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No. 00194
DATE: 1999/06/02 03:06:44
NAME: ラセロウ
SUBJECT: 木造建築物の資料発見
冒険者の店の一つで知られるきままに亭はオランに街に似つかわしくない、木造の建築物であった。それに興味を覚えた一人の青年は、取り憑かれたようにその謎を調べた。その青年の名をラセロウという。
数ヶ月の調査の後、やっとのことで手がかりとなる情報を得ることができた。
その文献はラーダ神殿の資料庫に保管されていた。当時のラーダ信者が木造建築物を建てると聞いて、興味を示し、その過程を記していたのだった。ただ、それがあまりにも平凡的な記録であるため、数多くの資料の中に埋もれ忘れ去られてしまっていたのだが……。
そこには一人の精霊使いが関わっていた。クルラルド・フォーンと記された人物は、極東地方の生まれで自然的風土をこよなく愛した。
端正に整頓されたオランの町並みは綺麗であったが、無機質がついて回り息が詰まりそうであった。諸処の事情でオランに居を構えることになったクルラルドだが、とても石造りの家に住む気にはなれなかった。
オランには短い雨期と長い乾期がある。特に6の月の雨期の湿り気と8の月の乾燥期の差は木造建築物には向かないものであった。それを知って尚、彼は木造建築にこだわったのだ。周りの反対を押し切って。
現在でも続いている風潮として、木造建築は貧弱で盛大さに欠けると見られており、気候的にも向かないものとしてされていた。石を加工して組み上げていく建造物の方がより立派で難解な建築様式と見られているのだ。それに住み心地がよいとも。大方の見識としてそれは正しく見られたが、実際は切り出す木が周辺に存在していなかったという材料の面も重なっていたのだ。そうこの資料をまとめた著者が追記している。
新王国歴が始まり、最初の混乱期を乗り越えるとオランの元となる街ができあがった。そもそも周辺に広大な森は存在しておらず、材料となる木は確実手に入るものではなかったのだ。それに、木材では老朽化が早かった。安定期に入り、50年と経たずに木造建築は完全に見限られた。
そうしてオランの石造りの街並みが始まったのである。
当初、誰もがクラルドが挑戦しようとする木造建築を笑いの種にしていた。著者でさえ引き留めようとしたことが二度合ったという。
しかし、クラルドは断固として押しのけ、極東に住む友人を呼び寄せたのである。
建築は実に三年を要した。
彼の友人は建築大工であったが、初年度は気候風土を体験して過ぎた。
二年目は木材の選定に費やされた。
三年目に、三度の失敗を経て立てられたのが木造建ての酒場であった。
雨期、乾期に強い木材は存在するものの、建築に使えるようなまっすぐ伸びているものは極めて少なかったのである。ほとんどはこの木材探しに費やされたと言っても良い。
大工たちはそれぞれ受け継いだ木材の知識を持ち寄り、木材を定めたのだが、極東の木がオラン周辺に存在していたことは奇跡に等しいと著者は記した。新たなる挑戦、クラルドの伝統を覆す発想をラーダが認めたのではないかとさえ書いてあった。
そうしてクラルドがやりたかった木造建ての酒場ができあがったのだ。名前を「きままに亭」と名付けた。明らかに他には見られない名前の付け方であった。新王国歴352年の秋の日のことである。
ここでラセロウは意外な事実を発見する。
それは、二階が居住区になっており、宿の状態にはなっていなかったのである。しかし、資料はそこまでで、著者の感想などが書いてあるばかりであった。
最後に、クラルドの言葉を見つけた。
「石の建物が悪いと言うわけではない。木も誠意をもって接し、大事に付き合えばとても心地よい環境を与えてくれるのです」
精霊使いだからこそできた発想なのだろうと、著者はその後に記した。そして、その酒場が「居心地の良い店」として知られるのに時間はかからなかったとも。
それから五年後、「この資料をまとめる日が来た」と、著者は記す。
相変わらず盛況な酒場で人気がある。傷んでしまうであろうとされた木造建築も調べたところなんの変化もない。いやむしろ、馴染んでいるようでさえ思えた。これ以上、監視したところで傷んだりはしないだろう。クラルドの言うことは正しかった。ラーダの信者として学ぶべき姿勢を見せられた。止めようとした自分が恥ずかしく思える。
酒場が完成した日から馴染み客の一人となってしまった私は、最初、不思議と思った酒場の名前−−「きままに亭」−−の意味が理解できた気がした。
この木のぬくもりや香りに包まれ、うまい酒を飲める場所は「自分たちを拒まない」と感じたのだ。いつでも立ち寄れ、いつも同じ匂いで迎えてくれる。そう「きままに」立ち寄れてしまう場所なのだ。
おそらく死ぬまで私はここの常連であるだろう……。
木造建築に乾杯。
そこで、資料は終わっていた。
ラセロウは安堵を覚えた。求めてきた解答がここにあったのだ。
しかし、気になる点はきままに亭が単なる酒場であり、宿屋は兼ねていないことであった。つまり、今の状態とは違う形をしていたのだ。
それがいつ、どこで宿屋を兼ねることになったのか……新たな疑問が沸いてくる。
その沸き上がる探求心をラーダに祈ると、嬉しそうに資料の山を一つ一つ調べていくのであった。
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