No. 00187
DATE: 1999/05/27 20:01:32
NAME: リヴァース
SUBJECT: ◆◆行往の閑人たち◆◆
朝。窓から差し込む陽を頬に感じて、目が覚めた。
リヴァースは、ともすれば見過ごしてしまう程度の、自室に漂うかすかな異臭に気がついた。
よく見ると、ベッドの上掛けのシーツや、床に、豆粒ほどの黒い小さな塊が、こべっていた。
そして、彼は、天井に眠たげにぶらさがる、黒灰色の物体に目をやった。
「――キース。」
それは、一匹のコウモリだった。
オランに出没する化け物に、まみえたい、そのときの、いわば保険材料として、レドから借りている彼の使い魔だ。
呼び掛けにこたえて、キースはおっくうに、つぶらな小さい目をしばたかせた。
ころり、と、黒い塊が、また一つ振ってきた。
「おまえか。」
リヴァースは頭を抱えた。
彼のその一日は、部屋の糞掃除に始まったのだった。
●●●
雨の季節を直前に、初夏を思わせる陽射しが、精一杯姿を見せてつけておこうというように、降り注いでいた。
掃除道具を宿の主人に返して、リヴァースは町医者、クスコの元に向かった。彼が麻薬に冒されたとき、その中毒症状を克服するのに、世話になった、下町の医者だった。その後の体調の経過報告と、最近また、きな臭くなりはじめた裏道についての、話をするためだった。
妹のマリナの姿はなかった。回診に出かけているらしい。かかりつけの鍛冶屋のおかみが、もうすぐ出産とかで、毎日様子を見にいったという。そういえば、学院の近くに位置する工房の鍛治師のノカルディアの腹も大きかった。ノカルディアは、妊娠のせいで思う存分鎚を振えない分、金属製の楽器を持つアトゥムの要望を聞いて、金属の配合をいろいろ試し、試行錯誤で楽器の弦を作ってるという。彼女が5人目の赤ん坊を手にする日は近いということだ。
マリナは常に数人の患者を抱えている。肺の患いから回復して間もない兄が診療所に待機し、彼女が外回りを引き受けているのである。男勝りで快活な少女は、現在は、兄に知識も経験も及ばなくても、少しでも早く追いつこうと張りきっていて、付近の住民の人望も厚い。
クスコは、一通り、リヴァースに問診した。禁断症状については、ただ耐えるしかない、刺激を避け、人と話をし、気を紛らわすぐらいだろうといった。リヴァースは、彼にまた新しい、幻覚系の麻薬が出回りはじめていると伝えた。彼は数人の患者に、それについての心当たりがあった。さらに問い掛けようとしたとき。
「クスコさん、怪我人です!」
入り口の扉が開いて、けたたましい声が飛び込んできた。
「おっと、急患らしい。」
彼は灰色のマントを翻した。
「ケンカなんですけど、急に暴れ出して・・・」
クスコは呼びに来た者と共に、出ていった。
●●●
その後、リヴァースは、さらに下町のほうに向かった。
いかに区画の整えられた瀟洒な都市でも、人が集う限り、どこかにうらぶれた饐えた個所が存在する。
『豚街』。オラン26番街近辺の大通りから外れた裏道は、浮浪者や乞食たむろする、薄暗い一画となっていた。
「...犬頭巾。」
路地裏に、数人が座り込んでいた。そのうちの、犬の頭の毛皮を被った、痩せた老人が、頭を上げた。
「これは、わざわざお越しとは。」
ひひ、犬頭巾は、卑下た笑いを浮かべた。
リヴァースは、不快そうに眉を顰めた。
「ケルツというものを見かけたら、注意していてくれ。」
そういって、リヴァースは、彼の容姿を説明した。
ケルツは、草原の部族の楽器であるサズを手にする、目と耳が悪い男だった。サズへの想いと、彼のうらぶれた動向があいまって、ケルツはやけに、リヴァースの気を引いていた。
先日、ケルツは、麻薬を塗り込んだ剣により、手傷を負っていた。彼が事件に関して、何らかの関係がある事は明白だった。リヴァースは、その彼の傷口に残る麻薬を、無意識に求めた。その忌まわしい思いを振り払うかのように、リヴァースは首を振った。
すでに犬頭巾は、売春窟に出入りしていた彼を見かけた事があるといった。
「もう一つ、アシュアという名前の者を調べてもらいたい。...そのケルツの父で、幻覚系の麻薬の製造、あるいは取引にかかわっている。」
犬頭巾は、彼が1ヶ月ほど生活できるであろう前金を手にして、了承した、と手揉みした。
彼の仲間が、食事の鍋ができた、と呼びに来た。
「一緒にどうです?」
犬頭巾は揶揄するようにいった。
「...食う。」
その返答は、意外だった。
その後ハーフエルフは、乞食たちに混じって鍋をつついた後、塩がきついの、煮込みが足らないの、散々内容について文句を言って、去っていった。
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それから彼は、市場のほうへ足を向けた。
オラン近辺だけではなく、異国の装束に身を包んだ者達の姿が目立つ。日常生活では東方語が常であるが、ここでは共通語が飛び交っていて、取り引きや値切りの声が賑やかだった。
独特な風俗とアクセントを持つムディール出身と見られるものや、西方の訛りのある金髪の商人達が、ひっきりなしに行き交っていた。
その中で、リヴァースは、見知った顔に出くわした。
「ラスか。めずらしい所で会うな。」
ラスは同じ半妖精の少女、カイを連れていた。ハーフエルフの3人が居合わせた、世にもめずらしい光景は、周囲の目を引いた。
「いや、カイは、その、狙われてて、ずっと閉じこもってたらかわいそうだから、気分転換に外に連れ出してみたら、って、ディックとかカレンがいって・・・。」
ラスは、聞かれてもないことに、とりつくろった弁明をするのだった。
神官であるカレンはわかるとして、元傭兵だというディックも、妙な所で気がつくもんだと、リヴァースは思った。
「別にデートしてたなんて、誰も言いふらしやしないさ。」
リヴァースの応対を聞いて、カイが、頬を染めてうつむいた。短く切っためずらしい色の彼女の髪には、ラスに買ってもらったのであろう蝶を象った髪飾りが、午後の光を反射して煌いていた。
二人と別れてリヴァースは、花売りの呼び子の前に足を止めた。色とりどりの大輪の中に、数輪、白いローズがあった。彼はそれを、贈物用に包んでもらい、その場を後にした。
●●●
大きくはない花束をぶら下げて、彼は、ファリスの神殿を訪れた。神を信じない彼にとって、普段まず用はない所であるが、チャザの神官カレンがシルビアが怪我をしているところを発見したと聞いて、容態を伺いに来たのだった。
受付の神官は、およそ神殿に似つかわしくないいでたちの彼を、胡散くさそうに見た。しかし、シルビアに関しては、神官服に染み付いた血が派手で騒ぎになったが、ほとんどが返り血で、また、手当てが早かったので、命に別状はなく、今はショックのために寝込んでいる程度だ、と饒舌に伝えてくれた。
特に偽っている様子もなく、それだけ聞けば十分だった。
神官は名を尋ねてきた。しかし、リヴァースは、自分は一信者で、礼拝に来たときに目にしたシルビアが怪我をしたと聞いて、見舞いに来た。が、名を告げると特定の個人に対して印象づけようという己の利が働き、それはファリスの正義に背く事になるので、名は言わない、ただ花だけ渡してくれ、と、かなり適当なことを、しかし、一見説得力があるよう告げた。神官はそれで納得したらしく、必ず手渡しましょう、と満足そうに受け答えた。
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神殿から戻る途中、目の前を、額に傷のある鶏が、走り抜けた。
市場からはぐれてきたのかとも思ったが、追ってみると、その傷の位置と恨みがましい目に見覚えがあった。
たしか、ザナルファーとかいったか。レドの家の「家畜」だった。ただ、ザナルファーは、前回見たときは、豚だった。
鶏を胸に抱えて、リヴァースはレドの自宅兼研究所を訪れた。
離れの家畜小屋にそれを掘り込み、鮮やかで雑多な花々をつける庭園を通り抜けると。レドが直々に出迎えてきた。いつも雑用を引き受けている弟子は、家出中との事だった。
「わざわざ悪かったな。礼に、ワインでもどうだ? ルーナムのいいのが入った。」
レドは、マニアといっていいほどのワイン通だった。
断わる理由もないので、リヴァースは有り難く杯を傾けた。
リヴァースはレドを狙う、シェリアルナやアインザッツについて、彼に告げておいた。自分が言わずとも、おそらく彼の家の家畜か、ビンづめのサンプルが増えるだけであろうが、と付け加えた。レドは苦笑するだけだった。
彼の自室を汚したキースの糞についての文句も言った。夜は窓を開けて放し飼いにしとけ、とレドはいった。
「そういう事は早く言え。」
憮然として、リヴァースはいった。
弟子の家出の原因は、多大な材料費と時間を費やした実験道具を、彼が過失で壊した、ということだった。あいつがおらんと、家の中が片付かない、とレドはこぼした。
それはおまえが悪いと、普段レドになにかとからかわれているリヴァースは、ここぞとばかりにレドを責めた。いったん弟子をとるからには、望ましいように育て、その行為に対して責任を取るのが、師匠の役割だろう、というのがその言い分だった。
しばらくして、リヴァースは、やけに光を眩しく覚え、目がちかちかするのを感じた。ワインの酔いの症状とも違った。
「お、効いてきたな。」
その様子を見て、レドはにやにやしながらいった。
庭園で試用に栽培中の、ベラドンナアイズを、ワインに混ぜたのだった。
ベラドンナアイズは、アンデッドの負の精霊力を、正の精霊力に見せかける毒草だが、通常の人間が使用すると、瞳孔が開いて瞳が大きくなり、肌が白くなる。故に、化粧用に使用する者がいるという。
「この間いっていたやつだ。おまえが飲んだら綺麗になるんじゃないかとおもってな。」
のうのうと彼はそうのたまわった。
「貴様...勝手に人を実験体にするんじゃない!」
リヴァースは席を立った後、レドの家で飲食物を口にしたのが間違いだったと、態度を荒げながら、出ていった。
対照的に、レドは楽しげな笑いをもらすのだった。
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開いた瞳孔に、初夏の光が眩しく感じたので、リヴァースは適当な酒場に入って、休憩する事にした。
「まさか・・・が生きてたなんてな。」
「最近はやりの、幽霊じゃねぇの?」
背後で男達が、エールを片手にしゃべっていた。
ちらりと聞こえた名前は... ルフィス。リヴァースが心を許していた数少ない人物だった。彼は、死んだはずだった。
リヴァースはがたんと席を立ち、その男達に詰め寄った。
人違いだろう、と思ったが、目鼻作りの造作、貧乏である事、西の高台に通っているという事、彼が剣を習ってたカールのいるチャザの神殿に、つい最近も出入りしている事...あまりにも、共通点が多すぎた。
たとえ幽霊でもいい。会いたい、会って一言。さんざん自分は生き死になどどうでもいいとかふざけた事をいってたくせに、生きる理由を見つけたとたんに、勝手に死んだ事への文句を言ってやりたい。そう思った。
それからリヴァースは、彼が出没すると思われる下町、酒場、チャザ神殿、等を駆けずり回った。
彼の墓のある西の高台まで上がったとき、すでに日が傾いていた。そこには無論、求めていた人物の影はなく、西日を受けて、粗末な墓石が、佇んでいるだけだった。
リヴァースは、息が弾み、汗ばんだ体を、柔らかい下ばえの生えた傾斜に横たえた。夕暮れのやや冷えた風が、火照った体を心地よく冷ましてくれた。 ここであいつに、笛を教えたっけ。やけに、ムキになる様が、かわいかったな。せんなきことを考えながら、いつしかうとうとと、まどろんでいた。
不意に、なにかが自分を蹴りおこした。
「なんぴとたりとも、わたしの眠りを邪魔する奴は許さん。」
心地よいまどろみから引き上げられ、薄目を開けて、不機嫌にそう口にした。前もこんな事があったな、と既親感を感じた。
「人んちの墓の横で、なに寝てんだてめーは。」
夕闇に影になって、最初は顔が見えなかったが、その声に聞き覚えがあった。
リヴァースは、がば、と体を起こした。
なにかが、堰を切って、込み上げてきた。
懐かしさ、後悔、愛しさ、すまなさ、怒り。
おもむろにリヴァースはその人物を。
殴った。殴った。
殴った。殴った。
さらに殴った。
「なにしやがんでーっ!」
問答無用の理不尽な行動に、影は抗議した。
「ルフィス...じゃないな。ファズか。」
その人物は、心に描いたその者より、背が高く、大人びていた。
「あいにくユーレイじゃねぇよ。いきなり会って、コレか、てめーは!!」 怒りをはらんだ声で、ファズは怒鳴った。
「まちがえた、悪かった。」
そう悪びれもせず、あっさりとリヴァースは言った。幽かに、落胆と、安堵の綯交ぜになった、複雑な表情を浮かべていた。
「ほんとにすまなく思ってんのかぁ!?」
ファズは問い詰めた。
「ああ。悪かったってば。詫びに夕食ぐらい奢ろう。どうせまだなんだろ?」
そういってリヴァースは、歩き出した。
そりゃめっけもの、とファズは後を追った。
「悪かったな。」
行き付けの酒場で、欠食魔術師に、たらふく食わせた後、リヴァースはもう一度そういった。
「あん?もういーよ。大して痛かった訳じゃねーし。」
「そうじゃなくて...おまえを弟と間違えた。ファズはファズだ。ほかの誰でもない。」
それに対してファズは、思わずきょとんとした顔を向けた。
「おめーって、わかんねー奴。」
別にすべてを理解してもらおうとは思わんし、そんな事は端から不可能だ。 そういって、リヴァースは茶を啜った。
変わらない喧燥が、夜の酒場を賑わしていた。
今夜もまた、せっかちな閑人たちが、いつもごとく、一時の団欒と笑いを求めて、憩いの場に集ってくるのだった。
それだけ。
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