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No. 00036
DATE: 1998/12/19 12:02:29
NAME: フェザー
SUBJECT: 夜
少年の母親は半妖精だった。
エルフの集落を追われ、人間の街に住んだが、幸福とは程遠い生活だった。
少年は父親の顔を知らない。
そうではないか?と思う男は何人かいたが、確信が持てる者はいなかった。
ある日、母が二人目を身篭った。そんな体では働けないから、と薄汚い売春宿を追い出された。母親は故郷であるエルフの集落へ向かった。
「もうすぐお兄ちゃんね・・・」
少年の記憶の母親は、いつも寂しげな、儚い笑みをたたえていた。少年はその笑顔があまり好きではなかった。何もかもをあきらめた、静かすぎる笑みだと思った。自分の不幸にも、世間の偏見にも立ち向かう意志を失くした、あきらめの笑顔だと思った。
エルフ達は、二人を受け入れなかった。仕方なく森の中を引き返す途中、母親は倒れた。下半身が血と体液で汚れ、蒼ざめた顔には死の影が広がった。
少年は集落へ駆け込んだ。
エルフ達にすがりつき、何でもするから母さんを助けて!と叫んだ。
しかし、エルフ達は嫌悪と侮蔑の目で、少年の手を振り払った。
「呪わしい半妖精がどうなろうと、我々の知ったことではない」
「野蛮で愚劣な人間の子よ、早く去れ」
「出て行け」
「出て行け」
少年は走って母親の元へ戻った。いいのよ、と彼女は弱々しくつぶやいた。
いいのよ、しかたがないの。だって私は嫌われ者の半妖精なのだから・・・・・・。
死に瀕して、母親はまたあの儚い笑みを浮かべた。
ごめんね・・・あなたに兄弟をつくってあげられなかったわね・・・・・・。
みしっ。
床板のきしむ音に、フェザーは目を開けた。
枕の下に手を差し入れ、小剣の柄を握る。息を静かに、回数を減らし、じっと足音を探る。
軽装、おそらく男。忍び足は不得手なようだ。殺気はない。
足音はゆっくりとフェザーの部屋の前を過ぎ、一番奥の部屋の中へ消えた。あそこはファークスの部屋だ、今ごろご帰還か・・・緊張を解いて、小剣から手を離す。
宿の配置や、どの部屋に誰がどの位泊っているのかという事を、フェザーは完璧に把握していた。また、定宿を持たず、いくつかの宿を何日かごとに転々とした。余計な警戒だと思っても、そうせずにはいられなかった。すでにそれは彼の習性になっていた。
フェザーは再び目を閉じた。眠りが浅いのはいつもの事だ。いつでも眠れる、いつでも起きれる。そういう風に鍛えてある。
そうでなければ、死神が目覚めのキスをしにくるだけだ。
少年は草の中にいた。
もう二日も寝てないが、眠気はなかった。神経がチリチリと焼ける音が聞こえる。「仕事」の前は、いつもこうだ。
チチチチッ!
鳥のさえずりを真似た、仲間の合図が聞こえた。少年はクロスボウに矢をつがえ、右肩にあてて構えた。与えられた時は手に余る大きさだったそれは、今ではもう体の一部のように、ぴったりと少年の筋肉と骨に吸い付いた。
馬車が一台やってくる。
静かな森の中に、ひづめと車輪の音がやけに大きく響く。
御者はまだ若い男だった。少年はその姿を追いながら思った。あれは死人だ。
そう、あれはもう死んでいる。
狙いを定めて、引鉄を引いた。飛び出した矢は、真っ直ぐ御者の首に突き立った。
ほら、死んだろ・・・?
内心でつぶやきながら、二本目の矢をつがえる。その間に、三人の仲間が馬車に襲いかかった。飛び出してきた護衛の戦士達が、剣を抜いて防戦する。
開いた馬車の扉の中に、標的が見えた。
少年は矢を射た。中で頭を抱えて震えていた貴族は、脇の下から心臓を射抜かれて、絶命した。
「引き揚げろッ!」
少年の命令に、仲間達は逃げ出した。少年も身を翻したその瞬間、耳の横を矢がかすめた。横に飛び、草の中であおむけになったまま、クロスボウを撃つ。草を何枚か散らし、矢は射手の腕に吸い込まれるように刺さった。
起き上がると同時に、横に仲間の一人が逃げ込んできた。押さえた腹部から血が流れている。背には、折れた矢が突き立っていた。
「走れ」
少年は仲間の腕を細い肩に担ぎ上げ、斜面を落ちるように走り抜けた。
木々の合間を抜け、合流地点へ向かう。仲間の体が、重く少年にのしかかった。傾いた陽が、木の葉の影を乾いた地面に落としている。
「待って・・・待ってくれ」
仲間がうめいた。口から泡を吹き、ぜぇぜぇと苦しげな息を吐いている。後ろを見ると、血の跡が点々と草を汚していた。少年は舌打ちをした。
これ以上は連れて行けない。
判断すれば、後は早かった。ベルトからダガーを抜き、仲間の胸を刺した。
刃が肋骨のすきまを抜け、心臓に達したのを感じると、すぐにダガーをひねり、傷に空気を送り込む。一瞬で役に立たなくなった心臓を抱え、仲間は即死した。きょとんと見開かれた目は、何が起こったかわからない、といった風だった。
少年は屍体の上着でダガーの血をぬぐい、ベルトに差し直してその場を走り去った。軽やかに草の上を駆け、木の枝を渡り、川面の石を飛び移る。獣のように、妖精のように。血の匂いをさせて。
集合場所には、残る二人の仲間が着いていた。
少年は荷物を受け取り、水袋の水で手と顔を洗い始めた。
「もう一人は?」
「切られた」
「死んだのか?」
「動けなかったから、始末してきた」
「殺したのか!?」
「生きたまま捕まって、下手な事を喋られると、まずい」
話しながら、少年は素早く着替えをすませ、クロスボウを革布にくるんで籠に入れた。さらにその上から、用意しておいた薪と木の葉、それに炭を入れて隠す。
仲間たちは、そんな少年を怯えた目で見ていた。そう、彼らは恐怖していた。
思想のために、自分達を何の補償もなしに森から追い出した、ラムリアースとエルフに復讐するために、こんな戦いを始めた彼らであったが、今はただリーダーの男と、その「息子」であるこの少年への恐怖心に支配されていた。
「行くぞ」
狩人に化けた少年が声をかけたが、二人は動けなかった。
「・・・立てないのか?」
低い声に、あわてて二人は立ち上がる。「立てない」とでも言おうものなら、間違いなく今殺される。
ふとフェザーは目を開けた。
下の階で話し声がしたのだ。耳をすませると、笑い声が聞こえる。
ため息をついて、ベッドから出た。今日はもう眠れそうにない。ランプを点け、上着をはおると、少ない荷物の中から鏡を取り出した。
髪をかきあげると、真っ赤に染めた根元から、蜂蜜のような色の地毛がのぞいている。
(そろそろ染め直すか)
ヘンナは高級品だが、この髪を染めるのには最適だった。大都市オランの市場なら、それなりにたやすく手に入るだろう。
それに・・・金なら簡単に手に入る。
フェザーはクロスボウを手に取った。無数のキズがあり、グリップは指の形にへこみがついている。
今日はもう眠れない。
フェザーの顔が苦痛に歪んだ。
どうせまた、浅い眠りは悪夢を呼ぶに違いない。
ランプの火をそっと消し、暗い部屋の中でフェザーはうずくまった。
許してくれ。
許してくれ。
フェザーのつぶやきは、暗く寒い部屋の空気に染み込んで、消えた。
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