No. 00038
DATE: 1998/12/19 14:59:22
NAME: リヴァース
SUBJECT: 紅灯緑酒
ルーラは息を弾ませて走っていた。誰かが追ってくる。
手には、「逃げろ」とだけ書かれた手紙。
深夜の港地区。倉庫の並ぶ区域で、ルーラは追手をやり過ごそうと、入り組んだ路地に入っていった。しかし、それは地理に明るい男達のほうに圧倒的に有利であった。たちまちに、袋小路に追いつめられた。
男達は、彼女の腕をわしづかみにした。ルーラは悲鳴を上げた。
その時、いづこからともなく、何かがとんできた。彼女を拘束しようとした一人に、ペシャ、と何かが当たって、ひしゃげた。
硫黄臭が、漂った。それは腐った卵だった。
「何だッ!?」
どろりとしたものを拭いながら、思いも掛けぬ事に、男は振りかえった。頭上からハハハハハ、と、けたたましい笑い声がおこった。
「女性の身の大切さは、野郎100人分に勝る、と、悪の秘密結社総統であるワタシは思う。」
ふざけた内容の事をおおまじめな口調で言いながら、その男、卵を数個、男達に投げかけた、それを躱そうとひるんだ隙に、男はルーラの手を引いて、駆けげ出した。腰の、刃の無い剣の鞘には、シャウエル、と書かれていた。男はすぐに、ゴミ捨て場の陰に隠れて、追ってくる者達をやり過ごした。
ルーラは身寄りが無い少女だった。彼女の持っていた手紙を書いた者が、誰であるかすらわからなかった。
フェミニストを自称するシャウエルに、彼女を放っておけるはずも無かった。彼は、ルーラを、自分の雇い主である、商人・ソストの屋敷に連れていった。ソストは、壮年に差し掛かろうという、腹の緩みはじめた商人だった。密輸や詐欺といった、あまり良い噂の聞かない点もあったが、三食昼寝付きという好条件と、金払いの良さ、という点では、シャウエルにとってはこの上ない主だった。ソストは、顔に一見穏やかな笑みを浮かべて、ルーラの世話を引き受けるという事を承諾した。彼なりの、評判を高めるための、慈善事業とでも、みなしたらしかった。ルーラが、めずらしい花の種を集めるのが趣味だ、というと、ソストは自分の商品やコレクションを見せたりと、彼女には親切に接した。
主と用心棒数人、そしてルーラという、奇妙な共同生活が、ソストの屋敷ではじまった。
___________________
太った月が既に静まり返った路上を照らしていた。
行き付けの酒場である気ままに亭から、居候先である貴族リードの邸に、上機嫌で戻る途中、ファークスは、奇妙なうめき声を耳にした。裏手の路地にまわってみると、男達が2人争っていた。
「アレを・・・アレをくれ・・・っ!!」
「金のねぇ奴に、用はねぇ!」
体格の良いほうが、すがっていた男を蹴飛ばし、そのまま去っていった。蹴られたほうは地面に崩れ落ちた。
「おいっ・・・だいじょうぶか!?」
ファークスは倒れた男を助け起こした。体から、鼻につく独特な甘い匂いがした。
「・・・・・がぁァ・・・っ!! ・・・アレを・・・アレをよこせ・・・」
男は病的にやせ細っていた。骨張った手が、震えていた。瞳は焦点が定まらず、違った物を見ているようだった。
「アレ・・・?」
「ガ・・・・・アアアアァァァア!!!」
男は喉を掻き毟って叫んだ。
「おいっ! どうしたってんだ!? アレって、なんだ!」
ただ事でない男の様子に、ファークスは焦った。
「・・・アレを・・・『ドーマー』をーーッ!!」
絶叫。同時に男は、ピクピクと痙攣して、気を失った。
「・・・・・・ドーマー、だと・・・・。」
ファークスは唖然として、呟いた。
頼むから、聞き違いであってくれ、と思った。
男を神殿に届けて、邸に戻ったファークスは、寝入り際だったリードをたたき起こして、その事を伝えた。
「たしかに・・・スラムの一円で、ある種の麻薬が蔓延しているというのが、昨今問題になっている。」
穏やかにリードは告げた。
「落ち着いている場合じゃないだろっ・・・! あれは、おれたちが…おれたちがこの手でかたづけたはずなんだっ!!」
ファークスは声を荒げた。
リードは黙って息を継いだ。
「そうと決まったわけではないだろう? ・・・判断は、調査してからでも遅くはない。」
それを聞いて、ファークスは溜息を吐いた。
何事がおこったかと、心配し起き出してきた、メイドのミントが、ドア陰からそっと様子をうかがっていた。
「・・・悪いな、夜中に大声を出して。起こしてしまったか?」
ファークスは気を取り直して、ミントに声をかけた。
「いえっ。・・・あの、すいません。お話、邪魔してしまって・・・」
「ハハッ、ミントが邪魔であるはずがないだろ?」
そういって彼女に笑いかけながらも、ファークスの胸には不安が渦巻いていた。
__________________________
普段、物品の目録の作成の手伝いをしている商人、アイオリラロスからの依頼で、リヴァースはとある下町の酒場へ赴いていた。
その商人は、どう考えてもカタギとは思えない知識や経験を見せるくせに、自分は平凡な一般人だと言い張る、全てに達観した妙なおやじだった。それでいてなんとなく話が合う。最初、ミラルゴで彼が入手した楽器についての鑑定を頼まれていたのだが、それが終わってからも、しばしば出入りしていた。
「おれみたいなか弱い一般人に、あんな治安の悪いところは恐ろしくてな。」
というのがその言い分だった。単に別の用件で手が離せないというのが、その真実だろう。
常闇通りのから入る路地をたどっていったところに、その酒場はあった。舗装のはげた水溜まりだらけの道に、腐った何かの匂いが、つんと鼻についた。
中は周囲の退廃に相応して、うらぶれていた。昼間というのに全体が薄暗く、とくに奥のほうは、わざと窓を閉め切っていて、普通の人間には、入り口側からは暗がりで何も見えないようになっていた。数人の男が、テーブルを囲んでなにやら顔をつき付け合って話をしていた。たばこの濃い煙がくゆっていた。
用件は簡単だった。香炉か何かがはいっている小箱を主人に渡し、書類に受領のサインを貰う。金は先払いしてあるらしかった。用を済まし、さっさとでていこうとしたとき、奥の男達の姿が目にはいった。机の下で、白い小さな包みを手渡していた。
リヴァースの視線に気がついた男が、それを落とした。包みは床に落ち、白い粉が、ほのかに舞い上がった。
彼はリードの話を思い出した。スラムの一角で、ある種の麻薬が蔓延しているという事を。それに対して、リードは仲間のファークス達と共に奔走している。
麻薬のない都市などおそらくないといっても良い。殺人、強盗、強姦...そういう物と同じく、人が集まる以上なくなりはしない悪しき犯罪だ。その時はいまさらなにを、と聞き流していた。
不意に主人が、にやりと笑うと、奢りだといって、グラスにはいった酒を出した。きついラムの香りがしていた。
どう考えてもあやしいものだった。しかし断るとよけいに厄介なことになりそうだと考えた。リヴァースは主人をちらりと一瞥し、水の精霊に命じて浄水の魔法をかけてから、一気にそれを呷った。
酒はおとりだった。
それに気を取られている間に、リヴァースの首筋にちくりとした痛みが走った。しまったと思った。手をやると、針が刺さっていた。足元に、ガラス製の小さな容器が、カシャリと音を立てて壊れた。
狩人達が使う、矢の先に装着して、素早く動く鳥や動物たちに用いる麻酔針を思い出した。尖端が注射のシリンジになっていて、物体に当たるとその力で注射針から麻酔薬が注入される仕組みの物だ。
リヴァースは唇を噛んだ。一刻も早くそこからでなくては、と思った。薬が効いてきたらどんな目に合うかわかったものではない。がたりと立ち上がり、体面かまわず、戸に体当たりするように走り出た。
「ペキンバーのダンナ、よろしいんで?」
主人が戸を指して、奥の男に伺った。
「《One hit and you are hooked・・・》ってな。」
西の俗語で、にやにや笑いながら、大柄な男はそう返した。
「また、そのうち来るだろうさ・・・。」
________________________
リヴァースはすぐに大通りに出た。歩く間にも、鼓動が激しくなり、息が乱れてきた。頭は霧がかったように、ぼんやりしていた。不意に、くらりときた。休まなければ、と思った。その場からだと、自分の宿よりも気ままに亭のほうが近いのに思い当たった。その時間だと、まだあまり人はいないだろう。とにかく座って、暫らく休憩してればどうにかなるはずだと思っていた。たった数分の道が、果てしなく遠くかんじられた。
案の定、中はだれもいなかった。一番すみの席に、倒れるように座り込んだ。そうしている間にも鼓動はどんどん早くなっていき、心臓が早鐘のように打っていた。じわり、とした何かが、体の中に染み出た。きゅ、と目をつむり、それを押し返した。
クスリによる陶酔と多幸感は、他の客がやってきてからもリヴァースを狂わせた。思慮深げな彼からは考えられないような行いだった。いつも彼を悩ませていた接触恐怖症も、何かに対する漠然とした恐怖と不安も、薬のもたらす快楽の前には姿を潜めていた。 リヴァースは、その場に居合わせたワヤンを求めた。ハーフエルフの少年、ケイドにも手は及んだ。普段なら許しておかないだろう、ドワーフのダルスの囃したても、高揚を煽った。
後になっても、リヴァースはその開放感が忘れられなかった。妙に落ち着きがなくなっていた。気がついたら、体があの感覚の再現を求めていた。体の中の精霊たちがざわざわしていた。それをごまかす為か、いつもより多弁だった。
その態度がいたづらに、気ままに亭に来たプリムの心配を呷ったようだった。リヴァースは彼女には最近、醜態ばかりさらしている気がした。最近、彼女が笑うところをあまり見てないとおもった。彼女の笑顔を損ねているのは...他ならない自分か。もう一人の彼女に、これから先の自分を見破られたような気がした。
リヴァースが麻薬に関わった事を看破したファークスにも、散々いいたい事をいわれていた。彼は麻薬の一件に関して、夜も眠らずに走り回り、疲弊していた。ファークスは、リヴァースが麻薬に冒されたのは、自分のせいであると思った。それ以上、リヴァースに麻薬に関わらせるわけにはいかなかった。
ファークスは、過去に、その麻薬、ドーマーに関して遺恨があった。その後始末の為に奔走する彼らと違って、たった一度関わっただけで向きになっているリヴァースを、正義の味方、孤高の英雄だ、そしてシャウエル以上のバカだ、と嘲った。しまいに、殴り蹴りしあいの、乱闘同様まで及んだ。
帰り間際、腹いせに、リヴァースは眠り込んでいたウィルの顔に落書きしたりもしていたが、最終的には2人は協力する事になった。好き勝手に動かれるよりは、まだ目の届くところにいてくれた方がいいとの、ファークスの考えだった。
リヴァースは、彼のいう、正義感や倫理観から、取り組もうとしているのではなかった。
たった一度受けただけなのに、体がその状態を求めていた。その時ばかりは、いつも身に漠然とまとわりついてはなれない不安も、接触恐怖症もなくなっていた。いつしかその高揚感と忌まわしい感覚からの解放を、求めていた。それは、ずっと望んでいたものだった。それゆえに、その誘惑は、抗い難かった。そして、それだけいっそう、恐ろしかった。許せなかった。それを薬に求めた、自分自身が。
だから、滅さすしかないと思った。リヴァースは、焦っていた。
ファークス達から情報を得るために、夜、リードの邸に向かう途中、リヴァースの前に、路地裏から、一人の男が姿を現した。
「貴様...、あの時の...」
スラムの酒場で最初に彼に麻薬を仕掛けた男、ペキンバーだった。
「いろいろかぎまわってくれてるらしいな。そんなにイイモンだったかい?」
ペキンバーは、くくく、と、卑下た笑みを張り付かせていった。
「...それ以上...いうな...」
リヴァースは、黒曜の瞳にくらい光をたたえて、彼を睨み付けた。
「ま、そう恐い顔するなって。客は大事にしたいからよ・・・。」
「だれが客だ!!」
かっとして声を荒げるリヴァースに、ペキンバーは、白い粉の入った、小さな瓶を投げてよこした。
「オマエが待ち焦がれてるヤツさ・・・。ずいぶん、苦しくなってんダロ?」
「...戯れ言を...っふざけるな!!」
「じゃあな。マタ、会おうぜ…くく。」
リヴァースが反応する間もなく、ペキンバーは、路地の中の闇に姿を消した。追おうとしたが、すでに気配は消えていた。
「...っこんなもの!」
リヴァースは、その瓶を地面に叩き付けようとした。
「...いや...。」
しかし、それは思い直した。何の麻薬か特定できれば、産地や胴元を知る手がかりになる。分析できれば、中毒者を治療する方法も見つかるかもしれない...。そう、自分に言い聞かせるようにして、リヴァースは小瓶をふところに仕舞い込んだ。
______________________
「原料のない麻薬…。やはり・・・。」
邸の中でお互いに調査結果を交換し合い、リードは沈痛な面持ちで呟いた。。「くそっ!」
ファークスは、両手で机を叩いた。水のはいったグラスが跳ね上がり、倒れた。麻薬の形状、中毒者の症状・・・調べれば調べるほどに、出回っているという麻薬は、彼の知っているものと酷似していた。
「物に当たるの、やめなさいよねっ。」
傍らにいたエルフのリズフェリアが気の強い口調でファークスにいった。
「あたらずにいられるか! あれが出回るなんて・・・おれたちの責任だっ・・・! しかも、リヴァースがあれに冒されているなんて・・・」
ファークスは頭を抱えた。
「あれは・・・おれたちが消滅させたはずなのに!・・・エルフたちの森を焼いて!」
リズフェリアはそれに関して、何も言わなかった。ただ、手は無意識に、すでに無くなった方耳にあてられていた。
その麻薬、ドーマーは、元々、自然界に自生するものではなかった。
そのエルフの森には、古代の魔術師の、植物の研究所があった。それにより開発され捨て置かれた、植物の代謝機能を極度に早める魔力があってはじめて、育つものだった。森中に広がったその土を取り除き、麻薬の根元を断つ為には産土自体を焼くしかなかった。そこで森を守ろうとするエルフ達と対立した。リズフェリアは、そのエルフの一員だった。
結局、彼らは、森に火を放った。
リズフェリアは溜息を吐いた。
「リズ、ミントの護衛を頼む。奴等におれたちがかぎまわっている事がばれているだろうから・・・。」
ファークスは、傍らに心配げに佇んでいるミントを振り返っていった。
リズフェリアは文句を口にしながらも承諾した。
ミントは自分が歯がゆかった。自分は守られるだけで、なにもできない。それどころか、自分の存在が、ファークスの足かせになっている。ファークスの助けとなって戦うどころか、自分の身を守る事すらできない。
しかし彼女はまた、自分がそう思い悩むことを、目の前の愛しい人が望みはしないという事を知っていた。だから、精一杯の笑った。自分のできるいちばんの事は、せめて相手の重荷が少しでも軽くなるような笑顔を見せる事だ、と思って。
「ファークスさん、いってらっしゃいませ。きっと、無事で帰ってきてくださいね!」
心の不安を押し隠して、自分にできる最高の笑顔を作った。
「おまえは強いな・・・。」
ファークスは、吸い付けられるように少女を抱きしめた。清潔な石鹸の香りと、ほのかに甘い、安心させられる匂いがした。
やれやれ、とリズフェリアは肩を竦めた。
______________________
麻薬ドーマーとそれを扱う輩に対し、ワヤンは本気で怒っていた。自分も協力させろと、ファークスに詰め寄った。いつも目元に浮かんでいる笑みも、その時は消えていた。なぜ、そんなに怒りを覚えていたのか、彼自身にすらわからなかった。ただ、リヴァースの狂った様が、ともすると脳裏に浮かんで落ち着かないのだった。
彼とリヴァースは、情報収集に勤めた。ロマールから戻ってきたばかりのウィルを頼って、盗賊ギルドを動かしたり、乞食の犬頭巾の持つ情報網を利用したらり、と、使えるツテは全て当たった。
ウィルは、盗賊ギルドの幹部という立場上、あるいはもう一つ別の理由から、厄介事に自分を巻き込むなと、公言していた。その彼にしては、この件に関しては積極的に動いてくれた。無愛想なハーフエルフという共通点からか、ウィルとリヴァースは不思議に気が合っているようであった。
犬頭巾は最近現われた、犬の皮をかぶった、奇妙なまでに卑屈な、それでいて、なにを考えているかわからないところのある男だった。リヴァースは、以前、行方不明になったファークスに関する情報を彼から得た事があった。その情報網は、侮れなかった。この時は、リヴァースにとって、使いようによっては役に立つ、程度の認識でしかなかった。
両方からの情報により、程なくして、26番街の倉庫で、ドーマーの売人達の間での取り引きがあるという事がわかった。そこに乗り込み、売人を捉えれば、その裏に潜む胴元が、明らかになるかもしれないと、ファークス達は考えた。ファークスとワヤン、リヴァースの3人は、そちらに向かった。
雲が切れ切れに流れる、寒い夜だった。
そこは、倉庫、といっても、すでに使われている様子の無い、廃屋街と見られても良かった。数年前に殺人事件が幾度もあり、縁起が悪いという事で破棄されたも同様の場所であった。荷運びをするために敷かれていたレールや石畳も剥げ、足元は凹凸していた。皆がゴミをうち捨てていくらしく、倉庫の外にも壊れた家具や物品が積み上げられており、悪臭が漂っていた。
倉庫の入り口に、見張りらしき者達が数人、火を囲んでしゃがみこんでいた。
「冷えてきたなぁ・・・」
一人が、ブリキの缶の中でパチパチと音を立てながら燃える火に、手を翳しながら、呟いた。
温暖なオランにはめずらしく、夜がふけるにつれ、その日は冷え込んだ。
「ま、これが終わればよ・・・。こんだけ寒い思いしてんだ。お零れが出た日にゃよ・・・せいぜいあったけぇ思いしたいもんだねぇ。」
「そういや6番街の『躑躅の舘』の、新人、病気持ちらしいぜぇ?」
「新人がすでにかよ? まじでぇ・・・・でえええぇぇ!?」
いきなり、缶の中の火が、蜥蜴の形を成して、襲い掛かってきた。
「だぁちちちち!!」
慌ててそれを振り払うも、火蜥蜴は男達に飛び掛かり、絡み付いていった。「な、なんだこいつ!!」
火は男達の服に燃え移った。それを消そうと、水溜まりの張り付いた地面に転がる。
「何事だ!?」
別の物陰に潜んでいた男達も、姿を現して駆けつけてきた。
リヴァースは、倉庫の裏の角にいるファークスとワヤンに目配せした。2人はうなずいて、窓にある鉄格子を外しはじめた。
それを確認すると、リヴァースは火蜥蜴を引き寄せて、見張りたちの前に姿を現した。
「てめぇっ、ナニモノだ!」
いきり立つ男達に答えもせず、リヴァースは炎の蜥蜴と共にきびすを返し、男達をおびき寄せるために、わざとゆっくり、暗闇の中へ消えていった。
見張りたちがリヴァースを追っていったのを確認したのち、裏側の窓から、ファークスとワヤンは倉庫に入り込んだ。そのまま突撃できるように、中に降り立つと同時に、2人は剣を抜き、構えた。
「そこまでだ! 」
ファークスは、暗闇に向かって叫んだ。
「あン・・・って、おい・・・。」
ワヤンが、拍子の抜けた声を出した。
2人の声に答えるものは、静寂。
中は・・・無人だった。
リヴァースは、不意に物陰に隠れて、追ってくる者達に、闇の精霊をぶつけ恐慌状態に陥れたり、反対に光の精霊を召喚して目くらましをしたり、と、一人一人無力化していた。しょせん見張りに立つものであるので、実力はたかが知れていた。さらに数ブロック離れたところで、小さき精霊を身にまとわせて、姿を消した。見張りを分散させた後、ファークス達の援護に戻るつもりだった。
しばらく、消えたままで様子をうかがっていたとき、頭上から、何かが降ってきた。捕獲用の、網だった。たちまちに身を拘束された。不意の出来事に、精霊を束縛しておくのに必要な精神集中が途切れ、姿が現れた。
「アタマだけ隠れても、可愛いあんよが見えてるゾ、ってナ・・・」
その声に聞き覚えが合った。と思った瞬間、後頭部に衝撃が降ってきた。
「ちゃんと気配も消さなきゃ、いけねぇナァ・・・」
三半器官が悲鳴を上げ、平衡感覚が消失するのを感じた。
「6000!・・・5000。 5800!・・・5200・・・」
熱っぽい男達の声が、かすかに部屋に響いていた。
気がつくと、リヴァースは、両腕を頭の上で纏め上げて縛られ、壁際に固定されていた。
「さて・・・お楽しみの時間だな・・・。」
ニヤニヤ笑いながら、ペキンバーは、リヴァースを見下ろした。彼の背後には、数人の男達が同じように、これからの饗宴を想像し、笑みを浮かべてたっていた。
隣の部屋で、取引を行っているようだった。
「貴様...! ここはどこだ...なぜ...」
ぎり、と唇をかみながら、リヴァースはペキンバーを睨み返した。顔を上げた瞬間に、ずきりと頭が痛んだ。
「オマエらが、今日襲ってくる事は、お見通しだったのサ。・・・飼い犬は、ちゃんとしつけなきゃァなァ。」
ペキンバーは、心地良さそうに視線を受け止め、リヴァースの顎に手を描けた。
「っさわるな!」
思わず、過剰反応を返す。
「おっと。冒険者のおエライ方は、オレらのような、下々のものには触れてても欲しくないようだゼ」
わざとペキンバーはおどけていった。そして、リヴァースの両の頬を平手で張った。
「へ!おらァな、オマエらみたいに、善人面してなんでも首を突っ込んでくる連中が、嫌いなんだよ! 偽善者どもが、その嫌悪する、ヤクにやられて堕ちていく・・・楽しいだろォ?」
ペキンバーは、けたたましく笑った。
視線で人が殺せるものなら、とばかりに、リヴァースはぎらぎらした黒曜の瞳で、ペキンバーを睨み付けた。
「まだ、自分では使ってないようだな。・・・欲しくて欲しくてたまらなくなってンだろ? 世話の焼ける奴だなァ・・・。」
ペキンバーはその白い粉を、きつい匂いのするラムにランプで暖めながら溶かし、シリンジに注入した。
「だ・・・だいじょうぶですかね。そんなに打ったら、ショックが出て死んじまいかねませんぜ・・・。」
背後に控えていた男が、恐る恐るペキンバーに申し出た。シリンジに吸われた量は、通常の3倍ほどはあった。
「なぁに、おえらい冒険者さま方ってのは、もともと丈夫にできてるってモンさ。」
針の先を軽くランプの火で炙ったのち、ペキンバーは注射器の尖端をリヴァースの白い首筋に当てた。
「...っよせ..っ....!!」
身を捩って逃れようとしたが、拘束が腕に食い込むのみだった。ピストンの中の液体は、制止の声にもかまわず、リヴァースの青白い血管の中に、ゆっくりと押し出されていった。
「安心しろ。3回目までは、無料お試し中だ、ってね。」
そのふざけた声も耳に入らなかった。薬液が血液の流れに沿って全身に広がっていくにつれ、じわりとした感覚が体を襲い、鼓動が早くなってきた。自分は狂っていくという予感。果てしない不安が沸き起こった。
その時、部屋の中に、ポゥ、と2,3の眩しい光球が現れた。瞬間、光の玉は、複雑な軌道を描いて部屋の中を飛び回った。
「なんだ!?」
男達がそれに触れ、激しい衝撃を受けて、床にはいつくばった。
不意を討たれたペキンバーをリヴァースが蹴り上げたのと、ドアが開いて剣を手にしたファークスとワヤンがおどり出てきたのと、同時であった。
「フザケタ手を使ってくれやがって!」
光の精霊を解放したワヤンが、部屋に飛び込み長剣を薙いた。ひるんでようやく腰のものを抜きかまえはじめた男達に、容赦なくワヤンは怒りのこもった剣を叩き込んでいった。
「おいおい、こっちの分も残しとけよ、っと!」
ファークスも、魔剣をここぞとばかりに振るい、小剣を構えた男達を敵ではないとばかりに、叩きのめした。
2人とも、最初が拍子抜けであっただけに、今回は思う存分、という様であった。とくに腕の立つ護衛もいなかったその場は、程なくして席捲され、鎮圧された。
「ずらかれっ!!」
隣の部屋で、取引を行っていた者達が、大慌てで金と商品を抱えて、散らばっていった。
ペキンバーは、舌打ちした。ここで自分がまともに遣り合うのは得策ではない、と、闖入者を迎え撃つ部下達を尻目に、窓から姿を消した。
「遅い。どうせくるなら、もっと早く来い。」
「・・・助けにきてやったってのに。口の減らない奴。ま、間に合って良かったよ。」
ファークスは苦笑しながら、リヴァースの縄を解いた。
間に合ってはいないんだ・・・と、表面上は平静を取り繕いながら、リヴァースは心の中で呟いた。
ファークス達は気絶させた数人から情報を聞き出し、衛視隊に突き出した
彼らが最初に乗り込んだ先は、無人だった。それなのに、その入り口には見張りがいた・・・つまり、こちらの動きが、把握されていたという事だ。その情報の漏れどころを掴む事はできなかった。しかし、売人の一人から、10の日の夜、現在でまわりはじめドーマーの麻薬の生産者が、ストラトフォードの屋敷にて、売人に対する規模な取引を行うというという情報を得る事ができた。
昨晩から徹夜で情報収集に当たっていたため、ワヤンはそうそうに自分の宿に帰った。ファークスはささやかな祝杯をあげようと、酒場へ乗り込んでいった。
その後、リヴァースの体内に注入されたドーマーは、彼の体内で散々に荒れ狂った。初期のたとえようのない快感と陶酔感。そして襲ってきたのは、地獄の苦しみ。大量に投与された麻薬による中毒症状だった。全身の痙攣とひきつけ、体中を虫がはいまわるたとえようの無い不快感と痒み、間接がぎしぎしときしみ、体中の筋肉が断ち切られるかと思うような激痛。耐え切れずにリヴァースは体中を掻き毟りながら、床や壁に体を打ちつけ続けた。居合わせたレイシャルムやウィルが彼を拘束し、シャウエルが睡眠薬を飲ませた。リヴァースは最終的に昏睡状態になり、ショックによるチアノーゼに陥った。レツが、町医者である少女、マリナをたたき起こして連れてきた。心臓マッサージや人工呼吸にまで、手当ては及んだが、おかげで、そのショック状態からは回復した。麻薬のもたらす恐怖に、だれもが戦慄した。
この時、オランを去ったシルビアが、半年ぶりにファンドリアから帰還していた。最悪の再会だった。
ファークスは、リヴァースの苦悶をとても見ていられなかった。彼の悲鳴のひとつひとつが、自責の念となって、ファークスの心を串刺しにした。彼は、自分のせいでリヴァースが苦しんでいるのだと思った。これ以上、関わらせるわけにはいかなかった。そして、
明け方、ファリスの司祭・ジェニーがやってきた。ファークスはリズフェリアに、眠りの精霊魔法をリヴァースにかけさせ、ジェニーにリヴァースの世話と見張りを頼んだ。
翌日。
「あはん・・・こいつぁマタ・・・。」
ジェニーは頭を抱えた。
彼女が厨房へと食事を取りにいったほんの数瞬の間にリヴァースは姿を消していた。
「どうやって魔法を破ったんだ・・・。それに、あの体で、いったいどこに・・・」
憮然として、ファークスは呟いた。
「次の新10の日の取り引き時、冒険者どもが襲撃してくるという情報が入った。」
ソストは用心棒に対し、にやりと笑った。
「無論、役に立ってくれるのだろうな?」
「・・・・・・」
シャウエルは、複雑な顔で頷くより無かった。
いずこかに住み着いていたのか、ぱさぱさと、コウモリが2匹、連れ立って飛んでいった。
下弦の月は、混乱から隠れるかのように、その姿を細めていった。
TO BE CONTENUED...
 |