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No. 00031
DATE: 1999/07/19 13:24:39
NAME: Thieves
SUBJECT: Crimson Rond(1)
1.
「よう、キャミィじゃないか。こんなに朝早くから仕事かい?」
そう声をかけられた時、”蜂蜜”キャミィは銀柄の短剣を鞘に収めて、裏口から外に足を踏み出そうとしていた。彼女はどのような建物に出入りする時でも、指令がある時以外、決して表口を使おうとしない。それは、長く厳しい修行で培ってきた習癖である。それに気づくたび、彼女は己が既に一人前であることを覚えて、嬉しくなる。
ここはハザード川に面した表通りの端に立つ小さな平屋。オラン盗賊ギルドが管理する休憩所の一つである。
振り向いた先に、ひょろりと背の高い青年が立っていた。見習い時代の同期、”ブーメラン”ハーリーである。二つ名の由来である愛用のブーメランは腰のベルトに挟み込まれている。彼は片手に毛布を抱え、もう一方の手で眠そうに瞼をこすっていた。
「おはよう、ハーリー。今日はいい天気。絶好の洗濯日和よ」
「あいにく、俺はおやすみなさい、さ。昨晩が徹夜でね、これから寝るところ。今、お天道様を拝んだら、目が溶けちまうよ」
青年は大口をあけて欠伸を漏らし、乱れた頭髪を軽く掻いた。
ハーリーが、ある豪商の密会を探るために数日前からギルドを離れて港湾区域の一角に張り込んでいたことを、キャミィはすぐに思い出した。
「この間の内偵、一区切りついたんだ。お疲れ様」
「全く、人使いが荒くて困るよ。これだったら、見習いだったころの方が楽だったね」
「ヘマしたらすぐに監獄行きになる<窃盗方>よりはマシでしょ。それとも、<物乞い方>に入れてもらう?」
「あっ、と。それだけはご勘弁願いたいね。何が悲しくて臭いボロをまとわなきゃなんないんだよ」
ハーリーは大仰に手を振って、キャミィの提案を一蹴した。
「ハーリーだったら、巧くやれそうなのにね。病人の真似とか、物の怪憑きの真似とか、あたし達の中で一番上手だったじゃない」
「どうも、嬉しくないな。それ、誉めてる?」
「うん。何度か、それで仮病使ったことあるでしょ」
その言葉に、ハーリーは驚いて目を丸くした。
「あれ、バレてた?」
「後で気づいたの。その時はわかんなかったよ。でも、小頭には見抜かれてたんじゃない?」
ハーリーは「うわ」とうめいて天を仰いだ。すぐに顔を戻すと、人差し指を立てて口に当て、神妙な面持ちで少女を見据える。
「今の、他の連中には内緒だぜ。特にベネには、な。あいつ、チクリ魔だからさ」
少女も指を立てて、青年の仕草を真似る。
「うん、ないしょ、ないしょ」
神妙な顔は、だがすぐに白い歯を見せた笑顔に変わる。その様子は、町娘と何ら変わらない。
開け放しの扉から吹き込んだ涼風が、キャミィの髪をふわりと揺らした。彼女の二つ名”蜂蜜”の由来である美しく透き通った金色が、朝の光にきらめく。ハーリーは目を細め、それを眩しげに見詰めた。
その時、遠くから釣り鐘の音が鳴り響いてきた。太陽丘のラーダ神殿が告げる、「朝餐の鐘の刻」(午前8時頃)である。それを聞いたキャミィは「あっ」と小さく声を上げた。
「大変。あの鐘が鳴るまでに行かなきゃいけなかったんだ。それじゃ、もう行くね。ユーマさん、待ちくたびれていると思うから」
「あぁ、頑張ってな。お前にガネードの思し召しを、キャミィ」
「ありがとう。あなたにもね、ハーリー」
キャミィは軽く手を振ると、外光の中に走り出ていった。後ろ手に扉を閉め、裏路地を大慌てで駆け抜けていく。次第に遠ざかっていく足音を聞きながら、ハーリーは苦笑した。
「もう少し静かに走らないと、頭に見られたらどやされるぜ?・・・さて、一眠りするか」
もう一つ、大きな欠伸を漏らして、ハーリーは部屋の奥へ向かう。休憩所のベッドは固くて冷たいが、街路の石畳にうずくまるよりはよほどいい。中午の鐘が鳴るまで僅かな急速を貪った後は、また新たなる仕事に取り掛からねばならなかった。
ベッドに潜り込む前に、ハーリーはもう一度、後ろを振り向いた。窓の向こうでは、既に陽がかなり高く上っているようである。
さほど長くはないオランの夏が、これから始まる。
2.
時刻は、数時間前に溯る。
月のない、まったき闇に包まれた夜。
ぴっ、ぴっ、ぴっ・・・、ぽちゃん。
暗闇を映すハザードの川面を、平たい小石が弾んでいく。それは飛魚のようにかなりの距離を進み、やがて黒い河水に沈んだ。
続けて、もう一つの石が跳ねる。さらに、幾つかの石が後を追う。それらはいずれも勢い良く跳ね、ひとしきり飛んだところで次々に水中に没していった。
しばらくして、石の飛んできた方角から、闇を裂くように一艘の舟が姿を現した。
丈の短い、五六人乗ればいっぱいという程度の小舟である。そこに、二人の男が乗っていた。一人が後端で櫂を取り、もう一人は前方に腰を据えていた。
「さすがにでけぇな。これが大陸一の都かよ」
前に座っている男が、両岸に見える街並みを見て、しわがれ声で感想を述べた。
小柄な体格の人間の男であった。猫背のせいもあるが、標準的な人間の背丈よりはずいぶんと低い。ただ、肩から腕、そして指にかけては長く、逞しかった。濃紺染めのゆとりのある衣服を着ているが、袖の部分ははちきれんばかりに膨れ上がっている。捲り上げれば、岩のごとき筋肉を見るであろう。顔には服と同色の覆面を着けており、切れ込みから覗く肌は黄色く、細く吊上がった瞳は瞳孔が恐ろしく小さかった。
男の掌には平たい丸石が幾つも握られている。先ほど、水切り遊びに使っていたものである。
「向こうを見ろや、ガフリース。ほれ、あれだ」
物珍しげに左右を見回していた男は、西の岸を指差して漕ぎ手に声をかけた。まだ微睡みの中にたゆたうオランの町々は薄墨の布団を被っているので、その姿はハッキリとは見えない。ただ、その中においても、男が指差した先に聳えるそれらは己の存在を確固と主張していた。
「手前のごつい壁に囲まれてるのが王城で、その奥の三本尖ってるのが、何とか塔って魔法使い連中の住処らしいぜ」
「<エイトサークル>・・・<三角塔>・・・だな」
ガフリースと呼ばれた漕ぎ手の男が、良く通る低い声で小男の言葉に補足を加える。
こちらは先の男と対照的に、見上げるような偉丈夫であった。背丈も優に頭二つ分ほどの差がある。渋色の衣服と同色のマントに包まれた体格は瞠目すべき筋肉に満ちており、手足や首は丸太のように太い。フードの奥には、金壷眼と鷲鼻を備えた浅黒く精悍な顔立ちが窺える。腰には、肉厚の円月刀を佩いていた。
「よく、スラスラと言えるな。俺なんざ、オランってくらいしか覚えてねぇのによ」
偉丈夫の淀みない応えに、小男は肩を竦めて見せた。
「見知らぬ土地に入るのだぞ。主要な建物の名を覚えるくらいは当然だ」
「生真面目なことで」
淡々とした偉丈夫の口調を軽く聞き流し、小男は手の中の平石を川面に向かって投げつけた。だが、角度が悪かったのか、それはさほども飛ばないうちに水中に消えてしまった。男は軽く唸ると、他の石を腰に結わえ付けた袋の中に残らず仕舞い込んだ。
「アレクラストか。こんな所まで逃げ込むなんざ、レオンも随分と気張ってるじゃねぇかよ」
船縁に凭れかかり、河水に両手を浸しながら、小男はその名を呟いた。
辿り着くまでの間に、十隻に一隻は海の藻屑と消える・・・と言う危険な航海に臨んでまでこのアレクラスト大陸を訪れたのは他でもない、そのレオンなる男を追いかけてのことであった。
彼らを乗せて、はるばるアレクラストへ交易に来たガレー船は、まだ内海に碇泊している。二人はそこで舟を盗み出し、闇夜に乗じてオランに潜入してきたのだった。
「この大陸に比べれば、やはりロードスは狭い。数年ならともかく、いつまでも我々の目を眩ませるものでもなかったろう」
「どこに逃げたって同じだぜ。それこそ、あの世でもない限り・・・」
男の台詞がそこで途切れた。小舟から少し離れた場所で、水面を割って一匹の魚が飛び跳ねたのである。
「おっ」
小男は水中から両手を引き抜くと船縁を掴み、先ほど魚の跳ねた場所に鋭い視線を注いだ。瞳孔に鈍い光が揺らめいている。獲物に飛び掛かる隙を窺う猟犬の目つきであった。
数拍を隔て、魚が再び飛び上がった。同時に男の手が閃き、何か小さいものが矢のような速度で飛んでいった。いつのまに取り出したのか。男の手には、袋に仕舞い込んだはずの平石が握られていた。それを投げつけたのであった。
ひゅっ、と風切り音を伴い、石は魚の腹に深く突き刺さった。魚はそのまま、勢いに押されて闇の彼方へ吹き飛び、大きな音を立てて水中に没した。
昼間においてすら真似の難しそうな技であった。それを日の出前の暗闇の中でやってのけたのである。まさに至芸であった。
「見事」
櫂を操る手を休めずに、ガフリースが短く賞賛を延べた。
「さすが、”つぶて打ち”ブロウズよな」
「へへっ」
ブロウズと呼ばれた小男は、片手を上げて賛辞に答えた。
「レオンもあの魚と同じ運命さ。奴の動きを読むなど、たわいもねぇ。俺様のつぶてで動きを封じたところを一発よ」
ブロウズは拳を強く握り締め、不敵な笑みを浮かべた。
ガフリースは軽くうなずき、黙って櫂を動かし続けた。
やがて、小舟は川の中程まで進んだところで角度を変え、東の沿岸に少しずつ近づいていった。しばらくして、港湾区域への進入口が見えてきた頃、舟はその手前の河原に乗り上げた。
二人は荷物を抱えて、オランの土を踏んだ。
「さて、こっからは別行動だったよな」
背嚢を担ぎながら、ブロウズは偉丈夫を見やった。
「うむ。会うとすれば、レリックから召集がかかった時だけであろう」
ガフリースは円月刀を引き抜き、軽く二、三度振り回した。鋭い音が闇の空気を切り裂く。偉丈夫は満足げにうなずくと、円月刀を鞘に収めた。
「では、よい狩りを」
「おうよ。せいぜい、楽しませてもらおうぜ」
二人は同時に、別々の方向へ滑るように走り出した。河原の上であるにも関わらず、全く足音が聞こえない。
彼らの姿はたちまち闇に溶け込み、見えなくなった。あとには、打ち捨てられた小舟が物寂しげに横たわる景色が残るのみであった。
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