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No. 00026
DATE: 1999/07/04 00:23:04
NAME: ケルツ
SUBJECT: 冬の村
その母子の存在は村の中でも、奇妙な物だった。
息子である少年は、普段から粗末な身なりをしており、いつも、体中に痣や傷を作っていた。村に現れることは少なく、橋のむこうの林の中で、何かに耳を傾けるようにぼんやりとしていたり、奇妙な楽器を爪弾くのを村人のほとんどがしっている。滅多なことでは人に近寄ろうとしないその子供を、子供らしくないと避ける者もいた。
少年への村人達の対応は、その母親の異端さから来たものであることが多かった。幼子のような表情を浮かべる彼女は、黒い髪と瞳をしていた。彼女はあるときは人形のように息子をかわいがり、それに飽きれば何日も彼を放っておいた。あまりにも両極端な彼女の様子を見て、少年を哀れむ者もいた。それでも手は差し伸べれなかった。いつしかそんな母子の存在は村の日常になっていた。
その村は街道を離れ、もう少しで緑の森の広がるそのちょうど境界線上にあった。幾人かは山へ分け入り、そして幾人かは農耕を営んで、日々の糧を得ていた。その母親は、名をジゼという、森や、林に入っては様々な薬草を摘み、それを村の薬師に売って暮らしていた。村の誰もが生い立ちを知らねど、その顔立ちは東方の出身であることは明白だった。その知識と、そして彼女が薬草の知識を怯えたように皆から隠そうとしたことにより、彼女たち二人は村から出されることがなかった。時折放り出される子供の面倒は、村の薬師が見た。神殿の一つでもあれば、そこに預けるのにと薬師はよくぼやく。その意味を知ってか知らずか、子供は頑なに表情を閉ざし、その様に薬師はまた舌打ちをする。そうやって10数年の月日がたった。
その母子の関係の異常さに、始めに気がついたのはやはり その薬師だった。ある日を境に(いつだったかは覚えていない。確か、珍しく旅人が村を訪れた日だ。)彼女は息子を手放さなくなった。手や顔を覆っていた傷はへり、表情はますます凍った。ジゼは片時も息子を離そうとせず、彼が誰か他の人間と話そうとすれば、狂ったようにその人間から引き離した。時折、1人で林に向かう少年ははただ何かに耳を傾けるように、ぼんやりとしていることが多くなった。母子の異常は数ヶ月のうちに、村の者の知るところとなった。恋人にそうするように、息子に腕を絡ませ、うっとりと笑う母親のことを、しかし、誰も咎める者はなかった。それに目をつぶりさえすれば、彼女は元のままであったし、少年について云うならば、元々だれも彼のことを気にとめていなかった。そうして、冬が来た。
その、冬については一つだけ変わったことがあった。ある冒険者の滞在。村に一つだけある酒場の二階に、間借りしたその冒険者の名は今となっては定かではない。近くの山脈にあるという小さな遺跡を尋ねる予定だったが、それが見つからずついに冬を迎えた。冬になればその村から外にでることは難しい。時々、狩をして獲物をしとめ、彼はその冬をその名もない小さな村で過ごすことにした。暫く働き詰めであった彼には、良い選択に思えた。その村で、彼は不思議な少年を見かける。余所者である気楽さからか、或いは冒険者特有の好奇心からか、彼はその少年と言葉を交わすようになった。はじめのうちは表情をこわばらせていた少年は、しかし、時がたつに連れ、驚くほど彼になついていった。彼は少年に文字を教え、様々な国の伝説や伝承を語り、ある日、ふとした偶然で少年に精霊が見えていることを知ると、それを扱うすべを教えた。「お前は、きっとよい冒険者になれる」そういってやると、少年はほわりと笑い、自分はここからでられないと云った。何も語る様子のない少年に、冒険者はそれでも様々な話をしてやった。自らを決めつけてしまうのは良くないと云うこと、自分が家の反対を押し切って冒険者になったこと。彼がそんな話を出来たのは、複雑な事情について何も知らないせいだった。彼は、少年と、その母親を排他的に見る村の様子に、呆れながら、辺境の村には良くあることだと自分を納得させていた。
春が来た。冒険者は荷をまとめ、村をでていった。少年は現れなかった。不審に思いながらも彼は村をでた。次の街道沿いの大きな街でかつての仲間が彼を待っているはずだった。世話になった者に礼を言い、雪の残る山道を街道に向けて歩き出す。少年に伝言を残してくれば良かったと思ったが、村の人間が彼を避けているのを知ってやめた。彼等に頼んでも、伝言は少年に届かないだろう。伝言が無くとも少年には自分の出発を告げておいた。拗ねてでもいるのだと思った。雪のため、滑りやすくなった道を歩きながらいつしか冒険者の頭は次の旅のことで占められていた。
ジゼが死んだのはその夜だった。薬師がいつまでも尋ねてこない彼女を不審に思い、その小屋を尋ねてみると、腹を割かれた(或いは、自分で切ったのか)彼女が横たわっていた。手には薬草を採集するときに使われるナイフが握りしめられている。叫び声を聞いて村の者が集まり、絶句した。誰かが、少年のことを思い出す。果たして、彼はその小さな家の端でぐったりとしていた。手に握られた、背負い袋に幾つかの日常品が納められている。旅の支度だ、と誰かが云った。流れ出る血の多さに、死んだかと思われていた少年がかすかに息をもらす。皆、このときばかりは慌てて彼の手当をした。少年の体力はどうにか彼を生きながらえさせた。かわりに彼は視力と、聴力との幾ばくかを失った。そして、表情も。
夏が過ぎ、薬師に引き取られた少年はいつしか母親の心を追うようになっていた。あの冒険者に裏切られたという気持ちがあったのも確かだった。彼についていきたい、そう思った自分の気持ちが母を殺したのだと思うようになっていた。少年のやるせない思いは、そのうち母の平穏を奪った父親へと向けられていった。自らの招いた悲惨な結末をも、父親に重ねるまでにそう時間はかからなかった。村では、彼はやっかい者であった。薬師としての知識も持たず、時折、ふらりと出かけては数週間も帰らないことさえあった。つむじ風を起こし、水を操る彼を見た、というものもいた。少年は今では昔ほど哀れな格好をしていなかった。見るものをむっとさせる、卑屈な表情の変わりに、彼は冷たい視線で人を得るようになっていた。程なく秋が終わろうというある日、少年は姿を消した。初雪の降る、4日前のことである。
それ以来、彼の姿を見たものはいない。小さな村に、平穏が戻る。その平穏も降りしきる雪に覆い隠されて、そのまま息を潜める。また、春が巡り来るまで村は死んだように全てを拒絶するのだ。
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