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No. 00188
DATE: 1999/05/28 17:40:50
NAME: スカイアー
SUBJECT: 傭兵剣士・余話(その二)
(これはエピソード185「傭兵剣士・余話」の続編です。まずそちらをご覧になってから、併せてお読み下さい)
「・・・ここには・・・ちょうど、一巡り前に着いたの・・・」
キセルを離し、薄い唇の間から紫煙をくゆらせながら、アーヴは口を開いた。
狭い店内に、彼女が入れた茶の豊かな香りが満ちていた。カップの中で柔らかに湯気を立てる透明色の赤紫に、匙ですくい入れたカエデ糖をかき混ぜながら、私は静かに話を聞いていた。
「・・・路銀が、心許なかったし・・・かと言って、他の連中と組む気にも、ならなかったから・・・」
アーヴは再びキセルを口にくわえると、やや俯き加減に顔を傾けた。
私は軽く頷き、茶を一口音を立てずにすすった。口の中に暖かく広がる香味と甘味を味わいながら、私はつい二月前までのことを思い出していた。
私達は、かつて同じ冒険者集団で活動していた同志だった。確かな実力があり滅多なことでは失敗しない、を売り文句にした新進気鋭の一団で、私達は一年近くをそこで過ごした。それは、私がこれまでに経てきたどの冒険者の輪よりも居心地がよい空間であり、冒険者としての最良の日々であった。解散した後、彼女が新たなる人間関係の輪に入る気になれなかったのも、よく分かる話だった。
「みな、気のいい連中だった」
私は二口目をすすり、軽く体を揺すった。鉄貨とベルトとを結んだ鎖が、ちゃり、と微かな音を立てる。
私は硬貨を取り上げて、久し振りにそれをまじまじと眺めた。表には交差した一対の剣、裏には下位古代語の刻字。
“我ら五つのかねの誓いに結ばれし者。金、銀、銅、鉄、錫を己が印とした盟友なり。すなわち、レト・メフィス”
私はその文を心の中で呟いた。それは、私達の結束と友情の証だった。
「よくもまあ、わざわざ・・・確か、これを造らせるのに十銀貨は払った覚えがある。それだけあれば、優に一食分となるのにな」
そう言って笑う私の前で、アーヴもまたころころと笑った。いつも気だるそうにしているこの魔術師は、滅多なことでまともな笑顔を見せない。つやのある銀髪が揺れ、そのはざまに金のサークレッとが見え隠れする。それにもまた、鉄貨と同様の刻字がある。
この目印を発案したのは、<銅>を名乗った匠神の司祭だ。唯一、私より年少だった男で、少年らしさの残る顔つきと声音をした亜麻色の髪の若者だった。彼は特注の赤銅の錠前を造って、自分の背嚢に鍵をかけていた。その錠前が、彼のもう一つの顔の暗示であることを知っているのは、私達仲間以外には彼が所属する組織だけである。
その司祭は、残る二人の仲間である<銀><錫>とともに遥か西方に旅立っている。中原を越えて西部諸国に行くかもしれない、というのが別れ際の言葉だった。彼らは今、どの辺りまで行ったのだろう。もうロマールを越えてしまっただろうか。
「・・・やっぱり・・・気になる・・・?」
その様な思いに駆られていた私の心を、アーヴはやんわりと引き戻した。切れ長の、深い緑を湛えた瞳が、いつになく柔らかい光を映して私を覗き込んでいる。
私は視線を外し、三口目をすすってから口を開いた。心なしか、茶が苦味と渋味を増したようだった。
「・・・あぁ。あの時、いま少し早く私の傷が癒えていたなら・・・今頃は私も、彼らとともに西方にあっただろうな・・・」
アーヴは何も言わず、ただ私の顔をじっと見ていた。私の言葉は、同時に彼女の思いでもあった。
その時、窓の外からぽつ、ぽつと軽く地面を打つ音が聞こえてきた。それは次第に間隔を縮めて早くなり、強くなっていく。
「・・・あら、雨・・・」
アーヴはこうべを巡らして外を眺めた。窓にかかる水滴は数を増し、重みに耐えきれなくなったものが次々に筋を引いて流れ落ちていく。
「・・・もう、そんな季節・・・」
「うむ・・・」
私達はしばらくの間、柔らかく地面を叩く雨の音に耳を澄ませていた。
それは、オランの入梅を告げる水霊の歌声のごとく店内に響き渡り、そして、私達の心にもゆるりとしみ入ってきた。
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