなのですね?」
「その通りです。 ですが、魔獣の誕生だけは、何としても押さえなければなりません。
…私も彼らが研究していた文献を調査しましたが、生まれ出る魔獣は、およそ人間の太刀打ち出来る
ものではない…と。」
人間の太刀打ちできない魔獣…。 リードは少し考えた後、目の前の騎士に聞いた。
「魔獣を誕生させないためには、どうすれば良いのです…?」
「心苦しさはあるが、魔獣が誕生する前に、その苗床を…、苗を植え付けられた人間を、抹殺するしか
ありません。 …一人の人間の命を失うことになりますが、強大な魔獣が誕生したとなれば、
その数はもっと増えるのですから…。」
歯を食いしばらせ、しかしそれでも固い決意で、騎士は言った。
「待って下さい、苗を…その人間から、取り除くことは出来ないのですか? 体内にいるうちに、その
苗を取り除いてしまえば、魔獣は誕生しないし、苗床となった人間も救えるのではないのですか?」
「よほどの、手術の腕が必要です。 …おそらく、どの医師も嫌がるでしょうね…。」
「…なぜ?」
「なぜなら…、手術に失敗すればその瞬間に魔獣は誕生し、その場で人を襲う様ですから…。」
少しの間、両者とも何かを考えていた。 目線を逢わせず、ただじっと何かを…。
「…せっかくお越し頂いて、このような話で申し訳ないです、リード卿。」
「…協力できることが有りましたら、何でも言って下さいね。 …それでは、失礼します。」
去りゆくリードの背に、騎士は付け加えた。
「…苗を持った者を見つけられたら、すぐに我々にお知らせ頂きたいものです。」
「解りました。 …では。」
会釈を残して、雨よけフードの付いたマントを被り、リードはファリス神殿を後にした。
*************************
その日の食事がすんだ後、リードとファークスは、暖炉に当たりながらそれぞれ時間を過ごしていた。
リードは難しげな文献を手にしており、 ファークスはその横でダーツを楽しんでいる。
文献を眺めながら、リードが騎士の話を思い出したとき、不意に文献に鋭いダーツが突き刺さった。
見ると、自分の手が滑ったことに驚きながら、苦笑いをしている悪友がいた。
やれやれ…と言う顔をしながら、リードがダーツを的に向かって投げた。 それは的の中心に見事に
突き刺さる。 ファークスの誤魔化すような拍手を聞きながら、リードは話かけた。
「…ミントから聞きましたよ。 …あなたに、泥遊びの趣味があるとは、知りませんでした。」
「ハハハ…。 でも、遊びにしちゃあ面白く無かったけどな…。」
「…今日、ファリス神殿から人捜しを頼まれましたよ。」
「今日さ、襲われている女の子を見つけてさ…。」
…二人は、同時に切り出した。
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それから数日…
「眠い…眠すぎる…。」
ふらつく足が、その眠さを表している。 きままに亭で朝まで話し込み、いまはその帰りだった。
邸に向かいながら、ふと思う。 …そうだ、たまには外で寝よう。 風が気持ちよく吹く場所で、
大地に寝そべってみよう…。 酒の飲み過ぎで身体が火照っている。 軟らかいベッドで寝るよりも、
風に吹かれながら寝た方が、恐らく気持ち良いに違いない。 邸がもう見え始めたというのに、
ファークスは振り返り、今度は街の端にある丘に向かって歩き始めた。 少し歩いて、ようやく丘に
上り詰めた。 予想通り、シルフが涼しげな風が吹かしている。 まだ白み始めた空を仰いで、
ファークスは一度大きく体を伸ばした。 全身を冷たい風が撫でていき、その妙な気持ちよさに思わず
身体を振るわす。 眼下には街が広がっている。 この高台から見える景色は、格別だった。
…もっとも、この先は崖になっていて、あまり近づくと危険な場所でもあるのだが…。
ファークスが寝場所を見つけようと、辺りを見回したとき、そこに彼は先客を見つけた。
「…寝ている…のか…?」
少し向こうに、人が寝ていた。 場所がこんな寝るに適した場所でなければ、倒れている…と思った
だろう。 少し気になり、ファークスは近づいた。 寝ていたら悪いから、静かに…。
そして、気づいた。 この前の雨の中で襲われていた娘であることに…。 よく見たら、
服装もあの時のままだ。 寝ているにしては、息づかいが荒い。 見ようによっては苦しんでいる様
にも見える。 ファークスはその娘の顔を、正面からのぞき込んだ。 その瞬間、娘は目を覚ました。
「パンッ!」
乾いた音が、その場に鳴った。 容赦のない平手打ちをくらい、ファークスは驚いて声も出なかった。
焼けるようにヒリヒリする頬を押さえ、自分を警戒している娘を見る。 娘は素早く起きあがり、
いつでも逃げ出せるように身構えながら、ファークスを睨み付けている。
「…あのさ、別に、何かしようと思ったわけじゃないんだけど…。」
苦笑を浮かべながら、ファークスは話しかけた。 …ちょっと疚しかったかな…。 僅かに反省する。
「ここで寝ようと思ってきたら君がいて…何か、様子がおかしかったからさ…。」
「あなたは…。 この前の…?」
彼女が聞く。 警戒心を伴った声の響き。 だがその裏には、僅かに悲しげな感情が感じられた。
「ハハ…。 覚えて頂けて何より♪ …って、何でこの前追われていたんだ? あ、別に無理には…」
「あの時は…助けて貰っておいて、ごめんなさい…。 あっ…わ、わたし…もう行かなきゃ。」
話を早々に打ち切ろうという感じで、彼女が歩き出す。 丘を下りながら、ファークスを振り返る
こともなく、斜面を降りていく。 やや困惑しながらも、ファークスは草の上に横たわった。
日頃馴染みのない草の薫りが、心の淀みを取り除いていく。 次第に朝日を受けて、街が輝き出す。
真っ青な空に、すーっと一本の筋雲が伸びいている。 子守歌のような木々のざわめきが、深い眠りに
ファークスを誘っていく…。 しかしその快楽は、以前にも聴いた悲鳴で掻き消えた。
跳ね起きたファークスは、斜面で襲われている少女の姿を認めた。
「…また、奴らかっ!」
あの雨の中で揉み合った男達。 男達は既に少女を連れ去ろうとしていた。 ファークスは右手中指に
填めてある指輪に意識を集中させる。 指輪が澄んだ音を発し、闇の光を放ち始める。
「いでよ…ディアブロッ!」
放たれた漆黒の竜が、男達の一人に炸裂した。 身体が跳ね、衣服が飛び散り、男は大地に
打ち付けられた。 驚いたもう片方の男が、丘の上に立つファークスを視認する。
「…ちっ! またあの男か…!」
斜面を駆け下り始めたファークスを見て、男は倒れた男を叱咤し立ち上がらせると、そのまま少女を
投げだして逃げ始める。 駆け下りてきたファークスは、地面に倒れて蹲っている少女に手をかけた。
「…おぃっ ケガはないか…」
問いつめるファークスの顔色が変わった。
「おまえっ! 凄い熱じゃないか…。 いけないっ… はやく邸にでも…。」
ファークスは彼女を背中に掴まらせ、急いで駆け出そうとした。 その目が、ふと地面に落ちている
紋印に注がれる。 彼女を背中にのせたまま、ファークスは草の上に落ちているそれを拾い上げた。
どこかで…見た覚えがある…。 昔まだ冒険者だった頃の…でも、ちょっと違うか…。
ファークスは彼女を急いで邸に運んだ。
邸につくと、すぐに彼女はベッドに寝かされた。 初めは魘されていたものの、次第に容態は収まり、
数刻後には安らかな寝息を立て始めた。
「…良くお前と会うな。 あの娘も。 …で、それが男達の落としていった物か?」
「ああ…。 ディアブロ喰らって、這々の体で逃げるとき、落としたんだろうな。」
「あまり使うなよ、ディアブロは…。 何ならオレのレイ・ソルを貸してやろうか?」
「そいつは速いだけで威力が無い。 魔法迎撃用には使えるが、オレはディアブロが好きだ。」
「ま、良いさ…。 …で、その紋印が…何なのか解ってるのか?」
「暗黒神ファラリスのあの紋印に…似てはいる様な気がするが…。」
…ファークスの脳裏に、生死をかけて戦った、暗黒神官の顔が思い出される。
…その事件がやがてファークスの恋人を奪い、そして星魔という魔物と戦うキッカケになったのだ。
極寒の地で全ての戦いが終わったとき、神々に愛されし竜も、その光を永遠に閉ざした。
何故かひどく懐かしいように思える。 …まだそれほど時は流れていないのに…。
ファークスの表情は非常に豊かで、見ているだけでその心の内を読める。 悲しい記憶を思い出して
いるのに気づき、リードは話しかけた。
「暗黒神の紋印に違いはないが…やや本筋から逸れた、どちらかといえば異端派だろうな…。」
「異端派の中のまだ異端か…。 理解不能だな…。」
「問題は何故、そのファラリス信者に追われているか、だが…。」
数瞬の後、二人は同時に呟いた…。
「取り逃がした残党が…、苗床を取り戻しに来た…。」
*************************
夢を見ている…
穏やかな村に、住んでいた…。 家は…村は貧しかったんだ。 けど、みんな優しかったし、
みんな笑いかけてくれた。 気持ち良い風の吹く日には、森の中に生えている、大きな樹によく登った。
みんなは止めろって言ったけど…村の外れに住むロイスさんだけは、ケガだけはしないように…って
言ってくれたんだ。 ある日ね、あたし、森の中で動物の赤ちゃん拾ったんだ。
弱ってて今にも死んじゃいそうだったの。 家に連れて帰ったら、きっと駄目って言われるから、
あたし、森の中でこっそり育てたの。 名前も付けたんだ。 りーちゃんって。 りーちゃんは
どんどん大きくなっていったんだ。 でも、ある日村長さんに見つかっちゃったの。
村長さん、驚いてた。 そして、言ったの。 りーちゃんを渡しなさいって。 どうして?…って
訊いたら、それは人を食べる悪い動物なんだよって、村長さんが言ったの。
あたし、村長さんのこと優しい人っておもってたけど、なんかそのときの村長さん、
すっごく怖かったんだ…。 あたし、絶対にやだって言ったの。 りーちゃんは絶対渡さないよって。
それで、森の奥に逃げたんだ…。そしたらね、村の人がみんなであたしを探したの。 疲れちゃって、
りーちゃんと一緒に眠ってたの。 あたしが目覚めたとき、りーちゃんは頭をかち割られて、死んでた。
村の人みんな、斧とか、弓とか持ってた。 りーちゃん、あたしが眠っている間に、あたしを
護ろうとして、一人でみんなと戦ったんだって、後から聞いた。 りーちゃんそのままにして、
みんな帰った。 ロイスさんだけ、そこに残ってくれて、あたしが泣いてる間ずーっと待っててくれた。
あたしが泣きやんだら、今度はりーちゃんのお墓を作ろうって、頑張って穴を掘ってくれたの。
ロイスさんだけが、解ってくれる…って、あたしそう思ったんだ…。
*************************
「すまない…、ミント、頼みが有るんだが…。」
邸の階段を降りてくるミントを見つけ、ファークスは呼んだ。
「ハイっ! なんでしょう、ファークスさんっ♪」
明るい返事が返ってくる。 ファークスは彼女に近寄り、何かを耳打ちした。
とたんにミントの顔色が変わる。
「あのぉ…えっと…どうしてそんなことを…お聞きになるんですか…?」
「ちょっとまってくれ…勘違いしてないかっ? どうしても…聞きたいんだよ。
…って、だからそんな目で見ないでってば!」
ミントが明らかに拗ねたような目でファークスを見る。 その目の意図していることに気づき、
ファークスは必死に弁解する。
「だから…そう! オレじゃない! リードが…リードの大バカ野郎が、どーしても知りたいって
言うからさ…。 …オレも、リードに確かめろって言われて仕方なく…。」
にこやかな笑顔を浮かべて、ファークスは言葉を並び立てた。 普通なら怪しむところだが…
無垢なミントは、その言葉に納得する。
「あっ…じゃあファークスさんが知りたいんじゃないんですねっ♪ わかりましたっ!」
彼女は笑顔でそう言うと、もう一度二階で寝ている女の子のもとへと向かった。
「…許せ、リード。 オレはミントに変態扱いされたくないのでな…。」
とりあえず、後でミントの
報告を聞こう。 …ファークスはそのまま気ままに亭に向かった。 運が良ければ会えるはずだ。
…名前は確か…ヒム先生とか言ったっけ…。
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ミントがゆっくり扉を開けた。 音の出ないように…微かな寝息を立てている彼女を起こさない様に…。
側に置いていた水置きに、タオルを湿らせ、ミントは力の限りそれを絞った。
そしてそれを手に取り、寝ている彼女の所に行く。
「身体を…調べる…どうしよう。 …やっぱり脱がすしかないですよねぇ…。」
ごめんなさい…起きないでね…。 ミントは心で念じながら、寝ている彼女の服に手をかけた。
裾を持って、ゆっくりと脱がせる…。 だが、どうしても寝ている彼女の体重が掛かって、
服は思うように脱がせられない。 相手を起こさないように慎重にしているから、さらに難しい話だった。
ほんの少しめくれた所から、ミントは片腕を中に入れてみた。 暖かい体温が、女の子の軟らかい肌の
感触が手に伝わってくる。 そして…。
「…きゃっ!? え…もしかして…???」
ミントの手の先が、なだらかな盛り上がりに触れた。 ひょっとして……? でも、まだ…。
自分の腕の長さと、いま服の隙間から潜り込ませている位置、それに、自分の胸の位置…。
どう考えても、もっと上のハズなのに…? ミントが戸惑ったような顔をしていると、不意に声がした。
「…何をしている?」
「…ひっ!」
驚いてその場から飛び退く。 見ると、怪訝な目をしながら、自分を睨み付けている少女の姿が
そこにはあった。 その目の端には、僅かな涙の後が光っている。
「あ…あははは…。 え、えとぉ…汗を拭こうと思いましてぇ…」
ぎこちなく笑いながら、片手に持っていたタオルをひらつかせてミントは言った。
その様子にフン! と鼻を鳴らし、彼女はミントに問いかけた。
「ここは、何処だ? 何故わたしはここに居るんだ…?」
「あっ! えっとぉ…ファークスさんが、丘の上であなたを見つけたって聞きましたけど…。」
「ファークス…あの男か…。」
「あの…お身体、大丈夫ですか?」
「たいしたことは無い。 心配かけたね…。」
その時初めて、彼女は少し笑った。 その笑顔は、緊張していたミントを落ち着かせる。
「とんでもないですっ♪ もう少ししたら、お食事運んできますからねっ 待ってて下さい♪」
ミントがそう言いながら、部屋から出ていく。 後に残された彼女は、もう一度息を吐きながらベッドに
横たわった。 近くの窓から差し込む明かりを暖かく感じながら、彼女は自らの腹部をさすった。
…彼女の淡い胸と同じようになだらかな盛り上がりが、びくっと動いたように彼女は感じた。
「何も知らずにわたしを助けて…。 ありがとう…でも迷惑はかけられないから…。」
彼女は心で皆に礼を言うと、そのまま誰にも気づかれないように邸から出ていった。
階段を降りて、食堂を通り厨房に向かう途中、ミントはリードに会った。
「あっ! リードさま〜っ♪」
「…おや。 ご機嫌ですね、ミント。 良いことでもありましたか?」
「はいっ! お二階の方、目が覚めました♪ …あとですねぇ…。」
ミントが声を潜めて、手招きで呼んだ。 …なんだろう? リードは言われたように、彼女の口元に
耳を近づける。 すこし背伸びをして、ミントはリードに耳打ちした。 とたんに、リードが
笑っているのか怒っているのかわからない顔になる。 声を震わせながら、リードは聞いた。
「あの…ミント? わたしは…そんなことを頼んだ覚えが無いのですが…?」
「えぇっ!? …でも…ファークスさんがあたしに…。 リード様から頼まれたって…。」
「わかりました…。 ではミントは、あのお方にお食事を用意して上げて下さい。
…わたしは…少し用事を思いつきましたので…。」
「ハイッ!」
元気の良いミントの返事を聞きながら、リードは気ままに亭に向かった。 あの男はこの邸とあの店
にしか行かない。 邸にいなければ、あの店だろう…。 リードはこみ上げる怒りを抑えながら、
気ままに亭に向かった。
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そのころ、気ままに亭では…。
「…ですからね。 手術を行うわたしの腕も、確かに問われるでしょうけど…。
何より、その患者さんが、“生きたい”って思うことが大切なのですよ。 死んでも良いとか、
どうせ助からないと思っている人が、助かることは有りません。 生きたい、そして何かをしたい、
恋をしたいでも良いですし…何かを成し遂げたいというのも良いでしょう。
難しい手術を受けてでも、何かをやりたい…したいという気持ちがあれば、手術は乗り越えられる
と思いますね…。」
「分かった…。 もしかしたら、世話になるかも知れないけど…いいかな?」
「ええ。 施療院はスズカケ通りに有ります。 遠慮せず、いらっしゃいね。」
お茶を片手に、穏和そうな微笑みを絶やすことなくそのエルフは答えた。
ファークスはイスから立ちあがり、目の前の医者…アシュレイ・ヒムにもう一度礼を言った。
「…オレは滅多に人を誉めないが…。 あなたの温かさは、見習いたい物がある。
宜しく頼むな、先生…。 すぐ、そいつを連れてくるからっ!」
「ええ。 出来る限りのこと、やらせていただきますよ。」
ヒムの言葉を聞きながら、ファークスは気ままに亭を飛び出した。 …手術をしてくれる先生が
見つかったんだ…。 後は、彼女を…ヒム先生の所に連れていって、手術を受けさせればいい。
先生ならきっと上手くできる…万が一駄目だったら、その時はオレが魔獣を倒す…!
店を飛び出し、駆け出したその前に、リードが立ちふさがった。
「…リードっ!?」
「何故、驚くのです? それに何を、慌てているのです?」
「あ、いや…。(知ってるクセに…)」
「…ミントから聞きましたよ? …わたしに内緒で、何をしようとしているのです…?」
僅かに怒気の込められた口調で、リードは悪友を睨み付けた。 負けじとファークスも、
鋭い目つきで睨み返す。
「あの子をさ、助けてくれる人見つけたんだよ…。 だから、これからあの子を連れていく。」
「…気は確かですか? ファリス神殿で聞いたことを、全てあなたにも話したはずですが?
…手術に失敗したら、その場で魔獣は誕生する。 このままほっといても、何れ魔獣は誕生する。
…可哀想ですが、ファリスの騎士達にあの子は任せるしかないでしょう…。」
「それは…殺すって言ってるのも同じじゃないかっ!」
「では、魔獣が誕生して…、人の手では太刀打ちできない魔獣が誕生した場合、それがこの街で暴れて
多くの人が不幸な目に有った場合、どのように責任をとるか、答えてご覧なさいっ!」
「魔獣は誕生しないっ! もし誕生したら…オレが一人で倒すっ! それで良いだろうがっ!」
「出来ないと言っているのですよっ! 落ち着いて考えれば分かるでしょう!」
「………。」
気ままに亭から僅かの所で、無言でお互いに睨み合う。 二人の関係は、いつもこうだった。
ただ感情に押し流され、しかし熱い気持ちを持つファークスと、いつも冷静に物事を見定め、状況から
最善な方法を見つけだすリード。 ファークスが問題を見つけてきては、リードを巻き込んで振り回す。
この関係は、あの頃から…昔、共に冒険していた頃から全く変わっていなかった。
出会った頃から、彼はムチャをする男だった。 そのムチャの理由も、子供のように単純なことが多い。
損得や打算などより、ただそう思ったから…ということで行動する。 その無茶な行動のせいで、
罪もない子供を殺したことがあった。 難病を治す奇跡の薬を、その薬の代金を払えない親のために、
盗んだのだ。 それが、言ってみれば彼の初めての冒険だった。 薬を受け取った子供は、病気を
克服し、今も生きながらえている。 …だが、その薬は同じ病気で苦しむ者のために、
用意されていたのだ。 …その子供の親は、必死にお金を貯め、薬を買おうとしていたが…
ファークスの周囲を省みない行動が、本来死んでしまっていた子供と、本来死ぬことの無かった子供を
入れ替えてしまったのだ。 …誰もファークスを責めなかったが、誰もその行為を称えなかった。
ファークス自身、あの事件で傷ついた。 …とても長い間…。
ファークスは不意にリードから視線を外すと、そのまま歩き出した。
「…何処に行くのです?」
「教えない。」
教えないも何も、すぐに邸に行って、あの女の子を医者に見せるのだろうに…。
振り返りもせず、そのままファークスは歩み去った。 その様子をリードは黙って見ている。
「からん…。」
立ちつくしているリードの目に、気ままに亭から出てきたエルフの姿が映った。
長い銀髪。 穏やかなすみれ色の瞳。 僅かな微笑みを浮かべてた顔には鼻眼鏡をかけている…。
「(医者…かな…? …ならば…この人とアイツは話していたんだな…。)」
視線が合い、お互いに会釈を交わす。 立ち去るエルフの後ろ姿を見たまま、リードは考えた。
ファリス神殿への報告をするべきなのかどうか…。
*************************
邸に帰ったファークスに、ミントが血相を変えて走り寄った。
「ファークスさんっ あの人が…あの女の方が、何処にもいなくてっ…」
「…何処にもっ!? …何故…いや、いつだっ?」
「お食事を運んだらもう…。 もう1刻ほど前になります…。」
「探してくるっ! ミントは邸にいろっ」
言うなり、ファークスはまた外に飛び出していった。 …彼の心の中を表すかのように、
空にはまた暗雲が広がり、激しい雨の予兆とも言うべき小雨が降りつき始める。
駆けるファークスの脳裏に、イヤな予感が渦巻いていた。 …女の子の行く先は見当がついている。
…なぜあの時気づかなかったのだろう? もっと早く気づいていれば…!
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「…成る程。 言いたいことは解りました…。 ですが…。」
リードの話を聞き終わり、そのファリスの騎士は言った。 雨の中ずぶ濡れになりながら、
リードはファリス神殿にやってきた。 そして言った。 …苗床なる者が見つかった…と。
そしてもう一つ。 それを手術で取り除こうとしてくれる医者も見つかった…と。
「…ですが…魔獣が誕生した場合のことを考えると…。 賛成は、しかねますな…。」
「…それならば、わたしも、オランの何処に置いて手術が行われるか、言うわけには参りませんね…。
良いのですか? 絶好の機会かと思うのですが…?」
「絶好の機会…? どういうことですか…?」
そして、リードは小声で騎士に、何かを耳打ちした。 騎士の顔が苦渋にゆがむ、 …だが、
やがて騎士はリードに従った。
「上手く行かなかったときの責任は…大きいですな。」
「覚悟は、していますよ。」
「…リード卿は、本当に気苦労の絶えない方ですな。」
そう言って、騎士は豪快に笑った。 リードはお願いします、とだけ言って、その場を後にした。
*************************
「…やっぱり、ここに…いたんだね…。 …濡れると風邪を引く。 …オレと帰ろう?」
乱れる息を整えもせずに、ファークスは丘の上で佇む少女に声をかけた。
信じられないような顔を
見せながら、少女はファークスに訊いた。
「…どうして、ここだと解ったの…?」
「ここで会った時のこと、思い出してね…。 最初はここに寝に来たのかと思った。
…でも、いま解ったよ。 …君は、ここに寝に来たんじゃなかったんだ。 …この先にある崖から
飛び降りて、自殺するつもりだった…そうだろう?」
「解っているのなら…死なせて…。」
降り注ぐ雨が、少女の全身を濡らしていた。 前髪が顔にぴったりと張り付いて、流れる涙も、
冷たい雨に流されていく。 二人だけの時間が、辺りを包んでいた。
「わたし…ただ村で幸せに暮らしていたんだけどな…。 好きだった人に騙されて…身体に変なもの
埋め込まれて…。 気づいたら、どうしようもなくなってた…。 もうじき、魔物がわたしの
中から産まれるの。 そうなったら…みんなを不幸にしちゃうから…。」
「…良い人、見つけたよ。 君の身体のことを知って、危険だと解っていて、その人、
君の悩みを取り除いてくれるってさ。 …今すぐオレと一緒に行こう? 手術が終われば、
もう泣かなくてすむだろう…?」
「でもっ! そんな良い先生なら…よけいに頼めないっ! もしかしたら…失敗したら、
その先生を…わたしを助けようとしてくれた先生を殺しちゃうんだよっ! そんなの出来るわけ
無いでしょっ!?」
「何で失敗するって決めつけるんだよっ!! 助かりたくないのかっ! もう一度笑って
みたくないのかっ!!」
「だって…だって! 笑える…わけ…ないじゃない…!! …もう放っておいてよっ!!」
顔を伏せ、地面にうずくまりながら、少女が泣いている。 全てを吐き出し、堪っていた感情が
あふれ出たのか、大きな声で嗚咽を漏らしている。 ファークスは彼女に近寄り、無理矢理に立たせた。
力無く抵抗する彼女を、ファークスは思い切り抱きしめた。
「…男だったらぶん殴るんだがな…。 女の子には手を出せないから…。」
「お願い…だから…放っておいて…死なせて…よ…」
「駄目だ。 お前はオレに、一度もまだ笑ってくれていない…。 このままでは死なせない。
女の子は、好きな人に抱かれたときにだけ泣け…。」
「愛する人には裏切られたわ…。 その人は暗黒神の信者だった…。 わたしに…魔獣を…。」
「…魔獣のことは、オレと、お前を助けてくれるヒム先生に任せておけ…。 先生、言ってた。
“生きたい”って思いなさい…って。 手術を受けてでも、やりたいこと…成し遂げたいことを
見つけなさい…って。 …お前には無いのか…? 手術の痛みを忘れさせてくれる…
やりたいことが…?」
ファークスにしがみつく腕に力を込めながら、その少女は小さな声で言った。
「…手術が終わったら…終わって生きていられたら…わたしと………して。 約束してくれたら、
手術受ける…。」
はにかむような声…。 僅かに照れながら…嬉しさを言葉に含めながら…。 降り注ぐ雨の中、
二人はしばらく離れなかった…。
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月が雲に隠れた。 その中を、ファークスは歩いていた。 すぐ横には、神妙な顔をした女の子が
歩いている。 やがて、二人の足が止まった。 大通りと交差する、スズカケ通りの一角、
そこにある「ヒム精神施療院」…。 二人はそこに、入っていった。
オランでは珍しい木造二階建て。 入った瞬間、ハーブや香の薫りが漂ってきた。 気のせいか、
少し心が和む。 呼びかけると奥から鼻眼鏡をかけたヒム先生が出てきてくれた。
「…あなたのことは、ファークスくんから聞きましたよ。 …怖がらないで、任せておきなさいね。」
穏やかな口調で、ヒム先生が彼女に声をかけて出迎える。 そのまま、三人は診察室に入った。
ここも、待合室と同じように、安らかさを誘う薫りが漂い、骨董品や観葉植物が所狭しと置かれていた。
部屋に入ったファークスは、手術の準備をしているルルゥの姿を見た。
「あ、ファークスさん。 こんばんはです。」
礼儀正しくお辞儀をしながら、ルルゥが挨拶をする。
「こんばんは…って、ルルゥ…その姿は…?」
「彼はわたしの助手でしてね、大きな手術ですから、手伝って頂こうと思いましてね。」
会話を聞いていたヒム先生が簡単に説明した。
「そっか、ルルゥにもじゃあ、お願いします…だな。 …上手く行ったら、今度何か奢るよ。」
ファークスの言葉に、ルルゥも笑って頷いた。 頷き返すと、ファークスは彼女に目で合図した。
意図するところに気づき、診察室の奥に彼女は進んでいく。 その様子を見送りながら、
ファークスが静かに外に出ていく。 診察室にある手術用の小さなベッドの上で、横たわった彼女の
身体が小さく震えている。 当然と言えば当然だ。 …ヒムは微笑みながら、彼女に語った。
「怖い時にはね、大好きな人の名前を呼んで、その人の事を考えなさい。 痛みや、恐怖はあなたの
大好きな人にかないませんからね。」
「…でも…わたしの好きだった人は…わたしを裏切った…。」
「…では、これから好きになる人の事を考えなさい。 その人のためにも、少しだけ頑張りなさい。」
「これから…好きな人…。」
呟きながら、診療所から出ていこうとするファークスの姿を、彼女は目で追った。
「大丈夫、君は私が助けますからね。」
手術が、始まった。
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一度出た月が、また雲に隠れた。 ファークスは吐く息が白くなるのを見ながら、恐らく手術が
始まっているだろうと考えていた。 腰には、久しぶりに剣を装備している。
神秘竜を巡る一連の事件のあと、再度鍛え直して貰った魔剣、「星の雷」。 今はもう呪いが解け、
いつでも好きなときに剣を抜ける。 剣を構えて、闇にかざした。 その時、一陣の風が鳴った。
「やはり、来たか…。」
ファークスは、物陰から伺う男達を見据えた。 彼女を狙う、異端者の中の異端者…。
無垢な少女に過酷な運命を辿らせた者。 笑顔の似合う少女から、笑顔を奪った者。 そして…。
愛を信じた少女に、絶望を埋め込んだ者…。 絶対に、許せない…。
「…出てこい。 手術の邪魔は、絶対にさせん。」
「手術をされると、困るのだよ…。」
物陰から、6人の男達が出てくる。 闇に浮かべる下卑た笑い。 そのうち二人は、
雨の中で揉み合った者だが、後の四人は…。
「最後のチャンスだからな…。 こちらも、高い金で冒険者を雇わせて貰ったよ…。
この戦士なんか、魔剣を持っているんだぜぇ?」
言われた戦士が、鞘から魔剣を抜きはなった。 闇の中で、薄く赤い光を、静かに放つ。
「古代王国期の剣、か…。 そこの戦士。 それを失いたくなければ、引いた方が良いぞ…?」
「失うのはお前の方だろ〜? 剣と、命の二つをなっ。 ハハハハ!」
ファークスと、6人の戦いが始まった。 剣を合わせ、弾く。 剣戟が夜の静けさの中に響きわたる。
目の前の施療院の中では、笑顔を取り戻すため、必死に戦っている少女がいる。
ここでファークスが負けることは、少女の敗北をも意味する。 例え傷だらけになろうとも…
絶対に負けるわけには行かない!
「くくくっ…。 遺跡で見つけたこの魔剣の切れ味を…お前の身体で試させてもらうっ!」
「…折角見つけたというのに…。」
魔剣を持った戦士が、咆哮をあげて襲いかかる。 闇に赤い残像を残して、魔剣がファークスに
襲いかかった。 ファークスも“星の雷”でその魔剣に応じる。
「ギーーーーーーーーンッッッ!!!」
魔剣同士がぶつかり合ったとき、耳を劈くような音があたりに響いた。 魔力を持った魔剣が悲鳴を
上げているように聞こえる。 だが…。
「ガギンッ!!」
男の持っていた魔剣が折れ、そして弾け飛んだ。 地面に落ちたそれは、既に赤い光を失った、
ただの剣だった。
「…な…なんだとっ!? なんで…何で魔剣が折れるんだよっ!?」
「…流星に含まれる隕鉄から生まれた剣、“星の雷”。 隕鉄は全てのマナを中和させる…。
この剣の前に、魔剣は意味を成さん。 触れた物の魔力は、全て失われる…。」
「ば…ばかなっ!」
ひゅん、という空を切る音が響き、襲いかかる男達は次々と倒れていく。
だが…。 多勢に無勢の戦いでは、取り囲まれると為す術がない。 ファークスは3人の男たちに
囲まれた。 男達に剣を振るうが、全員が防御姿勢をとり、攻めが入りにくい。
逆に男達はただファークスを囲み、移動範囲を遮った。 ファークスが動けないのを見て、
異端者の片方が叫ぶ。
「今だっ! 一人でも良い、中に入って手術を邪魔するのだっ!」
ファークスの背後を通り過ぎて、男が一人施療院の扉に向かう。 ファークスを取り囲む男達は
しっかり体型を組んで、彼の動きや視界を妨げる。 たった一人でも中に入られたら…!
その時、闇の中に鋭い声が響いた。
「いでよ…レイ・ソル!」
輝く竜が、扉を開けようとしていた男に食らい付いた。 衝撃で吹っ飛んだ男は、頭から石畳の上に
落ちる。 声の主に、光竜を召喚した男の姿に、ファークスは目を疑った。
「…リードッ! …なぜここが解った…? それに…何しに来たっ!!」
闇の中から現れたリードは、背後にファリスの騎士達を引き連れていた。
状況を見取り、騎士達が剣を抜き放つ。
「何故解った…? 解らないとでも思ったか? それに何しに来ただと? 何しに来たと思うんだ?」
「ファリスの騎士を率いるとは…。 お前達もあの子の手術を邪魔する気かっ!
それが光の信徒のやることかっ!」
「…どうやら勘違いを成されているようだが…。」
ファリスの騎士達のうち、先頭の男が言った。
「…我らが目的はただ一つ。 …先に打ち損じた異端者の残党を狩ることなりっ!」
その声を合図に、控えていたファリスの騎士達が鬨の声をあげた。 そして、
ヒム施療院前での戦いは、あっという間に終わりを迎えた。
「…どうだ? レイ・ソルも役に立つだろう?」
笑いを浮かべながら、リードが言った。 言われたファークスはどこか憮然としている。
「…うるさい。 オレ一人で片づいたのに…。 余計な奴だ。」
「相変わらずだな…。 まったく…。」
そして、二人は同時に呟いた。
「…素直じゃない奴…。」
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夜が明け始め、空が白み始めた頃…。 施療院の前で待っていたファークスとリードの前に、
疲れた顔のヒム先生が現れた。 心配そうな顔で手術の結果を聞く二人に、ヒムは渾身の笑顔で頷いた。
「…無事、成功ですよ。」
そう言って、ヒムは手術皿に乗せた肉塊を二人の前に投げ捨てた。 ぴくぴくと蠢く、
ピンク色の肉の塊。 その塊は、光と闇の竜を数十発喰らい、誕生までわずかだったその鼓動を止めた。
…そして、朝日が昇った。
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「…目が、覚めたかな。」
ヒム先生の優しい声が、最初に聞こえた。 ゆっくりと目を開けて、辺りを見渡す。
ヒム先生や、助手のルルゥ、リードやミント、そしてファークス…。 全員が、彼女を覗き込んでいた。
「わたし…助かったの…?」
そう言って自分の腹部に手を当てる。 さすりながら、その顔に朱色が差していく。 そして…。
「無くなっている…お腹の…無くなっているッ!!」
「ばんざーーーーいいっっ!!!」
その場にいたみんなが歓喜の声をあげた。 声を限りに喜びの声を挙げ、全員が彼女の頭や、
背中を叩き、撫でる。 しばしの後、ヒム先生とルルゥが、他の患者の迷惑になるから…と、
皆に落ち着くよう合図を送る。 声は静まったものの、その喜びと興奮は、いつまでも続いた…。
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「…寂しいな、知り合ったばかりなのに…。」
「ありがとう。 ファークス…そしてリードさん、ミントさん! 絶対、忘れないからね…!」
「村に帰っても、元気に暮らしなさい。 そして、いつでもまた遊びにいらっしゃいね。」
「…あなたの今の笑顔、とっても素敵ですよっ♪」
「じゃ、…行くね。」
ゆっくりと、彼女が歩き始める。 オランを離れ、自分の村に帰るために。 街道を歩く彼女の姿が、
次第に遠のいていく。 …声が、届くか届かないか。 十分離れたのを見計らって、
彼女は一度だけ振り返った。 遠くに、まだ自分を見てくれている三人がいる。
彼女は、精一杯の声を挙げた。
「さようならーっ!! みんなっ! 本当に…ありがとーーっっ!!」
三人が手を振る。 その中の一人を見つめながら、彼女は語りかけた。
「(さよならファークス…。 約束、聞いてくれてありがとう…忘れないからねっ…!)」
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(→ 外伝2 「ミントの冒険」へ続く)
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