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No. 00088
DATE: 1999/09/09 13:04:24
NAME: エグバート・ルス
SUBJECT: 剣士奇談-抜き、即、斬-
ムディールを訪れたオラン〜アノス以西の剣士達は、シャムシール・・・、すなわち太刀の切れ味が恐怖すべきものであることを、鏤々述べている。人体の骨格を少しも砕くことなく、見事に分離させる刃物は、彼らには縁の薄いものであったらしい。
ムディールに伝わる野太刀兵法にも数々あるが、オランの冒険者エグバートの学んだものは、それらの中ではひときわ異彩を放っていた。
その最大の特徴は、組み太刀の中に攻め太刀があって防ぎ太刀がないと言うことである。流儀の内容を知らない者は、それならば、攻め損じたときは敵に斬られると言う懸念を持つが、相手の剣尖を押さえ渡り込んでいく技には八十を越える種類があり、敵を倒すまで攻撃を連続して反撃に転じさせない、巧緻な内容であった。
抜き、即、斬・・・、抜いた時が斬った時と言われる敏速にして激烈な太刀遣いは、それが熟練者の手になると、まず防ぎ切ることを許さない。
この抜打ち剣法においてムディール随一と称されるクォンの老剣士にエグバートは就いた。五年の稽古の後、回国修行の許可を得た彼はムディールを出て母国オランを経由し、最終的には大陸の最西端ワイアット山脈に到着している。
今から述べるのは、オランへの途次に彼が経験したこの抜刀術の恐るべき威力の話である。
往路でオランからミード、フォス、ムディールと通ったエグバートは、帰路をミラルゴ、アノス経由にすることを選んだ。すなわち、「風の果ての街道」、「偽りの街道」、「白い霧の街道」、「雲の上の街道」と計四つの街道を通過するのである。この道程には三月余りを要するが、然したる急時のないエグバートは物見遊山気分であった。
冒険者時代より愛用していた軽量の板金鎧を着込み、腰にはシャムシールを佩いている、と言ういでたちであった。シャムシールはクォンを出る際に師たる労剣士より賜った一品で、〈大牙〉の銘が打たれた業物である。かつて戦場で数多くの血を吸ったと言うこの太刀も、エグバートの手で実戦を経験したことはまだなかった。
六の月の半ば頃、エグバートは〈聖王国〉アノス領、山岳都市イストンにあった。イストンはグロムザル山脈より採掘される鉱石の集積地であり、アノスの軍事資源を支える重要拠点である。
エグバートがイストンに到着したころ、この街はある危機に晒されていた。どこより流れてきたか定かではない多数のゴブリンが、“高輪嶽”と呼ばれる山に根を下ろし、己らのテリトリーを拡大すべく、周囲の鉱山を無差別に襲撃していたのである。
イストンは直ちに討伐隊を組織したが、多数の戦力を割くことは叶わない。故に、冒険者や鉱夫の中からも兵を募り、兵力の拡充を図った。エグバートはこれに名乗りをあげ、討伐隊の一員となった。他に冒険者集団を組んでいると思しき四人の戦士、イストン鉱山で働く十人余りの勇敢な鉱夫達、そして、イストン衛視隊から二十人が出され、これが討伐隊の全てとなった。総勢、三十五名。小規模な軍隊並みの戦力であった。
日の出と共に討伐隊はグロムザル山脈へ入り、高輪嶽へ向かう狭い山道を進んでいった。エグバートは先陣の集団にあった。
道すがら、エグバートは隣を行く衛兵に話を聞いた。それによると、ゴブリンの集団と言うのが、恐らく北方の「妖魔の森」の出であると言うこと。他の部族との戦いで自分達の「王」を失い、流浪の一族と化したために、南下を繰り返してグロムザルへ逃れてきたのであろうと言うこと。昔から山脈奥地に住み着いていた少数のゴブリン集落を吸収し、侮れない数に膨れ上がっていると言うこと。
そして、もう一つ。
「ゴブリンの中に混じって、巨人の姿があったと言う話も聞いております」
エグバートと話をしていた、まだ少年とも言える若い衛兵は、緊張した面持ちでそう述べた。
話を聞くエグバートは、しかし、のんびりとした表情であった。
「巨人と言っても、色々いるぜ。俺が見たことのあるのは、オーガーとトロールかな。オーガーだったら、二匹斬ったことがある」
「ほ、本当ですか」
「あぁ、本当だとも。いくらデカくて馬鹿力だと言っても、体の作りは俺らと大差ないからよ。こっちが小さいのを逆に活かして、脇腹や脛を狙えば、どうにかなるってもんさ」
淡々として気負いのないエグバートの口振りに、衛兵は真実を汲み取った。興奮した面持ちで、さらに尋ねる。
「それでは、トロールの場合であれば、どのように」
「あ、トロールか。うーん・・・」
エグバートはそこで言葉を切って黙り込んだ。その様子に、衛兵はやや不安げな表情になった。
「ど、どうかしました?」
「ん、いや、な・・・。さっき、オーガーだったら斬ったことある、って言ったろう」
「はい」
「でもな・・・」そこでエグバートは頭を掻き、「俺ァ、トロールとは遣り合ったことがないんだ」
「え?」
「昔、隊商の護衛で山越えしてたときのことさ。山のてっぺんで、運悪く腹空かせたトロールに出くわしてな。取り敢えず、剣を振るって戦ったんだが・・・、その時の有り様と来たら、酷いもんだったぜ。何せ、奴は全身、岩だからよ。どこを切っても、斬れやしねえ。剣や斧の刃が欠けちまうんだ。槍に矢だったら、よほどの剛力でないと、まず貫けねえ。俺の場合な、それまで愛用してた戦場刀が刃ごと、持っていかれちまった。まぁ、随分とボロだったせいもあるんだけどよ」
その時の危機を救ったのが、たまたま護衛として居合わせた鎚鉾の達人であるドワーフの戦士と、導師級魔術を極めた熟練の魔術師であった。打撃武器はトロールの岩肌に関わりなく一定の衝撃を与え、電撃と魔道の鏃はトロールの急所を的確に貫いた。故に得られた勝利であった。しかし、討伐隊にはそのいずれも存在しない。衛兵と戦士達の武器は剣であり、鉱夫達は槍であった。鉱夫の中には、工具のつるはしをそのまま得物として携帯している者も居たが、あいにくエグバートはそれを使い慣れていなかった。
「まぁ、その巨人ってぇのが、トロールではないことを祈ろうぜ」
そう言って、エグバートは朝靄にゆれる山道の先を見透かした。
討伐隊が、高輪嶽を下ってきたゴブリン全軍と衝突したのは、日も中点高く上り詰めようとしていた頃合いであった。狭く曲がりくねった山道の彼方から、鋭い甲声が聞こえるや否や、木々の間からゴブリンどもが一斉に姿を現したのである。その数、併せて百にも達するかと見えた。討伐隊の三倍にもなる戦力である。
「バートさんっ」
抜刀しながらも、若い衛兵の顔色は蝋を塗ったように青白く、剣を持つ手は震えていた。他の衛兵や鉱夫達も、手に手に武器を構えながらも、余りの数の差に腰が引けている様子である。
妖魔の軍は大きく散開し、討伐隊を取り囲むように押し迫ってくる。エグバートは目を細めてそれを一瞥すると、衛兵に声をかけた。
「俺が中央を切り開く。お前は、俺から五歩離れた距離を保って、後から付いてこい」
「五歩ですって。遠すぎます。いざと言う時にバートさんを助けられません」
恐怖に耐え、気丈な台詞を吐く衛兵に、エグバートは微笑んで見せた。
「それ以上近づいたら、俺の剣に巻き込まれかねんからさ。いいか、五歩だぞ!」
エグバートは、だっ、と地を蹴ると、突風のごとき勢いで単身、妖魔の群れへと突き進んでいった。手には既にシャムシールが、しっかと握られている。
ゴブリンどもは、真っ向からただの一人で突進してくる剣士を見るや、得物を振り翳して一斉に躍り掛かって行った。
迫りくる数の多さに、エグバートは考える暇もない。シャムシールを右手大上段に取るなり、「キエェーイッ!」と鋭く吠え立て、右袈裟、左袈裟を電光石火の勢いで繰り出した。
一瞬にして、正面と左方から迫っていた二匹のゴブリンが、それぞれ頚動脈を叩き切られ、悲鳴を上げる間もなく地に転がった。降りかかる血飛沫を払い飛ばすかのように、エグバートはさらに刀を振るう。続けて、もう一匹のゴブリンの首が宙を舞った。
軍鶏走りと呼ばれる独特の足運びであった。これは、走る途中に左右のいずれに体の向きを変えても上体が崩れない。この足運びと剣捌きが一つとなった時、野太刀兵法の使い手は恐るべき戦闘機械と化すのである。
エグバートの剣技に意気を得た味方は、おめき声を上げながら武器を振り立て、突撃を始めた。
一方のゴブリンどもも、数の優勢を恃み、怯むことなく突き掛かってきた。
高輪嶽山道は、たちまち修羅場と変じた。
敵味方あい乱れる中を、エグバートは跳ね回る独楽のように激しく動き回り、シャムシールを振るう。絶え間ない稽古に支えられた体捌きは僅かな乱れもなく、鮮やかな斬撃を次々に放ち続ける。そのたびに刃が肉と骨を両断する音が響き、それが幾度も繰り返された。傍目から見れば、エグバートの姿は戦場を駆け抜けるつむじ風のように見えたであろう。
エグバートが二十匹目のゴブリンの首を刎ね飛ばした時である。
「で、出たぁっ」
「はぐれ者の巨人だっ」
「うわっ、うわあぁっ」
戦場の後方で味方の悲鳴と絶叫が立て続けに起きた。人と、ゴブリンの林立する景色の彼方に、味方が数人、何者かによって宙に放り上げられるのが見えた。
やがて、一つの巨大な影が、むくり、と起き上がった。背を屈めていながらも周囲に抜きんで身丈のあるその怪物の正体を知り、エグバートは臍を噛んだ。
「畜生、ありゃあ、トロールじゃねぇか!」
それはまさに、かつてエグバートが恐怖を感じた岩肌の巨人であった。
近くに居た衛兵達が勇敢に剣を振るい、トロールに打ち掛かっていく。割れ鐘のような音が鳴り響き、続いて兵士達のどよめき声が上がった。剣はいずれもトロールの肌を通らず、それどころか刃毀れを起こし、幾つかは刀身が折れてしまっていた。
トロールは大きく吠えると、地に届くほど長い両腕を鞭のように振るった。唸りを上げて迫る鉄拳を受け、兵士達はたちまち打ち倒された。
続けて、大剣を構えた屈強な戦士達がトロールめがけて走り寄る。彼らはトロールの四方を取り囲むと全員同時に、裂帛の気合を放って深く斬りつけた。
それらは僅かにトロールを傷つけたようであった。しかし、それが却って巨人を刺激した。
「あいぃぃぁぁあ〜〜」
甲高い声でおぞましく鳴き、トロールが跳躍した。飛んだ先に立っていた戦士が、トロールの巨大な足に蹴り飛ばされた。続けて、トロールの両腕が左右にいた二人を捕らえ、それを軽々と持ち上げると、石でも打つかのように両者の頭を激しくかち合わせた。
最後に残った一人は、逆上してトロールの背に斬りつけたが、擦り傷を二つ作ったところで殴り飛ばされ、木々の彼方に消えた。
トロールの出現に、戦線が崩れ始めていた。巨人族の悪夢のような強さを目の当たりにして、討伐隊の士気は著しく萎えていた。
エグバートは、兵士や戦士達が倒れた今、トロールと遣り合うべきは己以外にないと確信した。
背筋を冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、エグバートの足はトロールへ向けて駆け出していた。
「バートさん、無茶ですっ!」
どこからか、あの若い衛兵の声が聞こえた。まだ生き残っていたらしい。それを知って、エグバートは何故か安心していた。足の動きは止まらなかった。
いざ、トロールを眼前にして、エグバートもさすがに、
(南無三・・・)
との思いを禁じ得なかった。だが、もはや後戻りはできない。
トロールは、己の前に走り出てきた剣士を見て、蔑むように口の端を吊り上げた。それも一瞬のことで、すぐさま獲物を狙う野獣の表情を取ると、両腕を大きく広げた。
それが、エグバートの闘志に再び火をつけた。
「ビビりゃ、負けるぜ・・・」
言い聞かせるように呟き、続けて、
「臆せば、死ぬぜっ!」
意を決したエグバートは、刀を素早く鞘に収めると、右手を柄に置き、「抜き」の構えを見せた。一撃必殺の抜打ちの技に全てを賭けるのである。
トロールはエグバートの体勢を見、小癪な奴だと言わんばかりに鼻を鳴らすと、ゆるりと歩を進めてきた。これまでに無数の刀剣、斧槍、鏃を防いできた己の皮膚に絶対の自信を持っているのである。
対して、トロールを見据えるエグバートの表情は修羅と変じ、眼光炯炯として、全身からみなぎる剣気は燃え上がらんばかりであった。その瞳は、相手の動きを一寸たりとも見逃すまいとしている。
残り一、二歩で間合いに入ると言う瞬間、エグバートの頭がずいっ、と深く沈んだ。地にへばりつくように、前方へ強く大きく踏み込んだのである。鞘走りの音が鋭く鳴り、同時にシャムシールの刃が閃くのが、トロールの目にもハッキリと映った。
(だが、無駄だ。そんなもの、俺には通用しないぞ)
そう思い、一声吠えて飛び掛かろうとした刹那、トロールの股から臍の上へかけて、赤熱した鉄棒を押し当てられたような疼痛が電撃のごとく走った。我が声とも思えぬ大きな悲鳴が、トロールの喉からほとばしり出る。
エグバートの抜打ちが、巨人の下半身を見事に切り裂いていたのだ。
山野を揺るがす悲鳴は、すぐに途切れ、トロールの巨体はぐらりと傾いたかと思うと凄まじい地響きと共に絶倒した。白目を剥き、既に息絶えている。
「わあっ、わあぁっ」
エグバートがトロールを一撃で倒したのに勢いを得て、味方が口々におめきながらゴブリンに躍り掛かっていく。
一方、士気が完全に崩れきった妖魔の軍団は、得物を放り出すと背を向けて、必死に逃げ出し始めた。
当のエグバートはと言えば、巨人の肌を一瞬にして手応えもなく斬った我が太刀の切れ味に、信じられない思いであった。
「やった・・・、俺は本当に斬ったんだ。これでいい。あぁ、こんなこたぁ、もう二度とやれねぇ・・・」
若い衛兵が駆け寄ってきた時、エグバートは刀を握り締めたまま、ぶつぶつと呟いていた。
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