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No. 00013
DATE: 1999/06/19 15:53:57
NAME: リゾ
SUBJECT: 暴力を統べる者
リゾは長椅子に座って、ペネロペを吹かしていた。
その、人を引き寄せる甘い香りが船室の中に漂う。
「へへへ、もうすぐ国へ帰れるっすねぇ、兄貴」
そう話しかけてくるヴェッチに対して、リゾは「ああ…」と漏らした。
そのまま、会話は途切れて続かなかった。
「……今、何を考えているんすか、兄貴?」
ヴェッチは訊ねた。
リゾは虚ろな眼を中空に向けている。
彼の意識は遙か過去へと向かっていた。
十数年前、ロマール。
リゾは比較的、恵まれた家庭環境に育った。経済的な面でも、申し分がなかった。
彼の父は、衛視だった。
誠実かつ、真面目な人柄で、近所の評判がよく、その勤勉ぶりにも人々は賞賛を送った。
リゾは父を尊敬し、いつもその背中にあこがれの視線を注いでいた。
衛視の職は、世襲で行われることも多い。努力を行えば、自分も長じたのちに栄えある法の番人になれる。そう少年は考え、自ら勉強を続けていた。
疑念もなく彼方を目指し邁進する少年の前に、早く岐路がやってきたのは、彼にとって幸福だったか、不幸だったか。
ある晩だった。その日に限って父の帰りが遅いので、リゾは詰め所を尋ねていった。
そこには、数人に囲まれて、椅子に座る、呆然自失といった体の父がいた。
身体がびっしょり雨に濡れていたこと、青白い顔、曲がった背筋、父の痛ましい姿は後々までリゾの記憶に残った。
「いったい父はどうしたんですか?」
いつもの堂々としたところのどこにもない父の姿に、戸惑いと不安を隠しきれずリゾは訊くのだった。
「人を死なせちまったんだよ。過失だが、酔っぱらいを抑えようとして、な……」
同僚らしい男が、父とリゾを哀れむように言った。
酔っぱらいは、家族のある果物売りだったらしい。しこたま飲んで暴れて、千鳥足でいたところを、父が抑えようとして起こった事故だった。軽く突いたつもりが、頭から石畳に落ちたのだ。
「許されるコトじゃない」
衛視の上層部によって免赦されてからも、父は繰り返した。
そして、その言葉を裏付けるかのように、衛視としての父の評判は地に墜ちた。同時に、リゾら家族にも陰口が向けられるようになった。
同年代の少年の中には、リゾに面と向かって、父と彼とを揶揄するものがいた。蔭から聞こえてくる大人たちの声も同様な残酷さをもって、リゾを打った。
おめぇのオヤジ、ヒトゴロシだろ…。
ヤッベー、俺らも近寄ったらコロされるぞー。
まぁ…そんな…いやですわねぇ。
もう人殺しですもんね。怖いわぁ…。
ヒトゴロシの子!
リゾがそれまで誇りにしていたものは、これでともかと辱められた。泥を投げられ、余すところなく汚された。
怒りを覚えた。
何より腹正しかったのは、父自身が、周りの意見が正しいといわんばかりの態度を示したこと…。リゾは耐えがたい口惜しさを感じた。父には胸を張っていて欲しかった。「俺は秩序を護ろうとしただけなのだ」と。
少年の中で、もぞりと動くものがあった。黒い衝動。それは急激に彼の心で育ち始めたのだった。父が口を閉ざし、母も眼を伏せ耐える中で、純粋であった少年の心にのみ、そのおぞましい精霊は姿を現し始めたのだ。
彼の中の闇は鎌首をもたげ、周りを襲いだした。
リゾは、自分をからかったり、舐めてくる者に対して見境いのない暴力を振いだす。
太い棒を手に取り、だいたいは、半殺しにした。急に成長しはじめた肉体をも利用し、彼は暴れた。すぐに暴力の範囲は広がり、蔭口を叩いてくる者、老若男女関係なくやった。そのつもりのない者に対しても、少しでも不快を感じると、殴った。自分の心を判断の基準にすえ、好き放題をした。
瞬く間に、陰湿な後ろさされることはなくなった。彼の眼の届く範囲において。
秩序の力が放置しておいたものを、自分の暴力が止めさせた。血にまみれた棒を肩に担ぎながら、リゾはそう感じた。
この暴虐のときに死ぬ者はいなかったが、障害を残すものや、この時の怪我がもとで死ぬ者もいた。
彼は札付きのワルとなっていた。
衛視である父が、リゾの部屋にやってきたのは、不良になって暫く経ってからだった。
入ってきた父は、手に、仕事で使う警邏用のクラブを持っていた。
薄暗いなかで、彼はリゾに尋ねた。
おまえ、棍棒を持って暴れ廻っているというのはほんとうか?
「ああ…そうさ」
リゾは脚を組んで座ったまま、にやりと笑って答えた。
「今まで、オレ達を馬鹿にしてた奴ら全員、半殺しにしたぜ。喜べよ…父さん」
父は答えず、黙っていた。部屋が昏い。その顔が見えない。
「私は衛視として、お前を牢に入れなきゃならん」
父は武器を構えながら、近づいてきた。
「なんでだよ…」
リゾはゆっくりと言った。
「なんでなんだ? 俺はアンタへの侮辱を止めてきただけだよ。まだこのうえ奴らが何か言うようなら、今度は殺しにいく。もう恥の中で生きる必要はねえよ、父さん…」
だが、父の動きが止まる様子はない。
リゾはふっとため息をついて、寂しく笑った。捕まる、それもいいと思った。
今の父は、昔自分が憧れた、堂々とした姿の父だ。俺の見たかった父さん…
そばに父が立つ。棒が振り上げられた。リゾは目線を上げた。
そして、見てしまった。
父の情けない表情、自分に対するおびえの視線を。
……………!!!!
一瞬の沈黙のあとだった。
「こ…この野郎うォ!!」
これまでにない憎悪が、リゾの中に巻き起こった。彼は飛び上がるようにして立ち、父のクラブを奪い取った。
そして、うずくまる父に向かって、凶器を思い切りうち下ろした。果てしなく。
このやらァ!
このやらァ!
このやらァ!
幻滅させたな! よくもよくも。憧れさせておいて!
今まで父から貰ったものを、全て叩き返すかのように、力を込めて打った。
一刻ほどあとには、父は床に丸まった姿のまま、頭から血塗れになって動かなくなった。
リゾはクラブを投げ捨て、胸にためておいた息を大きくついた。
そして顎の下の汗を手の甲でぬぐい、思った。…父は。
父は、結局、暴力を使いこなすコトが出来ていなかった。それが出来る者こそ、けして辱められることのない英雄なのだ。暴力はこのように偉大だ。暴力を統べる者こそ、恥と無縁の生き方ができる。
彼は、胸にその思いを抱いたまま、家を飛び出した。
そのあと、リゾは貴族ネルガルに拾われ、剣闘士として活躍することになる。その経験によっても、彼は自らの確信を深めた。
勇壮に闘い、敵を切り刻み血を流させれば、観客は熱狂する。
「人はみな、暴力を認め、それに憧れているのだ。俺はさらに暴力を取り回せる男になって、人の上に立ってやる」
のちには、剣闘士生活から身を引き、ネルガルの懐刀に収まる。
その頃には彼は、他人に対して威張り、常に暴力を示していないと、自分が情けない人間のように思えて仕方ないといった、そんな人間になっていた。
そして現在に至る。
長椅子でうたた寝していたリゾは、眼を覚ました。
どうも、騒がしい。
ヴェッチの姿はすでになく、部屋には自分一人だ。騒ぎ声は外からのもののようだ、彼は腰を浮かした。部屋の扉に近づく。
剣戟、叫び声…。にわかにそれが彼の耳に届いてきた。
……どうやら、面白ぇコトになっているらしい。
自然に、唇から笑みがこぼれ。二つのピアスリングがチャリリと音を立てた。
彼は、自分の中の暴力を解放する準備をはじめた。
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