No. 00195
DATE: 1999/06/03 03:30:09
NAME: ラーフェスタス
SUBJECT: ◆華燭の台座◆
華燭の台座
◆注◆
この話には、残虐な表現、倫理的に不適当な描写等が含まれております。それにより気分を害されると思われる方は、目を通さないようにお願いいたします。
登場人物一覧
ラーフェスタス・・・ノミオル湖畔にある杜のエルフ。追放を解かれ数十年の旅から戻ってきた。
リスーティアルハイノス(リスート)・・・ラーフェスタスの同郷の友人。
アウェノヘルペース(アーウェ)・・・ラーフェスタスの幼なじみのエルフの娘。
ユークリュアス(ユーリャ)・・・アーウェと人間の男の間に生まれたハーフエルフ
ゴシュゴラテ・・・後に「鮮血の傭兵」と異名を取ることになる、レイドの傭兵。
キースリング(キース)・・・「死神」と称されている壮年のレイドの傭兵。
◆◆◆
ノミオル湖に光が反射して、緑の煌きが踊る。
中原南部。レイド帝国領と、都市国家ロマールとの、ほぼ境目に位置する湖畔の沼沢地の外れに、一つの小さなエルフの集落があった。湿り気が多いのと、付近にすむ妖魔からの脅威に常にさらされているのとで、古来よりさほど住みよいとされている所ではなかった。しかし、ノミオルの豊穣を受けたゆたかな森が、それを補ってあまる、かけがえのない住処を与えていた。だが、ここにきて、エルフたちの間で、いよいよ移住の声が囁かれはじめた。
変化を望まぬエルフたちに、その決断をさせたのは、他でもない、人間たちの行いであった。
南のレイド帝国による、ロマールへの侵入への野望。現在は小規模な部隊同士の衝突が、地方で見られるに過ぎなかった。しかし、時折南の空に黒い煙が立ち昇ったり、斥候と見られる人間がちらほらと付近に顔を見せたりし、いずれこの周辺にも争いは及んでくるのは必至であった。また、長老が突然に死したことが、杜(もり)の騒然に拍車を掛けていた。
住みなれた杜を離れる事に対して、変化を望まないエルフたちの中に反対の声も存在した。人間と争っても、故郷を死守しようという穏健でない考えすらあった。論争は連日日夜に及んだが、無用な争いを回避し移住しようという声が大勢であった。
数人のエルフが、移住のための使者として、戦火の及ばないと見られる他のエルフの集落へ旅立った。
長老の息子であったラーフェスタスもまた、杜を後にした。しかし、彼の目的は、他の者達とは全く違っていた。彼は、人間の元を訪れた。
それは、連鎖する破局への前哨だった。
彼の里に、一人、人間の血が混じる子供がいた。
子供の母親は、名をアウェノヘルペースといった。長い旅から戻ってきたラーフェスタスとその友人、リスートは、共に彼女を愛していた。しかし、彼女は突如杜からいなくなった。リスートが錯乱状態の彼女を発見し、連れ戻したときには、彼女は人間の子を宿していた。彼女は人間の無法者により乱暴されたショックから立ち直ることはなかった。二人や杜のエルフたちの手厚い看護にもかかわらず、彼女は一人の子を産み落とすと、衰弱したまま力尽きて死んだ。失意にラーフェスタスはまた姿を消した。
子は、ユークリュアスと名づけられた。父親譲りとみられる闇の色の髪と目を持っていた。
混ざりモノ。どこの馬の骨とも知らぬ人間に足を開いたふしだらな女と、下劣な無法者の人間の、子供。 嘲笑と迫害は常に子の周りにあった。
泣くことと自分を嫌いになることしか、知らない子供。
母親とは似て似つかない、エルフと比べると黒っぽい肌、いじけた目の、痩せた醜い子供。
育てる者のいなかった子は長老の元で、下働き同様に過ごしていた。
何をしても、子は罵られ嘲られるばかりかった。子のほうでも、すべての者を嫌っていた。ときおり長老の元に現れるリスートの、なにかを期待し、あからさまに自分の人間の部分をねめつける様にみては、常に失望しているようなその目も、大嫌いだった。
再び、ふらりと杜に姿をあらわしたラーフェスタスは、子供に、愛しい者の面影を見出した。失った時が、ふたたび動き出したと思った。それからは、ラーフェスタスが、子供の師となり、父となり、兄となった。
差別と共に与えられる白い目に、子は怒りと憤りと悲しみの、周りの者とは比べ物にならない強い感情を持っていた。精神の精霊を操ることに、特に感心の強いラーフェスタスは、さまざまな子供の感情を知ろうと試した。虐待を繰り返しては、時折気紛れに、優しさを与えた。しかしそれが、そのときの子が知るあたたかみの全てだった。彼を否定する、彼の父たる長老を手にかけたときに、子が見せた、恐怖と絶望と驚愕の綯交ぜになった感情。数十年の冒険生活ですらかつて見たことの無い強い思い。彼はそれを、再び感じたいと願っていた。
◆◆◆
一人のエルフが、人間達の砦に現れた。ノミオル湖の沼沢地から侵入してくる妖魔達に備えて建設された、レイド帝国の中でも、比較的大きな規模のものだった。
見張りをする兵士達の前に現れた彼は、一見ダークエルフと間違えられそうなほどに、皮膚がどす黒く染まり、息も絶え絶えの様子だった。
エルフは、毒を受けていた。
彼は、ノミオル湖畔の杜のエルフの集落から来たという。人間達の戦のおりの移住の是非に関して、そのエルフ達が仲間内で別れて争っている。人間達との交戦も辞さないという。うちの過激な者達が、人間達に追い出され故郷を捨てるぐらいならば、と、周辺の妖魔と手を組んだ。沼沢地に生えるネイセリアの草から取れる毒を、ノミオルから流れる川に撒き、下流域である人間達の領域に害を与えるという。ネイセリアは、空気が混じらず風の精霊が行き渡らないために発生する沼沢地の瘴気を吸い、付近の水を浄化する水草である。毒を濃縮するため、その根には、高濃度の毒が沈着し、妖魔達が、これを使う。しかるべき手段で蒸留し、生成すると、井戸や川に投げ入れ付近一帯を汚染することができる、強烈な毒性を持つ。
自分達の住処を護るために、水と大地を汚し、異種族たちの命を無下にして良いという法はない。すでに、移住に賛同するエルフは、杜を後にした。今、湖畔に残っているのは、忌まわしい考えに捕らえられ、妖魔と手を組み、他の命を奪おうとする達のみだ。諌めようとした自分は、その毒にやられた。既に彼らは、一部の地域の汚染を始めている。自分達の仲間が、人間の命を毒を用いて殺める前に、どうか彼らを止めてほしい。
苦しげな息の下から、やっとのことで、エルフはそれだけを告げた。
砦主は、頷き、司祭を呼んで、エルフが冒された毒を治療させた。そして彼に、自分達の仲間について、異種族に知らせに来たことに対しての苦しみを洞察し、礼を述べた。
急遽、首都方面への飛脚が立ち、部隊が整えられ、砦はにわかに騒然とした。他国の謀略の可能性もあったが、実際にエルフ達が国境を越えて移動していること、妖魔達の出没する地域にエルフが訪れていること、等の調べがつき、彼の話の信憑性はきわめて高いものとみなされた。
その中で、砦からでたそのエルフは、一人、楽しげな笑みをもらすのだった。エルフは実際に妖魔と手を結んでいた。ただそれは、全て、そのエルフ――ラーフェスタス一人の為す所によるものだった。
エルフたち、異種族への侵攻に対して、皇帝・ルゾン二世の名を冠する正規の騎士団は導入されなかった。準備されたのは、傭兵の一隊だった。異種族への畏怖のため、中でも特に、歴戦の者たちが集められた。
「高慢ちきなヒョロいエルフ野郎どもを、大義名分かかえてぶっ潰せるんだ、こんな愉快なことがあるかよ――」
進軍を進める傭兵の一隊の中で、血の臭いを肌に染み付かせたゴシュゴラテは、笑った。彼は、狂ったように敵の返り血を浴びる様から、「鮮血の」と二つ名で呼ばれ、仲間内から恐れられることになる。
一方、女子供も容赦なく討ち取り、剣をあわせたものには確実に死を与え、「死神」と異名を取る戦士、キースリングは、ただ無表情に剣を拭いていた。「やつら、アッチが不能な分、長生きだけはしてるからよ。なにを溜め込んでるかね。」
略奪を思い、笑い声が立った。
直接温情にあずかれる騎士ではなく、傭兵や一般兵達の場合、実入りとしては、契約者から得られる報酬の他には、略奪に寄るところが大きかった。司令官の中には、倫理的なことと、それ以上に後の統制の難から、略奪を禁じる者もいたが、略奪自体は、兵達の戦う大きな動機となった。残虐さに恐れをなし、略奪を止めようとした騎士の傭兵隊顧問が、配下の傭兵に殺されるという事件まであった。
妖魔と手を組み、毒を使い、自分達人間に危害を加えようという、許すまじ連中である。容赦は露程も必要ではなかった。
進軍中、ラーフェスタスは、部隊についてまわり、姿をみせぬように、光や闇の精霊をつかって夜襲を掛けて、彼らの神経を苛立たせた。
傭兵達は、自分達の動きが読まれているという恐れをもち、それをいらだちと憎しみに変えて、エルフへの襲撃への志気とするのだった。
ノミオルの湿気の濃い地方まで、部隊は進軍した。鬱蒼とした森の奥に、人間のものとは違った、見慣れない家屋が見えてきた。
攻撃は、昼間に行われた。暗闇でも姿を見通せるエルフ達を相手にする場合、夜では人間達に不利になるだけだであると思われたからだった。
弓を手にした見張りが誰何の声を上げたが、速攻で走り寄った傭兵に喉笛を掻っ切られた。交渉の必要はなかった。
数に足る傭兵達は、小さな集落を、四方から包囲し、油を撒いて火を掛けた。
戦うことを知るものや、精霊を操る能力に長ける若者達のほとんどは、使者に赴いていて里を留守にしていた。護りは彼ひとりで足ると見なされていたラーフェスタスは、失踪していた。
かくして、一方的といえる虐殺がおこなわれた。
傭兵達は、動くものと見ると、まず全てに、斬りかかった。エルフの持つ、精霊を操る力はまず恐れるべきものだった。しかし、屈強な傭兵達にとって、光や闇の精霊によるショックや、大地の束縛の最初の一撃を耐えれば、あとは虚弱な彼らは、試し切り用の葦の束にもにすぎなかった。 剣を取って戦うことを知る者も、歴戦の傭兵達にねじ伏せられた。
「へへッ、軟弱、軟弱・・・!」
飛んできた矢をはじきながら、ゴシュゴラテは目に付く者すべてを、斬り殺し、四肢を千切り、その血を浴びた。それが勲章といわんばかりに、返り血の中で彼は紅く紅く染まった。
目に付いた女はすべて、場合によっては男も強姦された。
生きている知性あるものに対する尊厳は、欠片も無かった。ただ、殺すものと殺されるものとに別れていた。理屈ではなく、いるから、コロス。それだけだった。
兵達は目に付くエルフ達すべて完全に死んでいるか確認し、生きている者は首筋を切裂いた。
小さき精霊の力を使える者は、姿を隠して逃げようとしたが、血族や同胞をとうてい見捨てはおけず、助けようとして結局は凶刃にかかった。
エルフの質素な家は、価値ある物や家財には乏しかったため、余計にその残虐さに熱が入れられた。
殺したエルフの耳を切り取り、いくら集めたか競った。
めぼしい物を奪い尽くすと、小さな家々には、みな火が放たれた。生きている者に火をつけて焼き、踊るように悶えるのを、鑑賞した。
動く者がなくなると、死体を切り刻んで弄んだ。里の中ほどを流れる小川が、赤く染まった。
杜は、煙と瘴気に包まれた。
涙に泥がこべりついて、頬がひりひりした。
ハーフエルフのユーリャは、杜の外れにある集会所の、物置場の闇の中にいた。炎が見えて、怒号が聞こえ、ただ本能的に逃げてきたのだった。筵に包って、震えながら隠れていた。どうか悪魔がここまで訪れませんように。炎がやってきませんように。見つかったら、死んだフリをしていよう。そうすれば見逃してくれるはずだ。
武器など手にしたことがない、精霊を操ることを覚えはじめたばかりにすぎない子供だった。
下腹の中身が、なにかに締め付けられながら、砂でずりずりと摩り下ろされているように痛んだ。赤黒い血が、股間を汚していた。前日からいきなり始まったそれに、自分は病気ではないかと思った。月のものについて、子供にその知識を与えた者はこれまで里にはいなかった。
しかしその恐れも、今の恐怖の前には消し飛んでいた。歯がかみ合わず、瘧が起こったように震えていた。早くこの悪夢が通り去ってくれと、ただ願っているだけだった。
その子供の元にも、破壊の手はやってきた。
あらかた奪い、殺し、犯し尽くした貪欲な一団が、さらなる犠牲を求めて煙の中から姿をあらわした。
彼らは、目ぼしいものはないとみた集会所を焼いた。煙にむせて、子供は飛び出してきた。
逃げようとした子供を捕らえ、引き倒した。それは、人間の血の混じったハーフエルフを、めずらしい、と、5、6人掛かりで彼らは群がった。
地面に打ち付けられて、いくつもの大きな手に、手足を押さえ付けられた。薄い肉に石が食い込んだ。
衣服が破り取られ、ようやく盛り上がりをはじめたばかりの胸が、もぎり取られるように、乱暴に揉みしだかれ、噛まれた。
男達の、血と汗と体臭の臭いから、顔を捻って逃れようとした。悲鳴を上げる口の中に、きつい異臭のする生暖かいものをねじ込まれた。嘔吐物が込み上げてきた。
兵達は、ただ犯すだけにも飽きていた。彼らは、太い武器の柄を、まだ受け入れることを知らなかったその孔に突き立てた。進入を拒む狭いそこに、力づくでぐいぐいと押し入れ、どこまで入るか試した。金属の柄は、内部を深く抉り傷付けた。
骨盤が砕かれ、引き裂かれ、身体が二つにされるのではないかというほどの激痛。目の前が真っ赤になり、頭が割れそうに耳鳴りがした。
そこにある、次の命を育てる生命の精霊が、悲痛な悲鳴を上げた。
子供はやがて、息も絶え絶えになり、死んだようにぐったりとなった。
男達は、はたいても殴っても、手応えがなくなったので、飽きた。
もう興味はないと、兵達が立ち上がったその時。
闇夜に浮き出る赤い炎を背に、一人のエルフが現れた。
男達は、更なる生け贄が来たとばかりに嘲笑を浮かべた。まだ、血に染め損ねたのがいたか、と、武器を手に襲い掛かろうとした。
エルフはしかし、同じた様子もなく、手を振り上げ、いくつかの精霊語を唱えた。
途端に、剣を手に向かって行った二人の傭兵が、喉を抑えて地面に転がり、空気を求めてのた打ち回った。暫らく、くぐもっためき声が聞こえたあと、男達は断末魔の形相で事切れた。
「な、なにをしやがった!?」
慌てる男達に、周囲の樹木が、忍び寄った。無数の枝が絡み合っては、ぎりぎりと兵達を締め上げた。ほんの数瞬で、加害者と被害者の立場が逆転した。男達の顔が、苦痛と恐怖に歪んだ。
「ご苦労。」
しばし苦しみを味わせたあと、ラーフェスタスはすらりと剣を抜くと、薄い笑いを浮かべながら、彼らの喉を抉った。
「...ユークリュアス。」
エルフは振り向くと、力なく横たわっているハーフエルフの子供の名を、いとおしげに呼び、赤く塗れた手で、いとおしげに子の頬を撫でた。
「今回の、余興はどうだった?」
そう、やんわりと、ラーフェスタスは問い掛けた。
痛めつけられ疲弊しきり、朦朧としていた子供の意識が、跳ね上り、黒曜石を思わせる瞳が見開いた。
「らーふぇ...」
信じられない、と唇が震えた。
「全ては、お前のために。」
エルフは傲然と微笑んだ。
「ラーフェが...ラーフェが、...」
子供はわなないた。目の前の男が、何を言ったのかわからなかった。ただ、驚愕に、脳裏が真っ白に明滅するだけだった。
「おまえが、どう感じるか。おまえの精霊がどんな色に染まるか、見たかった...」
言葉のひとつひとつが、体に染み込んできては、理解されぬままに行き場を失った。
「......ぁ...ぁ...」
悪阻が起こったように体がわなないた。
それだけの、たったそれだけのために、彼は故郷を滅ぼしたというのか。この悪夢を招いたというのか。
理解できなかった。したくなかった。あまりのショックに、混乱の精霊がそこに居座リ続けた。
ラーフェスタスの望んだ感情の精霊は、強すぎる衝撃に押え込まれて、姿を見せはしなかった。
しかし、それゆえにいっそう、彼は子に打ち込んだ楔の手応えを感じた。後の悦楽を思って、彼はほくそえんだ。
そのまま、ラーフェスタスは子をその場に残して、姿を消した。
暫らく気を失っていた子供は、半分麻痺したままの下半身を、ずりずりと引きずりながら、歩いた。
杜は一帯が全て焼け、燻った建物や樹木が、むせそうな臭いを漂わせていた。子の知っていた穏やかな杜の面影は、全くない、そこは廃虚だった。
内臓のはみ出た、衣服を剥ぎ取られた、耳の無い死体が、虚空を睨んでいた。ほとんどが見覚えのある顔だった。小川の端に、細く白いエルフの身体が積み上げられていた。妙に手足が長く、枯れ木の束のように見えた。
その荒涼たる様をみて、徐々に、ラーフェスタスの所業の重さがのしかかってくるのだった。
はじめて、精霊の声が聞けたときに、お祝いだと、ラーフェスタスにもらった、彼の手作りの小さな小物入れ。何の変哲もないものだったが、黒く焼け焦げたそれをみて、子供はすべてを失ったことを知った。
ふいに憎悪が爆発して、ボロ布のようになった体に活力を注ぎ込んだ。
エルフ達の中で、自分に優しさを見せていた唯一のひと。彼が父たる者を手に掛けたとしても、信じていた。
「...許さない。 ..絶対に、許さない――」
子供はそこを後にした。ただ、ふらふらと、さまよった。自分がどこへ行くのかもわからなかった。憎しみだけが、動力となって、当てもなく子を動かした。そこにいると、その瘴気に包まれて、自分も消えてしまいそうな気がした。
雑草を食べ、湖沼の泥の上澄みをすくってがぶがぶと飲んだ。
身体中がぎしぎしと痛んだ。とくに下半身の、杭を打ち込まれたような鈍痛が、いつまでたっても消えなかった。股を伝う血が、止まらなかった。 ただ、重い体を引き摺りながら、歩くだけだった。
◆◆◆
仕事をおえて部隊から離れ、一人になろうと、レイドの傭兵、キースリングは、ルミオル湖の湖沼の岸までやってきた。そこで彼は、半分水に浸かった状態で倒れているハーフエルフを拾った。自分たちが責め滅ぼしたエルフの集落の、生き残りだろう。餓死寸前で、骨と皮だけになっていたのを、ひとまず息がある事だけ確認して、近くの洞窟に寝かせた。
子供の意識は戻ったが、なにを食べても吐き、下痢が止まらず、そのままでは間違いなく衰弱死するだろうと思われた。彼は野外の旅の経験から、生存術には長けていたが、病気自体に関しては、薬草を探すぐらいの事しかできなかった。街につれていこうにも、病気のハーフエルフの子供など、厄介なだけだった。医者を呼びにいくにも、その間に死んでいるだろう。ここで逝かれても、後味は悪いが、それまでのこと。せめて死ぬまではそばにいてやろう。彼はそう思った。
しかしうらはらに、子供は、生と死の淵を数日さまよってから、回復した。子供自身が吐きながら一方で薬草を飲み下し、弱り細った胃に、無理矢理栄養を摂り込んだ。生きる事への執念がそこにあった。命ってのはわからぬものだ、とキースリングは思った。
その後、彼は、そのハーフエルフの子供を、レイドの傭兵の訓練所にほうり込んだ。苛烈な訓練で有名な所で、大の大人も悲鳴を上げるような場所だった。剣を握った事もなかったひ弱な子供はの手は、すぐにつぶれた豆だらけなった。怒号と卑猥な罵声とあざけりの嘲笑に踏みにじられながら、子供は相手を睨み付けて耐えた。剣が握れなくなると、布で縛り付けて固定して、ぶっ倒れるまで組み手に向かっていっては、打ち付けられ、吐き、意識を失った。誰よりも貧弱だが、そのへこたれなさと負けん気にだけは、目をかけられた。それ故に風当たりも強かった。ハーフエルフに対する蔑視は、それを自分たちの発散の道具としている分、人間のほうが性質が悪いように感じた。
やがて、人がましく剣を振るえるようになり、訓練所から出てきた子供は、キースリングについてまわった。命の恩人だから、という殊勝な理由ではなかった。ただ、彼のそばなら自分は生きていけると感じたからだった。ほかに、身寄りのないハーフエルフの餓鬼を世話しようなどという物好きはいなかった。キースリング自身も、ついてくるなとあしらった。しかし、子供は、撥ね退けるのなら最初から拾わなければよかったんだ、と食い下がった。
キースリングは、自分を死神だ、自分に付きまとうといずれおまえも死ぬ、といった。彼は斥候だった。一時の貧困から逃れるために、自分が情報をもたらした戦争の所為で、故郷においてきた妻子を失った。傭兵になってから戦場で得た友も、次々に失った。剣の腕は立ち、契約の割り切りの敵に対する無慈悲さから、周りからも一目置かれていて、その死神の二つ名を囁かれていた。彼は、自分の過ちから大切なものを失い、結果、死に場所を探すような生き方をしていた。
しかし、子は、剣だけではなく精霊と話もできる、きっと役に立つと、言い張った。キースリングは、貧相なハーフエルフの子供に、確かに宿る目の光の強さ、復讐への執念をみいだした。結局、死んでも知らん、勝手にしろ、となった。自分たち壊滅させたエルフの杜の生残りに対する罪滅ぼしとでも、思う事にした。おれはこいつに殺されるのかもな、と漠然と思った。
ある期間一緒にいると、それなりに相手に対して愛着というものが出るものらしい。子供の最初の戦いは、妖魔の討伐だった。二人は生残ったが、子供は初めて自らが、他の命を手に掛けたことに耐えられなくて、吐いた。
キースリングは、紅い朱房の紐で止めた、小さな木箱を持ち歩いていた。それには、彼の妻と、最初の子供を結んでいた、へその緒が入っていた。 彼は、誰にも見せた事のなかったそれを、青い顔をして蹲るその子供に、見せた。生きていたらお前ぐらいの年だ、といった。それを見て、子供は、彼が死に場所を探している、などと口で言いながら、本当はとても命を大切にしているのだ、と感じた。
子供は、「わたしがおまえの子供だったらよかったのに」といった。
すると傭兵は、「なら、今からなれ。」と言った。
それからは、傭兵の傍らが、子供の居場所となった。
キースリングは、もはや死神ではなくなった。彼は護るものを再び手に入れたことを知った。彼は引退を決意した。すでに契約していた次の戦で、席を退く心つもりだった。
キースリングと子供のいる部隊は、ノミオルの南の、鬱蒼とした森の中にあった。引き続き、付近に棲む妖魔達の討伐のため部隊だった。エルフの杜に襲撃をかけた一隊の、まだ命のあったほとんどの者がそこに集まっていた。子供に、自分達の故郷を滅ぼした者達への怨みが無いはずはなかったが、キースリングの手前、それは抑えておけた。それに、本来の虐殺者に対する怒りのほうが、よほどに強かった。
ゴシュゴラテは鬱陶しそうに、ハーフエルフの子供を見た。部隊の他の者も、何故そんなのがいるのかと訝しがったが、子供が精霊を操るのをみて、みな許容した。
そこに、ラーフェスタスは、森に棲む植物の上位精霊に命じて迷いの森を作り上げ、部隊をさまよわせた。食料が尽き、野草を食する他はなく疲弊した所に、彼は夜闇のなかに、突如として炎と共に来襲した。
彼の育てた子が、心を寄せたものを、見、奪うためだった。子の心を寄せる者は、彼一人で十分だった。
突如現れたエルフの、愉しげに笑うその表情に、傭兵達は虐殺の亡霊を見て取った。無数の矢を射掛けたが、全て彼を避けるように、はじかれた。 ラーフェスタスは炎の精霊王を用い、一帯を業火につつんだ。森を焼くという、エルフの倫理観からは考えられないような所業による罪悪感も、子の辛苦の表情を見ることを思っては、彼にとってはまた快感に転化された。
炎に包まれた樹木の枝が、にじり寄っては傭兵達を締め上げ、肉を焦がした。有機物が燃える、独特の臭いが立ち込めた。
「テメェは殺すよ、殺してやる――」
半分焼け落ちた枝の束縛の中で、ゴシュゴラテは黄泉の底から声を絞り出すように良い、怨みのこもった目でラーフェスタスを見据えた。
「お前のその憎悪は、心地よい。」
ラーフェスタスは、艶然とした笑いを浮かべながら、身動きできないでいるゴシュゴラテの片方の眼窩に、指を突っ込んだ。そして、鉤状に捻り、その球体を刳り出した。
無機的な水晶体が、炎に照らされて、ラーフェスタスの手の中から、彼を睨みつけた。ラーフェスタスは、それを口に含んで、コロコロと転がした。「テメェ、テメェは――」
ゴシュゴラテは、顔面の半分を血に染めながら、狂気的に、ケタケタと、笑った。
「こういう男は生きていたほうが、何かとおもしろい。」
彼は薄い唇を、愉悦の形に釣り上げた。
そのまま、ラーフェスタスは、本来の目的を達さんと、踵を返した。
キースリングとユーリャは、炎から逃れて走った。引退を決意した傭兵達に、部隊と命運を共にするという考えはなかった。ただ、今を生残る。それが全てだった。
しかし、炎は彼らのいく末に先回りするようについてまわった。
燻った黒い煙に巻かれて、息苦しかった。頭の中が、警鐘を鳴らすように、がんがんと響いていた。いくら息を吸っても、望んだ空気が入ってこず、もはや一歩も歩けないという状態で、ユーリャは膝を突いた。走っても走っても、炎に包まれた光景は途切れることが無かった。
キースリングは、炎に巻かれる前に、ハーフエルフを抱え上げ、さらに駆け出そうとした。
その前方から、ゆらりと人影が現れた。熱風になびく白い長衣をまとった細い影。新しい玩具の紐を今解こうとする子供のような、たのしげな笑みを湛えていた。
「エルフ!復讐か・・・」
キースは自分達が滅ぼした集落を思い起こした後、ユーリャを見やった。黒曜の瞳が、憎悪に爛々と耀いていた。子の浮かべる目の光の苛烈さに、彼は驚愕した。子の抱える憎しみと執念の原因が、まさに目前にいることを知った。
不意に、子ははじけるように彼の元から飛び出し、ようやく自らの手になじむようになった剣を手に、ラーフェスタスに向かって駆けた。
「コロス!!!」
ラーフェスタスはその刃を、わざと躱さず、自分の腕に受けた。薄い肉に食い込むその感触も、快感とばかりにそれを受け止め、もう片方の手でユーリャの髪を掴み上げた。そしてそのまま顔を上げさせ、額に口付けた。
そして、不意にそれから解放されたかとおもうと、周囲の樹木が忍び寄り、ユーリャを拘束した。それを解こうと、子供はあがいた。
「コレは、わたしのモノなのだよ。」
ラーフェスタスは、枝に巻き付かれた子の体を愛撫した。
キースリングはどういう意味だ、と眉を顰めたが、彼に子供への害意はないと見て、息をついた。
傭兵は両手で剣を正眼に構え、すぅ、と息を吸った。瞬間、バネのようにはじけ、超人的な速さでラーフェスタスを薙いだ。
しとめた、とおもった。しかし、目の前の男は、弱い風に撫でられたように、平然とし、その表情を崩さなかった。剣の手応えは、なにかにからめとられるかのように、失せた。何故自分の剣撃が効かないか、キースが驚く間に、ふわり、と、エルフは風に舞うかのような動きで、その脇を摺り抜けた。
垣間見た、エルフの壮絶な笑みに、身の毛がよだった。
瞬間、赤橙色の炎が、渦を巻いて巻き起こった。
傭兵の姿が、一瞬でそれに包まれた。
キースリングは、地面に転げて、のた打ち回った。消そうともがくが、炎はますます大きく苛烈になり、彼を焼いた。
ぶすぶす、と、肉の焼けるいやな匂いがした。
「キースーーーッ!!」
束縛の下から、子供は喉がはちきれんばかりに叫んだ。何とか自分に絡み付く枝を引き千切ろうと、もがいた。
炎に包まれた傭兵は、子供の元に這った。気が狂いそうになる灼熱の中で子供を束縛から解こうとした。
衣服が焼け落ち、髪が焦げ、身体の組織を焼かれ、キースの褐色の肌が炭化し黒ずみになっていく。
「いや...いやだ...」
目の前の光景を拒絶しようと、子供は首を振った。息が詰まって空気を吐き出せなかった。
「ユーリャ・・・」
キースの全身が痙攣した。炭化していくその唇が、動いた。
「おまえは・・・生きろ・・・」
それが最期だった。
炎に揺られながら、黒い塊が、どさりと倒れた。
子供は、声にならない絶叫を上げた。
戦慄、慟哭、拒絶。 これまでに無い強い強い感情が、子供の中で荒れ狂っていた。
「殺す!殺す! 、お前は絶対に、殺す――!!」
子供は、束縛の中で這いつくばり、視線で殺せるなら、とばかりに睨み上げながら、そう叫んだ。それは、いかに迫害されようとも、エルフから染み付けられた命への倫理観から、それまでは誰にも絶対に出したことのない言葉だった。
ラーフェスタスは、その激情のほとばしりを、この上なく心地よげに、受け止めた。これこそが、自分が望んだものだった。誰よりも強い感情。自分だけに向けられるもの。はかない愛などよりも、永遠にこそ、残りうるもの。
ラーフェスタスは、陶酔の表情を浮かべ、微笑んだ。
「オマエの内なる精霊たちは、自分自身が傷つくよりも、
自分の大切な者を壊されるときのほうが、良い色に染まる...」
その瞬間に、子の涙は枯れた。
「だからオレは、オマエの愛するモノ全てを、ひとつひとつ、破壊していこう。」
その瞬間に、子は人と触れ合うことができなくなった。
「オマエが世界を愛するというなら、
オレはその世界をも灰燼に変えてみよう。」
その瞬間に、子に絶対的な恐怖が刷り込まれた。
「そしてその瓦礫の上でこそ、
オマエはオレを愛するようになる。永遠に。」
水が乾いた砂に吸い込まれるように、その言葉は、一言一言、子供の脳裏に染み渡っては、深淵に楔となって深く穿たれた。
ラーフェスタスは、悦びの表情のまま、なにかの誓いをするように、子に接吻した。
対して、子供は、枯れた涙の痕を頬にこべりつかせて、爆発させた感情の後は何も残らなかったかのように、ただ、放心しているのだった。
◆◆◆
「なんてことだ・・・」
焼け野原と変わった自らの故郷をみて、リスートは嘆息した。
リスートは、旅に出ていた。それが、破局から彼を救った。
「リスーティアルハイノス」
黒く炭化した木々の影から、自分を呼ぶ声がした。
彼の友、ラーフェスタスの、くすんだ灰色の長い髪が、風に巻かれてなびいていた。彼の腕には、意識の無い、闇の色の髪のハーフエルフが、抱きかかえられていた。
「・・・君なんだね。この有り様は。」
リスートは尋ねた。 それは、確認だった。
不思議と冷めた感覚の中で、彼は妙に納得していた。狂気的な妄執をときおり露にしていた彼の友ならば、いつかこういうことをやるだろうというという予感があった。
ラーフェスタスは、子供を、灰のこべりつく大地に横たえた。
そして、彼は、瓦礫の中から、煤けた鞘に収まった、一降りの剣を掘り起こしてきた。そこは、子の母、アーウェが生前に住んでいた所だった。すらりと抜かれ、細い月の形をしたその曲刀の刃は、灰燼の中にあって、なお冷たい光を放った。
「それは・・・まだあったんだね。」
リスートの声が、心なしか鋭さを帯びた。それは、エルフの造りのものでは到底無く、相当に離れた地方のものであることが一目で見て取れた。里から姿を消した、彼らの愛したアーウェが、戻ってきたときに抱きかかえ、決して放そうとしなかったもの。――彼らから、彼らの愛しい者を奪った、人間の所持品。
彼は微笑み、曲刀をユーリャの傍らに置いた後、壊れ物に触れるかのように、子の頬を撫で、そのまま立ち上がって背を向けた。
「そうして君はこれからどこへいくんだい?」
リスートは尋ねた。
「傷ついたモノには、修復の期間が必用だ。たった一つのものを壊してしまっては、元も子もない。磨き、手入れし、育て、最後に手にする甘美な美しさを夢想することにこそ、えもいわれぬ快楽があるのだよ...。」
細めた目で視線を流して、陶然と、彼は言った。
「それでその愛しい者を、放っていっていいのかい?」
男の考えに底冷えし、同時にどこか同調するものを感じながら、リスートは言った。
「箱の中に入れたままでは、いずれ燻る。磨かれてこそ初めて、モノは本来の内にある輝きを見せるのだよ。」
ほんとうに、愉しげに、ラーフェスタスは微笑んだ。
その場に、友と、剣と、彼が育てた子をおいて、そのまま彼は姿を消した。
リスートは、意識なく横たわる子を、じっと見た。整然とした呼吸を確認すると、彼もまた再びその場を後にした。二度と、振り返ることはなかった。ただ、荒涼とした思いとそれにそぐわない期待が、彼の内にあるだけだった。
ただ一人横たえられた子の傍らの、緻密な装飾のされた曲刀。
それには、どこの地方のものかわからない、文字かどうかすらもあやしい、異文化の独特な文様が彫り込まれていた。
そしてその横には小さく、人間の文字で《リヴァース》という名が、刻印されていた。
いまだ燻っている忌まわしい火をかき消せといわんばかりに、風が、哭いた。
終わりではなく、それが始まりだった。
◆◆◆
一つの異種族の里と、一つの傭兵の小隊が炎の中に消えたことは、大局の歴史の中に埋もれるにすぎない、ひとつのよくある、終劇であった。その当事者たちを除いては、時と共に、忘れ去られてゆくものだった。ただその陰に、一人の男の喜悦の笑みが、浮かび上がっているのだった。
――この後、ノミオル湖畔にて、ロマールが伝統的な長槍歩兵によるファランクス(密集隊形)により、レイド軍に圧勝し、一つの帝国が滅びる。その歴史的な戦いまで、なお数年の歳月を要した。
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