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No. 00019
DATE: 1998/12/10 12:42:30
NAME: リデル
SUBJECT: 狂気 (1)
細い月がオランを細々と照らしている。
リデルは、数冊の本を胸に抱え込むようにして、オランの夜道を歩いていた。
本の題名はどれも精神の分野に関する物。
調べ物をしていてもらちがあかないのはわかっているのだが、ただ待ち続けるのは、かなりつらいことだった。
角を曲がり、しばらく歩けば「気ままに亭」が見えてくるはずだ。
「・・・?」
と。
リデルは足を止めた。
建物の陰から、話し声が聞こえる。
男と女のかすかな話し声。そして・・・うめき声。
リデルは、少し迷って、建物の陰を覗いてみた。
「!」
そこで繰り広げられていたのは・・・惨劇だった。
不思議な建物から漏れ出す明かり・・・その下でぬらぬらと光る物・・・・血。
血にまみれた人間が・・・倒れている。
倒れている人間の横で、男と女が、惨劇など気にしていない、といったふうに、平然と会話を交わしている。
誰かに知らせなければ。これはただごとではない。
リデルはきびすを返した。
ぱきり。
あわてていたのか、暗くて足下が定かでなかったのか。枯れ枝を踏む音が予想以上に大きく響いた。
(しまった・・・!)
振り返ると、同じように音に気が付いて振り返った男女と目があった。
「ちっ! ・・・殺せ!」
男が叫ぶ。リデルはじり、と後ずさりした。
だが。
「その必要はないわ。・・・いらっしゃい」
女は、リデルに向かって手招きし、そういったのだ。
「いらっしゃい、坊や」
坊や、と呼ばれること事態久しかった。しかし、リデルが気にしたのはそんなことではなかった。
心の中をかき回されるような異質な力。
待ち続けることで疲れきった心でなければ、「狂気」であるととっさに判断して、排除するような響き。
女の声には、そう、紛れもない「狂気」の力があった。
ふらり。
一歩、踏み出してしまうと、後はとても「楽」だった。
何かに操られる可のように、リデルはふらふらと、ふたりのそばに歩いていった。
ばさり、と手に持っていた本が、音を立てて血の中に落ちた。
女の「メズマライズ」の魔法の効果に、男は鼻を鳴らした。
「ふん・・・見られてしまった以上は、殺すしかなかろうに」
「それは得策ではないわね。それに、この子には、依然お世話になっているもの」
女はくすり、と笑んだ。
「同郷なのよ。この坊やとは。年が二つ、離れているけど。小さい頃は、よく一緒に遊んだわ。・・・ねぇ、リデル?」
当然、暗黒魔法に頭を乗っ取られているリデルからは、何の返事もない。その様子を見て、女は笑った。
笑みの陰に、言葉の端々に、映る狂気の光。
「それに・・・同じだものね。あたしも、パパに捨てられたもの」
リデルの頬を撫でながら、女はさらに言葉を続けた。
「知ってる? あたしたち、だけなのよ? 捨てられて、生き延びたのは」
頬を撫でる指が、ふと、顎のところで止まる。
「・・・あなたは幸せに育ったわね。あたしは死ぬかもしれない中で育ったわ。あたしの愛しい神様に祝福を受けなければ、あたし、死んでたわね」
笑みが狂気に変わり、すぐにそれは静かな怒りへと変わる。
「許せないの。あたし、あなたのこと、ずっと好きだったのよ、リデル。でもあなたはあたしのことを忘れているのね」
そこまで話すと、女はしばらく言葉を止めた。そのしばらくの沈黙の間に魔法の効果が切れる。
リデルは目の前の状況が理解できていないようだった。呆然と、目の前にたつ二人の男女を見る。
「目が覚めたのね? 懐かしいリデル」
その言葉にリデルは驚いて目の前の女を見た。
目が覚めるほどに美しい女だ。年は・・・自分より2つ3つ上だろう。だが、その顔立ちのどこかに、何かの面影があった。
故郷で・・・10年以上も前の故郷で。
だがどうしても思い出せない。
その様子を見て、女は静かに笑んだ。狂気の笑みで。
「やっぱり覚えていないのね。かわいい坊や。・・・許せないわ」
逃げようとするが体が動かない。
「あたしが苦しんでいるときに、あなたは、優しいおじいさまに拾われて、かわいい妹ができて、そうして・・・今はお友達に囲まれて生きているでしょう?」
なぜこの女は自分のことを知っている? リデルは戦慄を覚えた。
「大丈夫よ。全部、壊してあげるわ。あなたの大切な妹も、あなたの大切なお友達も。全部・・・・全部ね」
伸びてきた手に頭を捕まれて、リデルは意識を失った。
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