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No. 00038
DATE: 1998/12/21 13:47:38
NAME: リデル他
SUBJECT: 狂気 (3)
少し癖のある、柔らかそうな長い黒髪。すっと切れるように美しい緑の目。・・・19と言う年より少し、大人に見える容姿。だが、その美しさは年と関係ないかのように独立して輝いている。
彼女の名はラシュアと言う。毒々しい色のドレスに身を包み、うっすらと紅色の唇に笑みを湛えながら、同じくらい赤い色の液体の注がれたワイングラスを片手に、水晶球を飽きることなく眺めつづけている。
彼女の傍らに控えているのは、40そこそこの男だ。
「・・・ラシュア、いつまでそうやっているんだ?」
まるで童女のように足をぷらぷらさせながら水晶球の映像を見ているラシュアに、男は声をかける。
ふたりとも、雑貨屋の主人を殺害した現場を、リデルに見られてしまった者たちである。
「んー・・・だって、することが思い付かないのよ」
ラシュアは口を尖らせて言う。
「もう、あの連に関わっていた領主は殺したわ。それに使えて、汚水の垂れ流しを黙認していた連中も殺しちゃった・・・あの雑貨屋の男で最後だったでしょ?」
ラシュアの故郷のティーグ村の領主は、村に魔術の実験の失敗作や汚水を垂れ流し、結果的に村を滅ぼした。ラシュアは彼を殺し、そして、彼の愚行を黙認していた使用人たちも殺していった。最後に残ったのは、オランまで逃げ延びて雑貨屋をはじめた男だった。彼を殺した現場を、魔術師に見られて・・・それが懐かしいリデルだった。彼女の幼なじみ、たった一人の同胞。リデル・フォービュート。
水晶球には、彼の様子が映し出されていた。スペクターに「憑依」された彼の意識は、すでに閉じ込められ、押し込まれている。
「そのリデルと言う少年はまだ殺さないのか?」
「まだよ、ライアン。まだ、殺さないわ」
ラシュアはこともなげに言ってのけた。まるで「まだ遊べないのよ」と行っている幼女のように、ころころと笑いながら。
「シードがうまくやってくれるわよ。それを見物してからでも、遅くないわ」
水晶球を両手で包み込み、そこに映し出されている金の髪の魔術師に、ラシュアはうっとりと微笑みかけた。
「大好きなリデル・・・・・・待っててね・・・・・・」
「・・・シードが動いたわね」
ラシュアが呟いた。ライアンが頷く。
「そろそろ行きましょうか。あたし、もう会いたくってたまらないのよ、シードにも、リデルにも」
ようやくにして立ち上がった主人に、ライアンは満足げに頷いた。
「何人か『お友達』を連れて行きましょう。あちらは魔法使いが多いみたいだから、そうは役に立たないでしょうけど・・・ね」
ラシュアは微笑んで、手近な所に無造作に置いてあった魔晶石をつかんだ。
「ねえクレイ、何か引っかかるんだけど」
ミレディーヌは黒い髪をばさりとかきあげながら、隣にいる婚約者に向かって呟いた。
「何ですか?」
クレイは三つ又の槍を手に、のんびりとうたた寝なんぞしている。青い髪が腰まで届き、目の色は紫色。何処と泣く異国情緒を漂わせる衣服に身を包んでいる長身の青年だ。対するミレディーヌは女の子の中でも小柄で、黒い髪を長く伸ばして、気が強そうな黒い瞳。マイリーのシンボルを胸から下げている。
二人はセシーリカの冒険仲間であり、リデルとも面識がある。スペクターに取り付かれたリデルを精神施療院にみせに行ったり、「スリープ」をかけ眠らせたりと、影の功労者とも言える存在であった。
そのふたりは、オランの地下にある遺跡で、ぼんやりとしていた。
・・・いや、本当は不審者の見張りをしているのだが、こんな誰も知らない遺跡に誰かが来るとは思えない。自分たちですら案内されるまでは知らなかったのだから。
儀式の邪魔はされたくないから、とセシーリカがリデルを連れて潜ったのは下水道だった。彼女に連れられて歩いて行くと、セシーリカはおもむろに壁を蹴破る。現れた横穴をくぐると、天井の作りが下水道のそれとは変わった。すばらしく繊細で華麗なレリーフが幾重にもわたって彫られ、さらに微妙な色づけがされていて、遠目には落ち着いた青を醸し出す回廊に至ったのだ。下水の深いな匂いも消えた。
そして今、地下の遺跡であるとは信じられない場所にいる。天井は高く、魔法の力によって自ら光っていた。銀色に光る木があり、湖と呼んでいいほどの大きさの池があり、その木々と池に見守られるように、祠のような小さな建物があった。
その祠の中で、セシーリカは儀式の準備を進めている。こんな場所を、彼女がどうして知っているのか。たずねたが苦笑するだけで答えてはくれなかった。
「で、引っかかることって?」
「スペクターって、確か眠らないんじゃなかった?」
「アンデッドは大抵不眠ですからね。でも、リデルの肉体が眠ったことによって、シードが活動不能になったとは考えられませんか?」
「・・・そんな例が今までにあったとは思えないわね・・・」
こんなことなら、もっと勉強しておけば良かったわ、と自分自身に悪態をつくミレディーヌを、クレイは微笑みながら見つめていた。
「・・・ミレディーヌ」
呼ばれて彼女は振り返る。クレイの真剣な瞳にぶつかった。
「僕たちは、リデルの何を知っているんでしょうね。何を知って、彼の何を救いたいんでしょうね」
ミレディーヌは一瞬言葉を見つけられなかった。
美男子の割にいつもぼーっとして、「天然」だの「のほほん茶」だのという悪名を持つクレイは、さりげなく核心を突いてくる。
「・・・わからないわよ、そんなのっ!」
ミレディーヌは顔を真っ赤にして怒鳴った。リデルは何もしゃべらない。なにも話してくれない。だからわかるはずがない。しかしそれはただの言い訳に過ぎないことを知っていたからだ。
リデルは何も言わないかわりに、何も聞かない。ただ黙って、自分たちがやって欲しいと思うことをしてくれる。かゆい所に手が届く、出はない。かゆい所に気がつく前に、そっと指摘してくれて、自分もはじめてそこがかゆくなり始めていたことに気がつく・・・のだ。
「でも、スペクターに憑依されているのよ! それから解放して助けてあげたい、それだけでもいいじゃない!」
遺跡の天井を見上げながら、ミレディーヌは怒りを抑えることに必死だった。
「・・・リデルさん・・・」
祠の中で、明るい金髪の少年が、リデルの枕元でうつむいていた。愛色の瞳に光はない。・・・目が見えていない。
ルレタビュ・レーン。それが彼の名前であった。リデルの、初めての友人であり、シードが「殺す」と宣言した少年だ。
ばふばふ、という音にルルゥが振り返る。目は見えなくとも、その人物が誰かは分かった。
「ルルゥ、ちょっとごめん。手伝ってくれる?」
おろしたての司祭衣の座りが悪いらしく、ばふばふとはたいている少女の名は、セシーリカである。リデルの義妹のハーフエルフ。彼女は「悪霊払い」・・・イクソシズムの魔法の儀式の準備をしていたのだ。
「あ、はい。何をしましょうか?」
「こっちに来てくれる? 説明するから」
ルルゥは立ち上がりながら彼女の気遣いに感謝した。何とかしてルルゥの気を紛らわせようとしているのは、明らかだ。
(ファリスよ・・・リデルさんを助けてあげてください)
ルルゥは目を閉じ、ファリスに祈りをささげた。
「・・・儀式が始まるみたいだね」
シードは・・・正確には、リデルの体を乗っ取ったシードは、ぽつりと呟きながら目を開いた。
「どうする、リデル? みんな馬鹿だね。スペクターは眠らないこと、知らないのかな?」
スリープの魔法をかけられたので、眠らされたフリをしておいた。ルルゥを殺す機会をうかがうためだ。
リデルはもう何も言わない。彼の意識は自我の深層で殻をかぶって閉じこもっている。
「まだ絶望しないでよね、リデル。君をお姉ちゃんに渡さなきゃいけないんだから」
シードは体を起こすと、ベッドから降りた。そして、枕元に置かれていた短剣を手に取ると、にこりと微笑んだ。
セシーリカは、脳裏に閃いた警鐘のようなものに顔を上げた。
祠の側の、少し開けた空間に陣を作り、符を焼いて準備をはじめていた途中だったために、クレイとミレディーヌもその異変に気がつく。
「セシーリカ、どうしたの?」
駆け寄ってきたミレディーヌたちに、セシーリカは無言で首を振った。
「・・・わかんない。でも、何か凄くいやな予感がする」
言ってルルゥを見ると、彼もまた何かを感じ取ったかのように、手を止めている。
「そういえば・・・」
ミレディーヌも頭にふと、手をやった。何も感じないのはクレイだけである。
「神の警鐘・・・なのかもしれませんよ」
クレイの言葉に、三人が顔を見合わせる。もっともルルゥの視線は見当違いだったが。
「なぁんだ、気づかれちゃったのか」
つまらなさそうな声に、四人は心臓を捕まれたような気分になった。
リデルがにこりと笑って、祠の入り口に立っているのだ。
「・・・リデルっ!」
ミレディーヌが叫んだ。クレイがやっぱり、と嘆息する。
「スペクターに眠りは効かなかったんですねぇ」
「やっぱり、なんていってるんなら、最初っからどうにかしときなさいよっ!」
ミレディーヌが甲高い声でぎゃんぎゃん叫ぶ。
「何とかしてシードを活動できない状態に追い込まないと、儀式ははじめられないよ!」
セシーリカが焦れたように叫ぶ。準備はほとんど整っているのに。
「闇の精霊よ!」
ミレディーヌが叫んだ。ひらひらと動かした手に呼ばれるように闇の精霊が現れる。
「恐い恐い。そんなのぶつけられたら、ぼく死んじゃうよ」
対して恐くもなさそうにシードが呟く。そして精霊語を唱えた。その手に光の槍が生まれる。
「バルキリージャベリン!?」
セシーリカが叫ぶと同時に槍が放たれる。それは途中で三つに分散して、ミレディーヌ、クレイ、セシーリカを同時に貫いた。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げてミレディーヌが倒れ込む。クレイは貫かれた胸を抑えてうずくまった。セシーリカも、倒れこそしなかったが激痛に顔を顰める。
「ミレディ!」
クレイがミレディーヌを助け起こす。ミレディーヌは怒りに顔を歪ませてシードを睨み付けた。
「クレイ! 地上に戻って応援を呼びなさい!」
ミレディーヌは、痛みで朦朧とする頭を振りながらクレイに命令する。
「しかし、ミレディ!」
「うっさいわね、あんたがこの中じゃ一番足が速いでしょ! ルルゥを呼びにいかせるべきなんでしょーけど、あの子目が見えないじゃない!」
どきっぱりと断言されて、クレイはしぶしぶ立ち上がった。そのまま脱兎のごとくに駆け出す。
「ははっ! 逃げて行くよ。いいや、逃げる奴はほっておくよ。それより、お姉ちゃんたち。邪魔しないで。おとなしく僕にルルゥを殺させてよ。ま、その後に、セシーリカのお姉ちゃんは殺しちゃうけどね」
「やらせるもんですか!」
ミレディーヌが叫んで立ち上がる。傷は魔法で癒えた。同時に再び精霊を召喚する。
「無駄だよ。お姉ちゃんと僕とでは、精霊魔法の腕が違いすぎるよ」
シードが再び精霊語を唱える。とたんにミレディーヌは強烈な眠気に教われた。
「寝ててよ。起きることの無い眠りに」
シードの声に、ミレディーヌは耐え切れずに倒れ込んだ。
「さて・・・いくよ」
シードは、セシーリカとルルゥを見て、微笑んだ。
クレイは必死に町の中を走っていた。「気ままに亭」に行けば、誰か冒険者かいるだろう。
夕暮れに包まれ始めた町は活気に満ち溢れている。もう少し行けば・・・。
と。
突然肩をつかまれ、あれ、と思う間もなくクレイは路地裏に引きずり込まれた。
人通りが全く無い路地裏。そこはかつてラシュアがリデルに殺しを見られた現場である。
抗議する間もなく引きずり倒される。背中を強かに打って一瞬呼吸が止まった。だが、いくら「天然」という悪態をつかれてもそこは冒険者。すぐさま体をひねり、三叉槍を突き出す。
クレイを引きずり倒した男は、体をひねってそれをいなした。だがバランスを崩す。そのすきにすばやくクレイは立ち上がった。
「何なんですか、あなたは」
剣を構えてバランスを取り戻した男は、クレイを見て笑う。
「助けを呼びに行くつもりだろうが、そうは問屋が卸さないぞ」
「え? なんで知ってるんですか? あなたシード君の関係者?」
「そんなのはお前に関係ないだろう。だが、確かにシードの関係者ではあるだろうな」
「なんだかんだ言って、話してくださってどうも」
クレイ、おまい、やっぱなんか違う。
なんてのは置いといて、クレイはすっと三叉槍を構えた。
「邪魔しないで欲しいのはこっちですよ。邪魔するなら・・・・ちょっと怒りますよ」
「それはこっちの台詞だ。シードとラシュアの邪魔をするものは誰であろうと許されない」
すっと、切っ先が上がる。かなりの腕前のようだ。
「うーん、意見は平行線のようですね」
「そのようだな」
「じゃあ、仕方ありません。荒事は嫌いなんですけど、やりますか」
なんだかちょっと抜けた雰囲気のもと、戦いが始まった。
「・・・っ!」
光の精霊が、肩を焼く。セシーリカはそれでも歯を食いしばってこらえた。
自分が倒れるわけには行かない。ルルゥが危険にさらされる。そしてそれは、兄の望む所ではない。
「どうした、あたしはまだ立ってるぞ。その程度で終りか?」
肩で息をし、セシーリカはシードを睨み付けた。どうやらシードは魔晶石をふんだんに隠し持っているらしい。幾度魔法攻撃を受けたのか、わからなかった。
ルルゥのターン・アンデッドは効果が無かった。セシーリカは何とか無力かしようと試みるが、まさかリデルの体を傷つけるわけにはいかない。
「減らず口をたたくね、お姉ちゃん。やっぱり、お姉ちゃんにも眠ってもらうしかないのかな」
セシーリカは体内のマナをゆっくりと活性化させていく。いちかばちか、儀式に寄らない「イクソシズム」を試みるためだ。これが駄目だったら・・・・アウトだ。
一方、セシーリカに庇われながら、ルルゥは必死に考えていた。このままでは自分もセシーリカさんも、そしてリデルさんも死んでしまう。
「リデルさん!」
何度も呼びかけたが、彼の心は深い殻の中に閉じこもっている。
誰かが殻を破らなければ。
その時、シードがバルキリーを再び召喚し始めた。セシーリカはまだ魔法の準備が整っていない。
「・・・万事休す・・・」
ぎり、と噛んだ唇から漏れた言葉に、ルルゥは敏感に反応した。
「やめて、リデルさん!」
セシーリカの脇から飛び出すと、彼女の前に立ちはだかり両手を広げたのだ。
「ルルゥ! だめ、戻って!」
セシーリカの絶叫も聞こえないかのようにルルゥは動かない。シードは慌てて目標をルルゥに変更した。
光の投げ槍が放たれると同時に、ルルゥはもう一度、喉が張り裂けるかのような声で叫んだ。
「リデルさんっ!!」
誰も僕を必要としていないんだ。
僕がいてもいなくても、誰も同じなんだ。何も変わらない。
むしろ・・・いない方がいいんだ。
リデルは膝を抱えてうずくまっていた。呼びかけてくる声は虚しく殻にはじかれる。
目の前に、藍色の瞳の少年が微笑んでいた。
だが、手を伸ばせば消えてしまうことはもうわかっていた。
ルルゥ。
偽りの無い、揺らぎの無い世界だと思っていたのに。
結局誰も僕を助けてはくれないんだね。
か弱い一本の糸。それがかろうじて、リデルをここに繋ぎ止めていた。
誰も僕をわかってくれなかったんだ。
『当然だね』
シードの声が、糸を切ろうとする。
『君が誰もわかろうとしていなかったからだ』
僕を受け止めてくれる、わかってくれると思っていたのに。
『自分も他人も同じだと、勝手に一人で思い込んでたんだね』
・・・・裏切られたんだ、僕は。その証拠に、ルルゥはほら、僕の前に立ちはだかっている。僕を止めようとして。
僕は裏切られたんだ。
『はじめから自分の勘違い。一方的な思い込みなのに。馬鹿だねリデル』
糸がきしむ。悲鳴を上げている。
悲鳴?
誰が?
悲鳴を上げているのは、誰? ルルゥを見て懐かしくいとおしく思っている、全く別の自分?
だって、ほら、ルルゥはあそこで僕を止めようとしているよ。僕の邪魔がしたいんだ。
・・・違うよ。
ルルゥは僕のためを思って僕を止めようとしているんだ。僕を助けようとしてくれているんだ。
なんでそう言えるの? 邪魔をしてるだけだよ。うっとうしい。
このままじゃセンカが死んでしまう。彼はそれを止めようとしているんだ。それでもセンカを殺す気なの!?
・・・殺す?
センカを?
何故?
「リデルさんっ!」
叫びが殻を揺らした。リデルは目を開ける。
ルルゥさん?
「お兄ちゃん!」
センカ・・・泣かないで。
“人は一人一人がみんな違うものなんだよ”
突然響いてきたしわがれた懐かしい声。リデルは顔を上げた。
恩師。懐かしい師匠フォール。深いしわをほころばせて彼が微笑む。
無垢な質問を投げかけるリデル。まだ11歳のころだ。フォールは微笑んで、リデルを抱き上げ頭を撫でた。
「人は似ているようで1人1人違うんだよ。全く同じだということはありえない。例え双子でも微妙に違う。だからこそ、世界が成り立つ。自分と違うものを軽蔑しちゃあいかん」
きょとん、としているリデルとセシーリカを、フォールは交互に見て微笑んだ。
「違うものがあり、混ざり合い、溶け合うからこそ世界は回ってゆくんじゃよ。ご覧、水槽の水を、ずっと同じで、違うものが混ざらず、それはいいかも知れぬ。じゃがいつかは淀み、腐って行く」
頷いた二人に、さらにフォールは言葉を続けた。
「おまえたちにこういう事を言うのは残酷かも知れぬが、他人の心はけして他人には理解できぬ。じゃが、だからこそ、痛みを知りたい、わかりたい。その痛みを、苦しみを、あるいは喜びを分かち合いたい・・・そう思う心が優しさになってゆくんじゃよ」
リデルは膝を抱えていた手を離した。殻を叩き割ろうと腕を振り上げる。
ごめんなさい、ルルゥさん。
ごめんなさい、センカ。
愚かだった自分に気がつく。とたんに苦しみが一気に襲ってきたが、それらを全て受け止めて、リデルは殻を割ろうともがいた。
僕は何もわかろうとしなかった。
そのくせわかって欲しいと叫んでいた。
誰かと溶け合って、すべてを委ねてしまいたかった。
それじゃいけないのに。
それじゃ、自分じゃ無くなってしまうのに。
殻が打ち破られると同時に、ルルゥの胸を光の槍が貫いた。
「ルルゥ!」
セシーリカは倒れたルルゥを助け起こす。そうしながらリデルを見た。
一瞬、光の投げ槍の奔流が収まったからだ。
まさか、と思って見た先には、呆然と立ち尽くすシードがいる。
「・・・なんで、目が覚めるんだよ」
シードはいまいましげに吐き捨てた。だが既に肉体の支配権は自分が得ている。いくら深層であがこうと無駄なこと。
そうたかを括ったシードは、しかし、大切なことを失念していた。
「・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・」
クレイは、三叉槍を杖代わりにして、気ままに亭に転がり込んだ。
ライアンは、魔法で叩きのめしてふんじばって警備隊に突き出してきた。だがクレイ自身も深手を負っている。早く救援を。
だが・・・踏み入れた店内は・・・・
一人も客がいなかった。
「そ、そんなぁ・・・・」
へなへなと崩れるように座り込んだクレイ。哀れ。
だが、神は彼を見捨ててはいなかった。
「どうしたの、クレイ?」
声をかけられて、クレイは顔を上げた。
冒険から帰ってきたばかりの、長身の砂漠の民の娘・・・ラーファの姿がそこにあった。
「リデルが起きちゃった・・・・でもこれこそ千載一遇の好機ってやつだよね。さ、ルルゥを殺させてよ」
シードは無邪気にセシーリカに歩み寄る。セシーリカは、気絶したルルゥを抱えて後ずさった。
まだだ。もう少し。口の中で神聖魔法を唱えながら、セシーリカは間合いを計った。だがこんな中途半端な精神集中では駄目だ。セシーリカの心に焦りが募る。
と。
「・・・あたしは昨日、たっぷり睡眠をとってるのよっ!」
やけくそのようなミレディーヌの絶叫に、シードは思わず振り返る。立ち上がったミレディーヌが、シードに飛び掛かったのだ。
小柄なりとはいえ、ミレディーヌはマイリーの神官戦士だ。リデルとは鍛え方が違う。ミレディーヌはあっという間にリデルの体を汲み伏した。
「さぁ! これで精霊魔法は使えないわよっ! 観念なさい!」
ミレディーヌは精霊魔法の腕は確かにシードに劣るが、近々司祭への昇進が考えられているマイリーの信者だ。その信心はシードの精霊魔法を跳ね返すのに足るものだった。
「くそぉっ・・・・なんで僕の邪魔をするんだよ! 僕を殺したリデルに、復讐したいだけなのに。お姉ちゃんをないがしろにしたリデルを懲らしめてやりたいだけなのに!」
じたばたと暴れようとするシード。だがミレディーヌは意地でも離すか、とばかりに組み伏せた腕に力を込める。
セシーリカはそんなシードを心底哀れに思った。
「もっと生きたかったんだね」
「そうだよ!」
「それなのに、お兄ちゃんが・・・・」
「そうだよ! リデルが村に火をつけて僕を焼き殺したんだ! 僕だけじゃなくてみんなを焼き殺したんだ! お父さんだって助かったかもしれないのに!」
・・・違う。確かに、ガーシュさんは事切れていたんだ。
『そんな事ない!』
本当なんだよ、シード。
『それでも、お前が僕を殺したんだ! お前が!』
それは・・・否定しない。僕が、君を殺した。
『偽善者ぶるなよ! お前が村の人たちをみんな殺したんだ! 仕方が無かったなんて言うなよ。僕は許さないぞ!』
「シード、ここで待ってろ」
ガーシュは、シードを村外れの森の中に隠した。彼はラシュアを捨ててから生まれた、彼の最後の息子だ。精霊魔法に卓越した才能を示すが、こんな子供を戦いには巻き込みたくない。
「うん。・・・お父さん、絶対帰って来てね」
ガーシュは頷かなかった。かわりにシードを抱きしめ、ささやく。
「ここを絶対に動くな。村は、燃える」
村が赤い炎に包まれた。だがシードは父が帰ってこないことが不安でたまらなかった。言い付けを破り、彼は燃え上がる村に飛び込んだ。
と。
「坊主。名は?」
突然男に尋ねられ、シードは首をかしげた。男は何でこんな村にいるんだろう。
「シード」
「そうか。お前がラシュアの弟か・・・」
下卑た笑みは、シードには伝わらなかった。
「お父さんが何処にいるか知らない?」
「奥だ。火の中だが、お前なら行けるだろう」
「ありがとうおじさん。じゃね!」
走り始めたシードを見、男は・・・ライアンはにやりと笑った。
「ラシュアを更に狂気には知らせるためだ。我慢してくれや、坊主」
ライアンは火の中から火蜥蜴を召喚すると、振り返らずに走り去るシードに向かって炎の矢を放った。
『・・・嘘だ!』
シードがじたばた暴れ始めた。今まで封印されてきた記憶が、ショックで蘇ったのだろう。
リデルは、恐がって震えているシードの自我を見つけ出した。
「・・・シード」
シードが目を見開く。
「シード、ごめん。本当にごめん・・・君の苦しさをわかってあげられなくて、自分の苦しみとだけ、僕は向き合っていた」
泣きじゃくるシードの肩に手を置く。
「君がいて本当に苦しかった。だけど、君がいて本当に良かったと、今は思う」
『何でだよ。何でそんなに穏やかに僕に接するんだよ!』
泣きじゃくるシードの心。触れることは出来ないが、そうでなくても切られたように痛む。一つの体に同居した二つの精神。
「君がいてくれたから、過去と向かい合うことが出来た。友達や、家族の大切さを改めて知ることが出来た」
『僕は君の心の傷をえぐったんだ!』
「だけど、化膿した傷は切り開かなければ治らない。腐って落ちてしまう」
リデルはそっとシードを抱きしめた。ふれあった心が、シードの心を溶かして行った。
「・・・ありがとう」
その言葉に、シードは、目を閉じた。
そして、安堵したと同時に、リデルの意識は・・・・・闇に落ちた。
リデルが倒れ込んだ。セシーリカの癒しによって目を覚ましたルルゥがその体を抱え上げる。
「リデルさん!」
心の戦いが終わったことにセシーリカは気がついていた。痛む体に癒しの奇跡を願いながら、じっと二人を見詰める。
「リデルさん、リデルさん!」
必死に呼びかけるルルゥの声は、しかし、無情な言葉で途切れた。
「だめよ、起こしちゃあ」
心の中をかき回されるような異質な声。
女の声には、紛れもない「狂気」の力があった。
「・・・誰よ!」
「ラシュア!」
ミレディーヌとセシーリカが同時に叫ぶ。あら、とラシュアは眉を上げ、セシーリカを見た。
「わたしをご存知だなんて、光栄ね」
狂気の神に抱かれた娘。リデルを狂わせた元凶。
「・・・いささか興ざめな展開だったけど、まぁいいわ・・・。シードがもう少ししっかりしてくれると思ったのに」
そのまま、ふわり、とラシュアはルルゥのすぐ脇に降り立った。あまりに突然の動作に、誰も反応が出来なかった。
「・・・リデル・・・」
ルルゥの腕から、リデルを奪い上げる。
「なにを・・・する気!?」
「大好きなリデル。もう離さないわ。ずぅっと、かわいがってあげる。お人形のように、大切に大切に可愛がって・・・そうして捨ててあげるわ。壊れたお人形のように」
「・・・そんなことさせない!」
セシーリカは叫んだが、実際にどうこうできる力は、もう残っていなかった。あと一度、魔法を使えば倒れてしまうだろう。
「・・・面倒くさいわね・・・・」
ラシュアは狂気を含んだ笑みを浮かべた。
「わたしの『御友達』に何とかしてもらおうかしら」
ミレディーヌたちの背筋に戦慄が走る。
だが・・・・その緊張は、次に響いた声で氷解した。
「むだよ」
懐かしい声にセシーリカは涙と笑みがうかぶのを禁じ得なかった。
「・・・ラーファ姉さん!」
長身の砂漠の民の娘が微笑みながら立っている。その脇に、クレイが立っていた。
「遅れてすみません」
「まったくだわ!」
ミレディーヌは怒鳴ったが、それでも顔は微笑んでいた。
「・・・あなたの御友達は、下水道でもう一度眠りに就いたわよ」
実際、ラーファは実に15体ものゾンビを、フレイルの一撃で葬り去ったのだ。
ラシュアは歯噛みした。
「なんなのよ、あんた。何であたしの邪魔すんのよ!」
「決まってるだろうがぁっ!」
どごっという鈍い音と共に、セシーリカの飛び蹴りが見事に命中する。ラシュアはつんのめって倒れた。放り出されたリデルを、ラーファがいとも簡単に受け止める。
「な、なによ・・・・みんなして・・・・」
ラシュアの声が狂気を含んで裏返る。ラーファはとっさにリデルをクレイにわたすとフレイルを構えた。
「何で、あたしの幸せの邪魔すんのよぉ!」
ばさっ!
叫びと共に、ラシュアの背中が弾けとんだ。同時に八枚の黒い翼が現れる。
「・・・・なっ、何なのよ!」
ミレディーヌが叫んだ。
「・・・まさか、デーモン・・・!?」
ルルゥが声を絞り出す。
「絶対に手に入れるんだから! リデルを手に入れるんだから! あたしのものにするんだからぁっ!」
黒い髪の間から二本の黒い角が飛び出す。両腕と両足が筋肉たくましい魔獣のそれに変わった。
だが、ラシュアはそのまま飛び上がった。
「絶対に、リデルはあたしのものにするわ! それまで、せいぜい楽しんでなさい! あんたたち全員、全員、絶対絶対絶対殺してやるんだからぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
黒い稲妻が遺跡の天井を揺るがす。セシーリカたちは耐え切れずに目を閉じた。轟音に吹っ飛びそうになる意識を総動員して耐える。髪が帯電してぱりぱりと音を立てる。
突然、奔流は収まった。顔を上げると、そこには、もうラシュアはいなかった。
全員、終わった、という感慨の気持ちはなかった。ただ、へたり込むように座り、あるいは立ち尽くして、事の次第を飲み込もうとしていた。
「・・・う・・・ん」
ルルゥは、朝の光と同時に目を覚ました。
何も見えなくても、朝だ、ということはわかる。
起き上がると、全身が軽く痛んだ。昨日の冒険のせいかな、と首をかしげる。
「おはようございます、ルルゥさん」
リデルの声がする。ミレディーヌの元気な声が外から聞こえてきた。
「・・・おはようございます。リデルさん」
戦いが終わると同時に、リデルは目覚め、そうしてルルゥは治癒魔法の使い過ぎで意識を失った。そばにいてくれたのか、と嬉しい気持ちが込み上げる。
「セシーリカさんや、他の皆さんは?」
「センカはヒム先生の所だと思います。ミレディーヌさんとクレイさんは、外でいつもの通り仲良く喧嘩してます」
いつもどおりの、感情の無いそっけない言葉。
「そうですか・・・。あ、花に水をあげなくちゃ」
立ち上がろうとしたルルゥが、ふらつく。リデルはそっとそれを支えた。
「・・・無理しないで下さいね。一緒に行きましょう」
リデルが、元に戻った。それだけで、なんだか心の中が、柔らかく暖かくなってくるのを感じて、ルルゥは笑んだ。
「リデルさん」
「・・・なんですか?」
「笑って・・・・くれますか?」
リデルはきょとんとしてルルゥを見つめた。見えないはずなのに、笑顔を見せろという。
だが、リデルはそれでも、そっと目を閉じ、開いた。
けしてあふれんばかりの笑顔ではない。ほんの少しだけ、顔が笑みの表情になるだけだ。だが、それがリデルの笑みなのだと、ルルゥは知っていた。そして、友人が笑んでくれたことも。
「みんなにありがとうを言わなきゃいけませんね」
「・・・リデルさん」
「でも、まずはルルゥさんに。ありがとう」
ルルゥは、その言葉と、その微笑みに、満面の笑みを浮かべて頷いた。
To Be Continued To Next Episode......
BGM:Cocco “Rainning”
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