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No. 00026
DATE: 1998/12/14 11:06:24
NAME: リデル
SUBJECT: 狂気 (2)
・・・・・・・・・頭痛を抱えながら、リデルはベッドの上で寝返りを打った。
ラシュア。
ティーグの村の・・・生き残り。ガーシュの娘。
「インサニティ」の魔法をカインに解いてもらってから、唐突に浮かんできた記憶。
「・・・・・恨まれても仕方が無いんだ。僕は・・・・・・だって・・・・・」
つぶやいた言葉が、たった一人の、一人ぼっちの闇の中に、消えていった。
・・・・・・・・・。
目を開けると、冷たい風が頬をなぶった。
体を起こすと、見慣れた・・・・・でも二度と見たくない風景が目に刺さってきた。
・・・・・・風除けにすらならないほど風雨にさらされうち捨てられた家々、麦が実っていていいはずなのに茶色い乾いた土をさらけ出した畑。子供が遊んでいて可笑しくない時間なのに子供の姿は見えず、大人達は働いていなければならない時間なのに同じように姿が無い。
・・・・・夢?
リデルがそう思ったのは、その村に歩いてやってくる魔術師の姿が見えたからだ。
紛れも無い、それは自分。
あたりを見回し、不安げな瞳で、やがて一件の家に入っていく。
・・・・・・・ああ。
喉の奥から吐息がもれた。
あの日・・・・・9の月のあの日、学院に呼ばれて、里帰りして、村に戻ったあの日の情景だ。
リデルが村に戻ったのは、9の月のこと。すでにラムリアースは晩秋・・・いや、初冬だった。
ティーグの村は、リデルが6歳になるまでをすごした土地だ。
あまりの劣悪な環境。麦すら育たず、牧草すら生えぬ不毛の地。
領主はこの村をうち捨て、ラムリアース領内にありながら、「消えた」村として扱われている。
村が「捨てられた」時、村人達の中でも、蓄えと余力、そして近隣に頼れる親類がいるものは、村を離れた。だが、頼るものもなく、村に残らざるを得なかった、村の中でも最下層に当たる十数人の村人はうち捨てられた。
リデルは家に戻り、たった1人残っていた上の姉・マデラから、家族の顛末を聞く。
三人いた兄は全て疫病で死に、下の姉・・・リデルの双子の姉に当たるユーティは、リデルが捨てられた半年後に、小麦ふた袋と引き換えにドレックノールの闇商人に売られていった。
それから・・・・・・・。
父ウォルフは母のマリエラと共に姿を消した。そして、村人が一人、また一人と謎の失踪をとげていった。
それだけを伝えて、姉のマデラは姿を消した。「もう二度と関わりたくない。村にも、あなたにも」という言葉を残して。
そこまでの光景を、リデルは、静かに見守っていた。
まるで、過去に戻ったかのように、それまでの情景が克明に描かれている。
では、これから起こることも・・・・・・・?
リデルは悪寒を覚えた。いやだ。見たくない。
だが・・・・・・時間は進んでいった。
リデルは、村の唯一の生き残りであり、父の親友であり、村でただ一人の戦士であったガーシュと再会した。ガーシュはそして、リデルに、恐るべき真実を伝えたのだ。
「・・・・ウォルフは・・・ミルリーフの力に目覚めた・・・ミルリーフ、知っているか?」
「・・・・はい。海の亡者の神・・・とされる邪神ですね?」
「ああ。そのミルリーフの教えに従ったのかどうかは知らんが・・・・あいつは、村に残った人たちを、1人残らず・・・・殺したんだ」
リデルは戦慄を覚えた。
ミルリーフの教えによると、生きることは苦痛であり、罪であり、死こそがそれから逃れられる唯一の手段なのだ。そして、そのような教えに、父が目覚め・・・そして、村人達を殺したのだ。
「・・・俺はあいつを止めたかった。だけど出来なかった。俺の息子もウォルフに殺された」
「・・・・・・・・ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃない。お前はもう、6歳の時にこの村とは縁が切れてるんだ」
うつむくリデルの頭を、ガーシュは笑ってぽんぽん、とたたいた。ごつごつした手は、11年前のものと同じだ。
11年前、彼も娘を捨てている。大凶作で家族が食べていけなかったからだ。その娘ラシュアと、リデルは幼なじみで、よく遊んでいた。
「・・・俺は、ウォルフを止める。これ以上罪を犯させるわけには、行かないからな」
ウォルフは、殺した村人を、1人残らずアンデッドにしたのだという。だとしたら、父の暗黒司祭としての腕前は恐るべき者だ。ようやく魔術師として初歩の魔法が使えるようになった自分では歯が立たない。
ガーシュも自信が無いのだろう。ずっと、思案に暮れていた。
茶の髪も鳶色の目も、変わっていなかった。だが、老けたな、とリデルは思った。髪には白いものが混じり、目尻には深いしわが刻み込まれている。
娘を捨て、息子を失い、妻も失った男。
そして、それを奪ったのは、自分の父。
「・・・・・僕も手伝います。いえ、僕がやらなければならない」
その言葉を言った自分を見て、リデルは、目を閉じた。
悲劇が、繰り返される。
「正攻法で挑んでも無理だ。おれたちは二人、対してゾンビの数は18。しかも向こうには親玉がいる」
ガーシュの家。光の精霊が飛ぶ中で、リデルはガーシュの言葉に頷いていた。
ガーシュは精霊使いの心得もある。幼いころに一度修行してみないか、と誘われたこともあり、自分にもそれなりに素質はあるのだろうと思った。
閑話休題。
「・・・そこで、俺達は、ゾンビと親玉を・・・ウォルフを分断し、一つ所にゾンビを集めて一気にせん滅する。これが一番いい」
「・・・どうやって?」
リデルの問いにガーシュは、部屋の隅に置かれている三つの樽を指した。
「あの樽の中には油が入っている。・・・料理に使える油じゃないし、かといって作業用に使えるもんじゃない。悪臭が漂うからな。だが燃え上がり方はいい。どの油の中でも、一番よく、激しく燃える。・・・あれを村にばらまき、火を付ける」
「・・・そんな!」
リデルの叫びを、ガーシュは手で遮る。
「確かに村は無くなる。親しくしていた村の連中を・・・・肩を寄せ合って暮らしてきた隣人たちを、俺達はこの手で燃やす・・・殺す。だが、そうしないと誰があいつらを止める? 俺はあいつらにこれ以上、罪を犯させたくない。一番近い村でも、ここから歩いて一週間かかる。だが、援軍を呼びに行き、戻ってくる時間は、どんなに急いでも2週間。・・・大体、捨てられたこの村に救援を出してくれる奇特な連中がいるか?」
ガーシュの言葉に、リデルはうつむいた。
「・・・苦しいが、俺は他の連中にはやらせたくない。だから、俺がやる。・・・・お前はそれでも手伝うか?」
リデルは顔を上げて・・頷いた。
それから先は見たくなかった。どうなるか知っているから。
その場にうずくまり、耳を塞ぎ、目をきつく閉じる。
でも、それでも、脳裏に浮かんでくる光景は止めることが出来なかった。
気が狂いそうなほど苦しかった。
リデルは走っていた。その様子を、リデルが見ている。
立ちすくんでいる「彼」に構うことはなく、リデルを追いかけていく村人・・・だったゾンビたち。
そうして、やがて、逃げ込んだ家に、18人の村人達が殺到する。
リデルは目を閉じた。
「・・・ここまで来たのか、ガーシュ」
父の声。
リデルは目を開けた。
ガーシュが剣を持ち、ウォルフと対峙している。
父は黒いローブを着、ショートソードを持っていた。フードの奥にある顔は、紛れも無い、記憶の中の懐かしい父。
だが目の光は冷たく、疲れきって、それでも、冴えていた。
「ウォルフ・・・覚えているか? 俺達、よくこの広場で、剣の修行をしたよな。『いつか冒険者になって、一旗挙げて帰ってくるんだ』って。そして冒険者になったよな?」
初耳だった。父は冒険者だったのか!?
「ああ・・・覚えている。そして私とお前は旅に出た。ライナスで4年、冒険者をやった。そして出会ったマリエラと結婚して、この村に戻ってきた」
「ああ、そして子供が産まれたな。お前は子持ちだった。俺が3人しか子供を作れなかったのに対して、お前は6人も子を生した。だが・・・」
「だが、リデルとユーティが生まれた日、村は果てた。牧草地として、何とか細細とやっていけていた村が突如として死んだのだ」
初めて聞く話ばかりだ。思えば当然だろう。この場にリデルはいなかったのだから。
「・・・村人はみんな言った。『双子のせいだ』とな。この村で双子は凶兆と信じられてきた。そして、その双子が生まれた年に村が死んだ。しかし、わたしにとってもマリエラにとっても、二人は大切な私の子供だった」
「・・・俺達は原因を調べに行ったな。冒険者時代のことを思い出して」
「・・・・原因は領主の愚行・・・・だったな」
ウォルフの声は何処までも感情の無い冷ややかな声だった。
自分と同じだ。彼の顔には感情が無い。
「・・・領主の馬鹿が・・・自分が実験して、出た排水をこの村の近くに捨てたんだ」
このあたり一帯を治める領主は魔術師でもある。魔術の実験で出た、失敗作や排水。それらを捨てた。どんな影響があるかも考えずに。
「・・・だが、そんなこといえるはずがない。お前は悩んだな。そして・・・・・6年がたった」
ガーシュの言葉が妙に冷ややかに聞こえた。
「・・・ああ。あの子達が6歳になった年だな。大不作だった・・・村人は次々に子供を捨てろ、とわたし達に詰め寄った」
「俺も捨てた・・・・四人が食っていけなかったから、一番小さかったラシュアを」
「わたしの家は家族が多い。上の息子達が働いた分があったがそれでも貧しかった。・・・一番小さくて、働けなかったリデルを・・・捨てた」
「皮肉だな。今、その息子が、お前を殺しにやってくるはずさ」
「あの子はどうなっていた?」
「奇麗な顔の子だったよ。金色の髪に、淡い淡い青の瞳。若かったころのマリエラさんに生き写しだ。・・・・・だが、捨てられたショックだろう。あるいはもっと他の要因かもしれないがな。能面のような魔術師になっていたよ。少なくとも、一度も笑わなかった。お前を殺す、と決めたときも、眉を少し動かしただけで表情すら作らなかった」
「・・・・・・」
ウォルフは口をつぐんだ。ガーシュは更に続ける。
「だが心の中は哀しんでいる! 俺はお前をあいつに会わせたいとは思わない。あいつにお前を会わせれば、きっと殺しあう。あいつは心が強くない。俺はそれを今まであいつと接して思った。ほんの二日、接しただけだがな」
剣の切っ先に力がこもる。
「それにな、・・・血族が殺しあうなんてビジョンは・・・俺達で終りにしようや」
ウォルフは表情を変えなかった。ショートソードを、無造作に構える。
「・・・わたしはお前を殺す。そしてリデルも殺す。おまえ達は生きあがいている。何故あがく? 死ねばすべてから開放される。すべての苦しみから逃れられる。リデルが心が弱いというのなら、これから生きる苦しみに耐えられず壊れてしまう前に、わたしがあの子を殺そう」
リデルは耳を塞いだ。だが容赦なく声が聞こえてくる。目を閉じても見える。
「やめて!」
耐え切れずに叫んだ声は両者に届かない。
「行くぞ、ガーシュ」
「ああ・・・・・俺と一緒に、地獄に行こうぜぇっ!!」
戦いは始まった。だが、その結果を、リデルは知っていた。
村に火が上がった。
その火で村は嘗め尽くされた。村人達だったゾンビは、巻き込まれ、焼かれ、くぐもった声を上げながら悶える。
その声に耳を塞ぎ、頭を振っている自分がいる。
リデルはその光景をただ、瞳に映した。炎の中の、金の髪。青い瞳。・・・・・・うなされる悪夢は、自分の犯した罪。
感情が麻痺して、悲しいのか、苦しいのか、それとも嬉しいのか・・・わからなかった。
「・・・父さん・・・」
呟いた声に、黒いローブの人物が振り返る。赤い炎に照り返されて、その全身がぬらりと光った。
ウォルフの足元に、倒れているのはガーシュ。
「・・・ガーシュさん・・・・」
杖を持った自分が呟いている。ガーシュはすでに事切れていた。
父は超然と立ち、リデルを見た。彼の全身を濡らしているのはガーシュの返り血だけではない。彼もすでに致命傷に近い傷を負っている。
それでも、彼は表情を動かさずに息子を出迎えた。
「・・・リデル。何も言わずとも分かるだろう。さあ、その杖をとりわたしと戦え」
リデルは無言で杖を構えた。
・・・・・・・・・・・・赤。
赤。赤赤赤赤、赤。
・・・・・・・。
火の手が近づいてくる。
リデルは倒れて、そしてウォルフも倒れていた。ショートソードにえぐられたリデルの肩口から脈打つように血が流れている。杖はぱっくりと割れて転がっている。腹部にも裂傷があった。
起き上がったのはウォルフだった。リデルの手から短剣を拾い上げ、それを頭上にかざす。
荒い息だったが、表情は乱れていなかった。
リデルが、顔を上げる。
「・・・本当、に、マリエラに・・・・似ている、な」
父の声が聞こえる。
「・・・一緒に・・・地獄へ行こう。わたしは・・・・助からない。生きていても・・・つらい、ことばかりだ。・・・お前は・・・心が弱いのだろう?」
ぶるぶると、握っているダガーが震えている。限界が近いのだ。
「リデル・・・・・・っ!」
短剣が振り下ろされた。
肉を断ついやな音がした。
ウォルフのダガーはリデルの右腕を貫いていた。
リデルは・・・予備のダガーで、ウォルフの目を、貫いていた。
青く光る、それは義妹のセシーリカが大切にしていた、魔法のダガーだった。
「・・・・・・ガーシュ、さん」
火はもうすぐそこまで来ていた。早く逃げないと自分も巻き込まれる。風が強く、火の周りが速かった。
揺り動かした彼の体から、ごとりと一冊の本が転がり出てきた。
血でべっとりと汚れ、数箇所切り傷のあるその本は、どうやら日記らしかった。
他に何か、形見になるものは。
必死に探しているリデルを見ながら、リデルは呆然としていた。
視界に何かが映り、そちらを向いて、目を見開く。
生きている子供・・・・・。
炎の轟音で聞こえないが、確かに、悲鳴を上げている。
リデルはそれに気がついたらしく、本を懐にしまって立ち上がると、炎に向かって走った。
火の中から子供を救い出そうと手を伸ばす。子供も手を伸ばした。
だが、一足遅く、子供は力尽き、炎の中で身を焦がし、ゆっくりと倒れていった。
シード。
リデルは呟いたが、その言葉は誰にも伝わらなかった。
ガーシュの末の息子、ラシュアの弟、シード。
自分が殺してしまった、村の、たった独りの生き残りになるはずだった少年。
目を閉じて開けると、一冊の本を握り締めて、高台で呆然と村を見下ろすリデルがいた。
火は村のすべてを嘗め尽くし、そして、明け方に収まった。
すべてが真っ白な灰になっていた。村があったところは、一面が灰に覆われていた。焼け残りすら、でなかった。
静かに、雪が舞っている。
雪は積もり、やがて、灰と同化して、あたりを白く埋め尽くした。
ティーグ村は、こうして、死に絶えた。
日記を開く。
それはウォルフの日記だった。
読み進むに連れて、リデルの瞳に泪が浮かぶ。
ウォルフは、飢餓に苦しみ、死に絶えていく村人達をほうっては置けなかった。
そうして、邪神に目覚めてしまった。
飢餓と不衛生で疫病がはやり、次々と苦しみながら死んでいく村人達。
父は彼らを苦しみから解放するために、命を奪った。
まだ生きたかったのに。
そう呟いた誰かの言葉に触発されるかのように、彼は殺した人間を、次々に蘇らせた。
死なない存在として。
父は、狂気に侵されていったのだろう。読み進むに連れて、だんだんと文章が狂気に彩られたものに変わっていく。
読み終わることが出来ずに、リデルは、うずくまって泣いた。
その泣いているリデルを、リデルは、黙って見ていた。
麻痺していた心に、その姿は、何の感銘も与えなかった。
ただ吐き気が、した。
「・・・・・・どうだった?」
声に顔を上げる。そこはすべてが闇だった。
「リデル、君が壊した村のこと。ラシュアお姉ちゃんのことを思い出してくれたお礼に、見せてあげたよ」
シードの声だ。無邪気に笑うシード。
死にきれず成仏できず、スペクターとなってさまよっている彼の魂。
「僕が憎い? でも、自分がやったことなんだよ、リデル。自分でやったことを、真っ直ぐに見れなくてどうするのさ。君は本当に心が弱いね」
くすくすと笑うシード。
「僕は、でもまだまだ満足しないよ。僕の父さんを殺し、僕を殺してくれた君に、もっとも無残で残酷で、淋しい最期を迎えさせる。それが僕の望み」
シードは、指で喉を掻っ切るしぐさをする。
「まず手始めに、ルルゥって子を殺してあげるよ。君の目の前で、君の手でね」
「ルルゥさんは関係ない!」
ようやく絞り出した声に、シードはきゃらきゃらと笑う。
「関係あるよ。君の「大切な友達」なんでしょ? その後で殺すのはセシーリカ。その次に、カールとカルナ。最後に、君を殺してあげるよ」
でもね、とシードが、哀れむような視線を向ける。
「ルルゥがいなくなってしまったら、誰が君のことを見るだろうね?」
心臓をえぐられる言葉だった。
「ルルゥはやさしいから、君のことを心配して、声をかけてくれたね。でも、ルルゥがいなくなったら、君のこと見てくれる人が、果たして何処にいるんだい? 君が大事にしている妹だって、別の人を見てる。君がいることで変わる人間、いるの? そもそも、君は必要な人間なの? その辺、よく考えてみるといいよ」
声が消える。シードが消える。
リデルは、闇の中に、ただ1人取り残された。
膝を抱える。うずくまって、目をきつく閉じた。
熱風になびく金の髪や、炎を映しきらめく蒼い瞳。
ルルゥの夢を見たはずだった。だが、それは自分の犯した罪を、過去を見た夢。
炎、悪夢、血、邪悪、赤・・・・。
気が苦しそうな苦しさは、もう消えていた。
ただ、静寂と涙と吐き気が、リデルを支配していた。
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