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No. 00091
DATE: 1999/02/08 19:47:36
NAME: セシーリカ
SUBJECT: 道化師
精神施療院への出向も期限の日が訪れ、わたしはヒム先生にお礼の言葉を述べてマーファ神殿へと戻った。
久しぶりに訪れたマーファ神殿。何だか懐かしい気がする。
と、神官の一人が出迎えてくれた。何事だろうと思って首を傾げていると、司祭長が呼んでいる、との伝言を告げて奥へ去っていった。
再び首を傾げ、司祭長の執務室へと向かう。
ノックをして入り、報告書を出すと、司祭長は苦笑とも取れる笑みを浮かべてそれを受け取った。
何かが起こったのだろうか。
しばらく無言の状態が続いたが、司祭長はわたしに型通りの労いを言うと、自室に下がって休むように、とだけ告げた。
・・・神殿内でのわたしを見る視線が普通の司祭を見る視線と異なっていることには気が付いていた。半妖精だからだということもあろうし、他の、司祭候補者を差し置いての司祭昇格、神殿勤めだったからというのもあろう。およそ、好ましい視線で迎えられたことはない。
だが、今日は。
ときおり、出向中も、折を見て町中での布教活動や神殿内での奉仕などで神殿に戻ってはいたが、そのたびにわたしへの対応が微妙に異なっていたような気がする。
ふと、気になって、ショウ・・・わたしの使い魔の猫だ・・・を、神殿内に放って、様子を探らせることにした。
実際に聞いた方が心情的には好ましいのだが、そんなことで口を割ってくれるとは思えない。
・・・人間不信に陥ってるな。
自嘲の笑みが禁じ得なかった。
数十分後。
わたしは、ショウを抱いたまま、動くことができなかった。
破戒僧。
わたしが街で時折呼ばれる言葉だ。
そう呼ばれていることが、神殿の耳に届いたらしい。
「一般市民に与えている影響が心配だ」
「だから私は、あの子を神殿の司祭として招くのは反対だったんだ」
「考えていることが分からない」
「普段から乱暴な行為が多すぎる」
・・・・・・・・。
そのことだったのか。
・・・首に手を当てると、治りかけている切り傷がちくり、と痛んだ。
目を閉じて、自分の行動を、振り返る。
確かに、わたしはマーファの司祭としては乱暴なのだろう。
カールさんに蹴りを入れたことは数えられないし、脅し文句も達者。盗賊ギルドにも出入りしている。
端から見たら、確かに、マーファに使えるのとしてはあるまじきものなのだろう。
だが。
わたしが自分で、戒律を破ったと痛感しているのは、この傷だけだ。
あのとき、自分を殺めようとした。
自殺はマーファが最も禁じるところなのに。
わたしは確かに、粗忽で、乱暴だ。
神殿内の器物を、うっかり何度壊したか分からない。
だけど、わたしは、自衛のためではなく、私利私欲のためにひとを殺めたか?
自然ならざる行為をしたか?
盗賊ギルドに所属はしているが、盗みを働いたか?
・・・すべての答えに「否」が出てくる。
わたしは自分で、自分に枷をはめて行動してきた。マーファの望まぬことはせぬように、自分自身を律してきた。
その通りに生きてきたつもりだった。
だが、神殿がわたしに望むものは違ったのだろう。
「マーファの司祭として“一般的な”姿」を求めたにすぎないのだろう。
神は偉大で、同時に巨大な視野からすべてを見ている。教義を杓子定規に解釈するものではない。
・・・何度も言われ、何度も頷いた。
それなのに、わたしは「破戒僧」でいることを望んだ。
まるで舞台に上がる道化師のように、仮面をつけて演じてきた。
破戒僧と呼ばれることをためらわなかった。
ナニモ カイリツヲ ヤブッテハ イナイノニ。
・・・本当か? 何て、傲慢な奴。
自嘲の笑みが浮かんだ。
涙がこぼれた。
戒律を破っていないのに、といいきれる自分が、たまらなく傲慢で、いやだ。
きっとこの傲慢さを、「闇」も、「みんな」も、嫌ったのだ。
ヒム先生の所で、本を、たくさん読んだ。
その一説にある。
個人個人によって価値観は異なるのだと。
だが、傾向は、似ている場合が多い。
そして、似た傾向のものが多いと、数が多い側の、力が強い側の傾向が「正しい」ことになり、その枠から外れた、力の弱い少数のモノは「異端」として排斥される。
また、人間は・・・人間に限った話ではないが・・・集団に属している意見を「正論」として尊ぶ。
ある組織の中で外れた人間を見ると、その人間を見ただけで、その組織を知ったような気になる。
その「外れた」人間の行為が、一般市民にの意識に「好ましくない」場合はなおさらだ。
それがいけないことだとは思うが非難する気は毛頭ない。人がヒトとして生きていくために身につけた本能的な考えなのだろう。
そして、わたしは自分の「正論」を通すために、「世間」をかき乱したくはなかった。
・・・だったら最初から「破戒僧」など演じなければ良かったのに。
声を大にして「わたしは戒律を破ってない」と叫べたら良かったのに。
自分の「正論」を捨てきれず道化を演じ、他人に良く思われたいがために「世間」の言われるがままになった。
・・・結果として、どちらも手にすることはできなかった。
「・・・・・・・・・・・・馬鹿野郎っ!」
突然、訳の分からない怒りがこみ上げてきた。枕を壁に投げつけ、寝台に倒れ込むと毛布に顔を埋めた。
結局、誰にも、分かってもらえなかった。
分かってもらえなかった。
分かってもらえなかった。
・・・分かって欲しかったのに。
・・・分かってもらう努力をしなかったから。
「・・・」
赤ん坊の泣き声に、我に返る。
わたしが拾って、育てている赤ん坊だ。
彼女を産んだ母親を捜していたが、手がかりすらない。
結局、自分で「ラミーナ」という名前を付けて、かわいがっている。
・・・つもりだった。
泣いているラミーナをあやす。すると、ラミーナは安心したのか、すぐにうとうとし始めた。
「・・・ねえ、こんなお母さん、いや?」
子供は親を選べない。
そんな言葉が胸をえぐる。
「ごめんね、こんなお母さんで」
神殿内で、悪く言われてばかりのお母さんで。
他人の顔色をうかがって、そのくせ枠に入れなかったお母さんで。
涙が止まらなかった。
次の日。
まだ、朝日が昇らない頃。
まだ、空に星が綺麗に瞬いている頃。
やっと、わたしは、泣くのをやめた。
頭の中が麻痺していて、砂が入っているような重みがあって、じんじんするような悲しさがあった。
何が悲しいのだろう。
ぼんやりと首を巡らせると、机の上に無造作に放られた短剣が目に留まった。
ルルゥのものだ。
わたしの・・・・いや、ラクレインのダガーを、彼に渡して、自分は、これを持っている。
大切にしてくれているのだろうか。
思うと同時に、自嘲の笑みがこぼれる。
・・・勝手に押しつけたくせに、大切にしてほしいだと?
でも、と思う。銀色の刃をじっと見つめながら。
あの、紺青の刃は、もう、辛くて見られない。
目を思い出すもの。
わたしを殺す、といったあの目を。
心配そうに誰かを見つめているあの目を。
無邪気な残酷さに光る、あの目を。
その中でひときわ強烈な印象を放った人物の顔を、じっくりと脳裏に焼き付ける。
忘れないように。
もう数時間もすれば、早朝ミサが始まるだろう。出向中でない限りは欠かしたことがなかったが、もう、出たくない。
体裁を重んじる傾向にある神殿が嫌いだから、ではない。もちろん好きではないけれど、わたしは司祭達が、神官のみんなが嫌いじゃない。
嫌いじゃない人がわたしのせいで・・・否。わたしの行動によって非難を受けるのが嫌なだけだ。
それも、否。
ではどうすればいい?
すぐに出る答えではないだろう?
・・・わたしは立ち上がると、最高司祭の私室へと向かった。
数時間後、新王国歴511年2の月7の日、早朝。
セシーリカは、その娘ラミーナと共に、神殿から姿を消した。
神殿内で貸与されていた物品、及び司祭服は、きちんと整頓されて並べられ、わずかな「私物」はすべて綺麗になくなっていた。
突然の行為に、高司祭は彼女の自宅に連絡を入れたが、既に蛻の殻であり、やはり彼女の私物はすべてなくなっていた。
神殿外の、数人の友人に尋ねてみても、全く心当たりがないという。
この件に関しては最高司祭は固く沈黙を守った。
彼女が在籍していた学院には退学届が出されていた。
ただの一人も、彼女の行方を知ることはなかった。
・・・翌日、一通の手紙が届くまでは。
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