No. 00199
DATE: 1999/06/05 06:03:47
NAME: シルビア
SUBJECT: ユーティリタリアン
ユーティリタリアン−完全功利主義者
『私の中では、常に二つの正義が戦っている。』
・・・幸福は快楽に他ならず、もし行為が快楽を促進するのに役立つなら善、苦痛を増長するならば悪である。功利の概念は経験論に由来し、善悪は動機ではなく、結果の問題である。
『人間は、すべてひとしく一人として、計算される』
知識は感覚と記憶に基づく。知能は神に与えられたものであるが、感覚とは、外部の精霊よりの刺激が内なる精霊を反応させ、生理的な運動として神の与えたもうた頭脳に伝達されたもので、思考と実存とは一致しない。刺激が感情を、感情が欲求を生み、欲求が自動的に内なる精霊意志(利己心)を支配する。欲求される快が善、嫌悪される苦が悪である。意志の自由や客観的価値は存在せず、自由は欲求の満足を求める行為が、外的妨害を受けない事である。
『ベルム・オムニウム・コントラ・オムネス。(bellum omunium contra omnes.)』
『生』とは、万民の万民に対する戦争状態である。
それを許してくれる神々よ・・・。一つ一つの生き物それぞれに慈悲を。
それに荷担してくれる神々よ・・・。大いなる幸福を目指す力を。
・・・私がロマールの高司祭に拾われた時、ファリスを信じる誰もが溜め息をついた。「ああ、なんだ。敵国の、異教徒の、異端の、混沌の、・・・」と、溜め息を吐いた。
誰の溜め息も自分がそこに居る事には何の意味ももたらさなかった私にとって、躊躇う理由にはならなかった。ほんの少し、生きるのに不利になると、考えたりしていた。しかし、たった一つの救いを確実に求めていた。生まれてはじめて感じた「嫌悪」・・・、いや「憎悪」と呼ぶのか。理由の理解不能な感覚から逃れられぬのであれば、せめて肯定して欲しかった。
何故だかよく分からない。
・・・だけど・・・
「憎くて、憎くて、苦しくて仕方ないのです・・・。」
ファラリスの下僕達をそう呼んだ私に、至高神ファリスは理由の分からぬ手を差し伸べたのだった。新王国暦501年の事である。
当時11歳・・・、ロマール国境周辺の村で出会ったファリスの宣教師に渡された、一枚の喫印付き紹介状が、聖印の輝く門の下で私の命を救った。私と、私の身の上を語った乳母ナジェイラを取り囲む神官戦士の列が下がった時、門の奥より姿を見せたのは、ロマール在住のファリス高司祭、バルトロメーウスであった。
・・・以来、私が父や母に習った、「名義の効力」が効かなかった事はない。私が出会ったのは高司祭。高司祭は私に興味を示した。私は有利だと考えた。
子供の居ない高司祭が、私を養子にするといった時、誰もが溜め息を吐いた。「ああ、ファンドリアから来た厄災が、ファリス名家の銘を受けてしまう」と、溜め息を吐いた。皆が溜め息を吐き、皆が高司祭に逆らえなかった。私は、ああ、有利なんだ、と、考えた。
高司祭は、名実共に私を確実なファリス教徒へと教育しようとした。彼は、私にカリスマがあると言った。確かに、私の容姿は人目を引く。有利なんだと、知っていた。教育しようとして、高司祭は溜め息を吐いた。・・・やっと、私の摩訶不思議な反応が理解できたという。興味は利益と考えていた。生きるのは自分のため、と、教わっていた。
司祭は一本の薔薇を私に見せる。私は微笑んで、「まあ・・・、なんて綺麗な赤い薔薇。」と、答える。司祭は溜め息を吐いた。一番最初に、何を感じたのか、と、聞く。
・・・少しずつ、出来上がっていった、父と子の様な信頼関係が、少しずつ私の「本当の答え」を導き出していった。努力せずとも、この人間からは利益を引き出せる。そうだ、この関係が崩れぬ方法はある程度予備しておこう、と。
「赤と緑。」
答える私に、司祭は溜め息を吐いた。
その次に何を感じたのか、と、聞く。
「薔薇。」
答える私に、司祭は溜め息を吐いた。
その次に何を感じたのか、と、聞く。
「使う。在るから。」
答える私に、司祭は大きく溜め息を吐いた。
そうして何を考えたのか、と、聞く。
「間を持たせるための話術。好印象の手段。信用問題の向上。後々の利益の増進。」
答える私に、司祭は溜め息を辞めた。
そうして、信用問題とは何か、と、聞く。
「使う。在るから。」
答える私に、司祭は溜め息を吐いて見せた。
そうして、それをどう思うのか、と、聞く。
「不利だから、改善したい・・・。」
笑顔を作る私に、高司祭は司祭帽を投げた。
司祭は、私にある「ファラリスへの憎しみ」が人としての真実である、と、説いた。私は、ファラリス信者に公爵家を追い出され、父も母も失い、城も忠臣も、・・・生きるのに必要な全て、奪われたのだから、私にとって、彼らは利益を奪う敵である、という認識になって当然だと考えた。だが、元を正せば私にとって誰一人とっても、彼らと同じであるということだった。自分以外=自分じゃない。それ以外に、人に分かる事はない。違いって何?
・・・司祭はそれでも、私の再教育に信念を燃やした。
ある時司祭は、大怪我を負った兵士の部屋に、私を放り込んだ。酷い傷に巻く布を交換する場所を私に見せつけた。私は嘆き悲しんで、彼の手当てを手伝った。兵士は散々私に礼を言い、何時でも力になるといった。私はああ、有益だ、と、考えた。
その後、司祭は私を部屋に呼び、何を思って彼を喜ばせたのか、と問う。手当てならば、担当の神官で十分であると言った。司祭は私の頭を撫でて、「お前はそんなに手を煩わせなくていいのだ」と言った。私ははにかんで、どんなに彼が辛そうで放っておけなかったか、と、表現した。有利だと思ったから。
私が部屋を出た後に、司祭の大きな溜め息が聞こえた。
司祭は私と出会った頃、どのような環境でこんな人間を創り出せるのか、と溜め息を吐いた。私には「理性」が無く、「悟性」のみで生きているのだといった。物事を理解しても、価値判断しようとしない。美しい真珠を見て、「真珠だ」と考え、「真珠=美しい」という知識を導き出すが、心で物思う事があるのか・・・と。もしくは、感じる事がそんなに無意味だと教わったのか・・・と。
私が育った場所は美しかった。美しく、何も欠く事の無い世界であった。生きる理由は自分のため、と教わった。人の真実は、自らの悦のため、と育てられた。そのかわり、生きているうちが全てだ・・・と。死とは、自分が「無」になる恐ろしい恐ろしい現象だと。生きろ、と。自分の「居る事」を守り抜け・・・と。そう習ってきた。
生きる事は、人の欲望のぶつかり合いである。どれだけ自分の欲望を、他人の欲望に侵害されないか。どれだけ自分の欲望を満たし続けられるか。生きていく中で、これだけは誰にも負けまいと信じてきた。それが、私の生きる意味だから。そのためには、この世のありとあらゆる物から、取れるだけの利益を取りだそうと、そう思っていた。満たされる以外に、生きる理由は知らなかった。
そうして、「死」を恐れ、満たされ続ける「生」を生き続けられれば理想であると思い描いていた。
本気でそう語る私に、高司祭はファラリスの人生観に対する曲解を見出し、溜め息ではなく、涙をこぼした。司祭は私の全てを変えられたら、と、言った。私は、そんなに貴方に不利益な事を言ったか・・・、と考えを巡らせ、どこかで理解のできぬ動揺をした。
その頃から、高司祭と私の日々は、格闘と化した。
私は12になろうとしていた。
ある時司祭は、少々手荒な事をするが許せ、と言った。私はお前を信じるから、と言って、ロマールのスラム街に叩き込んだ。後の話によると、お目付けは放っていたそうだが、そのような者の手を借りる必要はなかった。私は「安全でない場所は、好きません」と答えたが、そのまま司祭は道の真ん中で私を馬車から突き落とした。そういう類の、無意味な横暴さは好かなかった。司祭は何かと好都合であるから、居座っていたが、理解しがたい横暴さの不利益が利益を上回るようであったら、さっさと別の人物の元へでも行こうか・・・と。実際、ロマールの伯爵級の信者で、その頃、私に熱を上げるものも居た事であるし・・・、などと考えるうちに、不清潔であり、飢餓状態の極貧民が私を取り囲んだ。私の纏っていた絹、宝石、そして手にした少しの金貨・・・、どれも、彼らの欲を満たすには十分である。掴まれようと、服を剥がれようと、十分に納得しつつ、しかしながら、私も私の利益を護っていいと考えていた。不埒な暴行受けつつ、状況打開の方法を考えていると、こんな時、普通の通行人は逃げ去るものであるが、力無さげないたいけな少女が襲われているとでも思ったのだろうか。名も知らぬ青年が、全力で戦い、全てその場の厄災の全てを追い払ってくれた。ふと、彼の顔を見やると、幾月も前に、私が手当てをした兵士であった。私は、どんなに自分が怖かったかを表現し、どんなに彼が勇敢だったかを表現し、涙ながらにすがり付いた。・・・完全に、勝利したと思っていた。そのまま兵士のマントに包れて帰る途中、ロイコス伯爵という例の信者に会い、その後新しい衣装を施されて神殿に戻った時、高司祭は絶句した。・・・そして、去り際に微笑んで伯爵にキスする私を見て、司祭は二度目の帽子を投げた。
とりあえずその夜、高司祭は私を部屋に呼び、ファリス神殿という神殿の性格上、公になると何かと君に不利益だから、ああいう事ははばかりなさい、と、私はとりあえずの諭しを受けた。
その頃から司祭は考えていたのだ。一度、私の価値観も何も、バラバラにしてしまう必要がある・・・と。そうやって、自分にだけすがって生きて行ける自信。世界の中でたった一人自分だけを愛せるプライド、など。・・・もっとも、私はそんな事など考えず、ただ、私の知っている事だけを続行していた。どれだけ自分の欲望を、他人の欲望に侵害されないか。どれだけ自分の欲望を満たし続けられるか。
YESと答える私の顔には、不本意なオーラが漂っていた。考えても見れば、私にとって、司祭は理由無しに私をスラムの真ん中に突き落とした人物である。諭しなどより、その理由のほうが、説明されない状況に不満を感じていた。司祭は有益。でも、理解不能ならばそろそろ去るか、と、考えていた。
司祭は、その時、私を見て、奔放なのか、縛られ過ぎているのか分からない・・・、と、溜め息をついた。
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