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No. 00028
DATE: 1998/12/14 19:34:08
NAME: 犬頭巾
SUBJECT: 愚者の行進
「さみいな」
と、一人が言った。
隣にいた男は、白い息を吐きながら、その男の方に向き直った。
「そんなことは言われなくてもわかってる」
ここはオラン二十六番街。通称…豚街。裏町の中でも、もっともうらぶれ、汚く、雰囲気の湿ったところだ。
この晩、その街角に、この辺り一帯の浮浪の乞食たちが集っていた。
五十を数える。集合場所に使われた場所の広さは猫の額ほどで、全員が火を囲むことはできない。一部の年輩に席をゆずり、後の者たちは身体を寄せ合いながらじっと寒さに耐えていた。
だが恐らく彼ら全員が、早く元の居場所に帰って、風除けの庇の下に潜り込みたいと思っているのには違いない。
様々な者たちが、いる。
薄汚れた格好をしているのは共通しているが、年若いものも、女もいる。
眼元が涼しく、朽ちかけた気品をただわせているものまでいる。ほうぼうにのばした髭と髪で顔が見えなくなっている者や、頭に包帯を巻き付けた怪我人もいる。あるいは障害者とわかるものも。
そんな中あってとりわけ奇妙な姿をしている者がいた。犬の皮をかぶっている。彼はたき火の側で黙り込んで座っていた。
「おい、狗よう」
呼ばれていた。彼は顔を上げ、すぐさま口元に笑いをへばりつかせた。
彼はよそに向けては、犬頭巾という名で通っている。この老人が酒場「きままに亭」を訪れたのは一月程前のこと。彼には、そこにいる冒険者たちに売りたい物があった。
彼は、自分を情報屋だと説明した。乞食たちは同胞の間で独自の情報の網を張り巡らしており、彼は仲間の乞食を代表してそれを売る役目にあるのだ。
犬頭巾はハーフエルフ、リヴァースに知り合う。リヴァースは一度二度犬頭巾に情報を依頼し、満足した。そして三日前、彼は巷を騒がせている「麻薬事件」の情報がほしいと、犬頭巾に言った。
だがこの犬の顔をした人間は、腹の中で悪辣なことを考えていた。逆に
麻薬の売人の一味に、リヴァース、ファークスといった者たちが麻薬撲滅に動いているという情報を、リークしようと思った。
その方がよほど易い話しだったのだ。
「アタシらにゃ、餌は選り好みできないんですよ」
彼は数人の仲間と共に、悪党に情報を流し続けた…だが、事態は彼の予想しなかった方向に流れたのだった。
炎が、音を立てて爆ぜる。
「さて、困ったことになったなぁ、狗よぅ」
火を取り囲む人垣の円の内で、独りたき火の側に鎮座している、ひどく年のいった者がそういった。
「すまねぇことです…」
「いや、何もお前が麻薬組織と接触を持ったことを責めているのではないぞ。わしらにしたら仕方のないことじゃ。それに、お前らが持ち帰った金で、まさに数人が命をつないだわけじゃしな」
聞いて、へへ、と犬頭巾は低く笑った。
「で、何といったかぃ、その密売人の名は?」
「…アタシから直接情報を買って下すっていたのはペキンバーって旦那です。もしすでに官憲につかまったとするなら、まァ、あの人はアタシら乞食とのつながりを残らずゲロっちまうでしょうな…」
聴いていた乞食たちの間に、にわかに動揺が走った。
ここで話されている問題について説明する。
犬頭巾は手下のペキンバーを通じて麻薬組織に情報を流していたが、先日ファークス達が麻薬取引現場を襲撃したため、密売人の手下たちは散り散りになってしまった。その何人かは官憲に捕まって執拗な取り調べを受けているのだ。もしペキンバーがすでに捕らえられているとするなら、事態は重くなりそうだった。
「もし情報を流していたことがバレたなら、お前ら当事者の手が後ろに回るだではすまんわな。儂らの家業もこれから、やりにくくなるわい。官憲の眼が光りはじめるからな」
「ぶちこまれるのは、勘弁です。ただでさえ不自由な人生を送ってきてんのに、この上身の自由まで奪われた日には…」
野郎、言えた立場か!
乞食の中でも血の気の多いものが、野次をとばす。
しかし、大半の乞食は、犬頭巾に同情的だった。彼の功績はこの場の誰もが知っている。彼は乞食の代表として情報屋を営み、得た金の多くを皆の生活の扶助にあてていたから。
そして野次を飛ばした乞食も、その横にいた者に袖を引っ張られると、不承不承ながら、口をつぐんで黙ってしまった。
そして沈黙が続いた。
…誰一人、自分から何かを訊ねたり、自分の意見を言ったりしない。彼らは精力的ではなかった。皆、寒さのことを気にして、手すり足ずりしながらじっとしていた。
長老がいった。
「とにかく取り急ぎそのペキンバーの所在を突き止めにゃあならんのう。手分けして探すとするかぃ。見つけてから、それからの仕方を考えるとしよう」
だが、犬頭巾はいった。
「…いえ、長老。黙っていて申し分けありやせん。実は、もうすでにペキンバーの旦那の居所は割れているんです。二番街の、つぶれた賭場だと…ランドが、今朝見たっていうんです…負傷してると」
「なんじゃとっ」
おお、という声が周囲から漏れる。長老も少し安堵したようにため息をつきながら言った。
「何故黙っているか、人の悪い奴めが。ともかくそれなら早く手は打てる。その男が官憲につかまらぬよう、組織の元に送り届けてやればええ。難しいがやらんとな」
しかし、次に来たのは沈黙だった。
犬頭巾は答えない。かぶった犬の皮の、ぽっかりと穴の空いた眼窩が何か言いたげに、長老を見つめていた。
アタシがなんで、これだけの人数を集めて話していると思ってるんで?
「…どうした狗」と、長老は言おうとした。だが突然、何かに気付いたように眼を見開いた。
いぬっ、まさか…
「送り届ける? …それは難しいことでさ。それにあの人の性格だと、ますます危険です」
付き合うのなら、リヴァースの旦那の方が楽です。
「狗、ぬしゃあまさか…」
犬頭巾は、ゆっくりと立ち上がり、そして言った。
「みんな、すまねえ、手を貸してくれ。これから、ペキンバーの旦那をやっつけにいく。武器をもって、一緒についてきてほしい。頼むぜ」
一同の間に、にわかに驚きと怯え、戸惑いが広がった。
だが、やがて衆人の中から、何人か腰を上げて立ち上がる者たちがいた。
群れは動き始めた。短刀を棒の先にくくりつけたもの、こん棒、とがった石、それら武器が集められてくる。一様に思いつめた顔で、十数人がそれらの武器を手にしていた。
「安心しました。こうするのも仕方ねえことだって、奴らはちゃんとわかってるみたいで」
「狗よ。本当にやる気なのか…」
長老はうめくように言った。
「…情報を売り回ったり、物乞い拾い食い、こんな儂らの生活は卑しいもんだ。だが、人を殺したりしたら、わしらの生き方はさらにその下に堕ちたことになるぞっ。愚かものめ!」
長老は力を振り絞って、声をうわずらせてしゃべった。しかし、対する犬頭巾はにたっと笑って言った。
「長、ふざけちゃあいけません。一番愚かなことはね、生きるための努力をしねえことです」
群れはやがて、列をなしはじめた。犬頭巾が、その先頭に立つ。数人が手に持つ松明に、火がともされる。
そして行列は、目的地に向かって、夜の街を音もなく歩き始めた。
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