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No. 00039
DATE: 1998/12/30 03:53:13
NAME: モヨ
SUBJECT: 星の下で
朝の光が少年の顔を照らす。
階段を下りた所にある大きな居間では、少年の両親がソファーに並んで彼を待っている。ふんわりと、甘い匂いがする。 パンの焼けるそれと、飲み物に入れる香辛料によるもの。この香りがすると、少年はある特別な客が家に訪れていることを理解する。彼はこの香りが大好きだった。
「あら、ルーク、今日は早かったのね。」透き通るような声、栗色の眼と流れる髪、
パンの焼ける香りをまとった少女が、厨房から顔を出す。
「うん、ティア。来てくれてたんだね。」 ルークと呼ばれた少年の顔が明るく輝く。
両親も顔を見合わせて笑っていた。自分の幼なじみの少女が来ると、それと共に祝福された時間が訪れる。そう少年は信じている。ルーク達はテーブルにつき、朝食を皿に並べた。
ささやかではあるが、全ての人間にとって望まれるべき光景・・
ルークは濡れたような黒い髪の少年だった。端正だがまだ幼さが残る顔立ち。身体つきも成熟はしていないが、猫のようなしなやかな線で構成されている。彼はまだ16の歳を数えたばかりだった。着ている服は純白で、黒髪によく映えている。
(至高神ファリスよ、今日の糧と隣人の幸福を感謝します)大きな眼を閉じ祈りを捧げる。自分には神の声が聞こえる訳ではないけれど、幸せを享受できるのは、ぜんぶ神様のおかげだと感じているから・・・・
(・・・・・幸せ?)
少女は自分の作った朝食を持ってきて、ルークに勧めた。出来立てのかぐわしい香り。だが、それは除々に薄まって、奇妙に曖昧に空気に溶けていくように感じた。それは不思議な感覚だった。「どうかしたの?」
「なんでもないよ」ルークはぼんやりとしている頭を揺さぶった。昨日の疲れが残っているのか。・・・昨日。僕、何していたっけ? 記憶は霧がかかったように途切れていた。朝食に口をつけながら、。ちらりと少女を見ると、彼女は笑っている。、僕は微笑み返さなきゃ・・・でも、何故だろう。このパンにはなんの味もしないじゃないか。いや、思い出せないよ。
振り向くと両親の姿は消えていた。光が淡くなっていき、テーブルが、椅子が、五感の感触が、ゆっくりと、急速に空間の捻れ目に吸い込まれ、失われていく。少女はまだ笑っている。けれど、その澄んだ眼は哀しみが浮かんでいた。
「嘘だったんだ!!」ルークは叫んだ。
「父さんも母さんも死んでもういない。殺されたんだ、野党の男たちに!!そしてティア、君も、乱暴されて・・」
少女はうつむいて、顔を上げる。哀しげな目・・その後、少しだけ微笑み、口を開きかける。だが、一瞬後には暗黒が、ルークの視界を覆い隠した。
なぜ笑うの? なぜ笑うの? なぜ笑うの? ティア。
夜明けは近い。しかし少年は夢から目覚めても、暗黒の中で失われたものを探しつづけるのだ。
オランの二番街には大きな館がある。古代王国時代の様式を模倣して建てられたもので、外壁には、ドワーフたちの手によって数千の細やかな壁画が彫り込まれている。扉を開けると大広間。天井には数色のガラスが陽光に反射し、神秘的な雰囲気がたたえられていた。ここに住むのはオランでもいくらか名前の知られている資産家である。
「すごいものだな。」
螺旋状にせばまっていく天井を見上げながら青年が言った。彼は大広間の中央の椅子に腰掛けつつ、来客用に用意されたワインを飲む。
金色の、短く切りそろえられた髪、すらりとした目鼻だち。深い海の色の瞳は、陽光を吸い込んでいく。身体つきはやや長身である。一見してこの館に住んでいる資産家の子だと言われても、おかしくはなかった。だが、彼の着ている服装は、明らかにそれにふさわしくない。
金色に鈍く光りを放つ鎧。だが、それはあちこちが破け、黒ずんでしまっている。その材質は獣の皮に見える。腰に差しているのは片刃の剣だった。彼は冒険者なのだ。
「モヨ・アズバーンさんでいらっしゃるかね」
大階段の上から声がした。冒険者の青年は振り返る。モヨ・アズバーンというのが彼の名前だった。モヨは、ぼんやりと天井を眺めることに集中していたので突然の声にはあ、という気の抜けた返事を返してしまった。
それに構った様子もなく、声の主は階段を下りてきた。初老の男だった。
「私がこの館の主人、ローウェルだ。モヨ、君の父上とは、親違いの兄弟に当たる。
「綺麗な天井ですね。」
「天井?」
訊ねる初老の男にモヨは手を差し出し、握手を交わした後、言った。
「いえ、天井はもういい。なんと貴方が僕の叔父さんだとは・・!しかし確かに僕に似ている」
初めて会う叔父は、やせぎすな身体に瀟洒な衣服を身につけていた。黒髪には白髪が幾分混じり、頬は落ちくぼみ、何か疲労を感じさせた。一見したところ、顔自体にも、モヨとは似ている所は見受けられない。
でも手が似ている、とモヨは思った。ふしくれた指。しかし握手をした手に伝わる感触、体温、血のつながりというもの・・彼は自分の叔父に違いない。
給仕人に案内されたのは大食堂だった。豪華な料理の前に、二人は腰をおろす。
「オランはどうだね。最近では冒険者をやっているそうじゃないか。しかし、今は仕事に困っておるじゃろう。剣を下げてるが、家の家系でそれで飯を食えたやつはおらん」
叔父は冗談でいったのかもしれないが、モヨが自分の剣の腕が未熟なままなのはそういうことか、と納得した。
「実は今日来てもらったのは、おまえに頼みごとがあったからじゃ・・・他に雇い口はいくらでもあったのだが、冒険者の甥がこのオランに来ていると聞いてな」
「どんな仕事です?僕にできるものでなければ、お断りしますよ」とモヨは表情を変えずにいった。実際の心持ちは喜びと安堵感で一杯だった。手持ち金がなく、今朝からは何も食べていなかったのだ。目の前の料理が気になった。
叔父は周りに眼をやった。そして、深く息を吐き、眉間を指で触りつつ、黙り込んだ。 その表情の暗さに、モヨの昂揚した心は、すぐおさまっていった。叔父の落ちくぼんだ眼窩は、テーブルの前の空間に向けられている。
「お父さん!!」
テーブルの下から急に声がした。
突然のことにモヨは驚き、身体を反り返らせる。バランスを崩して後ろへ椅子ごと倒れてしまった。叔父も、眼を丸くして、声のした方を見る。
テーブルクロスの下から出てきたのは、一人の少女だった。まだ、年若い。プラチナブロンドの髪は、肩口まで複雑な形に結わえられている。この季節というのに丈の短いスカートを着けていた。少し垂れ気味の大きな金色の眼をしている。顔立ちもあどけなく、可愛らしい。
しかし彼女は倒れているモヨを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
「なーんだ。お父さんじゃないや。ただのよその人だわ。なぁに、きったないかっこして。ここがどこだかわかってるの」
「リィーゼ、やめんか!」
こちらへ来た叔父が、少女の腕を引っ張る。リィーゼと呼ばれた少女は、きゃあ、というと叔父の後ろへ回って、モヨの方をのぞき込む。そして舌を出す。
「叔父さんの子ですか?これはまた可愛らしいね。そうだな、僕にとっては義妹に当たるわけか。だが、もうちょっと大人しい方が男にもてる」と、モヨは立ち上がって言う。
「キザなこといってるけれどぜんぜんにあってないわ。あなたみたいな人達にもてたくないわよ。ばか、もうばか。」
モヨは少し頭痛を覚えた。少し会話を交わしただけで、この少女には永遠に自分がうち勝てなことがわかった。
そして叔父の方に目線を向ける。話しの続きをしてもらいたかった。
「またあとでなリィーゼ」
そういって娘の頭をなでる叔父の顔には先ほどまでの憂いのようなものは消えていた。
そして、微笑みをモヨに浮かべた。それは初めて叔父が見せた笑みで、人間、異種族、全ての生き物を心を和ませるほどのものに思えた。
食事を終え、一息のあと叔父が話しを切り出した。
「ある少年を探し出してほしいのだ。ファリス神官の息子で名前は、ルーク。黒髪で、16ぐらいの歳だ。このオランのどこかにいる」
そう言う叔父の顔には、笑みも憂いも浮かんでおらず、無表情なままだった。
「家出でもしたのですか。それは大変だ。早く探し出さないと、冒険者になってしまうかもしれない」
自分も家出して冒険者になったくちなのだ、と苦笑まじりにいったが、叔父はじっとこちらを見たままだった。
「その少年は、帰る家はない。家族が殺されてしまったのだ。暴漢らにな」
しばし沈黙が訪れる。
「そうとは知らず、つい冗談を」
「いや、いい。その少年は、おとなしいと言われていた子だが、家族への愛情が強かったのだろうな。剣をとって、仇を討つ旅に出た」
「仇討ち・・・」暴漢は一人でないらしい。16歳の子供が一人で? モヨにもそれは無謀に覚えた。
「哀れだとおもわんかな、その少年が。家族を殺されたことだけではない。このままでは憎しみに人生を飲み込まれてしまう。」
それはたしかにそうだ。万が一仇を討てたとしても、少年に残るのは人殺しの肩書きだけだろう。しかし、モヨにはなぜか少年の気持ちを否定する気になれなかった。モヨはいままで人生の目標というものを持たずに、生きてきた。冒険者になったのも、自分のするべきことを見つけたかったからだ。もし何も生き甲斐を見つけられずに死ぬなら、家族のために手を汚した方が良いのかとも思う。
しかし、それは間違いであることは明らかだった。仇を討ったところで、死んだものが喜ばないだろう。結局は自己満足なだけだ。
「少年を探すか・・・このオランにいるのなら、そんなにかからないで見つけてみせますよ。叔父さんとルークという少年はどういう関係です?」
叔父はうつむいていた。声をかけたのに気付いていないようだ。改めて見る叔父の頭は思ったより白髪多い。顔の眉間には皺がより、さっき50歳だ、と聞いたがそれより老いて見えた。
ややあって、ああ、と叔父は答えた。
「友人の子さ。幼い頃からルークを知っている。いい子だった。彼がいなくなってから、私も心労で身体を壊した。心配なんだ。」
ご心配なく、すぐ連れ戻してみせるとモヨはいったが、叔父はうつむいたまま、やはり聞こえていないようだった。
晩餐が終わると、モヨは二階の寝室へと案内されたが、部屋を出てバルコニーの辺りで星でも眺めることにした。満点の星々が、オランの街並みの夜空にまたたいている。美しいが、故郷のプロミジーの氷原で見た星たちのほうがもっと綺麗だったな、と思う。あのとき僕は一人、船で死にかけていたのだけれど。夜空を見上げていると、悲しさとか、寂しさというものが嘘のように消えていったのを覚えている。包み込まれる暖かさが、氷の原の中で確かに感じられた。
そんなことを考えていたので、少女−リィーゼが背後まで忍び寄ってきたことをモヨは全く気付かなかった。
どん!!
急に突き飛ばされ、モヨはバルコニーの手すりから身を乗り出す羽目になった。目の前のオランの町並みが反転した。
「う、うああああああ!!」悲鳴を上げているモヨを見ながらにこにこと笑っているリィーゼ。悪気は全くないらしい。子供というのは最悪の事態というのを考えないから怖い、とモヨは思う。ようやく体勢をたてなおす。
「ライオンというのはね、自分の子供を谷から突き落とすのよ。それではい上がってきた子供だけ育てるの」手を横に広げて得意そうにいう。
「僕はライオンじゃないしまして君の子でもない。ふざけるな!」
さすがにモヨも激高する。
「私は這い上がってきた男の人だけ、兄とみとめるわ」
モヨは唖然としていた。なんという傲慢なものいいだ。
「 よろしくね、お兄さん」
ため息をつくモヨ。しかし、彼女をもう怒る気がしないのが不思議だった。
「冒険者なのね、兄さんは。そこに兄さんの鎧と武器を見つけたわ。随分たくさんの怪物を倒したの?」リィーゼがそう聞いてきたので、モヨは返答に窮した。
僕は実際冒険らしい冒険をしていないんだ、ゴブリンぐらいなら戦ったことはある。その時は相手が逃走して、こちらも助かったぐらいだ、とか正直にいおうものならリィーゼのこと、何を言われるか分からない。一度だけ、あるハーフエルフの少女を救出に暗黒司祭と戦ったことがあるが、自分は役には立てていなかったろう。
「この鎧、ほら、怪物の皮でできてるんでしょ?大分汚いけど、キラキラ光ってるわ。こんな生き物私も知らないわ」
モヨが黙ってしまったのでリィーゼは彼の革鎧を持ってきて、ばんばんと拳で叩いた。
それを見たモヨの表情は少し険しくなる。
「止めるんだ、リィーゼ。その鎧は大事なものなんだ!」
急に大きな声を出されたので、リィーゼは身を竦めた。そして、頬を膨らませる。
「ごめん。でもそれはゴールデン・ワンダラーという氷原に住む動物の皮の鎧だ。めったにみかけない幻の生き物だよ。それで・・・」
「高価なものなのね?」
モヨはうなずく。リィーゼの顔に嫌悪の色が見えた。
「なによ!やっぱり貴方は身も心も貧しい男ね。見栄はってこんなものを着込んじゃって。
叩かれたぐらいで怒るなんて。そんなに大事なら、金庫にでもしまってりゃいいんだわ!!」
抱えた革鎧を地面に叩きつけようとする。モヨはリィーゼの手を掴んで制した。
「確かに高価なものだ。でもそれ以上に、僕にとって友人の形見のようなものだ。金庫にしまうこともできない。常に一緒にいなければいけないんだ。」
モヨにとっては忘れられない思いが込められた鎧だった。
この革の持ち主の、ゴールデンワンダラーの子。その身体の暖かさがなければ、自分は氷原で死んでいただろう。氷血病に侵され、一人船を流離うあの時に。
死んで、革鎧になってからも、自分の命を護ってくれている。戦いで、傷つくことは沢山ある。けれど、家の倉庫にしまっておいては、意味がないように思えた。
「一人で生きるのは辛すぎる」モヨは言った。
リィーゼは困ったような、ばつの悪い顔をしている。何を言ってるのか分かってない様子だ。当然だ、と思う。モヨは空の星を指さした。
「沢山の星が集まって、星座って出来ているだろう」
「それが?」
「でもたまにひとりぼっちの星というものが夜空に浮かぶ。それはとても良くない。 連れ戻してやりたいと思うのさ」
リィーゼも空を見上げた。静寂が辺りに満ちて、夜の風の音さえも今は止んでいた。長い沈黙の後、そっぽを向きつつ、リィーゼは口を開いた。
「あなたは一人ぼっちなの、兄さん?」
「以前はね。でも今は違う。鎧と、オランに来てからは友人もできた。それに君のお父さんや、君も居る。なにも寂しくはない。」
ふうん、良かったね兄さん。そういってリィーゼは振り返り、微笑んでくれた。
長いあいだ、 星の光が、モヨ達の姿をほのかに照らし出していた。
薄闇の中、一人の少年が入り組んだ路地に座り込んでいた。
彼は物陰からオランの家々のほうに眼をやる。そこでは、いくつもの家庭が、団欒の一時を送っているはずだ。しかし、自分にはもう帰ってこない時間である。
「ティア・・・」
ふいに瞼が重くなる。今夜もあの夢をみるのだろうか。
頭上の夜空には、大きな星座が浮かんでいた。たが、少年は眼を閉じていたので、ついにそれを眼にすることはなかった。
(続く)
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