No. 00135
DATE: 1999/03/16 00:53:34
NAME: 吟遊詩人
SUBJECT: 命の尊さは…
どことも知れぬ、名も無き街の片隅にて…。
そこには一人の吟遊詩人がたたずんでいた。
近くの建物に寄りかかり、気怠そうに息をつく。
フードにて顔を隠し、目を軽く閉じ瞑想しているのかとも思えるような雰囲気を発していた。
時間は真昼より少々。 普通の人々ならば昼の休みを終え、仕事に戻る頃合いである。
だが、彼は動かない。
そうしていると、年端もいかぬ少女が彼に近付いていった。
「おじちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」
声をかけられて…少々戸惑った様子で、ふと顔を上げる。
少女はこちらを覗き込んでいた。 心配そうな視線が彼の目と合う。
そんなに大きくない声で大丈夫だよ、と軽く返事を返す。
「ねぇねぇ…おじちゃん、一緒に遊んでよ!」
元気な声と笑顔で少女が遊ぼう、遊ぼうと騒ぎ出す。
ちょっと遊んであげるわけにもいかないんだ…とは思ったものの、このまま無碍に断って泣かれでもしたら厄介だ。
じゃあおじちゃんがお歌を歌ってあげよう、と彼は少女に持ちかけた。
− § −
この昼下がりの少し前。
彼は薄暗き闇の中にいた。
『ある魔術師を殺してやってほしい』
そういった依頼で、彼は仕事を受けたのだ。
そのものは使うことを禁じられた術…すなわち禁呪を密かに使っているという。
魔術師ギルドからすれば、ただでさえ怪しげなイメージを持っているのにこれ以上の失態は避けたい…ということなのだろう。
薄っぺらいプライドだ、などと思いながらその依頼を受けたのは知己の顔を立ててやったに過ぎない。
さっさと終わらせてやろうか…などとも思っていた彼には油断があった。
数々の罠、魔法の疑似生命体、難解なる謎かけ…。
魔術師のイメージが悪くなるのもなんとなく納得してしまうな、と心の中でつぶやく。
そして、最後の部屋を開けたとき…その光景はあまりにも衝撃的であった。
無数に並ぶガラスの長い筒…その中にいるのは人。 美しい娘が一糸まとわぬ姿で浮かんでいた。
全ての筒の中に同じ顔をした娘がいる。 そしてその奥には…魔術師の姿を見ることができた。
「ふん…来おったか、ギルドの手の回し者が…!」
憎々しげにこちらを見回す…まさに魔術師の悪いイメージを凝り固めたような、そんな男だった。
その顔には憎しみと怒り、そして蔑みしかうかんでいなかった。
彼は魔術師に禁為の魔術をなぜに使う、と問う。
「貴様なぞに答える義理などない…この部屋を見たお前には死んでもらうぞ」
言うが早いか、魔術師の杖から光があふれ出す…!
そうして戦いが始まった。
魔術師の放つ魔法は、彼の身体を的確に狙っていった。
攻撃魔法の雨あられは確実に彼の体力を削り取っていく…。
しかし、その魔法を耐え凌ぎながら…彼は一瞬の隙を狙っていた。
なかなか死なない冒険者に痺れをきらせたか、魔術師はとどめとばかりに杖にマナを集め始めた…。
「万能なるマナよ、力よ…炎となりて我が敵を焼き滅ぼさん…っ!!」
杖の前にふわりと火球が現れる…それも無数に。
この一撃で決着をつける気だ。
「死ぬがいい…己の未熟さを呪いながらな…!」
そうして炎の玉は撃ち放たれた。
部屋の中に爆音が響きわたる…!
ガラスの筒にヒビが入り、中には割れてしまうものもあった。
娘の形をした物は、ずるりと半身を覗かせたり、ごろんと地べたに落ちた…。
激しい爆発のために部屋の中は焦げ臭い匂いと、視界を遮る煙で充満していた。
魔術師は苦々しく笑い、杖をついてその部屋から立ち去ろうとした…その時である。
煙の中から彼が飛び出してきた。 その手に握られた長剣は魔術師の目に飛び込んでくる。
慌てて魔術の詠唱を始めるが、間に合うわけもなかった…。
「ぐっ…!!」
ごろん…。
杖を持ったままの右手が地面に転がる。 これではもう魔法が使えない。
激しい出血もそうだが、魔術師の顔からは血の気が引いていた。
年老いた魔術師と若き冒険者…接近戦では勝ち目なぞあろうはずもない。
彼はゆっくりを間を詰める。 魔術師は腕をかばいながら、後ずさる…。
それも後ろの壁に追い詰められる間での話であった。
「お…おのれぇっ! こうなれば貴様を…っ!!」
慣れない手つきで腰の短剣を抜き、冒険者に襲いかかる…。
それももはや意味を持つ行動ではなかった。
だが、油断が生じていた冒険者はとっさの行動に出るしかなかったのだ。
鈍い液体音。
次の瞬間に魔術師の身体は上下に分かれていた。
忌わの際に、魔術師の口から漏れた一言…。
「…フェリア…」
こうするしかなかった…。
その思いが彼の頭の中を埋め尽くしていた。
確かにあの一撃を受けながらでも、彼の腕であれば殺さずに済ませることもできただろう。
しかし、とっさの判断は…魔術師の命を軽々しく奪い取ってしまったのだ。
自責の念が心を痛めつける。
そして…その煙の中に、誰かがやってくる。
「…爺さま…お爺さま…?」
娘であった…そう、さきほどガラスの中に無数にいた…あの娘であった。
違うのは目に光を宿し、きれいな服を身にまとい…そしてなにより生きていた。
運が悪いと言うべきか…彼女は彼と魔術師の亡骸を見つけてしまった。
「…っ! お爺さま…!?」
口を押さえ、悲鳴を押さえる。
彼には何も言えることはなかった。 殺してしまったのは事実だから。
娘は彼に落ちている短剣を突きつけ、彼に問いただす。
「お爺さまを…何で殺したの! 私の…たった一人のお爺さまを…!!」
答えられなかった。
言うのは簡単だ。 だがその心に大きな傷をつけることができなかった。
しばらく、二人は動かなかった。
彼女の冷や汗があごを伝って、地面に落ちた。
そして…もうもうと上がっていた煙も、次第に晴れてくる…。
「………っ!!」
彼女の目に飛び込んできたのは、その残骸の中に横たわる無数の自分…。
計り知れない衝撃が、彼女を貫いた…。
しまった…彼は唇を噛んで、自分の浅はかさを呪う。
よりにもよって、語るよりも残酷な結果を見せてしまった…。
ぺたん…。
娘は膝から崩れ落ち、その双眸からは涙があふれ出していた。
「私は…お爺さまの孫じゃないの…? こんな…こんな事って…!?」
彼女は魔法で産み出された命…ホムンクルスだった。
魔術師が禁断の魔術に手を染めたのは、彼女を作り出すこと…それだけが望みだったのだろう。
しかし、彼女に伝えるには…彼はその言葉を持っていなかった。
何を言っても、それは慰めにはならない。 彼女をさらなる哀しみに包むだけだ。
「私は…本当の私じゃないのね」
苦しみ。哀しみ。 そして…その結末はあまりにも悲しみに満ちていた…。
彼女の胸にその白い刃が当てられる。
天を仰ぐようにひざまずき…祈るように目を閉じる。
彼も止めるために走った…しかし。
「………っ!!!」
刃が胸に深々と突き刺さる…鮮血が飛び散り、衣服を赤く染めていく。
駆け寄った冒険者はその崩れて落ちていく身体を支え、短剣を胸から引き抜いた。
失せていく血の気に凍え、その命が消えゆく瞬間…。
彼は幾度もこの場面を見ていたが、そのたびに思う。
やはり…俺は間違っているのかもしれない、と…。
本来、どんなことがあっても命を奪う行為は重罪だ。
戦争だって正義の名の下に行われているが、所詮は人殺しだ。
…だが、彼にはそれを止めれるだけの力がない…そう思うたび悔しくて涙が出た。 止めようとしても、後からあふれ出す涙は止め
ることができなかった。
「…泣かないで…私は…死んでいた人間なんだから」
死ぬことを拒絶しない人間がこの世にいるわけもない。
生き返った者の悲しい思いである。
彼が罪の意識に駆られたり、涙することはない…彼女の心が痛かった。
「あたたかい…」
薄く微笑む。
背中に添えられた手のなんと温かいことか…自分には通わない本当の命…。
苦しそうに声を、言葉を絞り出す。
「あのね…私、天国に行けるのかな?」
涙に濡れたその顔もそのままに、彼は…大きく頷いた。
お爺さんも一緒に楽しく暮らせるよ、と彼女に答える…それしか答えられなかった。
にこり…とその顔に無邪気な笑みを残して…。
彼女の手から力が抜けていった。 その胸は二度と鼓動することはなかった…。
彼女の亡骸を抱えて…彼はその薄闇の中、暗き洞窟の中を後にした。
− § −
そして、時は戻り…明るき太陽の下、昼過ぎのこと。
「ねぇねぇ…どんなお歌を歌ってくれるの?」
その眼差しには多分に期待と羨望が見受けられる。
俺も…まだまだ死ねないかもしれないな、などとふと思う。
ゆっくりとそのリュートを小脇に抱え…ゆるやかな旋律を産み出していく。
今は昔、大いなる王国ありき…。
そは魔力を礎に栄え、大陸の中全てを統べる大いなる王国なり。
彼らの知識計り知れず、また彼らの欲も計り知れず…。
『魔力こそが万能』…そう信じる彼らに恐れるものなぞありはしなかった…。
彼らは神を目指さんとしたのだ。
命を産み出し、進化させ、そして思いのままに滅ぼす術…。
天候を操り、稲妻や大風…洪水や日照りを自在にする術…。
それでも彼らの欲は満ちることはなし…。
神を目指す彼らは一つの案を考えついた。
『神の元に辿り着く、大いなる塔を建てようぞ』
その計画は一も二もなく決められ、そして準備が始まった…。
人は呼ぶ、神への道…バヴェルは永遠の栄光を我らに与えんと…。
しかし驕り高ぶった彼らに運命は鉄槌を下したのだ…。
魔力の暴走…。
古代王国の滅亡の時が訪れん…。
彼らはその裁きを受ける…。
神への道は稲光と共に砕け散り、多くの命を奪っていく…。
無数の塔が破壊され、人々は次々に滅びを歩まん…。
全ては終わった…一夜にして全ての災厄は降りかかったのだ。
人は神になどなれない…大いなる天の裁きがそれを告げるのみ…。
今ここに謳おう。
人として、心を忘れることなかれ…。
知識に走りて、愛を忘れることなかれ…。
我は滅びの未来を望まず…光の中に輝く希望のみを信じることを…!
…音が消えていく。
風に乗って、どれだけの人の耳に届いたのだろうか?
少しでも多くの人に伝えねばならない…また魔力に溺れることのないように。
魔力に魅せられた人々の末路を…作られた命のその儚さを。
「…なんかよくわからないや」
退屈そうにふくれっ面を見せる。
…子供に歌ってあげる歌ではなかったな。 ちょっと毒づいて苦笑を漏らす。
じゃあ今度はちゃんと楽しい話を歌ってあげような…と軽く約束を交わす。
「うん…じゃあ約束だよ!」
向こうから娘を呼ぶ母親の声が聞こえてきた。
その声に呼ばれて女の子は彼の前から走っていった。
かわいらしい笑顔で彼に大きく手を振る。
「またお話ししてね、おじちゃん!」
彼は見えなくなるまで女の子を見送り、そして…彼もまた旅立っていった。
…いまだ世界に混迷は溢れかえっていた時代の話である…。
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