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No. 00134
DATE: 1999/03/15 11:48:14
NAME: セリス&グレース
SUBJECT: 仮面と自分
赤い血。茶とも黒とも言える、血痕。
無言でエティがあたしの視線を遮る。でも、もう遅い。
見てしまった。赤い、赤い血を。少しだけ黒ずんだ血痕を。苦しげな表情を。
あたしを庇うフォルテの姿。クリス救出の際、彼は足がすくんでしまったあたしを庇っていた。
血の匂いが充満したあたしの部屋。ルゥウォンの悲しそうな、苦しそうな表情。
・・・父さまが最期に言った、「許してくれ」
「幸せに」そう、クリスは言い残した。心でルルゥを心配しながら。
いつのまにか死んでしまったルフィス。生きている時はいつも無表情だった。それが痛々しくて、なんとか笑わせようとしたけど、彼は最期まであたしに笑顔を見せる事はなかった。・・・死んでから、やっと思い出にした時に最高の笑顔を見せた。兄ファズの力を借りて。
「殺されたのがあなたでなくて良かった」を笑むマリエーン。母さまに殺されたミレーヌの姿が、だぶる。
短期間の間に、これほどまでに強い哀しみを知りすぎた。
哀しみは哀しみを呼び、痛みを知る。
外の世界なぞ、知らない方が良かった。
そう、あたしはクリスの墓を殴りながら思っていた。
知らなければ、こんなに苦しむ事はなかった。痛む事もなかった。泣く事も、きっとなかった。
泣き叫ぶあたしを、フォルテが抱きしめる。「私がそばに居ますから・・・」
涙が、止まらなかった。彼にすがる。
この人だけでも、側に居たら。
唯一触れても平気な人。触れて、安心する人。
この人だけいたら・・・
でも、血痕を見て思い出した。
フォルテも、あたしを置いて逝ってしまうことを。
・・・あたしを庇ってかどうかは、判らない。でも、きっとあたしの所為で彼も命を落とす。
「忘れてしまえ。関わった全ての者を。まだ傷が浅い今のうちに、全てを忘れるんだ」
あたしの頭に、聞き覚えのない男の声が響く。
あなたは・・・誰?
「俺は、お前がかつてかぶっていた『仮面』」
仮面・・・・? そんなもの、あたしかぶった覚えなんて・・・
「お前は一度、見たはずだ。幸せそうに、楽しそうに笑むクリスを。一人の寂しさを、その時知ったはずだ。それを封印する為に俺をかぶっていた」
・・・覚えてる。光の中に居るクリス。同じ時に、同じ腹から生まれた片割れのあたしは闇の中に居る。どうしてこうも違うのだろうと、泣いた事がある。メイド達を部屋から追い出して、一人で。
哀しみを、知った日だった。切ない思いがある事をはじめて知った日だ。
でも、あたしはそれを誰にも言う事はなかった。知られてはいけないと、何故か思ってしまったのだ。心を閉ざした。
「俺はずっとお前の中にあった。お前の心を、一番判っている。
哀しいんだろう? 胸が痛むのだろう? そんな思い、捨ててしまえ。また心を閉ざしてしまえ。哀しむ事も、痛むこともない世界に俺が導いてやる」
あたしは、頷く。
・・・もう、フォルテの側には居られない。あたしの所為で死ぬなんて、耐えられない。
涙が零れる。
逝ってしまうそのときを、離れてしまうその時がくるのが怖い。
あたしにはもう、彼しか居ない。彼しか安心できない。彼しか要らなかった。
あまりに好きで好きで、止められなかった。彼はそんなあたしの思いを優しく抱きしめてくれた。それだけで十分だった。そのはずだった。だから、あんな事が言えたのだ。
「もし、離れる事があっても、あたしはあなたを探し出す。そして帰ってくる」
離れるのは、嫌だ。一人は嫌だ。
フォルテと居て幸せだった。抱きしめられて安心した。キスされて嬉しかった。
・・・でも・・・
そんな彼も、あたしを置いて逝ってしまう。
クリスを助け出した時のように、あたしを庇って。あたしの所為で。
鮮血。
呆然とするしか出来なかった自分。
嫌だ。あんな思いをまた味わうのは。
フォルテに会えなくて、胸がとても痛んだ。
フォルテが深手の傷を負ったのはあたしの所為。あたしが巻き込んだ。そのあたしが、足手まといになった。
痛みに押しつぶされそうだった。苦しかった。
もう、あんな思いはしたくない。
・・・・だから、あなたから離れよう。
一人になれば、眠ってしまえば忘れられるから。幸せな夢だけ、見られるから。
心を、少しずつ閉ざす。以前やったように。
「いい子だ。全てを忘れるんだ、セリス」
頭の中に男の声が響く。
そういえば、前に一度心を閉ざした時、この声を聞いた気がする。
・・・・・・忘れよう。何もかも。暖かな春の感覚も、フォルテの優しい笑みも、全てを。
あたしがいなくなっても、誰も哀しまない。
ちりり、とフォルテに貰った髪飾りがなる。
あたしはそれをポケットから取り出し、見つめる。
あたしはとうとう、人を信じる事が出来なかった。フォルテさえ。
また、ちりり、と髪飾りが鳴く。
その音に導かれ、目を閉じる。
暗闇に落ちていく感覚を、どう表現すればいいのだろうか。
底にたどり着き、少しずつ記憶を開放する。
自分の、哀しい過去。クリスに対する羨望。嫉妬。クリスに関する事全て。父さまの事。母さまが起こした、惨状。ミレーヌ。
涙を流して哀しむフォルテの顔が鮮明に思い出されて、記憶を開放するのを止める。
「忘れるんだ」
仮面はあたしの動揺を知ったか、あたしに命令する。
フォルテ。
あたしの思いに答えるように、髪飾りがなる。
フォルテ。・・・あたしがいなくなったら、哀しむ?
「忘れるんだ。一人になるために」
あたしは思わず、仮面を睨みつける。
自分と変わらぬその姿。声だけが全く違う。
「忘れられない!」
あたしの言葉を聞き、仮面は目を見開く。
フォルテを哀しませたくない。彼の胸を、あたしの所為で痛めさせたくはない。
全ての記憶が失われても、フォルテの事だけは忘れない。彼を探しに行く。
「そいつのお前を置いて逝ってしまうんだぞ」
「それでもいい」
言ってしまってから我に返る。
フォルテがあたしを置いて逝ってもいいの?
頭を振る。
「・・・それでも、いい」
確認の為に、呟く。
それでもいい。そう思えた。
そして再び仮面を睨む。
「逝ってしまうまでの間、あたしのことで彼を哀しませたくない」
「裏切られてもいいのか!?」
「・・・あの人はあたしを裏切らない」
確信がある。彼の言葉はあたしの中ではどれも真実だと信じている。
「自信たっぷりだな。その自信が崩れたら傷付くのはお前だぞ」
「・・・あたしは彼を信じている」
揺るぎ無いこの気持ち。これが信じると言う事。
「信じてる、だと!? 信じる事を知らなかったお前がなぁ!」
「なんとでも言えばいい。きっと、あなたにはあたしの気持ち判らないから」
帰りたい。フォルテのところに。あたしが今帰るべき場所は孤独ではないはずだ。
「・・・あたしをフォルテのところに返して」
「・・・・・・嫌だといったら!?」
「その時はあなたを消してでも、フォルテのところに行く」
フォルテが待っている。未だ帰らないあたしを。
きっと、心配している。彼に貰った髪飾りがそう言ってる。
・・・お前、あたしを止めようとしてたのね。髪飾りを見て、笑む。
その途端。
あたしの身体から光りが迸る!
「! やめろ・・・!」
仮面は光を受けて苦しそうにもがく。
光りに溶けるかの如く、その姿が見えなくなっていくのが判る。
「やめろ!」
仮面は叫ぶ。苦しみが混じった声で。
あたしは目を閉じ、強く願う。
フォルテ。あたしに、力を頂戴。
もう二度とこんな事を起こさせない為に。あたしを、強くさせる為に。
ちりり、とあたしの願いを聞き入れたかのように髪飾りがなる。力が沸いてくるのが判る。
フォルテにするつもりで、髪飾りに口付けする。
・・・フォルテ。
あたしは目を開ける。
その刹那。それまでにない勢いであたしの身体から光が流れる!
「うわぁあああ!!」
仮面が苦しさに耐えられず、絶叫する。
「セリス・・・!」
そう言い残して、仮面が消える。跡形もない。
仮面がさっきまで居たところを見つめ、あたしは呟く。
「あたしの名はセリスじゃない。・・・グレースだ」
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「セリス・・・!」
遠くから、フォルテの声が聞こえる。その声から、あたしを心配しているのが良く判る。
あたしはゆっくりと目を開ける。
「セリス!」
目の前に心配そうなフォルテの顔が飛びこむ。
身体がとても重く感じる。家とは違うとは思いつつも、それを確かめる事さえ出来ないほどだるかった。その手で、震えているのを知りながらフォルテに触れる。
「・・・・・・セリスって、誰?」
擦れた声で、あたしは問う。
フォルテはあたしの言葉を聞きつけ、驚きを顕にする。
「あなたの名ではありませんか」
「・・・あたし・・・? あたしの名は、グレースよ?」
重さに耐えきれず、腕を落とす。
フォルテはあたしをじっと見る。
「あなたの名は・・・?」
「グレース・キャリオン」
「・・・私の名を、覚えていますか?」
「フォルテ・ヴァルトミュラー」
フォルテは、なにか考え込んだ。
あたしは口をきくだけで疲れて、息を荒げていた。
あたしの状態に気が付いたフォルテは、あたしの手を握る。
「・・・今はゆっくりおやすみなさい。まだ完全な状態ではありませんから」
あたしを心配させじと、微笑む。
微笑みを見た事で安心し、あたしはゆっくり目を閉じる。
遠くで、フォルテと誰かが話しているのが聞こえるけど、だんだんその声は薄れていった。
それからしばらく、あたしはずっとベッドにいなくてはいけなかった。
でも寂しくなかった。ずっとフォルテが居てくれたから。
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