No. 00197
DATE: 1999/06/04 00:23:02
NAME: リスート
SUBJECT: 彼は平穏を求めていた。
彼は、平穏を望んでいた。
※このエピソードは◆華燭の台座◆との繋がりがあります。そちらをお読みになった後だと更なる理解が得られるやも知れません。
登場人物
リスーティアルハイノス(リスート)……ノミオル湖畔の杜で生まれたエルフ。
ラーフェスタス……リスートの幼なじみであるエルフ。リスートが生まれた杜の長老の息子。
アウェノヘルペース(アーウェ)……リスートとラーフェスタスが想いを寄せるエルフの女性。
ユークリュアス……アーウェと人間との間に生まれたハーフエルフ。
彼はとあるエルフの杜に生まれた。
それはごく自然なことであった。彼はエルフであるのだから。
その杜で時を過ごした。外の世界を知ることもなく。…知ろうとしなかったから。
興味を抱くことはあれど、その興味は自らのうちに秘めることが出来た。
だから彼は外の世界を知ることはなかった。
ある日、冒険に出ていた1人のエルフが帰ってきた。
名はラーフェスタス。彼の幼なじみである。
杜よりの追放を受けていた友。
二度と会うことはないと思っていた。自分が杜の外へと出ることはないと信じていたが故に。
彼が密かに想っていた女性が彼の友を杜へと引き入れた。
彼が思いを寄せていた女性――アウェノヘルペース……アーウェ。
彼女が彼の友を引き入れたこと自身に対しての深い感情はなかった。
しかし、彼の友が彼女に対して好意を寄せていることが分かると、彼は不意に激情を感じた。
その激情は彼を苦しめた。何であるのかは分からなかった。
ただ、彼の友の強さに憧れた。
その強さがいかなるものであれ、ただそれに憧れた。彼にはないものだったが故に。
彼は求めた、力を。
友の境地に達しようとした。友の感情が知りたかったのかも知れない。
何故、自らが愛している彼女に想いを寄せるのかが知りたかった。
しかし、彼がその強さを得る前に、彼と彼の友が思いを寄せていた彼女は杜を去った。
彼は嘆き悲しんだ。その悲嘆が意味するものがただの悲しみだったのかは今では疑問なのだが。
彼は去っていったモノに執着した。
彼は彼女を追っていった。愛するが故。
外は単なる恐怖の対象でしかなかったが、彼の友が帰ってきたことが彼が杜を出ることの一つの引き金となった。
果たして彼女は見つかった。
長い旅を経て、彼自身が確かに絆を感じられるような仲間を得た頃に。
しかし、彼女は正気を保ってはいなかった。
彼は村へと彼女を連れ帰り、献身的に看病をした。そして正気に戻った彼女に、連れ戻したのが自分であることを告げようと思った。
彼女は死んだ。
ふと、こんなことを思い出す。
昔、一つの玩具を見た。
板が数枚ちぐはぐに紐でつながっていて、端の板に棒がついている。角度を変えると、ぱたぱたと、板が音を立てながら繋がりを交換し、おちていく。また、角度を戻すと、板の繋がりは元になる。そんな玩具である。
ただ、彼がそれを見つけたときには、すでにそれは要とも言える紐が切れ、うち捨てられ、泥にまみれていた。
彼はそれを拾った。
彼の友のものであることを知っていた。
前に自らも欲しいと思った。しかし、言い出しはしなかった。自らが望むべきではないと思ったから。
それがここにある。壊れているとはいえ。
彼は直そうと思った。
皆は直せぬと言ったが、彼は直せると言った。
初めて自分で何かをしようと思った時であった。
ただ、このことを彼の友には知らせなかった。
彼の友の持ち物を彼が欲しがっていたことを知られたくなかったが故。
何故知られたくなかったのかは分からないが。
では果たして、彼が直そうと決意した玩具は直ったのか?
否。
彼の友が壊した玩具は直らなかった。
彼女は死んだ。彼女を奪った1人の人間の男の、子を産み落として。
子はユークリュアスと言った。黒曜の瞳と漆黒の髪を持つハーフエルフ。
その色は、彼が愛した彼女のものとは違った。
彼は興味を持たなかった。持ちたくなかったが故に、かもしれない。
そもそも、子はハーフエルフであった。偏見は彼の中にも少なからずあった。
だから、彼は接触を持たないようにしようと思った。
彼の興味は他へと移った。
彼が愛した彼女を奪った外の世界へと。
外の世界について、彼は最も情報を持っているであろう、長老のもとに通った。
そこには彼女の子がいた。
彼女とは似ても似つかない彼女の子がいた。
彼女の子と関わるのを彼は望まなかった。
彼女以外に、彼の平穏に付き添うべき者はいないはずなのに、彼女の子を代わりにしようとする自分があるのが分かった故に。
その自らと闘うことを厭っていたが故に。
村にいる限り、村で知識を求める限り、彼はその苦を背負わねばならなかった。
その苦を子のせいにして責めることもあった。
子の憎悪は主に彼に向けられた。彼が子に向けたのが偏見による単なる嘲りだけではなかったが故。
彼が子に見せた感情はそれまでに子が見てきたどの者のそれよりも激しかった。
ただ、その全てに対し、子は嫌悪を感じた。
子の拒絶を感じることは彼にとって苦痛を伴った快楽であった。
彼女であるが、彼女でないもの。
彼の中での子への感情は変わっていた。
外の世界への興味は増していたが、そのいつまでも変わらぬ快楽を捨てようという気にはなれなかった。
時が過ぎ、彼女が死んだ失意に失踪した彼の友が帰ってきた時、不変と思われた悦楽は変化を来した。
子の情は彼の友へと移った。
彼が杜にいる理由はなくなった。
故に彼は杜を出た。
未練はなかった。子と同様に自分に激情を向けてくれる者が外の世界にいることは知っていたから。
彼は確かな絆を得たと思っていた昔の仲間を訪ねた。
仲間は彼を歓迎したが、彼と数刻話すうちに、彼が変わったと言った。
エルフである自分が変わったと言われることに対して、彼は衝撃を受けた。
自分はただのエルフだから。何の変哲もないエルフだから。
彼を見て、1人のエルフが彼を心配した。
その感情に彼は居心地の悪さを感じた。
そして彼は自分が変わったということを自覚した。
彼はその日のうちに仲間の元を去った。
彼は激情に飢えていた。
彼は飢えを凌ぐために、知識欲でその飢餓を押さえつけようとした。
知りたいことはいくらでもあった。人、エルフ、ハーフエルフ、この国、この大陸、この世界…
しかし、知識を得るたびに彼の餓えは深まっていった。
ある日、興味本位で寄った酒場で、激昂する少女を見かけた。
ぞくぞくするほどの感情の精霊を感じる。
抑えていた飢餓感があふれ出した。
彼がその少女と接するたびに、少女は彼に激情を見せた。
彼は少女に付きまとった。
少女が自殺するまで。
少女からの感情が感じられなくなった。
彼は嘆き悲しんだ。
壊したのが自分であるが故に。
彼は誰にも邪魔されない時と場所が欲しいと思った。元の自分に戻るために。
彼が思いつく時と場所は彼の故郷以外にはなかった。
故に彼は一度故郷の杜に帰ることにした。
そこは焼け野原だった。
今なお死に続ける草木に宿る精霊たちの悲鳴が聞こえる所。
彼の故郷の杜。
戦火に巻き込まれた自らの故郷を見ても、彼の心には特別な感情はわき上がらなかった。
ただその事実を受け止めるだけ。
そこには彼を刺激する感情がないのだから。
「リスーティアルハイノス」
黒く単価した木々の影から、彼を呼ぶ声がした。
「君なんだね?この有様は」
言いながら彼が振り向くと、そこには意識のない半妖精――すなわち子、ユークリュアス――を抱きかかえた彼の友がいた。
振り向きながら、単なる確認としてリスーティアルハイノスはそう言った。
「洞察力が高いのは、すばらしいことだ。
おまえはいつも、わたしが何も言わずとも、全てを飲み込んでくれる。」
ラーフェスタスは穏やかな微笑を浮かべた。
「ただ1人のために、か。素晴らしい愛だね。きみのソレは」
抱きかかえられている未だ幼いハーフエルフを愛おしげに見つめながらリスーティアルハイノスは言った。
「愛。」
クッ、と、嘲笑するように、ラーフェスタスは笑んだ。
「そのように儚いもののためではない・・・」
「だろうね」
髪を掻き上げながらリスーティアルハイノスは即答する。
そして彼は彼の友に背を向けながら言った。
「その永遠は続きそうかい?」
「続く、のはない。続ける、のだよ。
永遠にこそ続く平安は、みずから舞台を整えてこそ得られるもの。ただ手を拱いているだけではその手に収まるべきものも素通りする」
「羨ましいよ。ぼくにとっての唯一無二たる平穏は二度と帰らないからね」
リスーティアルハイノスはそう、ただ淡々と返した。
「戻らねば再び、作れば良いだけのことだが、失うほどに、ソレに対する憧憬は大きくなる。今度の玩具こそ、望みのモノとなりそうだ。もう手放すことはない」
腕の中のその者を見やって、かれはいっそう艶然とした笑みを浮かべた。
「ぼくのは、見つけたのだがね。今度は自分で壊してしまったよ」
リスーティアルハイノスの浮かべた笑みはただ陰鬱な印象を与えた。そして自問するように呟く。
「元の自分を取り戻そうかと思ったのだがね。どうも無理になってしまったようだ。このまま生きていいのかな?ぼくは」
諭すように返す、彼の友。
「愛しき玩具ほど、それが傷つき壊れていく過程は、艶めかしいものだ。そうして根本にある最も美しいものがみえてくるのだよ。それを見ることに、充分永き命を費やす価値は、あまりある。」
かれは、いとおしそうに目を細めて、友を流し見た。
「何でも壊れかけが美しいよ。きみなら分かっていると思うけどね」
死して動かない彼の母親であったものを手に取りながら彼は言う。
「果実は熟し、腐り落ちる前がもっとも味わい良い。
その直前の最も良い姿を保たせるには、相応の手間が必要だ。
そのいとまもまた、永遠に手にしうる美しい果実の感触を思うと、悦びとなるのだよ。」
ぱきり、と、かつては彼の同族であったモノの白き骸をラーフェスタスは踏み砕いた。
「きみはその一つの熟した果実を得るために他の果実をその枝から切り落としたか」
リスーティアルハイノスは彼の友に背を向けると歩き出した。
「ぼくは多くの果実を味わおうとするね。
一つの永遠を求めるのはぼくにはもう無理だ」
「わたしは謙虚なのだよ。一つあればそれでよい。ただ、好みがうるさくてな。
お互いの嗜好が衝突しないのは、悦ばしいことだな。」
「そうだな」
彼は微笑んだ。
ラーフェスタスは、リスーティアルハイノスに背を向けると、瓦礫の中から、煤けた鞘に収まった、一降りの剣を掘り起こしてきた。
そこは、子の母親が生前、住んでいた所だった。
すらりと抜かれると、その剣は、灰燼の中にあって、なお冷たい光を放っていた。
彼は、子を、灰のこべりつく大地に横たえ、その傍らにその剣を置いた。
「まだあったんだね」
友が抜いた剣を今までにない鋭さで見つめながらリスーティアルハイノスは言った。
「傷けたモノには、修復の期間が必用だ。
壊してしまっては、元もこもない。」
ラーフェスタスはそう、たのしげに微笑んだ。
傍らの剣には、どこの地方の物かわからない、文字かどうかすらもあやしい文様と、人間の文字で「リヴァース」という名の堀込みがされていた。
「甘い時だけ啜るんだね、きみは」
ゆっくりと杜を、かつて彼の故郷であった杜を見渡すと、リスーティアルハイノスは言った。
「そうなるまで手入れし、育て、最後に手にする甘美さを夢想することに、えもいわれぬ快楽があるのだよ...」
細めた目のまま、陶然と、ラーフェスタスは言った。
「貪欲に啜りきり、干からびさせては、愉しくない」
「ぼくはそこまで忍耐強くないね。
その快楽を知ったときがぼくの最期だろうからね」
目を細め、去りつつある友を見つめつつ、リスーティアルハイノスは言う。
そしてラーフェスタスはユークリュアスと剣をリスーティアルハイノスの所に置いて去った。
彼の友が去りし後に遺されたモノの一つとして、彼は行動を起こした。
悠然と横たわる子と剣に近寄ると、彼はおもむろにその剣を手に取った。
それを抜き放ち、刀身を眺めながら重さを確かめる。
そして子を見つめると彼は倒れている子の上体を起こし、剣を握らせた。
剣を握った子の手の上から彼も自らの手を重ね、きつく握りしめる。
そして彼はその剣で彼自身の逆腕を浅く裂いた。
うめく子へとしたたり落ちる彼の血を見つめながら彼は1人呟く。
「きみが最初に激情を向けた者として、その剣の持ち主に愛する者を奪われた者として、ぼくはきみがその剣で最初に傷つけるものとなりたい。
これはぼくの傲慢かな?」
血で赤く染まる子の顔を愛おしげに見つめ、彼は子の手を離した。
「次に再会するときのきみが早く見たい。
きみが彼の永久なる平穏となるまで、ぼくはきみを見ていたい」
紅く染まった腕を押さえると、彼はきびすを返し、去った。
そこに子を置いておくことに対しての懸念はなかった。
子は生きるのだから。
それは決まっていること。決して変わらない真実なのだから。
焼け野原と化した彼の失われた故郷たる杜を後にした彼は盗賊ギルドへと入ることになる。
人の裏を、社会の裏を見たくなった。ただそれだけで。
そこには彼が求めている者がいた。すなわち彼に激情を向ける相手。
彼は自らの飢えを満たしていった。
故に狙われた。殺されかけたことが2度。
変化に富んだ生活。
彼はエルフとしての生活を忘れた。
そして時は過ぎる。
彼にとっての時、それは既にエルフとしての価値観とは遠く離れている。
彼には平穏がやってきた。
彼にとっての平穏、それは既にエルフとしての価値観とは遠く離れている。
彼には深い絶望、いや失望があった。
彼は組織を去った。自らの死を偽装してまで。
組織を去り、そして彼は人身売買の組織の商品となることを選ぶ。新たな変化を求めて。
人と同じ身分立場を嫌ったのだ。傍観者となった彼は、とことん自らの身を貶めてみようと考えた。
彼はオランへと運ばれる。
彼の求めた変化はすぐに平穏へと変わった。
新たな土地に着いた。そのことは彼をまた刺激した。
外へ出る。彼は新たな変化を求め、飢えを癒そうと、外へ出た。
そして彼はオランで子と友との再会を果たすのである。
その後、彼は半端な破壊をくり返す。彼の信念に従って。
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