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No. 00009
DATE: 1999/06/12 03:38:17
NAME: カレン&ラス
SUBJECT: 娼館の夜<新麻薬事件関連>
「……で? 本当にやるつもりか?」
ゆっくりとカレンが口を開いた。窓際の椅子に腰掛けたまま、ラスがうなずく。
「ああ。…というか、やるのはおまえだけどな」
それを聞いて、溜め息をつきつつ、カレンがベッドに腰を下ろす。
「……女装だって? 俺が? …こんなでかい女、目立つだろ。おまえがやったほうがまだマシだ」
「だから、俺はメンが割れてるんだって。リゾとかいうゲス野郎どもにな。…ああ、そいつらの似顔絵、描いといたから、あとで見て覚えておけよ」
うなずきつつ、カレンはぽつりと呟いた。
「…そいつらに会わないような場所なら、ラスも大丈夫だよな……」
「へ?」
「……そいつらは…女好きなんだろう? 売春窟…春を売るのは女だけとは限らないしな…」
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深いブルーの、だが少々安っぽいドレスに闇色のショール。それに、ゆるやかに波打つ明るい栗色の髪。粉おしろいと真っ赤な口紅。…それらを身につけて、カレンが大きな溜め息をついた。
「…やっぱり…でかすぎないか? 俺じゃ?」
「ディックやシタールよりはマシだろう。女にしちゃあ、少し大きいってだけで、そんなに不自然じゃねえさ。それに、身長だけならアレクとおんなじぐらいだろ。……素敵よ、カレンちゃん」
ふざけた口調で、最後のセリフを付け足して、ラスがウィンクまでしてみせる。そんな相棒に、カレンはもう一度大きな溜め息をついた。
「…で? おまえの方はそれで変装終わりか?」
長い黒髪のかつらをつけて、いつもより派手めでだらしない感じの服装にしただけというラスの姿を見て、カレンが聞く。
「ああ。…こんなもんだろ。いざとなれば、髪で顔をかくしゃいいしな。ま、満足に武装できないのが辛いとこだけど」
「そうだな。ダガーくらいしか仕込めない。…それより、背中のボタンに手が届かない。頼む」
言われて、ラスがカレンのドレスのボタンに手をかけたとき、扉をノックする音が響いた。
「ラスさん、カレンさん。…ディックです」
扉の向こうから、聞き慣れた声がする。顔も上げずに、ラスが応じた。
「ああ、待ってたんだ。入れよ」
「おじゃましま………」
……いつまで経っても、<す>が聞こえてこない。ラスが顔を上げた。戸口で動きを止めているディックに、笑いかける。
「ああ、悪い悪い、変装してたんだった。…俺だよ、ラスだ」
「ああ…ラスさんですか……って、何してるんですかっ!? 変装はともかく! カイさんが、具合が悪くて伏せっているって時に、あなたは他の女性と……!」
腰のバスタードソードを抜きかねない勢いで、ディックが怒鳴る。彼の誤解の内容を悟ったラスが、カレンにそっと耳打ちをした。カレンがそれにうなずいて、ディックにそっと近づいていく。
「え? …あ、あの…貴女は…?」
当惑するディックには答えず、カレンはディックの目の前に足を進めた。困惑の色を深めていくディックの目を見つめたまま、カレンはその首にそっと腕をまわす。
…そこまでいって、吹き出した。
「……ぷっ!……だ…だめだ、俺…これ以上は………ははははっ!」
「何、吹き出してんだ、最後までちゃんとやれよ」
無責任な声をかけつつも、ラスもほぼ同時に吹き出していた。ディックが混乱の極みといった表情でようやく声を絞り出す。
「……あ…あの……」
「悪い! 俺だよ、カレンだってば」
「え? …カレンさんって……カレンさん!? …ああ、言われてみれば…うまく化けましたねえ…」
ようやく納得したらしいディックに、ラスがかつらと付け髭を渡す。
「ほら、おまえもこれをつけるんだ。…リゾ達に、メンが割れてるだろ?」
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……霞通り。倉庫街にほど近いそこは、いくつもの娼館が軒を連ねている。夜が更ければ更けるほど、その喧噪は増し、色硝子を透した灯りも華やかさを増してゆく。「石榴の館」もそんな店のひとつだった。
『借金を残したまま、両親が死に、自分にはもう体しか売るモノがない』という陳腐な身の上を語って、カレンはその店の中に入り込んだ。ありふれた身の上話ではあるが、だからこそ疑う余地もあまりない。女にしては少々背が高いのとハスキーな声が、あまり魅力的とは言い難いが、働き手が増えるのは悪い事じゃない。店の主人はそう判断した。背が高かろうと声が低かろうと、灯りを消してベッドに横たわればあまり関係はないのだから。
新入りということで、居並ぶ娼婦たちからいくつかの質問もされたが、適当に言葉を濁して、カレンは奥の方に陣取った。通りから品定めをする客たちからはあまり顔を見られない位置ではあるが、店の中に入っていく客たちの顔は見られる場所である。不自然ではない程度に、行き過ぎる客たちの顔に目を走らせる。同時に、店内の娼婦たちの会話に聞き耳をたてる。
「やぁだ、アレって……くすくすっ」
「…ウラシルねえさんってどこ行っちゃったのかしらね?」
「ちょっとちょっと、あっちの男、いい男じゃなぁい?」
「おにいさぁん、サービスするわよぉ」
忍び笑いと嬌声が、特有の雰囲気のなかで入り乱れる。あたりには甘い匂いが充満している。娼婦たちのつける香水の匂いだろうか。
(……うん? 香水とは違う…匂いが?)
疑念を気取られないように、表情はかすかな微笑みをたたえたまま、カレンは鼻腔の奥にまとわりつく匂いに考えを巡らせていた。
(この匂いは……幻覚剤の一種? 麻薬とまではいかないようだけど……そうか、ムーングラスの煙)
しばらく考えたあげくに、幻覚作用のある草の名前を思い出した。習慣性や中毒性はエールと殆ど変わらない、ごく弱い幻覚剤がその草からは生成される。乾燥させたムーングラスを燃やすことによって、独特の甘い匂いが立ちのぼり、それを吸い込んだ者に、酩酊感と浮遊感、そしてわずかな幻覚を見せる。
(娼婦たちの雰囲気作りと、客引きの作用か。…どっちにしろ、これぐらいじゃ酔うことはないな)
ふと、隣にいる娼婦に目を留める。ムーングラスのものだけではないらしい酔いが彼女を包んでいるのが感じられたからだ。時折、客に向けて嬌声をあげるものの、声には力が入っていない。
(酒か? それとも……)
そう思いつつ、カレンは彼女に声をかけた。
「……あなた、ここは長いの?」
その声に、とろんとした目で彼女が振り向く。
「…うん、長いわよぉ……あらぁ見ない顔ねぇ。新入り?」
「ええ、今日から。…カーリャよ、よろしくね」
「あたしぃサルヴィアっての。…あ、ねぇ、アンタ、お金持ってるぅ?」
「金持ちだったら、こんなとこにいないわよ。…どうして?」
自分の女言葉に背筋に悪寒が走ったものの、意志の力で鳥肌を押さえ込む。そして、サルヴィアがスカートのポケットから小さな包みを出すのを見守った。
「これね。すっごくいいのよぉ? ヤるまえに、キメとくとね、天国に行けるんだからぁ」
「…でも、高いんでしょ?」
「今ね、オタメシ期間なんですってぇ。だから、サービスしたげる。1回分で、20ガメル。安くみんなに売ってあげろって言われてるからぁ。この値段で買えるのは、アタシたちだけなのよぉ? それにどうせ、今晩、この1回分以上は稼ぐでしょぉ?」
目の前に突き出された小さな包み。それを持つサルヴィアの指は、ひどく白かった。病的なほどに。
(…安く振りまいておいて、広めるつもりか。どうせあと一ヶ月もすれば、値段は5倍10倍だな…)
「…う〜ん…じゃあ、1つだけ…ね?」
銀貨と引き替えに、包みを受け取る。一応、開いてみるが、先日この娼館に客として偵察に来た折りに手に入れたものと、同じかどうかは自信が持てなかった。
その時、カレンの視界に見覚えのある顔が映った。とは言え、実際に顔を見たことはない。ラスの描いた似顔絵で見ただけだ。自分の記憶とラスの似顔絵が正しければ、その顔は、きままに亭に乱入してきたという悪漢たちの1人だ。
(…ラスの腕を信じるなら……多分、あれは…ヴェッチ……)
ヴェッチと思われる男は、居並ぶ娼婦たちに形ばかりの一瞥を投げかけたあと、たむろする客の間をすり抜けて店の奥へと入っていった。
(無駄のない動き。…同業者かな? ……ラスの似顔絵…信じてみるか。裏切るなよ、相棒)
娼婦の品定め用の部屋から、奥の小部屋へと移動する。着替えをしたり、身支度を整えるための部屋だ。そこから、客の待つ個室へも行けるようになっている。人気のある、いわゆる「売れっ子」の娼婦達は、専用の個室も持っているが、そのほかは、空いている個室があれば、そこで仕事をするらしい。もちろん、ろくな鍵などついていない。
個室のある棟と、品定め用の棟とをつなぐのは、短い廊下とカウンターだ。カウンターの奥にはこの店の受付や用心棒たちがいる。ヴェッチは、そのカウンターで一言二言挨拶を交わすと、壁に掛かった鍵のひとつを受け取って、個室のある棟へと姿を消した。身支度用の小部屋から、それを確認したカレンは、そのまま扉の隙間からカウンターの方をうかがう。ヴェッチが持っていった鍵がかかっていた壁に視線を向けた。他にもいくつかの鍵がかかってはいるが、先刻の鍵がかかっていた場所にはは<3−黒>と札がかかっている。
(3…ってことは、3階だろうな。…あとで様子を見に行くか。…たしか、そろそろディックが来る時間だ。あいつが来たら、俺を買ってもらって、3階に行くとしよう)
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一方、霞通りの西側には、男娼たちがたむろしていた。男娼を専門に扱う娼館もあるが、それよりも、路上に立っている男たちのほうが華やかな様子である。灯りの下に、幾人かずつかたまって、それぞれ客と取引をしている。通り過ぎる客たちに、声をかけ、肩にしなだれかかり、甘い吐息を耳元に吹き付ける。娼館という囲いがないぶん、かなり大胆になっている者が多い。
「……さてと…」
小さく呟いて、ラスが歩き始めた。手にはワインを一本ぶらさげている。あたりに、一通り目を走らせ、目標を定める。ちょうど、その目標と目が合った。営業用の微笑みをそちらに向けて、近づいていく。
「…こんばんわぁ」
勝手に設置したらしい粗末な木のテーブルに、いくつかのグラスが置かれている。テーブルについているのは3人の男娼だった。彼らに声をかけて、持っていたワインをテーブルの上に置く。
「……何のつもりだい?」
赤毛の男が聞いてきた。他の2人も疑わしげなまなざしを向けている。営業用の微笑みを一層深くして、ラスが答える。
「いえね、ボクもこのあたりでお仕事させていただきたいんですよ。でも、やっぱり、先輩達に挨拶しないのって失礼じゃないですかぁ。で、このへんを見てみると、オニイサンたちが、一番華やかに見えたから、ご挨拶させていただこうと思って…これ、手みやげがわりです」
…勝手にテーブルを持ち込んで、くつろいでいるくらいだから、古株だろうと判断しての言動だった。そして、どうやらその推測は当たっていたようである。正面にいた、金髪の男が相好を崩した。
「ああ、そう。…話の分かる坊やじゃないか。気に入ったよ」
「もう、にいさんったら、いっつもそうなんだから。好みの男には甘いのよねぇ」
一番手前に座っていた黒髪の男が抗議の声を上げる。柔らかな女言葉ではあるが、声そのものが重低音ときては、背筋の悪寒はこらえようがない。
(…好みの……って俺かよ…? 勘弁してくれ。…ま、チャンスといえばチャンスだけどな)
試しに、微笑んでいる金髪の男に流し目などを送ってみる。前髪をかきあげつつ。…金髪の男は微笑みを深くした。
「いいじゃないか、こうして挨拶に来てるんだから、…オレはギリアン。あんたは? ま、ここに座れよ」
自分の隣の席を指して、ギリアンが言う。
「…じゃ、遠慮なく。ボクはトルドって言います。よろしくお願いしまぁす」
偽名を名乗りつつ、ラスはギリアンの隣に腰を下ろした。自分の猫なで声に若干の気色悪さを感じながら。
彼らがあれこれと、身の上などを尋ねてはくるが、ハーフエルフだからという理由を持ち出せば、ほとんどの事情は一気に真実味を帯びてくる。言葉に詰まっても、話したくないと言えばそれでよかった。
ある程度の質問が終わったあたりで、あらためてラスのほうから尋ねてみた。
「このあたりって、どんなお客さんが多いんです?」
「ああ、いろんな人が来るわよ。貴族っぽい人も召使いと一緒にお忍びで来たりしてね」
重低音の女言葉が答える。赤毛の男もうなずいていた。
「そうそう、気に入りのを4〜5人まとめて連れてったりしてね。金がある奴は、精力もあるのかねえ」
それに適当にうなずきつつ、もう一つ尋ねてみた。
「そういえば、このへんでイイのが売ってるって聞いたことあるんですけど」
「イイのって? クスリのこと?」
「クスリはヤバイよ。確かに、そのへんでいっくらでも売ってるけどね。俺達は手を出さないんだ。クスリでも確かにいい気持ちになれるけどさ。やっぱり、技で勝負したいもんね」
赤毛の男がそう言うと、ギリアンも大きくうなずいた。
「そうだな、やっぱりオレ達に必要なのは、見た目と話術、そしてテクニック。…トルド、クスリに興味があるのか?」
「あ? …ああ、いえいえ、ボクはやったことないですよぉ。友達がはまってるみたいだから」
「そっか。ならいい。正統派で行こうぜ、オレたちはさ」
言いながら、ギリアンがラスの肩に手を回した。
(……ふりほどく…ってわけにはいかねえよな、やっぱ…)
悪寒に耐えながら、少しでも気を紛らわそうとあたりに目を向ける。雑踏の中に、ふと見たことのある顔が行き過ぎた。盗賊としての習性のようなもので、ある程度の人物識別には自信がある。
(あれは…確か、ケルツとか言ったか。リヴァースになついていた…。なんで、こんなとこにいるんだ?)
ケルツは、特にあてもないのか、雑踏の中をうろうろとしているだけだ。そのうちに、こちらに目を向けてきた。
(…ばれるかな? いや、変装してるし…確か、あいつは目があまり良くなかったはずだから…)
案の定、ケルツはラスに気づかずに目の前を通り過ぎた。そのまま、娼婦たちのたむろする方角に向けて歩き始める。
(娼婦を探して歩いてて、ついこっちまで来ちまったのか。…いや、あいつも麻薬に関わってるはずだから、案外、何かを探ってるのかもしれねえな……)
ラスがそう考えたとき、もう一度ケルツの顔が目の前を過ぎていった。
(…え!?)
一瞬、不思議な錯覚にとらわれた。だが、冷静に見てみると、ケルツに瓜二つではあるが、ケルツ本人ではない。ケルツがあと20才年をとったなら、こうなるだろうと思われるような顔立ちの人間だ。
(…血縁関係ってのは、間違いねえか)
ラスの視線に気がついたのか、ギリアンがラスの肩を抱く手に力をこめた。
「ん? どうした、トルド? 気に入りの客が見つかったか? おまえの歓迎会ってことで、一番の客を紹介してやってもいいんだぜ?」
「ああ…いえ、今日はみなさんにご挨拶だけで、仕事する気はないですから…。あの…今通り過ぎていった、ほら…紺色のマントを羽織った人…よく見かけます?」
ケルツによく似た中年の男を指して、ラスが小声で聞いた。それをみた黒髪の男が女言葉で答える。
「ええ、よく見かけるわよ。アタシ、こないだ買ってもらっちゃった。羽振りのいい人みたいでね、たくさんもらっちゃったわ。……ああ、そういえば、彼、こうしないと燃えないとか言って、アタシにクスリ嗅がせたけどね。…次の日、ヒドイ目に遭ったわ。ぐるぐるぐるぐる、酔っぱらったみたいになってね」
「え? クスリって気持ちよくなるんじゃないんですかぁ?」
「アタシ、クスリって体質に合わないみたいなのよねぇ。いつもは吐き気とかするんだけど。こないだのソレは、すっごくキツイお酒をたくさん飲んだみたいになっちゃった。…彼、がっかりしちゃったみたいだったわ」
肩をすくめる黒髪の男の向かい側で、赤毛の男が思いだしたように言った。
「あれ? そういえば、<蘭の宮殿>のティレリがこないだまで、自慢げに言ってまわってたよね。『僕はアーシュア様のお気に入りなんだ』ってさ。アーシュアってのが、あの男のことじゃなかったっけ?」
「そうだったな、そういえば。でも、ティレリのやつ、最近見かけねえな。まあ、あいつはいろんなクスリで遊んでたみたいだからな。ヤバイことになっても不思議じゃねえけどよ」
…おまえもクスリには気をつけるんだぜ、と最後にラスの耳元でギリアンが囁く。
(……ぶっとばしてぇ……このクソ野郎……!)
「でもねぇ、なぁんか、ヤバイ噂も聞いたのよねぇ。あのアーシュアって彼、気前も顔もいい男なんだけど、危ないこともいろいろやってるみたい」
(情報をもらえるのはありがてえが…その女言葉はやめてくれねえかなあ…)
「危ないことって何だい?」
赤毛の男の問いかけに、黒髪の男がうなずいて答える。
「なんかね…麻薬を使ってるってだけじゃなくって、作ってるみたいよ? いろいろ混ぜたりしてさ、強いのと弱いのと…あと、中毒になりやすいのとそうじゃないのと…って感じで」
「ってぇことは、そいつは、オレたちで実験してるってわけかい? ま、ガセじゃねえのか、そこまで行くとよ」
ギリアンが笑う。
(…あり得ないことじゃねえよな。……実験は必要なことだろう、そういう人間にとっては。アーシュアか…。ケルツにでも聞いてみるか。どう見ても血縁関係のある顔してるしな。そうじゃないにしても、顔と名前と、ここらをうろついてるってことだけ分かりゃ十分か。これ以上は…)
「よお、どうした! 暗い顔して!」
耳元でのギリアンの声。
(……これ以上は、俺の貞操がヤバイ…。問答無用でぶっとばしそうだし…)
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「行きましょ、お客さん」
微笑みながらそう言って、カレンはディックの腕に自分の腕をからめた。ディックの体格のおかげで、カレンの背の高さもさほど目立たない。
打ち合わせ通り、カレンを買ったディックは、そのまま個室のある棟へと足を進めた。部屋は、勝手に空いてる部屋を探して使えと言われている。今回の目的にはその方が好都合だった。
階段を上り、空いてる部屋を探している振りをしながら、3階へと向かう。
「…カレンさん…いったい、どこへ行くつもりなんですか?」
カレンについて歩きながら、ディックが小声で尋ねる。歩きにくいロングドレスの裾を掴みながら、カレンが答えた。
「…3階。<3−黒>って部屋を探してる。多分…ヴェッチがいる。…それと、俺はここではカーリャだ。いつもの名前は、一切口に出すな」
「あ…はい、すみません」
「…もう喋るな。それと、足音もうるさい」
言われて、ディックはあらためて気づいた。カレンがほとんど足音を立てていないことに。
娼館の中は、さほど広くはないが、個室そのものは1つあたりがひどく小さいため、部屋数は思った以上に多い。だが、ざっと見たところ、ほとんどの部屋には、<3−1><3−2>という、数字の番号が振られている。<黒>という表記から考えて、特殊な目的に使われる部屋だろうと当たりをつけて、カレンは一番奥を目指した。
そして、カレンの推測は当たっていた。廊下の突き当たりに、部屋番号が黒く塗りつぶされた扉を見つけたのである。ほとんどの娼婦は、面倒がって3階までは上ってこない。3階には空き部屋が多かった。それを幸いに、<黒>の部屋から、扉3つ分ほど離れた部屋に、ディックを押し込む。自分もするりと中に入って、扉を閉めた。
「…これから、ちょっと探ってみる。いいか? どんな音が聞こえても、この扉は絶対に開けるな。おまえは動かずにそこのベッドにいろ」
小声で素早くそう指示して、カレンはもう一度、扉を開けた。ディックが指示にうなずいた時には、すでにカレンの姿は廊下へと消えていた。
ドレスの裾をつかんだまま、カレンは<黒>の扉に聞き耳を立ててみた。反対側の耳には、使われているらしい個室からのあえぎ声も時折入ってくるが、集中の邪魔になるほどではない。
「……から、……が、………って」
「こまり……ですか……約束が……」
時折漏れ聞こえる言葉は、さっぱり要領を得ない。が、内部の気配を探ってみると、どうやら3人ほどいるようだ。3人の声を聞き分けようと、さらに集中状態に入る。
「………金ってのは予想外に……から…」
「ギルド内部で……には……」
「追加ってわけで……い? ……ロマールに………」
「ああ、そうなりゃ……からさ。……」
「だから、足りないって言ってんですよ! ヴェッチさん!」
「…大声を……のは…」
「ギルドだってそろそろ動きますぜ!? 抑えるこっちの身にもなってもらいてえ」
「……静かに! 誰が聞いてるかわからねえんだぞ!」
「ああ、そうですよ! だから、これ以上騒がれねえうちに、とっとと首を縦に振ってもらいましょうか? 盗賊ギルドってのは、血の気の多い奴も多いんでね」
「…大声……すなと言って……」
「俺の口を閉じさせたきゃ、金を出すことですよ、ヴェッチさん? いくら、リーデン様だってこれ以上、他の幹部たちを抑えるには…」
「もういい! よせ! 喋り過ぎだ!」
「……わかった。……明日、あらためて連絡する」
その声を境に、途端に声が潜まった。
(……潮時かな…。深入りするとやばくなるしな。…ま、収穫は十分にあったさ。リーデン…盗賊ギルドの幹部か? オランに来てまだ日が浅いからな…聞き覚えはあるような気はするが…。ヴェッチ…ロマール側から、ギルド幹部に金が動いてる? 目的は…ひとつだな)
そう考えて、立ち上がった瞬間、室内の物音が一切、途絶えた。
(……! ヤバイ!)
扉3つ分の距離を、今になって悔いる。が、近すぎると、それはそれで言い逃れのしようがない、そう思って選んだ部屋だ。一瞬、体が熱くなる。が、次の瞬間には冷や汗が背中を伝う。
(……走るな。向こうだって走っていない。わざわざ位置を知らせるわけにはいかない)
一歩足を踏み出した瞬間には、いつもの冷静さを取り戻していた。足音を立てないぎりぎりの早さで、先刻ディックを押し込んだ部屋までたどりつく。が、その背後で、<黒>の部屋の内部では、扉近くまで人の気配が迫っているのを感じた。
迷った時間は、一瞬以下だった。カレンはディックのいる部屋を通り過ぎた。そのまま、小走りに階段近くまで行く。ある程度行ったところで、くるりと方向転換をした。そのまま、自然に歩き出す。歩き出した直後、<黒>の扉が開いた。が、カレンはそれを気にも留めないふりで歩き続ける。
<黒>の扉から、見たことのない男が顔を出した。ヴェッチではない。それだけを確認して、カレンはあらためて、ディックの待つ部屋の扉を小さくノックした。そして、返事を待たずに扉を開ける。
「ごめんなさ〜い! お客さん、待ったぁ〜?」
慌てて身構えようとするディックを視線だけで制して、カレンは部屋の中に入った。
(……気づかれなかった…かな?)
そう考えた直後、廊下に足音が聞こえた。
(…ちっ!)
有無を言わさず、ディックをベッドに押し倒す。羽織っていたショールを放り投げ、ドレスの背中のボタンをいくつか引きちぎる。
「…えっ!?」
反射的に声を上げたディックの口元を手で塞いで、喋るなと目の光だけで知らせる。ディックがカレンの手の下で小さくうなずいた。
扉が乱暴に開かれた。
「そこの女! 何か見なかったか!?」
「んもう、お客さんたら、かわいい! そんなに緊張しないで。……あら、なあに?」
さも、今気づいたと言うように、カレンが振り向く。ディックを押し倒した姿勢のまま。
「何か見なかったかと聞いてんだ!」
先刻、<黒>の扉から顔だけを出していた男である。どうやら盗賊ではあるが、腕利きとまではいかないらしいと判断して、心のなかでカレンは息をついた。
「あら、何かあったのぉ? あたしこれからお仕事なんだから、邪魔しないでいただける?」
シーツで口元を隠して、片目をつぶってみせる。それを見て、盗賊風の男は、諦めたように舌打ちをした。
「けっ! 物好きな客もいたもんだぜ」
捨てぜりふを残して、男は立ち去った。
「…………自分でもそう思うよ……」
男が立ち去った後、小さな声でカレンが呟いた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
宿に戻ったのは、ラスのほうが先だった。ラスが着替えてかつらを放り出した頃、ディックとカレンが、疲労の色を滲ませて戻ってきた。
「…よお、何かわかったか?」
ラスが聞く。かつらとショールを放り投げながら、カレンが溜め息をついた。
「…悪い。…あとでまとめて話す。で? おまえの方は?」
「いや……俺もあとで話すよ。…とりあえず、眠ろうぜ。…ちきしょ、鳥肌が消えねえんだよ」
自分の二の腕をさすりながら、ラスが答える。それを聞いてディックもぽつりと呟いた。
「私もなんだか…疲れました。何もしてないはずなのに……空いてるベッド、借りてもいいでしょうか?」
「ああ、好きにしろよ」
答えつつ、ラスがカレンに目を向ける。そして、カレンはディックに目を向ける。3人でしばし見つめ合った後、誰からともなく、溜め息をついた。
「…………女装は…もうやらないぞ」
「………やっぱ、男より女だよな…」
「ラスさん…それ、同感です……」
そして、再びの溜め息。
夜が明け始める頃、3人は眠りについた。
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