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No. 00190
DATE: 1999/05/30 21:06:52
NAME: フェザー、コルシュ・フェル
SUBJECT: パラダイス・ロスト(1)
このエピソードの前にno168「楽園一座あらすじ」を宜しければお読みください。話の理解がより深まることと思います。
「人間も、亜人間も半妖精も、差別のない社会を作ろう」
あの日の師の言葉を、スカーレット・フェザーは忘れたことはない。
真夜中だった。夜闇の精霊が窓より入り込み、古ぼけた酒場の内部を染め上げている。
店の天井にかかったカンテラには、溶けてくずれた蝋燭が残り火をたたえている。
あと数分もすれば、この部屋も真の闇に包まれるだろう。
フェザーは、壊れかけた椅子に腰をおろし、階調が暗くなっていく部屋を眺めていた。
椅子のみならず、静まりかえった酒場の店内は何処もかしこも半壊し、壁にかかっていた大時計も指針が砕かれたまま、はずれた振り子の音だけがこつ、こつ・・・と響いていた。
そして、その隣の床に転がっているのは、男の死体だ。まだ死んで間もない。
フェザーは、手に持ったダガーについた血を、布でふき取りながら、
ーーーーおれが殺したんだ、とひとりごちた。
彼は暗殺者として育てられた少年だった。数年前まで歪んだ秩序をただし、理想社会を作る目的のもと、彼の組織は国家を相手にテロリストとして活動を続けていた。
だが、フェザーは組織を抜け、その存在を国側に密告した。
その因縁で、今も刺客の男に、命を狙われていたのである。
何故組織を捨てたか。その理由は、フェザーの心の中にしまわれている。
「信じてたんだよな。本当俺は・・・信じていたんやな。へ、阿呆やったなぁ・・・」
フェザーは口元に、微笑を浮かべる。そしてそれが消えたあと、歯を鳴らすほどに
食いしばった。
「赤目亭」は一層しんとしていた。店主も、少ない客も刃傷沙汰を見てすでに逃げ出している。
もう少しで官憲が、やってくるだろう。早くここを立ち去らねば・・・。だが、
足が鉛のように重く、座り込んだまま動くことさえできない。
虚ろになっていく頭の中に、師の言葉が頭に鳴り響く。
(アステア・・・、俺達で全ての者が平等に暮らせる国を作ろう・・・)
嘘だ!フェザーは頭をふって、それをうち消した。
「あんたのやり方で、理想社会なんて、作れるはずがない!いや、もとから方法なんてないんだ。半妖精は、差別されつづける・・・」
フェザーの脳裏に、死の間際まで自分を護ってくれた母の姿が浮かんだ。
「・・・ありますよ」
ふいに聞こえた声に、フェザーは、かっと眼を開けた。反射的に腰のダガーに手がいく。(誰だ)声がした闇に向かって神経を集中させる。
そこから出てきたのは、少女だった。 まだ幼い。詰め襟の入った服を着て、
帽子を目深にかぶっている。肌は、暗い闇のなかで浮き出るように白かった。
荒れ果てた真夜中の酒場で、少女とフェザーは沈黙したまま向かい合っていた。
そしてしばらくして、少女は、わずかに口を動かした。
「このせかいにみんな平等な、楽園はあります・・・そうおしえられました」
「・・・」
「楽園」。ここ数日、耳に付く言葉だ。この少女が何者か、フェザーには漠然ながら思い当たることがあった。そして、今自分が巻き込まれている厄介ごとも・・・
「
フェザーさん。あなたのともだちが楽園一座にいきました。急いで。
ておくれかもしれない」
果たしてそれは妙な光景だった。刺繍が施された、真っ赤な色の絨毯がしかれた階段の下からは、大広間の様子が一眺できた。円形の食卓には、豪華な料理が並び、まるで
パーティの始まるような雰囲気がそこにあった。
中央では、彫刻を囲み大勢の人間が躍り、辺りには、軽快な音楽が響き、麻薬じみた甘い香りがたちこめている。
だが、特に異様だったのは、人間にまじって馬や、狐や、山羊や、そういった
獣が放し飼いにされていて、それらも人と同じように音楽のリズムに合わせて
身体を動かしているように見えることだ。昨日までの自分であればこれは芸の一環だと
思い、拍手の一つでも送っていたであろう。
しかし、今は違う。胃が引き絞られるような不安が、彼女ーコルシュ・フェル、の心を襲っていたからだ。
ひひぃぃん、 ぶるるぅ。 ケタケタタ。フホホホ。
コルシュはしかし表情を動かさないまま、眼を正面にある寝台に目を向けていた。
カーテンに仕切られたそこには、人影がみえる。身体の線から察するに、女性のようであった。そして、その人物はこの楽園一座を取り仕切る、座長であると名乗った。
「私をどうするつもりなのですか」コルシュは暗幕へ向かって問う。
ややあって、カーテンの向こうからしわがれた声で返事が返ってきた。
「・・・あんた、ここの秘密を知って居るんだろ?」
コルシュは周りでステップを踏んでいる動物たちの姿を一瞥した。
動物達は、よく見ると笑いを浮かべているように見える。口は歪んで、眼には愉悦の色が浮かんでいる。
それはこの世のものとは思えない、魔界に迷い込んだような光景だった。
「この一座で飼っている動物たちが、元は人間だったってことをな」
「はい。先ほど知りました・・・」コルシュは声をうわずらせた。語尾が恐怖のあまり、消え入りそうになってしまう。
それを聞かされたのはケルビム、というこの楽園一座の青年からである。
彼女は先日オランの宿に帰る途中、彼と会い、この一座の秘密を教えられた。
この一座を訪問した客は、ほぼ全員が何らかの方法によって動物に変えられてしまう
らしいのだ。魔法の薬で、そういう効果があるのが存在するのは、コルシュは知っている。
「それが楽園一座の正体だ。動物、そう・・・知能までそうなってしまえば人間が
いつも抱えている苦しみ、焦燥、そういう厄介な感情は消え失せる」
「ただ私の庇護の元、本能的な享楽のみ貪っていればよい。ここに招待された客人は、皆普通社会に適応できず、また虐げられたものばかり・・・私が皆を苦痛から救う場所を作ろうとした結果が、この「楽園一座」なのだ」
コルシュはその様子をじっとみていた。膝に載せた手は小刻みに震えていた。
「そ、それはおかしいです」コルシュは身体を震わせつつも、毅然といった。
「・・・何がだ」
「考え方自体が、理解できません。動物になって、人間的な感情を全て捨てて、それで
幸せなのですか?・・・・」
急に周りの、動物、いや、人の形を捨てた獣たちが、どっと声をあげた。
ヒヒヒ、グファァァ! こいつワカッテネエヨ。サゾヤ幸せにそだって来たんだよナァ。
オレ達が、こんなイキカタを選んだ訳なんて、こんなオジョウチャンにわかるわけ
ネェーーーヨ!!
まるで精霊達の発する言葉のように、獣達の意志だけがコルシュの耳に滑り込んでくる。
「おやめ」
座長の一声で、広場は水を打ったように静まり返った。
「さて、秘密を知られた以上どうするか。このもの達は、近頃普通の食事に飽きているようでな。一度も試したことはないのだが、人の肉を食わせてみるというのも面白いな」
ぎくり。
一瞬、悪寒が背中を走る。コルシュの心臓の鼓動が高鳴り始めた。首もとに汗がにじんでくるのがわかる。
獣たちの舌なめずりの音が、生理的嫌悪感を煽る。
「しかし私は野蛮なことは好まない。ここはどうあっても芸人一座だ。そして近頃では
たいした業を持つものもおらず、皆退屈しておる」
「−−−−」
「ちょうどおまえは吟遊詩人らしい、ここで一曲披露してもらおう。
歌が私の気に入れば、命を助けてやってもいい。」
その座長の言葉の響きには、なんの悪意も、裏も感じられなかった。
はなから自分はこの客人に興味もないのだ、ともとれるニュアンスだった。
コルシュは顔をあげ、しばしのち、息を吐く。
「・・・少しほっとしました・・・」
「そうか」
「私の身の上に希望ができたこともですが。貴方が、まだ人としての心を残してらっしゃることに安心しました」
「何・・・」
座長が声を出したときには、コルシュは抱えたリュートを奏で始めていた。
獣たちの視線は全て、コルシュに向けられていた。
敵意と、これから始まる狂宴に対しての期待のまなざし。
それは、彼女の心を容赦なく圧迫し、締め付けていた。彼女の額にいくつもの汗が
浮かぶ。ーでもこの歌は、聞かせなくてはならないわ。今ここで絶対に。
人として生きていく上で、喜びも悲しみもある。その上で、どんな想い出を残していけるか。
(・・・パーンさん)
彼女の指は、正確にメロディーを奏でていた。声はもはやふるえておらず、明瞭で澄んでいた。恐怖の中コルシュは一つの狂いもなくこの詩を謡いきった。
千夜に一度 思い起こすのは
生まれ日の晩餐 母の死の床
ライ・プルマ・コルネ・サイト・ホルムス
ライプルマ・レンス・レンス・フヴール
それは、呪歌として知られる「望郷」に似た旋律だった。聴くものに、郷愁を
起こさせ、そこへ帰りたいという心を持たせる。これはしかし、詩自体は彼女の独自の
もので、込められた思いも強い。
5月に一度 目に留めるのは
柱に幾筋かの傷跡 幼き手形
ライプルマ・コルネサイト・フヴール・・・
ヤメロ!!
獣たちから悲鳴のような声があがる。彼らは頭を壁に打ち付け、あるいは
うずくまったまま、唸り声をあげている。
モット楽しい詩をヤレ!!オレ達が、躍っていられるウタをヤレ!!
彼らの眼から愉しみの色は失せた。悲痛な叫び声をあげつつ、のたうつ。
悔いているのだ。今の己を。人として扱われ喜びを感じられた時期を思い。
木々の匂い 夏草に埋もれた家路
捕まえた蝶を 手を開き大空へ
少年の足は 四椅子の食卓へ・・・
旋律はまだ続く。その間、一言も座長は声を出さなかった。最終章まで歌い終わった後、
コルシュは一礼した。
ー長い間、沈黙が支配していた。
「・・・良い歌だった。」座長は、かすかに震えた声を出した。
コルシュはうつむき、押し黙っている。
「確かに見事な歌だ。だがその歌は皆を不安にさせる。せっかく忘れていた過去を、
現実での出来事を思い起こさせる。おまえは、ここにはいてはならない者だ」
「・・・・・・」コルシュは眼を閉じたまま、沈痛な面もちで、唇を噛む。こうなることは判っていたはずだ。けれど、どうしてもこれを謡う必要があった。皆を歪んだ楽園から眼を覚まさせるために。
「みなのもの」
そして座長の言葉はコルシュの願いをあっけなく否定した。
「獣になりはててしまった者はこの女を食らってしまうがよい。また人の姿を
とどめているものは、こやつを犯してしまえ。こやつは私たちにとって敵だ」
座長の言葉に獣たちは起きあがり、無言のまま、じりじりとコルシュに近づいていく。
いつのまにか座長は暗幕から姿を現していた。美しい黒髪が、寝台の闇にとけ込む。
彼女の耳は、先端がわずかに尖っていた。そして大きく猫の目のような瞳に、一瞬、
悲しみのような色が浮かんだのを、コルシュは見た。
座長は何か口を動かしかけたが、あまりに小さな声で、コルシュに聞き取れたのは
次の言葉だけだった。
「・・・私の名はウル・ランカだ。黄泉でもおぼえておけ」
<続く>
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