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No. 00084
DATE: 1999/09/06 01:09:52
NAME: フールールー
SUBJECT: 旅の始まり(499年)
強い日差しの中、一瞬涼しげな風の頬をかすめる初秋の昼下がり。まだ衰えを知らぬような太陽の光の、その指先も触れることのない様な薄暗い賢者の塔の一室。書物の保存のために部屋の窓は全て閉ざされ、魔術の灯りのみがぽっかりと浮かぶ。
向かい合った一組の男女は先ほどから、一言も発することなく見つめ合っている。
「・・・・・で?」
重苦しい空気の中、先に口を開いたのは導師のローブの襟元を口ほど迄引き上げた老人である。言葉を紡ぐ度に長い口髭が動き、襟元で耳障りな音を立てる。普段気にすることもないような音にイライラとした気分になるのは、間違いなく目の前に立つ弟子のせいだ。魔術師たるもの、つまらぬ事に心を乱されるべきではない、と彼は考えている。己の心の揺らぎはそのまま自身へと帰ってくる。力というものは全て、諸刃の刃なのだ。そう教え込んだせいかは知らぬが、彼の弟子は少なくとも表面上は感情の揺れを見せることは少ない。時には、こちらの精神を逆なでするほどに。
憂鬱な気分を払うように一度目を閉じ、次の瞬間に目の前から娘(たしかに、年齢的には娘と呼ぶにふさわしいはずだ)が居なくなっていることを祈りつつ、瞼を開く。もちろん、彼女は先ほどまでと同じ位置に佇んでいる。やせぎすの身体に、やたらと大きなローブを着込み、ばさりと切った肩に垂れた髪をそのまま背中へと流している。身動きする度にかちゃかちゃと小さな音を立てるのは、いつも持ち歩いている実験道具とやらのものに違いない。
「・・・・・・で、つまりお前は自分が西方へ行くにふさわしいと考えておる・・・・という訳じゃな?」
導師の言葉に女魔術師はいつもの形容しがたい笑みを浮かべて、軽くうなずいた。西方の国々へ研究生を送り出したいと考えているのは他でもない彼である。魔法の王国ラムリアースは言うまでもなく、新興の諸国の学術面の様子もつかんでおきたい。老導師は、彼女を見やりながら考える。たしかに、彼女の力は同世代の者の中でも目を引くものがある。何より知識量が多く、どうにかすると魔術の力の方に目をやりがちな他の同世代の者のよりも、この任に置いては適任であるように思える。
「わたくし・・・適任ですわ。」
「何処が適任じゃ」
「学術的好奇心に溢れておりますもの」
「お前のは度を超しておる」
「せっかく・・・この間、出入りの商人からあちらで産出される面白い鉱物についての噂を聞きましたのにぃ。」
口元に手を当てて、恨めしそうに呟きながらこちらを見上げる彼女の姿に、不安が募る。学院に入って以来、規定の知識の他にも、常に自らの研究心に向かって探求を続けているといっては聞こえが良いが、その偏った研究が騒動を引き起こしかけたのは今では両手の指に余る。かといってそれを止められて、自殺騒ぎを起こしたことを思えば、容易に止めるわけにもいかない。駆けつけた警備員に施療院に連れ込まれ、昏睡状態から復帰したとたんに呟いた一言を思い出して、老導師の心はまた重くなった。
「人間の意識ってなかなか途切れないものですわね。興味がありますわ。」
ふざけたことを、と叱りつけるよりも何よりも、どっと疲れが押し寄せ、何があっても真人間にしてやろうと思ったは、或いは、生涯を独身で通した彼の親心という幻かもしれない。今ではこの女魔術師の、奇妙な生態を知り抜いているのは彼女の親よりもむしろ自分であるという意味の分からぬ自負すらある。
押し問答は、その後、数日続いた。
そして老導師の予想通り、女魔術師の西方諸国への旅は、少なくとも表面上はつつがなく始まるわけである。
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